横浜教会名誉牧師・藤巻充のメッセージ。御年83才、藤巻先生の聖書的メッセージを掲載しています。
クリスチャンの方も、そうでない方も、ぜひ一度お立ち寄りください。
(「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第七回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)世界に向かって教会の生きた水、生かす水、実を結ばせる水が流れて行くのです。それが家庭であれ職場であれ、どんな職域であったとしても、それが
(「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第六回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)アーネスト・キルボルンは電信技士であり、普通の信徒でした。チャールズ・カウマンもただの信徒でした。また、中田重治は神学校も卒業できません
(「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第五回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)神のために役立つような人間が何からできたかといいますならば、「枯れた骨」からできたというのです。いわゆる優秀で、エリートで、すばらしい人
(「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第四回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)救いが自分の中だけで止まっていますならば、それは個人プレイに過ぎません。どんなにすばらしい経験でも、その人だけのことに過ぎません。エゼキ
(「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第三回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)エゼキエルは、語るべきメッセージを与えられたばかりではなく、神が「こうしなさい」と言われたならば、そうしているのです。たとえば、「瓦を持
(「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第二回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)一章一節では「第三十年四月五日に、わたしがケバル川のほとりで、捕囚の人々のうちにいた時、天が開けて、神の幻を見た」とあります。彼が神の器
(今回から、七回に渡り「教会の使命」と題し、エゼキエル書からのメッセージを連載いたします。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)「わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が
(「罪を取り除く神の小羊」ヨハネの福音書からのメッセージ第五回。最後の回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち最後の一つ、「本書の主題」と題したセクションより書き起こしています。)よくクリスチャンのこ
(「罪を取り除く神の小羊」ヨハネの福音書からのメッセージ第四回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち最後の一つ、「本書の主題」と題したセクションより書き起こしています。)このような罪の問題に対して、
(「罪を取り除く神の小羊」ヨハネの福音書からのメッセージ第三回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち最後の一つ、「本書の主題」と題したセクションより書き起こしています。)誰かが「年を取ると子供になる」と言わ
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