正倉院宝庫の気温変化 ① 大和は歴史の国であるので、古文化財が至るところにあり、その宝庫であるともいえる。これらは古文化財は永久保存されるべきものであって、保存と気象との関係はどの程度結びついているものかを考えてみた。 一般に物質を収納する箱内の気象要素のうち、保存に関係す...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
奈良県の北半の奈良盆地は瀬戸内陥没地帯の東端をなし 地質時代に断層により土地が落ち込んで出来た「地溝」である。当時は湖をなしていたが、沖積層が積もって早く干上がって人々の生活の場となった。南北約30㌔東西約16㌔ 面積約3百平方万㌔、海抜40〜100㍍の平らな盆地である。奈...
奈良県は地形上南北で非常に差異がある。北半は奈良盆地(大和盆地)を中心に、それを囲む青垣山をなす山地や高原からなっている。これは大阪平野・京都平野・京都盆地などともに、近畿地方の中央低地帯の一部をなすものである。この地域はわれの祖先が早く住みつき、古くから文化が開け、わが国...
一昨日からのまとめになるが、多武峰を中心とする地域 榛原 長谷の特別地、曽爾 御杖区域 都祁区域 北倭区域 月ヶ瀬方面 あるいは五条市を中心とする区域、さらに上北山西原や高見山」ろく地など、みな特殊の気候状態を示している。気候資源という言葉があるとしたら、我々はあまりにも温...
奈良 南の庄 寺垣内の3地の気温変化をみると、案外奥吉野の気温の高いことがわかる。都祁 宇陀方面の丘陵抗原地の気温は低く、ことに冬季は季節風のため風も予想外に強い。大和平野各地はだいたい奈良に似たようなものである。県内各地とも8月がもっとも暑く、最寒月は1月2月のうちいずれ...
気温の年変化型は理想的な内陸性変化を示しているが数字から得られる気温統計だけでは、県内の気温分布の実相を知ることはできない。大和平野および北東丘陵地は、西部生駒金剛山越気流の影響を受けて、気温年変化を起こすが、吉野山間部とくに東吉野区域はこれら一般気流の影響を受けるというよ...
大和は天気予報発祥の地 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
大和辺に西吹きあげて雲はなれ退き居りとも吾忘れや これは仁徳天皇の寵愛うけた黒姫の方の歌で、黒姫は皇后の嫉妬にたまりかねて郷里に逃げて帰ったが、たまたま天皇の訪問を得て、天皇還御の際に奉ったものである。大和では西風が吹くと雲は山から離れてしまう。黒姫はこの雲のように陛下から...
大和は天気予報発祥の地 ② 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
昨日のブログ 佐井川よ雲立ちわたり畝火山 木の葉さやぎぬ風吹かむす 畝火山昼は雲とひ夕されば 風吹かむと木の葉さやげる これは神武天皇の皇后伊須気余理比売の歌で、歌そのものは天気予報の歌ではないが、天気の変化にことよせて人事の変を知らせようとしたものである。神武天皇崩御の後...
大和は天気予報発祥の地 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
天気は人類の生活に密接な関係がるので、近代科学による天気予報法が生まれる前から、人類はいろいろの経験即を用いてきた。これが天気の諺でありそのため観天望気が行われた。西欧では西紀前350年にアリストテレスが、その著書に気象現象を自然哲学的に説明している。ところで、日本固有の天...
雨の中の大男 大雨の中かに異様な姿をした大男が現れた。頭からビショヌレ 水の中から引き揚げたような姿であった。多分疲れているらしいので、着ているモノを脱がし、着替えをさせた。なぜ大台ケ原にそれも大雨の中登ってきたのか話を聞いた。陸軍士官学校の秀才であったが、勉強をやりすぎて...
昭和7年8月4日フィリピン沖に発生した台風は、北上を続け11日九州南東海上に達した。ここで15日まで迷走を続け、16日紀伊半島沖を、北東に進んだ。大台ケ原では、9日kじゃら豪雨となり、12日の雨量は432㍉を最多として15日までに1900㍉を観測した。この間上市では6㍉八木...
女学生山で立ち往生 大台ケ原山では荷造りの細引のような雨が降り続いている。時しも終戦後で、食料事情のもっとわるい時であった。大和の米どころ田原本女学校の登山隊も、もともと不足の携行食糧が予定外の滞在で遂に食料不足になってしまった。かわいそうに女学生は米を薄い粥にして空腹を満...
女学生 山で立ち往生の豪雨 昭和21年7月27日 田原本高等女学校の生徒が50名余りが登山した。台風は、四国のはるか南方洋上を西進し、本土を襲うようには思えないが、大台ケ原山では、すでに雨が降りだしていた。28日台風は北に転じ、背降りの本能を現わす九州南東海上にせまった。2...
大台ヶ原の大雨になると、完全に雨を防げる雨具はない。風が強いので、雨は上から降るばかりでなく、上下四方から降るので上着から肌着まで余すとろろなく濡れてしまう。平常はチョロチョロ水の小谷もひざを没する急流となりむしろ瀑布といったほうが適切なモノ凄い激流となり、道は谷に早変わり...
神武天皇像序幕式の際の豪雨 昭和3年(1928年)8月は月量では、大台ケ原山の記録の第二位で雨量3070㍉に達した。大正15年に計画され大阪市で製作されていた高さ4㍍の神武天皇の銅像の除幕式が8月19日に大台ケ原山頂で行われた. ところが山頂は連日の豪雨で式典の準備がことの...
外部資料 昔大台ケ原は魔の山と言われていた。古くから宗教的に開発された大峰山とは、対照的に 登人もない未開の山であって、まったく山の様子がわからなかった。 大台ケ原には大きな池があって、東風の時は、その水があふれ西風で宮川へ、北風になれば、熊野川へ 雨がふらなくとも川は増水...
地滑り事故 大和国は地すべりで各所に被害を生じる。そのおもなものは、昭和7年の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪への峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ、部落の民家を倒し、トンネルを壊し、最後は対岸の道路も隆起させて流水をせき止めた。そのため上...
雪災ひゃ雪国に比べれば大したことはない。明治41年2月11日 昭和21年3月10日昭和26年2月14日ぐらいである。平野で30㎝つもれば記録モノである。インフラにも被害が及んだ。しかし農作物には大きい被害はなかった。 火災も大都市大火災というほどのモノで3はない。奈良市では...
雷 水害 風害 干害の他にあげられるものは雷災 雪災 地震などである。 雷災は古文書のも相当残っておりかつ伝説も多いところから考えると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中核をなしていたものであるから記録...
31年周期の干ばつは大和平野に限ったものであって南部にはこの様な災害は少ない。さらに奇異の感を抱くのは農業試験場の豊凶考作試験の結果や農業従事者古老の言で 「大和平野の干ばつには世に伝えられるほどの大減収を招来しない」 ということである。大正2年の大旱魃でも70万石余年の稲...
31年周期 大和の干ばつは31年周期でやってきているようである。 文政6年(1822)には植えつけ困難の大旱魃 その後31年目の嘉永6年(1853))は植えつけ後の大旱魃 さらに明治16年(1884)には日照つづきで二百石取りの田圃にも5石しかとれぬありさま。大正2年(19...
大和のため池はサラ状で表面積は広く、容積は少ないので池面からの蒸発量は案外多く、貯水の目的には十分な効果を上げているものとはいえない。タメ池は表面積が小さく、底が深く、日陰の場所を理想的とし、倉橋ため池などが出現したのはよく科学的要求にこたえたものである。米作りに重要な水の...
大和各地の旧家文書をみていると、「旱損定免」の文字がいたるところに出てくる。いかに昔は旱魃に困った かがうかがわれる。推古天皇15年に気候の異和不順に備えてタメ池wくぃお造り、食料を確保しようとする計画さえあった。今にいたるも大和平野のやめ池の多いのは有名である。旱魃に祈雨...
平野風は局地性暴風雨として非常に珍しい例でもある。平野風の予報はきわめて簡単であることが分かった。台風や強い低気圧が九州に接近したり本州の南岸沿いに東進したりすると必ず吹くようである。つまり大台山系一帯に南東ないしは東寄りの強風気流が吹き上げたときである。この様な時には大台...
平野風 吉野郡東吉野村平野では、ときどき非常に強い風が吹いて家屋が破損したり、農作物に被害を生じている。しかもこの強い風は平野部落の狭い区域に限られていて、隣の部託は何ら風害をうけていないという特殊なものである。 これは東側にそびえる高見山を越えてくる山越気流である。 土地...
傾斜地の農業 奈良盆地の周辺は山麓傾斜地や小丘陵をなしているところが多く、耕作地は階段状の小面積のものに区切られている。気候上から気温はやや低く雨量は多少増加するが、地域によては局地性気候をおびる傾向が非常に強い。もちろん耕作面積は小さく、一時水田に対する畑地の割合が増加す...
農業 外部資料 大和の産業生産額は低く全国の中でも下位になると聞いているが、直接われわれの耳目に触れる特産物の種類は相当ある。 これらの中で、とくに気象と密接な関係のある。 どの地域でも平野部と山岳部が入り混じって地形によって 農業経営は変わってくる。 平野部の農業 奈良で...
地震の災害の種類 直接的被害 振動 建造物破壊 火災 人災 流砂現象 建造物破壊 噴砂現象 建造物破壊 津波 建造物破壊 人災 副次的被害 落石 地割れ 斜面崩壊 山腹崩壊 土地の隆起 土地の沈下 地下水位の変化 温泉の枯渇 雪崩 平地に住んでいるからとい...
奈良の地質の形状です。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152
奈良県の断層の断面図 地震大国と言われる日本 普段から対応をしておきましょう 今月のお薦めの本 豊臣秀長 秀吉の弟 大和郡山の城主 兄の陰になって歴史上では表舞台には、出てこなかった。 しかし、来年のNHK大河で描かれることになり 楽しみと期待 秀長は文化にも貢献している。...
奈良には断層活火山が無いと聞いている。 大きな地震もなく平穏にくらしているが 昔はあったことは事実で その断層跡は 切り立った山やガケ余り多くないが 目にする時には じっくりながめるのも 自然災害への対策に関心を持つきっかけになりませんか ■ 住所 630-8053 奈良県...
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正倉院宝庫の気温変化 ① 大和は歴史の国であるので、古文化財が至るところにあり、その宝庫であるともいえる。これらは古文化財は永久保存されるべきものであって、保存と気象との関係はどの程度結びついているものかを考えてみた。 一般に物質を収納する箱内の気象要素のうち、保存に関係す...
仏様たちの家のすみごこち ③ 仏様の家のお堂の中は夏涼しいのはよいのが、このような湿っぽさが仏様のおからだに悪いのではないかという問題が起こる。いままでの常識では物の保存には乾燥が第一、こんな高湿はもってのほか。お堂の柱の根元がくさったり、白アリがわいたり、カビが生えたりし...
仏たちの家のすみごこち ② 日本は非常に湿度の高い国。とくに夏の多湿は世界的に有名である。勿論大和も湿度は高い。しかし、お堂の中は湿度が低い。湿度は温度と逆で、温度が低いほど、湿度が高くなる。従って、大和のお堂の中は湿度が高く、中には、びっくりするぐらい湿度が高いお堂もある...
仏たちの家のすみごこち ① 「奈良の仏さんたちは一体どんな住み心地の家に住んでいらしゃるのであろう?」お堂の中の気象を調べ始めた。 三月堂、戒壇院、新薬師寺、法隆寺、藥師寺、唐招提寺など調べた。仏さんは夏の日差しをさえぎるのに十分でしかも風通しが非常によい。仏さんたちの家は...
昭和31年の夏と翌年の冬京都大学の協力を得て、三月堂の前の校倉をくわしく観察した。昼夜ぶっ続けの連続観測を行った。校倉の内外の温度や湿度の変化、中の空気の動きなどを特別の機械で測定した。そして校倉の特徴、いわば秘密がだいぶ明らかになった。 校倉は壁に隙間を生じない実に巧妙な...
正倉院の宝庫と聖護蔵について、次の実測を試みた。 宝庫の屋根の上、一番上の校木一番下の校木 こんなところにそれぞれはっきりした目標を定め、これらの高さが変化するかどうか調べるのである。今一つは、聖護蔵の校木に目標を定めて、百分の一㍉まで読める顕微鏡で同じく校木の伸び縮を測定...
校倉の秘密 だれが言いだいたのかしらないが、「校倉は積重ねてあるので三角の校木(あぜき)が空気の乾いている時はちじんで校木の間にスキ間ができ、外の乾いた空気をいれる。ところがそとが湿っぽい時は校木がふくれてスキ間がなくなり、外の湿っぽい空気を入れない。このようにして校倉の中...
大和国はj9位滑りで各所に被害が生じている。その主なものは昭和7年(1932年)の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪堅上の峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ部落の民家を倒し、トンネルを倒し最後は対岸の道路も大和川の川床をも隆起させて流水をせき...
火災は奈良県には大都市がないので大火災というほどのものはない。奈良市では慶長17年3月6月と元和5年4月13日 12月2日の3回の大火災が記録に残ている。幸いにもこれらの大火災はそれ以降どこにも生じていない。これは前述のように人口密集地の少ないためだが、その集落や部落自体か...
水害 風害 干害 の他にあげられる諸災害のうちで、おもなものは雷災 雪才 火災 地震などである。 雷災は古文書にも相当残っておりかつ伝説も多いところからかんがえると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中...
大台の豪雨の原因 ② 山上岳の大峰山系は年中強い西風をうけているころで、樹木の枝葉は完全に東になびいて育っている。このためか山上ヶ岳は大台ヶ原よりも気温年変化の較差が大である。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気候によって降る雨で、西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさ...
大台豪雨の原因① 大台ケ原で土砂降りになるためには、強烈な上昇気流がなければならない。一般に、大台の雨は局所的であって、ごくせまい範囲に集中している。しかも天気図上から台風の出現に限定されているようで、季節風や梅雨や少々の不連続線がひっかかたぐらいでは集中豪雨にはならない。...
大台ケ原観測所(大正13年1月〜昭和34年4月) 現在西大台 大教会 の一部が気象観測所 大台ケ原山をふくむ台高山脈系および山上ヶ岳から南下する大峰山脈系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山塊をな...
長期の戦争による国土の荒廃ははなはだしく、わずかの豪雨や強風によってさえも相当な気象災害を起し、気象予報の重要性が認識された。いたずらに手をこまねいて傍観している状態であった。昭和28年(1953年)ようやく国力の回復によって、気象業務の最大目標は災害防止ありと呼ばれるよう...
主として1日午前十時一回の観測で、気温「最高最低を含む)降水量およそ天気を十日ごとにまとめて測候所へ報告する任務をもったものである。その後観測の必要にせまられて、明治44年に下淵、明治45年に内牧、大正4年に柳生、大正9年に前鬼、榛原、岡、大正10年に荒神岳 昭和2年に曽爾...
明治30年1月、現在の橿原市八木町に、奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体が農業気象の確立にあったので、大和平野の中央位置で気象観測をしようという意味が多分にふくまれていたのであろう。測候所の設立と同時に玉置山・小森・南日裏・寺垣内・河合・上市・五条・御所...
奈良県の河川は近畿の南北の水源地となり、いずれも四囲の府県に流出しているのが特色で全く近畿の屋根である。奈良盆地では初瀬川を初め多くの川は奈良盆地をうるおし、中央で集まり大和川となって大阪平野に出て西方大阪湾に注いでいる。宇陀山地の水は宇陀川、名張川となり、さらに大和高原の...
奈良県南半の吉野山地は、県内の60%を占める山勝ちの地域である。南西に走る。南西に走る槢曲山脈で主として水成岩からできている。地形は壮年期で、起伏が著しく、急な山、深いV字字形の谷が至ちころに発達している。標高1500㍍を越える高山がそびえ「近畿の屋根」と称されている。中腹...
奈良県の北半の奈良盆地は瀬戸内陥没地帯の東端をなし 地質時代に断層により土地が落ち込んで出来た「地溝」である。当時は湖をなしていたが、沖積層が積もって早く干上がって人々の生活の場となった。南北約30㌔東西約16㌔ 面積約3百平方万㌔、海抜40〜100㍍の平らな盆地である。奈...
奈良県は地形上南北で非常に差異がある。北半は奈良盆地(大和盆地)を中心に、それを囲む青垣山をなす山地や高原からなっている。これは大阪平野・京都平野・京都盆地などともに、近畿地方の中央低地帯の一部をなすものである。この地域はわれの祖先が早く住みつき、古くから文化が開け、わが国...
当初は農業気象の確立がねらい 明治30年1月 橿原市八木町に奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体は農業気象の確立にあたったので、大和平野の中央位置で気象観測をするという目的で橿原市八木町になっったと思われる。 測候所の設立と同時に 玉置山 小森 南日奥 寺...
南は豪雨 北は乾燥 外部資料 奈良を大和川で南北に分けると、北部の乾燥に対して南部は大雨湿潤地となっている。 昭和3年(1928年)7月16日日本列島東海上には強い高気圧があって 日本海からは近畿地方までその勢力圏内にであった。一方宮崎県南東部沖100㌔付近には台風8号が中...
吉野杉 外部資料 春日山の杉が銘木として有名であれば,吉野地方の杉は人工林により育成された用材として吉野杉としてこれも有名である。 吉野を流れる川の流域はいたるところ山迫り、その山また、ほとんどが、黒々とした杉林におおわれていている。その杉は三輪山および春日山にはえる神代杉...
春日杉・吉野杉 外部資料 春日山に生ずる杉の大木を春日杉と呼び、林業上は銘木として秋田杉 屋久杉 神代杉などと同様、全国的に知られている。春日杉の銘木としての価値は年を経て大木であり、その材のもつあざやかな赤紫色は次第に含まれる樹脂の変色に伴い渋い黒紫色になる点、加えて年輪...
杉 外部資料 森中で林業上から見た場合に何といっても杉はその王者であって他にこれにまさる樹種はない。このことは杉の植物としての持ち味に由来するものである。 その一つとして 杉は東洋原産で日本の風土に適した樹種であること。 そのニとして そして成長が早いこと。幹形が通直で ...
扇状地と横井戸カンガイ まんぼ 外部資料 横井戸は「まんぼ」と呼ばれていた。三重県鈴鹿市 淡路島の一部 富士山麓などにみられる。奈良県においては御所市(旧葛城村)に最も多い。この土地は深谷川、伏見川 南太田川 三宅川 など多くの河川によって作られた合成扇状...
奈良盆地の稲作には河川 ため池 地下水などが利用されている。地下水か河川やため池用水の不足する地方や、地質上、湧水に富んでいる地域に多く見られる。 奈良盆地の湧水カンガイの発達しているのは葛城川の上流右岸一帯である。 地下水の湧水を利用したものではなく、井戸を掘ってカンガイ...
猿谷ダム 壮年期地形のV字谷として、山高く谷深い十津川の本流に設られた猿谷ダムmは、その規模高さ74㍍ 長さ170㍍ 体積17.4万㎥に達している。こうしたダムの建設によって大きな利益が多数の人々たちに与えられるが、一方犠牲になった人々も少なくない。十津川吉野川の総合開発で...
極端な大滝から宮滝 外部資料 吉野川上流から中流に移るところ、川上村大滝から吉野町(旧中壮村)宮滝の間は特に 極端に穿入曲線をなしている。上市から吉野川をさかのぼり、川上村から北山川の流域に出て木の本に通じる東熊野街道(現169号線)は以前から宮滝から五社峠(476号線)を...
吉野山地 外部資料 壮年期の地姿をなして起伏している吉野山地から流出する河川はいずれも深谷を作り、急流をなしているのが特色である。吉野川 十津川 北山川 さらにその深谷はいずれも地形学上「穿入(せんにゅう)曲流」と称する蛇行地形をなしている。穿入曲流は山地をS字形に下刻して...
上市 上市 下市間は明らかに二段の段丘からなっている。現在の町や交通路はいずれも下段に多く発達し、昔の伊勢街道 近鉄吉野線の電車も狭い段丘上を走っている。上市は下段丘に発達した集落で、上段が丘陵となり迫ってくるので極端に狭くなり標準的な街 村となり 川岸にかけ出した家はいず...
吉野川の川岸段丘 外部資料 吉野川の上流ではV字形の谷が発達し川岸には殆ど平地を見ないが、中流以下では次第に川幅が広くなって川岸の左右に小平地面ができ耕地も開け人家もこの面に建っているのを以前から見かけた。この平地面の地形を 川岸段丘 という。 川が上流から運び 土砂によっ...
外部資料 外部資料 春日山断層線に沿った瀑布線に発達した水車群のうち、盆地の東南大三輪町巻向川の水車は特に数も多く機能にも特色があった。その分布は巻向山の辻領から箸中・穴師・巻野内など上下4キロにおよび、江戸時代の延享元年(1744年)の地図に主流のみで22個を数え幕末から...
瀑布線と水車 外部資料 奈良盆地は地質時代に陥落により出来た地溝盆地である。周りは断層線や構造線で限られている。周りの山々か流出する河川がいずれも上流部は急流をなし浸食をたくましくし、ひとたび盆地へ出ると削り取ってきた土砂の堆積を始める。盆地の水を集めて亀の瀬渓谷から大阪平...
大和の天井川 外部資料 陥落によってできた奈良盆地は地質時代には湖水となっていたと考えられるが、盆地の四周から流出する諸用が、上流部で、激しく浸蝕してきた土砂を盆地に出て傾斜がゆるくなるとともに「複合扇状地」を作り、さらに盆地底に流出するや運んできた、土砂を全部堆積した。そ...
亀の瀬 外部資料 外部資料 外部資料 先日 地すべりについて テレビのニュースで説明があった。 その話の中で、亀の瀬渓谷の被害とその後の対策により安全に今は通行が出来る話をしていた。 奈良盆地の水を全て集めた大和川は亀の瀬渓谷を作り、生駒金剛山脈を横断して、大阪平野に流れ出...
山上ヶ岳 山上ヶ岳の一部大峰山系は年中強い風を受けているところで、樹木の枝葉は完全に横になびいて育っている。このためか、山上ヶ岳は大台ケ原よりよりも気温の変化は大きい。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気流によって雨が降る。西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさの雨と考...
吉野郡山 大台ケ原山の降雨機構 外部資料 大台ヶ原山を含む台高山脈および山上ヶ岳から南下する大峰山系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山魂をなしているために、前二者とまた異なる雨の降り方をする。 ...
お薦めの本 毎月 奈良を知るために お薦めしている 「ならら」です 正倉院 東大寺 はあまりにも有名です。その「大仏さん」を創建した天皇の紹介です。 7月のお休み予定 1日(月)2日(火) 8日(月)9日(火)10日(水) 15日(月)16日(火) 21日(日)22日(月)...
大台ケ原の大雨が精神治療? 昭和7年8月4日 フィリピン東方に発生した台風は、北上を続け、11日九州南東海上に達し、ここで15日まで迷走をつづけ、16日紀伊半島沖を北東に進んだ。大台ケ原山では9日か豪雨となり、12日の雨量431粍を最多として15日までに1900粍を観測した...