chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
個独な1匹狼OYAJIが日常の中で感じたことを呟き
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2017/11/02

arrow_drop_down
  • この世は良くも悪くも因果応報であります。では、どう生きるか!

    概要で紹介する人は皆さんがお勤めの会社とか、地域のサークル活動のグループの中に1人、2人くらいは居るのではないでしょうか。人当たりが良くて人間味に溢れ人に優しく正義感もあって、リーダー的な存在!共同作業(仕事)が成功すれば皆で分かち合うという人格者と称される方です。こういう方は将来を有望視され出世するであろうとか、富を有し幸福な暮らしをして成功を掴み取るだろうと言われています。真面目で、働き者、その上仕事で成果も出し会社への貢献度が高いという人。真の人格者と称された人であろうとも、人は神や仏ではありません。心根の何処かに邪悪な負の魂を隠し持っているものなのです。現世を生きる私たちが、何一つ落ち度もない所行で生きるなどあり得ないお話なのだという事を先ずは知って下さい。人にはそれぞれ、その人が強く願う思いや考...この世は良くも悪くも因果応報であります。では、どう生きるか!

  • 女性議員達のフランス研修旅行?

    男の世界、特にこの世界は長老になるほど権力にしがみ付き、その座を譲らない!渡さない!という異様なところ!この政界に対し女性議員を増やしましょう!とアピールされてから何年もの月日が過ぎました。ことある毎にアピールはされますが、一向に増える兆しはありませんね。政治は男の仕事と言わんばかりの長老議員が、己の欲得だけに凌ぎを削る場であるが、女性議員の立ち位置は常に微妙です。お飾りで良いというスタンスの方もいれば、兎に角目立ちたがり屋も居ます。女性議連も幾つも断ち上がっては居ますが、女性特有のみんな一緒は良いけれど主役は私よ!という人が多いようです。だから連合を組んだり徒党を組むことは余り好まず男性議員の中に入って、論客と呼ばれる方が良いと考える傾向でしょうか。これが、タレント議員となると別物のようです。長老のエロ...女性議員達のフランス研修旅行?

  • フェニックスが不死鳥からブラックスワンに代わるかもしれません。

    日大アメフト部が、今度は大麻、覚せい剤で逮捕者を出してしまいました。新理事長となった林真理子氏も当初は、事実ではなく生徒を信じますと語気を強めていましたが、結果として7月の内部調査では発覚していたという事です。新理事長への報告が遅れていたのか、端から報告する気もなく隠し通せると考えて人がいたのか、闇に潜む見えない何かが事の重要性を覆い隠そうと企てたのかは解りません。然し幾ら悪知恵を働かしたとしても嘘と誤魔化しで悪事を覆い隠すことは出来ません。隠そうとしても必ず露呈してしまうと言いうのがこの世に正義が存在する所以です。悪の栄えた事は無しと言われるほど長い年月を悪で染めて生き残ったとしても結局最後には全てを失い死をもって清算するという事が世の習いです。嘘は、絶対にばれます!それもほど100%絶対としてです。不...フェニックスが不死鳥からブラックスワンに代わるかもしれません。

  • ブラックメーカーでの9年間が私の人生を幸福に変えてくれた。

    9年間は正直激務でした。原因不明の激痛を伴う片頭痛が持病と化し自宅に居ても出張中の車中でも発作に見舞われ救急車を呼んでもらったこともありました。全てはストレスですが、それも半端ないほどの圧力だったのでしょうね。大酒のみの私が退職前の2年間は禁酒するくらいでした。酒に酔うと血行が良くなって激痛が始まるという繰り返しでしたね。ハードな仕事は何とか耐えられます。例えば朝4時に東京を出発し10時半に大阪門真に車を付けて商談、終了後3時間かけて三重県伊勢市まで移動、商談、夕方5時に東京に向けて出発、午前4時過ぎに帰宅し翌日の午後には新潟柏崎というルートセールスは日常茶飯事です。こういうのは体力勝負なので、何とかなります。一番悩ましく怒りに震えることは、上司のシリ拭いでした。装置のスペックも理解しない大馬鹿野郎なのに...ブラックメーカーでの9年間が私の人生を幸福に変えてくれた。

  • ビッグモーターでの経験をお話します。

    買取をしようという時は、ネット検索して、一番高いところを選ぶのは常識ですよね。私も同じ気持ちで4社、5社に相見積を掛けました。ラビットとビッグモータが同額で出ましたので、取り敢えずどちらにもお電話を入れて見ました。姑息な手は使わないと思っていますからどちらにも同額の買い取り額ですが、実車見て結論貰えますかね?と聞くとラビットさんからは提示額はあくまでも年式と走行距離から算出しただけで実車を確認して見ないと何とも言えないところがあるのですと、まあ~当然ですよね。上がり可能性よりも下がる可能性があるとまあ、妥当な話でした。ビッグさんに電話すると速攻で、ラビットさんの提示額よりも絶対上乗せできますから大丈夫ご安心してご来店願いますということになりました。♪車を売るならビッグモータ~~♬の通りだよね!よっしゃ、ビ...ビッグモーターでの経験をお話します。

  • 自衛官を満期退職してから、変わりました。

    1981年21歳で、3年の任期を終え陸自を除隊することになりました。除隊前には、大手企業の就職斡旋も結構ありましたね。大手の造船会社数社、トヨタ自工、日本道路公団、JAF、大手建設会社数社と有名どころばかりでした。勤務先が九州だったり関西、西日本が多かったこともあって、丁寧にお断りをして、取り敢えず実家に戻るという判断をしました。実家に戻ったのは1月末でしたが、両親は私が又遊び惚けるのではいう心配をしたのでしょう。直ぐ就職先を見つけろ!と毎日々子煩く言われてました。言われなくても、一番解ってるのは俺だよ!と腹も立てましたが、そこはぐっと堪えて、就職活動をする日々でしたが、アルバイト募集の小冊子を見ているとCMでも有名な、♪お正月を写そう!♬写ルンですなどを扱っていた大手フィルム会社が多摩地区に初進出を掛け...自衛官を満期退職してから、変わりました。

  • この世に叶えられないことはありません。

    私達は幸福になる権利があります。と言いながら同時に権利は誰に対しても保障されることはありません。では権利を得る為にどうすれば良いのでしょうか。ここでお尋ねします。人類みな平等に与えられているものとは何でしょうか?それは、時間と寿命です。大金持ちであろうが乞食だろうが、24時間は平等に与えられています。また同時に生れ落ちる時が1人なら天国に召される時も1人で、然も人の命は永遠ではない。この2つの平等性をどのように捉えるかで人生行路は大きく変わる気がします。何をしたって、貧乏からは脱せないよ!とある人が言葉にしたとしましょう。その瞬間その人に幸は訪れません。それは本人が気持ちを入れ替え意識を変えるまで続きます。人が持つ思考の実現化と引き寄せは、現代に於いても科学では説明が付かないところです。同時に人は人生を決...この世に叶えられないことはありません。

  • ビッグモーターに思う事を!

    日本人の多くの方がビッグモータによる一連の不祥事について、詳細までご存じのはずですから事例やら今後の予測を述べるつもりはありません。私が書きたいのは、物事の限度を超えたことによる罪の大きさを知るべしという事と平然と事実を誤魔化し嘘で覆い隠すことによる次に来る応報を知るべしという2点です。その前に社長の記者会見を見て思う事は、己が初代で汗と涙にまみれて築き上げた会社を我が息子が潰してしまうという現実を何時、己の懐に落とすのか!という事と往生際の悪さが逃げ場を失う事になるという予知能力が欠如していることです。何事にも限度がありますね。やって良いことと悪いこと、良いことには限度はありませんが、悪事は度があるという事です。ビッグモーターの場合は、従業員に犯罪や詐欺を直接行わせ自らは利益を貪るという悪事です。その上...ビッグモーターに思う事を!

  • 自衛隊での3年間は私にとって、最高の修業の場になりました。

    高校を無計画のまま卒業し9か月間を適当に過ごした末路が自衛官になるという結果を招き入れたようです。このことが、私にとって人生観が変わるほどのターニングポイントになったことは言うまでもありません。以後、真面目に取り組むことでしか得られない充実感、達成感を味わい精神と肉体を鍛えれば自ずと人生観も変わることになるという実感を肌で感じながら過ごしていきます。生活リズムを整えて、訓練に励みONとOFFをしっかりと別けて日々を精進する生き方に目覚めた私は3年の間に過去の怠惰な自分と完全に決別しました。入隊後は1度だけ実家に帰ったことがありましたが、それまで私と連んでいた不良仲間たちは私の存在を無視するかのように誰一人関わろうという人は、居なくなってました。地元では、私と接触を避けるかのようにシ~~と静まり返っていて犯...自衛隊での3年間は私にとって、最高の修業の場になりました。

  • 自衛官になったことで、人生観が変わりました。

    前項からの続きです。自衛官の使命は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つことにある。1使命の自覚(1)祖先より受けつぎ、これを充実発展せしめて次の世代に伝える日本の国、その国民と国土を外部の侵略から守る。(2)自由と責任の上に築かれる国民生活の平和と秩序を守る。このような使命を受け1隊員ではありますが、国土防衛の自覚を持ったのは言うまでもありません。前期教育隊は横須賀駐屯地で基本的な訓練を受けます。6時起床から十数秒で寝床を整え戦闘服に着替えて隊舎前のグランドに集合します。各班長が立つ前に並び点呼を受けるのですが、1人でも遅れたり点検で寝床が乱れていれば全体責任として部屋の全員が腕立て伏せ100回の罰を受けます。遅れてしまうと朝食を普段の倍の速さで済ませて、隊舎に戻らなければなりません。早寝早飯早糞と...自衛官になったことで、人生観が変わりました。

  • 私は経済力を付けたことで、人生を謳歌できることに成功しました。

    私自身について少しばかりお話しておきましょう。1960年3月生まれで、中学高校は喧嘩と暴走族に明け暮れ学業を疎かにしました。学業を疎かにした報いは、そのままう悔いを受けることになります。遊ぼ惚けた小中高時代を過ごした私は高2の夏以降になってもお気楽に進学か就職が出来ると考えていました。その年の秋になり担任から呼び出しを受けた。今の君の成績では進学先は見つけられない。高い入学金と寄付金を払うだけで大学を目指すのは君にとってのメリットは薄い。またご両親にも大きな負担を掛けるだけだ!もったいないと思う。それよりも技術を身に付ける職人を選んで修行するか専門学校に進み将来の人生設計に備えた方が気にも為になると思うが如何かな?と知的で物静かな担任の先生から、静かな物腰の中に言葉の重みを感じ取りました。この話を聞きなが...私は経済力を付けたことで、人生を謳歌できることに成功しました。

  • 両親の介護を7年に渡り両立してきて思う事!

    【母の認知症レベルが、中度の状態になっていた状況で、事態を知ることになりました】実家には年に1度か2度くらい日帰りで帰るというのが私たち家族のお決まりでした。それも大抵は夕飯を食べて帰るという顔出し程度で里帰りです。こんな淡白な里帰りを繰り返していましたので、母親の認知症が進行していたことなど完全に見落としていました。気が付いた時は認知症のレベルは、中度から重度に掛かるところまで進んでいましたね。これを決定付けた出来事が2016年の暮れにありました。母は昔から料理上手で、和洋折衷何でも熟し得意は煮込み料理、他にもおせち料理などは材料から仕込みまで創作的に作り上げていました。なので、年始に出掛ける楽しみの一つになっていましたね。そんな母が得意のもつ煮込みと煮豆、切り干し大根、白菜の漬物などを用意して迎えてく...両親の介護を7年に渡り両立してきて思う事!

  • 独立の薦め その5

    本題に入る前に知っておいて下さい。独立の薦め!という題目で、サラリーマン人生から独立起業しましょうというBLOGを書いてますが、誰にでもチャンスがありながら、逆に全くチャンスの無い人もいます。全くチャンスが無い人とは、どのような人かと言いますと起業するとか独立心なんてことを、これまでも、そして、この後も微塵も考えない人のことです。まあ~当然ですよね、全くその気がない人にチャンスが巡ってくる訳はありません。また、自分に与えられた仕事を可もなく不可もなく熟し安定した平穏な職場環境の中で、会社員を全うしようと考えてる人も独立起業という冒険はしないでしょう。ここで、チャンスが巡って来ると書いてますが、チャンスとは単なる機会を得るということだけで、チャンス=成功するという事ではありません。ここもお間違いの無いようお...独立の薦めその5

  • 独立の薦め その4

    小中高と全く勉強もせずに遊び惚けた挙句に不良仲間と暴走族に加わったり、修、アキラの傷天に憧れ新宿で、チンピラさんと連んで遊びまくった18歳の頃から自分には真っ当な人生は無いと既に諦めの境地に達していました。そんな時に限って警察のお世話になることが多く呆れた母親が、このバカ息子は自衛隊に入れてでも更生させますと断言し翌日には地方連絡所から強面の採用担当自衛官が実家を訪ねてきました。エッ!!その話って、その場しのぎの逃げ口上ではなかったのかい!私は完全に冗談だと思っていたので、まさに腰が抜ける思いでした。マジっていう奴ですね。あっという間に手続きを済ませると採用担当の自衛官さんはOO警察の指導警官OOさんとは長い付き合いでね、お母さんの決断は立派だと褒めてたよ!という落ちまでありました。1週間後に自宅から一番...独立の薦めその4

  • 独立の薦め その3

    意味を考えましょうって、言われても生活する為、そして家族を養わなければならないでしょ!そんなに簡単なことではないし直ぐに出来ることではないでしょ!とお𠮟りを受けてしまうかもしれません。私が提議したいのは可能性を考えましょうという事です。何の可能性かと言いますと、起業できるかどうかです。理由は簡単です。労働者から資本家になるという選択肢を無視したまま、この先も低賃金で長時間労働を強いられ会社の利益(経営者)を上げていくだけの人生を生きることに抗って見ませんかというご提案です。起業することは実は、とっても簡単なんです。私が起業した30年前に比べたら今は、労力もコストも1/10で済ませられます。最近は副業も選択肢の一つに加えられる時代なので、手始めに副業から始めて見るという絶好のチャンスまで広がっています。ズバ...独立の薦めその3

  • 独立の薦め !その2

    物事の良し悪しや価値基準は、人それぞれですが全体として今の時代は3、40年前に比べるとストレス疲労度が滅茶滅茶高くなっています。昔は、どちらかと言えば肉体的な疲労が80%くらいで、精神的疲労は20%程度のような気がします。先輩方にはご記憶があるでしょうが、日中はクタクタになるまで体を使って働くも夕方になり赤ちょうちんで一杯という時には疲れも吹っ飛んでいるというように体の疲れは休む時間を作ることで回復していた古き良き時代です。然し今の時代は、精神的なプレッシャーや上司、会社からの過度な要求を結果に求められ続けていて、肉体は疲労していないのに疲れが溜まって抜けきれず慢性的な寝不足とか疲労感を抱えながら日々を送るという人が多くなりました。特に人間関係でのストレスとなりますと仕事の圧力に加え疲労が蓄積され酷くなれ...独立の薦め!その2

  • 自分の人生を自らの手で創造して行く。独立の薦め!その1

    経済格差が及ぼす生活苦で、世帯収入の減少が続き子供への貧困が連鎖するという日本国に生きている人達が、増加傾向にあります。非正規の共稼ぎ世帯からシングルマザー、低年金の高齢者世帯、奨学金の負債を抱えて社会に出て行く若者たち!物凄い数になっています。更に!ここに来て物価高や光熱費の高騰が追い打ちを掛けている状況で、政府は、これが現実の普通の暮らしです!と洗脳に近いメッセージを出し続けています。何となく騙されている感を強く持っています。政治は、教育費や子育て世帯に手当を厚くしていると声高に叫んでいますが、社会保障費、税金などの負担額は、今後さらに上乗せされていくのは既に計算に入っているはずです。防衛費の嵩上げもあり、序に消費税も上げてしまおうかという声さえ漏れ聞こえてきます。この国の実態と言えば、経済格差=教育...自分の人生を自らの手で創造して行く。独立の薦め!その1

  • 介護(介助)生活サポートを経験して思うこと。

    私が両親の介護を引き受けたのは16年から22年6月までの6年間です。母親が2年間、父親は4年間ですが、大変だ!辛いな~という思いはあまり持ちませんでした。私の場合は色々な意味でラッキーだったと思います。先ず大きいのは経済面です。父親は大手の会社に30年勤務してましたので、年金は月額21万円、母親も生前4万円ほどの受給額がありましたので、私の持ち出しはゼロでした。次に実家との距離です。私の場合は私鉄を利用して1本、約40分の距離でしたので、往復に費やす時間的なロスはありません。拘束される時間と余裕。私の場合、会社を経営する立場ですので、計画を組み易く実家訪問にも自由度がありました。これからお伝えする介護(介助)で、重要なポイントを挙げていきます。1.ケアマネージャーとの関わり方。2.無駄な時間を削減する。3...介護(介助)生活サポートを経験して思うこと。

  • 介護(介助)生活サポートを経験して思うこと。

    今月の11日(土)父親を特別養護老人ホームに入居させました。先月の24日に特養入所担当さんに申請書を提出するため面談を申し込み、その席で入居の確約が取れました。こんな事って、あるんですね。裏情報になるのか解りませんが、私が経験してきた介護の世界をお伝えします。ポイントは、ケアマネージャーさんのレベルと相互間の信頼関係です。そして重要なのは家族として、どのくらい積極的に介護(介助)を行っているか!この本気度により周囲が積極的に親身になって協力してくれるかが決まります。他人事のように誰かが上手くやってくれる!何てことはありませんし常に誰かを頼りにしているだけでも誰も動いてはくれないものです。息子、娘という立場の中で、親とどう向き合うか、どう介護を組み立てていくかも大変重要なファクターです。もの作りの製造工場に...介護(介助)生活サポートを経験して思うこと。

  • 自分の人生なんだからもっと自由度があってもいいじゃないですか。

    エリートコースを歩もうが底辺に属していようが、自分ではどうしようもないことはあります。でも自分次第で、どうにでも出来ることもあります。コロナ感染が世界中に広がり世界中の人が生きること全てにパラダイムシフトが起こりました。全く何も影響しないという人はいないはずですが、普段の生活には支障もなく制約はあるものの不自由なく暮らしている人も多いと思います。その逆に職を辞することになった人、生活環境がガラリと変わってしまった人も多くいるはずです。危惧するのは、非正規やパートさんが会社の都合だけで退職になっている現実です。正規社員でも起こる今、それよりも立場の低い人達は、完全な被害者です。私が何故、ブラックメーカーに居ながら起業することが出来たのか!それは自分の将来を諦めきれなかったからです。諦めるのも自分、奮起するの...自分の人生なんだからもっと自由度があってもいいじゃないですか。

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その15

    私は学歴も金もコネもなく世の中の底辺を這いずり回るように社会人生活を送りました。案の定!生活を支える経済力は最低賃金を稼ぐ為だけとなり、オーナーや経営者、上司の言うがまま身を粉に働くことしか出来ませんでした。身を粉にして半ば病気になりながらも低い給与を得る為に死に物狂い動き続ける人生!欲しいものはブラウン管の中!欲しいものは誰かの手の中!というロック歌手が叫ぶ歌詞を地で行く人生!何も得られないばかりか失うものばかり!そう、寿命という自分にとって最も大事なものを削ってまで!この人生、何の意味があるのだろうか!こんな思いを長い年月も繰り返していると多くの人は人生を諦めてしまうようです。自分なんか何をやったところでダメに決まっている。とか、ギリでも何とか生活が出来るからこれでいいか!と現実の過酷な状況は自分の責...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その15

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その14

    これまで毎年、恒例となった大学生の就活光景は、コロナ禍により様変わりしました。ご時世も色々と絡み就職先を大手企業に加え安定を求めて官庁への希望者も増えているようです。大企業に職を求めることに対しては否定はしません。将来性を優先に選定することは当然のことです。学歴社会に沿った道を選ぶことは幸福を掴む最善の選択であることに揺るぎのない心理ともいえます。いつの時代も学歴社会は不変ですが、それでも大学への進学率は過去最大と言いながらも全体で54.4%(20年統計)55%と見ても45%は高校、高専、専学卒業者となります。54.4%の内訳を見ると小学校、いや幼稚園の時から学習塾や習い事に通い難関校の中学受験を突破する子や多くGMARCH校を受験し有名大学へと階段式に駆け上がりながら文武両道を極める子もいるでしょう。ま...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その14

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その13

    私の場合、起業するしか道が残されていなかったと思います。この会社を辞めて同業者へ鞍替えしたとしても二番煎じ、いや三番煎じで一兵卒からのやり直しとなりますし高学歴でもないので扱いは蓮っ葉となるのは解り切ってました。それ以上に業界から追放されるような詐欺師的なブラック会社ですから取引先も減っていく状況で居残ることも出来ません。特に長年、関わってきた多くの関係者からも疑心と不信に晒されていました。こんなところには長居は無用!それが先になります。ここで、独立するタイミングを逸したら、この先この業界で生き残れないという事は確かです。それでも会社は、この期に及んでも尚、自己の欲望と金に対する執着の強い経営者を筆頭に嘘も平気な社風が出来上がっていました。誤魔化しと脅しも平気という会社は既に反社という括りになるほどです。...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その13

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その12

    34歳の夏(1994年7月)に私たちは新しい会社を興しました。資本金は1千万円です。半分づつ出資し合う形にしました。私の500万円は私が長年、実家に融通してきたお金を正当に、ご返済を頂くというシンプルな手続きだけで準備できました。これまで半家畜だった私も此処でケジメが付けられたのです。本来、利息分を付ければ、もう少し額が多いのでしょうが、そこは、親子であり高利貸ではないので目的を果たす額さえ揃えばよいと思いました。詐欺師で、超ド級なブラック会社を辞める時も至って簡単でした。94年8月に退職願を出して、文句を言わさず受理させてから申し送りに1か月を準備しただけです。経営者や役員、先輩Kから、誰一人として私を引き留める者はいませんでした。何故でしょうか、それは、この会社が既に業界内から締め出される寸前にあったからで...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その12

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その11

    東京へ帰る新幹線の車中で私が考えていたことは、入社初日の日に感じた恐怖心に近い違和感と6年間の自分の行動でした。東奔西走、夜討ち朝駆けで走り回ったこれまでの日々が、走馬灯のように浮かんでは消え、消えてはまた浮かぶと数々の出来事を考えながら車窓を見ていました。原因不明の片頭痛は相変わらず続いていて、その日も痛み出してました。先ず帰ったら医者に行こう!とは言っても脳神経外科では全く異常がない!と診断され痛み止めももらいましたが全く効果は無いままです。帰宅した翌日、運よくというか風邪を引いたようで熱が出ました。近所にある名も知れない一応、総合病院というところの内科を受診しました。院長先生が内科を兼任しているところで、風邪の症状を見た上で、処方箋を出してくれました。私はダメもとで、この6年間、激痛を伴う片頭痛に再三、襲...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その11

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その10

    社畜と家畜状況からの脱却!超ブラック零細メーカーに約6年勤務しましたが、会社という名の下で副社長Mと先輩Kは私腹を肥やし続けていました。先輩Kはオーナーの義理の息子という立場でありながら会社の経費を公私構わず好き勝手に使い込み副社長Mは200㎡もあるマンションを2部屋も購入し賃料を副収入として財を膨らませている現実。全てオーナーの指示の下で運用していると言ってましたが、明らかに嘘でしょう。私を含み従業員は少しばかり他社よりも高い手取り額に甘んじて文句も言わずに働いてましたが、私は2年目から原因不明の偏頭痛に侵されていきました。1日の勤務時間は平均15時間、この間で名古屋、大阪、岐阜辺りまで車で営業出張する場合は日帰りです。教名古屋の日帰り出張が終わったら明日は先輩Kの代わりに新潟日帰り出張があるなんて日常的です...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その10

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その9

    入社初日に指示された仕事は余りにも非常識で会社として成立しないだろうと思いました。完全に道理を外れている以上に社会人として生きる大人達が、このような訳の分からない話を平気で押し通すのだろうか?この様に呆れかえってしまったのは事実です。この会社!まともじゃない!即刻、辞めよう!!と普通の人なら思うのでしょう。然し何故か私は逆の発想を抱いてしまいました。こんなにも、いい加減で適当な話を本気で語っている大人たちと一緒に生きてきたらどんな結果が生まれるのだろうか!この会社から世の中に何を発信するのだろうか?所詮、ダメもとの人生だし他に当てがある訳でもないし何処に行こうが学歴もコネも金もない私が今更、大手企業になど勤められる訳もないと考え3年、辛抱しよう!取り敢えず手取りのサラリーが30万が約束されている!これなら何とか...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その9

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その7

    フィルム現像会社を退職した私は新たな道を歩むことになりました。当然ながら不安が期待を大きく超えてしまうほど怖さはありますが、僅かでも遠い将来に自分が望む未来が開けるかもしれないというまだ見えぬ明かりを求めて歩き始めました。新会社初出勤日農家が立ち並ぶ住宅地の中にポツンとある2階建ての工場で、よくある町工場という感じです。従業員は20名足らず、大半は50代以上に見えました。現場は薄暗くオイルまみれの鼠色の作業服に身を包んだ男たちを前にすると、ここは工場なのか刑務者なのかの区別も出来ないほどでした。とても嫌な感じをこの初日感じてしまいましたね。この会社の流れを簡単に説明しますと、私を誘ってくれた5歳上の先輩の義理の父親が経営する町工場で中小メーカーの下請けとして20年ほど生産設備を作って供給するという会社でした。そ...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その7

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その7

    現像所勤務も6年目となると業界の中の見えなかったところも少しずつ見えて来るものです。一番ショックだったのはフィルムを使う写真がデジタル化によって消滅するという内部情報を知った時です。特に機密情報でもなく既に世間では、時代の変化の兆しもあって何となくそんなもののか~と能天気に考えていました。当時はフィルム全盛期ですので、誰も近い将来、フィルムが無くなるなんて想像すらしていなかったでしょう。然しこの年から10年後にはフィルムで写真を撮る時代からデジタルカメラで撮る時代へとパラダイムシフトが起きるのです。当時、私のは同じ仕事を毎日々現場で行っていることに少々飽きが来ていました。3直から2直の勤務体制になったことも一つの要因ですね。日勤の週が終わると次は夜勤、朝と夜が週替わりになるという事で体が付いていかないという事も...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その7

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その6

    満期退職の2か月前!今も同じような斡旋があるかどうか解りませんが、私がいた時代は満期退職者に就職先を紹介してくれる相談室がありました。三井造船所、トヨタ自動車、富士フィルムといった大手企業がリストにあって驚いたことを覚えています。これらの大企業にスッと入社できるというものではないですが、優先順位の高いところで中途採用を引き受けてくれるようです。私の場合、基礎学力が低いもので、当然ながら入社試験でも筆記は全滅だろうな~と考え応募の依頼はしませんでした。地元に戻ってからの就職活動は新聞の折り込みかタウンページの様な情報誌、職安での職探ししかありません。1月に除隊になり実家に戻った翌日の新聞折り込みの中に某有名なフィルム会社で現像所の募集が目に留まりました。お正月を写そう!というコマーシャルのところです。ダメもとで電...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その6

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その5

    配属された部隊は首都防衛を任務とする第1戦車大隊第1中隊であった。恥ずかしい話ですが、私の19年の人生では、何一つ誇れるものがありませんでした。それが、陸自に入隊し戦車大隊という戦闘部隊に配属された事は私にとって最大の誇りです。今でもこの思いは変わりませんし他に誇れることは少ない人生です。小中高と全く勉強もせず遊ぼ惚けて過ごしたこと、子供の頃から落ちこぼれを通り越し不良品扱いされてきたことは自己責任ですが、その後も度が過ぎてグレて、不良の仲間入りをしたことは出来損ないの自分に嫌気がさした捻くれ根性だったのでしょう。でも、自分の中では、このまま行けばお馬鹿な兄と一緒に下級民族に仲間になり半端な悪の世界に生きるか地べたを這いずり回る人生になるんだろうという恐怖心はあったかもしれません。救われたのは性根の部分はまだ腐...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その5

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その4

    後期教育を無事終了すると一般部隊への配属となる。さ~~て、ここからは希望が簡単に通る訳ではなくなる。前にも書いたが、当時の仮想敵国はソ連である。そのソ連は後の崩壊しロシアとして生まれ変わるのだが、この時代のまさにこの瞬間にウクライナへの武力侵攻を行い戦争を始めているとは20歳の能天気野郎には想像すらつかないね!今、20歳の俺に向かって叫ぶとすれば仮想敵国とすした国が今、隣国のウクライナという独立国家を一方的な理由で軍事侵攻し子供含む国民を大勢、殺害し住居を破壊している。今お前が学ぼうとすることをお気楽な気持ちで適当に流すのでは無く実戦になる可能性もあるという前提で本気で学んで来い!いつか、その日が来る時に備えよ!と言っておきたい。老いて尚、戦える知識と技術を持って迎え撃つのと知識ゼロでは、回避するにも生死を分け...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その4

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その3

    陸自の前期教育隊が終了する1か月前に後期教育隊を自らが選択できるという事を知らされました。私は叶うかどうかは解りませんが、陸自に入隊したら絶対、戦車だろ!そこしか考えられない!そう思ってましたので迷うことなく機甲化への希望を出しました。子供の頃によく見ていた米TVドラマ憧れたのはコンバットの歩兵です。ここも一瞬、過りましたが、歩く!走る!は大の苦手なので向いてないないと即決し希望を上官に出しました。周りは戦車と聞くと機甲部隊でも最前線は北海道だぜ!そうなんです、当時の仮想敵国はソ連でした。なので、最新の戦車は皆、北海道の第7師団へ優先的に配備されてました。機甲化部隊で残るは九州か、少し遠いな~と考えながら未決なのに先走って配属部隊まで考えていました。決定の日、班長から御殿場にある機甲化部隊に配属が決定したという...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その3

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その2

    私は18歳で、陸自に入隊します。そこに至るまでの私は、お恥ずかしい話ですが、暴走族に始まり酒やシンナー、たばこと不良を絵に描いたような高校生でした。警察にも何度も補導されるし他校や他のクラスとの喧嘩も絶えずの日々を送っていました。それでも高校生活は楽しかった思い出しかありません。勉強は、さっぱりですが友達と過ごす毎日はとても充実していて休む事もなく通い続け卒業できました。実は高3の時、卒業を控えた1月に停学処分を受けたりもしましたが、不思議と何とかなるもんです。就職先は決めずに卒業しました。担任からは半ば見放された存在でしたので、好きにしろと言う感じで面接も終了。周囲は皆、心配してましたし不思議がってましたが、そんなに焦って何かしたいということも無いので、そのまま卒業を迎えました。友達の一人が、何もせずとは行か...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その2

  • 自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その1

    先ず私の生い立ちを簡単にご説明します。東京の郊外で暮らす4人家族の次男として生まれたのが私です。父親は大手電鉄会社でバスの運転手をしていました。仕事は真面目ですが、昔ながらの偏屈者で、家庭を顧みることもなく仕事一筋!社交性はゼロで、会社での人間関係やトラブルなどストレスを全て家に持ち帰るのが日課と言う人です。性格は気短で、癇癪持ち!更に加えて、酒乱という悪癖を幾つも持つ人です。母親は、ヒステリックに怒鳴り散らす人で、今でいうところ発達障害の持病を持つ人でした。その上、物欲と執着心が強く欲しいものを買わないと気が済まない。食材も余るほど捨てるほど買ってしまうので、我が家の食卓はバランスを欠いた一辺倒なものばかりでした。そんな母も2018年3月に82歳で逝去しました。このような両親から生まれたのが、兄と弟の私です。...自分の人生を誰かの操り人形にならない為に自らが開拓者になるしかない。その1

  • 母親の介護の後は父親のサポートになりました。

    現在、要介護認定2、デイサービス週5(月~金)の通所をしています。平日の夕と土日の昼と夕はお弁当にしています。息子としては、毎週土曜日に日用品、朝食用の食材の補充、洗濯、掃除の為に通ってます。同じ沿線で、各停でも50分の距離なので、苦も無く行けてます。1週間の生活の中で唯一、土曜日の午前中が父親にとっては溜まったストレスの発散になるのでしょう。着いてから小一時間は愚痴、文句の機関銃攻撃に晒されます。でも、話をしてしまえば落ち着いて穏やかになるものです。聞くのも子の務めと割り切れば良いのですが、そこは親子の間柄なので、度を越えた毒舌には、ビシッ!と諫めたり認識を改めるよう指導もしたりします。認知症もあるので、注意されたことなど10分もしたら覚えていないということになりますが、まあ、大目に見てあげるというところが基...母親の介護の後は父親のサポートになりました。

  • ケアマネージャーというお仕事を知る。

    先週の日曜日の実家訪問で、母親の状態を知ることになり、正直、今でも半信半疑のまま週明けの月曜日に名刺に書かれた連絡先に電話を入れて見た。正直、恐る恐るです。何を尋ねればよいのか、何を話せばよいのか皆目見当がつかない。それはそうでしょう!認知症とか言葉では知ってるし番組の特集などを見ているから少しくらいの知識はある。いざ、自分の母親が、このような状況となってという時です。気持ち的には少々、ブルーだな~呼び出し3回ほどで出てくれた。その声の明るさに安堵しながら息子を名乗り挨拶をさせてもらった。ケアマネJさんからは、お母さまとは病院の受け付けに何時間も座ったまま呼ばれるのを待っていたという状況の中で出会いました。とのことです。その日は、通い慣れた市内にある中核的な総合病院に1人で出掛けたようだ。それも予約も入れずフラ...ケアマネージャーというお仕事を知る。

  • 母親の異変に気が付いてから。 。

    2月の寒い日曜日だった。昼近くになっても気温は低いままだったが、折角なのでお寿司を買って実家に帰ることにした。数日前に母親に連絡を入れておいたから、実家でもそれなりの用意をして待っていると考え他には何も買わずに向けった。実家は多摩では一番広い学生の街と呼ばれた緑豊かなところで、我が家は川のすぐ近くに立ち並ぶ住宅地の一角にある。55年前に平屋の一軒家を建売で購入し10年後に2階建てにリフォームした家で、全体としては小さな1軒屋である。玄関の引き戸を開け私から順番に上がった時に最初の違和感があった。最初から下の話で恐縮だが、おしっこ臭いというものだった。私の家族は家内に長女、長男の4人、この違和感は全員あったようだ。ただ、家内からしたら夫の実家に久しぶりに訪ねてきて何か臭うわね!とは言えないし子供らも中学生と高校生...母親の異変に気が付いてから。。

  • 2015年秋から

    母親の異変に気が付いてのは2015年の秋頃かな~料理上手な母親が作るお得意はもつの煮込みと白菜の漬物!これが子供のころから好きで秋が深まる季節に実家へ帰るとよく食べる酒の肴になっている。この年も例年通りに何度か帰る中で出会える一品になっているが、少し変だな~と感じた事を覚えている。先ず見た目から様子が変だった。普通ならモツの他にもこんにゃくやニンジンなどが入っていて、煮込み独特の汁に仕上がっているのだが、この日に限っては透明の湯の中に温められた持つだけが入っている。一口汁を啜ると全く味がしない!ん??何これって思いながらモツを口に含み噛む!これも全く味気なない温められたモツの素材だけだった。お鍋に水を貼り生のモツを入れてゴトゴトと温めているだけのもつ煮というものだった。我が家では父親はもつ煮を好んで食べないので...2015年秋から

  • その後の対応を考えて見る。

    ケアマネIさんとの面談では日常の母親の状態は解りました。デーサービスでの様子なども聞くことも出来て、認知症とは言っても未だ素のところもあるので、ここからのケアが重要と指導されました。問題は夫婦の関係、特に夫でもある父親の感情的な言葉DV、多分、暴力もあるはず!ここが酷くなってしまうと症状も悪化してしまうしそれ以上に問題が大きくなる恐れもあります。という忠告もありました。息子としてまず取り組むのは母親が通院する市内の総合病院に一緒に行って正確な現在の状態を知ることだと思いました。もう一つ、認知症外来も言っているので、ここでも進行具合などを確認しなければなりません。同時にこれまで老夫婦2人で通院していた状況の中で妻に対する薄情で強引な対応を何とかしなければなりません。感情的に怒鳴る!癇癪を起して物に当たる!イライラ...その後の対応を考えて見る。

  • これより母親のお世話が始まります。

    ケアマネIさんとの打ち合わせで解ったことはデイサービスやケアマネさん達が出来ることは限られていて生活の隅々まで手を掛けてはくれないと事!勿論、当然の事なんですが。。そして、その日常の中でケアがいかに重要であるかということを理解しました。認知症が進行する母親と日々生活する父親との間には優しさとか思いやりをベースにした介護、ケアは皆無です。バランスのとれた食事を取ることや薬を間違えずに朝夕、飲ませること、家事が出来ない妻に代わって適切な家事をさせること、健康や衛生面での管理をさせると言った重要な作業は、この父親には絶対に出来ない!それはこれまでの彼の生きてきた習慣とか人間性を見てきてはっきりしています。最大の理由は不器用なことです。切れた電球を交換することくらいは出来るのでしょうが、俗にいうところのDIYは全くでき...これより母親のお世話が始まります。

  • ケアマネ Iさんとの初面談!

    2月になって、担当のケアマネIさんと実家で初の面談を持つことになりました。初対面ながら、とっても気さくで人柄の良さそうな方で、まずは一安心です。色々と状況を伺っていると多くの老夫婦が陥ってしまう問題があることが解りました。それは間違った考え方としなくてもいい気使いが招くということです。1.妻の認知が少しずつ進行しているのに夫は気が付かず従来通りのやり方、行動を繰り返します。この認識を変えない為に介護によるストレスが溜まり介護虐待などが起きます。2.夫婦間の事に対して第三者(ケアマネやヘルパーなど)の協力を中々受け入れません。夫婦2人の生活環境に第三者が入り込んでくという漠然とした不安とか違和感から拒否するケースがあります。3.認知が進行している本人でさえも自分の言動に違和感は持つものの具体的な対応を夫や家族に話...ケアマネIさんとの初面談!

  • ケアマネ Iさんからは。 。

    自宅に戻ってから数日後にケアマネIさんへ連絡を入れて見ました。電話口の向こうでは息子さんからお電話を頂けるなんて思ってませんでした!!の驚きの一言から始まりました。母親を担当して約半年、要支援1の状態でデイケアも週1日から要支援2の認定見直しを掛けて2日にしようかと考えていたところのようでした。ケアマネという立場はケアを受ける相手側の夫婦の問題や家族間の問題があったとしても、そこに直接、介入することも出来なければ強制力など持たないので見守るしかないのが現実です。我が家の場合、両親は前記したように父親の言葉DV-時々暴力という現実がありケアマネIさんや包括支援センターの担当さんが訪問する時は外まで聞こえるくらい大声で怒鳴っているとか対面しても鬼の形相で毒舌のオンパレードだったようです。父親のキャパは、蚤の心臓よう...ケアマネIさんからは。。

  • 歳が明け17年1月!ここからが本格的に介護始動します。

    年が明けお正月の気分も抜けたころ私は1人、実家に立ち寄った。壁に貼られているケアマネージャーの名刺を発見した。この人が担当のケアマネさんなの?父に尋ねると「そう、その人が担当なんだ」いつからデイサービスに行ってるの?「去年の夏くらいだっかな~」「今、要支援1かな」何で、そういう大事な事を話してくれないんだよ!私は別に怒ってはいないけど口調が少し荒っぽくなった。。父曰く「俺たちは、子供に迷惑を掛けないように生きて行く!それが親としての務めだと思ってる」この発想や考えも実は大きく間違っています。後々ケアマネ担当さんから聞いたのですが、母と最初の係わりは、とある病院の待合室だったようです。母は毎月、電車で2駅の市内中心にある中堅規模の総合病院に1人で通院していたようです。定期受診している糖尿外来があった為なのですが、...歳が明け17年1月!ここからが本格的に介護始動します。

  • その年の年末に実家に行くと。 。

    年の瀬となった12月の中旬。2カ月振りに実家に行こうということになった。前回の母親の様子も大分、変わっていたことにずっと気がかりでしたので様子見です。ピンポーンと呼び鈴を押す。暫くして母親が鍵を開けスライド式のドアを開けてくれる。扉が開いた瞬間、匂う!そう、この間と同じ匂いだ!しかも強烈さが増しているではない!今日のお昼は少し高級な回転ずしやで母親が好きなちらし寿司を2人前買ってきた。我々家族はマックのセットです。エッ~~この環境で食べるのか!まいったな~と家族一同が同じ思いの中でランチタイムが始まった。どうやら母親はトイレに行くことを忘れているようでお漏らしをしているらしい。父親に聞くとトイレに行けよ!と怒鳴るものの全く言うことを聞きゃ~しない!この1、2か月で相当に悪化していると思われる。両親は昔から夫婦喧...その年の年末に実家に行くと。。

  • いつか、その日は来るということです。

    母親の異変を感じたのは2015年の秋頃でした。その日、私たち家族4人は久しぶりに実家へ遊びに行き夕食を一緒に食べることにしました。実家とは車で1時間弱程度の距離ですが、日々の忙しさと子供達の塾や習い事などもあって頻繁に返ることも出来ず年4回程度の里帰りが恒例となっていました。それに私の実の兄が浪費癖が酷く親に小遣いをせびっては遊興費に充てるという散財も見聞きしていたので余り関わりを持ちたくないという気持ちもあったのでしょう。それは両親側にもあったはずです。私(次男)は自主自立の精神で会社を興し妻と二人三脚で事業を営んでいて親の財産を食い物にする長男とは真逆なタイプです。そんな私に愚痴を言えば親が甘やかしているからだよ!突き放してでも縁を切ってでも関わることを拒否しなさい!と言われるだけなので遠慮もあったはずです...いつか、その日は来るということです。

  • 生き難さを感じるのは誰のせい?

    日々の生活の中で生き難さを感じてしまう人は結構多いようです。では、何が理由で生き難さを感じてしまうのでしょうか?私は、その多くが人間関係にあると思っています。人が生きて行く為には生産活動(経済活動とも言う)が必須ですが労働するものは皆、仕事を与えてくれる人の指示に従って働くことになります。サラリーマン、自営業者、商店主、個人事業主皆、必ず仕事を出す人受ける人という構図に組み込まれます。この構図は上下関係を明確にし暗黙の中で上に立つ者に従うことになります。この時に従う相手の人間性が一番重要になります。人には皆、それぞれの人格があり性格があります。似通った性格もあれば真逆だったりもします。自分と関わる他人様が皆、優しくて穏やかで親切だったらストレスを感じることもなく日々を穏やかに過ごせるでしょう。然しそうはいかない...生き難さを感じるのは誰のせい?

  • 生き方は千差万別で決められた方式などありません。

    順風満帆な人生なんて誰にもありません。仮に大富豪の家に生まれ何不自由なく暮らしている人であろうとも人間が生きて行く限り悩みや苦しみは尽きることはないのです。一つ言えることがあるならば社会の底辺で生きる者が味わう苦痛と、ある一定の生活レベルを維持した人との差は余りにも大きいということです。これは経済的な格差を意味しています。決して人間性や人格の差を指したものではありません。人は生きる上で必要な最低限の衣食住を満たさなければ生きてはいけません。その事を前提に今、自分に伸し掛かる苦しみや辛さをどのようにして乗り越えるかを考えましょう。生き方は千差万別で決められた方式などありません。

  • 今日は50歳でリストラされた方からのご相談です。

    25歳の時に中途採用で入社し25年!会社には貢献してきたという自負があります。職場の仲間も多く親兄弟よりも絆が強い人たちと共に働く生きがいや遣り甲斐を感じながら勤めてきました。昨年の希望退職に引き続くように今年も春先から少し規模の大きい希望退職を募る動きがあり、この時は80人ほどが退職していきました。A氏の部署からも女子社員を中心に35名が退職し現場は人員不足を補う為に必至でした。女子社員が受け持っていた検査工程や修理、修正などの作業は経験が物を言う職人芸であり抜けた穴を不慣れな男性社員や老眼が進んだ中高年社員などが応援!然し頼りになるどころか足を引っ張るだけでした。残された多くの従業員は皆、経営者側のやり方に反発を感じていました。組合員でもあったA氏ですが、漏れ聞こえてくるのは親会社は地方の子会社を切るようだ...今日は50歳でリストラされた方からのご相談です。

  • 今日は73歳の人生の大先輩からご相談です。

    ご相談の内容は将来への不安は誰しも同じでしょうが長男から2世帯で同居をしないか?という相談を持ち掛けられていることです。私たち夫婦には42歳の長男夫婦と40歳の長女夫婦がおり長女夫婦は旦那さんの実家(福岡)に嫁いでおります。長男は我が家から車で小一時間ほどの都内の賃貸マンションで暮らし孫が2人おります。この長男から実家に2世帯住宅を折半で建てて同居をしないか?いずれ高齢にでもなれば俺が面倒を見ることだし子供達が高校進学を機に如何だろうか?と話を持ち掛けてきました。家内と私は同居には消極的です。と言いますのは嫁、姑の関係はお世辞にも良いとは言えず、また嫁と私とも仲が良いとは言えないのです。そもそも嫁は教育熱心で塾が充実しアクセスも良い都内に住居を求めたそうです。息子も職場には実家からですと1時間ほど掛かる為、都内...今日は73歳の人生の大先輩からご相談です。

  • 今日のご相談は46歳の奥様からです。

    相談の内容は夫が家族と過ごす時間を減らし趣味や仲間内でのお出掛けが増えました。これって不倫?ではないかと疑っています。奥様からのお悩みです。夫は仕事人間でもありながら休日などは家族でショッピングやランチ、近場でも余暇を楽しむことに積極的でした。子が高校、大学と進むにつれ子供らは友達との付き合いが優先されるようになり家族、4人そろってのお出掛けは減ってしまいます。夫の趣味は付き合いで始めたゴルフや釣りですが、最近は会社の同僚や部下を誘い誘われては月、2回、3回と週末の度に出掛けて行きます。ここ半年ほど違和感を感じているのはゴルフだというのに街ブラをするような服装で出掛けるようになりゴルフウエアーで行かないの?と尋ねると最近は皆、クラブ内で着替えるのが普通なんだと言います。帰宅してゴルフウエアーを見ると18ランドも...今日のご相談は46歳の奥様からです。

  • 今日は、55歳の奥様からのご相談です。

    他にも色々とあるようです。夫の持ち物を分解し破壊するのは片付けが大変なものの未だ許せますがトースターが焦げて汚れているから掃除するといって分解するが元に戻せない!ドライヤーの空気吸入口(背面の網)に誇りが溜まっているといい分解!網を金ブラシで擦った為に変形し元に戻せない!酷い時は掃除機のモーターから異音がすると言い出して分解しようとまでする。さすがにこれに奥様もぶち切れ!たようです。夫は何をしでかすか解らないので外出もままならず日々2人だけの生活にホトホト疲れてしまいました。ストレスも半端ない状況となっていて食事の世話や面倒を見ることも嫌気がさしています。こんな状況が約2年も続いている為に別居も考えていますが如何なものでしょうか?【夫には新たな趣味を持たせ外に出すことが改善策となります】幼稚性の高い方でありなが...今日は、55歳の奥様からのご相談です。

  • これからの生き方について考えて行きましょう。

    道ハ嶮士からのメッセージ!人生100年というフレーズが世間を賑わせています。政治も“人生100年を見据えた経済・社会の在り方を構想する”ま~あ何ともお気楽なテーマだことと失笑しながらも確実に高齢化は進んでいます。高度経済成長下に生きてこられた方々は現役40年が節目でした。然し今では働き続けなければ生きて行けない時代です。高齢者(単身)世帯が増え続けている中で受給年金の少なさと生活環境の向上が生き難さに拍車をかけています。また雇用体系も派遣やパートという非正規雇用が主流となり低収入という現実に晒され教育や経済格差は広がり国民同士でも貧富の差が大きく出ています。社会は人手不足を補う意味で定年延長を促進しながら片方では待機児童未解決や介護離職で働きたくても働けないといった構造上の欠陥も数多く作っています。昨今は人間関...これからの生き方について考えて行きましょう。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、個独な1匹狼OYAJIが日常の中で感じたことを呟きさんをフォローしませんか?

ハンドル名
個独な1匹狼OYAJIが日常の中で感じたことを呟きさん
ブログタイトル
個独な1匹狼OYAJIが日常の中で感じたことを呟き
フォロー
個独な1匹狼OYAJIが日常の中で感じたことを呟き

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用