桂又妙権太夫の話 伝え聞くとところによると、迫西川(せいにしかわ)では松木平(まつきひら)と則本(のりもと)の二つの姓だけじゃったらしい。 迫西川は 西川上流の最奥山岳地域である。 外部資料 則本の始まりは、則本桂又妙権太夫という武士で、たしか平家の落ち人の子孫じゃったち...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
今年もあと僅か #大神神社の繞道祭(にようどうさい)御神火祭り 外部資料 1月1日 大神神社は日本最古の神社として知られ、大物主命をまつる三輪山を御神体山という。世に三輪明神といい平和の神・福の神・薬の神としてあがめられている。繞道祭は年の初め1月1日午前1時から古式によっ...
12月の行事 春日若宮おん祭り 今年は18日にお渡りが行われました。 外部資料 由来と大宿所祭 この祭りは大和の年中行事のうちでも最も豪華で古くは大和一円のもとに行われ、大和の年中行事の最終を飾るにふさわしい祭りである。 この祭りは相徳天皇の長承3年(1134)から翌年にか...
12月年末の奈良での行事の紹介です。 正暦寺の中風封じ祈祷 冬至の日 大和では古くから冬至の日にナンキン(カボチャ)を食べると中風になたないという言い伝えがある。現在も冬至が近づくと店頭ではナンキンが販売されるが、菩提山町の正暦寺ではこの日に中風封じの祈祷会が行われる。 正...
#讃岐の雨乞い 13 外部資料滝宮天満宮 〇雨乞太鼓踊り ここでついに 雨乞い念仏踊りについてふれておきたい。念仏踊りは踊りの諸役・服装・踊りの振付け等においては太鼓踊りときわめて類似する点が多いが、ただ一つ異なるところは踊り唄の代りに念仏を唱えることである。この踊りの発達...
#讃岐の雨乞い 14 火祭りと雨乞 〇山上の竜神 坂出市大屋富・北須架 山上の竜宮祠で焚く 三豊郡五郷村(現大野原町)山上の竜宮で焚き その火を川や海に投げる(柳田国男編「山村生活の研究」) 綾歌郡金山村(現坂出市)福江 大川郡長尾町前山地区 火種は金毘羅さんに受けに行く。...
讃岐の雨乞い 13 火祭りと雨乞 〇神社での火焚き 香川県仲多度郡吉野村(現満濃町)では氏神駒爪神社で火を焚く。(香川県神社誌) 同三豊郡山村(現豊中町)では薪を持ち寄って村の中央で一夜中火を焚いた(「民族」三巻二号田井信之報告) ■住所 630-8053奈良県奈良市七条1...
#讃岐の雨乞い 12 〇山上火焚き 四国では讃岐地方が殊に盛んなようにであるが、例えば栗町付近ではもと村の一番高い所に祀ってあったリュウグウ(竜宮)サンに松明を持っ登り、山上でそれを燃やして、洗米を供えて祈った。また多度津の沖にある高見島では、山頂の竜王に松明を持って登った...
#讃岐の雨乞い 12 〇金毘羅山の火 外部資料 讃岐の金毘羅山琴平宮の火も四国では一円に広い信仰を持っている。香川県三豊郡本山村ではモライ火といって ここの御祈禱火を男たちが裸道中で持ち帰り、村で火を焚いた。 (「民族」三冠五号田井信之)というが琴平宮で聞いたところによりと...
♯讃岐の雨乞い ⒒ 雨乞の神水 〇讃岐の神水 香川県では三豊郡山本町「もらい水」といって 三里か四里はなれた山中の、竜神が棲むという黒田渕から御祈祷してもらった水を樽に入れてリレー式に持って帰る。この村では琴平宮から神火をも受けて来るが どいらも途中で止まることを忌んだ。 ...
#讃岐の雨乞い 10 水かえ行事 汚穢と雨乞材 香川県三豊郡財田村の釜ケ渕は傍らに竜王を祀る祠があるというから 竜王の棲むという信仰があったのであろう。昔 ここでの雨乞は、塩入村の荷間屋山内方に集まる荷場の糞をこの渕に投げ込んで、水をかき回すと、白色の蛇が現れて黒雲を呼び、...
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桂又妙権太夫の話 伝え聞くとところによると、迫西川(せいにしかわ)では松木平(まつきひら)と則本(のりもと)の二つの姓だけじゃったらしい。 迫西川は 西川上流の最奥山岳地域である。 外部資料 則本の始まりは、則本桂又妙権太夫という武士で、たしか平家の落ち人の子孫じゃったち...
京都三十三間堂の棟木 外部資料 桑畑に柳本というところがある。そこには、古い柳の木があったが、道路が広げられたとき切られ、今では柳本という地名があったことさえ、知る人は少ない。 むかしむかし、この山奥の柳本へ都から役人と大勢に人夫がやってきた。当時、この柳本には、天にも届く...
熊谷の矢の子 昔、昔、内原奥里の平山のみこどりというところで、巫女さんが、石くど立てて湯を湧かし、矢を清め、熊谷の方角めがけてヒョイと力いっぱい射たそうな。 矢は、そのまんま一里(約4キロ)もあろうかと思われる、あの熊谷の丘まで飛んだ。 そして、熊谷の丘の地面にプスッーと、...
氏神様を怒らせた男 外部資料 十津川村は山林に囲まれています。その中で 内原(ないはら)は珍しく水田が広がっています。 ずいっと昔から、ここ内原の在所では、年に一度の氏神様のお祭りの日に、在所の衆ひとりのこらず社の森に集まってにぎわあうことにしておった。 今年も、みなの衆、...
お大師さまと上湯川 高野山は弘法大師さまが開いたことで名高い山じゃ。 その大師さまが、高野山を開くまでに、全国各地を修行して歩いたのじゃ。そのおり、この上湯川へも立寄られたらしいのじゃ。とくに、大師さまは、人びとが修行するのにふさわしい道場をどこで開くかと、各地を旅して探し...
蛇の窪 昔、昔、上湯川の梅外垣内の谷奥に三本杉があった。その近くに 蛇の窪 今にも何かでてきそうな古い大きな気味の悪い池があったそうな。 ある日、子どもを連れた女子(おなご)が、その池の傍らで子供を遊ばせて置いて、 「今日もわらびの根掘ってわらび餅でも作ってたべようか。」...
東野の角左衛門 の力 実在の人物です。 昔 東野に角衛門という、たいそう、力の強い男がおった。 ある時、この男が田戸へ来ると、米屋の主人が、冗談に「この米俵三俵(百八十kg)もって歩くこと出来たら、ただでやろうぞ」といえば、角左衛門は本気になってしまった。田戸から東野とい...
音無川と十一面観音菩薩 十津川に沼田原という村がある。現在限界集落に近く 山奥にある村のお話です。 外部資料 沼田原から、焼く一里さかのぼったところに大谷がある。そこには、30メールの高さの大きな滝がある。 外部資料 むかし、むかし、この滝のずっと奥で、一人の仏師が、一心に...
玉置山の狼 玉置山は 吉野十津川村にあって 奈良県に属しますが 熊野灘が望めます。 祖父は、嘉永6年生まれで昭和14年にこの世をさりました。家が材木商だったので、15歳になると一人で新宮へ用使いに行かされて、大人扱いを受けたしうだ。 当時の街道は、折山から玉置山を越え、九重...
雨乞いのこと お話の中に 前鬼 が出てきます。修験道の開祖である役小角が従えていたとされる夫婦の鬼 前鬼は夫で 後鬼が妻 と言われています。 彼ら鬼達は、大峰山脈の麓に住んで、修験者の先達をしていた 1300年前位 真夏に、全く雨が降らない時がある。そいうい時には、畑の作物...
奈良県の南 和歌山と接して熊野古道小辺路がある。 山林に覆われた村です。 狸 昔、高津(たこつ)の下の丸瀬下(まるぜした)でのことであった。この時分の川といっても、谷のようなものだった。そんな所へ鮎ひきに行った時の話だが、わしが一日ひいて、夕方、家へ帰る途中のことだった。...
難題聟(ムコ) むかし、あるところへ、きれいな娘の巡礼がきよった。ところがな、ある若い男が、その娘を見初めやってな、 「あんたは、どこの国の方でっか。」 ちゅうて聞かってんが。 ところが、娘さんはそれに答えんで、 「恋しくは、たずねてごんせ 十八の国 夏吹く風...
吉野の山々は深く 熊も多くすんでいるという話はあります。 木々も多く 動物と人々が住んでいたことでしょう。 そんな吉野の昔話です。 猟師と子熊 むかし吉野の山奥にかりうどが住んでやてな。鉄砲うちが上手で、毎日山へ出て、鳥やけものをうちやってんと。ある日、大きな一匹も熊を打っ...
ガタロの恩返し 大塔村 ずっとずっと昔の話でな。 ある村に助ヤンという人がおってな。生あたたかーい風がふきよる晩、せっちん(便所)に入ってやったら、落しのしたからニュと、猿のようなけだものの手が出てきよってな。そいで、つめたーい手で、お尻をなでるように、しよたんで、助ヤンは...
奈良の民話から 南北中部 の三か所に分けてのお話です。 奈良県内大きな面積の南部吉野のお話を紹介しています。 粟しとっとん 大阪かどっかの大きな町の大店の話だんね。 ひとり娘できりょうよしに、ムコをもらおうとしやってんが、なかなか見定めがつかあひんので困ってやってんと。...
吉野は日本のパワースポット 外部資料 外部資料 4月桜が満開となって山全体が桜色に染まる吉野に出かけられる人々が多いと思います。 その吉野は桜を愛でるだけではなく、古代から人々は祈りを捧げ 修行し パワーの凝縮を感じる地です。吉野は大和朝廷発祥の地、飛鳥から南に拡がる山間部...
鬼追い式の 鬼の御馳走 花会式の結願では「鬼追い式」が行われる。夜の8時ごろに境内の灯りが消され、鐘や太鼓、法螺貝などの音とともに、松明を振り回して鬼が金堂の周りを大声で叫びながら暴れ回り、最後に毘沙門天が鉾を持って現れ、鬼どもを退散させる。 外部資料 鬼追い式に入る前に、...
伽羅香木 香は 香料は奈良時代に仏教と共にその儀礼の用具として伝来した。 以降平安時代には貴族社会で発展し、中世以降は南蛮渡来の希少な沈水香木として愛好されるようになった。藥師寺は香の伝統文化を護持してきた。 伽羅香木 高さ68㎝ 幅32㎝ 重さ7.5㎏ 香木はベトナム ...
吉野郡の南方に位置し、森林に囲まれた所です。豊かな自然にかこまれ 昔から修験道の地です 外部資料 鳳閣寺は修験道のお寺 役行者を引き継いだ 理源大師が開祖といわれています。 山野中腹にあり展望台からは 黒滝村が一望でき 吉野のお花見とまたちがった吉野がみえます。 ■住所 6...
聖徳太子考養像 薬師寺大宝蔵 聖徳太子十六歳の時、柄香炉を持って父用明天皇の病気平癒を祈ったといういわゆる考養太子御像で、両脇にやや小さい童子を従えている。こうした三尊形式は「唐本御影」以来、各時代にわたって描きつがれて来たが、この図は太子が宝冠を着けること、一童子が笠蓋...
大神神社の鎮花祭り 外部資料 外部資料 由緒の深い鎮花祭りは毎年4月18日午前10時から大神神社の本社でおごそかに執行され、つづいて午前11時から摂社狭井神社でも行われる。この祭りの起こり崇神天皇の御時に疫病が流行したので、御祭神大物主神の御告げによって、その神の子孫、大直...
大和郡山市のお城祭り 3月24日~4月7日 郡山城は近世郡山のシンボルであった。 外部資料 天正8年(1580)筒井順慶の大和統一が成り、雁行型になっていた中殿、薬園殿、辰巳殿の三つを併合して、郡山城が築かれた。筒井氏の後豊臣秀長が百万石の大守として入ってきてからは、大きな...
#薬師寺花会式 3月30日~4月5日 外部資料 外部資料 外部資料 3月30日から4月5日にかけて本尊薬師如来に国家の安泰と五穀豊穣・万民豊楽を祈る法要が行われる。古くは2月に行われていた行事で修二会と呼ばれていたが、堀河天皇の嘉永2年(1107)皇后が病気にかかられたので...
#興福寺の文殊会 外部資料 外部資料 外部資料 興福寺は藤原氏の氏寺として、藤原不比等(ふひと)が厩坂(うまやさか)にあった」厩坂寺を平城の地に移した寺である。藤原氏が隆昌におもむくにつれ、この寺も盛大になり、寺領も全国に及び、堂塔伽藍が百数十棟、僧侶も三千の多数にのぼった...
#般若寺の文殊菩薩 外部資料 外部資料 奈良市般若寺町 般若寺も文殊菩像を寺として文殊会が行われている。 寺は飛鳥時代の創建さしく、聖武天皇の頃に般若寺千坊とよばれる大寺があったが、治承4年(1180)の平重衡(しげひら)に焼かれてのち荒廃し、文永5年(1268)西大寺叡尊...
#文殊院 桜井市安倍文殊院 3月25日 26日 外部資料 外部資料 外部資料 桜井市、安倍文殊院の文殊菩薩は、丹後の切戸・奥州の永井とともに日本三大文殊の一つとして全国に知られ、会社は陽春三月二十五、六両日にわたって行われる。 獅子背上に座し、右手に降魔(ごうま)の利剣を左...
#法隆寺会式 3月22日~24日 外部資料 た堂 外部資料 この会式は聖徳太子の霊おまつりご聖徳を追慕奉さんする法要で、寺では聖霊会と称し、一般には法隆寺会式と呼んでいる。 この会式の起源については詳かではないが「古記」によると夢殿を再建した行信僧都が聖武天皇の勅許を得て2...
#春日大社の御田植祭 3月15日 外部資料 外部資料 外部資料 外部資料 外部資料 この祭りは、五穀豊穣を祈願する祭典で、御田植祭と御田植神事からなっている。 「社記」によると「二条天皇の御代の長寛元年(1163)正月の申の日にはじめておこなわれた」とある。祭典の方法につい...
お勧めの本 明治維新の先駆けとなった 「天誅組」についてです。 時代の変わり目の若き志士たちです 「大河ドラマ」とか歴史ドラマになって全国に知られて欲しいと考えています。 今月のお休み予定 6日(月)7日(火) 13日(月)14日(火) 19日(日)20日(月)21日(火)...
#桜井市の八講祭 外部資料 外部資料 桜井市多武峯付近、談山神社を心のふる里とする生田(おいだ)浅古(あさご)下(しも)倉橋 下居(おりい)多武峯(八井内、百市、飯盛塚、鹿路、針道 多武峯、西口)横柿 今井谷の八か所では八講祭が行われている。昔は北音羽(きたおとわ)もふくま...
#東大寺 二月堂お水取 外部資料 松明を待つ人々 外部資料 松明を眺める人々 大松明とお水取り 3月1日から14日にわたり二月堂で行われている修二会のなかで一般に親しまれているのは12日の大松明とお水取りであろう。当日は全国から多くの人が来られる。 大松明 当日練行衆が初夜...
東大寺 二月堂 お水取り 外部資料 若狭井 松明の竹 修二会 3月1日からいよいよ本行がはじまる。1日は特に午前2時から食堂で行事の戒律を守るために授戒作法があり、その後、二月堂にあがって堂内を荘厳し、火打ち石で浄火をおこし、宝前の常灯に火を点ずる一徳火の作法がある。 本行...
東大寺 二月堂お水取り お水取の行法に参加する練行衆は十二月十六日、開山堂での法要の前に発表される。決定後はいかなる事があっても変更されないことになっている。練行衆にえらばれた僧は、二月二十日から戒壇院の庫裏を別火坊とし、ここに練行衆は入る。別火というのはここで使用する風呂...
東大寺 二月堂修二会 2月20日から28日 別火 3月1日から⒕日 本行 外部資料 外部資料法要 別火 この行法は東大寺の二月堂の本尊十一面観音に東大寺の僧侶(練行衆)がおのが犯した罪・けがれを懺悔して、国家の安泰と人々の豊楽を祈る法要で、東大寺の憎実...
松尾寺の厄除 外部資料 外部資料 松尾寺は、天平の昔、元正天皇の勅願により開創されtらこさつで、大和盆地一望に見おろす松尾山の中腹にある。元正天皇が「日本書紀」の編纂を舎人親王に命じられたとき、親王は四十二の大厄であったので、松尾山に籠り大業成就を祈願された。養老2年(71...
長谷寺のだだ押し 外部資 西国霊場長谷寺の追儺会を俗に「だだおし法要」といい、二月十四日(以前は旧正の十四日)の午前二時から勤修される。 まず悔過導師以下職衆が上堂し十一面観音悔過法要を行う。次いで大導師が御胎内仏および如意宝珠、・閻浮提金(えんぶだこん)の宝印などを納めた...
江包・大西のお綱祭り 雄綱と雌綱の入船の式、これを俗に「お綱の嫁入り」といわれている。 外部資料 外部資料お この綱掛け神事は江包と大西の二大村人によって二月十一日江包の素盞鳴神社の境内で厳かに執行される。日本古式の姿を今に伝える猟奇的な原紙神事である。大西の市杵島神社ぼ末...
#神社の砂掛け祭り 外部資料 廣瀬神社は崇神天皇のころの創建と伝え、祭神は和加宇加乃売命である。竜田神社は風の神とし、廣瀬神社は水の神として、尊信されて来た大和の古社である。鎮座の地河合町川合は大和川が合流する地点であり、本社はこの地方即ち廣瀬郷社であり、明治になってから官...
#大神神社のおんだ祭 2月6日 外部資料 もともとは正月卯の日に行われていたが明治になって旧正月6日となり、更に新暦の2月6日に改められた。同社の『神事勤行日記』(明治3年=1870)には正月9日惣番・今月卯之二値二付御田也」とあって御田(おんだ)の呼び名で伝ているが御田植...