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2017/12/17

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  • 原点回帰

    愛するとは、何であろう。 存在=愛ならば、 愛をするとは一体? する、つまり動詞であるならば なんらかの働きかけがあるだろう。 私は今まで、それは『認める』だと 主張して譲らなかった。 それ故なのか、この5年ほど大きな解体も なかった。 私の中で一応の整合性がとれていた から、意識を生活の方へ向けて 走ってきたのである。 しかし、子供が生まれ この子を愛する″方法″を 知りたくなった。 むろん、存在そのものの 愛おしさは表現するまでもないが、 可愛い可愛いいう事が 愛することとは思っていない。 (愛情表現としてあって良いとは思う) どうすれば、存在をみとめる事が できるのか。いかに表現すれば …

  • 学校では教えてくれないこと【労働編】

    労働は、仕事ではない。 仕事は、生きることそのもの。 (なぜそれでも生きるかを問い続けること) 労働は、労働力や時間の対価として 金銭を得て、生活に役立てるためのもの。 だから、労働力や時間ともらえる金銭を 天秤にかけて、条件のいい方を 選べばいい。 社会貢献とかスキルアップとか やりがいとか将来性とか、 色々考えて悩むこともあるだろう。 今までもあったし、これからも 節目節目にもたげてくるはずだ。 だが、考えてみればどんな労働も 似たりよったり。 仕事に集中していないから、 手軽に変えられる労働に目が向くだけだ。 仕事に集中するためにも、 下記のことを忘れるな。 【なるべく少ない労力と時間で…

  • 結婚前夜

    結婚する、ということが いよいよ現実味を帯びてきた。 もちろん、生きたいという概念はない。 ただ、生きることを肯定したいという 野心がある。 生きることはいいことじゃない、 "さぁ" 続けよう。 寿命まで生きる現実は変わらなくとも、 接続詞を見つけたことで 少しだけ気が楽になった。 道徳は義務だ。 やりたいという感情で守るものではなく、 いやいやであっても遵守するもの。 生きることは、私にとって極めて道徳的だ。 淡々と守る道徳そのものだ。 子供が生まれれば、紛れもなく義務になる。 少なくとも成人になるまでは、 育てあげようと思う。 反出生主義に近い考えを持っているものの、 確実に異なる点がある…

  • ミニマリストの効用

    【ものを厳選する】 かたちはどこまでいってもかたち だけれど、私にとって心地よいかたちと そうでないかたちがある。 できる限り、心地よいかたちに囲まれていたい。 私が好むのは、経年変化をするものだ。 例えば、銅製のカトラリーや鉄製のフライパン 分厚い牛革の財布に鞄、アタのボックス。 色が深まりツヤが増し、傷が入り込み馴染み、 美しい。 同時に、ストーリーを感じる。 植物や動物、鉱物を感じる。 命をいただいて生きていると、その変化を 見て肌で知る。大きな流れの中にいると 思うと、心強くて温かい。 あとは、無駄のないもの。 シルエットやシステム、動線など 無駄だなときづくと途端に 億劫になる。逆に…

  • 球体の世界

    人が、ものが、 すべて球体だったらいいのに。 それならシンプルでわかりやすい。 我々が考えるべきは、かたちの些細な 違いではない。悩むべきは かたちの色や大きさではない。 これは慰めではない。 その事をはっきりさせないと、 いつまでもかたち上のしょうもない 悩みに翻弄され、仕事に とりかかれないからだ。 労働ではない。仕事だ。 かたちであること自体について 考える、それこそ仕事だろう(しんどいが)。 そもそも考えるとは、かたちと意味と それらを引き受けて生きる方を 選択するために頭を使うことじゃないか? かたちはどこまでいってもかたちだ。 かたちa→かたちa′で解決される問題なんて もともと解…

  • どうせ続くのなら

    家庭を持ち、子を産み育てる それが生きることの肯定だと決めて、 もうなにも考えずにさっさと 取り組もうと思った。 仕事、子育て、それに付随する コミュニティ内の役割。 忙殺されてしまえば、あっという間に 時間が過ぎて、忘れられるんじゃ ないかという期待もあった。 どうせ生きるなら、 生きることを続けなくちゃいけないのなら 考えないでいたい。 考える上に続けるなんて拷問だ。 砂を盛って、盛ったら崩して、 また別の場所に盛るのとおんなじだ。 意義を見いだせないと生きられない。 意味なんて要らないのに、 生きなきゃいけない。 かたちに埋没すればいい、そう思った。 誰かの悪口をいってみたり、 社会問題…

  • 正しく問う、泥臭く応える

    物事を考えるに辺り、 正しく問うことがなにより重要だ。 根本的な前提として、生きることの 善悪は我々には判断できない領域にある ことを知らねばならない。 こういう状態なら善、こうなら悪と 決めることは出来ない。 唯一できるとすれば、主観的な意見を持つ ことだけである。そしてそれは、 人類全般に共通するものでもないし 多数決で決まるものでもない。 単なる好みである。 生きることの善悪については、正解を 知るよしもないが問うことはできる。 むしろ問うことだけが、生を意義 あるものにする。 (なお、意味はかたち伴って存在する) ただ残念なことに、生を問うことが できている人は本当に少ない。 主観的な…

  • かたち考

    かたちの虚しさは、 誤魔化せるものじゃない。 気分転換に息抜きとか 周りの人に相談とか、 そんなことでやり過ごせると 本気で思っているのだろうか。 かたちである限り、逃れられない。 影のように、どこに行ってもなにに なっても、ついて回るんだよ。 いま必要なのは、誤魔化すことじゃない。 向き合うことだ。この虚しさと 対峙することだ。 対峙するには、歪めずに見なきゃいけない。 認める、とは本来そういうことだ。 いいように解釈しない、勝手に 意味付けしない。 ただ、じいっとみる。 かたちの本質。 輪郭と体積をもち、 いずれ朽ちて消える、有限のもの。 この私も。 特定の意味などないが、 すべてのかたち…

  • 誰の期待にも応えない

    これが案外難しいよね。 人様に迷惑かけず、とか お世話になった人に恩を返す、とか 働いて税金納める、とか 老後のお金をこつこつためる、とか まぁ、気づけば色々考えてしまっている。 そして荷物が増えていく。 たまにそれらを点検するといい。 いつのまにか増えた荷物を 見直してみる。 持たなくていいな、と思ったら 捨ててしまおう。 捨てられないものには、居場所をあげよう。 空いたスペースに思わぬものが 入り込んできたりするから。 深呼吸して、想像してみる。 今の状況や環境を脇において、 胸にある景色を思い浮かべる。 小さながらんどうの部屋の、 壁にかかった絵画。 灰色の空と灰色の海を切り取ったような…

  • 生のOS論

    たぶんOSが違うんでしょうね。 WindowsかMACかくらい、 最初から違うようだ。 WindowsをMACに似た仕様に カスタマイズして使うことはできる けれど、いちいち手直しがいるし 工夫や技術も必要だろう。 iTunesも″あいちゅうんず″みたいになって なんか無理あるなぁ感は否めない(笑) そして世間は、およそMAC向けの作りに なっていて、新しい課題に出会うたび アプリ作りから始めなければならない。 MACがOSの人がぽちっとアップデート している横で、盗み見ながら真似っこ しつつやり過ごしてきた。 生きることに関して、価値観の違い という次元では片付けられない程 大きい隔たりを感…

  • 今日もりんごの木を植える

    続けると決めたら、 すぅっと心が軽くなった。 どうすれば続けないでいられるか 思い煩っていたときは 重くて苦しくて薄暗かったのに。 本心では生きたかったから、 なんていうつもりはない。 今でも茶番だと思っている。 それが喜劇であり、演者になりきると 腹をくくっただけ。 覚悟なんて大それたもんじゃない。 それに、かたちの痛みがなくなるワケ じゃない。身もだえる冬は近い。 また、若い命が喪われた。 SNSの誹謗中傷が要因ではあるだろうが、 本人の心が不安定であったことには 違いなかろう。 そんなの気にするな、強くなれ などとぬかすつもりはない。 ただね、くだらねぇなとは思う。 そんなの、死ぬことを…

  • 虚しさを引き受けて

    明確な要因がわからない自死は、 人を困惑させる。身体の芯の部分が 低温やけどをしたかのように 熱を持ち、落ち着かない。 その時、かたちでは解決できない 存在の壁の前で立ち尽くしている ことに、はっと気がつく。 握った手のひらから漏れる空虚 地響きの耳鳴り 暗く荒れた海と曇天 生きることはいいことだと 自分に言い聞かせたのかもしれないな。 それだけでなく、生きることに悩む 人々へエールさえ送ろうとした。 過大に役割を意識しすぎたきらいがある。 きっと真面目で、優しかったのだろう。 そして、自信がなかったのかもしれない。 独特のらしさや尖ったところがないこと、 いい子の殻を破れないでいることが ど…

  • 人生定年制度

    死にたがり度合いにおいては シオランに負けず劣らずだと思う。 別に誇ることではないのはわかっている。 しかしながら褒めてあげてもよかろう と思うのが、それでもなお生きることを 選択しているという点だろう。 いまだに生きたいという感覚は わからないし、死にたい気持ちも なくならない。息を吸うように、 自然にいつも死にたい。 全然健康、万事順調。むろん、死にたい。 OSが死にたいになっているとしか 思えないレベルだ。 私はもう、死にたい理由を自分に 問わないし裁かない。 皆に認めてもらおうとも思わない。 自分が認めればオッケーだ。 むしろ問うべきなのは、なぜ それでも続けるかということの方だろう。…

  • 生きたい、とはどういうことか

    生きたいと思う事に 理由は問われないのに、 なぜ死にたいと思う事は 理由を問われるのだろう? 生きる理由は問われないのに、 死ぬ理由は問われるのだろう? 身近な人や大事なペットが死ねば、 共に過ごした時間を思いだし もう二度と共有できないことを知り とても悲しい気持ちになる。 でも、死ぬこと自体を悪いことだと 思ったことがない。 もちろん死んだ人をかわいそうだとも 思わない。 同時に、死にたいと思うことを 不自然だとも思わない。 かたちを持つことは本来苦しいことだ。 生きたいと思う事は、その苦しみを 少しでも和らげようとする何らかの 計らいなのかな。わからん。 私の人生の目的は、 生きることを…

  • 鈍感でいること

    鈍感は、生活する上で一番の武器だなと あらためて思う。 半径二メートルの世界で起こること以外 なにも見えていないような人や、 感受性や身体が敏感であるからと 厳しいことは他人任せでのんびり 茶を啜れる人や、 ろくに働いたこともないのに労働を 嘆き生活に足をとられる人。 捕鯨反対といいながらパンや肉を 美味しそうに食べる人や、いじめの報道に 「ありえない!」「かわいそうに…」 といいつつ身近な人の悪口や愚痴に 花を咲かせる人。 矛盾やほころびが生じる部分を どういうわけだか見ないでいられる。 たとえ見てしまっても、すぐに蓋を してしまえる。そこに罪悪感はなく、 都合のいい解釈があるだけ。 振る舞…

  • 詩/ことばがほしい

    ことばがほしい 本当のことばがほしい 血でかかれたことばがほしい 虚しい場所でひとり 立ち尽くすことを強要する ことばがほしい 誰も救われない真理のために 私自身を差し出して 熱湯のように浴びせかけられる ことばがほしい 言語のような滑らかなものでなく 熟れたザクロの 爛れた手ざわりの ことばがほしい 混沌を煮詰め絞り出すような たった一滴のことばがほしい

  • 100日後に死ぬワイ

    Twitterで話題のパロディ …我ながらくだらない( ̄ー ̄) 100日後に死ぬかもしれない。 もしかしたら、明日かもしれないし 明後日かもしれない。 だから、生きている日々を当たり前と 思わずに大切に過ごそう。真剣に生きよう。 そういうメッセージを込めたらしい。 確かに何気なく生活していると、 明日も明後日も来年も10年後も 波風はあれど来るものだと疑わないだろう。 でもそれは、生きることに真剣じゃない からではないんだと思う。 (どのような軌跡を描いたとしても、) 生成し発達しやがて消滅するという かたちの法則にしたがっている我々は、 存在そのもののの意図は解けない。 かたちにはじまり、か…

  • いいんだよ

    思えば、たくさん回り道をしたものだ。 母から認められたい、愛されたいという 思いが根底にあったわけだが、 その思いを認めるのにも時間がかかった。 記憶を捏造したり取り繕ったり しないでも立っていられるようになるまで そこからさらに時間がかかった。 最初から、ストレートに受け取り 認め、渡せたなら今の私とは かなり違った自分になっていただろう。 けれど私はこの私しかいないし、 なんだかんだ人間臭い自分が好きなのだ。 感情の豊かさを感じられるのは、 翻弄されたことがあるからだし 失っていた2年間包まれていた あの透明な膜を知っているから。 豊かさ=幸せではないと 豊かさ=善ではないと、 自分だった…

  • ことばの海から

    これまで、特にこの4年間は ことばのために費やしてきた。 たくさんのことばに触れ、 自我を幾度もとり崩しては その破片を積み重ねてきた。 今回ばかりはもうだめだと 毎度思ったが、じっと亀のように 待っているうちにいつの間にか 春を迎えていた。 少しずつ栄養を与え、豊かになった ことばの海から引き揚げてきた言葉を 私は私のためだけに使いたくない。 正直に言えば、 得るまでの道のりやそのために 選ばなかったことを思うと、 ぽんと差し出すことに対して 惜しい気持ちがあった。 あるいは同じだけの血を流し 得てきた言葉を差し出せと、 腹のなかで思っていた。 かけてきた時間や労力に対する自負、 そのために…

  • 宣戦布告

    考えても答えがでない、 そういう問いが好きだ。 たとえ悶え苦しんでも、ぽっかりあいた 虚無の洞窟を前することになっても。 考えても答えがでないことを 考えるのは社会的に有用ではないが、 考えて答えが出ることなど 面白くない。 自分の地位や有能さに 鼻高々になる人は多い。(逆もしかり) 確かに社会に認められる努力を したという事実は評価に値する。 ただ思うのは、その評価は いかほど大切なのだろう?ということ。 人は見た目が9割、 なるほどそうかもしれない。 ただその9割はなんのための9割か。 他人に好かれる、評価されることは 社会生活を営む上で重要なのは わかるが、その中心が語られていない。 た…

  • 恋とか愛とか。

    今夜は月が見えない。 あの重く厚い雲の奥に きっといるのだろうが、 月のない空はどこか不穏だ。 外灯の心許ない明かりが 寒空にぽつりぽつりと滲んでいる。 こんな夜は、後ろめたい関係の カップルにとって都合が良いだろう。 お互いのギラギラした光だけが 絡み合って、夜が濃くなっていく。 不倫。たびたびワイドショーでも 話題になるが、明確な嫌悪感を 抱くことが出来ないでいる。 頭や心を超えたところに、 まるで雪崩のように押し寄せてきて 圧倒される可能性は誰しもある。 やめろ、という理性の声を一瞬聞いた ような気もするが、もはや身動きできない。 それが結婚後に起こった場合、どういう 態度をとることが誠…

  • 継続のうちに見る肯定

    続けることの中に、肯定を見つけた。 善悪の善だけでなく、悪を含む 肯定。好き嫌いの好きだけでなく、 嫌いを含む肯定。生産性の有無を 問わない肯定。 綺麗事ではない。むしろ、清濁あわせ のみ泣きながら頷くような肯定。 私に、できるだろうか。 大きなものを畏れ、尊重し 祈るように生きることが。 自信はないけれど、ひとまず 落ち着けそうな方向性を見出だした。 続ける理由として納得はできる。 となると、生活へ目線はいく訳だが こちらも一筋縄ではいかない。 不安をあおるような要素が一杯だ。 それでも、生きることの模索とは 比べ物にならない。 暖かろうが冷たかろうが、風が こそばゆくて。 ただ、彩ることに…

  • 肚でわかること

    生きることはいいことじゃない ということと、 (生きるのを)続けていくこと が私のなかでうまく繋げられず、 前提が間違っているのか はたまた続けていくことが 間違いなのかと問い続けてきた。 でも、どちらも間違いではないとすれば 私が探すべきなのは「接続詞」 なのかもしれない。 そう考えてふっと力を抜いたとき、 出てきたことばが ″さぁ、″ だった。 青年は考える。 生きることはいいことじゃない だから、続けない あるいはこう考える。 生きることはいいこと(のはず)だ だから、続けよう 大人はどう考える? 生きることはいいことじゃない それでも、続けるものだ あるいはこう? 生きていればいいこと…

  • 年の瀬に思う

    年の瀬の、忙しない雰囲気が 割りと好きだ。 非日常なのに毎年型通りというか。 落ち着かないのに懐かしい感じ。 いつも年の瀬だったらいいのに。 (同じ型通りでも年始は好きじゃない) 帰省ラッシュの映像を見て、 皆帰る場所があるんだなと しみじみ思う。 そんな中、一人あてどもなく 電車に乗る。遠いところ、できれば 雪深いところか灰色の空と海を 眺められるところでぼんやりするために。 ぼんやりしながら、生きることを考える。 日常でも非日常でも考えることは同じだ。 そして、目覚めなければいいのにと いつも同じ結論にいきつく。 でも、目覚めてしまうのなら 来年がやって来てしまうのなら どう生きるか考えた…

  • 良いことではない、そして続ける

    生きることは、良いことではない。 かたちは不条理であり、無常だ。 それでも生きることを好む人たちは たくさんいるし、続いていくことを 願っている。 かたちの存続を維持するよう努め、 妨げない態度をとることは 道徳的に正しいことなのだろう。 それは私が存続を望まなくても 或はその意味を理解できなくとも、 続けていくための一切を肯定する 根拠となる。 存続を望む人がマジョリティだから という理由では脆い。 そもそも高齢化に伴う病苦、重い税負担、 老老介護、長時間労働、過度な情報化… そういう情勢にあって 口にせずともかたちの存続を望まない 人は少なくないと感じる。 高度経済成長期のように、頑張れば…

  • 電車に乗って

    たまに、何もかも捨てたくなる。 仕事も趣味も人との付き合いも家も物も。 捨てたところで、どうなろう。 そうは思うが、長く持ち続けると 澱のようなものが少しずつ溜まっていく 息苦しさがある。 別に嫌いになった訳じゃない。 でもそういうときはあるし、 誰かの顔に同じような色が しゅっと浮かぶのをみることもある。 淋しい共感は少し温かい。 だからだろうか。時折、電車に乗る。 一応の行き先はあるが、目的は乗って 移動することだ。なんのつながりもない ところへ無性に行きたくなる。 街行く人を眺めて、二度と会わない んだろうな、などと思う。 それでいて、自分が景色になったような 軽さを感じる。考える主体で…

  • 運動としての永遠性(仮)

    かたちのあるこことかたちのないそこ。 全体が一なる運動であると仮定すると、 どちらにもその起源はないのだろうか。 否、他方が他方の起源といえるのか。 ここゆえにそこがあり、そこゆえに ここがある? となれば、かたちのないそこでも 終わりが来るということになるだろう。 またかたちの方へ生まれでてくるのなら、 そこではある種の終わりがある。 であるならば、そこへ入ることは 一時的にかたちから解放されるだけで 永遠に無形であれるわけではない ということになる。 つまり、かたちがないこと=永遠 とはいえなくなる。 むしろ、かたちの創造と解体を 繰り返すこの運動そのものが 永遠性をはらんでいるというのだ…

  • かたちを続けていくこと

    死にたいと思うことは解放への希求で あって、特定のかたちへの絶望ではない。 かたちでしかあれないことに虚しさを 感じているわけで、別のかたちを あてがわれても消えるものじゃない。 ○○であれば生きていたい、 というのは立派な生存願望だ。 どのような状態であっても 生きていたくない、 というのは歪められた願望なのか? 正常であれば、生きていたいと 思うものなのか? かたちからの解放を望むことに いかなる問題があるのか。純粋に知りたい。 社会が成り立たなくなる? そもそも成り立たせなくてはならない理由が わからないのだ。 真面目な顔で生活しながら その意味するところがわからない。 精神的に奇形なの…

  • 生活への興味がなさすぎる件

    ここ数年、かたちや存在そのものへの 考察を深めようと努めてきた。 生きることを学び考えてきた。 その弊害として、生活への興味が 一層薄れ、生活感覚がごっそり失われて しまったようだ。 なにか生活について喜んだり悩んだり しようとしても、 「結局、かたちではないか」 という思いがもたげてきてしまう。 かたちとかたちじゃないものの差に 関心があるのであって、AとBの差には 正直あまり興味がない。 私のなかでは、かたちをもつという意味で 同じくくりなのだ。 けれども、生活に関心を持たなければ 生きることもままならない。 私自身も一つのかたちとして、 かたち界のルールを覚えなくてはならない。 運転が好…

  • わりきらないで、対峙する

    ああ、まだまだ甘いなぁ自分。 無意識にわりきろうとしてしまう。 安楽死を尊厳死といいかえ、 死を生の終末とし選択権を与える べきだと語る。もっともらしい回答だ。 でもこんなにきれいにわりきっては、 その谷間に語られぬことばを こぼれ落としてしまうのでは? 私のベクトルはかたちからの解放、 すなわち死へ向かうから 死を肯定的にとらえる文脈を 熟慮なく採用してしまいがちだ。 でも、論拠としてあげた例は かたちへの執着の帰結であった。 生が苦しいなら死を選ぶ、 という消極的な選択はもっとも 避けたいというのに。 生きることは苦しいのになぜ続けるか 死ぬのは怖いのに何故死なねばならないか このかたちと…

  • 死ぬ権利じゃなく、生ききる権利

    パラでメダルをとった女性が 安楽死で亡くなったという。 享年40歳。 耐えがたい痛みを抱え、 晩年は夜も眠れなかったそうだ。 世界最高齢でギネス認定された 女性が後悔していることを聞かれ、 「長く生きすぎたこと」と語った。 知人や子供たちを見送り、 生き続けることに虚しさを感じたそうだ。 あげればキリがないが、そろそろ 本気で考えた方が良くないか? 存在価値を生産性で測る社会だから、 導入に慎重なのだろうけど。 迷惑がかかるから生きたいけど死ぬ、 という事態を防ぐ方法は検討すべき だと思う。だからといって、 尊厳死そのものを導入しない というのは話が違う。 尊厳死は死ぬ権利じゃなく、生ききる …

  • 考えるのが好き。とりわけ死について

    村上春樹さん風のタイトル! 生を続けることに執着がなく、 無論かたちにもこだわりがない。 だから、こうなりたいとか あれを手にいれたいという思いも ほとんどない。 よく言えば無欲、悪く言えば無気力。 どちらにせよ、残された時間を どう過ごすのか考えたいところ。 すべきことがない人生は、 時間をもて余すからね。 平均寿命が87歳前後だから、 下手したらあと60~70年近くある。 生きることはリスクだなと改めて思う。 どんだけのびりゃあ気がすむんだろ。 去年5年更新したばかりだから、 ひとまず縮める選択肢は外しておく。 お金は生活する上で必要だ。今のところ。 でも、手段であって目的じゃない。 七つ…

  • 解放されたし!

    噂話や悪口をいわないのは、 優しさとか心がけという側面も 多少あるけれど、そもそもあまり 興味がないんだと思う(笑) 分析するのは楽しいけれど、 その人への興味(好意)ではなく人間の行動や 心理や選択について考えるのが好き なだけなんだな、と。 だから、博愛主義的に みんなに同じように接するし 家族や友人であっても一定の距離を 保つ。ずっと同じ空間にいると しんどくなって、ぷらっとでていく。 親密になるのがあまり得意じゃない。 困ってはいないけど 興味があるふりをするのはちと疲れるね。 人の名前とか情報を覚えるのも苦手。 なんでみんな人に興味があるのかな、 よくわからない。 生活に興味がないか…

  • 疾走する閉塞感

    生活をおいて 生きるを考える なんて、できんよなぁ(笑) 動くことも動かないこともリスク 結婚するもしないもリスク 子供生むも生まぬもリスク なんだろうね、これは。 だんだん閉塞感で苦しくなってきた。 40才独身でなくなったかたの 迷いと哀しみとやりきれなさを思う。 生きること自体へのむなしさが 耐えがたく肩にのしかかってくる。 このまま、目覚めたくないなと いつものように点検する。 弱くて醜いよ、 恐くて不安だよ。 そしてそれは、生きる方を向いている からなんだと気づく。 愛よ、なぜかたちを望んだ 愛よ、このすべてのかたちたちが 報われると言ってくれ 報われると言ってくれ 泣くのはいやだ、笑…

  • かたちつれづれ

    ⚫源泉たることば:生きるを認める いいね!じゃなくていい、 あるね!と認める 他者においても認める (認められるように心を寄せることを 愛すると呼ぶ) ありえない、は ありえているということを理解できない 認められないの略 あることをそのまま眺めることで かたちの声をきき形の歪みや偏りをはかる 生活に翻弄され生きるを認めることが できない状態はかたちを出しきれない 状態であり、善くない ⚫かたちを出しきる、せかいを拓く (=生ききる) 境界線ではなく、輪郭を打ち出す ことばが最も豊かに見いだされる場所で せかいを拓いていく つまり存在そのもの、愛に向かって線を ひくことができる状態 その時に、…

  • 笑いの効力

    笑いってすごいね。 笑わせるってすごいことだね。 出会いの数を増やそうとしている 中で、傷つけたり失敗したり 単純に縁がなかったりする。 そしてまたいちから積み上げる、 その繰り返しがたまに心を重くする。 みんなそうなんだけど、 これを越えなくちゃなんだけど、 やっぱり消耗する。 そんなときに、ふわっと 笑わせてくれる人がいる。私も 楽しくなってボケてつっこんで。 純粋に話すことを楽しめている。 うまくやらなきゃっていう固さを 解いてくれる。 癒されるね、これは。 ありがとう、と伝えた。 いつ最後になるかわからないから それでもたくさん貰ったから。 私が過剰におふざけキャラだったとき、 笑いは…

  • 反省。よし、次!

    傷つけることができるのは 自分だけだ そう思いながらも、やはり気にしている。 さすがに態度悪かったよなぁ、謝りたい。 たぶんすごく真面目で、頑張り屋で 努力を重ねて生きてきたんだろう。 出会いを大切にしたいと考えるからこそ、 期待も大きかったんだろう。 真面目に向き合おうとしてくれた人に わざと怒らせるような不誠実な態度を とってしまった。反省。 かちかちになった心を解すんでなく、 パリッとヒビをいれてしまった。 今を認められなくて足らないものを埋める 彼を、よりいっそう駆り立ててしまった。 ごめんて、言葉足らずで。 たとえ終わってしまう関係でも 一度でも交わったなら、大切にしたい。 だからこ…

  • ひとは期待に応えない

    たいていひとは期待に応えない。 応えなくていいしな。 でもなんでかな、真面目に期待に応えて きた人ほど、ひとに期待してしまう。 そして相手が応えてくれなくて、 ないがしろにされたと勝手にへこむ。 あるいは、「これくらいやって 当然だろ!!!」と怒る。 いずれにしても、精神衛生上 あんまりよくないよね。 自分にかすハードルも高いから、 高望みというわけではないだろう。 でも、ホントにそんな肩肘はらなきゃ いけないかい?と疑問に思う。 理想の男性像があって、それに向かって 足りないものを埋めようと必死に なっているんだろうな、と感じた彼。 イケメンではないことを非常に気にかけて いるようだったけど…

  • 自殺はなぜダメか

    自殺はなぜダメか。 私なりの答えを述べたい。 まず、多くの場合自殺によって 解決されないからだ。 問題解消の仕方に誤りがある。 なにかが上手くいかないなら、 全部やめてしまおうという 考えで死を選ぼうとする。 その場合、やめるのは生きること ではなく、かたちへの執着だ。 勝手に問題化しているのは、 なぜだろう。誰から見てなにゆえに 問題なのだろう。どんなかたちで あることを放棄したいのだろう。 そういうことをうやむやにして 死のうとするのは、生きることへの執着が ないくせに執拗なまでにかたちへ 執着しているからだ。執着したいからだ。 ならば、死んでも解決されっこない。 かたちがないのだから。 …

  • 秋だからかな

    物悲しい。わけもなく、不安。 無意識にそういう気持ちに蓋を するところだった。 なんか、悲しいね。 なんとなく、不安だね。 よし、点検確認、完了。

  • アウトロー\(^-^)/

    迷ったときこそ、思い出せ。 既にアウトローだったでしょうが(笑) こういう日が来ることを どこかでわかっていたのだろうな。 あえてズレたのは、ズレるのを 恐れないでいたかったから。 ズレるのを恐れて、小さくなって それなりに生きていたくはないと そういう大人になりたくないと 思ったからだった。 普通、やらないでしょ(笑) そう言われたけど、私はその普通という 枠組みを取り壊したかった。 やってよかったよ。 そのとき開いたせかいは、度々 私を救ってくれた。 安心してください、普通の枠、 もう壊れてますから!笑 なんでもこいのどんとこいだ。

  • どう生きる

    生活を軽視しがちではあるけど、 生きるは生活に寄り添うように あるわけで。 解体期が近そうなので(笑)、 今のうちに考えておこう。 好きなこと、大切な時間でいえば 本を読むことと一人で考える時間かな。 考えたことをつらつらまとめるのも すっきりするし、せり上がってきたものを 言語化しておくと後々役に立つ。 できれば一人でふらっと旅する時間も ほしい。半年に一回、二三日あれば とてもいい。 家族や友達と過ごす時間って、 あまり考えたことがないかも。三ヶ月から 半年にいっぺん話せればいいかなぁ。 なかなか薄情なやつっぽいけど(笑) 単純に集まってぐたぐだするのって 息抜きにはいいけど、日常ではいい…

  • 詩の生まれる地

    9年ほど前。私が高校二年生の 頃から、公開しないブログを 書くようになった。つまり日記として 残していたわけだけど、 たまに読み返してみると なんだか泣けてくる。 最初は言いたいことも言葉にならず、 疲れた・嫌だ・イライラする わーい・なんとなく・怖い… そういうワードで構成されていて うまく表現できないもどかしさが 透けてみえる。 同時に、書かずには立っていられない 切迫感も伝わってくる。 パンパンの自意識で破裂しそうな 教室の濃度を思い出した。 今の若い子たちもそうなのだろうか。 私や多くの私たちを抱き締めたくなって しまう。大丈夫だと声をかけたいが、 肚落ちするまでは前途多難な道程だ。 …

  • テンプレ、視野に入らず

    思い返すと、見ているようで 全くみていなかったらしい。 大学時代の同じクラスのメンバーが どのような人物であったか ほとんど思い出せなかった。 だいたいあのグループの人かな、 くらいにはかろうじて覚えているものの だからといって知ろうとも思わなかったし 現在の状況にも興味がなかった。 自分では色々興味を持って動いていた 四年間だったのになぁとぼんやり 考えていたが、なんてことはない。 面白くなさそうだからだ。 入学して同じような服装、髪型の 人たちとつるみだし、 異性間交流もそれなりにこなし、 サークルも軽めのに入ってコンパに あけくれ、真面目に授業を受ける人を 小馬鹿にしながらツテで過去問や…

  • 拝啓 K様

    暑い日が続いておりますが、 いかがお過ごしでしょうか。 私は外に出るのも億劫で、 冷房のきいた部屋で本を めくり、想像世界でいきいき 過ごすような休日を過ごしております。 先程、好きな詩人のあるお方が 「他者と言葉を響きあわせるために 言葉を探す時間があってもいい、 言葉との関係を深めてよい」と 仰っていました。 およそ納得するところで、 相変わらず良いこというなぁと 膝を打ったのですが、同時にちょっとした 違和感を覚えたのです。胸の端のほうに スッと隠れたその違和感を 点検してみたのですが、それは 言葉に対する希求が強い受け手は それほど多くないのではないか?という 素朴な実感でした。 自分…

  • 他人の言葉で戦うな!

    自分の言葉がないからと 安易に他人の言葉に便乗しては ならない。ましてや、他人の言葉で 戦うなど言語道断! そんなことして、論破して気持ちよくなって あるいは共感されてホッとして、 一体それは何なのだ? 意味もわからず言葉を繰り返すインコと 同じではないか。 自分の言葉で語れるように 一つずつ違和感や感情と向き合いながら、 丁寧に取り出していく地道な作業。 孤独でゴールも見えず、 資本主義的な観点からみれば まったく無意味とも思える作業だが、 そこをおろそかにして かたちだけ真似したって いずれ形骸化するだけだ。 ダサくていいから、自分の言葉を 見つけたい。この場所から見えるせかいを 語りたい…

  • 一つの青い照明、その点滅の奇跡

    全くなにも上手くいっていませんが 落ち着いているというか、 自尊心・損なわれず 好奇心・だだあがり。(笑) かたちへのこだわりがなくなった、 ということは良いことなんだろうか。 どんなかたちでも認めると 決めてしまったら、なんでも来い状態。 むしろ認めがたいことに挑戦したいという 欲求さえある。 存在していることに特定の意味はない。 というより、かたちが意味であるだけだ。 かたちである限り意味から逃れられないが、 評価から逃れることはできる。 評価は、ある特定のかたちにとって 利益になるという意味合いで、一般に価値と 呼ばれる。けれども本来、価値は 「ふさわしい」という表現の方が正しい。 存在…

  • 未完なるかたちの物語

    生ききることは、かたちをもつ 我々存在者の意義である。 所謂幸せは(公共の福祉に反しない 限り)権利であって、意義のために 一部放棄することを選ぶ場合は あり得る。 生ききるとは各々のかたちを出しきる ことであり、出しきる状態とは 存在そのものへ最も拓かれている状態 だろうと推測する。 つまり、その存在者における ことばの発展土壌を見つけ、 愛を感じ愛であることに充たされ 在るを豊かに認められるという状態だ。 ことばの発展土壌は存在者のかたちに よってふさわしい場所や方法は異なる。 故に、世界が多様性を尊重する方向へ 進んでいるのは、存在者にとって 良い風潮ではないかと思う。 ただし、読み違え…

  • 彼岸も含めた波と考える

    波。 こちら側だけではないとしたら? こちらという1つの大きな波が 死をもって終わるのではなく、 かたちを失いながらも あちら側の輪郭をもって 振り子のように波が続くなら? それは、輪廻転生という話ではないし 死後の世界があるという話でもない。 かたちがないのに波だけがある状態は 果たして存在するのか。 けれど、考えてみればかたちへ向かわせる 何らかのエネルギーがある方が 自然な気がする。 波には何か特別な意図はない。 運動だ。エネルギーの波形だ。 だから、かたちであるこちら側が なぜわざわざ?と問うたところで なにかポンとわかるものでもない。 思えば最後のとき、病院の心拍数を 計る機械には波…

  • 飼育と教育

    ペットを世話する母を見て、 「あぁ、私は教育ではなく 飼育されたんだなぁ。」と ぼんやり思った。 猫可愛がりは、ほんの小さい時なら 存在の肯定を示すために役立つかも しれない。けれど、成長にともない 社会に出て交わりながら、 自分で障害を越えていく力を 身に付けていかなければならない。 いつまでも干渉しようとするのは、 親自身が手放したくないからだ。 それは、絶対的な支配者である親 という立場を守りたいだけの話であって 決して子供のためではない。 母は、自分自身と向き合えていないから 正面から向き合った問いをごまかした。 私のためではなく、自分が見たくないから。 そして母は今でも変わらず、自分…

  • 結婚を考える

    絶賛婚カツ中! ということで、結婚について考える 日々な訳ですが、漠然としていた「結婚」 というかたちの輪郭が見えてきた気がする。 まず、結婚する相手について。 一つは、結婚したい人と結婚するという こと。一見すると当たり前だけど、 恋愛結婚が主流の現代において 軽視されている気がする。 好きになって、付き合って、しばらく ラブラブして、時期が来たら結婚する。 そういう王道ルートはあるけれど、 この時期とやらがなかなか合わないばかりに 同じことを繰り返してしまうのではないか? もちろん、同じ時期に結婚を意識して 進めればいいのかもしれないが、描く未来や 望む方向性を各々が抱いているのだから 結…

  • AIは、何を問う

    AIの発達は目覚ましく、 人間越えも近いと言われている。 2040頃にはほぼ達成され、 今ある仕事の半数以上がAIに 置き換えられるとか。 仕事をとられるというよりも、 大多数の人が仕事をしなくてもよくなる との予測も見受けられる。 そうなってくると、働く意味として 大多数が挙げる「生活のため」は 実質意味を持たなくなる。 人間が労働力として求められなくなると すれば、人間が働くことはどのような 地位を得るのか? マズローの5段階説でいう「自己実現」 へ一足跳びで至るのは間違いないと思う。 では、「自己実現」とは? 見渡す限り、実現したい自己を 確立させている(あるいは目指している) 人は少な…

  • かたちであることと向かい合う

    絶賛ぶっとばし期中。 開き直ってせかいを広げるために 世界に飛び込んでいこうと思う。 でもふとたちどまれば、 やはりかたちの虚しさに 胸が締め付けられる。 有限で可変のかたち、一方通行の時間。 輪郭を境界線と区別できない故に、 削っているのは己の業だろうか。 この虚しさを認めて生きるとは それでも生きる方を向くとは 一体なんなのだろう。 小石をコツンと蹴ってみても、 濃霧に吸い込まれるように 音もなく消えていく。 そんな虚しさをどうやって 抱えていけばいいのだろう。 海を眺めていると、無形への情景が 感化される。水平線だけがすっと 伸び、その先には他の大陸があるだろうが もしかしたらここが形の…

  • 罪悪感をすり減らさず かたちに挑む

    全部自分以外のものに捧げてしまいたい という欲求に駆られることがある。 清貧で自己犠牲をともなう生き方は、 一般に推奨される良い生き方の一例で あろう。 かたちのあり方、生ききる 状態がわからない(確定の仕様がない) から、この現象界に媚びることで 認められ且つ自分の罪悪感もすり減らせる ところへ自分自身を投げ込もうとしている。 わからない不安定な状態から、 社会の要請を受けとる形である種の金型に 自分を溶かして流し込もうとしている。 どこまで傲慢で卑怯な人格なのだろう。 なにかに捧げることが目的になっては いけない。あくまで私がかたちを 出しきる、つまり生ききる過程において 付随する現象でな…

  • 旅の途中

    通りをいく人を眺めるのは楽しい。 どこから来たのか、何を考え 誰を想い、どこへ向かうのか。 中でも気になるのが、小さい子を つれた女性。母になる、ということを ぼんやり考える。 そして、これから生きていく子を見て 不思議な気持ちになる。 一個の生命体としてまだかたちに なりきらない彼らは、いまここを 生きている。後先ない今を生きている。 それをたしなめたり見つめたりする 母もまた、今を生きている。 子を持つということは、今を生きること でもあるようだ。 そして、子が成長するほどに 自分の死んだあとを考えるものなのかも しれない。取り巻く環境が温かいもので ありますように、幸せでありますように …

  • 詩/荒野にたつ

    道具の手で黙々耕す農夫 言葉もなく微笑みあう子と兎 茹でた腸詰めのような赤子を抱く母 暮れかかる西日の麦色に包まれて まるで発光する美しさ 瞬間にひそむ永遠 眺める者には影しか見せぬのに 在る者にはこんなにも惜しみない それでもこの手を止めることはできまい その耳を塞ぐこともできまい いま、ここ、すべてを捉えたい 野心、否、傲慢か 振り絞り、超えんとする魂は かたちのふりした虚しさや ことばのふりした卑しさを 両手刀で斬りつける 返り血をぬらぬらと光らせながら あてどなくあるく 亡霊

  • かたちを求めて

    反出生主義。 おおよそ、生まれることで得られる幸福より 引き受ける苦痛の方が多いから、 生むべきではないという文脈で 語られる。 ほとんど反論のしようがない ように思えるのは、「存在者側の価値観」 を根拠にしているからだ。 幸福の方が多ければ生んでもいい、 と考えるならそれはほんとうの意味での 反出生主義ではない。 この地点において、かたちであること自体の 不完全性、あるいは虚無に対するあり方が 問われている。 なぜかたちなのか。 これは解明できないからこそ、 かたちであれるという自己矛盾を 内包している。 せいぜいある解釈を述べることしか できない。 では、どのようにあるべきか。 個々のかた…

  • 正論は傷つけることがある、だからぶつける

    正論は傷つけることがある 世間一般の正しさであれ、個々の正義感 であれ、何かを選ぶ際正しい道というものを 意識するだろう。 この選択は、正しいのか。 望まない妊娠であったとき、 産むかいなか 不慮の事故により植物状態に なった人を、生かすかいなか そこまで究極でないにしろ、 いつも選択するときに頭を掠める。 正しさとはなにか、正しさより 大切なことはあるか、誰に対する 正しさか。 とても難しいけれど、本当に大切に したいこと、良いこととは限らないそれを あぶり出すために 正論をぶつけるのは有効だと考えている。 傷つけるのは、その本当を隠している 見栄やエゴや臆病や怠慢であって、 本質ではないか…

  • ことばの場を探す

    言葉未然のことばを どのように耕し育て、言葉として 収穫するか。それを考えている。 私において、どこでならより豊かに ことばを見いだすことができるのか。 これは自分探しの親戚みたいなもの かもしれない。幸福でいたいなら 腹六分目で納得させて、現実に没頭する 方が賢明だ。 わかっていても、やめられるもの でもないのだけれど。 言葉にこだわっているのは、 単に道具としてだろうか。それとも ことばの場所が言語的な意味での 言葉にまつわるからなのか。 夢中や好きをヒントに考えると、 手を動かして作ったり直したり することはどうだろう。 没頭して時間を忘れるのは容易い。 ただそれは作業としての性格という…

  • かたちの本質とは

    生きることに納得できていない、 ということをわずかに認められるように なった。納得させようと自分を型に はめこまなくていい。納得できないことを 認めよう、向き合うためにも。 美味しいものを食べることができる、 安心して眠ることができる、 ほどよく働くことができる、 感じ考え想像することができる、 認められることの豊かさを 慈しむことができる。 だからといって、生きることに納得 できるわけじゃない。内からほかほかした 気持ちになることもあれば、 うまくいかないことや不安で押し 潰されそうな夜もある。そうやって、 慰めたり緩めたりして過ごす日々。 けれどそういうサイクルを生きる と呼ぶことにうんざ…

  • 線を引くこと

    何かできそうな予感 今、持てないでいる。 ずっとぐるぐる考えたり、眺めたり 振り返ったりして毎日を 無為に過ごしている。 未だに大人になりきれない自分を どう扱っていいのかわからない。 わたしというかたちがかたちでありきる、 つまり生ききるにはどうあればいいの だろう。罪悪感や焦燥感から選んだ時、 いつもここじゃない感があった。 虚しい傍観者だった。 そういう生き方はもういやだ。 当事者として生きることと向き合いたい。 認めてもらうためじゃなくて、 私が生きることを認めたい。 納得したい。 ことばが発展する場所を求めている。 生活と生きるがリンクする場所。 何かひとつ強くなりたい。 武器じゃな…

  • 今日も脈略なく。

    無条件の愛 矛盾している。 無条件な愛と条件付きの愛が あるのではない。 愛は無条件が条件なのだ。 そしてかたちをわけもつ私たちには、 かたちという条件のない愛を かたちなく認めることなどできない。 言葉はかたちだ。暖かいスープも 重ねる手のひらも満天の星空も もちろんかたちだ。 かたちは有限で移り変わる。 儚いといえば儚い。けれどもそれが かたちの条件なのだから、仕方がない。 そう、仕方がない。 この世は仕方がないことだらけだ。 かたちの共通項や法則性、 あるいは別のかたちへの転換方法を どれだけ見つけ、また精査できるか。 最初は純心に追い求めたのかもしれない。 いつしか考えもせずかたちだけ…

  • 生きている理由

    思わず笑みがこぼれる瞬間が キラキラ散らばっていたら。 それだけで生きてるのも悪くないな って思っていいんだよね。 十分生きる理由なんだよね、きっと。 例えば休みの日の二度寝。 グシャグシャの頭のまま食べる 熱々のトマトスープとこんがりトースト。 目的地もなく電車に乗り 気になっていた本を読む。うたた寝。 凛とした冬の空気に包まれるホームに 立って深呼吸する。その地に住む人を 眺めながら散策して、名物を食べる。 博物館や文学館によって、 しんとした中で歴史やそこに生きた人を 思う。どんな生活をして何を楽しみにして いただろう。なんでもないいなか道を 歩く。よろめきながら自転車をこぐ おじいさん…

  • 吐きながら抱きしめる

    状況が動かないまま、にらみあってることに 耐えられなくなって動いてみた話。 ************* Googleの検索履歴に ⚫死ぬ 手段 ⚫生命保険 免責 ⚫身辺整理 とか彼岸へ引っ張られてる フレーズが並ぶようになってきた。 2ちゃんには準備物から注意点まで 細かく載ってたりして ありがたいんだかなんなんだか(笑 もちろん抜かりなくスクショ。← 解体初期は念入りな方法を画策してた くせに、最近じゃ 「部屋であるもんでいけないかな?」 みたいな手抜き加減。 境界線を越えることとか 存在だなんだといってきたのに、 そのときは見事にポンと抜けていた。 思考はマイナスのまま行動スイッチが 入る…

  • 考えるスパイラル

    考えることをやめたくて、 もがいて苦しんで 藁をもすがる思いで 手を伸ばしたのは 考えることだった。 考えることが追い詰め、 考えることで救ってきた。 すべての波は、考えること すなわち意味を求めるゆえに 引き起こされる。 だから、考えることが怖い。 けれど、考えられなくなることは もっと怖い。 あるね!と認めるために 考えること、すなわち 意味を求めるエネルギーは それほど必要じゃないように思う。 まだからまっているから 遠回りしているのだろうか。 自分だけでなく、全存在者の あるね!を認めようとするから 燃料詰まりするのだろうか。 なにも考えずにいられるのは 寝ているときだけだった。 なの…

  • どちらが私なのだろう

    少しだけ落ち着いてきた。 相変わらずぼーっとしてるけど、 なんとか生活はできている。 *********** 去年の秋、もはや耐え難いと思った ビックウェーブ。 今までは学生ということもあり ごまかしてこられたけど いよいよそうはいかなくなって 冬の終わりころから備えはじめた。 ことばと法則をつかみとることに 専念する準備もした。 そしてやってきたビックウェーブ。 無気力で頭も回らず圧倒的な 不安と焦燥感に包まれ、拳を握って ひたすら嵐が過ぎるのを待つ日々。 考えも全くまとまらず、 パソコンの前で気づけば数時間 ぼーっとしてしまう。 ものを壊し言葉も出てこず 人の名前も覚えられない。 今まで接…

  • 生きるは怖い、だから

    生きる方を向いたら、 怖くてたまらなくなってきた話。 資格や結婚、保険など セーフティネットを探してしまう。 終身雇用は崩れ、給与カットも 珍しくなく、病気で働けなくなる リスクもあるものね。 みんな、必死で生きている。 確実なものなどない。 楽しいことばかりじゃない、 たんたんと営む毎日を 続けていくことは 全然当たり前じゃない。 社会性低め、女子力低空飛行 実家暮らしで甘ったれ。 一人きりで頑張る必要はないけど、 ふさぎこんで不機嫌な顔して 気を使ってもらってるのは やっぱり変だよね。 いつも全力ダッシュはできなくても、 歩いたりまわりをみたり できることはあるよ。 みんな色々かかえている…

  • 内側へ沈みこみ

    底に背がついたかもしれない。 みんなに生かされている。 申し訳なさでいっぱいだけど 与える方になりたいけれど 笑ってしまうほど頭が回らない。 一手先を読むのにものすごく労力を使う。 それでもなにか見落としてしまう。 すぐまた次がやって来て、 さばくことができなくなっている。 ぼーっとし、ぎこちない言動に やってしまったと後悔し、 人との距離感がわからなくなり… つまりは、空回りしている。 こんなんじゃ、給料もらえないなぁ。 たぶんこの状態もいずれ抜けるだろう。 でもまた来る。それがずっと続くことが 怖かったから、克服しようとしてきた。 抜けたときに貯金をつくるように して、なんとか回してきた。…

  • 秋の哀愁ということにして

    生きていることに、罪悪感がある。 今まで生産より消費の方が多く、 守るより守られ、義務より権利が 与えられてきたと思う。 それはとても温かく、有難いことだ。 恵まれている、愛されている。 そういうかたちで、いつも認められて いたのだと思うと胸が熱くなり、 耳がきいんとなる。 私にはもったいない。 そんなに渡されても、心からは喜べない。 喜んだ演技はできても、そう振る舞う むなしさで、孤独が深くなる。 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい これからは人や社会のために 生きねばならない。役に立つために、 誰もやりたくないことを けれども秩序を維持するために 或いは権利を守るために なくてはなら…

  • 命のベクトル

    生きたくなるように 自分を仕向けてきたけれど、 ふぅと息つくとき 死への衝動にかられる。 飛び降りそうになる自分を ぎゅっと抱え、落ち着かせては むなしくなる。 結局、死にたがりのまま生きている。 命にも、ベクトルがあると思う。 死に向かうベクトルは、 病的な気質として治療の対象と されるか、反社会的なものとして 裁かれる。 臭いものに蓋をするように、 あるいは薄汚れて寝転ぶホームレスの 脇を足早に過ぎるように。 在ることを認めてはもらえない。 すべて生に向かうはずで、 そうでないものは病気か狂気だ。 でなければ、法や秩序はどうなろう。 あらゆる生産や社会は成り立たなくなり 正しさは綿菓子のよ…

  • 臆病もの

    重く湿った不安感に襲われる。 息が苦しい。小刻みに背中が震えている。 生きなきゃいけない、苦しくても。 生きなきゃいけない、意味はなくとも。 生きている罪悪感は、消費に生産が 追いついていないからでもあるし 嫌々受け取ってるからでもある。 気遣い、コーヒー、大丈夫だから 優しさがもう、手いっぱいだ。 不機嫌な癖にビクビクしながら生きる わたしなぞが、もらっていいはずがない。 返せるあてもない。 眉をへの字に寄せて、あとはどんな顔 したらいいだろう。 頭がまた、もやがかってきている。 またきたか。次は半年だろうか。 長くて寂しい冬。亀みたいにじっと 背負って待つしかない冬。 どうやって話していた…

  • その感覚がわからなくて発狂しそう

    結婚、出産、健康長寿 おめでとう、お大事に わからない。 穏やかな会話であるほど、 発狂しそうになる。 かたちから解放されたいのに なぜかたちを保持しようとするのだろう。 かたちが続けば、少しずつ永遠に近寄る? 続いていくこと自体が仮想の永遠? かたちであることは即ち有限なのに、 何故繰り返すことや引き伸ばすことを 望むのだろう。人間お得意の 読み違えじゃなかったん? 当人が望む、という意味で 心を寄せていますよ、と伝えるために おめでとうやお大事にと言うのはわかる。 でも、自分事に置き換えると もうわからない。 まとめると、死にたくないという 気持ちを頭ではわかるけど、 心や肚で理解できない…

  • 子供について思うこと

    年齢的にはちょうど適齢期だ。 けれども、子供を育てている自分や 家庭を築く未来を疑いなく描くことが 出来ない。ふわふわした感じには 描けるけど、その未来を疑いなく 信じている人とは比べ物にならないなぁ と感じる。 産む産まないに関して論点はたくさん あるけど、私が一番考えたいのは 『子供が私と同じように死を望んだら、 生きることを強いられるか』ということ。 なにかが克服・達成されれば、 恋をし仕事を謳歌し笑って 暮らせたら生きることを楽しめる という子供なら そうあれるようにサポートする。 でも、それらもいらんのやって 泣きそうに笑うのなら、それでも って言えるかな。 生きててほしいと思っても…

  • 波間からこんばんは

    起きてしまったついでに 働いてもしまった1日。 ごろごろしながら思うこと。 解体期はたいてい暗いもんだ。 定点観測のために考えたことを 書き残してきたけど、繰ってみても まぁ暗い。でもミサワにこんなんいたな、 ってじわじわわろえる。逆に創造期は なんかこうわちゃわちゃした 中2感がだだもれ。 いずれにしても三十路のピーターパン みたいな切なさが耐え難い。 なんやもうめんどくさい~といいながら、 仕方なしにガストのドリンクバーで 延々話につきあうもう一人の自分。 セリヌンティウスほどには信じて くれなさそうな距離感がちょうどいい。 いまだに波の乗りこなし方は つかめないし、穏やかなさざ波いいな …

  • 答えられなかった問い

    『なぜ死にたい人を殺しては ならないのか』 大学の時、哲学の試験で出た問題。 習った内容とか教授の性格とか 自分の経験とか三面記事とか 頭んなかで切り貼りして書くには 書いた。 でも、納得いく答えは書けなかったし いまだにこれだと思う解答は得られて いない。 この問いの核は、 『死にたいと思う人がなぜ 死んではならないのか』 という点にあるだろう。 命が私だけのものではないから、 という解答は優等生だけど 突き放した冷たさを感じる。 宗教的、経済的知見はいうまでもなく 隔たっている。 切実に、私事として考えようとすると 底がスコンと抜けるような 無重力感。 大きな病気もなく、老いにも遠く 生活…

  • 解体中につき

    どうやら解体期に突入したらしい。 生活の一挙一動、ぽやんとしてしまう。 鏡に写る顔は自分に似せた粘土のよう。 今回はがらがらと崩れるというより、 内に沈みこみ、外壁がぽろぽろ 剥がれ落ちる感じだ。 いずれにしても、自分が邪魔に感じる。 それは、誰かに邪魔に思われる、 という疑念でなく、私が私自身を 煩わしく思うという意味で。 世界ごとつつまれるような一体感や 泣きたくなるいとおしさを、 夢であったのでは?と疑うほど 淋しく黒々湿ってくる。 どちらももて余すこと毎度知りながら 操作できるわけでもない。 ただ拳を握りしめ、立っているだけ。 世界を引き受けよう、 その野心とも傲慢ともつかない 意志が…

  • 詩/ふれるとき

    ふれるとき 言葉はない 言葉はいらない 近く、溶けるままにあずける かたちはないと思いたい温かさ だんだんに眠くなってきて 流れ込んでくる未分化を束にする 積み重ねて 積み重なって 地層になるまで

  • 生きにくさ その他諸々。

    生きにくさ。 それは、生存しにくいという 意味ではないと思う。 経済的な貧困は、生存しにくい 状況を招くかもしれないが =生きにくい、ではない。 それに、衣食住揃い十分生存できる 状態であったとしても 生きにくさは感じるものだろう。 差別や偏見だろうか。 確かに性別や人種によっては、 屈辱的な扱いを受けてきた 歴史がある。しかしながら、 受け入れられなかったことを 反省し、差異あるもの同士が 認めあうために試行錯誤を し始めている風向きがある。 差別や偏見が生きにくさの 元凶であるならば、近年の動きは むしろ生きやすさへ向かう 明るさや豊かさが席巻するはずでは なかろうか。 現代、とりわけ日本…

  • 生きると生ききる

    そもそも、生きるって義務や権利なのかな。 選んでないことを生まれでてから選ぶのは、 生ききるためだ。 そうでなしに、義務だとか権利だとか 言い合ったところで何も出やしないと思う。 生命は、連鎖的に引き継がれてきたもの だけれど、誰かから与えられるもの ではない。何人もその行方を定められる ものではない。 永遠を求め、引き継がれてきた生命の連鎖。 個々の命の不死を実現することで完成される と思うのは、かたちゆえの過ちだろう。 何が言いたいのかといえば、 全体の意志として希求される『永遠』と それゆえに引き継がれてきた生命。 その連鎖のうちに生きることは、 大きな意志の働きによって与えられた もの…

  • 「すべては、愛」はことば足らず ①

    こんばんは、ぴーやまです。 今日は、愛についての考察をば。 愛は、存在だ。 愛それ自体は現象界にはない。 現象界にあるのは、存在者だけ。 存在者を存在者としてあらしめる、 起源であり原子でありすべてを含む 愛。在る、その不思議に私たち 存在者は、驚き戦き喜び哀しみ怒り畏れる。 在ることの不思議の前には どんな技術も思想も力を持たない。 それでも(それ故?)、 探求せずにいられない。 存在者は愛をわけもつかたちあるものだ。 かたちのないものは現象界に存在しない。 かたちのないもの=目に見えないものでは なく、輪郭のないものだ。 故に想像上の生き物や思想も存在する。 存在者が認識できるものはすべて…

  • 死にたさとの向き合い方

    こんばんは 死にたがり界の新星、 ぴーやまです。(どや) まったくどやるとこではないけど、 唯一真剣に向き合ってきたことと いっても過言じゃないわけで。 誰になんといわれようとも(むしろ、 なにもいわれなくとも!!) 誇ってやろうと思っているわけです。 てことでさっそく、ぴーやま流 死にたさとの向き合い方、いくでー! ①死にたさは、まず「点検確認」 死にたさがもたげてきたときに、 百人一首かな?って勢いで 吹き飛ばそうとする人がいるんですが ピー!お手つき!! 瞬発力、まったく発揮しなくていい。 むしろしてくれるな、といいたい。 死にたいも様々で、明確な理由が ある場合とそうでない場合がある。…

  • 中学生を見ると、鼻の奥がツンとする

    こんばんみ、ぴーやまです。 ちょっと思ったことをば。 今どきハイソックスって短めが 流行りなんだね。 膝下まであげてる子ってほとんど いないなぁ、何てことを思いながら 眺めてたらふいに鼻の奥が ツンとした。 あ、決して汗くさいとか思春期特有の においじゃなくてね。 あの頃を思い出して、胸がつかえる というか… 自意識でぱつんぱつんだったなぁ。 何が不満といえないけど、 鬱屈としてそれでいて猛烈に 走り出したくて なにか確からしいことを求めながら 誰とも違う自分を見つけたくて。 自分の輪郭を暗中模索、 意味を求めるゆえに混沌から めりめりと分裂が起こる。 でもそれにうまく言葉を見つけられず、 怒…

  • 詩/星の祝詞

    静かな夜がある 寝そべった甲板は冷たく硬い 生ぬるい風があたまを撫でて 別の石あたまをくすぐりに行った 星が降ってくる ひとつも取りこぼさないよう にゅっと目を動かせば、 向こう側がぼやけてしまう 星はずっと昔に消滅しているのだと 科学は仁辺もなくいうけれど、 ほんとうはその彼方 科学も同じ彼方を祈るから 眺めずに測るのだろう それすらも照らして響く 無邪気な星たちのわらい声 眺めるこの魂は 何処まで見れるだろう 静かで騒がしいこの夜が明ける前に 遠い海に ぽつりぽつりと 剥き出しの魂が浮かんでいる 星のような魂よ 同士よ 焚き火に木をくべる熱でなく、 摩りきれる熱 漏れでる体液を燃料に 何処…

  • 詩/讃歌に捧ぐ

    心がびしゃびしゃだ 嗚咽が止まらない 内蔵が痙攣する 愛の讃歌は 乱暴に殴り付け 痛みのまま受け取ることを要求する 怒りのまま凝視することを要求する すなわち楽器になりきることだ にじみ出ることを望んではならない 奏でる音に酔うことも許さない 繊細な弦と正確な調律を欲しながら、 楽器に徹すること ただそれだけが 讃歌を聴く対価だと 近くで遠くで鳴っている 讃歌に殴られた者共の慟哭が 聞こえぬか 遥か彼方へ響いていく 永遠への旋律が 憧憬が 殴られたことを認めたとき、 魂は取引された 望んできた地平は唾棄され 拓きかけていた視界は霧に包まれた かたちを超えよ かたちのままに 白線を引け お前の手…

  • これを人生と呼ぼう

    もう蕩けるべき境界はないのだろうか。 それは、私のうちにおける統合が (かたちをもつ存在者における制限に 留まるにしろ、)最大限果たされた ということなのか? 目指していたはずなのに、 虚無感に襲われる。「なにかできそうな 気がする」予感を得るための、未完成の 未来を豊かに描けない。満たされ過ぎて いるのだろうか。すべて認めようとすれば、 個人レベルの痛みや憂いが吸収されてしまう。それは、かたちを出しきっていると いえるだろうか。統合までの葛藤がない。 いや、きっとこれが「次元の壁」の 前なのだ。 手酌で酒をあおりたいといつか思った その場所だ。 わたしと存在そのものの間にある壁。 越えられな…

  • 吸収される″ソレ″は一体何なのか?

    肉体というかたちをいずれ 失うことは感覚的にわかる。 土になるとか、骨が残るとかは 結局「物質」としてだ。 (抜けた髪の毛やその辺に落ちた細胞が わたしではないのと同じ意味) なんのための肉体か?と考えれば、 土になろうが骨になろうが それは失われたといって差し支えない と思う。 *墓は、残されるものが 死者とつながるための象徴として かたちをのぞむから存在するわけで、 それだけで十分なのだと思う。 では、生命が肉体をかたちとして存在 させる機構であるとすれば、 それは脳にあるのか心臓にあるのか? 簡単に言えば脳死を死とするなら脳、 生とするなら心臓だろう。 論争になるくらいだから、立場の取り…

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