chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
がく
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2018/01/22

arrow_drop_down
  • 🏔 花々の咲く高原歩き 🏔

    霧ヶ峰の最高峰『車山』での展望を楽しみ、南北15Km、東西10Kmにわたる広大な高原に足を踏み入れる。 北方向には、山頂部が平坦でテーブルマウンテンを形づくる「美ヶ原」がありますが、こちらの「霧ヶ峰」は緩やかにうねって牧歌的な趣で、美ヶ原にない湿原を見ることができます。 車山(標高 1925m)山頂を9時 55分に出発。 車山高原リフトの山頂駅横を通り、登りに苦しんだ階段状の急な登山道を下り、蝶々深山(ちょうちょうみやま)への分岐を 10時 14分通過。 最初はなだらかな草原歩きで、10時18分 車山乗越通過。 コバイケイソウに見とれながら、草原に延びる木道を進む。 左手には車山湿原とコロボッ…

  • 🏔 霧ヶ峰最高峰の車山へ 🏔

    ずっと昔の若い頃、車山高原でマラソン大会が実施され、スキー場内や信濃路自然歩道を駆け回った頃を思い出しながら車山(標高 1925m)を目指して来ました。 車山高原のスカイシティー前の駐車場に7時 14分に到着。 直ぐに登山準備に取り掛かり、リフト乗車券売り場などを見て回ったが、冬場ではないので乗車券販売は9時からとなっており、計画通り歩くことにした。 売店の横から信濃路自然歩道に取り付く。 目指す車山とは逆方向の尾根に向かい、振り返ると眼下に駐車場と、その上部に車山が望めた。 円で例えると、車山に向かって右半分を登って行くのである。 登り始めて5分程で車山の東側に張り出した尾根に出た、ここは白…

  • 🕊 令和7年(2025)は終戦 80年 🕊

    80年前、日米が戦った沖縄戦は国内最大の地上戦であった。 その激戦での死者は、日米双方で計 約20万人であったと言われています。 当時の沖縄県民は4人に1人が犠牲になったといわれ、沖縄県は6月 23日を慰霊の日と定めています。 糸満市では、沖縄全戦没者追悼式があり、伊良波小学校6年生の城間 一歩輝(いぶき)君が「おばあちゃんの歌」を朗読しました。 www3.nhk.or.jp 知っていますか 命をかけて私たちを 守ってくれた人たちのこと あなたは知っていますか 私たちのために戦った人たちのこと あなたは聞こえますか 私たちを守ってくれた人たちの声 あなたはわかりますか 私たちのために戦った人た…

  • 🌋 宝永火口を巡る 🌋

    左手が富士本峰で、大きくゆるい U字型の鞍部が宝永山と七合目の中間にある馬の背、右手に進んだ所が、宝永山(標高 2693m)山頂になります。 こんなにハッキリと見られて気分はハイ。 以前に2度挑戦しましたが、どこが火口かも判らずに、こんな写真しか撮ることができませんでした。この左手が宝永第一火口だろうと? この時の宝永山山頂はこんな様子でした。山頂からの景色は白のキャンバス。 帰りは御殿場ルートの大砂走りを下りましたが、雷と大雨の中 逃げる様に走り続けました。 それを思うと、今日は嘘のように穏やかで、お弁当を食べたり散歩をしたりと最高でした。 火口底には小さな小山がありました。 宝永の大噴火は…

  • ▲ 1707年、大爆発した宝永火口へ ▲

    宝永火口を見ようと足を運び、好天に恵まれた3度目に長径1300m、短径1000mの楕円形である宝永第一火口を、やっと見ることができました。 上記の絵は左手が富士山、中央の第一火口を挟んで右手に盛り上がった所が『宝永山(標高 2693m)』、手前の下方が宝永第二火口です。 富士宮口五合目に9時 45分到着。 天気最高で皆さんウキウキ。 宝永火口に向かう前に、リンクした下記の「富士山」をご覧ください。 ※ 下の文字部分か、絵の部分を左クリックして下さい。 www2.nhk.or.jp 静岡県側からの富士山は例年7月10日頃が「山開き」となっており、富士山頂への富士宮ルートは「通行止」であり、そのル…

  • 🐾 赤穂義士引揚げの道 🐾

    赤穂義士の討ち入りは12月、まだ6月と早いのですが、今回の【歴史と文化を訪ねる特別例会】は前編(6月)と後編(11月)の2回に亘り実施され、早いですが前編をご紹介させて頂きます。 今回(6月)は本所松坂町の吉良邸跡から築地・旧浅野内匠頭屋敷跡までの約 6.0Kmを歩いて来ました。 JR総武線 両国駅西口 両国駅西口に集合し、9時半 出発。 流石、相撲の街「両国」、我が家の方では見掛けることのない力士が普通に街を歩いているのに驚きました。 この大相撲夏場所で2場所連続4回目の優勝を果たした大関『大の里』 令和7年5月 28日、番付編成会議と臨時理事会にて、第 75代 横綱昇進が正式に決定されまし…

  • gooブログより、引越して参りました。

    山梨子授け地蔵尊の可愛いお地蔵様です。 甘利山から千頭星山への尾根道にて山野草やキノコ、樹木など詳しくは無いのですが、勉強しながら山歩きを楽しんでいます。山歩きだけではありませんが、古寺社、古都巡りなど少しづつ投稿していきたいと考えています。どうぞよろしく、お願い致します。gooブログ開始から、本日で7092日目となりました。

  • ▲ 焼山峠から小楢山へ ▲

    乾徳山(けんとくさん))、帯那山(おびなやま)と共に奥秩父の前衛ともいうべき位置にあり、古くからハイキングコースとして知られ、防火帯のなだらかな山路を伝い、静かな山歩きができました。 小楢山(こならやま) は、乾徳山西南に位置し、その山麓は一面のブドウ畑で 「巨峰の里」 として知られています。 山容は大らかで、その南に隣接する「大沢ノ頭」が三角錐を見せているので、小楢山と間違い易い。 国道 140号線(秩父往還:雁坂みち) を北上し、恵林寺を過ぎてから県道 206号線(塩平窪平線)で焼山峠へ。 焼山峠にはロータリーの形をした 駐車場があります。 焼山峠駐車場に到着、8時 20分。 駐車場には1…

  • 🐾 旧東海道:小田原宿 2🐾

    新緑の季節、小田原城や箱根連山を望み、戦国時代最大級城郭を巡りながら、旧東海道の城下や小田原府外箱根板橋へと歩いて来ました。 戦国時代最大級の巨大防衛都市 『小田原』 。 豊臣秀吉の来襲に備え北条氏が築いた総延長2里半(約9Km)に及ぶ空堀と土塁の巨大防衛ラインである小田原総構。 この総構(そうがまえ)の最大遺構である小峯御鐘ノ台大堀切を中心に、美しい景色を眺めながら空堀と土塁を見学して来ました。 販売初日版限定小田原城御城印『小田原ちょうちんバージョン』 販売初日版限定小田原城御城印『小田原ちょうちんバージョン』 ノーブランド品 小田原城総構とは、小田原北条氏が天正 18年(1590)豊臣秀…

  • 🐾 江戸の潮風そよぐ浜御殿 🐾

    江戸時代は浜御殿と呼ばれ、徳川将軍の休息や客人のおもてなし、また江戸城の出城として使われた 『浜離宮恩賜庭園』 と築地を歩いて来ました。 スタートは新橋駅から、『 汽笛一声新橋を、 はや我(わが)汽車は離れたり ・・・・・』 新橋駅の SL広場には C11の機関車が展示されています。 日本初の鉄道が開通したのは明治5年(1872)。 新橋駅(のちの汐留駅)~ 横浜駅(現:桜木町駅)間の約 29Kmに正式開業しました。 その起点駅として初代新橋駅が開設された地域は、江戸時代には播磨竜野藩 脇坂家や仙台藩 伊達家、会津藩 松平家などの大名屋敷が広がるエリアでした。 鉄道敷設の主な目的の一つは、外国…

  • ▲ 荒倉山ハイク ▲

    ようやく春めいた陽気となり、新緑を探しに歩いて来ました。 地元では知られた山なのですが、南アルプスの前衛の山では、白い風化花崗岩の日向山やレンゲツツジの甘利山が有名で、その陰に隠れてしまっているのです。 その影となっている標高 1132mのとても静かな荒倉山に行ってきました。 山頂からは、富士山や八ヶ岳、鳳凰三山(見出し写真の山塊です。)、甲府盆地を綺麗に望むことができるのです。 甲府から甲州街道(国道 20号線)を北西に 進み、釜無川に架かる穴山橋を越えて直ぐ左にある午頭島公園駐車場に8時半到着。 10分で準備を済ませ8時 40分、 出発。 雲一つない好天に恵まれ、足取りは軽い。あの中央のピ…

  • 🐾 旧東海道:小田原宿 1 🐾

    小田原宿は東海道に宿駅伝馬制度が制定されると、江戸から数えて9番目の宿場に指定されました。 日本橋からは約 20里(約 80Km)余り、江戸からの旅人が最初に通る城下町です。 宿場は東西約 2.2Km、東海道に面した通りで、その規模は江戸後期で人口 5,404人、家数1,542軒、本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠数 95軒、問屋場2軒であったそうです。 当時の健康な成人では、1日当たり約 10里(約 40Km)ほど歩く人が多く、天下の険の箱根を控えた小田原宿は江戸から来た旅人が2泊目の宿として利用する人が多く、旅籠数は品川宿よりも多くなっています。 そんなことで、城下町であり、宿場町として賑わった『…

  • ▲ 高柄山から千足峠経由、四方津駅へ ▲

    御前山で5分の小休止をして9時 05分、次の高柄(たかつか)山へ向かう。 上野原を7時50分に出発し、厳しく 感じる所もありましたがアクセントになり、貸切の様なコースで静かな山歩きを楽しむことができました。 尾根を西に進むと間もなく、栃穴御前山へ の分岐に出るが、高柄山へ向かうため分岐を南に下る。 御前山の登りの厳しさに ビックリしたが、下りも急降下でトラロープがあるものの崩れやすい砂岩の岩で、細かく崩れた岩が滑りやすく 足元に注意しながら慎重に下った。 下り切り9時 15分、エスケープルートとして鶴鉱泉経由で上野原駅に戻れる分岐を通過。 この先はメイプルポイントゴルフ場を避けるために付け替え…

  • ▲ 上野原から御前山へ ▲

    中央 本線の上野原駅から四方津(しおつ)駅へと、駅から駅への静かな山路歩きをして来ました。 上野原市は山梨県東部にある市で、古くは甲州街道が横切り、現在では JR中央本線、国道 20号線、中央自動車道が市の中央をまとまって通り、また桂川が東へと流れ、市を南北に分断しています。 桂川は富士五湖の一つ山中湖と忍野に源を発し、道志、秋山両山地の西及び北を回り、神奈川県平塚市で相模川に合流しています。 大月から下流は流路が地溝帯を通るため、深い谷と河岸段丘で特色づけられています。 桂川右岸の駐車場に7時 35分、到着。 15分で準備を済ませ出発。 桂川は、川幅が湖と間違えるくらい広大でビックリ、昔はこ…

  • 🐾 旧東海道:品川宿 🐾

    『東海道五十三次』と云われる江戸から京都三条大橋を結ぶ五十三の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町であります。 慶長6年(1601)に東海道の日本橋を出発して、2里の宿場町として品川宿が置かれ、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と共に江戸四宿と称されていました。 品川宿は当初、目黒川を挟んで北品川宿と南品川宿から成っていましたが、享保7年(1722)に歩行(かち)新宿を加え、北品川宿に本陣が南品川宿と歩行新宿に脇本陣が置かれました。 天保 14年(1843)には宿内総家数 1561軒、人口 6890人、平旅籠 19軒、飯売(めしうり)旅籠 92軒、水茶屋 64軒を…

  • 🌷 万葉自然公園「カタクリの里」🌷

    万葉自然公園かたくりの里は三毳(みかも)山の北側斜面に約 1.5ヘクタールの規模で群生しています。 落葉樹林の林下に群生し、早春の雪解けと共に下向きに開花し、6枚の花弁は陽射しと共に反り返り、6本の雄しべは花外に突き出ています。 春を待ちかね、恥ずかし気に下を向きながら一斉にピンクの美しい花を咲かせました。 「見てください」と言っているように聞こえます。 可憐な花で、春の妖精 に喩えられるのも良く分かります。 それに、かたくりに負けじと咲き誇る純白の花は 『アズマイチゲ』 。 こちらの花も群生していましたが、とても見事です。 ごゆっくり、春の到来を満喫して下さい。 寒さから解き放され、春の芽吹…

  • ▲ 中岳から青龍ヶ岳を縦走し、野草園経由で戻る ▲

    みかも山公園は栃木県の南西部に位置し、佐野市と栃木市の境の平地に聳える『三毳山(みかもやま)』を含めた都市公園であります。 見出しの写真は、手前下に見えるのが東北自動車道の佐野藤岡インターで、三毳山山塊の南側になります。 みかも山は、いにしえの頃から名山として親しまれ、頂上からは「関東平野」を一望することができます。 『万葉集東歌』に「しもつけの みかものやまの こならのす まぐはしころは たがけかもたむ」と詠まれるなど、文学的な一面も持ち合わせています。 題意・・・下野のみかも山に生えている 小楢の木のように、かわいい娘はいったい 誰の妻になるのだろう この山を通ったと云われている東山道(と…

  • ▲ 三毳山の中岳へ ▲

    万葉集にも 詠まれたという三毳山(みかもやま)を歩いて来ました。 イチゴ とちおとめ 又は とちあいか SD 2パック JAかみつが 栃木県産 いちご フルーツ 果物 グルメ お礼... 12/20頃より収穫した商品となりますが、収穫時期が多少前後する場合もございます ヨグモグ 関東平野を 一望できるという、コナラやクヌギといった広葉樹林に囲まれた自然豊かな栃木県最大の都市公園になっています。 三毳山は沢山の山野草が自生し、花の百名山にも選定されています。 春は桜やヤマツツジに彩られ、夏には清々しい深緑、秋には鮮やかな紅葉と、四季折々に表情を変化させ多くの人を惹きつけています。 公園の西側には…

  • 🐾 旧東海道:大磯宿 🐾

    大磯宿は、東海道に宿駅伝馬制度が制定された慶長6年(1601)に平塚宿・小田原宿と共に開設された、江戸から8番目の宿場です。 ですが、江戸を発った旅人の多くは保土ヶ谷宿や戸塚宿で一泊し、翌日は小田原宿に宿泊する場合が多く、遊行寺や大山・江ノ島詣でなどで栄えた藤沢宿のような観光拠点でもなかったので、あまり繫栄した宿場ではなかったようです。 宿場としてのご案内は少なく、大磯は明治時代に入り、日本最初の 海水浴場 の開設を契機に大磯駅が造られ、保養地・別荘地として発展し、政財界要人の別荘や邸宅が多く建てられ、歴代首相が8人も住んでいました。 大磯に住んだ歴代首相には、伊藤博文、山県有朋、大隈重信、西…

  • 🏞 駿府城公園 🏞

    今川義元 全盛の時代 天文 18年(1549)に、徳川家康は人質として 19歳までの 12年間 駿府で暮らし、また晩年も「大御所」として 65歳から亡くなる 75歳までの 10年間を駿府で過ごされました。 荒畑園 静岡茶 ふくろう 缶 80g×2本 箱入り 緑茶 お茶 ギフト 鈴子缶 プレゼント 被覆茶 ブランド茶 茶... 原材料:緑茶(静岡県産)内容量:80g×2缶 荒畑園 その駿府城公園で、城跡天守台の発掘調査公開中とのことで見学してきました。 駿府城の歴史 現在の駿府城公園周辺には駿河国の戦国大名 今川氏の館があったと考えられています。 今川義元が当主の頃、松平竹千代(家康の幼名)は駿…

  • ▲ 静岡浅間神社から賤機山ピストン ▲

    東海の日光 『おせんげんさま』 を参拝しながら、市民憩いの山『賤機(しずはた)山』を歩いて来ました。 神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社及び大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社を総称して 静岡浅間(しずおかせんげん)神社(通称:おせんげんさま) と申し上げ、いずれも御創祀は千古の昔にさかのぼり、駿河国総社として広く信仰されています。 【まとめ買い】春 華 堂 うなぎパイ (バター風味)x3個セット 紙袋付き ウナギ パイ お土産 お取り寄せ ... 春華堂うなぎパイ12本入りX3箱セット。 春 華 堂 総漆塗り極彩色の豪壮華麗な社殿群で26棟が国の重要文化財に指定され、「おせんげんさま」 …

  • 🐾 旧東海道:平塚宿 🐾

    江戸から7番目の宿場で、日本橋からは 16里(62.8Km)の所に 『平塚宿』 があります。 江戸から6番目の藤沢宿からは3里 18町(13.7Km)にあり、途中、茅ヶ崎一里塚から間宿(あいのしゅく)南湖を過ぎ、舟渡し の相模川(河口付近は馬入川と言います。)を渡れば、高麗山(こまやま)が近づいてきて間もなく『平塚宿』に入ります。 次の大磯宿までは 27町(2.9Km)と大磯宿に大変近い所に造られました。 当時の旅人は一日平均 10里(約 40Km)を歩いたようです。 所が、これほど近い所に藤沢宿~平塚宿~大磯宿と宿場が造られた理由に、平塚が隣村の中原にあった徳川家康の中原御殿並びに中原代官陣…

  • 🎶 耳を澄まして 🎶

    私たちのバンドグループを指導して下さる方が開催された コンサート を聴きに行ってきました。 それぞれの楽器に精通された方々のJAZZバンド。 『Banda de Fnego』 折角の Jazzコンサートで是非皆様にも素晴らしい音色を、お聞きして頂きたいのですが著作権法により、ここに載せるわけにはいかず非常に残念です。 バンドの方々は全員がプロ級の方で、バンドマスターはギターを担当され、またボーカルの方の声が引き込まれる様に素晴らしかった。 Sax のアルトとテナーそしてトランペットを演奏された方が、我がシニアバンドを指導して下さる先生です。 ボーカルに後で黙々と演奏されるベースギターリスト、弦…

  • ▲ 宝登山から時計回りに下る ▲

    冬のロウバイ、梅をはじめ季節の花が咲く信仰の山。 標高 500mに満たない低山ですが、秩父三社の一つ宝登山神社が鎮座する霊山であります。 山頂直下には花木が植えられ、特にこの時期ロウバイが黄色の花を咲かせ「もう直ぐ春ですね。」と知らせる様に迎えてくれる。 宝登山神社~表参道(奥宮参道)~宝登山~毒キノコ看板前(登山口)~奈良沢峠~氷池分岐~氷池~長瀞~宝登山神社の行程で歩いて来ました。 ロープウェイ山頂駅広場からも遠く秩父市の武甲山(標高 1304m:石灰岩採掘が進む。)が望めた。 穏やかな雑木の尾根道で、冬の陽だまりが嬉しい 長瀞アルプス をノンビリ下って来ました。 宝登山山頂を9時 55分…

  • ▲ ロウバイの宝登山へ ▲

    荒川の左岸に山裾を広げる標高 497.1mの 『宝登山』 を歩いて来ました。 宝登山は秩父山塊の中でも数少ない独立峰の体をしめし、秀麗な山容は四季折々の自然の美を生み出し、訪れる人々の心を和ませてくれます。 【埼玉県特産】しゃくし菜漬180g×2パック 地元埼玉県岡部地方で収穫された 新鮮なしゃくし菜をゆっくりと乳酸発酵させ、 うす塩味に漬け込みました。 高田食品 宝登山神社駐車場に8時到着。 宝登山は麓に宝登山神社本社が、そして山頂には奥宮が鎮座しており、まさに御神体山であります。 ご由緒物語 寳登山神社 創立は西暦 110年、今からおよそ 1900年前、第12代 景行天皇の御代、皇子 …

  • 🐾 旧東海道:藤沢宿 🐾

    江戸日本橋を出発して6番目の宿場が 『藤沢宿』 であります。 藤沢宿は日本橋から 12里半(49.1Km)、戸塚宿からは 2里(7.9Km)、次の平塚宿へは 3里半(13.7Km)の距離にありました。 藤沢宿の規模は、江戸時代後期で人口 4,089人、家数 919軒、問屋場2ヶ所、本陣・脇本陣各1軒、旅籠 45軒であったと記録されています。 人口は多い方でしたが、旅籠の数では江戸を出た多くの旅人が戸塚宿で宿泊するなどの立地上の理由もあって、比較的少ない方の宿場であったようです。 「東海道宿村大概帳」には、藤沢宿の名物を「大山詣で、江ノ島弁財天詣で」と記されていますが、江戸時代の藤沢宿の特色の一…

  • 🌄 2025 賀春 🌄

    本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。 壽 御祭神 神代日本の国づくりをされた神 大己貴命(大国主命)をお祀りする 東海の総鎮守の社 砥鹿神社里宮 霊峰 本宮山 砥鹿神社奥宮 すべての国に平和がありますように

  • ▲ 霊峰本宮山と砥鹿神社奥宮参拝 ▲

    愛知県東三河の平野に聳え立ち、神代より砥鹿(とが)の大神が鎮まります霊山 『本宮山(ほんぐうさん)』 を歩いて来ました。 美しい姿の本宮山は、千古の神山として仰がれています。 豊川市から北方を望めば山頂笠を伏せた如く一際秀でた山が 「本宮山(標高 789m)」 で、東三河の何処からでも拝することができます。 今も昔もこの砥鹿の大神の御神徳を慕って、山頂の奥宮へ登拝する人々は年中絶えることが無く、今年の山行の締めとして参拝してきました。 愛知県 砥鹿神社 しあわせ守 幸守 御守り トルマリン入り 愛知県 砥鹿神社 しあわせ守 幸守 御守り トルマリン入り ノーブランド品 本宮山登山の出発点である…

  • 🐾 旧東海道:戸塚宿 🐾

    江戸日本橋を起点として始まる東海道五十三次の五番目の宿場町 『戸塚宿』 を歩いて来ました。 今から約 400年ほど前の旧東海道と言っても幾多の変遷を経て現在に至り、部分的な面影を探しながら歩く形であります。 戸塚駅東口を9時半に出発。 駅そのものが『戸塚宿』の中とのことです。 『戸塚宿』について 慶長6年(1601)東海道に宿駅伝馬制度が制定された時には、保土ヶ谷と藤沢は宿駅に指定され宿場町となっていましたが、その間にある「戸塚」は指定されませんでした。 戸塚宿は日本橋から10里18町(41.2Km)の位置にありました。 江戸時代の旅では、健康な成人は一日当たり 10里の行程を歩くのが普通であ…

  • ▲ 高川山から陽だまりコースを下る ▲」

    登りはずっと日蔭の登山道であったが、下りは全身に陽光を浴び、落ち葉を踏む音を聴きながら歩く、この時期ならではの山歩きであります。 ささいち 甲州にごりうめ酒 1800ml 18度 [笹一酒造 山梨県 梅酒 甲類焼酎ベース] 高川山(標高 976m)は低山の割には、富士山をはじめとする山梨県東部の山々の展望に優れ、誰にでも気軽に登れる山として、最近かなり人気が高いようです。 十分展望を楽しんだら、山頂の案内板に沿って下山開始、9時 53分。 最初は北に向かって尾根道を辿る。 下り出して直ぐの所に「狼煙(のろし)台跡」の案内板が目に付いた。 解説は無かったが、戦国時代に甲斐国主となった武将 『武田…

  • ▲ 静かな初冬の高川山 ▲

    紅葉 も終盤となり、静かな陽だまりハイクを楽しんできました。 山梨県と言えども、高い 山から低い山まで沢山あり、その中に歴史 も含まれ良く足が向く地であります。 低山で、ごく平凡な山ですが山頂からの展望が最高の 『高川山』です。 山梨銘菓4種セット 桔梗信玄餅(6個入り) 信玄ビスキュイ(6枚入り) 澤田屋くろ玉(4個入り)桔梗信玄... 桔梗信玄餅6個入り(布巾着付) きな粉と黒蜜の人気和菓子、桔梗屋の桔梗信玄餅です。 桔梗屋 JR 中央本線の大月駅から初狩駅に向かいます。大月駅ホームからの岩殿山。 ひっそりとした初狩駅を7時 39分、 出発。 地図で調べてみると、高川山(標高 976m)は…

  • 🍂 紅に染まる秋夜の堂宇 🍂

    開創以来六百年の 歴史を持つ関東(郷土)の霊場が、紅葉のライトアップ 開催中とのことで歩いて来ました。 大雄山最乗寺は、曹洞宗に属し全国に四千余りの門流をもつお寺であります。 こちらの寺域には約 17万本の杉が有るといわれ、中には樹齢が五百年を経過した杉もあるそうです。 境内には老杉茂り、霊気漂い霊験あらたかであり、気持ちが引き締まります。 辺りは、深々と冷え込みが増す。 境内広場に出て、中央の池越しに護国殿(本堂)を望む。 護国殿正面には僧侶が立ち、参拝者の諸願成就など夜間祈祷の案内して下さいます。 護国殿前から結界門へと進みます。 紅葉の方は瑠璃門付近と、こちらの護国殿から結界門への参道が…

  • 🍂 2024:公園の秋 🍂

    地球温暖化で、そのうち日本の四季が『ニ季』になってしまうだろう❓ などと言われています。 それでも、この素晴らしい 春・夏・秋・冬の四つの季節が存続することを祈りたい。 木々を訪れる。 何故あなたは 赤を好み、こちらの君は 黄色を選ぶのか ❓ もうそんな野暮なことは訊ねない。 色付く一枚一枚の葉は、既に木から離れようとしている。 そして春からの、枝と共に過ごしたさまざまの日を懐かしみ、別れる前の挨拶として、ひたすら華やいだ表情を見せようとしている。 風が 吹けば、木々の声が聞こえるだろう。 串田孫一(詩人:随筆家) 深紅や黄金色に染まった木々の間からの木漏れ日を受け、落ち葉を踏むカサカサ音を聴…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、がくさんをフォローしませんか?

ハンドル名
がくさん
ブログタイトル
素晴らしい風景!!
フォロー
素晴らしい風景!!

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用