正倉院宝庫の気温変化 ① 大和は歴史の国であるので、古文化財が至るところにあり、その宝庫であるともいえる。これらは古文化財は永久保存されるべきものであって、保存と気象との関係はどの程度結びついているものかを考えてみた。 一般に物質を収納する箱内の気象要素のうち、保存に関係す...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
♯飛鳥井 外部資料 飛鳥井に 宿りはすべし やおけ 陰もよし お水も寒し 御秣もよし 催馬楽 飛鳥で休憩だよ ヤ オケ 木陰も涼しいよ。水も冷たいよ。馬のえさもたっぷりあるよ 飛鳥の水というとき 古代歌謡「催馬楽」に歌われた「飛鳥井」飛鳥坐神社の鳥居わきに 歌碑が立っ...
♯稲渕・栢森の岩清水 外部資料 飛鳥川をさかのぼる稲渕・栢森への道から芋峠 竜在峠に発する飛鳥川本流(稲渕川)と多武峰から流れて来る冬野川の合流するのが石舞台に近い祝戸。その集落の中・専祢寺観音堂の黒い石仏弥勒菩薩の微笑をながめ 大化の改新の功労者南渕請安を祀る稲渕の小社を...
♯奈良県五條市大澤寺 目洗池 外部資料 外部資料 外部資料 庭園の半ばを占める青竜の池がある。その左側の琵琶池 南北二つの泉で眼病に効くお香水がわき、男性は北池 女性は南池の水をいただいて 目を洗う。古くから「目洗池」と呼ばれてきた池である。 水源はお寺の裏山である。五条市...
吉野 六田の名水 外部資料 弓絃葉の井は、天武天皇の皇子 弓削皇子が額田女王に昔をしのんで、吉野の離宮から贈った歌で知られている。その名を伝える井戸が今も残っている。 いにしえに恋ふる鳥かも 弓絃葉の御井(みゐ)の上より鳴く渡り行く 万葉集二の一一二 吉野の宮人が歌に詠...
外部資料 外部資料 吉野への道途中に弘法大師さんが開いた弘法井戸である お大師さん(弘法大師空海)は、平安初期、高野山に道場を開くために、室生からの途中この村に立ち寄って休憩した。 食事を差し上げるなどして親切に接待世間話の中で村人の多くが疫病で苦しんでいることを訴えたとこ...
外部資料 霊水は門をくぐってすぐ左側にある。 風情のある井戸屋形 水量は豊かでどんな日照りにも枯れることない。 底は深い井戸である。 お薬師さん信仰と水は深く結びついている。水が清浄であるごとく心も清浄であらねばならぬし、病をいやすにも心を清浄に保つことが大切だから、お参り...
閼伽井 外部資料 弘仁寺は虚空蔵山の南山腹に建っている。 虚空蔵さんの水は本堂背後の一部を井戸枠にしてわく。時にポトリ ポトリと上から滴がおいて波紋を描く。虚空蔵山からしみ出る水が集まるので、枯れない。ヒノキの香がする水とも 飲む森林浴というひともいる。 山門を出て細道を下...
外部資料 茶筅で有名な 高山 そこに 高山八幡宮がある。生駒山高山の里である。参道かた本殿への高い石段があり古風な佇まい。茶の湯に良い水で 昔は西大寺の大茶盛にも使われたとか しかし記録はない。居間は安産の井戸として知られている。安産の御祈祷を受け ご神水の御利益を頂こうと...
外部資料 大神神社にお参り そして 山之辺の道に行かれる方や 大神神社 のご神体登山 そしてこの三輪山から湧き出る霊水を頂きに来る人々が多くいる。 狭井神社の拝殿左奥にあるのが、薬井戸で、古くから万病に効くといわれている。そこで頂きに来る人が絶え間なくいる。土地の醸造家はこ...
外部資料 外部資料 春日山の台地から湧き出た水の一部は万葉集にも詠まれている 能登川となり、伏水流となり地中を流れているものもある。その水脈上に清水通である。古くは湧き出る清水を求めて人馬が喉を潤したとある。 春日大社の社家の出で、奈良の銘酒「春鹿」の醸造元である今西家は、...
外部資料 81年間の奈良の天気 は少しお休みして 春休みなどにお出かけされるにも参考にして頂きたい所をブログします。 美しい名前 瑠璃井 古くから人々のあこがれてきた財宝の一つ、その瑠璃 を名前にしている井戸 どんなに大切にされてきたかが偲ばれる。 飛鳥の岡寺 西国三十三か...
今日は お彼岸 日中の時間が長くなってくる日 天候も良く 外へ出る機会も増えてくる季節 奈良と大阪の間のハイキングコースを紹介 人も歩けば 水に当たる。 暗峠の石畳は大阪から奈良へと生駒を越える暗峠へ奈良街道である。 山越えの道と、尾根筋を走る信貴生駒スカイラインとが立体...
81年間の奈良の天気 二つの雨宝山② 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
田原本町 楽田寺 外部資料 十輪院と もう一つの雨山寺は田原本町の堺町にある。この町は、県平野部のヘソ ともいわれ、雨宝山という山号を持つ楽田寺は、田原本寺ともいわれてきた。町発行の楽田寺資料の雨乞いに絞って紹介すると、元亨2年(1322)雨乞いを祈念、効きめがあったので、...
81年間の奈良の天気 二つの雨宝山 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
十輪院 外部資料 大和の国では稲作期間中、稲の生育に必要な雨が少なく降雨を祈る神様や行事、順雨願う仏様への民間信仰が実に多い。 十輪院 吉備真備の長男 朝野魚養(なかい)によって霊亀年間(715〜717)に元興寺の一院として創建されたと伝えられている十輪院は、藤原貴族の邸宅...
81年間の奈良の天気 カミナリ三日 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 雷三日 雷は真夏の午後、巨大な積乱雲が崩れ、まっ黒になった空から一陣の風とともに大粒の雨が降って,とどろき光り、雷鳴が近づいて稲妻が走る。時には大雷雨となっておののき、決して気持ちの良いものではない。さて、昨日も夕立に出会ったが、今日も雷が鳴った。この分だと、明日...
81年間の奈良の天気 かみなり石 秋篠寺 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
「伎芸天」で有名な秋篠寺は、カミナリが落ちない寺として知られている。 千余年前の昔、秋篠の地によく雷が落ちた。そこで、大元師修法の開祖 常暁律師は一案を立てて待っていると、大雷鳴の後、一雷獣が境内をさまよっているのを発見。捕らえて戒めのため、そのヘソを取り地中に埋めて石で封...
81年間の奈良の天気 法隆寺五重塔 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 外部資料 法隆寺の五重の塔には、落雷の難をのがれるために、塔の九輪の根元から4本の大きな鎌が突き出ている。これはカミナリが天から太鼓を背負って落ちてくると、トラの皮のパンツもろとも、この鎌で切り裂くぞと 「雷脅しの鎌」と言い伝えられている。それでも鎌倉時代に三重目...
81年間の奈良の天気 雷のヘソ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 昔東明寺の境内に一際高い松の木があった。ある夏の午後、トラの皮のパンツをはいて頭に角を生やしたカミナリが、あまりの暑さに耐えかねて入道雲の上から、この松の根元に下りて来て、昼寝ときめこんだ。たまたま庭に出た坊さんが、これを見つけた。 かねてから カミナリがなにより...
81年間の奈良の天気 神縄に引っ掛かった雷 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 天の神様たちの中で、雷が一番お酒飲みだった。酒に酔うと、裸になって赤いふんどし一つで、太鼓をたたいて踊った。ハ百万の神様から、地上に下りて人間のヘソを取って来いと命じられた。 落ちそこなって、しゃわら 入口にある魔除けの縄に引っ掛かた。宙ぶらりんになって、苦しんで...
81年間の奈良の天気 神様に縛られた雷 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 備前町の天皇神社へ昔 雷が落ちた 神様の怒りに触れて縛られてしまった。それから一度も、この神社へは雷が落ちたことがないという。 これと同じ伝説が、岩屋町の春日神社にもあると。雷が境内におちたので、明神さまがタスキで縛ったという。 ■ 住所 630-8053 奈良県...
81年間の奈良の天気 雷の落ちない所 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
金ダライで捕らえた雷 外部資料 神楽に八頭神社があった。これは後に勝手神社に合併してしまた。合併するまでの昔のことだが、この付近に雷が落ちた。村人たちが金ダライをさげて遠巻きにして囲んだ。そして金ダライで雷を押さえた。 雷は「再びここには落ちない」と誓ったので、村人は相談の...
81年間の奈良の天気 井戸に落ちた雷 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 昔 奥田の善教寺の井戸に雷が落ちた時、そばで水をくんでいた人が井戸にフタをして雷を閉じ込めてしまった。困り果てた雷が「もう ここへは落ちないからフタを開けてくれ」と頼んだので、フタを取ってやると、雷は「ここへは落ちるまい」と約束して天に上がったという。そこで、この...
81年間の奈良の天気 不快指数 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 外部資料 不快指数の算出法 不快指数 = 0.72×(気温+湿球温度)+40.6 68-69 最も快適 70-74 不快感を持つ人も出始める 75-79 半数以上の人が不快感を持つ 80-84 全員不快 86〜 もう我慢ができない ※湿球温度とは、湿度計の球部にガ...
81年間の奈良の天気 雷の経験談 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
生駒山での落雷 外部資料 外部資料 昭和22年(1947)の夏近鉄生駒駅を発車した電車が被雷し、トンネル内で燃え上がる惨事が起きた。当時生駒山山頂から天文台にかけて尾根に沿って、文字では表現が難しい〝ビシビシ”というようなそれでいて尾根全体が唸っているような、不気味な音が...
81年間の奈良の天気 桑原桑原 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
大阪府和泉市桑原に西福寺に桑原井がある。 この井戸に雷が落ちて村人に捕られた。そこで これからは絶対この村には落ちないと、雷は村人に約束して、許して貰った。今も雷が鳴ると「桑原 桑原」と唱えるのは、このためというのである。 落雷の難から逃れるこの呪文は桑原地区だけでなくても...
81年間の奈良の天気 蚊帳の中は安全 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
もうだいぶ前のこと 北葛城郡広陵町で起きた話。 まだ馬見という地名が生きていたころの夏、お寺にお参りに来ていた氏子の人々が突然の雷雨を避けてお堂に逃げ込んだ。農家の男性3人 主婦1人。 男性はお堂の真中でアグラを組んで一服。一人の主婦は、ぬれた野良着をふきお堂の隅の柱にもた...
81年間の奈良の天気 梅雨明け10日 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 梅雨が明けると一気に真夏 頑強に停滞していた梅雨前線を日本海に押し上げ、日本海中部から更に沿海州北部に追いやった太平洋高気圧は、その縁辺が東シナ海から黄海、朝鮮半島を経て日本海中部にまで押し上げて広い範囲で根強く広がり、この状況は下層から上層までも包み込んでしまう...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
7月の天気 外部資料 月初めは雨の日が多く、梅雨明け平年日ごろまで傘が手放せない。月も半ばを過ぎると、雨降りが少なくなっている。この傾向は曇り一時雨、晴れ一時雨となってくる。 そして 焼けつくような真夏到来となってくる。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目1...
81年間の奈良の天気 amidase観測データーの流れ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 全国に約1300ヵ所の観測所で常時、観測装置により自動的に観測している。観測所には、この観測装置とともに、符号送信機が設置されている。 毎0分になると、東京の地域気象観測センターの電算機から,各観測所に呼び出しを掛ける。 呼び出しを受けた符号信号機は、観測装置...
81年間の奈良の天気 アメダス 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 梅雨前線や秋雨前線、雷雨に伴う集中豪雨は、局地的な山崩れ、鉄砲水や河川の氾濫などにより、人的、物的損害が出てくる。また台風や発達した低気圧、季節風の吹き出しなどによる暴風雨や大雨は、かなり広い地域にわたって大きな災害をもたらす。これらの気象災害を防ぎ軽減するため、...
ちょっと レア 私たちの知っている奈良には、まだ、気づいていない「宝もの」が潜んでいるかもしれません。 もし、ほんの少しだけ奥にはいったら、思いもないモノやコトに出会えるとしたら 旅は、次の自分を作ってくれるモノと、私達は考えます。 遥かな時間の堆積の隙間から、ふと、感じる...
81年間の奈良の天気 雷が鳴ると梅雨明け? 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 梅雨前線の雲の帯で、前線の北側200〜300kの幅を持ち東西に長々と延びて前線上を低気圧が次々と東へ移動し、その都度各所で雨を降らしていきます。ちょうど、本州を土俵にして四つに組んだ大気の塊が雨を流し合っている。押されたり 押し返したりするうちに大量の汗(雨)が出...
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正倉院宝庫の気温変化 ① 大和は歴史の国であるので、古文化財が至るところにあり、その宝庫であるともいえる。これらは古文化財は永久保存されるべきものであって、保存と気象との関係はどの程度結びついているものかを考えてみた。 一般に物質を収納する箱内の気象要素のうち、保存に関係す...
仏様たちの家のすみごこち ③ 仏様の家のお堂の中は夏涼しいのはよいのが、このような湿っぽさが仏様のおからだに悪いのではないかという問題が起こる。いままでの常識では物の保存には乾燥が第一、こんな高湿はもってのほか。お堂の柱の根元がくさったり、白アリがわいたり、カビが生えたりし...
仏たちの家のすみごこち ② 日本は非常に湿度の高い国。とくに夏の多湿は世界的に有名である。勿論大和も湿度は高い。しかし、お堂の中は湿度が低い。湿度は温度と逆で、温度が低いほど、湿度が高くなる。従って、大和のお堂の中は湿度が高く、中には、びっくりするぐらい湿度が高いお堂もある...
仏たちの家のすみごこち ① 「奈良の仏さんたちは一体どんな住み心地の家に住んでいらしゃるのであろう?」お堂の中の気象を調べ始めた。 三月堂、戒壇院、新薬師寺、法隆寺、藥師寺、唐招提寺など調べた。仏さんは夏の日差しをさえぎるのに十分でしかも風通しが非常によい。仏さんたちの家は...
昭和31年の夏と翌年の冬京都大学の協力を得て、三月堂の前の校倉をくわしく観察した。昼夜ぶっ続けの連続観測を行った。校倉の内外の温度や湿度の変化、中の空気の動きなどを特別の機械で測定した。そして校倉の特徴、いわば秘密がだいぶ明らかになった。 校倉は壁に隙間を生じない実に巧妙な...
正倉院の宝庫と聖護蔵について、次の実測を試みた。 宝庫の屋根の上、一番上の校木一番下の校木 こんなところにそれぞれはっきりした目標を定め、これらの高さが変化するかどうか調べるのである。今一つは、聖護蔵の校木に目標を定めて、百分の一㍉まで読める顕微鏡で同じく校木の伸び縮を測定...
校倉の秘密 だれが言いだいたのかしらないが、「校倉は積重ねてあるので三角の校木(あぜき)が空気の乾いている時はちじんで校木の間にスキ間ができ、外の乾いた空気をいれる。ところがそとが湿っぽい時は校木がふくれてスキ間がなくなり、外の湿っぽい空気を入れない。このようにして校倉の中...
大和国はj9位滑りで各所に被害が生じている。その主なものは昭和7年(1932年)の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪堅上の峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ部落の民家を倒し、トンネルを倒し最後は対岸の道路も大和川の川床をも隆起させて流水をせき...
火災は奈良県には大都市がないので大火災というほどのものはない。奈良市では慶長17年3月6月と元和5年4月13日 12月2日の3回の大火災が記録に残ている。幸いにもこれらの大火災はそれ以降どこにも生じていない。これは前述のように人口密集地の少ないためだが、その集落や部落自体か...
水害 風害 干害 の他にあげられる諸災害のうちで、おもなものは雷災 雪才 火災 地震などである。 雷災は古文書にも相当残っておりかつ伝説も多いところからかんがえると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中...
大台の豪雨の原因 ② 山上岳の大峰山系は年中強い西風をうけているころで、樹木の枝葉は完全に東になびいて育っている。このためか山上ヶ岳は大台ヶ原よりも気温年変化の較差が大である。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気候によって降る雨で、西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさ...
大台豪雨の原因① 大台ケ原で土砂降りになるためには、強烈な上昇気流がなければならない。一般に、大台の雨は局所的であって、ごくせまい範囲に集中している。しかも天気図上から台風の出現に限定されているようで、季節風や梅雨や少々の不連続線がひっかかたぐらいでは集中豪雨にはならない。...
大台ケ原観測所(大正13年1月〜昭和34年4月) 現在西大台 大教会 の一部が気象観測所 大台ケ原山をふくむ台高山脈系および山上ヶ岳から南下する大峰山脈系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山塊をな...
長期の戦争による国土の荒廃ははなはだしく、わずかの豪雨や強風によってさえも相当な気象災害を起し、気象予報の重要性が認識された。いたずらに手をこまねいて傍観している状態であった。昭和28年(1953年)ようやく国力の回復によって、気象業務の最大目標は災害防止ありと呼ばれるよう...
主として1日午前十時一回の観測で、気温「最高最低を含む)降水量およそ天気を十日ごとにまとめて測候所へ報告する任務をもったものである。その後観測の必要にせまられて、明治44年に下淵、明治45年に内牧、大正4年に柳生、大正9年に前鬼、榛原、岡、大正10年に荒神岳 昭和2年に曽爾...
明治30年1月、現在の橿原市八木町に、奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体が農業気象の確立にあったので、大和平野の中央位置で気象観測をしようという意味が多分にふくまれていたのであろう。測候所の設立と同時に玉置山・小森・南日裏・寺垣内・河合・上市・五条・御所...
奈良県の河川は近畿の南北の水源地となり、いずれも四囲の府県に流出しているのが特色で全く近畿の屋根である。奈良盆地では初瀬川を初め多くの川は奈良盆地をうるおし、中央で集まり大和川となって大阪平野に出て西方大阪湾に注いでいる。宇陀山地の水は宇陀川、名張川となり、さらに大和高原の...
奈良県南半の吉野山地は、県内の60%を占める山勝ちの地域である。南西に走る。南西に走る槢曲山脈で主として水成岩からできている。地形は壮年期で、起伏が著しく、急な山、深いV字字形の谷が至ちころに発達している。標高1500㍍を越える高山がそびえ「近畿の屋根」と称されている。中腹...
奈良県の北半の奈良盆地は瀬戸内陥没地帯の東端をなし 地質時代に断層により土地が落ち込んで出来た「地溝」である。当時は湖をなしていたが、沖積層が積もって早く干上がって人々の生活の場となった。南北約30㌔東西約16㌔ 面積約3百平方万㌔、海抜40〜100㍍の平らな盆地である。奈...
奈良県は地形上南北で非常に差異がある。北半は奈良盆地(大和盆地)を中心に、それを囲む青垣山をなす山地や高原からなっている。これは大阪平野・京都平野・京都盆地などともに、近畿地方の中央低地帯の一部をなすものである。この地域はわれの祖先が早く住みつき、古くから文化が開け、わが国...
当初は農業気象の確立がねらい 明治30年1月 橿原市八木町に奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体は農業気象の確立にあたったので、大和平野の中央位置で気象観測をするという目的で橿原市八木町になっったと思われる。 測候所の設立と同時に 玉置山 小森 南日奥 寺...
南は豪雨 北は乾燥 外部資料 奈良を大和川で南北に分けると、北部の乾燥に対して南部は大雨湿潤地となっている。 昭和3年(1928年)7月16日日本列島東海上には強い高気圧があって 日本海からは近畿地方までその勢力圏内にであった。一方宮崎県南東部沖100㌔付近には台風8号が中...
吉野杉 外部資料 春日山の杉が銘木として有名であれば,吉野地方の杉は人工林により育成された用材として吉野杉としてこれも有名である。 吉野を流れる川の流域はいたるところ山迫り、その山また、ほとんどが、黒々とした杉林におおわれていている。その杉は三輪山および春日山にはえる神代杉...
春日杉・吉野杉 外部資料 春日山に生ずる杉の大木を春日杉と呼び、林業上は銘木として秋田杉 屋久杉 神代杉などと同様、全国的に知られている。春日杉の銘木としての価値は年を経て大木であり、その材のもつあざやかな赤紫色は次第に含まれる樹脂の変色に伴い渋い黒紫色になる点、加えて年輪...
杉 外部資料 森中で林業上から見た場合に何といっても杉はその王者であって他にこれにまさる樹種はない。このことは杉の植物としての持ち味に由来するものである。 その一つとして 杉は東洋原産で日本の風土に適した樹種であること。 そのニとして そして成長が早いこと。幹形が通直で ...
扇状地と横井戸カンガイ まんぼ 外部資料 横井戸は「まんぼ」と呼ばれていた。三重県鈴鹿市 淡路島の一部 富士山麓などにみられる。奈良県においては御所市(旧葛城村)に最も多い。この土地は深谷川、伏見川 南太田川 三宅川 など多くの河川によって作られた合成扇状...
奈良盆地の稲作には河川 ため池 地下水などが利用されている。地下水か河川やため池用水の不足する地方や、地質上、湧水に富んでいる地域に多く見られる。 奈良盆地の湧水カンガイの発達しているのは葛城川の上流右岸一帯である。 地下水の湧水を利用したものではなく、井戸を掘ってカンガイ...
猿谷ダム 壮年期地形のV字谷として、山高く谷深い十津川の本流に設られた猿谷ダムmは、その規模高さ74㍍ 長さ170㍍ 体積17.4万㎥に達している。こうしたダムの建設によって大きな利益が多数の人々たちに与えられるが、一方犠牲になった人々も少なくない。十津川吉野川の総合開発で...
極端な大滝から宮滝 外部資料 吉野川上流から中流に移るところ、川上村大滝から吉野町(旧中壮村)宮滝の間は特に 極端に穿入曲線をなしている。上市から吉野川をさかのぼり、川上村から北山川の流域に出て木の本に通じる東熊野街道(現169号線)は以前から宮滝から五社峠(476号線)を...
吉野山地 外部資料 壮年期の地姿をなして起伏している吉野山地から流出する河川はいずれも深谷を作り、急流をなしているのが特色である。吉野川 十津川 北山川 さらにその深谷はいずれも地形学上「穿入(せんにゅう)曲流」と称する蛇行地形をなしている。穿入曲流は山地をS字形に下刻して...
上市 上市 下市間は明らかに二段の段丘からなっている。現在の町や交通路はいずれも下段に多く発達し、昔の伊勢街道 近鉄吉野線の電車も狭い段丘上を走っている。上市は下段丘に発達した集落で、上段が丘陵となり迫ってくるので極端に狭くなり標準的な街 村となり 川岸にかけ出した家はいず...
吉野川の川岸段丘 外部資料 吉野川の上流ではV字形の谷が発達し川岸には殆ど平地を見ないが、中流以下では次第に川幅が広くなって川岸の左右に小平地面ができ耕地も開け人家もこの面に建っているのを以前から見かけた。この平地面の地形を 川岸段丘 という。 川が上流から運び 土砂によっ...
外部資料 外部資料 春日山断層線に沿った瀑布線に発達した水車群のうち、盆地の東南大三輪町巻向川の水車は特に数も多く機能にも特色があった。その分布は巻向山の辻領から箸中・穴師・巻野内など上下4キロにおよび、江戸時代の延享元年(1744年)の地図に主流のみで22個を数え幕末から...
瀑布線と水車 外部資料 奈良盆地は地質時代に陥落により出来た地溝盆地である。周りは断層線や構造線で限られている。周りの山々か流出する河川がいずれも上流部は急流をなし浸食をたくましくし、ひとたび盆地へ出ると削り取ってきた土砂の堆積を始める。盆地の水を集めて亀の瀬渓谷から大阪平...
大和の天井川 外部資料 陥落によってできた奈良盆地は地質時代には湖水となっていたと考えられるが、盆地の四周から流出する諸用が、上流部で、激しく浸蝕してきた土砂を盆地に出て傾斜がゆるくなるとともに「複合扇状地」を作り、さらに盆地底に流出するや運んできた、土砂を全部堆積した。そ...
亀の瀬 外部資料 外部資料 外部資料 先日 地すべりについて テレビのニュースで説明があった。 その話の中で、亀の瀬渓谷の被害とその後の対策により安全に今は通行が出来る話をしていた。 奈良盆地の水を全て集めた大和川は亀の瀬渓谷を作り、生駒金剛山脈を横断して、大阪平野に流れ出...
山上ヶ岳 山上ヶ岳の一部大峰山系は年中強い風を受けているところで、樹木の枝葉は完全に横になびいて育っている。このためか、山上ヶ岳は大台ケ原よりよりも気温の変化は大きい。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気流によって雨が降る。西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさの雨と考...
吉野郡山 大台ケ原山の降雨機構 外部資料 大台ヶ原山を含む台高山脈および山上ヶ岳から南下する大峰山系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山魂をなしているために、前二者とまた異なる雨の降り方をする。 ...
お薦めの本 毎月 奈良を知るために お薦めしている 「ならら」です 正倉院 東大寺 はあまりにも有名です。その「大仏さん」を創建した天皇の紹介です。 7月のお休み予定 1日(月)2日(火) 8日(月)9日(火)10日(水) 15日(月)16日(火) 21日(日)22日(月)...
大台ケ原の大雨が精神治療? 昭和7年8月4日 フィリピン東方に発生した台風は、北上を続け、11日九州南東海上に達し、ここで15日まで迷走をつづけ、16日紀伊半島沖を北東に進んだ。大台ケ原山では9日か豪雨となり、12日の雨量431粍を最多として15日までに1900粍を観測した...