本当にしばらくぶりの投稿で、ビックリ本ブログが2025年11月で終わりになるということで寂しい気持ち。怠惰でブログをかなり休んでしまい罪悪感ひとしおです。ブログの画面を前に戻したいのだが、忘れてしまったのか、まだ復元できないでいる浦島太郎のような心境
1945満悦なgenki黄色プレートGENKIを取り付け家の周りを散歩した。押して歩くとはいえ、14㎏の元気を移動させるのは大変だった。何も押さずに歩く方が楽だった。当の元気がご機嫌最高で立ち乗りをし初夏の風の匂いを感じていた。妻は「ヘルパー犬だ」と、知人に画像付きでラインを送っていた。そうそう妻の右親指は粉砕骨折であった。歩くより楽ちん
1944右親指の疼きを耐える妻97歳になる老母の介護をしている息子は、睡眠不足に陥っていた。夜中に、そして今も何度も紙パンツを脱いでしまう。便秘になりはしないかと、その強迫観念が気持ちを占め必死に手すりにすがりつくように掴み寝室の向こうにあるトイレを目指しか細い脚を引きずり歩く。朝ご飯を食べ終えたとき携帯電話が鳴った。スマホの画面を見ると息子さんの名前が目にとまった。「どうしました、と尋ねると「婆さんの呼吸が乱れ苦しそうにしている」「紙パンツを穿かせてもらいたい」自分は商工会に行く約束があったので、妻は「私が行くから」と、言って足早場に玄関を出た。万が一病院に連れていくことも予想されるので車いすが乗れる福祉車両で向かった。酸素濃度を測ると80の数値を下回っていた。血圧、脈拍は問題はなかったが、肩で呼吸して...右親指の疼き
1943自給自足10年ぶりに3坪ほどの小さな菜園に胡瓜2本トマト3本茄子2本オクラ2本ピーマン2本の苗を植えた2時間ばかりの「仕事」だったのだが今日の朝起きたら躰のあちこちが筋肉痛立ち上がるときが大変いかに普段躰を動かしていないのかが思い知らされた元気のしぐさを見て癒された育てる
1942わたしは「入れ歯がない」井上陽水の『傘がない』を聴い頃のことを懐かしく思う今日は昨日ブログに登場した青海婆さんは1週間前にできあがったばかりの「入れ歯」を失くしてしまった。真新しい入れ歯を使い今日は「一週間点検」の日だった。ヘルパーは口腔ケアを済まし入れ歯を入れようといつもの置き場所にあるお椀のなかをみたら入れ歯がない!居間もベッドの下も、台所も、洋式便器のなかも探したが見つからない。田圃にいた長男も駆けつけ一緒に探してくれた。他のヘルパーに応援も頼み、入れ歯探しをしたが見つからなかった。青海婆さんに尋ねてもわからない。他人事のよう。予約した歯科の時間に遅れてしまうケアマネに電話をかけ「予約の時間に遅れる」、と歯科に電話して欲しいとお願いした。ケアマネは歯科医院に電話を入れた。「入れ歯を失くし、い...「傘がない」
1941生きているぞ~齢90を超えた青海婆さんは、いまチョッと前に食べたことも忘れてしまう。腰は90度に曲がり、両膝に手を乗せ絶妙なバランスをとりながら歩く。「仰向けに寝るときも、足は曲がったまま天井に向かっているのか」、と尋ねたら彼女は抜けた歯を見せ大きな声で笑い「そんなことはない。足はまっすぐに伸びたまま寝ているよ」。釜を右手に持ち、草取りの技は最高もので草一つ残さない。うつ病と認知症が複雑に重なりあい、うつなのか認知症なのか、その境目がわからない。夜中に起きだし、長男、男孫の部屋に訪れ大きな声で「生きているから飯をくれ~」、と叫ぶ。昼間田圃仕事で疲れ切った長男は起こされ老いた母を蒲団まで連れて行く。入れ歯を失くし新たに入れ歯を作った。90歳を超えた婆さんの入れ歯つくりの経験は、「そうそうない」、と歯...わたしは、生きているから飯くれ~
1940私はどこから来てどこへいくのかふと、ゴーギャンの絵と言葉を思い出した。『我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか』(われわれはどこからきたのかわれわれはなにものかわれわれはどこへいくのか,フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画。この絵画をよく見ると(向かって)右側に誕生した赤ん坊が描かれている。人生の始まりを意味する。そして左側に頭を抱え悩んでいる老女がいる。「死を迎えることを甘んじ、諦めている老女」と、「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」とゴーギャンが自分で書き残している。本当は短い時間であったことに気づきもせず老いや死の問題(テーマ)は他人事としてとらえ先延ばしにしてきた自分。躰のあちこちが軋みまだ絶滅し...私はどこから来てどこへいくのか
1939痛みが走る散歩で足を動かしてはいるが、上肢運動はしていない、と思い昨日歩きながら両腕を回した。今日の朝、散歩していて、右胸部脇の痛みが走った。屈み物を取ったり、椅子にもたれている状態から躰を起こすときに右胸部脇のところ痛みだす。wifeは「変に運動すると痛みがでるからね」、と釘をさされていた。整骨院に行き、左膝と右胸部脇の治療をしてきた。運動していず筋肉が硬くなっているらしい。しばらく整骨院通いになりそう。痛みが走る
1938にゃごすけwifeの姉夫婦宅に「にゃごすけ」が暮らしている齢は2歳だろうか我が家のbeagle元気と同じく昼間は「留守番」をしている窓からいったい何を見ているのだろうか自治医大付属病院のスターバックスに大きなスヌーピーとウッドストックがチョコンと座っていた今日は4週に1度の循環器内科を受診する大動脈弁閉鎖不全症と血栓の持病があり、利尿薬フロセミドとワーファリン3mgが処方されているスタバーで「Theメロンofメロンフラペチーノ」を味わってこようか今日はとりとめないことを書いてしまった5時半には自宅を出て自治医大病院付属に向かう吾輩は「にゃごすけ」である
1937夕暮れ時光影今日は朝から雨で散歩ができないbeagle元気は雨が降ると散歩に行きたがらない自慢の毛が濡れるのが嫌なのであろうか夕陽に照らされた阿武隈川川のなかを歩いてみたくなる川の流れを見ていると過ぎ往く時間のようだ川は大海に辿り着く自分の行末はどうなるのか齢七十にしてまだもがいている陽があたる縁側で孫を膝に乗せ抱きかかえることもなく悠々自適の老後はどこかに消えてしまいまだ働かなければならない陽が昇り始めたときから陽が沈むまで七十をとうに越えたジジイはトラクターに乗り田の代搔きをしている夜明け前から陽が沈んだ後も電球の灯りを頼りに七十を越えたジジイは腰を曲げ牛の乳しぼりをしている雪が降っても台風が来ても乳しぼりには休みがないそんなジジイの後ろ姿に自分は嘆いてはいられないなんのために働くのか悠々自適...七十のジジイたちに続け
1936烏が一羽散歩の途中、一羽の烏に出会った。自分が近づいても警戒することなく電柱の一番高いところに留まっている。烏という鳥はにんげんから忌み嫌われている。無数の烏は、ある一軒の敷地に聳え立つ高い樹に留まり合唱するかのように「カア~カア~」と泣き叫ぶ騒いでいる。「誰かが死んだのかな」、と他人(ひと)は思い、気になる。翌日訃報が届いた。烏は「阿呆の烏」と揶揄される「烏」という字は「鳥」の字と比較すると横線が一本抜け落ちている。一本足りないから「阿呆の鳥」と呼ばれる。しかし、烏は「賢い鳥」である。飽食の世の中。捨てられる生ごみのなかには、にんげんが喰い残した食べ物がむだに捨てられている。燃えるごみの出し方も適当である。プラスチックのごみが混じり、プラスチックの角がびごみ袋を突き破りそこから生ごみがこぼれ落ち...烏
1935子どもの日今日は福島県西郷村でTOKIO-BAに行ってきた青空に鯉のぼりが泳ぐ国分太一に会った家族連れ、若者が多かったヒメジョオンが咲き、「おはよう」と挨拶をする「貧乏草」と言われているけれど、自分はハルジョオン、ヒメジョオンが好き綿毛のたんぽぽ初夏の風に吹かれ旅立ちを待つばかりの綿毛たち風に乗り見知らぬ土地へ旅立つ土草に上手く着地できればいいのだがなかには石垣や川に落ちてしまう綿毛もある綿毛のたんぽぽのように爽やかな風に乗り青い空を飛びたいものだ青い空は青いままで子どもらに伝えたいウクライナ、スダーンの子どもたちはいまなお戦禍のなかにある子どもの日世界のどこかで泣き叫び泪を流す子どもたちがいる人を殺戮する膨大な世界の軍事費その軍事費を戦禍の人や子どもたちに使えたら地球は救われる老いても「子どもの日」は、いいもんだ
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本当にしばらくぶりの投稿で、ビックリ本ブログが2025年11月で終わりになるということで寂しい気持ち。怠惰でブログをかなり休んでしまい罪悪感ひとしおです。ブログの画面を前に戻したいのだが、忘れてしまったのか、まだ復元できないでいる浦島太郎のような心境
2046根深い”コロナ感染”75歳になるひとり暮らし老人から「喉が痛い、いがらい(いがらいぽっい、えがらっぽい)」と訴えがあった。喉が赤く腫れ、ヒリヒリする感じなのであろうか。透析をしているのに、「市販のかぜ薬を買ってきて」とヘルパーにた頼む。ヘルパーから電話があり、彼の場合は透析糖尿性腎症があり市販のかぜ薬は厳禁であることを話す。チョッとした「咳がある」「微熱がある」「腹が痛い」などの症状があるとかぜ薬、腹痛を抑える薬で「治そう」とするのは危険なのです。どんな原因による発熱なのか、わからない。「かぜである」と安易に判断し、市販の薬に手を出してはいけない。医師から処方された薬との「飲み合わせ」があり、副作用が心配。どんな原因による腹痛なのか、わからない。昔の人は、何かあると「正露丸」。正露丸は万能薬のよう...ひとり暮らし老人のコロナ感染の疑い?
2045wifeの誕生日10月20日、wife50歳の誕生日「わたしが70歳になっても生きていてね」「92歳になるね。多病息災であるがそれまで「健康」で元気で頑張らないとね」「それまで”大切にしてね”」、と話したら「甘やかしすぎないから」、と言葉を返したとき二人で笑ってしまった。beagle元気はいま、11歳の老犬。いつも老いぼれの二人で散歩しています。今年の夏は暑かったので一日の散歩は3000歩にも満たなかった。結果循環器内科の女医(主治医)から「血栓の数値が悪いね。歩いている?」、と尋ねられた。「暑いので余り歩かなかった」、と言い訳すると「歩いた方がいいね」いま、7000~8000歩の散歩に回復元気のお陰です。「(わたしが)70歳になっても生きて欲しい」
2044老犬がいつもわたしの隣にいる85歳を過ぎたある婆さんの話です。細腕で建てた2階建ての家に、ひとり暮らす。糖尿病と視床出血後遺症と認知症を患い、自らセダンタイプの車を運転しながら近くの病院に通う。腎臓もボロボロになり、本来ならば血液透析治療をしてもおかしくない状態なのである。20~30キロ走行なので、彼女の後は大渋滞の様相になってしまう。かかりつけ医から、検査データーは超最悪で「生きていることが不思議なくらい」「他の婆さんならばもう死んでいてもおかしくない数値です」、と言われ彼女はとうとう観念し10月15日入院した。世の中は便利になったもので、金さえ払えば手ぶら姿で入院できる。入院中は、アメニティセット(入院時に必要な「寝巻・タオル類・紙おむつ・日用品等」の有料サービス)で事足りるのです。彼女は、そ...やっと入院した
2043無に帰る無帰人間死んだら無になる自分の躰も煙となって消え逝く遺骨となって墓に埋葬されるそう想うと寂しくなる自分は無になったら何が遺るのか遺るものが無くなってもいいあの世に何も持って逝くことができない自分はとても小さな墓に「無」と刻む一輪の花を飾れればそれでいい無に帰る
2042目に見えない病は「わかりにくい」2日間余りの日々いろんなことが重なりすぎブログから離れてしまった。義父の1周忌でwifeの実家に帰郷し、明日福島県に帰るというときにwifeは下腹部に針を刺すような激しい痛みにが襲い3月3日の日曜日救急外来受診。wifeは昔から耐えられない痛みになって初めて「病院へ行く」、と言い出す。医師からは「よくもこんなに痛みを耐えていたもんだ」、と驚いている。「憩室炎」と診断され、点滴と薬を処方され実家に戻った。翌日、beagle元気と自分と一緒に帰宅し、地元の総合病院受診。点滴、絶食、安静のため入院を勧められたが、仕事(訪問介護)をしなければならない事情があり入院を断った。「断腸の思い」だった。wifeの病は「目に見える」だけに、痛みの辛さが見ててもわかりできるものなら、自...群発性偏頭痛
2041外傷性脳出血シャンプーしてきました。4月8日で11歳になります。事業所から車で50分余り走ると、89歳の浅香婆さんの家が在る。浅香婆さんは、玄関先の庭で後ろに転倒し石に頭をぶつけてしまった。急いで娘は、かかりつけの病院に連れて行った。CTの結果、頭頂部のあたりに、外傷性脳出血と診断され即入院となった。10日経過したが、リハビリを行うもつかまり歩行は難しく、20分程度の坐位保持がやっと。夫は5年前病気で亡くなり、ひとり暮らしになり同じ町内にある娘さんが住んでいる町営団地一階で暮らすことになった。娘さんは2交代勤務制の工場で働いている。要介護認定区分変更され、要支援2から要介護4にレベルダウン。要介護2かな、と予想していたのだが・・・・・歩行は不安定であり、介護用ベッドと手すりの貸与サービスのプランで...歩けるようになって欲しい
2040老いのねがい在宅訪問を終えた帰り路関の里池に白鳥と遭遇白鳥が寄ってきた復刊銀の輝き第53号2024年3月1日老人のねがいよく老人は「ぽっくり死にたい」と口にします。それは老人のねがいにも聞こえます。「寝たきりや痴呆(認知症)だけになりたくないから、ぽっくり死にたい。子どもに迷惑をかけたくない」。それが老人のねがいだとしたら、寂しい気がしてなりません。いまや人生百歳の時代になり、脳卒中(脳血管障害後遺症)や認知症を患い、不自由さを抱えながら懸命に生きておられる老い人たちがいます。老人の手を握り、老人の語る言葉に頷(うなず)き、耳を傾けていきたいと思います。「いまなにを考えておられるのか」「死にたいと思っているのか、生きる望みをもっているのか」「なにを悩んでいるのか」「なにを欲しているのか」「なにに戸...復刊銀の輝き第53号
2039銀の輝き2024.2.24am7:18阿武隈川;朝陽に照らされた銀の輝き『ドアとドアを結ぶどこでもドア』創刊号2024年3月1日いつでも、どこでも、あなたの側らに安全・安心をお乗せしている気持ちで移動支援(通院送迎)を行います。玄関先までお伺いします。福祉タクシーをご利用できる人総合事業・要支援者・要介護認定者(介護保険外サービス)の方、身体に障がいをお持ちの方、ご病気・骨折などによりお一人での移動が困難な方、移動に杖や車いすが必要な方、一般のタクシーや公共機関の利用が困難な方など。利用目的の制限はありません。病院までの送迎・買い物の付き添い・冠婚葬祭の付き添い・コンサート、墓参り、旅行や観光の付き添いなどさまざまな移動のサポートをします。福祉タクシー利用者運賃ぐっとへるぷ東北運輸局認可乗車時間運...ドアとドアを結ぶどこでもドア創刊号
白河の関を越えた地にも春が訪れる縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る2038生きるとはここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。その日は眼鏡をかけることも忘れていた。眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。反省をしてしまった。疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。何のために此の世に...疲れると頭は働かなくなる
2037仙台泉プレミアムアウトレット今日は気分転換を兼ね昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入他に衣類3点(その内1点は自分のもの)wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。スマホが鳴った。画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人はベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けるこ...牛タン
2036情け(思いやり)出だしから「硬い話」で申し訳ないけれど住み慣れた家で最後(=最期)まで暮らしたい、と願っている老人「老親の願いに添いたい」、と思いをかける同居家族。「地獄の沙汰も金次第」ではなく、「介護の沙汰も金次第」と思ってしまう。国民年金の受給額で暮らしている老夫婦の伴侶が、寝たきりになると介護に使えても1万円がやっとである。さらに追い打ちをかけ、訪問介護の介護報酬は減額され潰れる(倒産する)訪問介護事業所が増えてくる。さて、現実のヘルパーたちは介護の最前線で何を感じ、何に憤りを覚えているのか(悲しみを感じる)。先日、鼠屋敷で暮らす婆さんのことを書いた。テーブルの上、台所、洗い篭、窓の桟(さん)、床などあらゆる処に鼠の糞が連なっている。お椀やお玉、鍋のなかに糞はある。そのような状況のなかで、婆...その人は生きている
2035あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい自分の足を食べる蛸、と言われるが本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに自分の足をちぎって食べたりする。他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。「やってみよう」、と始めた介護事業だったが小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。赤字から黒字に転換するのは容易ではない。ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。...自分の足を喰いながら生きる
2034明けない夜はない朝は必ず夜になり、夜は必ず朝を迎えます介護タクシーの運転をしていても、今日の外気温は18℃。春の陽気です。白河の関を越えると福島県。透析治療者の送迎のとき、蕗の薹に遭遇。蕗の薹は雪の下でジッと寒さに耐え、春を待つ。雪水は蕗の薹にとり栄養となり地上に現われた蕗の薹を見ると春の訪れを感じさせる。でも東北の地は3月に入っても雪が降ることがある。過去において桜が咲いたときに雪が降り積もったことがあった。透析は1日おきに行うため透析患者は、せわしく感じてしまいできたら週2回の透析だったら気分的に「ゆっくり」できるのにな、と言葉にする。「患者」という感じからどんなイメージを受けますか?「患」の漢字から「串刺し」を連想する。魚を串で刺し通す。痛々しく感じてしまう。患「串」+「心」2つのものを縦に...突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う
2034今日は18℃の気温で「春気分」wifeの病院送迎の帰りいつもと違う場所から那須連山を撮りました東北自動車道も見えます明日7時15分から透析治療者の送迎があるためもう寝床に入りますそのため今日はブログお休みます。また、明日・・・・・今日はブログお休み
2032『病牀六尺』と介護の在り方正岡子規『病牀六尺』岩波文庫●正岡子規著『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく・岩波文庫)を初めて読んだのは24年前のことであり、書き出しは「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7㌻)で始まる文章はいまも印象に残っている。彼は23歳のとき、結核により喀血した。子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。結核は脊椎を侵し、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。●子規は、『病牀六尺』の六十五のところで、介抱(看病、介護の言葉に置き換えてもよい)の問題について述べている。「直接に病人の苦痛に関係する問題は・・・介抱の問題である。病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、看護...病床六尺、これが我世界である
2031しもつかれ咲き頃の梅の花を花瓶に生けて浴室に置くことによって香りがこもる梅の香りは、ストレス解消に効くとのこと“しもつかれ”は北関東、特に栃木県で冬季に限られる郷土料理で新巻鮭の頭や節分の豆、大根、人参、油揚げ、酒粕(さけかす)と一緒に煮込んだもの味付けは醤油・砂糖など家によって独特の味がある見た目は酔っ払いの「副産物」にしか見えない(これは失礼)7軒分のしもつかれを食べると中気にならないといわれている栃木県では学校給食にも出るが子どもたちからはすこぶる評判が悪いとか余は義父がつくる“しもつかれ”だけは口にする(他界されたので義父がつくる”しもつかれ”を食べることができなくなった)なぜなら新巻鮭の頭ではなく身を入れるのでいやな匂いがなく舌触りもいい赤飯の上にしもつかれを載せて食べるとさらに上手い(...梅の香りは、ストレス解消に効く
2030老人はいぶし銀のような存在素敵な木造家茨城県筑西市(旧下館市)介護に関わってから老人の代名詞として「銀」という文字が気になりだした銀は金とは違い地味で華やかさはないが長年の経験につちかわれた渋みを感じさせるそれを人はいぶし銀の輝きと呼びくすんだ灰色の銀ではあるが味わいのある灰色となる老人はいぶし銀のような存在でありそれぞれに人生の労苦や歓喜が顔や手指に皺が刻まれ無二の存在であり輝きを放す「銀の紬」は老人の持っている人生のアートや可能性を引き出し最後の糸を紡(紬)ぎ編むそんな想いを抱きながら自分の老いとも重ねあわせ銀の糸を紡ぐ「銀の紬」
2029薬剤師に聞いてみよう、気軽に脚(足)がつるときに効く漢方薬68「お婆ちゃん」と「婆ちゃん」言葉の響きを聞くと「婆ちゃん」の方がいいかな。言葉の頭に「お」をつければいいといものでもない。「お婆ちゃん」よりは「婆ちゃん」の方が若い印象を受けるような気がする。本ブログで「婆ちゃん」と呼ぶこと(書くこと)にする。今日は、90歳になる婆ちゃんの通院等乗降介助を行った。自宅から9分程度の走行で整形外科クリニックに到着。杖をつきながらどうにか歩けるのだが、ふらつきがあり転ぶ危険性もある。婆ちゃんの左手を握り、一緒に歩く(婆ちゃんは手を握ってもらうのを楽しみにしている)。椅子に座り、靴を脱ぎスリッパを履いた方が楽で安楽に行える。60分余り待たされ(予約11番目だった)、順番がきたので診察室に入った。通院等乗降介助...芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
2028「おまけ」「付録」グリコのキャラメルに付いて「おまけ」楽しみだった誰でも買い物をしたとき“これ、おまけに付けておくよ!”と言われると何か得したような気分になる一粒口に入れると300メートルが早く走れるというグリコのキャラメルにも“おまけ”が付いていた現代の子どもはシールよりもゲーム機器の方に手がいってしまうが昭和30年代の子どもたちはキャラメルのおまけに付いていたシールやワッペンに熱中したものだった若い女性向けの雑誌にも“豪華な付録”が付いている本誌よりも付録を買うといった女性もなかにはいるとかちょっとおまけや付録の話が長すぎてしまった感があるが子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と本当にそうだったら素敵な話である死んだら星となって輝き天から大切な人を見...星を見上げ元気をいただく
2042目に見えない病は「わかりにくい」2日間余りの日々いろんなことが重なりすぎブログから離れてしまった。義父の1周忌でwifeの実家に帰郷し、明日福島県に帰るというときにwifeは下腹部に針を刺すような激しい痛みにが襲い3月3日の日曜日救急外来受診。wifeは昔から耐えられない痛みになって初めて「病院へ行く」、と言い出す。医師からは「よくもこんなに痛みを耐えていたもんだ」、と驚いている。「憩室炎」と診断され、点滴と薬を処方され実家に戻った。翌日、beagle元気と自分と一緒に帰宅し、地元の総合病院受診。点滴、絶食、安静のため入院を勧められたが、仕事(訪問介護)をしなければならない事情があり入院を断った。「断腸の思い」だった。wifeの病は「目に見える」だけに、痛みの辛さが見ててもわかりできるものなら、自...群発性偏頭痛
2041外傷性脳出血シャンプーしてきました。4月8日で11歳になります。事業所から車で50分余り走ると、89歳の浅香婆さんの家が在る。浅香婆さんは、玄関先の庭で後ろに転倒し石に頭をぶつけてしまった。急いで娘は、かかりつけの病院に連れて行った。CTの結果、頭頂部のあたりに、外傷性脳出血と診断され即入院となった。10日経過したが、リハビリを行うもつかまり歩行は難しく、20分程度の坐位保持がやっと。夫は5年前病気で亡くなり、ひとり暮らしになり同じ町内にある娘さんが住んでいる町営団地一階で暮らすことになった。娘さんは2交代勤務制の工場で働いている。要介護認定区分変更され、要支援2から要介護4にレベルダウン。要介護2かな、と予想していたのだが・・・・・歩行は不安定であり、介護用ベッドと手すりの貸与サービスのプランで...歩けるようになって欲しい
2040老いのねがい在宅訪問を終えた帰り路関の里池に白鳥と遭遇白鳥が寄ってきた復刊銀の輝き第53号2024年3月1日老人のねがいよく老人は「ぽっくり死にたい」と口にします。それは老人のねがいにも聞こえます。「寝たきりや痴呆(認知症)だけになりたくないから、ぽっくり死にたい。子どもに迷惑をかけたくない」。それが老人のねがいだとしたら、寂しい気がしてなりません。いまや人生百歳の時代になり、脳卒中(脳血管障害後遺症)や認知症を患い、不自由さを抱えながら懸命に生きておられる老い人たちがいます。老人の手を握り、老人の語る言葉に頷(うなず)き、耳を傾けていきたいと思います。「いまなにを考えておられるのか」「死にたいと思っているのか、生きる望みをもっているのか」「なにを悩んでいるのか」「なにを欲しているのか」「なにに戸...復刊銀の輝き第53号
2039銀の輝き2024.2.24am7:18阿武隈川;朝陽に照らされた銀の輝き『ドアとドアを結ぶどこでもドア』創刊号2024年3月1日いつでも、どこでも、あなたの側らに安全・安心をお乗せしている気持ちで移動支援(通院送迎)を行います。玄関先までお伺いします。福祉タクシーをご利用できる人総合事業・要支援者・要介護認定者(介護保険外サービス)の方、身体に障がいをお持ちの方、ご病気・骨折などによりお一人での移動が困難な方、移動に杖や車いすが必要な方、一般のタクシーや公共機関の利用が困難な方など。利用目的の制限はありません。病院までの送迎・買い物の付き添い・冠婚葬祭の付き添い・コンサート、墓参り、旅行や観光の付き添いなどさまざまな移動のサポートをします。福祉タクシー利用者運賃ぐっとへるぷ東北運輸局認可乗車時間運...ドアとドアを結ぶどこでもドア創刊号
白河の関を越えた地にも春が訪れる縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る2038生きるとはここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。その日は眼鏡をかけることも忘れていた。眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。反省をしてしまった。疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。何のために此の世に...疲れると頭は働かなくなる
2037仙台泉プレミアムアウトレット今日は気分転換を兼ね昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入他に衣類3点(その内1点は自分のもの)wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。スマホが鳴った。画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人はベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けるこ...牛タン
2036情け(思いやり)出だしから「硬い話」で申し訳ないけれど住み慣れた家で最後(=最期)まで暮らしたい、と願っている老人「老親の願いに添いたい」、と思いをかける同居家族。「地獄の沙汰も金次第」ではなく、「介護の沙汰も金次第」と思ってしまう。国民年金の受給額で暮らしている老夫婦の伴侶が、寝たきりになると介護に使えても1万円がやっとである。さらに追い打ちをかけ、訪問介護の介護報酬は減額され潰れる(倒産する)訪問介護事業所が増えてくる。さて、現実のヘルパーたちは介護の最前線で何を感じ、何に憤りを覚えているのか(悲しみを感じる)。先日、鼠屋敷で暮らす婆さんのことを書いた。テーブルの上、台所、洗い篭、窓の桟(さん)、床などあらゆる処に鼠の糞が連なっている。お椀やお玉、鍋のなかに糞はある。そのような状況のなかで、婆...その人は生きている
2035あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい自分の足を食べる蛸、と言われるが本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに自分の足をちぎって食べたりする。他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。「やってみよう」、と始めた介護事業だったが小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。赤字から黒字に転換するのは容易ではない。ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。...自分の足を喰いながら生きる
2034明けない夜はない朝は必ず夜になり、夜は必ず朝を迎えます介護タクシーの運転をしていても、今日の外気温は18℃。春の陽気です。白河の関を越えると福島県。透析治療者の送迎のとき、蕗の薹に遭遇。蕗の薹は雪の下でジッと寒さに耐え、春を待つ。雪水は蕗の薹にとり栄養となり地上に現われた蕗の薹を見ると春の訪れを感じさせる。でも東北の地は3月に入っても雪が降ることがある。過去において桜が咲いたときに雪が降り積もったことがあった。透析は1日おきに行うため透析患者は、せわしく感じてしまいできたら週2回の透析だったら気分的に「ゆっくり」できるのにな、と言葉にする。「患者」という感じからどんなイメージを受けますか?「患」の漢字から「串刺し」を連想する。魚を串で刺し通す。痛々しく感じてしまう。患「串」+「心」2つのものを縦に...突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う
2034今日は18℃の気温で「春気分」wifeの病院送迎の帰りいつもと違う場所から那須連山を撮りました東北自動車道も見えます明日7時15分から透析治療者の送迎があるためもう寝床に入りますそのため今日はブログお休みます。また、明日・・・・・今日はブログお休み
2032『病牀六尺』と介護の在り方正岡子規『病牀六尺』岩波文庫●正岡子規著『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく・岩波文庫)を初めて読んだのは24年前のことであり、書き出しは「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7㌻)で始まる文章はいまも印象に残っている。彼は23歳のとき、結核により喀血した。子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。結核は脊椎を侵し、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。●子規は、『病牀六尺』の六十五のところで、介抱(看病、介護の言葉に置き換えてもよい)の問題について述べている。「直接に病人の苦痛に関係する問題は・・・介抱の問題である。病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、看護...病床六尺、これが我世界である
2031しもつかれ咲き頃の梅の花を花瓶に生けて浴室に置くことによって香りがこもる梅の香りは、ストレス解消に効くとのこと“しもつかれ”は北関東、特に栃木県で冬季に限られる郷土料理で新巻鮭の頭や節分の豆、大根、人参、油揚げ、酒粕(さけかす)と一緒に煮込んだもの味付けは醤油・砂糖など家によって独特の味がある見た目は酔っ払いの「副産物」にしか見えない(これは失礼)7軒分のしもつかれを食べると中気にならないといわれている栃木県では学校給食にも出るが子どもたちからはすこぶる評判が悪いとか余は義父がつくる“しもつかれ”だけは口にする(他界されたので義父がつくる”しもつかれ”を食べることができなくなった)なぜなら新巻鮭の頭ではなく身を入れるのでいやな匂いがなく舌触りもいい赤飯の上にしもつかれを載せて食べるとさらに上手い(...梅の香りは、ストレス解消に効く
2030老人はいぶし銀のような存在素敵な木造家茨城県筑西市(旧下館市)介護に関わってから老人の代名詞として「銀」という文字が気になりだした銀は金とは違い地味で華やかさはないが長年の経験につちかわれた渋みを感じさせるそれを人はいぶし銀の輝きと呼びくすんだ灰色の銀ではあるが味わいのある灰色となる老人はいぶし銀のような存在でありそれぞれに人生の労苦や歓喜が顔や手指に皺が刻まれ無二の存在であり輝きを放す「銀の紬」は老人の持っている人生のアートや可能性を引き出し最後の糸を紡(紬)ぎ編むそんな想いを抱きながら自分の老いとも重ねあわせ銀の糸を紡ぐ「銀の紬」
2029薬剤師に聞いてみよう、気軽に脚(足)がつるときに効く漢方薬68「お婆ちゃん」と「婆ちゃん」言葉の響きを聞くと「婆ちゃん」の方がいいかな。言葉の頭に「お」をつければいいといものでもない。「お婆ちゃん」よりは「婆ちゃん」の方が若い印象を受けるような気がする。本ブログで「婆ちゃん」と呼ぶこと(書くこと)にする。今日は、90歳になる婆ちゃんの通院等乗降介助を行った。自宅から9分程度の走行で整形外科クリニックに到着。杖をつきながらどうにか歩けるのだが、ふらつきがあり転ぶ危険性もある。婆ちゃんの左手を握り、一緒に歩く(婆ちゃんは手を握ってもらうのを楽しみにしている)。椅子に座り、靴を脱ぎスリッパを履いた方が楽で安楽に行える。60分余り待たされ(予約11番目だった)、順番がきたので診察室に入った。通院等乗降介助...芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
2028「おまけ」「付録」グリコのキャラメルに付いて「おまけ」楽しみだった誰でも買い物をしたとき“これ、おまけに付けておくよ!”と言われると何か得したような気分になる一粒口に入れると300メートルが早く走れるというグリコのキャラメルにも“おまけ”が付いていた現代の子どもはシールよりもゲーム機器の方に手がいってしまうが昭和30年代の子どもたちはキャラメルのおまけに付いていたシールやワッペンに熱中したものだった若い女性向けの雑誌にも“豪華な付録”が付いている本誌よりも付録を買うといった女性もなかにはいるとかちょっとおまけや付録の話が長すぎてしまった感があるが子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と本当にそうだったら素敵な話である死んだら星となって輝き天から大切な人を見...星を見上げ元気をいただく
2027乗り遅れそうな乗客を待つバスの運転手味噌汁は“おふくろの味”ともいわれ、家庭によって味が違う。三木春治さんにとって家庭の味といえば妻志乃さん(77歳)がつくる“味噌汁”であり、元気の源でもあった。しかし、桜の花弁が散る4月の或る日の朝の出来事。春治さんは、今日の朝起きてみると腹が脹れ(はれ)あまり朝食を食べたいとは思わなかった。けれども、妻が想いをこめて作ってくれた豆腐入りの味噌汁を味わった。ご飯は茶碗半分余り残し箸を置いた。どうもお腹の脹れと胸のあたりが急にむかつきはじめ苦しくなり、食卓にうつ伏せ状態になり倒れた。救急車で病院に搬送されるも力尽き永眠された(ご冥福をお祈り申し上げます、78歳)。昨日まで元気な様子であっただけに、突然の訃報は驚きと同時に深い悲しみを抱いたのは、わたしだけではなかっ...一杯の味噌汁
2026雪かきができない躰力茨城県筑西市から東北自動車道経由で白河の関を越え東北の玄関口の地に着いた。積雪30cmあり、数年ぶりの雪雪でした。揺れる車中、スマホで『老い生いの詩』を操作していたら昨日のブログのコメントを書き終えとところで車の振動で指先が狂い消去されてしまい、茫然(ぼうぜん)となった。不慣れなことはするものではない。小さな平屋(30坪、築15年)の小さな庭は30㎝の雪。心臓に負担がかかり、躰力もなく雪かきは「出来なくなった」。wifeは自分と同じ屋根の下で生活する前までは雪かきがしたことがない。いまは雪かきは手慣れてきた。読売新聞日曜版のトップ記事に旅を旅する、だったかな城崎温泉の写真が掲載されていたのをスマホで「パシャリ」した。明日から介護の世界に戻る。数年ぶりの30cmを越える積雪
2026盲腸8㎜のポリープ切除ご縁地蔵筑西市五所神社付近3回目の大腸検査初回は15年前、腎臓移植のとき2回目は2023年12月21日胃の検査、大腸検査検査の結果、食道裂孔ヘルニア、萎縮性胃炎(C-1)、盲腸ポリープ8㎜があると告げられた。問題のないポリープだが放置しておくと良くないので、切除した方がいい、と説明された。3回目は盲腸ポリープ切除術を施行するためには腸管洗浄をしなければならない。切除術前に2時間という短い時間に腸管洗浄剤(2ℓ)を飲むのが苦痛だ。齢71の自分、wifeは「便失禁防止に紙パンツわ穿かないとダメよ」と言われ渋々紙パンツのお世話になることになった。紙パンツを穿くのは2回目になる。初めての紙オムツ体験初めての紙パンツを穿いたのは平成3年のとき。紙パンツを穿いた状態でオシッコをした(尿失...苦痛の大腸検査
鉄線はつづくよどこまでも鉄塔の隙間から筑波山を眺める遙かな先の線路は終着駅遙かな先の路は終点(行き止まり)遙かな先の海は帰港地遙かな先の鉄線は我家の電燈始発点の先は終着点オギャ〜と産ぶ声をあげた先は死そう考えてしまうと虚しくなってしまうキッズソング せんろはつづくよどこまでも 童謡 I'veBeenWorkingontheRailroad(coverdbyうたスタ)線路は、はるかなまちまでぼくたちのたのしいたびのゆめつないでいる『せんろはつづくよどこまでも』の詩は遙かな先きまで夢をつないでいる。夢は無限である。オギャ〜と産ぶ声をあげた赤ん坊は無限の可能性を秘めている。線路も路も海も鉄線も遙かな先の町はどんな処か想像してしまう。こどもごころの頃山の向こうはどんな風景なのか、と想像していた。どこまでもつづく鉄...遙かな旅の夢
2024鉄線は続くよどこまでも筑波山が見える関東平野、鉄塔が立ち並ぶ昨日は事務的な仕事に追われて、筑西市(茨城県)に帰るのが遅くなり21時前に着いた。wifeの父の一周忌法要。「家に帰ったよ」、帰ってくるような感じさえする。。短い時間ではあったが最後は寝たきりになったものの自宅の畳の上で妻、二人の娘と大の親友に看取られながら逝った。別れの言葉を交わし、穏やかな顔だった。実家(wife)から福島に帰るときは「気をつけて帰れよ」といつも言葉をかけてくれた。「パチンコに行こう」、と誘う。不自由ながらも杖をつき歩き軽トラに乗りパチンコ屋に向かった。二人とも大当たりはなく損したまま帰るも、楽しかった。筑波山朝夕合わせて100分余りの散歩。夕暮れ前の筑波山を眺め見る。旧下館市は第二の故郷。関東平野は閉塞感がなく、開放...先の向こうにはどんな風景かな・・・・・