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キリスト教の問題点について考える https://christian-unabridged-dict.hatenablog.com/about

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

私はかつて伝統的教派のキリスト教会で洗礼を受け入信し25年間在籍しましたがやめました。聖書を熟読すればするほど唯一の真理などでは無いことに気づくようになったからです。 キリスト教による説明も、他の宗教と変わりない詭弁に過ぎないと感じます。 キリスト教が世界に広まったのは、キリスト教がローマ帝国の国教に採用されたからに過ぎないと考えています。 ご意見をお聞かせください。

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2017/07/11

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  • www.christiantoday.co.jp クリスチャン・トゥデイに「多くのクリスチャンが取り除かなければならない聖書的ではない3つの態度」という記事があります。引用してみましょう。 神は常に私たちの内で働いておられ、それ故、神は私たちの内にキリストの似姿を生み出すことができる、と聖書は教えている。この神の働きによって、私たちの性質が、キリストの性質に形づくられていくのである。キリストは、父なる神の本質の完全な現れだ。そして、父なる神とは、愛、恵み、慈悲に満ちている存在だ。 キリストの性質に形づくられるという過程には、神に敵対する態度を取り除き、キリストのような態度に置き換えることが含ま…

  • 「道、真理、命」の意味

    dailyverses.net ヨハネの福音で、イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」と発言しています。見てみましょう。 ヨハネによる福音書 14:6-7 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。 これだけを聞くと、イエス様が、私は神と同等であり神自身である、私を信じるクリスチャンだけが、死後天国に迎え…

  • からし種とパン種と天国

    en.wikipedia.org 福音書で、イエス様は天国をからし種とパン種にたとえておられます。読んで見ましょう。 マタイによる福音書 13:31-34 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。 天国が、からし種やパン種のように、小さなものが成長して、あるいは膨らんで大きくなる…

  • 「聖書を心から信じている人は完全に頭がおかしい」

    www.afpbb.com 2009年9月、と、少し古いものですが、AFPの面白い記事を見つけました。少し引用してみましょう。 「成長するにつれ聖書が嫌いになった」、「聖書は風刺する必要がないほど、それ自体が既にクレイジーだ」と語ったクラム氏は、220ページにわたる同作で、創世記の文言をわかりやすくマンガにし、天地創造からノアの方舟(Noah's Ark)、そしてヤコブの冒険まであらゆる紆余曲折を細かに描き出している。 「Robert Crumb's Book of Genesis」という著作についてはWikiでも紹介されています。 en.wikipedia.org もう少し引用しましょう。 …

  • ぶどう酒と革袋のたとえ

    www.psephizo.com 福音書の「ぶどう酒と革袋のたとえ」と呼ばれている箇所を読んでみましょう。 マタイによる福音書 9:14-17 そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った、「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。だれも、新しいぶどう酒を古い皮…

  • 劇団四季出身の牧師は年収800万(笑)

    note.com また悪いクセで面白いブログを見つけてしまいました。 女性牧師の話題のようですが、牧師が女性ということは、非原理主義というか、どちらかというとユルくて自由な風潮の教会なのでしょう。前任の牧師は「悪くない」牧師だったのだけれど、今の牧師は劇団四季出身の女性で歌は上手なのだけど、うつ病の罹患歴があり、余裕のない態度で好きにはなれない、ということです。偶然スーパーマーケットで出会ってもお互い知らん顔をするような間柄なのだそうです。 ある主日礼拝で、「奉献の祈り」の奉仕を担当することになったのだそうで、少し引用してみましょう。 司会者・オルガン奏者・奉献の祈り担当者は礼拝前に牧師からお…

  • 十人の乙女のたとえ

    mementmori-art.com マタイ福音書に、「十人の乙女」と言われるたとえ話があります。読んで見ましょう。 マタイによる福音書 25:1-13 そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。そのとき、おとめたちはみな起きて、…

  • 民族宗教との習合

    "Salita" della Madonna dei Sette Veli in Cattedrale, Ferragosto 2019 イエス様の母であるマリヤ様の立体像や画像を聖堂に展示して祈りを捧げるなど、崇拝を行うのは、正教会、カトリック教会、聖公会、ルター派などの教会です。彼らは「崇拝」ではなくて「崇敬」だと主張するようですが、キリスト教的に解釈するのであれば、人の行う祈念を間接的に理解する能力があるものは神以外にはあり得ないのですから、マリヤ様に対してお願いごとをするなど、祈念を捧げるといういことは、すなわち崇拝を行っている、と理解して間違いではないと思います。 次の動画を御覧くだ…

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