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春夏秋冬 / 老い楽の詩 https://blog.goo.ne.jp/hennkyoujinn

老い始め老い逝くまで、楽よりも苦の方が多い。束の間だけでも喜びや感動、笑いあえる楽があれば幸せ。

星 光輝
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福島県
出身
北海道
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2017/04/09

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  • 歩くより楽ちん

    1945満悦なgenki黄色プレートGENKIを取り付け家の周りを散歩した。押して歩くとはいえ、14㎏の元気を移動させるのは大変だった。何も押さずに歩く方が楽だった。当の元気がご機嫌最高で立ち乗りをし初夏の風の匂いを感じていた。妻は「ヘルパー犬だ」と、知人に画像付きでラインを送っていた。そうそう妻の右親指は粉砕骨折であった。歩くより楽ちん

  • 右親指の疼き

    1944右親指の疼きを耐える妻97歳になる老母の介護をしている息子は、睡眠不足に陥っていた。夜中に、そして今も何度も紙パンツを脱いでしまう。便秘になりはしないかと、その強迫観念が気持ちを占め必死に手すりにすがりつくように掴み寝室の向こうにあるトイレを目指しか細い脚を引きずり歩く。朝ご飯を食べ終えたとき携帯電話が鳴った。スマホの画面を見ると息子さんの名前が目にとまった。「どうしました、と尋ねると「婆さんの呼吸が乱れ苦しそうにしている」「紙パンツを穿かせてもらいたい」自分は商工会に行く約束があったので、妻は「私が行くから」と、言って足早場に玄関を出た。万が一病院に連れていくことも予想されるので車いすが乗れる福祉車両で向かった。酸素濃度を測ると80の数値を下回っていた。血圧、脈拍は問題はなかったが、肩で呼吸して...右親指の疼き

  • 育てる

    1943自給自足10年ぶりに3坪ほどの小さな菜園に胡瓜2本トマト3本茄子2本オクラ2本ピーマン2本の苗を植えた2時間ばかりの「仕事」だったのだが今日の朝起きたら躰のあちこちが筋肉痛立ち上がるときが大変いかに普段躰を動かしていないのかが思い知らされた元気のしぐさを見て癒された育てる

  • 「傘がない」

    1942わたしは「入れ歯がない」井上陽水の『傘がない』を聴い頃のことを懐かしく思う今日は昨日ブログに登場した青海婆さんは1週間前にできあがったばかりの「入れ歯」を失くしてしまった。真新しい入れ歯を使い今日は「一週間点検」の日だった。ヘルパーは口腔ケアを済まし入れ歯を入れようといつもの置き場所にあるお椀のなかをみたら入れ歯がない!居間もベッドの下も、台所も、洋式便器のなかも探したが見つからない。田圃にいた長男も駆けつけ一緒に探してくれた。他のヘルパーに応援も頼み、入れ歯探しをしたが見つからなかった。青海婆さんに尋ねてもわからない。他人事のよう。予約した歯科の時間に遅れてしまうケアマネに電話をかけ「予約の時間に遅れる」、と歯科に電話して欲しいとお願いした。ケアマネは歯科医院に電話を入れた。「入れ歯を失くし、い...「傘がない」

  • わたしは、生きているから飯くれ~

    1941生きているぞ~齢90を超えた青海婆さんは、いまチョッと前に食べたことも忘れてしまう。腰は90度に曲がり、両膝に手を乗せ絶妙なバランスをとりながら歩く。「仰向けに寝るときも、足は曲がったまま天井に向かっているのか」、と尋ねたら彼女は抜けた歯を見せ大きな声で笑い「そんなことはない。足はまっすぐに伸びたまま寝ているよ」。釜を右手に持ち、草取りの技は最高もので草一つ残さない。うつ病と認知症が複雑に重なりあい、うつなのか認知症なのか、その境目がわからない。夜中に起きだし、長男、男孫の部屋に訪れ大きな声で「生きているから飯をくれ~」、と叫ぶ。昼間田圃仕事で疲れ切った長男は起こされ老いた母を蒲団まで連れて行く。入れ歯を失くし新たに入れ歯を作った。90歳を超えた婆さんの入れ歯つくりの経験は、「そうそうない」、と歯...わたしは、生きているから飯くれ~

  • 私は どこから来て どこへいくのか

    1940私はどこから来てどこへいくのかふと、ゴーギャンの絵と言葉を思い出した。『我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか』(われわれはどこからきたのかわれわれはなにものかわれわれはどこへいくのか,フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画。この絵画をよく見ると(向かって)右側に誕生した赤ん坊が描かれている。人生の始まりを意味する。そして左側に頭を抱え悩んでいる老女がいる。「死を迎えることを甘んじ、諦めている老女」と、「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」とゴーギャンが自分で書き残している。本当は短い時間であったことに気づきもせず老いや死の問題(テーマ)は他人事としてとらえ先延ばしにしてきた自分。躰のあちこちが軋みまだ絶滅し...私はどこから来てどこへいくのか

  • 痛みが走る

    1939痛みが走る散歩で足を動かしてはいるが、上肢運動はしていない、と思い昨日歩きながら両腕を回した。今日の朝、散歩していて、右胸部脇の痛みが走った。屈み物を取ったり、椅子にもたれている状態から躰を起こすときに右胸部脇のところ痛みだす。wifeは「変に運動すると痛みがでるからね」、と釘をさされていた。整骨院に行き、左膝と右胸部脇の治療をしてきた。運動していず筋肉が硬くなっているらしい。しばらく整骨院通いになりそう。痛みが走る

  • 吾輩は「にゃごすけ」である

    1938にゃごすけwifeの姉夫婦宅に「にゃごすけ」が暮らしている齢は2歳だろうか我が家のbeagle元気と同じく昼間は「留守番」をしている窓からいったい何を見ているのだろうか自治医大付属病院のスターバックスに大きなスヌーピーとウッドストックがチョコンと座っていた今日は4週に1度の循環器内科を受診する大動脈弁閉鎖不全症と血栓の持病があり、利尿薬フロセミドとワーファリン3mgが処方されているスタバーで「Theメロンofメロンフラペチーノ」を味わってこようか今日はとりとめないことを書いてしまった5時半には自宅を出て自治医大病院付属に向かう吾輩は「にゃごすけ」である

  • 七十のジジイたちに続け

    1937夕暮れ時光影今日は朝から雨で散歩ができないbeagle元気は雨が降ると散歩に行きたがらない自慢の毛が濡れるのが嫌なのであろうか夕陽に照らされた阿武隈川川のなかを歩いてみたくなる川の流れを見ていると過ぎ往く時間のようだ川は大海に辿り着く自分の行末はどうなるのか齢七十にしてまだもがいている陽があたる縁側で孫を膝に乗せ抱きかかえることもなく悠々自適の老後はどこかに消えてしまいまだ働かなければならない陽が昇り始めたときから陽が沈むまで七十をとうに越えたジジイはトラクターに乗り田の代搔きをしている夜明け前から陽が沈んだ後も電球の灯りを頼りに七十を越えたジジイは腰を曲げ牛の乳しぼりをしている雪が降っても台風が来ても乳しぼりには休みがないそんなジジイの後ろ姿に自分は嘆いてはいられないなんのために働くのか悠々自適...七十のジジイたちに続け

  • 1936烏が一羽散歩の途中、一羽の烏に出会った。自分が近づいても警戒することなく電柱の一番高いところに留まっている。烏という鳥はにんげんから忌み嫌われている。無数の烏は、ある一軒の敷地に聳え立つ高い樹に留まり合唱するかのように「カア~カア~」と泣き叫ぶ騒いでいる。「誰かが死んだのかな」、と他人(ひと)は思い、気になる。翌日訃報が届いた。烏は「阿呆の烏」と揶揄される「烏」という字は「鳥」の字と比較すると横線が一本抜け落ちている。一本足りないから「阿呆の鳥」と呼ばれる。しかし、烏は「賢い鳥」である。飽食の世の中。捨てられる生ごみのなかには、にんげんが喰い残した食べ物がむだに捨てられている。燃えるごみの出し方も適当である。プラスチックのごみが混じり、プラスチックの角がびごみ袋を突き破りそこから生ごみがこぼれ落ち...烏

  • 老いても「子どもの日」は、いいもんだ

    1935子どもの日今日は福島県西郷村でTOKIO-BAに行ってきた青空に鯉のぼりが泳ぐ国分太一に会った家族連れ、若者が多かったヒメジョオンが咲き、「おはよう」と挨拶をする「貧乏草」と言われているけれど、自分はハルジョオン、ヒメジョオンが好き綿毛のたんぽぽ初夏の風に吹かれ旅立ちを待つばかりの綿毛たち風に乗り見知らぬ土地へ旅立つ土草に上手く着地できればいいのだがなかには石垣や川に落ちてしまう綿毛もある綿毛のたんぽぽのように爽やかな風に乗り青い空を飛びたいものだ青い空は青いままで子どもらに伝えたいウクライナ、スダーンの子どもたちはいまなお戦禍のなかにある子どもの日世界のどこかで泣き叫び泪を流す子どもたちがいる人を殺戮する膨大な世界の軍事費その軍事費を戦禍の人や子どもたちに使えたら地球は救われる老いても「子どもの日」は、いいもんだ

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