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刮目天のブログだ! https://blog.goo.ne.jp/katumoku10

ども!刮目天 一です。目をよく見開いて世の中を見なければなりません。日本を強くするブログです。

反日ニュースと日本の古代史の謎に関する日記を書いています。モチベーションがあがるコメントを下さい。どうぞよろしくお願いします(*^▽^*)

刮目天 一(はじめ)
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2018/01/18

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  • 邪馬台国探究のための哲学と方法(その2)

    いつも応援ありがとうございます。よろしければまたポチっとお願いします(^)o(^)古代史ランキング前回、この表題で記事にしましたが、邪馬台国の会の第401回講演会の記録におまけで付けた「2.邪馬台国探究のための哲学と方法」の内容だったようです。本番は第402回講演会だったようで、本日、以下の新しい講演記録が発表されていましたので分かりました。早とちりして失礼な評論をしてしまったかもしれませんね。不快に思われたなら、お許しください。今回の内容は安本美典先生の邪馬台国北部九州説のお話でした。前段は深く幅広い学識経験をお持ちの安本先生が邪馬台国問題で採用する論理構造の根幹となる公理主義について、その実例によって分かりやすく解説頂いているので、とても勉強になりました。最後の部分で具体的な邪馬台国問題への適用につい...邪馬台国探究のための哲学と方法(その2)

  • 民族は言語と神話で区別するのか?(@_@)

    いつも応援ありがとうございます。よろしければまたポチっとお願いします(^)o(^)古代史ランキングいつも拝読している宮崎正弘先生のメルマガに興味ある記事がありましたので、例によって以下のような内容で投稿しようかと考えています。どうぞお付き合いください(^)o(^)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~☆◇◆◇◆☆◇◆◇◆☆◇◆☆◇◆◇☆◆◇◆☆◇◆◇☆◇◆◇◆◇☆◇◆◇~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「宮崎正弘の国際情勢解題」令和四年(2022)9月15日(木曜日)弐通巻第7464号~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(読者の声1)徐福の伝説を真に受けると侵略を招くことにな...民族は言語と神話で区別するのか?(@_@)

  • 【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その20)

    いつも応援ありがとうございます。よろしければまたポチっとお願いします(^)o(^)古代史ランキング7.記紀と日本人の信仰の謎⑥神仏習合の発祥地と言われる宇佐のなぞ?なぜ宇佐八幡神宮や宇佐の地に多くの謎があるのでしょうか?初代天皇が神武天皇ならば、東征で最初に立ち寄った宇佐の地は母の玉依姫が亡くなり、祀られている地ということですから(注1)、宇佐神宮に神武天皇が祀られているのならばまだ納得できますけど、なぜ応神天皇なのでしょうか?宇佐神宮HPによれば、聖武天皇が疫病や社会不安から国を鎮護するための国家的大事業として東大寺を建立しましたが、大仏鋳造直後の天平勝宝元(749)年12月に八幡大神とお供の宇佐宮の女禰宜(めねぎ)大神杜女(おおがのもりめ)が大仏を拝するため、天皇が使う高貴な紫の輿(こし)に乗って東大...【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その20)

  • 邪馬台国探究のための哲学と方法は?(;一_一)

    いつも応援ありがとうございます。よろしければまたポチっとお願いします(^)o(^)古代史ランキング学術的な記事が沢山集められているので、時どき参照する邪馬台国の会のホームページにある講演会の内容ですが、先日のぞくと先月の8月28日に表記のタイトルで講演会が行われることが分かり、講演会の記録がアップされるのを楽しみにしていました。面倒な話で恐縮ですが、お付き合いください(^)o(^)邪馬台国探究のための哲学と方法第401講演会記録邪馬台国の会本日、ページを見たら出ていましたので、早速拝見しました。しかし申し訳ないですが、少しがっかりしました。なぜ解決しないのかというような副題に沿った内容とは程遠いものでした。結論は「このように、いろいろな観点から議論すべきである。」ということで、よくわからんから、自分で考え...邪馬台国探究のための哲学と方法は?(;一_一)

  • 【衝撃】百済王のなぞ?いつ・誰が背乗りした?

    いつも応援ありがとうございます。よろしければまたポチっとお願いします(^)o(^)古代史ランキング中々、勉強が進みませんので、次の記事が書けませんでした。申し訳ないです。このテーマを前から考えていたのですが、丁度いい動画を見つけましたので、記事にすることにしました。最後までお付き合いください(*^▽^*)坂田隆「古代の韓と日本」新泉社(1996年)を参考にして考えていますが、一応、現時点での推理(仮説)を書きます。と言いますのも、百済についてのシナの史料と記紀や三国史記の内容が余りにも違うということは前から指摘されていましたが、通説では違いを無視して、矛盾がないように説明しています。三国史記は11世紀の新羅の金富軾が完成させたものなので、記紀の内容とも若干ずれはあるものの、日本書紀を参照したのは明らかです...【衝撃】百済王のなぞ?いつ・誰が背乗りした?

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