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三上篤さんのプロフィール

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断章
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https://mikamiatsushi.hatenablog.com
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思想、哲学、信仰について。
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113回 / 348日(平均2.3回/週)

ブログ村参加:2017/07/29

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三上篤さんの新着記事

1件〜30件

  • 恥ずかしいという言葉が恥ずかしい

    恥ずかしいという言葉が恥ずかしい。その根源は何かと考えてみると、「耳」は「目」より原始的だということではないだろうか。それでも、敢えて恥ずかしいという言葉を使うと、恥ずかしいこととは無いことに責任を持つことではないかと思う。恥に向き合うこと。それが真の「恥の文化」ではないだおるか。自己言及のパラドックスが友好活用されるということがあり得る。クレタ人は嘘つきだというクレタ人に、こう言える。必ず嘘をつく者は真の嘘つきではないと。

  • 失敗したということは認めたくないものだ

    失敗したということは認めたくないものだ。しかし、認めてしまうと案外大したことではなかったりすることがあると思う。そして、失敗したということを認めることで強くなれる。新しい自分になれる。それは解消される。無意識の力でもある。無意識を信じるのは無責任かもしれないが、そういうことがあると思う。矛盾を恐れてはいけない。矛盾は存在しない。存在しないものを恐れるのは自然なことであるかもしれないが。失敗したと言える自分でありたい。そして、失敗とは何よりも被抑圧的であることだと思う。

  • 言葉だけが真理を突く

    言葉だけが真理を突くということがある。ヴィトゲンシュタインは「問題は無い」と言ったが、このことは真理を突いており、まさに、問題は「無い」だったわけだ。「無い」ということが問題だったのである。「無い」ということを巡って当時の哲学者、数学者は格闘していたわけである。

  • のび太とコンフィデンス

    人は誰でも心にのび太的な自分を持っており、それはコンフィデンスのない自分だ。コンフィデンスのない自分は事を上手く運ぶことができない。しかし、コンフィデンスのない自分に仕事を任せることによって、自分の弱い部分を成長させることができる。そのことは大切なことであり、人生のテーマの一つであると言っても過言ではない。それは自分のウィークポイントを消すということである。そうすると、その主体の総体としてのパフォーマンスも上がるというわけである。

  • スマホのガチャゲームの隆盛

    スマホのガチャゲームの隆盛は、あれに似ているような気がする。草食系男子。金がある者が強いだとか、年長の者が強いだとか、そういうところが。PCのゲームでは、時間を費やした者が強くて、よく廃人だとか言われていたものだ。それよりはましなのかもしれない。しかし、実際、スポーツであれ、学問であれ、成功する人は多大な時間を費やしているのだから、どちらがリアルなのかというと後者なのだろう。しかし、遊びとして考えると、一つのスキームを考えたらあとは自動化されている方が楽でいい。発想の勝負というか。そういうゲームが今後流行するのではないだろうか。

  • 形だけの哲学者

    ニーチェは嫉妬を乗り越えよみたいなことを言っていたらしいが、それを読んだ読者は形だけそれを達成したかのようになりがちで、そういう形だけの哲学者を生むことは哲学書の悪だと思う。数学では形だけであろうが正しければそれは一つの正義である。しかし、体系的に理論を形成していなければ、経験的に言って正しい推論を行うことはむずかしいのではあるが。形だけニーチェだとか、形だけカントだとか、形だけプラトンだとか、そのような人たちで溢れる社会は嫌かもしれない。だから、哲学書はあまり読まれないのかもしれない。しかし、形はいずれ内実を伴う。そのような反論はあり得るかもしれない。しかし、ここで語られた形はそういうもので…

  • 社会は暴走するか

    戦争の時など、よく社会が暴走するだとか言うが、社会は暴走するのではなくそういうものなのだと思う。陸軍の暴走だとか言うが、そもそもそういうものだったのだろうと思う。自分と似たような人間ばかりで社会は構成されているのではなくて、本当に多種多様だから、そういう要素は社会にあるのだと思う。戦後に自衛隊を派遣したことがあったと思うが、それももし戦争に負けていたら暴走と言われていただろうし。問題の一つは、人は功を成したい生物であって、それを制することは社会にとって有益であろうかということだと思う。それは向上心にもつながるし。あなたにできることはないと言われ続ける人生も辛いだろう。正しい目標を正しい人間が与…

  • 何でもできるということは何もできないということができないから矛盾している

    それとも何もできないということもできるのだろうか。むずかしい。これはある種の一神教の否定につながるかもしれない。なぜなら、一神教の神は全知全能であることが標準だからだ。

  • 感受性が高いと詩が書けない

    感受性が高いと詩を読む能力は高いが、かえって詩が書けないのではないかと思った。そういうこともあるかもしれない。しかし、詩というものは読み手と書き手のどちら側にあるかと言えば、どちらとも言えるかもしれないが、読み手の方にこそあると言って良いのではないかと思う。そうすると、感受性が高いということは素晴らしいことだと言えると思う。そういう受け手の逆転性というもがあると思う。

  • 負けるが勝ち

    負けるが勝ちということがある。弱さの中に強さがあるということがある。それはワインやチーズのよう。それらも第一義的にはある種の負けだと思う。負けを知ると人生に深みが出る。しかし、こう思うかもしれない。浅いということが時に深いということがあると。これはある種の堂々巡りだ。しかし、それもあり得るかもしれない。それでも否定されないものは多分、善だろう。すべては巡り巡ってそこに行き着くのではないだろうか。

  • 理論武装

    昔、理論武装という言葉があった。最近でもあるのかもしれない。この言葉が不思議なのは、知識のある者がそのことを卑下しているようであるからだ。理論武装ってあんまり褒め言葉ではないと思う。理論武装。不思議な言葉だ。理論は戦うためのものなのか。違うだろうが。しかし、あんまりはっきり違うとも言えない気がする。この言葉はどこから出てきたのだろう。もし、その主体が科学者であれば、その武装は何に対してのものなのだろう。そういう場合はこの言葉は使えないのかな。

  • 言葉は未来をつくる

    言葉は真理を描写する。それは間違いではないかもしれないが、その考え方は言葉は現在的であるという考え方である。一方で、言葉は未来をつくるという考え方もある。言葉を発するという行為が未来をつくる。その言葉の効果によって未来が変わる。普段からよい言葉の使い方をしていなければ、よい未来は築けないのかもしれない。言葉をきれいにすること。それが素晴らしい未来をつくることにつながる。言葉は描写する道具ではあるが、同時に未来へ効果する道具なのだと思う。

  • 人間の本質は悪 2

    この世は持てる者が与えるのみである。持たざる者は皆、悪である。哲学者は知っているという悪を言うし、科学者は世界は科学的だと偽る悪を言う。優れている人たちでさえそうなのだから、そうではない人々は尚更である。そして、金がまさにそうである。偽るということは本性を隠すということであり、身を守る方法としてはとても真っ当なものである。この悪はなかなかやめられない。それだけ世界は危険だからである。皆、痛みを抱えて生きている。偽ることを半ば肯定的に傾くと言うことがある。それはある種の救いである。その悪を受け入れるという寛大な心である。人は傾きながら生きていく。そう考えると非常に平等だからである。ただ、本当に優…

  • いやなやつ

    いやなやつとは何か。相手の不利益を自分の利益と考え、それでいて正直にそのことを言わないもの、これがいやなやつではないだろうか。他にもあるかもしれないが。それでは、そのようないやなやつに勝利する方法は何かというと、そのようないやなやつにそのような者であると発話させることではないだろうか。改心させることだと考える者はいるかもしれないが、それは本質的ではないと思う。それは確かに勝利だが、ある意味では厳しすぎる。いやなやつをいやなやつであると明らかにすること、これ以上の勝利はないと思う。

  • 底が知れる

    底が知れるという言葉があるが、底は知れてもいいと思う。それよりも、底を見せないで大したものを持っていないということの方が問題だ。そういう人間は害である。底が知れないから人々を魅了するが、何にもならない。そういう人間。それよりも底が知れる人間の方が健全だ。むしろ人は底が知れてからが勝負であるという風にも思う。底が知れる人間は信頼できる。底が知れるということにも良い面があるということ。

  • 物事の裏を読む

    社畜という言葉が流行るのは、社畜になりたい人がいるからであり、自己責任という言葉が流行るのは、責任を放棄したい人がいるからだと思う。言説には効果というものがあって、それを計算している人がたくさんある。そこでは、真実というものはないがしろにされている。その効果が真実である。それではこの言説の裏は何かというと、それはあまりないと思う。正しいことを言って、正しいことを言ったと考えられたい。ほとんどそれだけのことだ。

  • 嘘をつくのが苦手な役者

    嘘をつくのが苦手な役者というカテゴリーがあると思う。あまり演劇、映画、ドラマに興味があるわけではないが、そのような役者を散見する。人は嘘をつくのが上手い役者にあまり興味を持てないようだ。そのような役者は一流扱いされない傾向があると思う。誰もだまされたくはないのだ。役者にはそこで感じたすべてのことを表現してほしい。嘘をつくのが下手だが演技をしなければならないという矛盾。そのような矛盾に人は魅せられると思う。

  • リーダーシップの他の役割

    リーダーシップをとることは大切なことだと言われているし、そう考えている教育者は多いように思うけれども、リーダーシップの他の感性も大切な場面はあるのではないだろうか。例えば、慈しみ。問題は、社会ではリーダーの給与がそうではない者よりも高いということだろう。福祉の仕事はリーダーシップがあまり必要ではないけれども立派な仕事だと思う。一般の会社にも福祉的性格を持った人間は必要だと思う。ふさわしい適切な役職はないかもしれないけれども。底が重要だという観点である。底を支えること。また底から組み上げていくこと。底志向。そこではあまりリーダーシップは重要ではない。リーダーシップがあまり重要ではない職業の一つは…

  • 忖度という言葉で語られたもの

    忖度という言葉は何を語っているのだろうか。似たような言葉に依存という言葉があるが、依存は忖度に比べると幅広い意味を持つと思う。忖度という言葉はそこで語りたかったけれども語れなかったことを上手く語っているように思う。忖度はある種の不自由である。忖度なしで生きていくことは可能だろうか。それは人々の理想なのかもしれない。本当に語りたかったことは多分ある腫の自由であり、忖度という言葉はそれを否定の側から語っているように思う。

  • 地方創生という言葉は捨てよう

    地方とは何だろうか。アメリカで言えば、ロサンゼルスは地方なのか。サンフランシスコは地方なのか。あまり地方という感じはしない。地方創生というと、アイダホでポテトでも作るのかという感じだ。滑稽なことだ。東京一極集中を是正するとしても、地方創生は愚かな選択肢だろう。もちろん農業を否定しているわけではない。それを国の重要な政策にしていることに批判的なのである。政令指定都市を重視する、大阪府には都構想があるが、代わりにそういう政策で良いのではないだろうか。それは地方創生というよりも地域創生である。東京の外と言えば地方、田舎。Iターン。その発想は短絡的だ。そもそもIターンではなくて東京に引越ししないこと。…

  • ラストイデア、カオスドラゴン(ノーマル)攻略法

    ラストイデアの簡単な紹介 最近、ラストイデアというスマホゲームをしている。ハックアンドスラッシュというRPGのジャンルらしいが、ぼくはその種のゲームをするのは初めてである。ハックアンドスラッシュというのは敵を倒してアイテムを集めてそしてキャラクターを強化してまた敵を倒す、ということを繰り返すゲームらしい。カオスドラゴンはこのゲームでは比較的強い敵であるが、グリームオブエインズという剣とシェインの憎悪というリングをドロップするから、これを倒すことにはかなりの価値がある。どちらも強力なアイテムである。ぜひ揃えたい。 初心者に優しいスキル構成 このゲームにはスキルツリーというものがあり、いくつからあ…

  • デフレーションの良さ

    日本のデフレーションの要因として考えられるものは2つあると思う。1つは安くて良いものを作るという精神。このこと自体は良いことである。良いことがデフレーションを帰結する。そして、デフレーションのもとでは、賃金が変わらなければ賃金が上がっていることと同じであり、このことも良いことである。もう1つは東アジア、東南アジアなどの周辺諸国の賃金が日本と比べて相対的に安いことである。このことは賃金上昇に関してマイナスの圧をかける。このことも良いことである。皆で発展した方が幸せだからである。日本の周辺諸国の賃金が上がれば、日本の賃金も上がると思う。デフレーションで最も危ういのは悪いことが起きているという集団心…

  • 寛容は不寛容に寛容か

    人間の善悪のかなりの部分は寛容と不寛容で語られるのではないかと思った。寛容は不寛容に寛容かという問題がある。それでいいとぼくは思う。寛容は内側に不寛容を含む。不寛容は精神的な檻である。それは善と悪の構造と本質的に同一的であると思う。例えば、こう考える人がいるかもしれない。わたしがあなたを刃物で刺すという不寛容にあなたは寛容かと。それについてほとんどの人にとっては、不寛容であることが答えだろうとぼくは思う。完全な寛容というものは人には実現し得ないとぼくは思う。そのような不完全な寛容を持って人は生きていくのだろう。

  • 神の不可能性の証明

    今、世界Aがあるとする。仮に全知全能の神が存在するとすると、世界Aについての情報Iが存在する。そうすると、AとIを含む世界A′が存在する。そうすると、A′の情報I′が存在する。そうすると、A′とI′を含む世界A′′が存在し、このことは終わらない。だから、神の存在は不可能である。しかし、このことは問題ではあるが、問題ではない。それは不可能である神が存在するということである。それは無限の神が存在するということであるように思う。

  • 日本人は間違っているがよい

    西洋人と日本人を比較すると、日本人の方が間違っているがよいと思う。西洋人と日本人とでは西洋人の方が多分幸せである。しかし、本当の幸せとは何であろうか。よくある比較としては、西洋人はアクティブであり日本人はパッシブであるというものである。ぼくもそう思う。西洋人によって芸術とは自己表現であり自然との格闘であると思うが、日本人にとって芸術とはよいものをつくるということであると思う。そう考えると日本人にとって大切なことはよいということであろうか。これも日本人の美意識としては間違いであると思う。ここで美意識という言葉が出てきたがこれでは堂々巡りである。永遠に収束しない。このことは間違いである。多分そうい…

  • 人種差別

    かつてサッカー日本代表のトルシエ監督は、メディアに赤鬼だとか呼ばれていたように思うけれども、これは差別だよなあ。東アジア人が黄色だとか言われると差別であるように。確かに、欧米のコーカソイドは東アジア人に比べると赤いし、東アジア人は欧米のコーカソイドに比べると黄色いのだとは思うが、それが事実だとしてもそれを言うことは差別的であるように思う。だから、それはやめた方がいいのだろう。ところで、モンゴロイドという名称も差別的であるように思う。ヨーロッパをスラブと呼ぶようなものだろう。どういういわれがあって、そういう名称になったのであろうか。

  • 同性パートナー

    同性婚を認めるかという問題があるけれども、ぼくはそれには賛成だが名称には反対である。結婚というものは定義として異性間のものであるとぼくは思う。だから、同性婚を認めるためには新しい言葉を作る必要があると思う。例えば、同性パートナーである。同性パートナーを法的に認めることが何を意味するのかをぼくは十分には知らない。例えば、子供は養子を迎えれば作ることはできるのであろうか。フランスでは養子縁組は認められていないようだ。税制的にどちらかが扶養家族に入ることはできるのであろう。それは単純な問題だ。あとは離縁したときの取り決めなども結婚を踏襲したものになるだろう。

  • 店員の愛想は必要ない

    コンビニであれスーパーマーケットであれドラッグストアであれどこであれ店員の愛想は必要ないと思う。可愛らしく見せるというか。いい年した中年が可愛らしく見せてもあんまり可愛くないし。これもある種の幼児化か。可愛らしく見せて機嫌をうかがう。それは不格好だと思う。必要なのは愛想よりも礼儀ではないか。どちらかと言うと礼儀さえ大して必要ない。最低限の礼儀さえあれば。礼儀と愛想を履き違えてはいけない。ただ、楽しいのと楽しくないのとでは楽しい方がいいはずだ。原因と結果を逆転させてはいけないが。

  • 哲学が避けられる時

    哲学が避けられる一番の原因は、それがおいしいところ取りのように思われるからではないかと思う。確かにそれは事実であると思う。それに、真理とか知識とか倫理とか正義とか愛とか神とか、それらは哲学者が考えたから存在するのではなくて、自然に存在するものである。何故か哲学者はそれらを手にしたかのような言説をするようなところがある。そして、哲学を職業にすることに矛盾があると思う。本来そういうことは独学で考えることで、教育することではないと。そして、それを本当に知っている人は、多分職業哲学者を含めてほとんどいないのだろう。とは言え、本当にすごい人は多分いたのだろう。でも、人がRPGをプレイしているのを見るより…

  • 芸術の時間

    芸術家は自分の作品に長い時間触れて欲しいと思うものだと思うが、それはいいことなのだろうか。相手の時間を奪っているということにはならないだろうか。そしてそれが目的化してしまうと、それは害悪に近いものになってしまうのではないだろうか。立場としてはそれは嗜好品に近いものかもしれない。それは複雑な迷宮。パズル。娯楽作品はそれがある種の時間の無駄だと割り切ってしまっているから、正しいのかもしれない。そしてそれは時間を使ってくれていることに感謝する。

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