俺の世界史ブログ
住所
船橋市
出身
越谷市
ハンドル名
俺の世界史ブログさん
ブログタイトル
俺の世界史ブログ
ブログURL
https://www.myworldhistoryblog.com/
ブログ紹介文
世界史専門っぽいブログ!
自由文
-
更新頻度(1年)

488回 / 238日(平均14.4回/週)

ブログ村参加:2017/08/06

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俺の世界史ブログさんのブログ記事

  • 人類史の転換点!フランス革命をできるだけ詳しく、できるだけ簡単にまとめさせてもらう!

    どの世界史の教科書でも、フランス革命に関するページは特に厚く書かれている。にも拘わらずほとんどの人はフランス革命がどのような革命であったのかがよく分からないまま大人になったのではないだろうか。 広大な世界の歴史をわずか1年という期間で学ぶのには無理があって、それでもエッセンスを集めた結果今の教科書になった。 そしてエッセンスだけを記載した結果重要な用語だけが無味乾燥に並んだ教科書が出来上がる訳だが、今回は人類史の転換点ともいえるフランス革命について教科書より少しだけ詳しく記述したいと思う。 ちなみに受験生用「フランス革命」の記事はこちら。 www.myworldhistoryblog.com

  • 悪女?悲劇のヒロイン?革命期を生きたフランス王妃マリー・アントワネット

    「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」 フランス革命の登場人物の中でも圧倒的に有名なのがルイ16世の妃であるマリー・アントワネットであろう。 恐ろしいほど現実離れしており、恐ろしいほど短絡的で、フランス革命を引き起こした犯人であり、そして悲劇のヒロインでもある。 どれだけ時代が流れても、マリー・アントワネットの伝説は語り継がれることになるだろう。

  • フランス革命3大指導者の1人!ジョルジュ・ジャック・ダントン

    フランス革命には、3大指導者と言われる人物たちがいる。 ジョルジュ・ダントンはそう言った人物の一人である。

  • ロベスピエールの推進した恐怖政治からテルミドール9日のクーデターまで~フランス革命は完全に正義を失った~

    「テロリズム」というと現在ではイスラム過激派を思い浮かべる人が多いし、ロシアで横行した手法、あるいは南米で繰り返される凶行を想像する人も多いことと思う。しかしその発端はフランス革命期にロベスピエール率いるジャコバン派が扇動した「恐怖政治」にある。

  • 世界史上最も正当性のない処刑!王妹エリザベートの悲運な生涯と革命の失敗

    「フランス革命」とは一体なにだったのだろうか? 一般的には王政が打倒され、民衆が政治を握った出来事、主権が国王から国民に移った歴史的出来事と認識される。 しかしフランス革命がそのような綺麗にまとめられるような出来事ではないのは周知の通りだ。フランス革命においては人の醜い面、狂騒、狂気、集団真理、あらゆる負の面が表に出た事件でもあった。 中でも王妹エリザベートの処刑に関しては如何にフランス革命がその意義を見失っていたかがわかる事件である。

  • ルイ16世の処刑はなぜ行われたのか?~愛ゆえに死んだ国王、そしてフランス革命は暴走する~

    名誉革命、アメリカ独立戦争と共に世界三大革命と呼ばれるフランス革命であるが、他の2つの革命と決定的に違うのは国王が処刑された点である。 フランス革命の発端を考える時、ルイ16世が開いた「三部会」がその始まりと言える。ルイ16世はいわば改革派の国王であり、自らが推進した改革によって最終的には処刑されてしまったのだから皮肉と言えるかも知れない。

  • 国王一家処刑の直接契機となったヴァレンヌ逃亡事件~そしてフランス革命は動き出した~

    フランス革命が清教徒革命や名誉革命と言ったイギリス革命と大きく違う点がある。それは最終的には王政が倒れたことである。 ある意味王政が倒れたのは清教徒革命が初と言えるかも知れないが、クロムウェル亡き後すぐに王政が復古した。そしてそのままイギリスは今も王政が復古している。 どこまでをフランス革命とするかは難しいところだが、7月革命や2月革命などを含めて考えた場合、フランスの王政は妥当されることになる。 フランス革命も実は当初名誉革命同様穏健な革命になるはずだった。しかしヴァスティーユ監獄襲撃以来民衆は暴力的になった。血も流れた。もはや血の流れない「栄光ある革命」は成就し得なくなった。 www.my…

  • バスチーユ監獄襲撃と陥落について!なぜパリ市民はバスチーユを襲ったのか?~フランス革命序章~

    現代社会に今なお影響を与え続けているのが1789年に起こった「フランス革命」である。 革命が成就した背景には力を持っていた貴族や諸侯が早々にフランスから逃げ出したことが大きいが、なぜそのような事態になってしまったのか? その答えはバスチーユ監獄が陥落したからである。

  • ドイツ帝国の建国者!最強の鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルク

    19世紀は激動の世紀であった。 世界各地で革命が起こり、世界中で帝国主義が猛威を振るい、超大国である中国が欧米列強によって支配されるという欧米優位の世界が誕生した訳であるが、その長い19世紀において、前半の主役はナポレオン、後半の主役はビスマルクということができるだろう。 www.myworldhistoryblog.com 19世紀はナポレオンに始まりビスマルクに終わったと言っても過言ではない。

  • 英国国教会を作ったイングランド王ヘンリー8世

    どの国の歴史にも「転換点」となるような人物が存在している。 イギリスの歴史においてはやはりヘンリー8世の時代が転換点だったのではないかと思う。

  • 第二次世界大戦時のイギリス王!キングジョージⅥ世

    競走馬の世界において、フランスの凱旋門賞と並ぶ世界最高峰のレースに「キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS」というレースがある。 全てのホースマンにとっての永遠のあこがれで、その栄光を目指して世界中から名馬たちが参戦し、しのぎを削るそのレースを、日本の馬は未だに制したことがない。 そんな大レースの名前の由来となったのがキングジョージⅥ世ことイギリス王ジョージ6世な訳だが、彼は生まれつき吃音を患っており、かつ長男ではなく次男であったために本来王になる人物ではなかった。 今回は「英国王のスピーチ」の元にもなったイギリスの歴史を代表する王について見て行こう。

  • 世紀の恋!王座よりも女性を取ったイギリス国王エドワード8世

    イギリスの歴史には、4人生前に退位をした国王がいる。そのうち3人は陰謀により退位させられた形であったが、唯一自分の意思で退位したのが今回の主役エドワード8世である。 彼は恋の為に退位した。 王座を賭けた恋。 こう書くとロマンチックに見えるが、実際のところはどうであっただろう。

  • 世界史上最強馬ランキングベスト100~天国のディープインパクトに捧ぐ~

    2019年7月30日、ディープインパクトが亡くなった。 丁度ディープインパクトが活躍していたころ、私は大学生で中山競馬場でアルバイトをしていた。だからその期間に何度もディープインパクトをこの目で見たし、やっぱりディープインパクトの存在感は今までのどの馬とも違った。 本当に強い馬だったし、本当にスターホースだったと思う。 この記事はディープインパクトが亡くなる前から書き始めていたので、なんというか、言いようもない何かを感じた。ちょうどこのような記事を書いている時にディープインパクトが亡くなったことには何か意味があるような、そんな気がしたのだ。 だから副題を「天国のディープインパクトに捧ぐ」とした…

  • コストなんて考えてたら記事なんて書けねぇよ!それはしたいからするのであってそれ以上でもそれ以下でもないんだよ

    明日は月に一度の「ベスト100シリーズ」の公表日である。 特にいつ公開するかは決まっていないが、今月は明日8/10に公開する。 例によってまだ出来上がっていないし、今の段階で既に60000文字を越えた。

  • ナチスの暗号エニグマを解読した男!アラン・チューリングの数奇な運命について

    ナチスドイツの暗号「エニグマ」の解読に成功したと言われているのが「イミテーションゲーム」という映画のモデルにもなったアラン・チューリングという人物だと言われている。

  • イオンカードを4年使ったので魅力や問題点、評判や口コミ、審査などについて一気に述べたいと思う

    イオンカードを使い始めて4年目になりましたので、個人的な感想などを述べてみたいと思います。 イオンカードを使っている感想 イオンカードの評判・口コミ 比較的に早くWAONポイントが貯まります 家計的にも助かります お客様感謝デーの際のポイントアップキャンペーンが月に2度あるのはうれしいです イオンカードの問題点(短所・デメリット) イオンカードの魅力(長所・魅力) 「WAONポイント」と「ときめきポイント」及び「WAON」の違い イオンカードの審査について イオンカード審査通過スコアリングを公表 イオンカード、イオンカードセレクト、イオンカード(WAON一体型)一体どれが一番お得?

  • 魏国初代皇帝!曹丕

    三国志とは元来魏の建国から始まり晋が再び中国を統一するまでの期間をさす歴史である。 しかし三国志演義をはじめ三国志の始まりは184年に起きた黄巾の乱からであり、魏の建国は実質的な三国志演義の終わりを示す。 曹操が死に、曹丕が魏国皇帝となったのが220年。その年から5年以内に三国志演義の英雄たちは次々と亡くなっていくのだから仕方がないのかも知れない。 今回は三国志を始めた人物でもあり魏を建国した初代皇帝文帝こと曹丕について見て行こう。

  • 1688年に起きたイギリスの名誉革命について!権利の章典の内容と共に解説

    「名誉革命」が載っていない歴史の教科書はない。歴史だけでなく、政治経済の教科書にもないであろう。

  • 名誉革命を引き起こしたイギリス王ジェームズ二世、その評価と功績とは?

    清教徒革命の結果、王政は復古し、イギリスは再びステュワート家を王家とする王政が復活した。 王位についたチャールズ二世は「怠惰王」と呼ばれながらも議会のやることにはあまり口出しをせず、一応は議会とうまくやっていた。 そんなチャールズ二世は1685年に亡くなった。 歴史が、また動き出した。

  • 英雄か?独裁者か?清教徒革命の指導者オリバー・クロムウェル

    世界史上、その評価が揺れる人物は多いが、清教徒革命の中心人物となったオリバー・クロムウェルはその代表とも言える。

  • 怠惰王(Lazy king)と呼ばれたイギリス王チャールズ二世

    清教徒革命あるいは三王国戦争が終わるとイギリスに王政が復活した。 www.myworldhistoryblog.com 復活したのはチャールズ一世とルイ13世の妹ヘンリエッタ・マリアの子チャールズで、彼は即位するとチャールズ2世を名乗るのであった。

  • 1642年に起きた清教徒革命(ピューリタン革命・三王国戦争)についてどこよりもわかりやすく解説!

    中学校や高校の歴史の授業で出てくる「清教徒革命」ですが、用語は知っていても内容はよく分かっていないという方も多いのではないでしょうか? それもそのはず、清教徒革命、別名三王国戦争はイギリス特有の用語や概念などを理解していないとよく分からない部分が多く、中学校で習う部分だけで理解するのは不可能なのです。 という訳で今回は中学生はもちろん「清教徒革命」ってよく分からないなぁという方に向けて解説記事を書かせていただければと思いますのでよろしくお願いいたします。

  • 三王国戦争を引き起こし、最終的に処刑されてしまったイギリス王「チャールズ一世」

    世界史上の出来事が中学校の歴史に乗ることはあまりないが、その数少ない例外がチャールズ一世の時代に起きた清教徒革命であろう。 今回はピューリタン革命で処刑されてしまったチャールズ一世の生涯について見て行きたいと思う。

  • ステュワート朝初代国王ジェームズ一世

    エリザベス女王は生涯結婚もせぬまま死んだ。そのためテューダー朝はここに断絶し、テューダー朝の開祖ヘンリー七世の系譜に連なるスコットランド王ジェームズ6世が新たにイングランド国王ジェームズ1世として就任することになった。 「イギリス」としてみるとイングランドとスコットランドは同じ国に見えるが、両国が併合されるのは17世紀前半のことで、この時はまだ別の国であった。 そのためこの時はまだ「イギリス」ではなくイングランド・スコットランドパーソナルユニオン(同君連合)という呼び方が正しい。

  • 時代に翻弄されたスコットランド女王メアリー・ステュアート

    テューダー朝最後の君主エリザベス一世が死ぬとイングランドの王家はステュアート家が代々継ぐようになり、ここにステュアート朝が誕生するようになる。 ステュアート朝の初代国王はジェームズ一世であるが、その母親であるメアリー・ステュワートはエリザベス一世によって処刑されている。

  • フランシス・ドレーク~世界一周を果たし母国を勝利へと導いた歴史的な海賊~

    海賊が英雄になる、というのは珍妙な話だが確かに世界史にはそういった例がある。 中でもオスマン帝国海軍提督としてプレヴェザの戦いを勝利に導いたバルバロス・ハイレッディンとアルマダ海戦に副官として参加したフランシス・ドレークの二人は国家的な英雄として現代まで語り継がれる伝説となっているほどだ。

  • アルマダ海戦~イギリスがスペイン無敵艦隊を破り世界の歴史を変えた一戦~

    世界の歴史を変えてしまった戦い。 確かにそう言える戦いが世界史には存在している。 1588年イングランドとスペインの間に起きたアルマダ海戦はそういった戦いの一つだと言えるだろう。 最強と言われたオスマン帝国は16世紀前半においてプレヴェザの戦いにおいてスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の軍を打ち破ったが、16世紀後半においてスペインはオスマン帝国海軍を1571年に起きたレパントの戦いで破ることに成功した。 www.myworldhistoryblog.com このことからスペインの艦隊は「Armada Invencible(日本ではこれを無敵艦隊と訳した)」と呼ばれるようになり、大西洋及び地中…

  • エリザベス1世~グロリアーナと呼ばれたテューダー朝最後のフェアリー・クイーン~

    イギリスの歴史はもちろん、世界の歴史においてエリザベス女王の果たした役割は大きい。 現在では世界で10億人を越える人間が英語を話し、学術や医学、インターネット上の事実上の公用語として機能しているが、エリザベス女王の存在がなければそうはなっておらず、もしかしたらその座はスペイン語が占めていたかも知れない。

  • 私掠船(Privateer)~ワンピースの七武海のモデルともなり、大英帝国の発展を支えた海賊たち~

    世界史の中でも特にイギリス史を特異なものにしているのが16世紀から18世紀初頭まで存在していた「私掠船(Privateer)」の存在であろう。

  • 最強最後の大海賊ブラックバート!バーソロミュー・ロバーツ

    スペインの新大陸入植以来カリブの海賊たちはイギリス王室の後ろ盾のもとにその春を謳歌した。 あらゆる物事に始まりと終わりがあるように、そのような大海賊時代も終わりを告げる。 海賊たちが一人、また一人と消えていく中で、最後の登場した大海賊がいた。 黒き男爵と呼ばれ厳格な掟のもと無法者たちをまとめ上げたその海賊の名はバーソロミュー・ロバーツ。 歴史は彼のことを最強最後の大海賊と呼ぶ。