ロースクールを卒業して法律から離れて もういちど 司法試験の方向をむくまでの間、 何回か… 『もし いますぐ司法試験の合格通知が 自分の手元に届いたら どうする?』 と ふいに想像することがあった。 なぜだろう… 『やった!』とも『うれしい!』とも 思えない自分がそこにはいた。 あれ? ロースクールにいた頃の自分は 空から司法試験の合格が自分のところに まぐれでいいから コツンと落っこちて当たってくれないかしら…と 窓の外をぼんやりながめていた気がするのだけれど… 『そんなの要らない。』と心が言う。 結婚式の日。 自分のとなりには 当たり前に父がいて 父と腕を組み 神父さまに向かい一歩いっぽ …
そろそろかなぁと思う。 これまでなんとか自分の容量めいいっぱいに 家族と勉強と仕事をつめこんで 日々を暮らして きたけれど、 2020年の予備試験に照準をあわせることに決めたことで 自分に与えられた時間の長さを強く意識するようになり これまでどおりの時間の配分で果たしてよいのか… いまここで考え直したいとおもうようになった。 昨年からずっと考え悩んできたことだけれど やはり仕事を減らし、 そこに 勉強をいれていく必要があると 再認識する。 できることなら… これまでどおり何も変えずに進めていきたかったけれど、 いちどきちんと整理をして 自分の容量をあけなければならないときがきたのかなぁ、とも思…
学生のころは、何を置いても『勉強』をすることができたけれど、 『責任』や『守りたいもの』がだんだんと積みかさなるうちに、 そうはいかなくなっている自分にはたと気づくときがある。 『考えすぎる』ことも年々 積みかさなって前を塞ぐ。 思い立ったらすぐ行動。 とりあえず動いてから考えていた かつての自分を すこしずつ取り戻していけたらいいなと思う。 『責任』や『守りたいもの』は しっかり左手で にぎって離さないままで。 にほんブログ村 にほんブログ村
次女が昨晩より発熱してしまい… 今朝もつらそうにしていて高熱だったため やむなく休日診療にタクシーで向かう。 診療所の建物の外まで順番待ちで 並んでいる方がたくさんいらっしゃり 思わず後ずさりする。 40人待ち…とのこと。 少々の発熱では 受診せず自宅で安静にして 回復を待つことが多い自分には、 あまり考えが及ばずにいて ほとんど認識していなかった現実を目の当たりにする。 《日々の暮らしのなかの 自分の知らないところで、 いつも どこかで 辛い想いをしている方が こうして必ず いるものなのだな…》 と、深く心に刻むように受け止めた。 父が闘病していたときにも、 自分自身が産前産後に長期間 日常…
アガルートの重問(論文式演習) 憲法をひととおり終えた。 あとは、憲法の短答式の問題演習ののこり (わりと多くのこっている…)を終えたら、 次の科目の問題演習に進みたいと考えている。 論文式の問題演習をした学習範囲と重なる部分を同日中に 短答式の問題演習でも取り組む方法を 最近 行うようになった。 この方法による進め方が、 今の自分にとっては とても効率が良く 理解と知識の定着がスムーズに行えているようで 気に入っている。 にほんブログ村 にほんブログ村
いちにちの過ごし方を タイムスケジュールとして 記してみようと考えたのですが、 百聞は一見にしかず かしら… と思い 作成してみました。 とてもむずかしく 思うようにいかないところも 多々のこっておりますが、 さいしょの一歩ということで目をつぶり 載せさせていただきます。 にほんブログ村 にほんブログ村
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい あぁ…ほんとうに そのとおりだね、 と心の奥から ため息とともに 言葉がこぼれる。 長女の学校では 入学してからずっと 毎日欠かさず〔音読〕が宿題として出されている。 音読の内容は、学校の教科書掲載の文章、 有名な物語文、百人一首や漢文、 長く読み継がれてきた名文など、 親自身も聞いていて 学びとることのあるものも 多い。 宮沢賢治の名文も たびたび読み上げられる文章のひとつで、 昨日も 長女が音読するのを じっと聴きいっていた。 「雨にも負けず… 風にも負けず…」 気づけば意識は、 先日の自分がとった姿勢について 考える場所で 立ち止まって…
夫は たまにサバを読む。 それも若い方向にではなく 年齢を重ねる方向に。 実年齢がわからない… と ときどき真剣に 自分の年齢を数えている夫の姿に お腹を抱え笑いながら、 同い年の自分には 夫の気持ちが すこしだけ わかる気がしていた。 自分が認識する『自分自身』とそれに見合う扱い、 というものを 他者から受けることができていないな… と感じることが度々ある。 自分のことをよく知る他者からは そのような扱いは 決して受けないため、 あまり自分を知らない または 知りたいとも思っていない他者から そのような自己認識から大きくズレた扱いを受けるたびに、 ちいさく驚き 深く傷ついてきた。 学校でも、…
専門書籍は とても高額である。 分厚いから仕方ないのだろうけれど、それでも高い。 そんな高い問題集を よくよく考えて 慎重に選んで やっと購入した。 もうその一冊とどこまでも一緒に歩んでいく心持ちである。 一冊買うたびに 清水の舞台から飛び降りる気持ちで お財布の紐をほどいてきた。 こうして短答式試験の問題集はひととおりそろい、 ある程度 問題演習にも取り組んだ。 これはいまから一年くらい前のはなしである。 それから… 基礎講座を受講し、論文式試験の勉強を経て、 そろそろ短答式試験の勉強を再開しようと 一年前の自分が添い遂げる決意をした あの 短答式試験の問題集を手に取った。 当時は、たいそう…
どうやら自分は 『受験生』というものと関わりの深い人生を 歩んでいるようである。 まさにいま自分自身もそれであるし、 仕事でも『受験生』とは 長い間関わりを持つことになった。 『受験生』が たくさんの時間と労力を費やして これまで積み重ねてきた努力と想いを ひとつに集約させて臨む 試験本場が近づくと、 決まって 自分のもとに 巡りかえってくる言葉がある。 それは 優しく強い音楽に乗って ふいに やってくる。 心配ないからね 。 君の想いが 誰かにとどく 明日がきっとある。 どんなに困難でくじけそうでも 信じることを決してやめないで。 そして。 繰り返し こう伝えてくれる。 どんなに困難でくじけ…
昨日は勉強をしていると ぐらっと視界がゆれて あれ?っと思ったら 頭をあげていられなくなった。 目眩である。ひさしぶりだなぁ。まいったなぁ。 「体調不良」と「気合いでなんとかなる」 の境界線のうえを目をつぶって歩いていたことを、 ここに至って ようやくはっきりと自覚し反省した。 ごめんね自分。 ベビーカーを杖代わりにして えっこらえっこら 次女を迎えにいき、少し横になり お友達と別れてひとりになる場所まで長女を迎えにいき、少し横になり。 夕食作り、掃除、お風呂…ひととおり一日の仕事を終えたころ、 ちょうど帰宅した夫に 「わたしゃもうだめた…」と事情を端的に伝えて 早々に寝た。 朝、目を覚ました…
ロースクール時代、 エクスターンでお世話になった弁護士の先生は 人格的にとてもすばらしい方だった。 ロースクールに入ってから さまざまな弁護士の方の人間性にふれるたび なんだか思ってたんとちがうなぁ…と 期待を裏切られた気持ちになっていた自分に、 弁護士にもこのような素晴らしい方がいるのなら やはり法曹を目指してみようと思わせてくださった方であった。 その弁護士の先生は 依頼人の話を丁寧に聞いたうえで、 当事者間の話し合いで解決できるのならば できる限り そちらを優先させていらっしゃるように見えた。 とくに家族関係をはじめ、 依頼人の人間関係に密に関わる争い事については その姿勢が強かったよう…
二か月に一度くらいの頻度で 《どうしようもなく 眠たい日》 というのがやってくる。 ''夜は1時すぎにベットに入り 朝は5時55分に目覚ましが鳴る" というのがいつもの睡眠状況で、すこし 寝不足な感じはあるけれど 気合いでなんとか いちにちを乗り切り 暮らすことができている。 けれども ときどき思い出したように訪れる 《どうしようもなく 眠たい日》には なにをもっても太刀打ちできなくなる。 とくに冬はその具合がつよくなる。 冬…眠い…あ! 早速Googleで検索である。 『にんげん 冬眠』と打ち込んで クリック。 すると、 『ヒトはあたたかいアフリカで進化をしてきたため 冬眠をする習性を持たな…
今朝もひとり早起きをした。 同じポーズをして眠る3つの寝顔に 「いってきます。」の挨拶をして、ドトールに向かった。 仕事までの時間、朝一番に家を出て勉強をする習慣が こうして 自分にとって毎週の楽しみになるとは ほんのすこしまえまで 考えもしなかったことである。 いや…もしかしたら何度も思いついてはいたけれど、 行動にうつすことができていなかっただけなのかもしれない。 『想いが行動を変える』と どこかで聞いたことがあるけれど… 『行動が想いを変える』ことだってあるものだ。 こんなふうに。 プロの専業主婦になろう、と決めて邁進して数年が経った頃、 家事を効率よくできるようになったり こどもたちが…
邦画がすきである。 なかでもすぐそこにある日常を ゆるやかな時間のながれをそのままに映しだす やさしい雰囲気をまとったものがすきである。 たいていは 映画監督さんや、ものがたりの内容で 観る邦画をえらぶのだけれど、 出演なさっている役者さんでえらぶこともある。 樹木希林さんは自分にとっては すきな映画の目印となる役者さんである。 何年か前に観た樹木希林さん出演の邦画で 深くこころに刻まれている作品がある。 《あん》である。 この作品を観た当時、自分は これから先 自分が思い描くような形では もう 社会や世の中の方々と関わり合いをもつことが 叶わないくらい遠い場所まで 離れてきてしまったような …
手が痛い…痛い、と思いつつも 論文式の問題演習をする上で『書く』ことは必須であり、 なんとか書いてきたのだけれど いよいよ 自分の書いた字が 自分でも読めないくらいに 手が思うように動かなくなってきた。 困った。 万年筆を試してみたのだけれど、 ペン先の細さとか 硬さをうまく選ぶことが できなかったからなのか、 紙にペン先が引っかかったり インクがかすれたりで 手への負担にも書きやすさにも改善があまりみられなかったため、 ひとつめの万年筆は1か月もたたないうちに 使わなくなってしまった。 そんなわけで一旦 ボールペンに戻ったのだけれど 今度は 手だけでなく手首までも痛むようになってしまい、 い…
お店から商品をこっそりとってしまったひとの 話をテレビで放送していて、 そのひとは そうせざるを得ないくらい 心身ともに かなり追い詰められた状況であったことが 再現VTRで説明されているのを偶然観た長女が、 「なんでこのひとだけが悪いの? ここまで追い詰めたひとも同じくらい悪いよね?」 と問うてきた。 そのときはもう 夜もおそく 眠る時間をとうに過ぎていたため、 「そのとおりだね… でも、そこまでの状況に追い込まれてしまったとしても そのひとは お店から物をとらない選択もできたわけだから。 やっぱり、そっちの良くないほうを選択して 実行に移してしまった以上、 すべては そのひとの責任だ、 と…
「学校に行きたくない。」 そう はじめて長女が言ったのは 小学一年生の夏休み明けだった。 長い間 のんびりと家族と過ごした夏休みから 規律を守り 友達にも気を使いながら 気を張って過ごさなければならない 学校生活へと 気持ちを切り替えることは、 幼くちいさな心にはたいそう負荷がかかるものなのだろうなぁ… 仕方のないことだなぁ…と 長女の言葉を受け止めた。 その言葉を聞いた翌日から、 毎朝 10キロ以上ある3歳の次女を抱っこ紐で抱きかかえながら、 学校の正門前まで 長女と一緒に登校を続けた。 はじめの頃は 一週間くらいかなぁ…と気楽に考えていたけれど、 それが 半月、一ヶ月、二カ月…となり とう…
知らないほうがよかったな… と思うことが ときどきある。 しみじみそう思ったこととして いちばんに思い出されることは「仕事」について、である。 母は、幼い頃からの夢が叶って 晴れて憧れの仕事に就くことができたらしいのだけれど、 その内実は表側から見えているような 華やかて楽しいばかりではなく、 裏側では なかなか厳しく辛い状況を 多く経験せざるを得なかったようである。 その内実のほうを こどもの頃から かなり詳しく聞いて 知ってしまっていたため、 母が就いていた仕事に対しては 憧れを抱くどころか 避けるべき職種であるとの印象を 持つようになっていた。 大学三回生になり… いざ就職しますかどうし…
「このままではだめだ!」 「もっと頑張らなくちゃ!」 「まだまだ 努力が足りない!」 を自分に対してずっと続けていると いつかどこかで ぷすっと… こころにちいさな穴が空く。 そうなってしまうと、もう いくらがむしゃらになって自分を奮い立たせ こころに空気を送り込んでも 一向に満たされず ついには本領発揮が叶わなくなる。 それでも望んだ結果を得ることは可能だけれど できることなら もうすこし自分に優しい方法を 探してみたいと思うのである。 とは言え… 「もう頑張るのはやめた。」とか 「自分は これから ゆるく生きていく。」とか 自己を律することすら投げ出すような心持ちとは、 疲れきった心がちゃ…
お正月に親戚の子が ニンテンドースイッチを持ってきていて、 一緒に楽しく遊んだ長女が 「欲しい」と 言い出した。ついでに夫も。 ゲームがあると楽しい時間を過ごすことができるし 持っていても悪くないと思っている。 けれども一方で 持たなくてもいいものだとも思っている。 テレビゲームってなんのためにあるのだろう…と 家族で話し合ううちに、 誰かが作ったゲームで遊ぶことより 自分が作ったゲームで遊ぶことのほうが 楽しいかもしれない、という話になり、 「実はずっとゲームを作ってみたいと思っていたの!」 と長女が言うので、 プログラミングの教材やアプリを探したら すぐに良いものが見つかった。 子供向けプ…
帰省先から自宅にもどり、荷ほどきをして 洗濯機を3回まわして 干して… 部屋を整えて きょうも朝いちばん ひとり早起きをして 近くのカフェに向かう支度をする。 夫に昨晩 うっかり伝え忘れていたことを 急いで置き手紙に書いて、 朝の透き通った空気に包まれたバスに乗る。 朝日がまっすぐ 車窓から眼の中にさしこむ。 眩しいはずなのに じっと見つめ返していた。 おなじ道のりを進んでいるのに 勉強に向かうときの心の様子は、 仕事に向かうときのそれとは ずいぶんと ちがうものだなぁ…と感じながら。 いつか このふたつの心の様子が ぴたっと 重なる日が来るといいな、と思う。 きょうは、ドトールもミスドも9時…
みんな いいひとばかり。 重い腰と心をよいこらせと持ち上げ あちらこちらへと 移動して 日常にない方々と 日常にない時間を ご一緒するたびに思う。 それなのに。 お正月などの非日常を自分でもおかしいくらい 楽しめないのはなぜかしらと窓のそとを 眺めながら考えていた。 『自分の意思で動くことができないから。』 きっと答えはこうなのかなと思う。 なにをするにも、 その場の雰囲気、そこにいる方々の状況に 自分のちいさな選択が 逐一縛られてしまい 何一つ自分だけの意思で決定できないことに とてもおおきなストレスを感じるようである。 《どちらか迷ったら しんどそうな方を選びなさい。》 学生時代にどなたか…
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