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2017/07/18

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  • 暁と黄昏のトワイライトゾーン

    昨日の夕刻7時20分庭に出てみた。理由はこの時期にしてはあまりにも過ごしやすい22度、外ではまだ明るさがあって驚くことしきり。その10分後、7時半にはとっぷりと暮れて急に庭の木々の葉が見えなくなって電柱の蛍光灯が突然明るさを増したように感じた。気象や太陽の動きとは本当に不思議なものだとまた感心する。天候によって左右されながら必ずやってくる夜明けと夕暮れ時は一日の中で僕の大好きな時間である。英語のトワイライト(twilight)は不思議な単語である。先ずは”夕暮れ時"と訳すのだが、"始まり”という意味もある。トワイライトゾーンという時間帯は明るさが残って入るけれど暗くはない、周りが刻々と時間の経過と共に姿を変えていく時間帯のことをいう。周りの明るさが勢いを無くしていくに従って自分の”瞳孔"が開き始めて僕の想...暁と黄昏のトワイライトゾーン

  • 嘘はついてはいけないというけれど

    「うーそだ!」学校帰りの小学生が背中のランドセルをガチャガチャ鳴らせながら走り去った。道路角で別れた子供が「バイバイ」と手を振っていた。仲の良い友達同士だろうと推測した。ただ、ぼくはこの「うっそだ!」という別れ方を目撃したのは最近では二度目である。軽く笑いを誘うタイプのものだから深刻には考える必要はないのだが、子ども達の間ではやっている言葉なのだろうか。僕などは子供の頃、嘘はついてはいけないと教えられて育ったように思うのだが。歳をとって平気で年令を誤魔化す嘘を連発するようにはなったけれど(⁇)「歳をとれば正直に日々を暮らし、ゆっくり歩いてゆっくり食べて、年令を数年若く誤魔化して生きる」これが長生きの秘訣だと87歳の知り合いに教えられて二人で大笑いしたことがあった。それから思い出すのがアメリカのメイン州のバ...嘘はついてはいけないというけれど

  • アメリカでは本当に1日1個のハンバーガー

    今日の朝刊にチラシが7、8枚入っていた。その中の一枚、ハンバーガーの美味しそうな大きな写真をみながら思い出した。実をいうとこの種のチラシが入る度に僕は思い出すエピソードがある。現役の頃、自分の留学経験などを絡めながらアメリカ文化や社会問題などを講義していた頃の話だが、授業が終わって一人の学生が近づいてきた。私の父は「家族みんなで夕飯にマクドナルドを食べに行こう」という提案に、“そんなことをするのなら離婚だ”と父親が騒いだと笑いながらではあったが報告する学生がいた。(そうなの?離婚って案外簡単なんだ⁇⁇)僕は当時から今に至るまでハンバーガーは大好きで80歳を超えた現在でも月に一度は女房と昼食に食べに出かけることにしている。日本では特に手の込んだ料理を崇拝する文化があって、料理は愛情を表すといった信仰があるよ...アメリカでは本当に1日1個のハンバーガー

  • “ステレオタイプ”という先入観

    女房に付き合ったスーパの肉売り場での会話。「うちは男の子が3人、とにかくガサガサ騒々しくて…」と若い二人の主婦の会話が耳に飛び込んできた。男3人と言うことで褒められているのか羨ましがられているのか、あるいは自慢しているのか、なんとなく微妙な会話に興味を惹かれたたがやっぱりその場を退散することとした。男の子とは…女の子は…といった男女類型化に関する会話は要注意なのだが、人はあまり気にもせずに話のネタにすることがあるように思う。“ステレオタイプ”という言葉があって、それは、多くの人に浸透している先入観、思い込み、固定観念、などレッテルを貼る傾向にあることを指すものである。なぜこんな傾向が人にはあるのだろう。よく耳にする話だが、例えば日本人は…中国人は…やれアメリカ人は…と類型化してしまうことでその国の人の行動...“ステレオタイプ”という先入観

  • 若い時の苦労は買ってでも

    テレビで野球をみているとレギュラーと言われる人たちの動きがなぜか惰性の繰り返しのように見える時がある。みんなそれぞれ自分のプレーに努力しているのだろうけれど。そんな中、新人の若者が活躍するたびに感じることがある。囲碁や将棋の若者の活躍は爽やかさを感じさせるものがあるなかで、スポーツなどでは躍動感が観るものに元気を運んでくれるように思うのだ。年寄り仲間に昔の若い時代に戻りたいかと聞けばほとんどの人が特にそうは思はないと言う。「若いことはいいことだなー」と若さを讃美する一方で、もう一度あの時代に帰りたいとは誰も思っていないようなのだ。それぞれの境遇の中で必死に頑張った苦労、厳しさ、“しんどさ”を皆が知っているからだろうか。人生経験は貧弱でいわゆる“青い”と言われる青春とは「心の若さ」である」などと言ったのは「...若い時の苦労は買ってでも

  • 人の一生と沙羅双樹(サラソウジュ)の花の色

    我が家のサフィニア、今年も深くて明るい紫の花を咲かしている。一年草とばかり思っていたのにもう3年目である。冬の間には枯れてしまったと思わせる姿を見せていたのに、また復活、すごい生命力に頭がさがる。おりしも時を同じくして、儚く落ちる沙羅双樹の花、京都の妙心寺東林院の苔の庭に落ちた白い花を愛しむ会が催されているという。あの平家物語の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)あり」の花である。朝に咲いて夕刻には散ってしまう儚いけれど美しい椿の花だ。ご存じ朝顔の花、散りはしないけれど朝に咲いて昼ごろには閉じる。我が家の裏庭の月見草も黄色い小さな花を夕方から開いて朝には閉じてしまうのだ。花の命が短くて…は林芙美子の残した言葉、ところがこの話には前後があって、内容は単に儚いことを悲しんでいるだけではないという。“生...人の一生と沙羅双樹(サラソウジュ)の花の色

  • 大空に境界や限界はない

    最近の早朝のように空が澄んで雲ひとつない日は別として、公園の日陰のベンチなどで横になってじっと空の雲を見つめている人は案外たくさんいることに気がついた。皆さんどんな思いにふけっておられるのか想像するのもおもしろい。そんなことを考えていると、ときどき空を見上げて雲の動きを追うことを提案したい。雲はとにかくじっと止まることがなく常に動きながら姿を変える。うさぎに見えていた雲の塊はいつの間にか狼の顔に変わっている。そんな雲の動きを追って一度ゆっくりと空を見上げる時間をお勧めしたい。雲が刻々と姿を変えて10分後にはどのような形に変わっているかを想像してみる、そんな空想や物思いの時間をもってみるのもこのご時世には必要かも知れない。あの理論物理学者のアインシュタイン氏が言うのだから不思議な気がするが、なにかの発明や発...大空に境界や限界はない

  • 頭は使わなければ錆びてくる

    今の時期、僕の家では植木などの剪定鋏(せんていバサミ)が大忙しである。庭の南天の木を少しずつ整えなければならないし、樫の木だって放っておけば葉っぱが文字通り野放図に生えてくる。そんな木々の剪定は疲れるけれど僕の大好きな時間である。ところでそんな大忙しの選定鋏のひとつの支点が錆びついていて使えない。長い間使っていないことに気がついた。捨てるには忍びない、なんとかその機能を復活させたいということで錆止めのオイルを噴射して数日かけて少しずつ開いたり閉じたりしているうちにスムースに動くようになってきた。やったー、復活!この鋏、歳をとって活動が鈍ることへの警鐘のようにも見えてきた。鋏も人間も、働きすぎてダメになるより休みすぎてサビが付く方がずっと多いと言った人がいた。誰あろう世界に知れたあのケンタッキー・フライドチ...頭は使わなければ錆びてくる

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