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ブログタイトル
貢蕉の瞑想
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/michan237
ブログ紹介文
青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。
更新頻度(1年)

242回 / 365日(平均4.6回/週)

ブログ村参加:2017/05/08

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貢蕉の瞑想さん
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貢蕉の瞑想
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貢蕉の瞑想

貢蕉の瞑想さんの新着記事

1件〜30件

  • 深川小学校跡地と時雨塚

    深川小学校跡地と時雨塚令和2年10月20日(火)今日は久しぶりに全国的に晴れているよう。午後、青梅も青空が広がった。今日は、江東区の長慶寺へ。深川孫右衛門夫妻より、越後村上の霊樹山耕雲寺二三世一空全鎖大和尚を開闢開山に勧請。当山二世大事不安大和尚布延する。古来、楠の老木が林立していたので楠寺とも呼ばれる。また、開創より31年後、万治3年(1660)、時の本所奉行徳山五兵衛の差配により寺地が除地となり、徳山家を中興開基とする。この寺には亀戸天神の宮司大鳥居家の墓がある。言い伝えによると、亀戸天神の初代と長慶寺の初代が共に同じ時期に江戸で布教、互いに励まし合い、交流している。風も心地よい。その縁で、この寺に亀戸天神の宮司の墓がある。納得!!!近代小学校発祥地深川小学校の跡地でもある。元禄7年(1694)に芭蕉が難波...深川小学校跡地と時雨塚

  • 芭蕉由緒の碑と芭蕉通り

    芭蕉由緒の碑と芭蕉通り令和2年10月19日(月)この頃の芭蕉庵は、新しい俳風を模索する一門の拠点。また、「桃青」から「芭蕉」と号を改めたのもこの頃。禅味が加わった芭蕉の作風は、従来見られなかった高い精神性を俳句の世界にもたらし、文芸としての価値を世間に知らしめることになる。臨川寺には「玄武仏碑」をはじめ、「梅花仏碑」「墨直しの碑」「芭蕉由緒の碑」等の石碑が残され、芭蕉ゆかりの寺として知られている。懐かしさも手伝い、町並みも愉しむことに・・・。芭蕉由緒の碑と芭蕉通り

  • 師は3人

    師は3人令和2年10月18日(日)私を支え、励まし、導いてくれた人は数多い。その中で、私を信じ、教え、諭し、導いてくれた師は、私には3人いる。皆彼方の人となったが、私の中では生き続けている。有り難きかな?芭蕉の師は?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・延宝8年(1680)、深川に移り住んだ芭蕉は、二歳年上の仏頂禅師の人柄に感服し、足繁く参禅するようになる。臨川寺の和尚でもある。芭蕉庵と呼ばれた草庵が、臨川庵とほんの五百メートル程の距離。往来しやすく、二人の交流は更に深まる。その人は仏頂禅師。この頃の芭蕉庵は新しい俳風を模索する一門の拠点。また、「桃青」から「芭蕉」と号を改めたのもこの頃。禅味が加わった芭蕉の作風は、従来見られなかった高い精神性を俳句の世界にもたらし、文芸としての価値を世間に知らしめることにな...師は3人

  • 四方仏と蛙飛び込むの余情

    四方仏と蛙飛び込むの余情令和2年10月17日(土)いよいよネックウォーマーのご厄介になる。身に応える寒さかな?さあ、清澄庭園の散策も芭蕉の句碑へ。案内表示も丁寧で、芭蕉の句碑はすぐに見つけることができる。芭蕉の句は、「古池やかはづ飛び込む水の音」。何度味わっても余韻・余情の響く句だ。四方仏と蛙飛び込むの余情

  • 紀の国屋さんから弥太郎さんへ

    紀の国屋さんから弥太郎さんへ令和2年10月16日(金)寒い朝。早くも冬の到来?サムイの苦手な方だから、急がなくていいよと天に向かい囁くのだが・・・・?太陽もすっかりお隠れ。今年は月単位のお出ましかな?水辺の散歩は、時々思いついた時にと・・・。昔、我が庭だと来客をもてなし、遊んだところ。過日訪れた所は、清澄公園だったということが清澄庭園入口に来て初めて分かる。清澄には公園と庭園があるのだと初めて知る。(変貌するとは?)と気にしていたら、やっぱし勘違い。一安堵!当時確か入場料を払って入った記憶もあったし…。この庭園は、泉水、築山、枯山水を主体とした「回遊式林泉公園」だ。江戸時代の大名庭園の造園手法だ。江戸の豪商紀伊國屋文左衛門の屋敷跡ともいわれている。明治になって、岩崎弥太郎が荒廃したこの邸地を買い取り、社員の慰安...紀の国屋さんから弥太郎さんへ

  • 日の光と時鳥

    日の光と時鳥令和2年10月15日(木)三番目の句は、日光の句で、「あらとうと青葉若葉の日の光」。元禄二年。『奥の細道』本文に、「今此御光(日光山東照宮の威光)一天にかゝやきて恩沢八荒にあふれ四民安堵の栖穏なり。猶憚り多くて筆をさし置ぬ」とある。濃淡とりどりの緑の葉にふりそそぐ日の光。日の光は日射しと日光東照宮の意をかけている。四番目の句は、那須の句で、「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」。元禄二年。那須野を馬で行く時、口取りの男に乞われて書き与えた句。馬で那須野を行く、頭上を横切って、時鳥が一声鳴きすぎた。その声を追って馬を牽き向けよ。今一声聞きたいものだの意。日の光と時鳥

  • 水辺の道を散歩!

    水辺の道を散歩!令和2年10月14日(水)仙台堀川の水辺の散歩道。水も随分清くなり、見事に整備されている。芭蕉俳句の散歩道となっている。先ずは、深川の句。「草の戸も住替わる代ぞひなの家」元禄二年。奥の細道の旅に出る直前の句。「今まで隠者の住んでいたこの草庵までも主人の入れ替わるときがやってきたぞ。今後は妻もあり、娘もある人が入って、雛を飾って華やぐことだろう。」自分の住んでいた草庵の前途を祝っている句である。二番目の句は、千住の句。「行春や鳥啼魚の目は泪」元禄二年。奥の細道出発の際の留別吟。足立区千住は、奥州・日光街道最初の宿場。芭蕉は、見送りの人々と舟で深川から隅田川を遡り、千住大橋の辺りに上り、人々と別れる。春も過ぎゆく頃、惜春の情に堪えかねて鳥はなき、魚は目いっぱい泪をたたえている。それはまた、芭蕉たちの...水辺の道を散歩!

  • 採茶とは?

    採茶とは?令和2年10月13日(火)採茶とは?お茶を採る。お茶を摘む。お茶する。いろいろな解釈もある。海辺橋の傍。多分ここに集まってお茶を飲みながらお喋りや談議。俳句会も開いたのかな?採茶庵は、魚問屋の杉田杉風の別墅(しょ)。別宅である。芭蕉は、元禄2(1689)年3月27日、採茶庵から、「おくの細道」の旅に出た。。当時は、仙台堀(仙台藩の蔵屋敷があったことから仙台堀と呼ばれる)、現在の仙台堀川に浮かぶ船に乗り、隅田川を遡って千住へ。採茶庵は、芭蕉の門人、杉山杉風(さんぷう)の別宅。芭蕉は「奥の細道」の旅に出る前に、それまで住んでいた隅田川と小名木川の合流地点の岸辺にあった芭蕉庵を手放し、門人、杉山杉風の別宅に厄介になる。採荼庵に芭蕉を住まわせた杉風は、日本橋で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で芭蕉の生活を...採茶とは?

  • 新婚の詩!

    新婚の詩!令和2年10月12日(月)さて、因幡の白ウサギ以前にもどり・・・。黄泉の国の入口がある出雲に降りたスサノオノミコトは、肥の川(斐伊川)でながれる箸を見つける。川上に人が住んでいると推察。出会ったのがアシナヅチとテナヅチとその娘クシイナダヒメ。クシイナダヒメには、7人の姉がいたが、皆八岐大蛇に襲われ命を失う。残るクシナダもまもなく襲われる運命。スサノオノミコトは、クシナダを嫁にすることを条件に、八岐大蛇を退治。クシナダと結ばれ、須賀の地に住む。この時に詠まれた歌、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」が日本最初の和歌である。スサノオの六代後の神裔とされるオオクニヌシノミコト登場。その最初の神話が「イナバの白ウサギ」。神話の杜の象徴。出雲大社のウサギたち縁結びの碑スサノオノミコトとイナバの白...新婚の詩!

  • 出雲神話初詣!

    出雲神話初詣!令和2年10月11日(日)数年前に、これだけ神社仏閣を参拝しているのに、出雲大社を詣でてないなと・・・?昨年、蕉道も自分なりに納得のいく域に来たとき、次は、島根と鳥取だ!と決め、計画を立てる。しかし、家内の骨折、新型コロナの蔓延でストップ。少し落ち着いたのと、この時期を逃したら……ということで、計画の立て直しを図り、やっと念願叶う。神話の世界に入る。『古事記』と『日本書紀』、そして『出雲国風土記』の世界!高天原のイザナギノミコトとイザナミノミコトが多くの国生み、神生みを!二人から生まれた貴公子神は三人。アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノノミコト。スサノオノミコトは、亡くなったイザナミのいる黄泉の国へ行きたいとだだをこね、イザナギに追放される。その後、黄泉の国へ行く前にアマテラスを訪ねる...出雲神話初詣!

  • 17時間 820キロ ご縁広場へ!

    17時間820キロご縁広場へ!令和2年10月10日(土)道の駅「大社ご縁広場」到着!道の駅の命名も流石!しっとりと落ち着いた広場で、ご縁を自然に感じる処。19時10分。走行距離は820キロ。17時間かけて、ゆったり気分で!!!さあ、夕食。ビールで一人乾杯、家内に電話し、夕飯を食す。食後、洗面・歯磨きに行き、あちこちにトイレを設置、清潔さも群を抜いているかな?!珍しいものも発見!ご縁道。出雲御縁道!人生の節目にご縁のある32文字が柱に書かれている。人が生まれては「生」。周囲の人に喜ばれ、「喜」。健やかに育てと、「健」。いつか終わりを幸福に、幸せにという「幸」。いつか、32文字、清書してみよう。9時過ぎ、床につく。道の駅で、こんな静寂な夜を迎えたのは初めて。すぐ寝付き、5時過ぎまで疲れを癒やす安眠となる。朝、感謝の...17時間820キロご縁広場へ!

  • 蛸のお囃子!

    蛸のお囃子!令和2年10月9日(金)数年越しの願いと・・・、計画一年越しの実行となる。1時半に目覚め、二時過ぎ出発!慣れた道とはいえ、東名、新東名を走る、走る。足柄SAで休憩。コーヒータイム。そして、浜名湖SAで、家内の用意してくれた朝食を半分平らげ、仮眠!ぐっすり!!!すっきりして8時26分給油をして出発。土山SAでも給油。13時30分四宮の名塩SA蛸ばやしを食す。明石風!天ぷら風蛸ばやし!美味!!岡山で、きびだんごを食し、日本海へ。行き先は?蛸のお囃子!

  • 迷月から名月へ そして・・・!!!

    迷月から名月へそして・・・!!!令和2年10月2日(金)二日間月を愛でることに!誕生祝いのおぼろ月。そして、明けた朝は小雨。その後曇り空に変わる。秋の雲が広がり始める。おやつ時、一気に晴れ上がってくる。予報通りで行けば、中秋の名月、中秋の明月が見られそう!夕食時、知人が旅の土産を届けてくれる。「いやあ、きれいな月!見応えありますね。」赤みを帯び、大きく見える。夕食を済ませ、一服して外へ。少々小さくなっているが、見事な望月に!!!!明月はふたつ過ても瀬田の月と、大津市の石山寺近辺。瀬田川に舟を浮かべ、月を愛でる芭蕉句。名月は二夜ながれし庵(いお)のうえかな?迷月から名月へそして・・・!!!

  • わんの祝いとおぼろ月が合祀!!

    わんの祝いとおぼろ月が合祀!!令和2年10月1日(木)昨夕、近くの魚屋さんに出向き、手巻き寿司用の魚とか、貝など調達。やっぱり活きが良い。刺身やお寿司が大好物のわんへの最高のお祝いとなる。そして夜。中秋の名月前夜、中秋の名月ならぬ中秋のおぼろ月夜を初拝!嬉しい、記念の一夜となる。芭蕉の句。「秋に添て行はや末ハ小松川」は、秋に添て行はや末八月かすみとなる。さて、大島稲荷神社。後に、近くにある愛宕山勝智院境内の愛宕神社と、柳川藩下屋敷の邸内社であった太郎稲荷を合祀する。合祀前の愛宕神社には享和3年(1803)から1年間、小林一茶が居住していたという。わんの祝いとおぼろ月が合祀!!

  • わんも新人!嬉しい一日!?

    わんも新人!嬉しい一日!?先ず、朝食後、お祝いの品と祝辞!そして、今年友人の関係で、フェイスブックを始め、友人が往来している奄美の人たちと仲良しになる。早速お一方からお祝いのメッセージ。奄美の言葉で、自分のことは「わん」。いよいよ後期高齢世界の新入り、新人となる。コロナの関係で、全くステイホーム!新人王をとるには、何をプラスに挑戦するか?愉快に探そう!令和2年9月30日(水)75歳!今朝は「大島(じま)稲荷神社」参拝!江東区を横切る小名木(おなぎ)川。この川は天正18年(1590)、江戸に入府した徳川家康が、千葉県行徳の塩を運ぶため、小名木四郎兵衛に命じて水路の開削をさせる。それに因んで「小名木川」と命名。慶安年間(1648-1651)、小名木川近くの海辺が度々津波に見舞われて、耕地が荒廃。苦しむ住民。伏見稲荷...わんも新人!嬉しい一日!?

  • 災難は晴天の●●とスカイツリー

    災難は晴天の●●とスカイツリー令和2年9月29日(火)午後、市役所に高額医療の書類を持って手続きに行った。その帰り、411号の長渕の交差点を左折して家路に着くと、前に軽のお巡りさんの車。セブンイレブンの近くで停車される。シグナルを出し右によりやり過ごし、前進すると、直後についてこられる。40キロで走って家の近くの交差点。信号は赤。右にシグナルを出し待つ。すると、後ろのお巡りさんが降りてきてガラス窓をトントン。「近くの処の左で停まってください。」との指示。「何で?」と思ったが、右側が家の方なのでと説明し、右の自転車屋さんの駐車場に入る。「何か違反しました?」と尋ねると、「いやあ、ちょっと車の中を見せてください。」と言われる。違反ではなく、不審車と間違われたのだ。キャンピングカーに仕様して六年ほど、ほぼ本州を走って...災難は晴天の●●とスカイツリー

  • 歓喜の拍手は、花の上

    歓喜の拍手は、花の上令和2年9月28日(月)正代の初優勝は、熊本県人の初優勝!友のいる熊本は、最近災害が多く、心を痛めていたので、盛り上がる。粘り勝った勝った瞬間、歓喜の拍手を送った!翔猿は東京出身の幕内初の場所、大いに声援を送っていたが、よく頑張ったと讃える気持ちもちょっと込め・・・!一対一の対戦はやっぱり良いなあ!今朝も亀戸天満宮!手入れの行き届いた藤棚や、健気に咲く梅の花々、いろいろな石碑にと心奪われ、浄め歩きどころではなし。ただただ深謝!深謝!東の方の藤棚の下に、芭蕉句碑を発見!「しばらくは花の上なる月夜哉」。歓喜の拍手は、花の上

  • 男橋は過去、女橋は未来!

    男橋は過去、女橋は未来!令和2年9月27日(日)兎に角、見応えのある天神社。出羽三山とは違った「三世一念の理」。一興の趣!先ずの太鼓橋は過去を表す男橋、そして現在を表すという平橋、最後は未来を表現する女橋と呼ぶ太鼓橋を渡り、身も心も浄めて神前へ。そして、拝礼・祈願ということか。古いギリシャ神話では、天の運行を支配している必然の女神アナンケの娘である三女神。人間の誕生を司る糸を紡ぎながらラケシスは過去を、クロトは現在を、アトロポスは未来を歌う。そこから死者の魂は、忘却の平原へ。忘却の川の水を飲んで死者の魂は、自分の過去を全て忘れ去り、新たな肉体を与えられ、再びこの世に送り出されるという。霊魂不滅の物語!「三世一念の理」は、何処の国にも物語として残っているのだろうなあ!男橋は過去、女橋は未来!

  • 三世一念の理

    三世一念の理令和2年9月26日(土)最近とみに思うこと。「静かに健やかに、そして奥深くこころの旅を続ける」ということ。萩寺から亀戸天神まで歩く。菅原道真公を奉祀する天神様。丁度梅祭の最中。この冬は暖かかったので、盛りは過ぎている。それでも十数名の人が梅を楽しみ、写真撮影。ぐるっと外周を回り始める。藤棚も整備され、梅祭だけでなく、藤の花祭もありそう。きっと菊祭もあるのだろう?梅は、種類だけでなく、木々の手入れも行き届き、楽しめる。鳥居から拝殿へ続く道には、池と橋を、「人の一生」に見立てた「三世一念の理」によって造られたという境内を楽しむ。兎に角、見応えのある天神社。出羽三山とは違った「三世一念の理」、一興の趣!三世一念の理

  • 風車もハロー

    風車もハロー令和2年9月25日(金)「八正道」に因み、本堂は八角のお堂で夢殿を模したもの。本堂も見事だが、その前に、満を持して咲いている河津桜に見とれてしまう。地蔵堂や不動堂など眺めながら池の方を見やると、錦鯉や緋鯉などがたくさん気持ちよさそうに寄り添い、寝そべっている。可愛い風車にも歓迎!ハロー!ハロー効果で毎年、鯉の稚魚が孵化しているそうだ。風車もハロー

  • 雨の萩 都内最古の句碑!

    雨の萩都内最古の句碑!令和2年9月24日(木)門正面右には、芭蕉の句。「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」が彫られていた。本堂をまず参拝!庭園内に入り、芭蕉の句碑を探す。「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」という同じ句が、石碑として・・・。雨中の萩は風情があるが、雨に濡れてそこを通り過ぎて行く人もまた風情のあるものだの意。都内にある芭蕉句碑37基の中で最も古い句碑。雨の萩都内最古の句碑!

  • 門前の想像

    門前の想像令和2年9月23日(水)台風12号の進路がやや東に!御陰で、青梅は曇り空。時折小雨がぱらつく程度。散歩がてらパン屋まで足をのばし、食パンを購入。お店特有の食パンは30分後に焼き上がるという。普通の食パンにする。さて、今朝は江東区龍眼寺へ。萩寺とも呼ばれている。その門前。門塀には、俳句と短歌が刻まれている。榎本其角の俳句は、「月見とも見えず露あり庭の萩」短歌は、大納言家長郷作。ききしより見る目ぞまさるこの寺の庭に散りしく萩の錦は萩の美しいお寺だったのだなあ!「歴史と文化を考えよう」の石版もあり。掲示板には、住職の言葉。「泥中に咲いても汚れに染まらぬ蓮の花」門前でしばし立ち止まり、萩寺に思いを馳せる。門前の想像

  • 分からん、分からん?

    分からん、分からん?令和2年9月22日(火)不動ヶ丘の山中に、「山内八十八カ所巡拝路」がある。本堂近くから登ったため、途中で気がつく。もはや八十番。ほとんど逆さ巡りとなる。取り敢えず、第一番と最終の八十八番の写真を掲載し、巡拝記念とする。お守りなど置いてある受付で、芭蕉の句碑を尋ねる。しかし、返答は、至極曖昧。言われた場所にはなく・・・。五重塔を下り、巡拝入口付近で発見!「名月にふもとの霧や田のくもり」元禄七年八月十五日。伊賀上野赤坂で、月見の吟。名月は、皎々と照っているが、麓は薄霧が立ちこめて、それが田圃が曇って見えるの意。名月に麓の霧か田の曇推敲作。分からん、分からん?

  • うっとり!山口誓子の句と富士

    うっとり!山口誓子の句と富士令和2年9月21日(月)次に、目にとまったのは、五重塔。先ずは、本堂でお詣り。その後、芭蕉句碑を探索。山口誓子の句碑はすぐ見つかる。「如来出て掌に受け給ふ枝垂梅」という句。結局、散策好きなのか、山好きなのか、気付いた時には、不動ヶ丘への小径を登っている。高幡城趾がある山なのかな?空は高く青い。富士山頂がぽっかり!前の山と富士山が見事に重なり、白い泉で縁取りしたようである。うっとり!うっとり!山口誓子の句と富士

  • 土方歳三、高幡不動①

    土方歳三、高幡不動①令和2年9月20日(日)真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は、古来関東三大不動の一つに挙げられ、高幡不動尊として親しまれている。その草創は、古文書によれば、大宝年間(701)以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられる。今を去る1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて、山中に不動堂を建立し、不動明王を安置したのに始まるといわれている。入ってすぐ目につくのは、土方歳三の立像である。流石に日野市を代表する偉人である。新選組土方歳三の菩提寺高幡山金剛寺には、近藤勇・土方歳三両雄の碑や、土方歳三の銅像、又大日堂には土方歳三の位牌や新選組隊士慰霊の大位牌等、更に奥殿では歳三の書簡ほか多くの新選組資料が展示されているそうだ。子どもの時はチ...土方歳三、高幡不動①

  • 誰もいふ 調布深大寺讃歌!

    誰もいふ調布深大寺讃歌!令和2年9月19日(土)石坂泉泣子の句は、「菩提樹や生涯つきぬ寺清水」。清水比庵の歌は、「門前の蕎麦はうましと誰もいふこの環境のみほとけありがたや」。石田波(は)郷(きよう)の句は、「吹起こる秋風鶴を歩ましむ」。野麥丘人の句は、「草や木や十一月の深大寺」。そして、中西悟堂。中西悟堂は、日本の野鳥研究家で、歌人詩人。そして、僧侶。「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で、鳥を愛で運動を起こす。「野鳥」や「探鳥」は、悟道の造語でもあるという。開山堂の傍に、中西悟堂の銅像やその略歴等石碑に刻まれている。誰もいふ調布深大寺讃歌!

  • 枯れ野と万緑

    枯れ野と万緑令和2年9月18日(金)深大寺には、いろいろな人の句碑と歌碑がある。それを巡るコースとしての案内書もある。先ず、高浜虚子。銅像もある。句碑には、「遠山に日の當りたる枯野哉」という句が記されている。少し歩くと、中村草田男の句碑が目に飛び込んできた。「萬緑(ばんりよく)の中や吾(あ)子(こ)の歯生え初むる」。初夏の生命力旺盛な草木の下、笑った我が子の口の中を見ると、歯が生え始めていた。という。親の歓びの歌。枯れ野と万緑

  • 「阿免尓」と「能花」  ?

    「阿免尓」と「能花」?令和2年9月17日(木)釈迦堂から坂道を上がり、元三大師堂、開山堂を見て、植物公園の下道を散策。一福茶屋という蕎麦屋がある。延命観音を拝み、芭蕉句碑を見つける。この広い所でよく見つけたなと感慨も湧く。「象潟や阿免尓西施が合歓能花」という句が彫られていたが、「阿免尓」と「能花」という漢字が当てられていたのに喫驚、感嘆かな?ゆったりと延命観音近辺をみとり、深沙大王堂へ向かう。深大寺には、いろいろな人の句碑と歌碑がある。それを巡るコースとしての案内書もある。「阿免尓」と「能花」 ?

  • 何じゃもんじゃの木と蕎麦

    何じゃもんじゃの木と蕎麦令和2年9月16日(水)暖かい一日という予報。思い切って出かけることにする。二三度お詣りしている深大寺を参拝。車では初めてのこと。以前は、植物園が目的だったので、初詣に近し。深大寺という名は,水神の深沙大王に由来。奈良時代,天平5年(733)に満功上人が開山。深大寺に伝わる「縁起絵巻」によると、満功上人の父福満という渡来人は、豪族の右近長者の美しい娘と恋に落ちる。娘の両親の反対にあい、二人は仲をさかれる。娘は湖の小島に隔離される。そこで,福満は深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ,彼を島へ連れて行ったという。このことを知った娘の両親も二人の仲を許し,そして生まれたのが満功上人。上人は父の深沙大王を祀ってほしいという願いにより出家。唐に渡る。法相宗を学んで帰国。733年に寺を建立。それが深大...何じゃもんじゃの木と蕎麦

  • 瀬田の長橋と国の春

    瀬田の長橋と国の春令和2年9月15日(火)広重の「名所江戸百景」のひとつに、この芭蕉庵は二つの松と共に描かれている。その昔は、早稲田田園地帯であったのも懐かしい。五月雨塚の芭蕉の句は、「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」元禄元年作。五月雨に煙り、濛々たる中に、瀬田の橋が長々と横たわる。琵琶湖の南端に流れる瀬田川に長々と架かっている瀬田の橋、瀬田の長橋とも言われていたる。伊藤松宇の句は、「真中に富士聳えたり国の春」。ゆっくりとひょうたん池を眺め、当時の芭蕉の暮らしに思いを致す。大満足!芭蕉庵の出口で、高田馬場か早稲田の駅へ行く道を探していると、管理人の方が見え、高田馬場駅まで徒歩で行く道を教えて下さる。瀬田の長橋と国の春

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