待ちに待った日曜日。 城谷先生と久しぶりに会うことのできる日。 先生が所属しているバレーボールチームは市の体育館を借りて練習を行っている。 最寄りの駅で先生と待ち合わせて体育館に向かうことになった。 10時半。胸を鳴らしながら改札で城谷先生を待つ。 「おーい。宮澤さん。」 白い歯を見せながら城谷先生がこちらに向かってきた。 「久しぶりだな。待った?久しぶりに会うのにいきなりバレーボールしに行くっていうのもあれだけど。また会えてうれしいよ。元気だったか。」 城谷先生は続けてどんどん話してきた。いつもの城谷先生だった。 「はい。もう最近は部活が忙しくて他の事は何にもやってませんけど。元気にやってま…
はじめまして。梓葵です。 いつもブログを閲覧くださりありがとうございます。 今さらですが自己紹介をさせてください。 私は英語の教師をしております。いつかは母校で教鞭をとりたいと思っていますが、現在は共学で教えています。 十年以上も前のことになりますが、偶然にも帰省した際に当時の日記を見つけ幼い頃の恋を思い出しました。それをもとにブログを書いています。 当時私は高校二年生、城谷先生は二十九歳でした。先生とは十三歳差でだいたい一回りの歳の差です。(はじめの出会いは私が高一、城谷先生が二十八歳の時でした。) 先生は学期途中で転任なさったので、学校に一緒にいられた期間は八ヶ月ほどでした。 関わりは英語…
もう十年以上も前のこと。 城谷先生のおかげで英文科に進み、今も英文学に携わる仕事をする。そしてこれからも。 続ければ、城谷先生にいつか近づける気がするから。 城谷先生との思い出。 そしてもう一つ。バレーボール。城谷先生がくれた名前入りのバレーボール。 城谷先生はとびきりのセンスを持っているわけではない。 それでも一緒にボールを叩いたあの期間を、空間を体が覚えている。
ついに部活が休みの日ができた。 城谷先生にメールする。 『ついに休みがきまりました。来週の日曜日、城谷先生空いてますか。』 先生の都合が合えばいいなと願いながらメールが届くのを待つ。 すると携帯の電話が鳴った。 「もしもし。宮沢さん。」 城谷先生からの電話。 電話が来ると思わず、心の準備が出来ていない。 「もしもし。城谷先生ですか。」 驚きで声がうわずる。 「そう。元気か。」 「はい。城谷先生も元気ですか。」 「元気ですよ。ってアントニオ猪木かよ。」 思わず笑いあう。 「俺今バレーボールチームに入ってるんだよ。それでその練習が来週の日曜日なんだけど。」 予定が合わなかった。 また会えるのは先延…
二通目のメール。 『そこまでして俺と会おうとしなくて大丈夫だから。』 なんと返せばいいのか分からない。私は先生に無理に会おうとしてるのか。 先生は迷惑なのかも。私に会いたくないのかも。 でも私は先生に会いたかった。先生に会いたい。 そう、そうだ。その思いを伝えよう。 メールでは伝わらない。そう思い、子機を手に取る。 「もしもし。」 「先生。宮沢です。いま大丈夫ですか。」 「おう。どうした。」 「私、先生に会いたいです。色々話したいです。英語もやりたいんです。だから…」 なんと言えばいいかわからず口を濁す。 沈黙の時間。嫌な時間。 先生の大きなため息。 ああ、先生は私のことを迷惑だと思っていたん…
メール。文を考えるのに三十分かかった。 絵文字を入れようか入れまいか。 何を書こうか。 先生からの返事は優しい。文字だけだがあたたかい。 くだらないことをメールする。 学校であったこと、部活のこと。 部活の日程がわからない。会う日程が決まらない。 『部活の日程が決まらなくてどこの土日が空くかまだ分からないんです。』 私は先生にそうメールした。 携帯のバイブ音がなる。先生からの返信。 『そうか。決まったら教えてな。予定合わせるから。部活がんばれよ。』 何度も読み返す。はやく先生に会いたい。 また携帯がふるえる。 先生からのもう一通のメール。 『そこまでして無理に俺と会おうとしなくて大丈夫だから。…
近々会おうと言ったもののなかなか互いに予定が合わない。土日は基本的に部活。城谷先生も仕事が多い。日程が決まらない中でも城谷先生は必ず 二週間に一回は電話をくれる。勉強はどうだ、部活はきつくないか。体調は崩していないか。いつも城谷先生は気遣いの言葉をかけてくれた。そんなとき初めて携帯電話を買ってもらった。今まで欲しがらなかった携帯。特に電話をかける相手もいなかったしメールをする必要もなかった。頼みに頼んでやっと買ってもらえた携帯電話だった。いつも電話は城谷先生がかけてくれている。電話代を気にしてくれる。タイミングが合わず電話に出られないこともあった。この時はすぐに城谷先生に電話し、携帯を買ったこ…
城谷先生から連絡先をもらって三ヶ月が過ぎた。 なかなか決心がつかなかった。 なにか理由をつけて電話しよう。そう思っていたところに大学の受験についての話が出始め、その話をしようと思い電話をすることにした。 電話の子機を手に取る。 プルルルルプルルルル。 「もしもし。」 七ヶ月ぶりに聞く城谷先生の声。 感慨にふけってしまう。 「ん?もしもし。」 「あ、あの宮沢です。」 「おお、宮沢さんか。誰かと思った。びっくりしたよ。元気か。」 「はい。先生も相変わらずお元気そうですね。電話番号ありがとうございました。」 「おお、でも遅いよ。電話くれないのかと思ったよ。悪かったな。高一が終わらないうちにやめちゃっ…
手紙を出してから三週間。城谷先生から手紙の返事が来た。 宮沢梓葵様 手紙ありがとう。 元気にしてますか。 宮沢さんに英語を叩き込むと言ったのに、何も言えずに退職してしまって本当に申し訳なかった。 俺は今も英語の教員をしています。そしてバレー部の顧問になりました。 電話番号を教えます。 英語のこと、バレーのこといつでも連絡してください。 電話番号をもらったが、先生に電話していいのか悩みしばらく連絡できなかった。
美輝の言葉を聞いていてもたってもいられなくなった。 その日家に帰って、すぐに城谷先生に手紙を書いた。 城谷先生がいなくなって驚いたこと。英語を頑張っていること。そして感謝の気持ち。
私も文系コースに進んだことで美輝とはまた同じクラスになった。 「そうそう、この前城谷先生に会ったんだよ。部活の試合に来てさ。」 「えっそうなの。元気だった?」 城谷先生に会えたなんて羨ましい。 「それで梓葵のこと気にしてたよ。頑張ってるかって。」 やっぱり消えていなかった。私の中の赤いインク。
城谷先生がいなくなってからも英語は続けた。 恥ずかしくないように。 高校二年生。 また桜の季節。去年は前髪を切り過ぎたんだった。 新任の先生紹介。 もうどこにも城谷先生の姿はない。 なんでいなくなってしまったんだろう。どうして。 それを繰り返してもう四ヶ月がが過ぎた。
優しかった城谷先生がいなくなるなんて想像もつかなかった。 英語を教えてくれるって言ったのに。 やっと英語が好きになったのに。好きになれたのに。 泣いている子もいた。 私は不思議と涙は出なかった。 城谷先生が辞めたことに関して様々な噂が立った。 生徒を殴った。事故を起こした。生徒と付き合っていた。結婚した。 どの噂も私には信じられなかった。 新年。 美輝は城谷先生に年賀状を出したという。しかし返ってこなかったと。 私は先生に年賀状を出さなかった。 書けなかった。
十二月終業式。 かなり寒い。 指を擦り合わせる。 集会堂の埃っぽさにはもう慣れた。 校長先生の話は相変わらず長い。 「ええと、最後にお辞めになる先生がいらっしゃいます。」 こんな時期に、誰だろう。少しざわついた。 「英語の城谷柚先生です。」 誰。 嘘だ。城谷先生なわけない。 「二学期いっぱいで退職されます。今日はご都合によりいらっしゃれなかったのでお別れの言葉は手紙で頂いているのでお読みします。」 約十ヶ月の短い期間でしたがありがとう。とても楽しい時間でした。みなさんこの言葉を覚えておいてください。必ず将来役に立ちます。本当にありがとう。 -Where there's a wil, there…
「城谷先生。少しお時間いいですか。」 「おう、どした。」 少しして、私は進路を変えた。本来はもう変更できないと言われている期間。 しかし皆が変更しているのを知り、私も決心した。 英文志望にする。 そう城谷先生に伝えた。 「そうか。嬉しいな。俺が宮沢さんの英語ばりばりに鍛えてやるよ。この言葉覚えとけよ。Where there's a will There's a way.意志あるところに道はある。 頑張ろうな。」 「はい。ばりばりもいいですけど、ぺらぺらにしてほしいですね。」 城谷先生の白い歯はいつもより輝いているように見えた。 やっと城谷先生とも仲良く話せるようになっていた。
「お待たせ。じゃあ帰るか。」 城谷先生が声を出しながらこっちに来る。 一緒に帰るの?私たちは三人で並んで駅まで歩いた。 電車に乗る。 美輝と城谷先生は楽しそうに話している。 私は相槌を打つだけ。 私の最寄駅。 「じゃあここなので。美輝バイバイ。さようなら。」 「バイバイ。また明日ね。」 「おう、さようなら。」 城谷先生と美輝が手を振っているのを電車の外から見つめた。
球技大会前、一年C組の委員としての最後の仕事。 美輝と私は城谷先生の元へ、近隣の皆さんへの言葉を提出しに行った。 「ほい。確認しとくよ。お前ら今帰り?」 「はい。そうです。」 「ふーん、じゃあこれ持って校門でちょっと待ってて。」 そう言って小さな鞄を渡された。 校門で何を待つんだろう。 美輝も何も聞かないので、私も何も聞かない。 美輝と遊びの約束をしながら校門で待つ。
球技大会当日。 美輝が城谷先生と写真を撮る。 いつもだったら絶対に言わない。言えないけれど勇気を出して言う。 「先生、一緒に撮りましょう。」 美輝は私が城谷先生のことを好きとは知らない。しかし颯爽と私のカメラをもち写真を撮ってくれた。 嬉しい。嬉しかった。 たった一枚だけれどその一枚が私を変える。
そうだ。 心のどこかで否定していた。先生だし、相手にされないし。 私が好きなのは数学で英語じゃないし。 私の中には赤いインクのようにすでに広がっていた。もう消せない。洗ってもとれない。 虹を描くのは数学だと思っていた。 本当は城谷先生だった。英語だった。 私が好きなのは城谷先生だ。
それから私は何かと職員室に行くようになった。 ノートを提出しに行ったらパソコンとにらみ合う城谷先生を一瞥する。 部活のことで柏先生に呼ばれた時も城谷先生の席に目を向ける。 城谷先生はいなかった。 「宮沢ってさ、城谷先生のこと好きだよね。」 空気が止まった。 殴られたような感覚。 柏先生がなんと言ったのか理解できなかった。 「違います。」 そういうのが精一杯。 「いいよ隠さなくて。そんだけ見てたらみんな分かるって。」 「見てません。」 柏先生は鼻でふっと笑う。 「まあいいや。それで宮沢の成績が上がるならね。」 蝉の嫌な声。 夏休みが終わった。
十月の球技大会に向け、本格的な準備が始まる。 夏休みの部活がない期間に集まり、近隣の方に招待のチラシを委員会の生徒と顧問の先生達で配る。 近隣、先生チームと生徒で毎年球技大会の最後に試合が行われるのだ。 私もチラシを配りに行く予定だった。 それなのに私は風邪をひいてしまい、学校で留守番することになった。 その間私は一人で装飾の準備。 私も装飾を作るのではなくてチラシを配りに行きたかった。 先輩が話していた。近隣の方は優しいからチラシを渡しに行くとお菓子をご馳走してくれる。行きたかったな。 ガラッ。 その時城谷先生が入って来た。 「先生!」 「おう、風邪大丈夫か。」 「大丈夫です。なんで風邪引い…
「ちょっと全然違うじゃん。」 美輝は文句を言っている。 美輝のはおじさんのキャラクターが散りばめられている葉書。 「梓葵、部活前に城谷先生のとこ問い詰めに行こ。」 私は美輝に葉書を見せたことを少し悪かったかなと思う。 美輝は城谷先生に突っかかった。 「ちょっと城谷先生、この葉書。この変なおじさん、なんなんですか。」 「面白いだろそれ。」 「梓葵にはこんな可愛い葉書で!」 「お前ら見せ合うなよ。」 「なんで違う葉書なんですか。」 城谷先生は口を少し閉ざした後こう言った。 「イメージだよ。それぞれのイメージで葉書選んだんだよ。」 「私は変なおじさんてこと?」 「ははは。面白くて元気ってことだよ。」…
夏休み。 夏休みと言っても美輝も私もほとんど学校で部活がある。 夏は普段の練習よりもとびきりきつい。 暑いしのども渇く。なによりも汗が尋常ではない。 体力の消耗は著しい。 毎日会うが、部活の先輩にも顧問の先生にもそして城谷先生にも暑中見舞いを出した。 暑中見舞いへの返事が来た。 柏先生からは夏らしい、うちわと風鈴が書かれているいかにも真面目そうな葉書。 城谷先生からはハイビスカスのついた可愛い暑中見舞い。 アオイ科のハイビスカス。 城谷先生にハイビスカスの話をしただろうか。 部活の帰り美輝と先生から来た暑中見舞いの話になった。 「ねえ、梓葵、先生から暑中見舞いの返事来た?」 「うん来たよ。柏先…
手帳を開く。 城谷先生の字。 綺麗な字とは言えない。ごつい字。 その字を見てにやける。指でなぞってみる。 変態みたい。 なにしてるんだろ。 私。
美輝は文系コースに進む。 私はまだ悩んでいた。 もうすぐ夏休み。その前に進路を決める。 バレー部でもバスケ部でも先輩と顧問の先生に暑中見舞いを出さなければならない。 住所を聞きに美輝と職員室に行く。 美輝は城谷先生のもとへ、私は柏先生のもとへ。 「宮沢、英語頑張ったじゃん。なんか頑張れる理由でもあったのかな?」 唐突な質問に顔が赤く熱くなるのを感じた。 なんでこんなこと聞くのだろう。 柏先生の顔をみると、城谷先生の方を見ながら口の端をあげている。 意地悪な質問。 「そんな、ないですよ。」 うまい言葉が見つからなかった。 そこへ美輝と城谷先生が来る。 学年旅行が終わってから美輝と私は呼び捨てで呼…
もうすぐ進路届けを出さなくてはならない。なぜ頑張れたのか。 私は英語は嫌い。 嫌いだったのかも。でも嫌いではなかったのかも。 きちんとやったことがなかっただけ。 そう。 どうしてきちんとやろうと思ったんだろう。 先生の教え方わかりやすかった。 英語が好きなのか。 そう、好きになったんだ。 なにが好きなの? 英語。 本当に英語が好きなの? 私が好きなのは数学。数学のはず。 虹を描くように数式を解く。 本当に数学が虹なの? 私が本当に好きなのは なに?
その日英語の教科書を家で開いた。 久しぶりに。 まっさらな教科書。書き込みも何もない。 授業中に寝ているわけでもないのに。 次の日から私は城谷先生に質問攻撃をし始めた。 分からないことを基礎の基礎から。 どんなに馬鹿げた質問でも城谷先生は答えてくれた。 質問だけではない。 部活の話、委員会の話、先生の学生時代の話、趣味の話、昨日見たテレビの話。 一学期の期末テストで私は前回からは想像もつかない得点を取れた。 そして同時に進路に悩み始めた。
「なんでか聞きたい?」 「聞きたいって言うか。まあ、そうですね。」 「なんだよ、それ。長くなるけどちゃんと聞けよ。俺さ、宮沢さんと同じ歳の頃理工に行きたかったんだよ。特に理由はなかったんだけど。それと実は英語が大の苦手だったんだ。」 「え、そうなんですか。私と一緒じゃないですか。」 「そうだな。まあ実は宮沢さんよりも点数は悪かった。笑えるよな。それでいま英語の教師やってんだぜ。」 「笑えるなんてそんなことないですよ。」 「そうか。俺毎日適当にだらだら生きてたんだ。部活はしっかりやってたけど、それ以外に目標もなくて。でもさその時の俺の英語の先生がすごくいい先生だったんだ。一言じゃ表せないけど。英…
高校入学して初めての中間試験。 予想通り英語は最悪。 そして担任面談週間。 職員室で柏先生との面談が始まる。 「宮沢、この前の中間テストどうだった?」 「英語が悪いですね。」 「悪いって言うか、終わってるね。」 笑顔でキツイことを言う。 刀の花びらを持った花。 そんな感じ。 「部活に出せない点だよ、これ。進路はどう考えてる。」 高校に入学したばかりでまた進路のこと。 忙しい。 「とりあえず大学には行こうと思っています。」 「そう。学部は。」 「理系に行こうと思っています。」 「理系でも英語は必要だよ。」 ガラッ。 「あ、ちょうどいいところに。ちょっと、城谷先生。」 「はい、なんですか。」 城谷…
痛っ。 首。寝違えた。 宮沢梓葵。25歳。 すごく懐かしい人を思い出した。 城谷先生。 手に握っているのは手紙。城谷先生からもらった手紙。 電話番号が書いてある。 探そう。古い携帯電話。高校生の時に使っていたもの。
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