春爛漫のこの日竹島は日差しが強く日焼けが気になるそんな中で手織体験の予約があって芝生に織機など手織体験一式を持ち出した、竹島を眺めながら手織体験が始まった「いい日になりました」スタッフから手織の原理を習いながら手織が進みます「お二人とも凄く綺麗に織れていますよ」「ありがとうございます」織機の扱いになれれば手織ほど楽しいものはないこんなにのんびりと、時間を気にすることもなく機織りが出来るなんて幸せを感じます竹島のロケーションの中での手織体験は最高!です。春爛漫の手織り体験でした
愛知県の観光名所[竹島]の俊成苑に構える手織り工房 [竹島クラフトセンター]の主人が送る大きなひと
蒲郡観光の中心竹島海岸竣成苑において、市民と観光客を対象に織物工房と手織り教室を開催しています。旅の途中に絶景竹島の風景を眺めながら三河木綿の手織り体験で癒しの一時はいかがでしょう。
昨日は3回目のコロナワクチン接種をした。昨夜は注射痕が痛かったが、今朝は37度1分から36度2分であった。今日は一日休養することにした。ところが、朝からロシアのウクライナ侵攻のニュースで暗い気分で一日が始まった。街にサイレンが響き爆発音が響きテレビでは幼い女の子が涙ながら訴えていた「死にたくないよ」人間は何故戦争をするんだろう、ロシアの中古兵器でも持てば使いたくなるのか街が攻撃されて人の命が奪われていく勇ましくも何ともない愚かな人間どもの情けない姿太平洋戦争末期に生まれた私にとってブログ写真の投稿も控え、追悼と怒りの一日となった。ワクチン接種とウクライナ侵攻
春の海を眺めながら歩くコロナ感染が気がかりで出歩きもめっきり少なくなったが春の陽を浴びながら歩けばそこは三河の海静かな波面が私の気持ちも揺らす春といえば竹島のアサリ漁出番を待つ漁船の姿も竹島風景アサリのニュースも流れて気にかかるが船溜まりに揺れる船を見るのが好きだ。一人釣りをする人がいたそこへ行きずりの人が声をかける「何が釣れますか」日向ぼっこの釣り談義も竹島の魚である。竹島海岸写真散歩
今日は生徒のToshieさんの作品である切り絵を挿入したタペストリーの準備をしておく予定であったがつい、私は失念してしまったのです。先週に話し合い企画したデザイン企画書をもとにジャガード織りのコンピュータで意匠図を作った。切り絵を織り込む企画です使用する糸番手からオサの密度を決めて整経本数を決め、組織を決め綜絖通し図を決めてアッシュフォードテーブルルーム織機のレバー操作図も入れて企画が決定しました。プリントアウトした意匠組織図をもとに来週は整経準備に入ります。織物に切り絵を入れるってどんな感じになるのだろう竹島クラフトセンターの秘技の公開、それはこのブログを見てのお楽しみです。切り絵を入れたタペストリーを織りたいです
昨日から積雪のニュースで道路情報が気になる今日でしたが蒲郡の竹島は絶好の小春日和となった。コロナ禍で警報が発出中で手織教室は今日も定員一人で換気を取りながらToshieさんが糸紡ぎの作業をしていた。ハンドカーダーで綿を解して紡ぎの準備です。暖かい日差しを受けてポカポカ陽気で眠気も襲いそう外はご覧の通り春の日差しを楽しむ観光客がチラホラと春の竹島を楽しんで居ました。竹島の絶景を眺めながら手紡ぎを楽しんでいるToshieさん「今日は良い糸が出来たわ」リズムに乗って手紡ぎは気持ちの良い物です「心癒されていますよ大好きです」今日の収穫は羊毛の手紡ぎの糸でした。大切に枷取り器から外して「これは私の宝物ですよ」微笑んで居ましたがいつの間にか竹島の日向ぼっこが夕日に変わっていました。今日は日向ぼっこの糸紡ぎ
新型コロナ禍の中、暇を持て余して写真を整理していたらこんな写真が出て来た。[こんな時代もあったね]とパソコン内の写真を眺めた。西暦が1980年代、織物産業界はコンピュータ化の時代を迎えていた私の仕事場でも1994年になってコンピュータが導入された。蒲郡市の織物工場でもコンピュータ制御の高速織機が次々と導入されて蒲郡産地は量産型産地として生産も増えていた。織物デザイン業界でもコンピューター化が始まって、”バブル経済の終息”の危機を乗り越えるには近代化と省力化が叫ばれ、量産化と省力化の波は、職人の腕で成り立つ紋紙製造技術にまで影響して来た。なぜジャガード織物業界への導入が早かったのかと考えると、初期のコンピュータの8ビット、16ビットも、ジャガード装置から考えられたのかも知れないと思うほど似ていて妙な物となっている...織物企画と紋織物のコンピュータ化の時代
連日の寒さ、北海道では記録的な積雪となったそうだオミクロンの猛威も衰えず不安を覚える毎日だ。”はーるよこいはーやくこい”そんな竹島クラフトセンターの手織教室では市内から通うOguraさんが捩(もじり)織りのショールを織っていた一段づつ糸を捩りながら降り進めて無言の作業に没頭する「無心になります」「この作業が気持ち良いです」綺麗に織れた布に穴を開けたり隙間を開けたり変形な織物作りの教室でもあるから”先生も変人である”なんでこんな事するのですか当たり前じゃ嫌だからですか?いやいや、すごく真面目に織物の不思議を追求しているから解明出来た時は楽しいですよ自分の為に一生楽しめる手織を覚えて次の世代に伝えて欲しいそう願っているのです。少し温かみを感じる午後となった教室で
西尾市から手織教室へ通うSuzukiさんが先週から織り出した正真正銘の三河木綿のタペストリー、織り始めはSuzukiさんが初めて紡いだ糸から降り始めた。自分の畑で栽培をした綿の木に咲いた綿は西尾市在住だけに本家本元本物の三河木綿である。「いいねー!」凸凹感は自然が織り出す土や岩や空気のような存在感が表れてお部屋に飾る自然感が今Suzukiさんの手から生まれようとしているこの世に無二の布とはこの様な物と言えるのだろう、「織って見なければわからないわ」作ろうとして出来る糸ではない、上手ではなかった最初に紡いだ糸をお部屋に飾ろうとするアイデアは自分を見つめる勇気を感じます。さて、彼女はどんなタペストリーを作り出すのであろうか期待して見ることにします(続く)寒い中にも春の装いの三河木綿
今日も寒い朝になった記録的積雪があったそうだ三河湾を見れば雪雲が南へ流れ下っていく、コロナの感染拡大は今日も続くが私のワクチン接種もまだ少し先だ接種の始まりも遅く進みも遅い事が気になるが抗体が出来るまでは罹らない様に!とニュースを見て思う、換気を常時していて室内気温は上がら中で生徒さんが作業しているマスクを付けて換気の為に窓を開けて空気の流れを作っている寒さとコロナで来客も少ない今、進めたい作業をと始めた糸作りで教室内は工事現場のような状態です絡み織りの絹糸を合糸と撚り合わせの準備中で大型の玉造機とガラ紡機の撚糸を行っている午後のコーヒータイムでは多重織り、6重織りガーゼの仕組みと、組織と意匠法を解説する今日は一度に理解するのは無理なので概要の説明となったが西陣織や紋織を理解してもらい多綜絖織機をお持ちの方に応...午後は多重織り、6重織りの講義となった
今日は土曜日だが竹島は静か観光客もチラホラの俊成苑となった日中寒風が吹き雪が舞い寒い一日となった私は教室内で今日もガラ紡機で糸作りですガラ紡なのに筒の中は全部羊毛となって、羊毛用の張力と分銅の調節のデータを出すのが今日の仕事となった。隣のガラ紡機では絹糸を合糸と撚り機として使用、生徒さんの絡み織りに使うための糸作り作業です。5色の糸で濃淡グラデーションを織り出す企画なので糸比べ色比べの一日でした。開店休業中の糸作り
今日から新柄を織る準備が始まりました。3色縞の整経で組織は千鳥格子になりそうです。3色の糸を使って整経が始まりました竹島クラフトセンター特製の組み立て整経台で場所を取らずです。整経が終わったらさっと片付けますから生徒さんの織機毎に整経台が移動して組み立てられます。今日はアルパカの糸がセットされて整経が始まりアルパカの糸はふあふあすべすべで大変気持ちが良い糸です。新しい商品の整経が始まった
南の島に雪が降るという映画を見た事があります。今日は竹島にも雪が舞う程寒い一日となった。土曜日だがコロナ禍で人出も少なく竹島クラフトセンターの見学者もほとんど無い状態で開店休業、ところが昼近くになって雪がチラつくとわー!雪が降って来た子供のような声を上げている私、[南の島に雪が降る]これは太平洋戦争で南方の島の戦地に行った兵隊さんが慰問劇団の芝居の劇中に雪が降るシーンを見て遠い雪国の故郷の父や母や妻や恋人を想い涙を流すのです。そして全員が玉砕戦死してしまったのです。”もう一度雪を見たいな”それが最後の言葉でした。竹島に雪が
今日も寒い日となり御来店者も少なく寂しいような竹島海岸であった。竹島クラフトセンターの手織教室はただひたすら織りに没頭する人だけの1日となった。みどり綿を織るHiramatuさんは今日も黙々とみどり綿の糸を通すそして筬を打つ、飽きもせずただひたすら同じ繰り返し、一段一本を黙々と何が楽しいかって?同じ繰り返しは自分の心の中に籠って行くようだ一段織る毎に深く深くまるで千日回峰行のようにただひたすら繰り返す。その横では今日からチエックの柄を織り始めたIwakooさん初心者で織りを習い始めたばかりとは言うもののれっきとした繊維業の人で初心者と言っては失礼な人であるIwakooさんの男織りが始まった自分でデザインした縞整経をした経て糸に緯糸を通し始めた経糸の色と配列を変えると、緯糸が通り交差する毎に変化を始める同じであっ...今日も手織りに没頭する人
昨年12月から休業している[三河の手織体験]ですが本年3月から再開する予定となりましたのでお知らせします。昨年の感染の推移と季節要因とスタッフのワクチン接種も考慮に入れて考えて3月中旬には再開出来そうです。しかし現在オミクロン感染拡大中で大変危険な時期を迎えています。その中で私もようやく3回目ワクチンの投与の予約が出来ました。我が家で一番遅い私は2月24日に投与します。”マスク着用”、”蜜を防ぐ”、”換気”、消毒を実施して通気の良い屋外のタープテント内で行います。季節要因を考えれば8月末から9月末には手織体験を中止することも考えています。みんなで一生懸”命”を守る努力をしましょう。写真を撮してももマスクの無い写真を撮るのは難しい世代になってしまって、チョンマゲの無い明治時代以来の出来事の様に映像で時代がわかる時...3月から三河木綿の手織体験を開始予定
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春爛漫のこの日竹島は日差しが強く日焼けが気になるそんな中で手織体験の予約があって芝生に織機など手織体験一式を持ち出した、竹島を眺めながら手織体験が始まった「いい日になりました」スタッフから手織の原理を習いながら手織が進みます「お二人とも凄く綺麗に織れていますよ」「ありがとうございます」織機の扱いになれれば手織ほど楽しいものはないこんなにのんびりと、時間を気にすることもなく機織りが出来るなんて幸せを感じます竹島のロケーションの中での手織体験は最高!です。春爛漫の手織り体験でした
今日から弟子入り修行がはじまった。東京から通いで織物修行である繊維の専門家だが、まずは綿のごみ取りから始まった。綿のゴミを取る作業を始めると「ゴミがあるのが天然の綿の証明だからゴミがあっても」と言う一般市販されている綿の衣服は、いかに汚れたワタを科学的に白く見せるか、これから解るだろう国内産の綿は保存管理すれば変色することはない、白い綿が梳ぎ澄まされて純白の綿に艶が出て来たら次の作業に入るが、今日はこれまでだ。東京からの通いは大変だが身体に気をつけて通ってもらいたいと思う今日から弟子入りです
繊維産業の町、蒲郡市には縫製業も多い町であった。だが竹島クラフトセンターは縫製部門は弱い、生徒の作品を見ても家庭用ミシンを使っているので今日は工業用ミシンの登場である。紡ぐ、染める、織る、縫う、そこで、商品としての完成度を求めてこんな企画を開催してみた。工業用ミシンは重く移動が不可能と電源も必要にするためにクラフトセンターまで車を入れて縫製の作業をすることになりました。蒲郡産地の繊維産業を見てもらい知ってもらうために縫製作業を公開しています。今日の作品の生地は、みかん染めの銅媒染で反応させた布を使用、宮崎駿監督が仕事で使っているエプロンを前から欲しかったので今日はそれを作ることにした。20年も前に染めた厚地の帆布なので家庭用ミシンでは縫えない、今日は絶好のチャンスなので。観光客にも見てもらう公開作業となっ...織ったら縫ってみよう!教室
みなさんようこそ蒲郡市へおいでくださいました。では私がご案内をさせていただきます。東名高速道路[音羽蒲郡]インターを出て(料金所を出たら右側車線をとると良いです、そのあと国道1号の交差点手前では真ん中の車線に入ってください)国道1号線を横切り直進南下してください。するとトンネルを2つ通過します。”トンネルを抜けるとそこはミカン畑だった。”この道路はオレンジロードと申しますゥ~ここ蒲郡は全国でも有数なミカン産地でございます。道は下り坂ですから、スピードの出し過ぎににご注意下さい。私もここで捕まっております。急ぎ旅でござんす、なんて旅の途中でネズミ捕りじゃ楽しい蒲郡観光で土産も買えなくなっちゃうよオ~そのまま海に向かって真っ直ぐ走りますと、着いたところが竹島遊園です。昔の鉄道唱歌って知ってます?その中に海の眺...TCC・竹島クラフトセンターへのご案内
「今日は歩こう」「いいね、何処へ行く?」さっそく水と軽い食料、シューズとストック、ライトと雨具を用意して出発、「何処へ行くの?」肝心な行先は決まらないまま車は発進した。車は本宮山を眺めながら北上した。「何処へ行く?」着いたところは鳳来寺山の門前だ空も晴れて桜も満開門前のラウンドマークの灯籠を眺めながら歩くゆるゆると歩を進める早め早めの水分補給の用意を忘れずゆるゆると行こう足元のすみれが今年も迎えてくれた自然の色は優しいな昔の門前の建物が私たちを迎えてくれた石でも無い木でも無いツルツルの味気ない建物より白壁と木目が優しい建物が好きだ。自然と共に私たちを迎えてくれるこの通りは心和むところだ。鳳来寺山の岩峰がマグマの突き出た姿を見せてくれた。この鳳来寺火山の隆起で天竜川は流れを変えたのだ。竜宮を祀った池を眺めな...今年も登った鳳来寺山
「出来ました!」教室内に生徒の伊藤さんの声が聴こえた。「おー!出来たね」わー!すてきだわ!おめでとう御座います。草木染めで染めた綿のショールの手織作品である昨年の秋に採取したミカワ苅安を煮出して染めた綿糸を使ってチェック柄を織り出した。グランドはアルミ媒染で染め、濃茶色は鉃媒染の処理をして染め出した。織機から切り出す布の誕生は新たな命の誕生に似て長時間かかり織り出され生み出された布は命の誕生に似た感覚を覚えるものである。伊藤さんの作品が出来た
今日は朝から棉打ち仕事だ糸を紡ぐには綿打ちをしたほうが均一な糸ができる均一な糸が欲しければ緻密な綿打ちが必要となる均一な商品を大量生産となると私の主義とは相反する事になるが緻密な綿打ちの綿が出来れば、多様な糸を作る事が出来る飽きもせず淡々と綿を打つ昔は弓を使って棉の繊維を解すのが古来からの方法だが現在ではほとんど使ってはいない(愛知県の西尾市の天竹神社の祭典では棉打ちの儀式を行っている)綿打ち作業をする
新しい織物研究用に大型織機を自宅から運び出す為に解体して竹島クラフトセンターへ運び込んだ。解体は接続部分には記号を書き入れながら、歳をとった事を嘆きながらの解体であった。TCCへ運び込むと今度は組み立ての作業となった。桜材は艶もあって美しい、十数年ぶりの里帰りで今回は新しい織物作りの為に竹島に設置された織姫様である6枚綜絖を備えているので組織織りも出来て本格的織りが楽しめ間長も長く絹も織りやすい織機である。セクショナルビームを備えているので技術としても保存しておかなければならない経糸が準備され次第、生徒に公開しながら動かすつもりである。整経機がビームになるので、整経機付き織機であるドラム整経機のシステムを学ぶ公開授業をする予定である。TCCへ大型手織り機を組み立てる
竹島クラフトセンター前の花壇の綿が実り始めた下に向いたコットンボール、この中に綿が包まれていますコットンボールの先端には鋭い棘があるが中の綿を守っているのだコットンボールが弾けて綿が飛び出しました。1200年前まで日本にコットンは存在しなかったが三河海に漂着した崑崙人が綿の種が入った壺を持って上陸したことが日本の綿の文化の始まりなのです。先日の荒天で潮風を被り塩害を受けたがそれにも負けず開きました。塩害で枯れた葉が痛々しい姿を見せている。長雨で開きが悪かったコットンボールもこのところ晴れで一気に開き始めたが野菜市場と同じで今後の天候が悩みの種である。一足早く実りの季節
コロナ感染急拡大私も4回目のワクチン接種も終わり母のワクチン接種にあたり体調が心配なので故郷に帰って様子を診たが大した副作用も無く過ぎた。この間、綿も最盛期を迎て綿を沢山実らせていた。綿が鈴なりとなって私を迎えてくれた。和棉と地綿を植えて昨年からの連作栽培も豊作となっていた。綿の根元に繁殖した綿菌の繁殖が良かったのか、それとも猛烈な高湿高温が熱帯性植物の綿には良い条件になったかも知れない。今年のコロナ7波と和棉は豊作だが
今日は朝から雨綿も濡れている玄関の和棉も濡れて重そうに垂れてしまうこの写真は和棉である幹は赤茶色をして葉脈の中心も赤いのです雨に濡れると綿が垂れて落ちてしまいます。この写真は三河地棉の棉である雨に濡れても垂れて落ちる事はない同じ和棉の種類ですが、それぞれ遺伝子の性格を持って実っているのです。雨に濡れた綿
昨年春に種を蒔いて綿を採取した綿の木に今春芽が出て花が咲き綿が実った。この写真の綿は和棉です茎は赤くコットンボールの赤色が挿している下の2枚の写真は西尾市天竹神社ゆかりの三河地綿です幹は緑色で葉脈の付け根も緑色が特徴です天竹神社ゆかりの三河地棉の綿毛は繊維長が短く太く、縮れも激しく原種に近いと思っています。他の都府県でこの綿を栽培している人がいたらご連絡ください。(過去に蒲郡市が配布しているので栽培しているかも知れません)和棉と地綿
三河の国、蒲郡竹島に綿を植える事業が始まった。三河は繊維産地として長い歴史がある、西暦799年に綿の種を持った崑崙人漂着から始まり、戦国の世に徳川家康の母於大の方が三河の国の振興を願い松平家臣に綿の作付けを奨励したという記述がある。その後、産業革命と共に日本も繊維産業振興に努め蒲郡も織物機業地として発展して来た。私自身、生まれ故郷の浜松から紋織物意匠家として蒲郡へ来て蒲郡の機業地としての魅力を知った。ここ蒲郡は多種多様の織物生産地であり、自ら産地として新企画新柄作成を競い全国各地へ売り込み、ガチャマンと言われるほどの利益を得た機業地であった。つまり、町中が機業地であり、織機の音が絶える事が無かった。”蒲郡の町から織機の音を消してはならない”との想いで始まったミカワルネッサンス事業の一環として綿の畑作りを始...竹島に三河木綿を植える、芽が出て花が咲き実が熟る
綿の花が咲き始めました。と同時に台風が北上、迷走台風というか酔っ払い台風と言うか長年台風を見続けてきた私もこんな台風は初めてだ。気象庁の台風進路予報もまさか!、と言う進路を正確に伝えている。豊後水道を北上か、と思ったら九州縦断となりそうだ。ひと安心なのだが、今日の竹島は東風が強い、綿の木を揺るがす風の強さに怯えているのは花が咲き、実を生らし始めた綿に早々の台風の来襲だ。三河地綿と言う綿を知っている人は少ない、三河地綿の繊維は太く短く縮れが激しい綿である。その特性ゆえに糸紡ぎをする人や業者には評判が悪い私も手紡ぎやガラ紡機での紡ぎをしていて実感しているが私にとって三河地綿特別なわたである。この綿がなければ現在の三河木綿の事業はなかった。私の地綿の種は25年前に天竹神社鈴木稔さん(当時)から頂いた種であると同...三河地綿物語1
今日はプランターの綿の木を処分する為に綿の木を抜いた。このプランターに綿の種を植えられて4年、つまり4回綿を実らせたが今日は切り倒された。コロナ禍の時代を綿の花を咲かせてくれ、孤独と不安を慰められていたのかも知れないこの木の枝に来年の綿の芽が出始めていた5mmに満たない小さな新芽がすでに芽を出していたきっと冬の寒波の時期を通り越せないであろうだが、芽を出して次の実りの準備しているのだ。枝につけた新芽の命も一つの命であるこの綿の木に命を繋ぐ生き物もいたこの虫達もここの世界で生きて来たのだ私はこれらの命の元を切り倒したそれもこの綿の木から搾取しようとした人間葉の裏には虫達の排泄した蝋分が見える枯れていく綿の木に生まれついた虫達を害虫と呼び駆除しようとした私この蝋も次の世代の生きる糧になるのだろう小さな世界の小...私の綿の木4年の年輪
はーるよ来いはーやく恋?昨日の夕方雨上り久しぶりの青空で思わずカメラがこれだ!芝生にさかさまホテルがひと時降ったからな雨上がり?空は梅雨明け
あれ!、竹島が無い!竹島が霞の彼方だ20年以上竹島に住んでいるがこんな風景は数回である夜になったらこんな風景が現れ幻想の俊成苑となった藤原俊成の像から降臨のようにおー!なんと言うお姿がこんな風景が現れる蒲郡あなたも来てみませんか今日の竹島は雲の中だった
竹島クラフトセンターの手織体験教室へ一人の女性がやって来た「私は台湾から来ました」と、上手な日本語で自己紹介をしていただきました。早速竹島の見える窓際で機織り織機を設置して今日は三河木綿のコースターを織っていただきますスタッフから織機の構造と織物のが出来る原理を学びながら手織体験が始まりました。「経糸の奇数と偶数の糸を綜絖装置を使って上げ下げする中を緯糸が通過して筬をトントンと打ちます」正確な織機の操作で見事に織れたコースターが出来上がりました。「私は蒲郡で働きながら織物の技術を学びたい」と言う事で基本の技術から学ぶことになりました。出来上がったコースターを掲げて喜びの記念撮影ですおめでとう御座います!台湾から手織体験にやって来ました
昨日は雨が降り始めた竹島海岸は人影も少なくなり閉店しようかなと思っていると2人の女性がご来店です。英語で何やら話していますが言葉が通じません身振り手振りの話で「手織でコースターを織りたいが可能か?」中国語だと聞いていたが英語で通じる事がわかって「yes、OK!」手織体験をしたい気持ちを身振り手振りを交えて訴えて来る2人の気持ちを受けて織機の準備をしました。準備が整った織機を見てItisamazing!これから、身振り手振りの手織教室が始まりました。「好きな色糸を選んでいただきます」「???」「Whatcolordoyoulike?」好きな色糸を選んで手織体験が始まりました「シャトルを通してトントン」「Tonntonn?][そう、トントン」「Wakattawstonntonnne」珍道中ならぬ珍織物体験が進...私たちは香港から来ました
「手織体験をしたいんですが」二人の女の子が手織体験の申し込みです教室内は生徒が製織中なので今日は店のスペースに織機を配置して手織体験をしていただきました。外は春とは言ってもまだ風が冷たく外のタープ使用はまだ早い店先で体験を楽しめたか心配だったが夢中で織っている姿をみて一安心しました。手織体験の様子を見に行くとすでに房作りも終わっていて仕上げの様子を見てびっくりでした最初から同じ感覚を保って見事な織りを見せていただきました。「すごく綺麗に織れていますよ」と言うが、何事もなく織り上げている表情を見て特別な事もなく当たり前に淡々と集中できる人を羨ましく思ってしまう私でした。「出来ました!」と作品を見せていただきましたがこれを何事もなく当たり前に出来てしまうなんて!今日もまた天才が現れた!と思った手織体験でした。竹島で三河木綿の手織体験をしました
「手織体験をしたいんですが、出来ますか?」一人の少女が手織体験の申し込みです。早速手織機材の準備をして手織が始まりました。日本の綿花の歴史は西暦799年に三河湾に漂着した小舟に綿の種が入った壺を持って一人の青年が上陸しました。その青年は崑崙人だと名乗り、土地の人々に綿の作付けを教えたのです。その地に天竺神社(天竹神社)を綿神さまとして祀ってきました。そんな、綿の話をしているうちに「私、インドに生活していました」インドといえば現在でもコットンの生産地でありアジア綿の元祖はインド綿なのです。インドの話が盛り上がっているうちにコースターが出来上がってきました。最後の房作りも終えるとコースターの完成です「楽しかったです」「インドのお話を聞けて楽しかったです」綿の繊維が飛んで来た話も興味ある話です最後に完成したコー...一人手織体験をしました
「手織体験をしたいんですが、出来ますか?」手織体験の申し込みです早速、手織織機の準備と糸など機材の準備と織り込む緯糸の準備をして手織体験がスタートしました。「緯糸は斜めにセットして縮み分の距離をとりましょう」手織には作業の手順に意味があるので、その解説をしながら織物が進んでいきます。「以前から一度はやって見たかったのです」「憧れの手織が出来て嬉しいです」大量、高速、効率、などなど現代は忙しく合理性を求められ、仕組まれた構造社会の中で私たちは生きていますが、その真反対の作業が手紡ぎ手織りなのです。「出来たー!」「凄い!、私にも出来たわ」教室内に喜びの声が上がります。ゆっくり過ぎて時間を忘れなければ出来ない作業ですねだから無心になれるのです!30分そこそこで無我無心になれる作業が手織りにあるのです。「出来てよ...二人で心を込めて織り上げました
「今日は手紡ぎです」と言いながら紡ぎ車を持ち出すToshieさんかつて染めた原毛の中から、好きなカラーを取り出してスライーバーを作って紡いでいます。「これをすると心が落ち着くのよ」一心に綿から糸を紡ぐ作業は心の安定をする作用があると言う「無心になれるのよ」と言いなながらも手を休める事なく作業を続ける「だから、1時間かけても暇を見つけては通って来るの」静かな竹島海岸の絶景を眺めながら無心無欲の糸作りを続けていました。今日は糸紡ぎです
市内から通うOkuraさん今日も自分の畑で採れたコットン綿を紡ぐ作業に入っていた。先週に綿打ちを終えて今週は紡ぎ作業で糸紡ぎ機の登場である「ゆっくり、優しく引いて」「車を回せ」「綿を引け」自分に合わせるのでは無く綿と糸に合わせて!注意が飛ぶ中でも黙々と紡ぎ続けているOguraさん「だいぶ良くなって来たわ」始まったばかりの手紡ぎである家に帰ってもイメージトレーニングをしているOguraさんである私は洋綿の手紡ぎをします
今日は久しぶりでYamamotoさんの教室に出た。羊毛の手紡ぎから手織までを習いに豊橋から通っているドラムカーダーで原毛をカーダー掛けで解毛をしている毛の流れを整えてより紡ぎやすくする作業である。良い糸を紡ぐには良い綿を用意しなければ出来ない午前中に大きな袋に一杯の綿をカーダーにかけて終わった。家で紡錘車で紡ぎ続ける作業に入るのでしょう。羊毛の糸紡ぎ、今日はカーダーをかけます
心筋梗塞を患って登山を諦めていた妻が山へ登るという夢にまで見ていた登山であった。何処へ行こうか、そうだね無理は禁物だから緩急の無い同じ調子で登れる山で、登山再開の意味を含んだ山を選んだ。そして選んだ山は鳳来寺山!だった。大河ドラマ”どうする家康ツアーズ”に出演のお礼参りとなった。徳川家康の母於大の方が松平家臣に三河木綿を広めたことで三河木綿の綿と手紡ぎと手織りのシーンを幸田町深溝の松平家臣の家から出た江戸時代製作の手織織機とその作業が出演のきっかけとなったようだ。そんな意味を込めて鳳来寺山登山がはじまった。私が高校生の遠足の時は国鉄本長篠駅で軽便鉄道田口線に乗り換えて鳳来寺駅で下車すると門前町を歩き始めた。今日もかつての鳳来寺駅跡から歩き始めた。(当時の鳳来寺駅は観光客でごった返していた)今は静かな門前町...鳳来寺山
「三河木綿のフルコースをお願いします」三河木綿のフルコースの予約をいただいていたご一家が手織体験に挑戦です。三河木綿のフルコースとは畑で採れた綿の種取り(綿は植物です)から綿の繊維を解す綿打ち作業(綿の塊を無くして綿らしくフアフアにする)それから糸車を使って糸を紡ぐと言うかなり難易度の高い作業を学んでいただきます。母娘三代の三河木綿のフルコースです。お孫さんから綿繰り作業から始まりました。木製の綿繰り機ですから木が擦れる音を立てながらキー!キー!と回転しながら綿と種が分離しています。このフルコースはやってみたくてもなかなか難しいと挑戦の人は少ないが「昔お婆さんがやっていたことを思い出す」「家にこんな道具があってどう使うのか知りたい」申し込む人は昔を懐かしんだり、向学心があって挑戦するようです。次は古来の弓...三河木綿のフルコース
竹島クラフトセンターでは今日も組織織りを学んでいる綿織物製品を販売している柘植さん、今日はワッフル織りの組織を自分で組み立て織り始めていた。「まだ間違えているところがあるから、あまり見ないで」綿織物のベビー寝具の(株)三敬の社員だが、この人綿畑も耕作している竹島グランドゴルフ場近く(蒲郡市松原町)竹島海岸にある畑で三河木綿の綿を育て自ら織物を織ってしまうという事業がはじまった。三河木綿の三河の綿の基本的根点作りが始まったのです。冗談ではない大変なことを始めてしまったのです。新しい三河木綿の拠点はここ竹島の綿畑から発進します!もうすぐ種まきです!その様子も投稿していきますのでみなさんよろしくお願いします。三河木綿の綿畑から織物まで
春の日を浴びてほのぼのと潮風に吹かれほのぼのとそんな気持ちで機織るのは三河木綿蒲郡へ観光に来て初めて知ったこの地に繋がる木綿の話こんな大自然の中で織れるなんて素敵!いいなー!こんな街に住んでるなんて織るのは小さなコースターその中に広い世界を感じる蒲郡っていいな「出来ました!」お母さんと一緒に織り上げたコースターを掲げて記念撮影です。「又来たいね、蒲郡」今日もほのぼのと出会いとほのぼのとした別れがありました。ほのぼのとほのぼのと
私も織りたいわ少女が一人手織体験に挑む「だって、みんな織っているんだもの」大人にも負けない程の手際良さでコースターを織り最後の房作りも難なく作りコースターの完成でした。おめでとうございます!私も織りたーい
今日は朝から晴天で開店と屋外体験の準備をしていると早速体験の申し込みです。ご一家の三河木綿の手織体験の申し込みです「何人様が手織を致しますか?」「4人が体験したいんです」と言う素で手織織機を一台追加となりました。ご自分で選んだ色糸を使ってそれぞれ始めての三河木綿の手織体験となりました。最初は緊張気味で始まりましたが数分もすると慣れた手つきで織り始めてコースターが完成する頃にはもう一枚織りたい気分のようでしたがご旅行の計画もあって今日はこの辺で終わりとなってしまいました。写真の枚数が少ないのは4人様の体験とあって私がカメラで撮影の余裕がなくて失礼しました。今日もタープドームで満開
今日は歩きたいねの一言で家を出た桜が満開私の心も温かさ満開やがて道は田園地帯に私は土が見える道が好き山の桜が咲き道にはたんぽぽが咲く道の分岐に咲く桜どちらへ行くの?あれ!道が行き止まり家のおじさんに聴くと昔は道があったが今は無いそうだ間違えたら戻ればいいどうせ家まで戻るのだから散歩は楽しいそれにしても会う人もない道寂しいね田園散歩道をゆく
竹島クラフトセンターのプランターに植えてある綿の木から今年も芽が出た。小さな小さな葉の形をした小さなな芽今年も生まれて来たね緑の芽三代目の芽だから孫の芽なのか誕生してくる動物も植物も幼く可愛いのは何故だろう今年も芽が出て花が咲く三河の綿
「今日は三河木綿の手織体験は出来ますか?」ご一家で蒲郡観光のお客様が体験の申し込みです。「織機の準備をしますから少しお待ちください」と、云うわけで準備を始めたが外はあまりも良い天気なので「今日は天気が良いから外でやりましょうか」と云う具合で藤棚の下に織機をセットして、色糸も揃えて準備完了二人の子供たちが手織体験に挑戦することになりました。スタッフから織物が織れる原理と織機の操作法を学びながら手織体験が進みます。「気持ちいいね」「お!、ピンクのコースターじゃん格好いいね」少し慣れてくると織機の操作も自信満々「綺麗に織れてるね」ちょっと緊張がほぐれて笑顔を見せてくれたお兄さんはブルーの色を選んでこちらも慣れた手つきで織り進めています。「ブルーが好きですか」ハイ!と頷いてくれました。両耳とも非常に綺麗に織ってい...藤棚の木陰で機織り体験
豊川市から修行中のItoさんです先週から千鳥格子を織る勉強が始まりました。企画書を片手に糸本数の確認や筬の密度や綜絖の通し方など織物の基礎を学んでいます先週に作業した整経を今日は筬と綜絖に通すのです「4枚綜絖の千鳥の組織は綾織だから、ちょっと待てようーん耳が‥」と唸った、先生が云うので緊急作戦会議が始まった。「こうした技術を使おう、わかったかな」「ハイ!、なんだかまだ解らないがそうします」織物も創作だが技術も創作するのです!今日は整経から始めました
今日の教室に新作バッグが登場した「先生新作です。見てください」早速光線の良いところで作品を置いて撮影となったこれ、ブログに出して買いがついたらどうする?売れたらどうしよう!私バッグを作りました
今日は在所の街?歩き「どこか行きたいね」「何処へいくの?」と云うわけで家を出た「どこへ行くの?」わからんまま歩く30分ほど歩くと山王神社と言うお宮について一休み村の鎮守の神様の日陰に入って一休みさて、ここから何処へゆくの?わからんたんぽぽと野苺の花がかわいいスマホ片手に散歩みちだが行き先不明は苦しいぞ「右へゆく?」「それとも左?」春なのに夏のような暑さの中でふるさとの散歩ブログ「もう帰ろうよ」「帰りは味噌を買って帰ろう」アイスクリームも食べたいね彼岸だからぼたもちも”キッコロ”の肉うどんを食べたいあの凍ったやつ?それがいいね早くかえろう散歩帰りにキッコロの肉うどん
「手織体験をしたいんですが、出来ますか?」お母さんと一緒に手織体験に挑戦です「私、出来るかな?」そんな感じで手織体験がスタートしました。スタッフから織物が出来る原理と織機の操作法を学びながら手織体験が進みます「あれ!ここが変になってる」スタッフが近寄ると「大丈夫ですよ、織物は元に戻せますから」親子であってもお母さんは自分の織機で織りお子さんも目の前の自分の織機で織るそれぞれの織機に向かって自分の力と作る想いで織機に向かっていくお子さんは隣のお母さんと離れて自分の世界で織りに没頭するお母さんも隣のお子様の織りには気にもせず織機の操作に没頭しそれぞれ親子が自分の作品に集中することになり一緒に居ながら違う世界にいる親子さんです。私は。親子の心が独立した様子を毎日見ているが出来たー!やったー!お母さんと一緒に織り...お母さんと一緒に織りました
春なのに晴れた日には真夏の太陽を想わす竹島俊成苑午後には親子で手織体験の観光客の姿が見えた野天での体験には太陽の直射を避けてパラソルが張られてビーチで織物体験という絶好のアクテビテイーとなっています。「広い芝生で機織り体験なんて良い気分だわ」日陰は涼しい風が吹き、遠く三河湾を見通し島々の彼方に渥美半島を眺めながら母娘の三河木綿の手織体験が進んでいます「広い芝生で機織り体験なんて良い気分だわ」日陰は涼しい風が吹き、遠く三河湾を見通し島々の彼方に渥美半島を眺めながら母娘の三河木綿の手織体験が進んでいますお嬢さんは三河湾ブルーを選びその中に白い三河木綿の手紡ぎ糸を織り込みました。ブルーの海に一筋の白波のごとく新鮮なデザインになりました。竹島に手織織機の音が響いて通りすがりの観光客が見物に来ます。「あれ、機織りを...お母さんと一緒に三河木綿を織りました
「予約した者ですが体験は出来ますか」予約のお客様のご来店です。三河木綿の手織体験でご来店のご夫婦です。最近はご夫婦での体験も増えて来ました。どちらかと言えば奥様が体験をしたくて申し込みが多いのですが織物に対するこだわりが多いのは旦那さんである。男性は織機のメカニズムから理解する方が多くて奥様は、感性や感覚的な興味やこだわりがあって体験を申し込むようである織る姿を見ているとご自分の作品の出来栄えで満足する到達点がご夫婦ごとに違っていることは面白いことである。目の前に竹島の絶景を眺めながら今も徳川家康の母、於大の方が広めた三河木綿を織る旅行客のすがたを見たらどんな想いであろうかきょうもご夫婦で於大の方に繋がる三河木綿を織る