豊臣秀吉の末裔がいた?
秀吉の正妻北政所(ねね)の兄・木下家定の三男・木下延俊を初代とする豊後(大分県)日出藩木下家の19代当主・木下崇俊による「国松生存説」です。木下家には「国松は薩摩に落ちのびた」という一子相伝の言い伝えがあるのだそうです。それによれば、木下延俊が大坂の陣の際に陣取っていた備中島には大坂城につながる抜け道があり、それを使って国松は真田信繁の子真田幸昌とともに逃げ、薩摩藩の船で薩摩の伊集院へ落ちのびたのち日出藩に身を寄せ、延俊の死後、領地五千石を分け与えられて立石藩主・木下延由となったのだそうです。この木下延由の位牌には「木下縫殿助豊臣延由」と刻んであり、確かに、後述する「羽柴」さえ幕府は嫌っていた..
2021/02/10 09:31