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  • 閏年生まれのBとNの生まれた2月29日。今日で4歳になった。

    朝起きてラジオをつけたら、すぐに閏年の話をしているのが耳に入ってきた。BとNの生まれたのが2020年の今日。例えば2月29日生まれの人は、誕生日をどうする?4年に一度ということになる?などということを思ったりもしたものだが、ラジオを聞いて、なるほどねと思った。便宜上その前の28日にするとか、後の日の3月1日にするとか異なるケースがあるもののようで、そうしたことは知らずにいた。閏年生まれのBとNの生まれた2月29日。今日で4歳になった。

  • Naneu は分からない捉えがたいところもある

    ナヌーは玄関ドアーの外に出たら先ず、手を触れられない。全く別の子になると言って良いかな。そばに寄れない。離れていく。戻ってくる時は、窓を開きかけるだけでもう気配で玄関に向かって走ってくる。玄関のドアーを開いた時にナヌーの体を押しす形になるようなこともある。戻っているナヌーを知らずに。室内では膝に乗ってくるし、体に手を触れると変わらずにいつも手を舐めてくる。常にそれをする。ベッドの毛布の中に入ってくる。だがビックやヌックのようにずっそこにいるということはない。突然抜け出していくというような行動を見せる。ヌックかビックが入ってこようとする時も同じ。ナヌーが夜寝るのは、押し入れの中。体を丸めて安眠する様子を、懐中電灯で確認したりする。以前は深夜に外に出て行ったのだが、ここのところはもっと遅い時間になっていて、朝...Naneuは分からない捉えがたいところもある

  • 形が面白いので撮った林檎

    形が面白いので撮った林檎

  • 年末 / 3匹の近況

    左ビック右ヌック全く性格の異なる御三方三毛猫の雌のナヌー4歳8カ月シャムの雌のヌック2歳10カ月キジトラの雄のビックヌックと同じサビ猫の母猫から同じ日に生まれた(ナヌーも同じ母猫の子)ナヌーは相変わらず、外に出ている。今朝はまだ暗い5時頃に出て行った。戻ったのは午後の4時頃だったか。また次の日の3時から5時頃か、外に出ていくものと思う。6月の終わりの頃、急に外に出るとなかなか戻らないようになり、戻ってもじきに出ていくようになったヌック。道路わきにいるのを見かけたりして抱いて戻った。ついてこれるのでそのまま玄関まで行ったことがある。だが好きなようにさせていたものの、車の通る道路に出ていくヌックに危うさを感じるようになって、2,3カ月が過ぎる頃から、室内にいさせるようになった。それにヌックも慣れて、現在は外に...年末/3匹の近況

  • Naneuに起きた普通ではない三つのこと

    最初の一つは、2019年の中頃だったか。ということはナヌーが一歳を過ぎた頃のことだったと思う。まだ猫はナヌーしかいない頃。ある日外から戻ってきた時にの様子がおかしかった。右の後ろ足が浮かせ、3本の足で歩いている。見てすぐに思ったのは、骨折ではないかということ。どうするか。骨折の治療に病院に連れていくことになる?などということを思ったけれども、とりあえずそのまま様子を見ることにしてした。そうしてその日のうちだったか、どんな具合になっているのか浮かせているナヌーの足を見てみたのである。そして分かったのは、骨折によるものなのではなく足の中ほどの裏側の肉が抉られた状態になっていること。血は流れていないのだが痛々しいほどに足の表が抉られて肉が見えている。そんな状態でよく裏庭から戸の高さまで上がってこれたものだと思っ...Naneuに起きた普通ではない三つのこと

  • 道路に出ていたNuck

    隣家の人に前に聞いたところでは、外に出ていた飼い猫を事故で亡くしたことがあったことから、もう外には出さない(今いる一匹は訳あってヌックと同じ母猫のシャムの子)ことにしているということだった。それを考えなくはないのだが、そうはできない形で来ているし、一番気になる車の通る道路にでることについては、そういうことはないだろうと希望的に見てきている。裏庭に来る野良猫が道路を横切っているところなど見てきているが、ナヌーやNuckはそんなところには行かないだろう、と。イメージできないのである。Nuckが外にばかりいる子になって1か月半位になるけれども、裏庭から入ってくることもあるし、鳴き声に気づいて玄関から入れることもある。戸を開いても入らないこともあるので、抱いて入れることもあるが、入りたい時には裏庭からも来るのでそ...道路に出ていたNuck

  • Nuckの行動は良くは分からない / 変化してまだ一か月にはならないけれども

    Nuck(29日生まれなので"にいきゅう"の訛り名)は、今は一日に何度も自分で入ってくる。入ってきて食べると、じきに出て行ってしまう。ということで、室内にいるのはトータルでも20分にもならないかもしれない。抱かれればそのままおとなしく弛緩状態になる変わらないヌック。でも、ほぼ構わない。ただ好きなようにさせているだけ。殆ど外にいるという子になって、行動が変わってしまった現在、家ネコの延長にいるよう感じになっているのか。首輪はしているし、私のところのヌックということなんだけれども、なにか思う形とはちがって。ヌックナヌーは深夜の1時頃になると、カーテンを駆け上がる。それが合図のようになっていて、外に出してあげる。何年も、そうした形。朝までいたことは殆どない。そうして午後辺りに戻ってきて、後は出ない。ほぼ、そんな...Nuckの行動は良くは分からない/変化してまだ一か月にはならないけれども

  • わが家のネコ// 今朝のヌックの異常なうごき//夜中にビックが咥えてきたものは何?

    今朝の7時半近くだっただろうか。ヌックが入ってきたのは。外に声が聞こえたので、入れるように戸を少しひらいておいた。前の夜最後に見たときには、開いてもこちらを見上げるだけで入ってこなかった。朝の食べる時間だし、入ってこないとたべものを上げられない。というので、入ってくれて良かったのだが、ヌックの動きはやはり異常というしかないと思えた。鳴き続け、動き続けで、入ったばかりなのに今度は外に出たがってか、戸を開こうと懸命に足をかけ、カーテンを揺らす。こちらサイド、反対の側。そしてまた部屋の中を走っていく。というのを見つつ、食べるものをあげる時間でもあるので、用意をしてビックと一緒に食べさせる。それが過ぎると、また同じようなヌックの行動の始まり。こちらとしてはヌックも食べたことだし、あとはご自由にということで、戸を開...わが家のネコ//今朝のヌックの異常なうごき//夜中にビックが咥えてきたものは何?

  • 我が家のネコのこと / Nがこのようになるとは思わなかった

    2021年1月にネコのことを書いたのが最後なので、それから1年半が経過。2020年2月末に生まれたヌック(シャム)、ビック(キジトラ)は2歳5か月になった。生まれて12日目母ネコと手前右ヌック、後方右この日まで右眼閉じていたビック生まれた時から見ているので、当時のことがよみがえる。3匹で生まれて1カ月後に1匹は欲しいという家族にもらわれていった。ということで2匹が一緒に育つことになった。茶色いのは母ネコの足手前にいるのは2歳上のナヌー2年前、2020年の頃の画像を連ねたのだが、こんな具合で一緒に生まれたビックとヌックは現在に至るまで変わりなく至近で一緒に過ごす存在だった。そのように変わりなくこれからもヌックはここで過ごしていくものと当然のように思っていたのが、先月6月27日を境に思わぬ成り行きを見るように...我が家のネコのこと/Nがこのようになるとは思わなかった

  • このんでpictureづくりをしていたことがある その6

    2009~2013の頃とりあえず表に出しておいてしばらくしたらまた靴など変えて戻りますつもりで醒めたらそこ別の地の上人気ブログランキングへこのんでpictureづくりをしていたことがあるその6

  • このんでpictureづくりをしていたことがある その5

    2009~2013の頃人気ブログランキングへこのんでpictureづくりをしていたことがあるその5

  • このんでpictureづくりをしていたことがある その4

    2009~2013の頃人気ブログランキングへこのんでpictureづくりをしていたことがあるその4

  • このんでpictureづくりをたのしんでいたことがある その3

    2009~2013の頃人気ブログランキングへこのんでpictureづくりをたのしんでいたことがあるその3

  • このんでpictureづくりをたのしんでいたことがある その2

    人気ブログランキングへこのんでpictureづくりをたのしんでいたことがあるその2

  • このんでpictureづくりをたのしんでいたことがある その1

    もう何年も何年も離れてしまっていて、againということはないと思うけれども・・・・・・。人気ブログランキングへこのんでpictureづくりをたのしんでいたことがあるその1

  • 去年の秋亡くなったサビ猫フクちゃんが残したもの

    2020年9月の中頃のこと、何かの拍子にヌックがノートパソコンの端に跳んできて、信じがたいことにキーボードのキーが二つ外れた。ZとXのところ二つ。キーの部分がなくなってもその下の部分を押せば入力に問題はないのだけれども、でも実際そんなことが起きること、考えられる?ほんと、思わぬことが起きるものでした。前回の記事からもう6カ月。余りになるのか。年も変わりました。昨年、8月31日で生後6か月になったヴィック(雄キジトラ)の去勢手術を9月4日、そして10月4日にヌック(雌シャム)の避妊手術。双方にとっての変化。やはり雄と雌なので一緒に生まれた同士とはいえ発情期の不安があり、どちらかをともかく先に済ませてしまわないことにはと思ったりなどしていた。二匹とナヌーという3匹のネコがいる生活。これは考えもしなかった成り行き上の...去年の秋亡くなったサビ猫フクちゃんが残したもの

  • 母猫フクちゃんが今度は4匹も産んだことを知っておどろく

    2月29日に私のところで3匹の子を産んだ野良猫フクちゃんが、ここでヌックやヴィックを育てている間にも外に出る時間があり、一緒になる雄猫もいて、産んで一カ月も経たない間、ある朝戸の下を見下ろすと交尾中などというビックリすることがあった。またその内に産むのではないかという予感はあり、その子たちは野良猫になるしかないだろうという気がかりもあった。ヌックやヴィック、そしてもらわれていった白毛の子の3匹は家猫になることになったけれども、今度はそうもいかないだろうし。5月も終わり3カ月を過ぎたところでワタシはフクちゃんを室内に入れないことにした。発情期のような鳴き声がつづくのも気になったしお腹もまた膨らみが出てきているようであり、また室内で産まれるようなことになっては困るという危惧などから。6月に入ってから日々裏庭に来てい...母猫フクちゃんが今度は4匹も産んだことを知っておどろく

  • 今日でこの子たちも生まれて4カ月と10日になる

    この子たちが生まれて2カ月と17日目の時の写真。この時からじきに3カ月になろうとしている。本当に過ぎるのが早いと思うんだけれども、特にここに見る右のキジトラのヴィック。あどけない幼さを感じさせて今はそれから成長をしたなと思う。左のシャムのヌックは、今も何となくそんな感じと思わせるところもある。いつまでも子猫のままでいてもらいたかったような。でも5カ月、6カ月となればもうそこから離れていく時期ではないか。やっぱりやってくる時の速さを感じる。4月17日の画像6月21日の画像7月4日7月6日5月の初め位までナヌーは子猫たちを避けていた。近づこうとはしなかったし、一日の内の何時間かは外に出ている子だったのがほほ一日戻らないというような初めてのこともあったりした。明らかに子猫たちの存在による変化。それが変化しだしたのが5...今日でこの子たちも生まれて4カ月と10日になる

  • 眠り込まれて動くに動けない

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  • 生まれて55日目/いつもそこにいてくれることにしあわせ感を覚える存在に

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  • 子猫たち/前回の投稿から日が過ぎてもう少し成長した姿になるかな

    母猫フクちゃんの足の茶色を見て思うのは、野良猫のせい?2月末から子育てでほぼ室内にいて母乳を与えて愛情深く育ててきてくれているけれども、外生活中心で生きてきた猫だから。本来の毛の色ではないのではないかな。とこれを見て改めて思ったんだけど。いつからなのかな、体の下の方が白っぽい毛色に変わって。未だにどういう種類なのか分からない。こういう親子の眠りがあり、また兄弟(シャム雌、キジトラ雄だけれども)、元気全開のかけっこや取っ組み合い、遊びタイムもある。人気ブログランキングへ子猫たち/前回の投稿から日が過ぎてもう少し成長した姿になるかな

  • 三匹で生まれて一匹がもう離れ短かな間にも変化をしていくものだなと思う

    一昨日4日の昼、急に決まった予定通り、子猫が先方に引き取られていった。その日の朝、取っ組み合ったり走り回ったりと元気いっぱいだった三匹の中の一匹の子。先方持参のキャリーケースに私が入れる時、家族の若い女性が「かわいい!!」とうれしそうな声をあげてくれた。生まれて35日目。可愛がってもらえるだろうことは想像がつく。良かった。そして、二匹が残って。今日なども、取っ組み合い、室内を走り回り、お互いに何かしら仕掛け合い、忙しい。かと思うと寄り添い、体を密着させて眠りこむ。一匹だけだったらできないことが、二匹ならではできる。だから二匹にとっても良かった。産んでくれたフクちゃんに感謝。トラ毛の子が雄。そしてシャム猫の子が雌だと思う。まだ小さい時には性別がなかなか判りにくいと言われるけれども、見てみた限りはそのように思える。...三匹で生まれて一匹がもう離れ短かな間にも変化をしていくものだなと思う

  • 子猫が欲しいという人の現われることは考えなくなっていた

    2月の10日、たまたま隣人のAさん(熊系のダンディ、口髭の50代)に外の通りで会った時に、お互いの知る野良猫の母猫に子供が3匹生まれたことを話し、どうしたものかと思いあぐねていて里親のことなども考えていることを言ったのだった。前年にフクちゃんの産んだシャム猫の子がいきさつがあって今、Aさんの二匹目の飼い猫になっている。その時に彼の妻の関係に欲しい人がいるかもしれないので聞いてみます、ということを言ってくれたのだった。その3日後にAさんはやってきて3匹の写真を撮っていった。その日から3週間近くも経つことだし、彼からの知らせもないことでとうにそのことは無い話になったものと思っていた。その間3匹の子に対する私の愛着も昂じて、このまま手元に置いて家族の一員とすることしか考えなくなっていた。というところに昨夜Aさんがやっ...子猫が欲しいという人の現われることは考えなくなっていた

  • 生まれた時からの成長を日々見ることができるというのはたのしい

    フクちゃんが同じ時に3匹の子を産まなかったのは確かなのである。トラ毛の子を先に外で産み(おそらく2月25日)、そして29日に私のところで白毛の子(耳と尾は薄茶)とシャム猫。これは間違いがない。ということで産まれてからの日数に差があることになるのだが、ともかく現在1カ月余。フクちゃんはかなり年だと思うし、体も細っている。それで3匹の子に乳を与えなければならない。ということなので子供の成長に影響はないか。ということなどを思うのだが、現在体長は20センチほど。1カ月を過ぎたところで小さい?もうちょっと大きくなっているもの?いや、こんなものだろうと思ったり。昨年のシャム猫の感じを思い起こしまた画像を見て比較して考えたり。いずれにせよ、元気に育っていると思うので、今は母乳と食べるところも見ているそちらの摂取への移行という...生まれた時からの成長を日々見ることができるというのはたのしい

  • 隣家の倉庫から出られないナヌーを見るとは思わなかった

    夕方の5時頃、外を見た時に前方、隣家のビニール製と言ったら良いか物置の倉庫の入り口内側にナヌーがいる。そんなことは初めて。そんな隣家の所有する場所に入り込むのは迷惑なことに思えて、早くでておいでという眼で見たのだが、どうにもできないので見るのは止めた。じきにそこから出て戻るだろうと思ったのである。少し時間を置いて見てみると同じ場所にいて、こちらを見たまま。どうして動かないのか?入れたのだからそこから出てきそうなものだけれども、と思いつつ名前を呼んでみる。鳴いている。室内にいて外に出たいという時以外には鳴く声をあげたりしない子なので、出たがっているらしいことが分かった。でもそのうちには出る場所を見つけるだろうと、それを待つことにした。その後に見ると姿が消えている。出る場所を見つけてじきに戻ってくるだろうと思った。...隣家の倉庫から出られないナヌーを見るとは思わなかった

  • 野良猫のフクちゃんが室内で三匹の子を産んで、そしてnow

    私のところにいる三毛猫のナヌーは野良猫のフクちゃんが一昨年産んだ子。画像は2018年7月22日。この時はまだ1カ月前から裏庭に来ていた野良猫の子猫として。この2日後の7月24日に室内に入ったのを機に、私の飼い猫となる。この時にはまだフクちゃんがこの子の母猫とは知らなかった。2020年3月18日フクちゃんは昨年の2月頃か、シャム猫の子を産んだ。近くで産み育て私が眼にしたのはこの大きさになってから。室内に入ってきたこともある。室内に来た数日後、事故で血を流しているのを隣家のAさんが発見して、病院に連れて行った。Aさん宅の介護の効あって回復し、今はAさんのところで飼われている。そして今年の2月に入って体に変化が見え始め、下旬に差し掛かる頃には痩せた体に腹ばかり膨らんだ様子から産むのはじき、いつ生まれてもおかしくはない...野良猫のフクちゃんが室内で三匹の子を産んで、そしてnow

  • ここのところの画像からA、B、C、D

    画像A道路脇に見えたこのおもしろい形。手前の部分はパインアップル。画像B店を閉じてどれくらいの年数が過ぎるんだろう?長らく前を通っているがいつまで営業していたのか記憶にない。固く閉じられた美容室の入口脇の中のガラタ状の物から押し出されるようにして見える修了証書を初めて近くで見た。昭和53年2月9日とある。1978年。「成績優秀」の文字。画像C見ているようで見てない。室内からいつも見える眺めなのに、向こうに今見える形のような樹があったことも手前の樹の高さも実は知らないことにある時気づいたり。漠然と「外」としか。観察的に見たりすることはないんだね。長年。変化していることも不確かなままらしい。画像D昨年6月、裏庭に2か月程の子猫で来たNaneu。7月24日から飼い猫となる。それからほぼ7ヵ月半。ここのところの画像からA、B、C、D

  • ニコロ・パガニーニ Caprice No.24に舞う弓毛のことだとか

    YahooのGYAO!で視聴可能の映画を見ていた時に眼は入った"パガニーニ"の文字。映画に彼の名の入るものがある?と確かめ見つつ思ったのがパガニーニを演ずるならばヴァイオリンは不可欠。ヴァイオリニスト以外にできない。というところで浮かんだのはDavidGarrett。超絶技巧もお手のもの。俳優もやれそう。案の定見始めた映画の画面には彼の名。ところが私の知るヴァイオリニストDavidGarrettの面影の全然ない、これが彼?としか思えない別人演ずるようなパガニーニがそこにいて、それは最後まで変わらず。メーキャップのせいで、ステージで見る彼の素顔とは結びつかないままだった。そして彼の演じたパガニーニは素晴らしいと思った。そうそう、ひとつだけ、やっぱり役の中でもこれは彼、と思わせたのは弾く時の口元や表情、目の動き。2...ニコロ・パガニーニCapriceNo.24に舞う弓毛のことだとか

  • ナヌー(Naneu)此処に来て以来ゴキブリ消えた不思議

    6月に初めて裏庭に姿を見せた子猫のナヌーが室内に最初に入ったのが7月24日。その日から家住まいになったのだが、外に出るとセミを捕ってきたりしたものだった。一度だけ室内でゴキブリを見つけたことがある。じゃれつくように弄びついにはセミ同様に食べてしまった模様。ゴキブリは室内ではたまに、だがキッチンなどにはしばしば出ていたものなのである。ともかく出たら始末、ということですぐに対応できるようにハエ叩きをいつでも手にできる位置に置くことを日頃から心がけていた。ところが8、9、10、11月と現在に至るまでキッチンにも室内、押し入れその他、何処にもゴキブリなるものを見ていない。それが不思議で仕方ない。まるですべてのゴキブリがネコの餌食になるのを怖れてパッタリと姿を見せなくなったもののようである。実際、何が起きているのか?事実...ナヌー(Naneu)此処に来て以来ゴキブリ消えた不思議

  • ナヌー(Naneu)の通る道

    6月の頃に裏庭に、初めて子猫の野良猫が現われた。それから色々とあって・・・・・・もう10月も終わりの今に至る。ナヌー(Naneu)の通る道

  • 記憶、すぐに浮かんで当たり前の名前のことだとか

    昨日の朝、目が覚めベッドにいた時に浮かんできたのが、何故か学生時代に出会ったA君のこと。同じ部活(交響楽団)だったのだけれども一年の夏の合宿で一緒になるまで、彼が部員の一人であることを知らなかった。理由の一つには彼の所属する学部が練習場所になる都心のキャンパスから離れた所にあったせい?とも思うのだが、でも理系のそちらのキャンパスから来ているメンバーは結構いた。それに彼の家は都内だったし、考えてみればおかしい。ということからすると入部したのが遅かったせいか?だが、合宿以降も彼の姿を練習の時に見た記憶がない。その信州での合宿の時の唯一の彼の記憶が、ヴィオラの弦が切れてどこかしらに求めに出掛けて戻ってきたところだということを話した時のものだった。その山中の場所から、どの町に行けば弦を買えるのか想像がつかなかった。何故...記憶、すぐに浮かんで当たり前の名前のことだとか

  • 「猫色」にふいと思いあぐねる詩の行など★馬込文士村のこともちょっと

    「猫色」に行きつくまで回り道・・・・・・・・・。遙か遙か遙かの昔、大正から昭和にかけての頃、大田区の現在の北馬込、南馬込、中央、山王辺りに馬込文士村と呼ばれるほどに著名な作家、芸術家等が移り住んでいた頃がありました。私は80年代に南馬込4丁目に8年ほど住んだことがあって、どこに誰が住んでいたかを示したその名前がその位置に入った地図を、多分資料館のようなところでもらったものだと思う。パンフレットで見たことがあって、歴史ある場所に住んでいることを実感したものだった。今HPで見ることができたこのマップ。これと同じものだった筈。30年前と変わらない、同じマップと思える。このマップの V形の下方左サイド、そこの「臼田坂」。ある記事で、「この界隈にも多くの文士が居住した」というキャプションと共にこの画像を見つけた。私の住ん...「猫色」にふいと思いあぐねる詩の行など★馬込文士村のこともちょっと

  • サイモンとガーファンクル/アイ・アム・ア・ロック(ぼくは岩)

    いつの間にやら随分と以前のことになってしまったけれども、2009年の早稲田大学エクステンションの秋講座で、「実践的心理学としての仏教」という10回の講座を受講した。担当は大学の春木豊教授ではあったものの、7回まで先生は最前の右サイド、私の前の席で聴講、講義は東大大学院を経て出家され曹洞宗の僧侶となられた藤田一照師(1954-)が受け持たれた。改めてwikipediaで見たところでは灘高出身というから、そちらの関係でもやはり異色の道を選ばれた人ということになるんだろうと思う。作務衣というような身なりでやられていたと記憶する。ともかく、その講義の4回目。3回目のテーマ、「自己Ⅰ初期仏教のアプローチに学ぶ(無我)」につづいての、「自己Ⅱ大乗仏教のアプローチに学ぶ(真実の自己)」というテーマでのレジュメにおいてだったの...サイモンとガーファンクル/アイ・アム・ア・ロック(ぼくは岩)

  • 記憶の中のトルコ、and Turkey.Homeで見る美しい画像世界の中の彼の国

    TwitterのTurkey.Homeというトルコの文化、風景の発信ページで、掲載される画像のひとつひとつ、美しく撮られた風景、あるいは食生活まで入ったものなど、アート的に加工さえされた画像の数々なども見ていると、自身の中にあった記憶の中のトルコイメージとは百八十度ちがう印象を持つ。こんな国だったの?私が知るのは1970年に近い頃のトルコだけれども、トルコという国はこんなふうにも見える国だったの?などという目を覚まされてしまうような画像による魔術とも思える別の国イメージに遭遇する。なんといっても美しい画像、撮られたものには、惹かれる。風景であれ何であれ、嘆息する魅力ある画像は、求めたい。そうした思いからTurkey.Homeの画像は追いたくなる。現実の世界はまた別、ということは分かりつつ、たのしみに見る。196...記憶の中のトルコ、andTurkey.Homeで見る美しい画像世界の中の彼の国

  • N教授のその時の思わぬ動きは印象にのこる

    3限になる午後13時からの授業の始まる5、6分前。私はその教室のある5階の通路の、下に広場、右前方向こうに正門が見える処に立って外を眺めたりなどしていたんです。担当されている文学部教授のN先生はまだ来ていない。時間通りに来たことがあったかどうかという位に、開始時間にやってきていたという記憶がない。長い時で5分位遅れてきた記憶がよみがえる位に、ピタリということがなかったというような。実際には1、2分前に来たことはあるということだったとすると、先生の名誉のためにもそれは申し訳ないですと言うしかないかな。出席簿を開いて、出席をとる。名前を読み上げられて、返事をする。殆どの講座では、教室の前の席の端などに出席カードの回収箱が置いてあってそこに入れる。六十歳を幾つか過ぎた或る時、ふいと思い立って大学の講座受講を始めてみる...N教授のその時の思わぬ動きは印象にのこる

  • 溜息に・・・・・。

    思わぬ時に覗け見える、そんな言い方ができてしまうのかな。あの舗装されていない石ころの近道の裏の通りを歩いている時、溜息というのか何というのか、息をふっと吐くようなことになって。反動のようにそれにもうひとつ続いたのかな。これ、溜息めいている、と感じた。あーあ、という感覚に伴う溜息めいたものに似ていたような。いや、あれは確かに溜息。吐息みたいな溜息。なにがこれを?心までも自ら確かめてみたいような。そう言えば溜息、英語で何だったっけ?度忘れの多いこの頃の自身の頼りなさの中、浮かんだ。出てこない。この頃はいくら待っても掻き消えたまま出てこないのが常で。ところでこの溜息、と思った。人間のするもの。生きているとは、その溜息ともつき合うことだったな。などということを初めてのことのように思い。その時出てこなかった英語の溜息si...溜息に・・・・・。

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