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あんなに嫌いだったのに https://blog.goo.ne.jp/aneppon

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。 定年したら離婚しようと準備していたのに

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2017/10/29

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  • 癌との毎日 その57(最後の一日の終わり)

    また一ヶ月も空いてしまいました。「お願いします。」と楽になる薬を決めたのは5時半頃だった。今左腕についている点滴に入れるだけなのですぐにでも入るのかと思っていた。が、結局それから三時間ほどを家族で過ごし、いよいよの時には外来担当の医師や、病棟担当の医師そして麻酔科チームの医師も顔を出した。皮肉なもので関わってきたドクターが揃った時には主人は少しシャキっとして見えて、少し前に私が主人に言った「もうじき先生が来て楽にしてくれるよ」という言葉を覚えていた。「あぁ先生、苦しいんですよ。楽になる薬を入れてくれるって聞きました。早くお願いします。」と言った。その薬の本質をわかっているのかいないのかは私にはわからなかったが、ドクターが「はい、看護師から聞いています。この薬を入れるとだいぶ楽になりますよ。でも、すごく眠くなりま...癌との毎日その57(最後の一日の終わり)

  • 癌との毎日 その56(最後の一日その5)

    だいぶ間が空いてしまいました。仕事に追われ、体力の限界を感じながらも毎日を過ごしております。そして先月26日に納骨もすませてホッと一息もつけました。本題に戻りますね。病室に戻り主人に「看護師さんから(水を)飲んでもいいって許可もらったよ。飲む?」と聞くとすでにせん妄が戻っていた。少し前の出かけようとしていたせん妄ではなく、誤嚥を起こしてすぐの頃のせん妄のようで「喉に機械が入ってるから飲めないよ」と鼻からチューブが入っていた時のように顔の前で手を振ってみせた。ほんの数分、いや数秒で主人の意識が変わってしまう。それらを咄嗟に読み取り興奮させないようにとその場しのぎの言葉で取り繕い、ウトウトしたり訳のわからないことを話しだしたりする主人を娘と二人で対応していると息子二人が病室についた。病室に入ってきた息子ふたりは主人...癌との毎日その56(最後の一日その5)

  • 癌との毎日 その55(最後の一日その4)

    会話だけを聞いていればかつてのごく普通の過去何度もあったやり取りではあったが、私も娘も最期を感じていたのでいままでのように悪態も混ぜ返答をするが、それでも着替えようとする主人を止めようと嘘八百を並べて思いとどませる。「もうじき△△(長男)も□□(末っ子)も学校や会社から帰ってくるよ。久しぶりに家族5人が揃うんだから家族みんなでどこかに美味しいもの食べに行こうよ。ダメ?」と私が苦し紛れに言うと主人の手が止まった。「あいつら帰ってくるの?そうか、じゃあ✖✖のラーメンでも食べに行くか」と私と主人の宿題となっていた有名店の名前が出た。私が「いいね、行きたかった店だよ。行こう行こう」と賛同すると「帰りに足を伸ばして〇〇でシウマイを買って帰ろうよ、今夜はそれで一杯飲みたいな。」と言った。「うん、そうしよう」と返事をすると「...癌との毎日その55(最後の一日その4)

  • 癌との毎日 その54(最後の一日その3)

    息子二人に電話をしてすぐ来るように言った。長男は「もう意識はないの?」と聞いてきたが意識は全然ある。「意識はあるよ、でももうせん妄も出てきているし、血圧も上がらない。呼吸もままならないから苦しいはず。『呼吸が楽になる薬』を入れてもらうから、入れたらもう自発呼吸はできなくなるからその前に来て」と。「わかった、すぐ行く。」と長男の返事を聞いて病棟に戻った。病室に入る前に夜勤の看護師さんに「これ以上辛い苦しい思いはさせたくありません。今息子に連絡したので家族が揃ったら(薬を)入れてください」とお願いした。「わかりました。夜勤の医師に連絡しますね。」と言われ「お願いします」と頭を下げると「大丈夫ですか?」と看護師に背中をさすられた。こらえていた涙が溢れた。顔が上げられなくなり頭を下げたまましばらく(と言ってもきっと1分...癌との毎日その54(最後の一日その3)

  • 癌との毎日その53(最後の一日のその2)

    「うん、今着いたよ。遅くなってごめんね」と答える私。ほんの数分前のこともあやふやになっている主人に肯定する返事しかできなかった。「〇〇(娘の名)がずっといてくれたから大丈夫だよ。」主人の中では娘は日中の面会のままずっと病室にいると思っていた。食べられるはずもない夕食を食べた話をし、美味しかったと言っていた。娘も仕事柄看取りには免疫があり、終末期の人のせん妄、幻覚は心得ていた。なのですぐさま話を合わせてくれた。最初に病室に入った時とはちがうおだやかな顔をして頓珍漢な話をしはじめた。でも息は絶え絶えで呼吸は浅く早い。パルスは70前後を行ったりきたりしていたので娘と二人酸素マスクを着けるように促す。「これはいらないよ」と拒否するが私が「これを着けて鼻で呼吸をすれば少し楽になるよ」と言うと「俺は延命治療はしないって決め...癌との毎日その53(最後の一日のその2)

  • 癌との毎日その52(最後の一日のその1)

    病院に着いたのは日付がかわった頃で当然正面の入口は閉鎖されている。腸閉塞のときにお世話になった夜間救急の窓口に声をかける。「どうしました?」と受診と思ったであろう窓口の方に「主人が入院しているのですが、来てくださいと言われたので」と告げると「あ、そうですか。このまま病室までどうぞ」と入れてもらった。心が焦っているのに病室にあがるエレベーターの中で「急変で夜中に家族が呼ばれるなんて(窓口の人は)普通のことなんだな」などとぼんやり思ったのを覚えている。夜間の病棟のへの自動ドアはインターホンを鳴らさないと開かないようになっている。しかし電話をくれた看護師さんが私と娘をみると鳴らすまでもなく開けてくれた。「夜分の電話すいませんでした。」と頭を下げられ「あのあとまた一度吐きました。また少し気管に落ちたようで処置(吸引器)...癌との毎日その52(最後の一日のその1)

  • 癌との毎日 その51

    主人の「俺は大丈夫、帰りな」の言葉に後押しされ子ども達と自宅に戻った。もう個室に移ってもいたので明日それぞれが学校や仕事に出たらすぐに病院に行こうと思っていた。自宅に戻りそれぞれが入浴や家のことやをこなしている間に病院からの連絡はなかった。私も子供たちも今夜は落ち着いているだろうと思っていたので私は寝ようと自分のベッドに引き上げた11時前頃だった、私の携帯が鳴った。夜勤の看護師からの電話だった。「ご家族が帰ったあとしばらく落ち着いていたのですが、今また吐いたために吐瀉物が気管に落ちました。すぐに吸引器で引きましたが血中酸素濃度は70%まで落ちています。ご本人は『家族には知らせるな、やばいと思ったら自分で連絡する』とおっしゃってるんですが、こちら(病院)はいつどうなってもおかしくないと思っています。(病院に)来ら...癌との毎日その51

  • 癌との毎日 その50

    「終末期のための個室移動です」と言う看護師の言葉に焦りを感じて子供達とすぐ病院へむかった。ちょうど面会時間が始まるという時に到着して面会バッジを貰い病室へ向かうと電話をくれた看護師さんが病棟の受付にいた。子供たちには病室へ行くように促し声をかけた。昨夜の状態を説明される、再度鼻から管を入れようと試みるも痛みと吐き気でじっとしていることもできず、「お願いだから殺してくれ」との言葉も出たとのこと。医師も看護師もこれ以上の処置は辛い思いをさせるだけだからと今は心電図とオキシメーター、痛み止めのレスキューと脱水防止の点滴だけがついているとのことだった。それでもオキシ(血中酸素濃度)は85%ほどあり、処置後(できなかったけど)はひどくは吐いていないので落ち着いていると言っていた。お礼を伝え子供たちが先に入っていた病室へ入...癌との毎日その50

  • 癌との毎日 その49

    ここ数日の私は眠りも浅く、かと言って一晩中起きていられるほどの体力もなくなっていたため寝落ちしてまってハッと起きたら4時前だった。携帯を見るがメールも病院からの着信もなくホッとした。この時私は主人から送られてきた「処置が終わったよ」のメールを鵜呑みにしていて二度寝よろしくいつものように6時まで寝直した。この日は体育の日で祭日で一番下の息子の学校はお休み。偶然うえの息子も娘もシフトが公休の日だった。いつものアラームで起きて面会時間開始には病室にいけるようにと洗濯や子供たちを起こしたりと朝のルーチンをこなしてると病院から電話がきた。8時半すぎ、夜勤帯と日勤帯の交代がすんだ頃だろうと思う、なのできっと昨夜の主人が管を抜いてしまったことの報告だと思った。でも違っていた。いや、違ってなくもなかった。私が主人からのメールを...癌との毎日その49

  • 変なスイッチ

    前回仕事が決まったことを書きました。その仕事について少しだけ・・・次の仕事も介護職です。私としては介護職は自分にとっての天職だと思っています。たしかにきついし汚いことも多いし、認知の方の理不尽な行動やそのご家族な無理難題の多い環境なので「私は無理」という方も多いのが事実。でもね、認知になってしまった方々と話しているととても楽しい。さっき食べた食事の内容は忘れてしまっても、戦時中の辛かった頃、自分が結婚した頃、最初の子供が生まれたとき、その子供が結婚した時など昔の事を話してくれる皆さんと接しているのが楽しいんです。なので、介護職であればどんな職場であれ働けると思っていました。今回仕事が決まるにあたり2箇所の施設からお声がかかりました。自分の中で自宅から近いとか給料がいいとか勤務時間の調整とか実質的なことばかりを考...変なスイッチ

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