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貢蕉の瞑想さんのプロフィール

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ブログタイトル
貢蕉の瞑想
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/michan237
ブログ紹介文
青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。
更新頻度(1年)

321回 / 355日(平均6.3回/週)

ブログ村参加:2017/05/08

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ハンドル名
貢蕉の瞑想さん
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貢蕉の瞑想

貢蕉の瞑想さんの新着記事

1件〜30件

  • 再建に50年!

    再建に50年!令和元年11月20日先週1週間の歩数は、12万3693歩!新記録!!!一日平均1万7670歩。これも当然自己新!!!!スポーツジムへ30年通い、30周年を期に、全て自分の気分で日常運動をすることに。暇を見つけて土道を中心に歩いたり、ストレッチ・ヨガをやったり・・・。風を虫を鳥を水を草花を等々見つめながらウォークを楽しんでいる。それが、自己新に!自己新の更新には興味はないが、この動きが常態化するよう心がけて・・・!ブログが終わったら、ちょっと坂道の上り下り!今朝は東輪寺の門前へ。明日参拝かな?再建に50年!

  • 年魚市とは?

    年魚市とは?令和元年11月19日今朝は、歯科の定期検診。昨日忘却の彼方で、お詫びの電話。運良く今朝1番の方がキャンセルされ、検診ができる。有り難き事と運のよきことに深謝!さあ、名古屋ももう少し。白毫(びゃくごう)寺参拝!ほんとにお陰様で!私も自分らしく!山門で一礼。白毫寺は元亀2年(1571)の創建。昔、このあたりは、「年魚市潟」、知多の浦を望む勝景の地。「年魚市」とは?「あゆち」とよむ。「年魚」は、川魚の鮎のこと。「香魚」という漢字も「あゆ」。寿命が一年なので、「年魚」という字が当てられる。越年年魚もいるのだが。肉に香気がり、美味なので、「香魚」という字が当てられている。万葉歌人などが歌に詠んだ処。説明書きにあるように、「年魚市潟は、鳴海から熱田にかけて海辺の湾入した遠浅の地形を指している。万葉の歌に『年魚市...年魚市とは?

  • 千鳥塚と武蔵

    千鳥塚と武蔵令和元年11月18日さあ、笠寺観音も佳境。二回目の参拝!千鳥塚と宮本武蔵の墓が本堂右にある。千鳥塚は、芭蕉句碑。芭蕉の句は、「星崎の闇を見れやと啼く千鳥」。側面、背面にも刻印がある。「此寺の縁起人をかたるを聞侍りて」。と前書きし、「笠寺やもらぬ岩屋も春の雨」の句碑は、今は?宮本武蔵の墓は、千鳥塚の隣にある。宮本武蔵は、当時尾張藩に3年ほど滞在。尾張藩に士官の道を模索していたという。縁あって、この笠覆寺にお墓が祀られる。青梅在住者だった吉川英治の『宮本武蔵』も夢中で読んだ。また、山口への出張時に、タワーから眺めた巌流島も懐かしい!更なる冥福を!千鳥塚と武蔵

  • 見初める

    見初める令和元年11月17日今朝は、笠覆寺で、「見初める」ということ。久しく体験しないことに思いを馳せる。太鼓橋を渡り、山門に。阿吽仁王像をじっくり拝察。そして、参拝!息子たちの諸事のお礼をする。天平5年(733)、僧・善光(または禅光)が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り、現在の南区粕畠町にその像を祀る天林山小松寺を建立したのが始まり。その後、堂宇は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままに。ある時、旅の途中で通りかかった藤原兼平(藤原基経の子、875-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初める。都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とする。この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付けられたという。笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。鎌倉時代に...見初める

  • 大亀の背上に!

    大亀の背上に!令和元年11月16日(土)一度ずつ気温も下がっていく。冷たい、寒いという感覚も日に日に増す。今朝も名古屋市。妙案寺参拝。寛文9年(1669)織田正直が再興し、開山。熱田神宮四観音の一つとされ、「澤の観音」として有名。この中に、芭蕉句碑!芭蕉句碑は、ウミガメかな?大亀の背上にあり。四面に刻印されている貴重な物。芭蕉句碑の句は、「此うみに草鞋すてん笠しくれ」。「旅亭桐葉のぬしこゝろさし浅からせりけれはしはしとゝまらんとせしほどに」と前書きあり。もう一句あるということだったが、見当たらず。あれば、「海暮れて鴨の聲ほのかに白し」。刻字判読不能とのこと・・・。大亀の背上に!

  • 小さな祠が始まり!

    小さな祠が始まり!令和元年11月15日名古屋市の法持寺参拝!法持寺は、天長年間、空海が熱田神宮に参籠した際に日本武尊を敬い、延命地蔵菩薩像を彫って小祠を建立したのが始まり。白鳥陵の宝物を護持する寺である事から草創期は宝持寺と称している。宝徳元年(1449)、あるいは文明年間(1469-1486年)に圓通寺2世明谷義光によって曹洞宗の寺院として再興され、承応年間(1652-1654年)に現在の寺号である法持寺に改称。古くは熱田神宮大宮司・千秋氏の菩提所でもあったと伝わる。戦国時代、織田信長が桶狭間の戦いに向かう途中立ち寄り、必勝祈願をしている。宝暦7年(1757)の大火で寺院の建物全てを焼失するも復興、その繁栄の様子は『尾張名所図会』にも描かれている。かつては塔頭10ヶ院を数えたが、後に3ヶ院を残して廃絶。残った...小さな祠が始まり!

  • 河鵜と皇帝ダリア

    河鵜と皇帝ダリア令和元年11月14日(木)多摩川の小作の堰は、河景色の境目。台風19号で、上も下も様変わり。下は賽の河原化。1メートル50センチを超える大岩が3つ4つ、こんな大岩が流されるとは・・・。想像を絶する!!!それが下、そして、上に川鵜が一羽で餌探し?母親川鵜か。飛び去っていく。右上に子どもたちか・!そして、今朝。玄関先の皇帝ダリアが栄華前!11月の花としては、最高!大概、台風や豪風で、折られる事が多いのだが、今年はよく倒れずに・・・。花は開く!誇らしげに!「こんにちは。お互いよく生き延び、見事に花開いたね!」と挨拶してる。河鵜と皇帝ダリア

  • 一躍有名銘柄に!

    一躍有名銘柄に!令和元年11月12日昨日の雨が、空の大掃除をしてくれ、今朝は晩秋の碧空!さわやかで、幸せな一日になりそう。さあ、今日も名古屋を満喫!千句塚公園へ。公園は住宅街のある高台にあり。芭蕉が自ら築いた句碑がある中規模の公園。千句塚公園には、「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」と発句とする芭蕉が、この地で催されたことを記念する「千鳥塚」がある公園。滑り台や、アスレティックスなどの遊具があるポイントと、小さなグラウンドの横付近の2ヶ所から夜景が楽しめる処がある。有名な松尾芭蕉の星崎を詠んだ句が公園名称碑に刻印されている。東海道の鳴海の近くの干潟に星崎という地名があり、その地名から夜の星が連想され、星崎は夜や闇や月に関係する歌枕として、メジャーな鳴海の傍らで細々と命脈を保っていた。ところが、芭蕉が目を見張るような星...一躍有名銘柄に!

  • 永井荷風の祖父母の尽力

    永井荷風の祖父母の尽力令和元年11月11日早朝、久しぶりの降雨。有り難し!歩行禅も雨中では・・・と、足腰の筋肉疲労もあり、タイマーも止め、眠ることに・・・!1時間以上余分に眠り、起床。お陰ですっきり!反して、空は曇天。9時過ぎに歩行禅。そして、やっと名古屋市の誓願寺に。誓願寺は天正元年(1573)僧俊空の開山。境内には芭蕉供養塔と芭蕉手植えの古木で彫刻した芭蕉像(要拝観予約)が安置されている芭蕉堂がある。永井荷風の祖父母が移転したもの。芭蕉供養塔。永井荷風の祖父母の尽力

  • 根古屋城

    根古屋城令和元年11月10日今日は、午後3時から、「祝賀御列(おんれつ)の儀」。テレビで楽しむことに。昨夜は、「組曲Rayofwater」の演奏を聴き、感動!ほんとに素晴らしい演奏だった。今朝は、「成海城址・天神社」へ。鳴海(成海)城跡は、成海神社の旧地である。説明板によると、「根古屋城ともいい、応永年中(1394~)安原宗範の築城といわれる。永禄3年(1560)桶狭間の戦いでは、今川方の猛将岡部元信がこの城に配され、義元が討たれた後も最後まで立てこもって奮戦。その後、佐久間信盛、正勝らが城主となり、天正18年(1590)廃城となる。」後世「鳴海城址」として史蹟に指定する。城の鎮守として斎かれた天神祠はそのままこの地に遺り、世俗成海神社御旅所と称え、祭礼の日古例に則り御神幸あり、崖下扇川畔にて御東征の遺意を伝え...根古屋城

  • ひとみどりの初穐

    ひとみどりの初穐令和元年11月9日(土)昨日は歩数はここ数ヶ月の新記録。21,291歩!1時間早起きの効用かな?それでも、16キロ未満の距離だ。今朝は、名古屋市に入る。成海神社参拝!朱鳥元年(686)、草薙神剣が熱田に還座された時に、日本武尊の縁由により鎮座。日本武尊を主祭神に祀り、妃神の宮簀媛命とその兄神である建稲種命を配祀している。熱田神宮の東に位置することから「東宮大明神」と千三百年の間親しまれる。だるま塚もある。だるま塚を目にしたのは初。芭蕉句碑の句は、「はつ穐や海も青田の一みどり」。元禄元年。鳴海下郷知足亭滞在中の作。青田から海までも眼前に広がる視界が緑一色に塗りつぶされた大きな鳴海潟の景色を賞して、主人への挨拶とした。芭蕉の推敲に推敲を重ね、納得のいく俳句ができあがる。鹿島紀行附録では、「鳴海がたや...ひとみどりの初穐

  • 潮(うしお)の花 浦の春

    潮(うしお)の花浦の春令和元年11月8日目覚ましの第二設定のボタンを押したよう。今朝は5時45分まで目覚めないでぐっすりだ!いつものように布団の中でストレッチとヨガをやり、着替える。時計を見ると、5時10分。「何で!」とばかり目覚まし設定を確認すると・・・。有り難い勘違いと1時間早めに朝のルーティン。夏物もすっかり片付いて、すっきりブログへ。鳳出観音詣での続きとなる。朱門を入ると、本堂前左に、芭蕉句碑。句は、「疑ふな潮(うしお)の花も浦の春」。「二見のその圖を拝み侍りて」とある。元禄2年、二見浦。伊勢神宮の垢離場で、参宮者が潮に浴し、新春の初日の出を拝む。砕け散る浪の花にまでも、浦の新春のめでたさがある。この神々しい景色をよさしめる神徳をゆめゆめ疑うなの意。潮(うしお)の花浦の春

  • 行雲流水 鳳出?

    行雲流水鳳出?令和元年11月7日今朝も半田市。鳳出観音参拝!鳳出とは?「とりで」という読み仮名。朱門鳳出観音が築かれたのは1543年。知多侵攻を図る水野信元(徳川家康の伯父)が,『成(な)岩(らわ)城』を攻める為の軍事拠点として砦を築く。それで『とりで観音』。成岩には、市民の総合体育(?)だったか、視察に訪れ、新たな市民体育の動向を視て来た街。また、訪問できるとは・・!徳川時代の遺構は残っていない。石垣が当時の雰囲気を醸し出している。観音堂の傍の掲示板には、「行雲流水」の言葉が。「自由に生きていこう」とイコールで結ばれ、「大空に浮かぶ雲留まることなく流れていく水何処までも自由で束縛されていない様子が絵に描いたようにわかる言葉です。」と説明されている。道理、道理!行雲流水鳳出?

  • 最後は、こっとりと?!

    最後は、こっとりと?!令和元年11月6日今朝も快晴、続く秋晴れ!手袋と小型の襟巻きが必要になる、歩行禅。今朝も、半田市の常楽寺。一番山門よりにある塔頭「真如院」。私は、国道247号線沿いにある参拝者用駐車場を利用する。塔頭である「来迎院」境内を通過して常楽寺の境内に向かう。薬師如来が安置されている薬師堂。まるで鐘突き堂があったかの様な石垣の上に御堂が造られている。「生きている時は健康で、死ぬ時はこっとり死ねるように」と、この人生至上の願いを「こっとり地蔵」に託すという地蔵は、朱塗りの六面祠に入っている。また、法然上人の稚児像も安置されている。「勢至丸」という名だったよう。利発そうで、しげしげと眺め、流石と納得!けさは、「こっとりと」が、印象に残る。最後は、こっとりと?!

  • 四天門ならぬ二天門

    四天門ならぬ二天門令和元年11月5日(火)今朝も秋晴れ!北風が冷たい。晩秋の勢い。今朝は半田市。常楽寺参拝!文明16年(1484)に天台宗仏性寺を改修し、空観栄覚によって開基された西山浄土宗の寺院。しかも、尾張藩初代藩主の徳川義直から「浄土宗西山派知多一郡の総本寺」とお墨付を得た寺院。第八世住職の典空顕朗は於大の方の妹の子で、徳川家康と従兄弟にあたる。このことから、家康が永禄3年(1560)の桶狭間の戦いや天正10年(1582)の本能寺の変、天正17年(1589)の上洛の際にも立ち寄っており、徳川家康ゆかりの寺として有名。大正13年(1924)、火事に遭い多くの建物を焼失、昭和15年(1940)に再建。昭和62年(1987)、老朽化した山門も再建。主な所蔵品には国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来立像(...四天門ならぬ二天門

  • 「すすめる」文化の日は?

    「すすめる」文化の日は?令和元年11月3日(日)今日は、文化の日。好天の日が多い日でもある。では、文化の日って?再考することにする。文化功労賞授与の日みたいな感じになってきているので・・・?文化の日は、日本の国民の祝日の一つ。明治天皇の誕生日にあたり、明治期に天長節、昭和初期に明治節として祝日となっていた日である。文化の日は、国民の祝日に関する法律第2条によると、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨とする日。「文化をすすめる」の「すすめる」が平仮名になっている。「進める」と「勧める」、「薦める」「奨める」の4つの意味合いで「すすめる」としたのだろうか。毎日、古典音楽を聴き、芭蕉の道をこつこつとまとめ、ブログや冊子に、そして、キーボードで、簡単で、懐かしい曲を弾いたり・・・・。ノルディック・ウォークの歩...「すすめる」文化の日は?

  • 1セット350円!

    1セット350円!令和元年11月2日秋晴れ2日連続。今朝は、8時半頃青梅市の産業祭に出かける。52回目の産業祭。市役所の駐車場から永山球場まで、秋を見つけながら散歩を楽しむ。9時過ぎに急坂を一気に上り、会場へ。準備に大忙しの時間。泥ネギとニンジンと里芋のセット売りの所に並ぶ。今年は一人1セットのみ。半額の350円。小銭のご用意をと、再三再四の丁寧な説明。1万円札など大きなお金しか持っていない人には、両替もしてくれるという行き届いたサービス!長渕のおいしい柿やキャベツ、日高昆布など家内から依頼の品を確保し、いろんなお店を一巡。知人に会えるのも楽しみ!そして、鯛飯など調達し、帰宅。半日、産業祭をてくてく、時には早足で、1万歩以上の散歩となる。今年もありがとう!!!1セット350円!

  • 物差しの変容

    物差しの変容令和元年11月1日いよいよ霜月に!快晴の朝、空気は冷たい。「今日はかり人も年よれ初時雨」。芭蕉の句碑の傍に・・・。相田みつをさんの書と詞の碑だ。お寺での碑は初めて!掲示板に住職さんが相田さんの詞を好まれて提示されているのはときどき拝見することはあったが・・・。30代頃かな?相田みつをさんの書と言葉に魅せられ、有楽町の記念館まで二度ほど行ったなあ!「いまが大事」。実存者として生きてきた私の真情、信条でもある。「今という瞬間を共に楽しく生きる。」「実存は共存である」ということでもある。「生きてきてよかった!」とつくづく思う。「生きていてよかった」というのも実感。「うそかまことか仏様のものさし」「損か得か、人間のものさし」とは、的確過ぎて・・・。老いるほどものさしが変わっていく。仏様のものさし、観音様のも...物差しの変容

  • 一日半

    一日半令和元年10月31日二日か三日、好天の時を待ち望み、やっと・・・。一日目、午前中波板剥がし。午後は、ペンキ塗り。波板剥がしは、棟梁の気分。高いところから見る景色はまた趣があり、小さな悦びもあり。しかし、2~3センチの桟の上に重心がないと、劣化した波板がベリバリ、バリベリの深いな落下音?「暮れ暮れも落ちないように!」と、棟梁からも家内からも注意を促されている。重いハンマーと釘抜きのコンビの活躍で一本の釘がやっと抜ける。一本一本抜くごとに、ほっとする。下っている一番下の段とミカンが鈴なりの端の釘を抜くときはさらに緊張を集中力を駆使。しゃがみ込んでの活動。だんだん、足腰の筋肉が固まりつつ・・・。途中休憩を挟み、すべての釘を抜き終わる。「ああ、落ちなくてよかった!」午後は、ペンキ屋さん。あと15年持たすには、柱・...一日半

  • 地蔵堂が満徳寺に

    地蔵堂が満徳寺に令和元年10月29日予報だと、今日の雨で雨も少しお休みに!今朝は時雨。三日ぐらい晴れたらと予定していた修繕をやっとできそう・・・。一ヶ月近く延長したなあ。さあ、今朝から知多市へ。満徳寺参拝!元文4年(1739)、寺本新田原村の地蔵堂として草創。明治6年(1873)一旦廃寺の後、村民一同の請願により、明治29年(1896)満德寺として再興。現住職は6代目。門の前、右道路脇に、芭蕉句碑がある。句は、「今日はかり人も年よれ初時雨」。そして・・・・。地蔵堂が満徳寺に

  • 陶酔のハーモニー

    陶酔のハーモニー令和元年10月28日昨夜は久しぶりのウィーンの演奏家の生演奏を聴きに、羽村のゆとろぎへ。ウィーン・フーゴ・ヴォルフ三重奏団の日本ツアー。佐藤財団さんが毎年主催。9月1日に、お一人様4枚までの入場整理券を戴きにいき、待ち望んでいた演奏会。ウィーン・フーゴ・ヴォルフ三重奏団とは、ウィーンフィルの前コンサートマスターのダニエル・ゲーデさんが中心で結成した三重奏団。高名なヴァイオリニスト。ピアノは、オリヴァー・トレンドゥル。幼少時から国内外のコンクールで、多くの受賞歴。世界の著名オーケストラとも共演。室内楽の演奏も得意。そして、チェロ奏者。グスタフ・リヴィニウスさん。チャイコフスキー国際コンクールのチェロ部門優勝者で、現在は審査員。ドイツで唯一の優勝者。とにかく最初の、ブラームスのピアノ三重奏曲第2番。...陶酔のハーモニー

  • 普く救う寺

    普く救う寺令和元年10月27日(日)今朝も東海市へ。芭蕉のおかげで、随分お寺を参拝したが、「普済寺」という名のお寺は初めて!「普済」とは、「普く(=幅広く)済う(=救う)」という意味。仁王門は木製。阿吽像が二階にあるよう。市指定の文化財として、『法要決疑論』がある。それは、文明14年(1482年)に逆翁崇順(禅宗僧侶)によって書かれたもの。禅家の法要についてのいろいろな儀礼について、問答形式で解説したもので、今も活用されている。芭蕉句碑は、本堂左奥の六地蔵の右の片隅にある。句は、「古池や蛙とひこむ水の音」と「ものいへは唇寒し秋の風」の二句。なぜ、二句を選んだのか、そして、目立たない片隅に建立されているのはなぜか。お寺再建の時の都合かな?とりあえず見つかってよかった!普く救う寺

  • 鐘は上野か浅草歟

    鐘は上野か浅草歟令和元年10月26日(土)いよいよ東海市へ。熊野神社へ。鉄と洋蘭の町、東海市の中ほどに位置し、樹木の茂る自然豊かな森を背に、四百年以上の歴史を刻む熊野神社。その創建は詳かではない。古文書によると、永禄3年(1560)、桶狭間の合戦で織田信長に敗れた今川義元の家臣の久野清兵衛(二代目)宗政が、駿州久能山を出てから、縁あって加木屋の住人になる。久能山を出る時、所持していた弥陀・薬師・観音の三尊の内、観音を氏神の御神体としたという。芭蕉句碑は、本殿前左植込みの中にある。すらっと縦長の石碑で、句は、「花の雲鐘は上野か浅草か」。貞享4年春。詞書によって深川芭蕉庵での吟。上野は、江戸上野寛永寺。浅草は浅草寺「花の雲鐘は上野か浅草歟」鐘は上野か浅草歟

  • 古戦場にも秋の風

    古戦場にも秋の風令和元年10月25日いよいよ晩秋!風も雨も冷たし!今朝は、豊明市。高徳院参拝!高徳院は真言宗開祖弘法大師の高野山(和歌山県)において9世紀に「高貴徳王菩薩」を本尊とした寺院。明治時代に入り、行政による寺院の整理が進む。桶狭間合戦の戦没者の供養とこの地での布教のため、明治26年高野山より豊明村(現豊明市)に移転され、現在に至る。二度目の参拝!ここの仁王門も新しく見事!仁王阿像仁王吽像参拝後、芭蕉句碑へ。段上にある句碑も下部が剥離され、劣化しつつ・・・。句は、「あかあかと日はつれなくも秋の風」。そして、桶狭間古戦場の碑。「跡とへは昔の時のこゑたてゝ松にこたふるかぜの悲しさ」古戦場にも秋の風

  • ミニ社殿

    ミニ社殿令和元年10月24日台風21号が、今小笠原諸島付近で大暴れ!小笠原を通過する台風がちょっと目立っているが、小笠原の被害状況はちょっと不明?甚大な被害にならぬよう、ただただ祈るのみ!!豊田市と挙母の関係の謎も解け、次は、市内の白鬚神社参拝!猿田彦命を祀る神社。慶長6年(1601)に、神社前の道が開かれ、時の城主熊谷大膳亮重長により翌年勧請したといわれる。神社をお守りしているのは、神明町、西町、中町の祭礼係の方たち。境内の広さのわりに、社殿がミニチュア。可愛い!説明板を読んで納得。芭蕉句碑のことも記されている。芭蕉句碑も可愛い!芭蕉の句は、「敦公招くか麦のむら尾花」。「麦のむら尾ばな」は、麦畑の麦の穂が出そろっているのを、麦のむら尾花」と言った。むら尾花は、穂に出た花薄の群れ。尾花が風に靡いて揺れるのを、和...ミニ社殿

  • 挙母から豊田へ

    挙母から豊田へ令和元年10月22日昨日の天皇ご即位式の天皇の宣明に、感銘を受ける。大企業や官庁など大組織の幹部の方たちや政治家は特に改めて宣明文を自分のミッションとし、国威を貶めることなく、誇りと誠意を尽くし、精進してほしいなあと思う。庶民である私たち、特に次世代を担う子どもたちには、影響甚大であるから。そんなことが脳裏をよぎる誇り高き御宣明でもあった。今日も豊田市。おにぎりのような芭蕉句碑をじっくり蝕し、挙母神社の挙母を調べることとする。「「豊田市」がもともと「挙母市」であったことを、私も知らない。「挙母」と書いてなぜ「ころも」と読むのかは地名研究の中でも謎の一つだったそうな。「挙母市」が「豊田市」に名を変えたのは昭和34年(1959)のこと。私が中学1年か2年。もう60年も前のこと。もちろん世界に誇る「トヨ...挙母から豊田へ

  • 挙母って?

    挙母って?令和元年10月22日今日は、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が行われるおめでたき日。次から次への甚大な被害に遭遇する現時、おめでたきことあり。今朝は、世界のトヨタを象徴する豊田市へ。挙母神社、初参拝!「ころも」神社というそうだ。「挙母」を何と読むのか?ほんと、知らないことの方が多い!挙母神社は、豊田市の中心市街地にある。旧社格は郷社。豊田市には挙母神社のほかに、式内社であり三河国三宮の猿投神社、松平東照宮、足助八幡宮等がある。まず参拝!芭蕉句碑は、金次郎をのせたような台座にお結びのようにのっかっている。句は、「木のもとに汁もなますも桜かな」はせを。木の下に広げられた花見料理も繽粉と散り来る落花に覆われて辺りは花のふすまを着せたよう。花見の座の艶なる情景の描写。挙母って?

  • 池鯉鮒は?

    池鯉鮒は?令和元年10月21日(月)曇天の朝、やはり風は冷たし!今朝も知立市。知立神社参拝!景行天皇の頃の創建と伝え、以来千年以上にわたり、この碧海地方はもとより広く篤く崇敬を集める。平安時代『延喜式』神名帳にその名が見え、三河国二宮として国司の祭祀を受け、江戸時代には東海道三社の一つに数えられる。東海道を往来する旅人には「まむし除け」のご神徳で知られ、各地にご分社ご分霊が勧請される。近代以降においては皇室の祖神をお祀りするご縁から国家安寧・家内安全の神社として尊ばれている。「ちょっと分かりにくい処なので…」と、巫女さんが直接案内してくださる。芭蕉句碑は、金次郎像と並んでいる。親母神社、秋葉社等も参拝!親母神社秋葉神社芭蕉句碑芭蕉の句は、「不断たつ池鯉鮒宿の木綿布」。この芭蕉句碑は、池鯉鮒蕉門の俳人、井村祖風が...池鯉鮒は?

  • 正しく意訳すれば、亀が動く!?

    正しく意訳すれば、亀が動く!?令和元年10月20日「リバーサイドも道路からゴルフ練習場、球技場など水につかって・・・」という話を聞き、昨日、自転車で散歩がてら見に行った。土手を水が越えたよう。ゴルフ練習場への道路は、立入禁止。この先3百メートル以上が・・・・。とほほという感じ。川沿いの雑木林は、すっかり洪水で、荒れてはいるが、見通しがよくなっている。間伐、草刈りをしたようだ。砂の大地が下流で違う形で砂の島を形成したみたい。いやはや!気を取り直して、知立市へ。八橋古碑(亀甲碑)(市指定文化財)の碑文は、荻生徂徠門下の秋本嵎夷が岡崎侯に招かれて儒官を勤めていた時、偶々この地を訪れ、「八橋記事弄王孫歌」と題して、「八橋と業平の故事」についてまとめたもの。書は門人の国分興伯機で、同門人の由良不淰により、寛保2年(174...正しく意訳すれば、亀が動く!?

  • 我に発句の思い!

    我に発句の思い!令和元年10月19日今朝も無量寿寺。庭園の面積約13,000㎡、16の池(5,000㎡)に約3万本のカキツバタが植えられている。4月27日から5月26日には、毎年「史跡八橋かきつばた祭」が開催されているという。京名物「八つ橋」も食することもできます。何度でもどうぞ!私は二度目の参拝。さあ、芭蕉の連句碑探索開始!芭蕉連句碑も見つかる。芭蕉連句碑の芭蕉の句は、「かきつばた我に発句のおもひあり」。芭蕉が貞享2年(1685)4月に、鳴海の俳人下郷知足の家を訪れる。その時、開かれた俳席での作。芭蕉は、知足の案内で、この八橋に遊び、古に思いを巡らしたのか。知足の句は、「麦穂なみよる潤ひの里」「碑を建てたのは、知足の子孫である下郷学海で、『安永6年丁酉夏6月』(1777)とある。三河に残る芭蕉句碑の代表的なも...我に発句の思い!

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