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  • 弘前ねぷた絵405話 1970(昭和45)年のねぷた2

    1970(昭和45)年のねぷたの2回目です。最初は、長谷川達温先生で駅前町会の「関羽奮戦図」です。 画面右の女性は、「祝融夫人」の見送り絵の上半身を切り取って張り付けています。

  • 弘前ねぷた絵404話 1970(昭和45)年のねぷた1

    今回から1970(昭和45)年のねぷたの振り返りと紹介です。年明け早々、ねぷた界に大きな衝撃が走りました。この年2月に竹森節堂先生が亡くなったのです。ねぷた少年の間でも「節堂(先生)のねぷたが見られなくなった。」と大きな動揺が広がりました(私も少年だったの

  • 弘前ねぷた絵403話 1969(昭和44)年のねぷた3

    1969(昭和44)年のねぷたの最終話です。最初は、竹森節堂先生の最後の弘前大学のねぷた「一丈青奮戦の図(題名は当時の新聞発表のもの)」です。 竹森先生と弘前大学の間で、描いたねぷたを永

  • 弘前ねぷた絵402話 1969(昭和44)年のねぷた2

    1台目は、長谷川達温先生の「鬼シリーズ(私が勝手につけた名称です)」から、「渡辺綱 羅生門の鬼退治の図」です。渡辺綱と鬼については、2021年7月307話に載せているので参照ください。見送り絵は、先生得意の見返り「虎」と三七全伝何柯夢の「笠屋三勝」です

  • 弘前ねぷた絵401話 1969(昭和44)年のねぷた1

    今回から1969(昭和44)年のねぷたの紹介です。この頃の私は、毎週土曜日曜休みなく正伝寺を訪れ、ひたすらねぷた絵を習っていました(とても真面目に取り組み、私のねぷた絵の基礎醸成期間でした)。

  • 弘前ねぷた絵400話 1968(昭和43)年のねぷた4

    このブログを書き始めてから、今回で400話となりました。私にとって記念すべき400回目は、「1968(昭和43)年のねぷた」の最終回です。 最初は、石澤龍峡先生の水滸伝「花和尚力闘の図です。

  • 弘前ねぷた絵399話 1968(昭和43)年のねぷた3

    1968(昭和43)年のねぷたの3回目です。今回は8枚の写真で当時を振り返ります。 最初は大久保青年会で、三国志「関羽奮戦の図」です。 絵師はわかりません。1966(昭和41)

  • 弘前ねぷた絵398話 1968(昭和43)年のねぷた2

    1968(昭和43)年のねぷたの2回目です。この年は、大型・小型共26台づつの計52台が運行されました。また、私がねぷたにデビューした年で、城北子供会という町内会のねぷたを描かせてもらいました(張飛の絵でしたが、写真がありません)。 7枚続けて竹森節

  • 弘前ねぷた絵397話 1968(昭和43)年のねぷた1

    今回からは1年毎にねぷた絵を振り返ります。さて、この頃になると「金魚ねぷた制作」や「トーロー絵の描き方」、「おはやし」などのねぷた関連の講習会が盛んに行われるようになりました。今では普通になった「トーロー絵の描き方」の講習会は、1966(昭和41)年から

  • 弘前ねぷた絵396話 1967(昭和42)年までのねぷた16

    今回は、「1967(昭和42)年までのねぷた」の最終回です。ランダムになりますが、手元にある残りの資料の一部を紹介します。次回からは、少し整理がされていると思います。  最初の

  • 弘前ねぷた絵395話 1967(昭和42)年までのねぷた15

    年末から少しさぼりましたが、また始めたいと思います。ブログ内で石澤龍峡先生の「峡」の字を狭と間違って書いているとの指摘を受けました。確認しないでいたのでビックリしました。指摘ありがとうございました。反省しています。 

  • 弘前ねぷた絵394話 1967(昭和42)年までのねぷた14

    最初は、向外瀬青年会で福士朋石先生のねぷたです。 日本画家の福士先生らしく、袖絵は「蝶々」を描いています。 花を誇張した見送り絵の美人画と相まって独特なムードを醸し出しています。幼い頃私が見た見送り絵の記憶に、この蝶々が残っていて何か

  • 弘前ねぷた絵393話 1967(昭和42)年までのねぷた13

    今回の1台目は、石澤龍狭先生の「津軽為信公奮戦の図」で、運行団体はよくわかりません。為信公の陣羽織の模様、旗指物、開きの卍紋、加えて津軽家家紋の牡丹丸と徹底して津軽家(常陸宮華子様ご成婚)を意識したものとなっています。1966(昭和41)年頃の石澤龍狭先生

  • 弘前ねぷた絵392話 1967(昭和42)年までのねぷた12

    再三書きますが、1967(昭和42)年までのねぷたはキッチリと運行された年別に仕分けされていません。詳しく調べることをすればよいのでしょうが、その気が起こらないので、このまま話を続けます。ただ、運行された年がしっかり仕分けされている、1968(昭和43)

  • 弘前ねぷた絵391話 1967(昭和42)年までのねぷた11

    今回は、運行団体がよくわからない鏡と見送り、計9枚の写真の紹介です。最初は、三国志「祝融夫人 飛剣の図」で長谷川達温先生の筆です。 見送りは、骸骨と先生が好きだった幽霊画で元絵が上村松園の「六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)」です。先生は

  • 弘前ねぷた絵390話 1967(昭和42)年までのねぷた10

    表題は、「1967(昭和42)年までのねぷた」にしていますが、この年までの間ではっきりした年を特定できない写真資料があるので少しの間ご容赦ください。 今回は1965(昭和40)年のねぷたです。

  • 弘前ねぷた絵389話 1967(昭和42)年までのねぷた9

    前日、382話で紹介した十五番グループの絵師を長谷川達温先生と紹介しましたが、葛西孝志氏より北川武城氏の絵である旨ご指摘を頂戴しました。お詫びして訂正させていただきます。ありがとうございました。 このブログも都合389話を数えることになりましたが、

  • 弘前ねぷた絵388話 1967(昭和42)年までのねぷた8

    今回の話題は、鏡絵のみ・見送りのみと表裏セットでない5枚の写真です。最初は、石澤龍狭先生の水滸伝「一丈青扈三娘奮戦の図」です。運行団体は、なんと弘前郵便局、民営化されるまでの別名「本局」です。

  • 弘前ねぷた絵387話 1967(昭和42)年までのねぷた7

    今回紹介するねぷた、最初は弘前市役所です。竹森節堂先生の三国志「諸葛瞻(しょかつせん)奮戦の図」です。 諸葛瞻(諸葛孔明の子)は、蜀末期の武将で衛将軍(えいしょうぐん:大将軍、驃騎将軍、車騎将軍に次ぐ高位の将軍)として蜀滅亡戦で戦死しました。今では単

  • 弘前ねぷた絵386話 1967(昭和42)年までのねぷた6

    今回紹介するねぷたは、運行団体や鏡絵と見送りが揃っていない等少しバラバラな感じがすると思いますが、古い資料なのでご容赦ください。最初の1枚は、長谷川達温先生の三国志「趙雲 (幼主)阿斗を救う図」です。見送りは「秋風五大原(五丈原)」と題名が判るものの写真

  • 弘前ねぷた絵385話 1967(昭和42)年までのねぷた5

    1台目は長谷川達温先生の三国志「関羽勇戦の図」です。この絵は、漢楚軍談「項羽勇戦の図」の項羽を関羽に置き換えたものです。 見送り絵は、三国志から後漢の車騎将軍董承の妹「董貴妃」で

  • 弘前ねぷた絵384話 1967(昭和42)年までのねぷた4

    今回は、石澤龍峡谷先生筆、小栗山(こぐりやま)町会の三国志「関羽勇戦の図」の紹介からです。石澤先生の関羽は珍しいと思います。 関羽の特徴である長い髭が先生らしい軽いタッチで描かれて

  • 弘前ねぷた絵383話 1967(昭和42)年までのねぷた3

    今回の1台目は、長谷川達温先生筆、三国志潼関の戦いから「馬超 曹操を追撃する図」です。運行団体は、ねぷた本体の肩の部分が破けて判読ができないので私には分かりません。見送り絵は、謡曲三井寺から「三井寺狂女(千満母)」、元絵は浮世絵です。「三井寺」のス

  • 弘前ねぷた絵382話 1967(昭和42)年までのねぷた2

    今回は、1963(昭和38)年のねぷたです。弘前市役所のねぷたの紹介からです。 2023(令和5)年7月の376話で予告しましたが、竹森節堂先生の三国志「張飛と馬超 葭萌関に戦う図」です

  • 弘前ねぷた絵381話 1967(昭和42)年までのねぷた1

    表題を変えました。改めて資料を精査しましたが1967(昭和42)年までの写真は、少しごっちゃになっているようなので紹介する運行年に少しズレがあるかと思いますがご容赦ください。最初は、長谷川達温先生の1963(昭和38)年「亀甲町」のねぷたです。鏡絵は水

  • 弘前ねぷた絵380話 1962(昭和37)年までのねぷた5

    主催している「長谷川流ねぷた塾 玄隆庵」の塾生作品発表会があってバタバタしていたので、ブログをさぼってしまいました。 今回は、古いねぷたの紹介からです。 鏡絵、見送りとも現在のねぷたの

  • 弘前ねぷた絵379話 1962(昭和37)年までのねぷた4

    資料整理の関係上1962年と1963年が多少ごっちゃになっているようですが、ご容赦下さい。 表題のねぷたの4回目、1台目は「代官町」のねぷたで水滸伝「武松蒋門神を打つ図」です。絵師は長谷川達温先生、元絵は新編水滸畫傳で、主役の全身が鏡絵に描かれている

  • 弘前ねぷた絵378話 1962(昭和37)年までのねぷた3

    表題のねぷたの3回目です。 最初は、珍しい「大町」町会のねぷたです。大町は、1979(昭和54)年から着手した弘前市の「シェイプアップマイタウン計画」とそれに伴う「弘前駅前地区土地区画整理事業」により一般家庭や個人商店が激減してしまい、運行団体として見

  • 弘前ねぷた絵377話 1962(昭和37)年までのねぷた2

    今回も表題のねぷたの2回目です。1968(昭和43)年まではハッキリした運行年などがわからないので、当面はその辺は資料の公開とわりきってご覧ください。また以前も書いたと思いますが、私自身運行年や運行団体を気にすることがないので、併せてご容赦ください。

  • 弘前ねぷた絵376話 戦後から昭和37年までのねぷた1

    今回から、戦後(大東亜戦争)ねぷたが復活した頃から1962(昭和37)年までのねぷた(写真があるもの)を紹介します。 最初は、2018年7月20日183話でも取り上げましたが、青年学級の「清水森生徒会」のねぷたです。青年学級の説明は他に譲りますが、写真中

  • 弘前ねぷた絵375話

    2022年10月2日以来、久しぶりのブログ更新です。もともとこのブログは、「国指定重要無形民俗文化財の弘前ねぷた」の絵について、様々な観点から考察を加え書いているものです。2015(平成27)年4月から2022(令和4)年10月まで374話を掲載してきま

  • 弘前ねぷた絵150 一枚の写真

    今回で150話となりました。きりがいいので、昔話です。長谷川達温師と門下これは先般、「長谷川流ねぷた塾玄龍庵」に持ちこまれた写真です。昭和51年頃、新聞社の求めに応じ先生の描いたねぷた鏡絵に彩色しているところです。種あかしすると、色付けしているようにポー

  • 弘前ねぷた絵374 ねぷた絵の研究42

    今回は、1990(平成2)年と1991(平成3)年に壽一先生が描いた最後の小栗山ねぷた愛好会のねぷたです。 1990(平成2)年は、水滸伝から「武松勇戦の図」です。この絵は、弘前市立

  • 弘前ねぷた絵373 ねぷた絵の研究41

    今回は、1988(昭和63)年と1989(平成元)年の小栗山ねぷた愛好会のねぷたです。最初は、水滸伝「九紋龍史進勇戦の図」です。水滸伝を画材としたねぷたでは、今更説明の必要がないほどポピュラーな絵です。

  • 弘前ねぷた絵372 ねぷた絵の研究40

    今回は、1983(昭和58)年の城北町会と1987(昭和62)年の小栗山ねぷた愛好会のねぷたです。 1983(昭和58)年の城北町会のねぷたは、三国志演義から「祝融夫人勇戦の図」です。以前も書きましたが、この絵の祝融夫人と剣を受けている王平との組合せは、

  • 弘前ねぷた絵371 ねぷた絵の研究39

    今回は、1983(昭和58)年の下湯口ねぷた愛好会と1986(昭和61)年の小栗山ねぷた愛好会です。題材は共に水滸伝「九紋龍史進 奮闘図」です。下湯口のねぷたは、当時流行りの必要以上に墨の線を太く強調した絵です。

  • 弘前ねぷた絵370 ねぷた絵の研究38

    今回からは、小栗山ねぷた愛好会のねぷたと他の団体を組み合わせてみていきます。 まず1985(昭和60)年の小栗山ねぷた愛好会のねぷたと1982(昭和57)年の愛成会のねぷたです。小栗山ねぷた愛好会は、三国志演義の「関羽 五関の危難を脱す」です。

  • 弘前ねぷた絵369 ねぷた絵の研究37

    壽一先生が描いた弘前医師会のねぷたの最終回で、2002(平成14)年とその翌年のねぷたです。2002年は、大阪夏の陣から「木村長門守重成勇戦の図」です。実際の運行時は「若き槍の又左衛門奮戦図」と題名がつけられていました。「槍の又左衛門」は、相当槍を

  • 弘前ねぷた絵368 ねぷた絵の研究36

    今回は、2000(平成12)年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。 2000年は、「源頼光 酒呑童子、龍の化身を撃つ」です。この絵に代表される「鬼退治」物は、2021年7月の307話で詳しく説明しています。「鬼」は「人間の化身」であって、角が生えて

  • 弘前ねぷた絵367 ねぷた絵の研究35

    「長谷川流ねぷた塾玄龍庵 塾生作品発表会」が7日まであったので、ブログを書く余裕がなく日曜日に予定していたブログをお休みしました。 今回は、1998(平成10)年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。初めは、秦の始皇帝が秦王だった頃の暗殺未遂事件を

  • 弘前ねぷた絵366 ねぷた絵の研究34

    今回は、1996(平成8)年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。  1996(平成8)年は、「日本武尊川上梟帥を誅す図」です。弘前医師会のねぷたは、数あるねぷたの中でもかなり大型

  • 弘前ねぷた絵365 ねぷた絵の研究33

    最初は私が運営している「長谷川流ねぷた塾玄龍庵」塾生作品発表会のことです。「玄龍」とは、長谷川達温先生の雅号で、ねぷた塾を開設する時に塾名に使わせていただいたものです。塾開設以来、多くの方から本当に先生の雅号なのか確認されていますが、弘前市駅前の「虹

  • 弘前ねぷた絵364 ねぷた絵の研究32

    今回は、1992年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。  1992(平成4)年のねぷたは、水滸伝から「九紋龍」です。 この絵は、壽一先生のオリジナルでないかなと思っていま

  • 弘前ねぷた絵363 ねぷた絵の研究31

    今回から長谷川壽一先生が描いた「弘前市医師会」のねぷたを見ていきます。弘前市医師会のねぷたは、長い間長谷川達温先生が描いておられましたが、達温先生が亡くなられた翌年の1990(平成2)年から壽一先生が引き継いでいます。今回は、1990年とその翌年のねぷた

  • 弘前ねぷた絵362 ねぷた絵の研究30

    今回まで長谷川壽一先生の「樹木ねぷた愛好会」をみてきましたが、最後の2002(平成14)年とその翌年のねぷたです。 2002(平成14)年は、関羽の千里行から「卞喜(べんき) 勢を伏せて関羽に鉄槌を投ずる図」(元絵の絵本通俗三国志の題名)です。 卞喜は、魏の五

  • 弘前ねぷた絵361 ねぷた絵の研究29

    このブログ358話で紹介した「かくは宮川の日めくりカレンダー」の台紙写真がみつかりました。津軽華子さま(当時)が、1964年8月に常陸宮殿下との結婚報告のため、弘前を訪れたときのものですが、かくはのねぷた絵の台紙はこんな感じでした。  今回は、長谷

  • 弘前ねぷた絵360 ねぷた絵の研究28

    さて今回は、長谷川壽一先生の1998(平成10)年とその翌年の「樹木ねぷた愛好会」ねぷたです。 壽一先生はこの2年、「津軽為信」を連続して描いています。最初は1998(平成10)年の「津軽為信出陣」です。 為信は、岩手県久慈市周辺の出身といわれ

  • 弘前ねぷた絵359 ねぷた絵の研究27

    今回は、長谷川壽一先生の1996(平成8)年とその翌年の「樹木ねぷた愛好会」ねぷたです。 最初は、1996(平成8)年の弘安の役志賀島の戦い「河野対馬守通有 元将を生捕る図」です。

  • 弘前ねぷた絵358 ねぷた絵の研究26

    今回は、長谷川壽一先生の1994(平成6)年とその翌年の「樹木ねぷた愛好会」ねぷたです。 最初は1994(平成6)年、水滸伝から「黒旋風李逵(こくせんぷうりき)奮闘の図」です。 黒旋風李逵については、少し古くなりますが2017年12月の108話で詳しく述

  • 弘前ねぷた絵357 ねぷた絵の研究25

    回は、長谷川壽一先生の1992(平成4)年から1993(平成5)年までの「樹木ねぷた愛好会」のねぷたです。三国志「趙雲勇戦の図」です。この絵は、2022年2月342話で説明しました。 見送りは袖絵に「鳳凰」、見送り絵に「西王母(せいおうぼ)」です。「

  • 弘前ねぷた絵356 ねぷた絵の研究24

    今回は、1990(平成2)年から1991(平成3)年までの「樹木ねぷた愛好会」のねぷたを見ていきます。鏡絵は、絵本通俗三国志「蜀将 傅僉(ふせん) 長城に奮戦する図」です。傅僉については、2021年2月275話で詳しく述べましたが、「蜀」末期の猛将の一人です

  • 弘前ねぷた絵355 ねぷた絵の研究23

    今回は、1987(昭和62)年から1989(平成元)年まで3年分の「樹木ねぷた愛好会」のねぷたを見ていきます。この期間のねぷたは、最近このブログで取り上げたものとほぼ一致するので、特異な点のみをピックアップして書くことにします。 最初は、1987(昭和6

  • 弘前ねぷた絵354 ねぷた絵の研究22

    今回は、1986(昭和61)年の「樹木ねぷた愛好会」の漢楚軍談「項羽勇戦之図」です。 この項羽の鏡絵は、題名が正しければ壽一先生のオリジナルだと思います。このねぷたの題名は「路上社の弘前ねぷた 昭和編」を参考にしましたが、題名が正しいかどうかは自信が

  • 弘前ねぷた絵353 ねぷた絵の研究21

    今回は、1985(昭和60)年の「樹木ねぷた愛好会」のねぷた「趙雲奮戦の図」です。とても珍しい鏡絵で、年が間違っていたらごめんなさいですが、昭和37年に竹森節堂先生が「大町町会」のねぷたに描いて以来の登場でなかったかと思います。 元絵は下のとおりで

  • 弘前ねぷた絵352 ねぷた絵の研究20

    今回は、1983(昭和58)年の三国志「張飛奮戦の図」です。この絵は、「城南ねぷた愛好会」のねぷた344話でもとりあげた、元絵が竹森節堂先生の絵です。竹森節堂先生この絵を描いた頃は、ねぷたの「ため」部分が少しとんがり気味だったのに対し、現代のねぷたの「

  • 弘前ねぷた絵351 ねぷた絵の研究19

    今回からは、長谷川壽一先生がねぷた絵師としてデビューしてから亡くなる迄23年間描き続けた「樹木ねぷた愛好会」のねぷたを見ていきます。 最初は、1981(昭和56)年のねぷたです。水滸伝から「黒旋風 李逵(りき)力闘の図」、見送り絵は題名がわからないので「

  • 弘前ねぷた絵350 ねぷた絵の研究18

    今回は、長谷川壽一先生の最晩年2001年から2003年の「城南ねぷた愛好会」ねぷたです。 最初は2001年(平成13年)、水滸伝から「黒旋風李逵(こくせんぷうりき)奮闘の図」です。この鏡絵は、竹森節堂先生の描いた下絵を基に描かれています。ところで。竹

  • 弘前ねぷた絵349 ねぷた絵の研究17

    今回は1999年(平成9年)とその翌年の長谷川壽一先生の「城南ねぷた愛好会」ねぷたです。 この年と翌年は共に、「九紋龍史進」が主役の鏡絵でした。九紋龍史進は、長谷川達温先生や壽一先生が好んでねぷた鏡絵に描きました。一度長谷川達温先生にこのことを直接

  • 弘前ねぷた絵348 ねぷた絵の研究16

    長谷川壽一先生の「城南ねぷた愛好会」のねぷた、今回は1997年(平成7年)とその翌年です。鏡絵は「趙雲 長坂坡(ちょうはんは)に奮戦の図」です。   長坂坡の戦いは、曹操に囲まれ絶体絶命のピンチに陥った劉備が、妻子を捨ててすたこらさっさと逃げ出したた

  • 弘前ねぷた絵347 ねぷた絵の研究15

    今回は、1996年(平成6年)の長谷川壽一先生の「城南ねぷた愛好会」です。水滸伝 花和尚奮戦の図この「歌川国芳」の花和尚を使った鏡絵の図柄は、主人公の周りのわき役たちを別として、昭和の結構早い時期からあったようです。花和尚の元絵 歌川国芳「水滸伝 花和

  • 弘前ねぷた絵271 アーカイブ達温ねぷた

    アーカイブ達温ねぷたこのブログ256話から「長谷川達温先生33回忌遺作展」の展示内容に沿って紹介を兼ねて話を進めてきましたが、本番の遺作展を来る9月6日から22日迄開催するので、今回でこの話題は一旦終了します。今回の遺作展は、私が取り仕切る最初で最後

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  • 弘前ねぷた絵270 花和尚魯智深

    水滸伝 花和尚魯智深 今回は、遺作展の話のラス前、水滸伝花和尚の話です。「何だ、花和尚か」と思うかもわかりませんが、鏡絵でなく見送り絵です。多分、花和尚の見送り絵といえば、元絵が「水滸伝絵本(北斎水滸伝)」の下の花和尚を想像する方(マニアックな方です

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  • 弘前ねぷた絵269

    今回は、「弘安の役 志賀島の戦 河野対馬守通有(こうのつしまのかみみちあり) 元将を生捕る図」です。この絵は文永・弘安の二度侵略を受けた「元寇」が題材です。昔の教科書では、元寇といえば突然元の軍船が来襲し、鎌倉御家人がそこそこ戦い、二度とも神風が吹い

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  • 弘前ねぷた絵268

    今回は、水滸伝から「武松 酔拳で蒋門神(しょうもんしん)を打つ(投げ捨てる)」という題の鏡絵の話です。これは、先生が1973年(昭和48年)東北電力の鏡絵に描いたものです。この絵は、勿論現物はありませんが、私が撮ったカラー写真と先生の下絵が残っていること等

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  • 弘前ねぷた絵267

    今回は、1971年(昭和46年)7月9日から15日に弘前市一番町の旧「角はデパート」6階ホールで開催された達温先生3度めの個展「長谷川達温 ネプタ絵展」の話しです。先生はこの個展で、ねぷたの鏡絵から一人をピックアップして作品化するという初めてのことに取組

    地域タグ:弘前市

  • 弘前ねぷた絵266

    長谷川達温先生遺作展の話を続けています。今回は、玉巵(ぎょくし)の話です。玉巵とは本来、玉のように美しい盃をいうようですが、ねぷた絵の世界では有名な仙女「太真王夫人(だいしんおうふじん)」の幼名と言ったほうがわかり易いかと思います。これは、本名は玉巵なの

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  • 弘前ねぷた絵265

    今回は、1967年(昭和42年)1月12日から16日にかけて、弘前市一番町の旧田中屋のホールで開催された「長谷川達温 ネプタ金彩見送色紙展」の話しです。達温先生は、個展を3回、ねぷた絵展(ローを付けた通常のねぷた見送り絵等)を数回開いています。個展は、そ

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  • 弘前ねぷた絵264

    時々脱線していますが、概ね達温先生の33回忌遺作展のコース順に話を進めています。今回はねぷたと仏画です。現在のねぷたは誰でも,どこの団体でも自由にねぷたに仏画を取り入れています。単におどろおどろしさを出したいがための仏画らしいものは、いかがなものかと

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  • 弘前ねぷた絵263

    今回も長谷川達温先生33回忌遺作展の展示内容の紹介で、日本武尊(やまとたけるのみこと)の続きです。この日本武尊の組み絵は、2人絵の鏡絵として達温師が好んで描いた最もポピュラーな絵の一つです。少し見にくいのですが、先生が鉛筆で描いたねぷたの下絵が残っている

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  • 弘前ねぷた絵262

    前話の続きで、マニアックな話しです。ねぷたの世界では、呉越軍談の「伍子胥(ごししょ)・豫譲(よじょう)・項羽・秦の始皇帝」や三国志の「劉備・関羽・張飛・曹操・孫権」、水滸伝の「宋江」達が同時代の人物のように描かれていますが、それぞれ活躍した時代は全く異なり

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  • 弘前ねぷた絵261 日本武尊

    今回と次回は、日本史からみるねぷたの登場人物たちです。 私が高校生の頃の日本史年表では、512年大連の大伴金村が賄賂を受け取って任那4郡を百済に割譲したという日本初の汚職事件の前後あたりから細かく書かれており、その前の時代は空白かあっても脈絡がない極

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  • 弘前ねぷた絵260

    今回は長寧公主(ちょうねいこうしゅ)です。9月6日から開催する「達温先生遺作展」の順路に従いながら話を進めています。途中の脱線はご容赦下さい。長寧公主は、『唐詩選』のなかの李嶠(りきょう)という作者の「長寧公主東荘侍宴応制」と題する五言律詩に登場します

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  • 弘前ねぷた絵259

    前話258話で紹介するのを忘れた、吉村和夫氏の追加の紹介文からです。吉村氏は1927年(昭和2年)生れで弘前市立図書館長等を歴任しました。1972年(昭和47年)から5年ほど陸奥新報に「つがる巷談」を連載した方(これでピンとくる方が多いと思います)です。

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  • 弘前ねぷた絵258

    9月6日から予定しているアーカイブ「達温ねぷた」について書いています。 各論に入る前に、今回は両長谷川先生についてまとめてみようと思います。長谷川達温先生は、戦後間もない1950年(昭和25年)にねぷた絵師として本格デビューし、以来平成元年に亡くなる

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  • 弘前ねぷた絵257

    早速ですが、前回お知らせしたイベント名に一部変更があるので訂正・紹介します。長谷川達温先生33回忌遺作展 併せて 長谷川壽一先生17回忌遺作展 アーカイブ「達温ねぷた」としました。変更したポスターは次の通りです。    アーカイブ (Archive

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  • 弘前ねぷた絵256

    約4カ月ですがコロナ禍でお休みしていました。今日からまた復活します。この4カ月間、私の予定していたものは、ほぼ全てコロナで中止になりました。弘前桜まつりや弘前ねぷた祭りでも中止なのですから、私の予定の中止なんぞ当たり前だと思っています。 そんな中、

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  • 弘前ねぷた絵255

    3月3日は、桃の節句、お雛様の日まで一週間をきりました。娘が小さい頃は、お嫁に行きそびれるとかなんとか言われ、3月3日の夜はひたすらお雛様を片付けた記憶があります。節句とは、ウィキペディア(Wikipedia)によると「伝統的な年中行事を行う季節の節目となる日

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  • 弘前ねぷた絵254

    今回は、津軽デジタル風土記のねぷた絵紹介の最終話、文化12年(1815年)に刊行された小枝繁(さえだしげる)作、葛飾北斎挿絵の「小栗外伝」から「白糸姫」です。 物語のキャプションは何時もの通り、国文研の木越先生です。 白糸姫は、善政を施す城主・結城持

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  • 弘前ねぷた絵253

    今回は、文化4〜8年(1807〜1811年)に刊行された曲亭馬琴作、葛飾北斎挿絵の「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」から「寧王女(ねいわんにょ)」です。 物語のキャプションは何時もの通り、国文研の木越先生です。寧王女(は、琉球王・尚寧王の王女。主人公

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  • 弘前ねぷた絵252

    今回は、文化4年(1807年)に刊行された曲亭馬琴作、葛飾北斎挿絵の「標注園の雪(ひょうちゅうそののゆき)」から「薄雪姫」です。 物語のキャプションは何時もの通り、国文研の木越先生です。 薄雪姫は、小野秋光と玉の方の娘・虚子(うろこ)の通称。清水寺に

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  • 弘前ねぷた絵251

    今回は、文化3年(1806年)に刊行された山東京伝作、歌川豊国挿絵の「善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)」から「光滝夜叉(たきやしゃ)姫」です。この物語は、平将門の子良門と滝夜叉姫が、妖術をもって父の遺志を果たそうと暗躍する復讐物語です。 挿絵

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  • 弘前ねぷた絵250

    250話目の今回は、文化元年(1804年)に刊行された高井蘭山作、蹄斎北馬挿絵の「絵本三国妖婦伝」から「光明皇后(こうみょうこうごう)」です。 光明皇后は、聖武天皇の皇后です。聖武天皇は、第四十五代天皇で、文武天皇の子。母は太政大臣正一位の藤原不比等(ふ

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  • 弘前ねぷた絵249

    今回は、文化5年(1808年)刊行の高井蘭山作、蹄斎北馬(ていさいほくば)挿絵の「孝子嫩(ふたば)物語」から菅根(すがね)です。作者の高井蘭山は、江戸後期の読本作者です。以前紹介した松嶋局や貞女賎機(しずはた)の星月夜顕晦録(ほしづくよけんかいろく)」や「絵本三

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  • 弘前ねぷた絵248

    先ほど、3月15日午後1時から弘前大学で開催される-文献観光資源学「津軽デジタル風土記の構築」プロジェクト成果報告会-のチラシをもらいました。いよいよ近づいてきました。さて今回は、 文化8年(1811年)刊行の感和亭鬼武(かんわていおにたけ)作、浅山蘆国(あさ

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  • 弘前ねぷた絵247

    いよいよ津軽デジタル風土記も仕上げの時期が近づいてきたようで、来月15日に風土記のフォーラムが弘前大学で開催されます。まだ紹介していない絵があるので急ぎます。1日に2話アップロードすることもあります。さて今回は、 文化4年(1807年)刊行の曲亭馬琴作、葛

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  • 弘前ねぷた絵246

    今世界中、中国武漢発の新型コロナウイルス対策で大変な事態となっています。今回は、その「武漢」周辺が三国志とかなり関係が深い地域なので、その話をします。武漢は、長江(揚子江)とその最大の支流漢江の合流点に位置する大都市で、少し前に民主化で燃えに燃えていた

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  • 弘前ねぷた絵245

    今回は、文化5年(1808年)に刊行された振鷺亭(しんろてい)作、北斎弟子の蹄斎北馬(ていさいほくば)挿絵の千代囊媛七変化物語(ちよのうひめ しちへんげものがたり)です。作者の振鷺亭の本名は猪狩貞居(いかりていきょ)といって、絵は鳥居清長に習い、寛政から文化期

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  • 弘前ねぷた絵244

     今回は、文化3年(1806年)に刊行された小枝繁(さえだしげる)作、葛飾北斎挿絵の絵本璧落穂(たまのおちぼ)から「貞子」です。作者の小枝繁は、幕臣から御三家定府の水戸徳川家付となり江戸に居住しました。当時のベストセラー作家の山東京伝(さんとうきょうでん)

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  • 弘前ねぷた絵243

    今回は、文化4年(1807年)に刊行された感和亭鬼武作、蹄斎(ていさい)北馬(ほくば挿絵の「自来也説話 後編」から「環(たまき)」です。感和亭鬼武(かんわてい おにたけ)は、幕府代官の手代から一橋家御家人の名跡を継ぎ、隠居して戯作を専業としました。山東京山や滝沢

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  • 弘前ねぷた絵242

    2020年最初のブログは、津軽デジタル風土記作品から、文化5年(1808年)に刊行された曲亭(滝沢)馬琴作、葛飾北斎挿絵の「頼豪(らいごう)阿闍梨(あじゃり)恠鼠伝(かいそでん)」の「葎戸(むぐらど)」です。この絵は、このプロジェクトの発表会ポスターに採用して頂き

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  • 弘前ねぷた絵241

    2019年最後のブログ更新です。今回は、文化7年(1810年)に刊行された振鷺亭作、葛飾北斎挿絵の「阥阦(おんよう)妹背山(いもせやま)」から「狭高(さたか)」です。この読本は、題名の読み方からわかりませんでした。一番調べに時間がかかった作品です。作者の振

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  • 弘前ねぷた絵240

    今回は、文化5年(1808年)に刊行された滝沢馬琴作、歌川豊広挿絵の「松浦佐用媛石魂録(まつらさよひめせきこんろく)」から「佐用媛」です。またまた馬琴です。知っているつもりでしたが、今回のプロジェクトに参加して改めて滝沢馬琴の偉大さに驚いています。よくぞ数多

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  • 弘前ねぷた絵239 下絵販売の決め事

    今回は、私「川村岩山」の所有するねぷた下絵をカラーコピーしA3版で販売するための決め事です。 サービス名「ねぷた下絵コピーサービス」とします。このサービスでお買い上げいただいたねぷた下絵をご自分でねぷた絵にするなどの使用方法や加工等は自由です。 購入方法ネ

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  • 弘前ねぷた絵238

    今回は、弘化4年(1847年)刊行、滝沢馬琴作の女郎花五色石台(おみなえしごしきせきだい)から烈女 唐糸(れつじょ からいと)、挿絵は歌川国貞です。 歌川国貞(三世豊国)は、歌川豊国(初世)に入門、才能を認められ小説挿絵を多く手がけ、やがて役者絵・美人画で

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  • 弘前ねぷた絵237

    今回も文化化5、6年(1808・9年)刊行、滝沢馬琴作の「寛僧都嶋物語(しゅんかんそうずしまものがたり)から「安良子(やすらこ)」です。挿絵は歌川豊広です。 安良子門田の案山四郎(かかしろう)の娘。俊寛の侍女であり、その郎党・蟻王の妻となり、夫と行動をともにし

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  • 弘前ねぷた絵236

    津軽デジタル風土記のプロジェクトを紹介しています。今回は、文化化5、6年(1808・9年)刊行、滝沢馬琴作の「寛僧都嶋物語(しゅんかんそうずしまものがたり)から「舞鶴姫(まいづるひめ)」です。なお、各キャプションは国文研の木越先生です。 この本の挿絵は、歌川

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  • 弘前ねぷた絵235

    今回は、文化2年(1805年)に刊行された滝沢馬琴作の「石言遺響(せきげんいきょう)」から2題、「兇婦 鏨(きょうふ たがね)」と「清道禅尼(せいどうぜんに)」です。挿絵は北斎門人の蹄斎北馬(ていさい ほくば)、19世紀前半を通して、狂歌絵本・摺物等を多く手がけ

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  • 弘前ねぷた絵234

    今回は、前話に引続き文化5年(1808年)に刊行された芍薬亭長根(しゃくやくていながね)作の「国字(おんなもじ)鵺(ぬえ)物語」から「妖婦 菖蒲(あやめ)」です。挿絵は、葛飾北斎です。 なお、登場人物等のキャプションは何時ものとおり、国文学研究所の木越准教授です

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  • 弘前ねぷた絵233

    今回は、文化5年(1808年)に刊行された芍薬亭長根(しゃくやくていながね)作の「国字(おんなもじ)鵺(ぬえ)物語」から「韓衣(からぎぬ)」です。挿絵は、葛飾北斎です。 今回のプロジェクトの中で「なんて字が読めないんだ」と最高に感じた一作です。私には国字がなぜお

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  • 弘前ねぷた絵232

    今回は、文化6年(1809年)に刊行された梅暮里(うめぼり)谷峨(こくが)作、葛飾北斎挿絵の「山桝太夫栄枯物語(さんしょうだゆうえいこものがたり)」から「妖婦 梢(ようふ こずえ)」です。聞きなれませんが、作者の梅暮里谷峨は、江戸時代中期から後期の戯作者です。他の

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