chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
やまね
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2017/04/07

arrow_drop_down
  • ありのままの姿で愛されること 1

    少し色々なことがあって、久しぶりの更新になりました。 「神様はありのままの姿を愛してくださる方だ」ということを、教会ではよくメッセージなどで聞くと思います。 でも、私にとっては、そのことを頭ではなく心で理解するのは、とても難しいことに思えました。 言葉の意味は分かるのです。 キリスト教は、本人の努力や善行によって救われるのではなく、ただ、神様の一方的な恵によって救われるものだ、ということも知っています。 でも、能力や、行いではなく、私の存在自体を愛してくださるって、一体、具体的にはどういうことなのだろう。 私の両親、特に母親は、私の行いや能力を評価し、愛情の基準にする傾向がありました。もちろん…

  • 一方的に与えられる、という恵み 2

    教会でも、「やまねちゃんはしっかりしたクリスチャンだから、奉仕して当然」という雰囲気がありましたし、自分自身、奉仕をすることで教会に自分の居場所があるような気がしていました。 しかし、奉仕ができなくなってから、ただ礼拝に出て、メッセージを聞いて、祈ってもらって、皆さんの賛美を聞いて帰る、という完全に受け身の教会生活を送っているうちに、「ただ一方的に恵みを受け取る」こと、がどんなに大切なことか。今までの自分は、そのことをまるで知らなかった、ということに気づかされていきました。 よくよく考えてみれば、そもそもキリスト教の「救い」は、ただ一方的に与えられるものです。 修行を積んだから、善い行いを沢山…

  • 一方的に与えられる、という恵み 1

    私が教会に行けなくなり、奉仕もできなくなって、心も体も疲れ切っていた頃、あるクリスチャンのご夫婦が、私のことをとてもよく気にかけてくださいました。 しょっちゅう夕ご飯に呼んでくださったり、美味しいものを食べに連れて行ってくださったり。私の調子が悪くて外へ出られない時にはおかずを届けてくださったり。食べ物だけでなく、ちょっとした草花を持たせてくださったり。(頂いた花を一人暮らしのアパートに飾ると、本当に心が慰められました) ここには書ききれないくらい、沢山の物や、思い出や、気持ちをそのご夫婦から頂きました。 子どもがいないご夫婦だったので、きっと私を本当の子どものように可愛がってくれたのだ、と思…

  • ペンテコステの不思議な出来事 2

    「石の教会」での礼拝が終わって、牧師先生から「ご旅行ですか?クリスチャンですか?」などと話しかけられ、お話ししていると、なんと、この礼拝は1か月に1回だけ行っている、ということが判明。 どういうことかというと、この軽井沢近辺の結婚式場で働いている牧師先生たちが、普段は結婚式の仕事のため、日曜日の礼拝になかなか集えないので、月に一回、この石の教会で礼拝をしよう、ということになったのだそうです。結婚式場のスタッフの方なども参加している、ということでした。 「えー!それじゃあ、月に一度の礼拝に、たまたまその時間通りかかったために、参加することができたのかあ…すごくラッキーだったねえ。」 と夫と話しな…

  • ペンテコステの不思議な出来事 1

    ちょっと面白いことがあったので、今回はそのことを書きたいと思います。 この間の日曜日は聖霊降臨祭、ペンテコステ礼拝でしたね。 ペンテコステ、って変な名前だなーとずっと思っていたのですが、ペンテコステ=ギリシャ語で「50日(番)目」という意味なのだそうです。 過ぎ越しの祭り(イエスさまが十字架にかかった)から数えて50日目の五旬節というユダヤ教のお祭りの日に、弟子たちに天から聖霊が降臨した、と聖書に書いてあります。 そのペンテコステの日曜日の数日前、私は夫とあることでケンカをし、(ケンカ、というか夫の言動に私が一方的に腹を立てた、という感じ)悲しくなったりイライラしたりしていました。 お互いの気…

  • 教会に行けなくなったときのこと 3

    この「何かが出来なければ自分は愛される価値がない」という考え方は、教会生活以外でも、私の心を支配していた考え方でした。 20年以上、この考えを土台にして生きてきましたから、やっぱり今でも、時々この考え方が復活してしまうことがあります。 でも、失業して体調を崩して、色々なものを失って、教会にすら行けなくなったことでぼんやり分かってきたのは、こんなに何もない、何もできない自分でもいいのだ、ということでした。 何かができるから愛されるのではない。ありのままの自分を受け入れてもらえる、ということは、こういうことなのか、と、感じました。 そして、イザヤ書の「私の目にはあなたは高価で貴い。私はあなたを愛し…

  • 教会に行けなくなったときのこと 2

    今思い出すと、教会に行けなくなった時、有難かったのは、誰も私に教会に無理に来るように言わなかった、ということです。 また、今までだったら二つも三つもやっていた奉仕も、何もしなくていいよ、と言ってもらえたことです。 礼拝の途中で退席して家に帰っても、そのことを多少心配されることはあっても、深く追求されることがなかった。いい意味でほおっておいてもらえた。 それが、私にとってはすごくよかった、と思うのです。 教会をしばらくお休みしたら、変に思われるんじゃないか。 奉仕していない自分は、教会にとって価値がないんじゃないか。 そんなことを日曜日が近づくたびに考えていました。 でも、実際は、私が教会に行か…

  • 教会に行けなくなったときのこと 1

    もう、10年近く前のことになりますが、私は大学卒業後、ブラック会社に務め、その後職場を変えたものの大きく体調を崩し、失業した、ということがありました。 恐らく、それらの出来事が引き金となったのでしょうが、軽い鬱状態のような感じになり、人と会うのが怖くなったり、無気力で何もする気が起きず、ひたすら寝ているか泣いているという毎日を過ごしていました。 一人暮らしでお金もなかったので、辛うじてアルバイトはしていたものの、仕事中に何度もトイレに籠って泣く、というような状態が続き、自分でもこのままではだめだと思いつつ、どうしたらいいのか分からず、いつここから抜け出すことができるのだろうか…もう自分は立ち直…

  • 本当は教会<家族 2

    いくら「教会<家庭」が正しいのだ、と頭で分かっていても、実際にはそうできない状況もあると思います。 教会に行けば、やっぱり色々しなくてはならないことがあり、そのことで頭がいっぱいになったり、人間関係に悩んだり、イライラしてしまう時もあります。 また、私自身、夫との関係をどんなことよりも一番にしたい、と思いつつ、そうできないことはしばしばあり、自分でも気づかないところで夫をおざなりにしていることも、たぶん多いです。 こんな風で、実際、子どもが生まれたら、家族のことを第一に、教会よりも優先できるのだろうか、とふと思うことがあります。正直、自信はありません。 自分には今まで生きてきて染みついてしまっ…

  • 本当は教会<家族 1

    教会よりも、家族の関係を大切にすることの方が大切だ、とはっきり教えられたことは、私にとって本当によかった、と思います。 普通に考えたら、夫婦や家族のことを第一にするのは当然のことなのかもしれませんが、私には、そういう考えを思いつくことすら難しかったのです。 結婚前、夫婦についての学びをしていた時にも、「まず第一に夫(妻)との関係を大切にしましょう」ということがあって、私にとってはそのことが新鮮でした。その学びの本には、子どもとの関係よりも先に、夫婦の関係を優先するように書いてありました。 私の両親は、どう考えても仕事や教会、子どもの学校や勉強のことをまず優先して生きていたと思うのです。 もちろ…

  • 家族<教会 という考え方 3

    イエスさまは「心と思いを尽くして神様を第一に愛する」ことと同時に「隣人を自分のように愛する」ことも大切だ、と聖書の中で言っています。 私はずっと、「神様を第一にするためには、家族をないがしろにすることもやむを得ない」のだと思ってきたのですが、たぶん、神様を第一に愛することと、自分の夫(妻)や家族を愛することは、両立できることなんだ。むしろ、その両方があって初めて、神様を第一に愛することになるのだろうな。と思ったのです。 よく考えて見れは当たり前のことなのですが、神様を第一にするために家族をないがしろにすることは、決して神様を喜ばせることではないのだ、ということに気が付いたのでした。 何というか…

  • 家族<教会 という考え方 2

    「家族<教会」という価値観が当然である、という家庭で育ってきた私にとって、晴天の霹靂、とも言えるような出来事がありました。 ある時、牧師先生がメッセージの中で、 「夫婦は一番小さい教会で、次が家族、最後にクリスチャンが集まる教会がある。 まず夫婦の関係の中で、キリストの体である教会を築き、その上に家族という教会を築く。そして色々な家族が集まって1つの教会を作るのです。」 とお話しされていて、目から鱗というか、自分の常識を覆されたような思いがしました。 midorinomi.hatenablog.com そうか、教会<家族<夫婦 だったのか… 私は、教会よりもまず夫婦、教会よりもまず家族、という…

  • 家族<教会 という考え方 1

    教会と、自分の家族のどちらを優先させるのか、クリスチャンなら一度は迷ったことがあるのではないかと思います。 そういう時、一見、「家族<教会」が正しいように思えませんか? 【イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の起きてである。マタイによる福音書 22章 37、38節】 この有名な箇所にもあるように、私はずっと「まず神様のことを一番にするのが、クリスチャンの正しい姿だ」と教えられてきたように思います。 うちでは、家族<教会 が当たり前でした。日曜日はまず教会へ行くこと。学校の行事が重なれば、本人は学校へ行くけれども、…

  • 迷える子羊、ではなくて、迷える蟻

    奉仕についてしばらく書いてきたんですが、ちょっと休憩です。 私は、わりと田舎の、かなり古い家に住んでいます。 四季の移り変わりが本当に美しく、特に春は庭の木々が芽吹いて、見るたびに心が洗われる思いがします。 しかし、暖かくなると、大きな問題が発生するのです。 それは、蟻が家の隙間から入ってくる、ということです。(もちろん、蟻じゃない虫も入ってきます…) もう、だいぶ慣れたのですが、結婚して来たころは大変でした。 トイレの、木材と木材の合わせた部分の隙間、だとか、お風呂場の扉と壁の隙間、など、よくこんなところを入れるなあ、という小さな隙間から、蟻がどんどんうちに入ってくるのです… 小さな隙間の出…

  • 必ずしも「一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない3

    大学生の頃に通っていた教会の牧師先生は、一度、いわゆる企業戦士として民間の会社で数年間働いてから、牧師になった人でした。 その先生がよく言っていたのが「一週間頑張って働いて、すごく疲れている中で教会に来ているんだから、奉仕までそんなに頑張らなくていいんだよ。」ということでした。 日本人の、特にクリスチャンになるような人は、ほとんどが「真面目」な人だと思います。真面目に超をつけてもいいかもしれません。生き方に悩んだり、自分はこのままでいいのかと迷ったりして教会に来る様な人で、不真面目なひとはあんまりいないと思う。 だから、普段の仕事や生活も、真面目にやっている人が多いです。さらに、教会の奉仕とな…

  • 必ずしも「一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない2

    新約聖書のテモテへの手紙Ⅰという福音書を読んでいると、 【自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。テモテへの手紙Ⅰ 3章5節】 【奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりません。テモテへの手紙Ⅰ 3章12節】 【自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。テモテへの手紙Ⅰ 5章8節】 ↑こんな言葉が書かれているのですが、ここを読むと、たぶん、昔も今と同じように、教会と家庭の問題があったんじゃないかなーと思います。 想像ですが、昔の初代教会の中でも、教会の奉仕に…

  • 必ずしも「一所懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない1

    私が奉仕について思うのは、必ずしも「教会のために一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない場合があるのではないか、ということです。 一見、この方程式は正しいように思えてしまいますが(教会でもこの考え方はまかり通っていると思いますが) 「教会のために一生懸命奉仕すること=何かを犠牲にしていること」でもある、ということです。 クリスチャンには暗黙のうちに「犠牲を払って奉仕をすることは美徳である」という雰囲気があると思います。 でも、その犠牲になる人や物ごとは、ほおっておかれていいのか? それが本当にイエス様の言われる愛のある行動なのか? 「一生懸命奉仕する=自己満足・自己実現」 「一生懸命…

  • 奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども5

    ある牧師家庭のクリスチャン2世の友達はずっと、「クリスマスが嫌いだった」そうです。クリスマスはいつも両親が忙しそうにしていて、構ってもらえなかった。自分も教会の手伝いをしなければならず、クリスマスを楽しんだ記憶がない。 だから今でもクリスマスが近づくと、ちょっと憂鬱になる、と言っていました。 時々、学校の先生の子どもが荒れたり、ぐれたりする、というのを聞きますが、他の子どもにかかりっきりで、自分の子どもに目をかける暇がなくなってしまう、というのは分かる気がします。 牧師にとっては、クリスマスは一年の中でも一大イベントで、毎週何かしら教会で行事があり、自分の子どもどころではない、というのは、まあ…

  • 奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども4

    父も母もクリスチャン1世でしたから、 「教会のために一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」だったのだろうと思います。 大人になり、客観的に考えられるようになって、「きっと父は一生懸命奉仕する自分の姿を子どもに見せたかった」のだろう、と思えるようになりました。 また、教会の奉仕をすることが、あまり趣味もない父の生き甲斐であったのだろう、とも思うのです。 でも、私はそんな父の姿をずっと見てきていたので、「クリスチャンと結婚はしたいけれど、奉仕に熱心な人は嫌だな。奉仕とか、教会のことにはあまり興味がなさそうな人がいい。」とかなり自分勝手な願望を持っていました。 私は今でも、「教会の奉仕のせいで犠…

  • 奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども3

    私にとっては、「父が教会の奉仕にのめり込み、母はいつもそのことに苛立っている」家庭の状態が普通だったので、両親の仲が悪くて嫌だな,,,とは思いつつ、休みの日もいつも父が教会に行っていることなどについては、あまり疑問を持たずに大きくなりました。 しかし、大学進学をきっかけに、違う教派の教会に通うようになり、色々なクリスチャンのご家庭や、奉仕のあり方を見せてもらうに従って、「うちって何か異常だったのでは,,,」という疑問が沸いてくるようになったのです。 そして、家族がどんなに教会の奉仕の犠牲になってきたか。私や妹たちがどんなに悲しい思いをしてきたのか。ということに遅ればせながら気づかされていったの…

  • 奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども2

    母は、父のことをいつも悪く言っており、私や妹達を自分の味方につけようとしていました。そしてしょっちゅう、父と言い争いをしていました。 教会からの帰り道はいつも母一人が私と妹たちを連れて、2時間近い道のりを帰っていました。(電車を乗り継いで、とても遠い教会に通っていたのです)母にとっては大変な苦労だったと思うのです。それが毎週となれば、ストレスが溜まって当然です。 今、考えると、母は寂しかったのではないかと思うのです。教会に、父を取られたような気がしながら、同じクリスチャンという立場上、奉仕をしていることに対して文句は言えない。 家のことを全く何もしない父に、不満が溜まりながら、一方で、仕事に加…

  • 奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども1

    これからしばらく、奉仕について思うことを書きたいなと思います。 私の父は、私が物心ついたときから、教会役員をしていました。しかも、会計担当。 私の両親の行っている教会は、会員数が200人近いので、礼拝献金だけでもそれなりの額になります。毎週礼拝後すぐに、お昼をゆっくり食べる時間もなく、会計の部屋に籠って献金の額を数える係を、父はもうかれこれ20年以上はしていると思います。 父は土曜日も、教会の用事でしょっちゅう家を空けていて、水曜日夜は祈祷会があったりと、ただでさえ平日は朝早く家を出て、夜遅く帰ってくるサラリーマンなのに、土日も家に居ないのが普通になっていました。 さらに、年末年始は教会の年報…

  • みこころの結婚相手を見極める まとめ

    やっと「みこころの結婚相手を見極める」シリーズが終わりました。ちょっと長かったですね; もし、ここまで全部読んでくださった方がいたら、本当にありがとうございます。 多少でも何かの役に立つとよいのですが… 色んなことを書いてきたのですが、全部がしっかり当てはまらなくてもいいと思うのです。これはよくあてはまるけれど、これはそうでもないな、などとあると思います。 私自身、結婚前にはたくさんの結婚関係の本やネットの情報を読んだのですが、色々読んで思ったのは 「こんな風にいっぱい考えることがあったら誰とも結婚できないよー!!!」 ということでした。 本当にこの人がみこころの人なのか?考えれば考えるほど分…

  • みこころの結婚相手を見極める その11

    ⑩ 相手を尊敬できる 「どんな人と結婚したいか?」という質問に、「尊敬できる人」と答える人は多いのではないでしょうか。私もずっと、尊敬できる人と結婚したいなあ、と思っていました。 でも、その「尊敬」の内容は、自分よりも学歴がいいとか、運動ができるとか、ずっとそういうものだった気がします。 夫と出会って、この人、すごいな、と思ったのは、「欲がないこと」でした。 私は欲深い性格なので、損得で物事を選択したり、考えたりすることが多いです。自己顕示欲も強い方だと思います。そういう自分が嫌だな、と思いつつ、どうすることもできませんでした。 夫は、自分が損をしても、誰かのためになるのなら、それでいい、とい…

  • みこころの結婚相手を見極める その10

    ⑨ お互いの家族を受け入れることができる。 結婚が、ただのお付き合いと何が違うのか、を考えた時、やはり、相手の家族と親戚関係になる、ということが挙げられると思います。 ただ、人によっては親族がいなかったり、家族と疎遠になっているなど、色々な状況があると思いますので、もし、そういう方がいましたらすみません。 私の母は、義理の父母(私にとっての父方の祖父母)と会う時は、ひどく神経質になっていました。祖父母の家に泊まった後は、必ず、父と口論になっていました。 私から見ると、祖母は母に優しく、「あなたのお母さんが(私の父と)結婚してくれてよかった」といつも私に言ってくれていました。私が知る限りでは、そ…

  • みこころの結婚相手を見極める その9

    ⑧ お付き合い自体がスムーズに進む。 これは前回書いた内容 みこころの結婚相手を見極める その8 と少し関わってくるかもしれません。 お付き合いしていて、時々ケンカをしたり、上手くいかなくなることはあると思います。これは全然、普通です。 でも、お付き合いに支障が出るくらい、毎回会うたびに口論をするようなことが頻繁にあるようなら、結婚してから何事もなく上手くいく…ことはまずないと思うのです。 私の周りの友人(クリスチャン、ノンクリスチャン関係なく)を見ると、お付き合いが結婚に結びつく人たちは、わりとスムーズに話が進む人が多い気がします。付き合って1年くらいで結婚してしまう人も少なくないです。(も…

  • みこころの結婚相手を見極める その8

    ⑦ 信頼できる人に相手のことを話したとき、好感をもってもらえる。 お付き合いしていることを、誰にでも言いふらす、というのはちょっとどうかな…と思うのですが、信頼できる数人の人(友人や先輩、家族、牧師先生や知り合いのご夫婦など)に話しておく、というのは大切なことだと思います。 特にクリスチャンであれば、「この人には自分のお付き合いのこと、結婚のことを祈ってもらいたい」という人に、相談して、祈ってもらうことは、結婚までのプロセスで大切なことだと思うのです。 その時に、相談した人の全員が大賛成!!ということはあまりないかもしれません。 また、牧師先生に反対されたらどうしたらいいか、クリスチャンがノン…

  • みこころの結婚相手を見極める その7

    ⑥ 「会話」ではなくて「対話」ができる。 一概には言えませんが、男の人は女の人より自分の話をしない傾向があると思います。 私は、夫とお付き合いをしている時、夫があまり自分のことを話さない人だったので、「この人は一体何を考えているのだろう…」と謎でした。自分の気持ちや辛さを色々と話してくれるようになったのは、婚約後、結婚後かな、という気がします。 でも、夫と話していていつも感じたのは、「この人は、私の言葉に真剣に向き合ってくれている」という、雰囲気でした。決して多くの言葉が返ってくるわけではないけれど、私のことを考えてくれている、というのが伝わってきました。また、私も、夫の少ない言葉から、何かを…

  • イースターに思うこと~キリスト教に対する世の中と自分のイメージのギャップ~2

    クリスマスもそうですが、日本では「西洋のお祭りはみんなで美味しいものを食べて楽しくパーティしよう!!」みたいな雰囲気があって、自分の中にあるイメージとのギャップに、まるでついていけない気持ちになります。 私は、クリスマスの夜やイースターの朝は、一人で静かに過ごしたいな、と思ったりします。 教会で、クリスチャン2世の中学生の子と話していたら、「イオンにハッピーイースターっていう大きな垂れ幕があって、なんかイラッとした」と言っていました。 どういうこと?と訊くと「みんな本当のことを知らないのに浮かれてて、なんか嫌だ」ということらしい。ディズニーでイースターのイベントをするのも、イースターが何の日か…

  • イースターに思うこと~キリスト教に対する世の中と自分のイメージのギャップ~1

    イースターなので、今回はイースターに思うことを書きます。 きゃりーぱみゅぱみゅがイースターの曲を出したそうですね。 日本の世の中では、イースターは第2のハロウィン的な、西洋のお祭り、という位置づけなのかな、という雰囲気がします。 ここ数年で、お菓子屋さんでもたまごやウサギの形のお菓子が売られるようになり、ディズニーランドでもイースターのイベントをしていたりと、なんか、商業というのはづくづくすごいなーと驚きつつ、形はどうであれイースターが復活祭というキリスト教のお祭り、ということが広まればいいなあ、と思います。(※ハロウィンはキリスト教のお祭りではありません。) 私がイースターで思い出すのは「イ…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、やまねさんをフォローしませんか?

ハンドル名
やまねさん
ブログタイトル
クリスチャン2世がぐるぐると考える
フォロー
クリスチャン2世がぐるぐると考える

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用