人生の帰り道は違う景色の見える道いつの頃からか、「人生の帰り道は違う景色の見える道」を歩いてみたいと思うようになった。特別な理由があるわけではないが、日常の散歩道も毎日同じ道よりか違う道の方が楽しいと思うからである。しかし、言葉的には明確な「違う景色の見える人生の帰り道」も、具体的なイメージはほぼ思い描けないままこの間もずーと観念的に思い続けてきたようである。最近「違う景色の見える人生の帰り道」らしきもののイメージが何となく見えだしてきたような気がしている。多少大げさに言えばささやかなときめき感さえ感じている。最近何となく心にフィットする幾つかの言葉がある。毎朝小一時間ほど自宅の建物の周りを周回するチンタラウォーキングをやっているがその時の退屈しのぎのための呪文代わりに復唱している。ここでも「人生は死ぬま...違う景色の見える人生の帰り道&英語のお勉強