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アルコール依存症:Nouti思考のNoutiブログ https://nouti.hateblo.jp/

塞翁が馬。Think Simple。 夫はアルコール依存症という大きな病気を患い、そして回復しました。30代、生き直しをするNouti/のうてぃが日々地面に足をつけて平安と落ち着きを大切に生活をする日々。

アルコール依存症の夫を持つ妻Nouti/のうてぃのブログ。アルコール依存症と真正面から向き合った日々を書いています。

Nouti/のうてぃ
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2017/04/05

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  • 先延ばしはいいこと

    先延ばしと聞くと、私にとってあまりポジティブなイメージがない言葉ですが、でも実はとてもポジティブな意味合いを持っている言葉であるなとも最近よく思います。 混乱状況の時に、大きな決断をしてはいけない これは、とても大切なことだと思います。何か嫌な感じをしている時、気持ちがどうしても前向きにならない時、おそらく心の声というのは、 こんな気持ち感じたくない こんな感情から解放されたい だと思います。だから、手っ取り早い方法として、アルコール依存症者は、アルコールに手を付けるし、そうでない共依存的な家族は他人をどうこうしようと、口出しして、問題を解決しようと躍起になります。 手っ取り早い方法は、先延ば…

  • 1人でもがいていた私

    自分が悩みの中にいた時、なんとか問題を消そうと、自分なりに考えて解決しようとしたことは、かえって、問題を掻き乱し、大きくしてしまったなんてことがありました… ここで、私が間違っていたなと思うことは、苦しんでいる自分でも、自分で自分を救うことができるというか、解決に向かってなんとかできると自分の力を過信していたこと。 そして、苦しみは早急に消さなくてはいけないものだと、焦っていて、落ち着きをなくしていたこと。 この2つかなと思います。 私は随分と長い間、アルコール依存性の問題を人に相談せず、自分一人でなんとかしようとしていましたから、もがいている自分がさらにもがくという、心身ともに疲弊する負のス…

  • 「こうしたほうがいい」はない

    アルコール依存症の問題に関して、同じようにアルコール依存症の問題に苦しんできた人、乗り越えてきた人、まさに闘いの渦中にいる人から、話を聞いたり、聞いてもらったりすることは助けになります。 でも、質問をされた側もする側も、アドバイスを求められた側も求める側も、大切にしなくてはいけないことは、「こうしたほうがいい」はないということかなと思います。 アルコール依存症の症状は確かに共通点は沢山あるし、私もブログでエピソードを多々公開する中で、共感してくださる方、同じような経験をされている方とも出会いました。 全くの当事者でない人よりも、実際に現場を知っている人、肌で感じている人からの助言は確かに心強い…

  • 「あるべき」「完全」をなくしていくこと

    得体の知れない「完全」というものが、自分の中に存在していると、毎日を減点方式や加点方式でついつい見てしまうことがあります。 今日の1日は、こんなことがあったから「よかった」、逆にあんなことがあったから「よくなかった」と。 ふわふわしている「完全」に照らし合わせて、1日をいい日か、悪い日か判断する・・・こんな毎日は随分と窮屈だなと思います。 それはまるで、サンドイッチの具で、レタスが入っているからいい、ツナがあるからダメ、トマトがあるからまあまあ、チーズがあるから、すごくいいなどと言っているようなもので、全てが挟まって1つの構成した具材に対して、部分部分を取り出して、いい悪いの判断をつけていくの…

  • 弱さを認めること

    自分を傷つけるのは、他でもない自分の解釈であるというのは、本当だと思います。自分が起きた出来事に対して、どんな意味づけを与えているか・・・これは癖のようなものであり、アルコール依存症の夫のみならず、あらゆる人間関係に適用されている習慣です。 私の場合は、基本的に自分の失敗に対して、非常に弱いところを持っていました。 とても楽観的で、前向きな人間ではありますが、ひとたび、自分が失敗したと認識すると、自分を責めたり、自分を傷つけたり、悲しくなったり、イライラしたり、責任転嫁をしようとしたり・・・とにかくこの痛みから逃れようとする習性がありました。 これは、本当に、身体の中にすっかり染み付いてしまっ…

  • 大切なこと;助けを求める

    もし、昔の自分に、アドバイスを与えるなら、私は間違いなく、 早く助けを求めなさい ということを声を大にして言うと思います。私は、このアルコール依存症の問題をずっと一人で戦ってきました。勿論、夫と共に戦ってきたのかもしれませんが、夫も夫で孤立していて、それぞれが一人でどうにかしようともがいていたのは明らかでした。 なぜそうなってしまったかというと、私の中に居座る2つの考えがあって、まず一つが、 アルコール依存症の問題など、当事者以外わかるはずがない というものと、これはかなり大きく占めていて、 そして、もう一つは、 アルコール依存症の問題を人様に言うなんて、恥以外の何ものでもない と言う考えが、…

  • 心の充電期間

    1日が良い日であったか、良くない日であったかは、どれだけいいことがあったのか、どれだけ悪いことがあったかではなくて、結局のところ、1日の中にあった良いことにどれだけ注目できたか、どれだけ注目できなかったにかかっているように思えます。 1日は24時間ある中で、いいこと、悪いこととその出来事だけに良し悪しの判断をするのではなくて、悪いことに見える中にも良い面を見つけられる、良いことの中に、ちゃんと良い面を認める・・・そんな連続が1日に対する見方を変えていくのかなと思います。 とは言っても、どうしても悪いことばかりに注目してしまうこともあるはず。それは仕方なのないこと。多分、そんな時は、心のエネルギ…

  • アルコール依存症に対して、無力

    私は、「アルコール依存症に対して、無力である」ということが「絶望の言葉」から、「希望の言葉」に変わるまで、随分と時間がかかりました。 私はアルコール依存症に対して、何とかできるとずっと思っていましたから、無力なんてものは受け入れたくなかったし、そんな言葉を受け入れてしまったら、まるで自分の存在価値が減ってしまうではないかと、無意識の中で恐れていたのですね。 今思えば、私がどれほどアルコール依存症に囚われていたかがよくわかります。 私はとても前向きな性格で、楽観的な性格です。物事をより良くしようとする原動力がとても大きい人間だと自覚しています。 これは私の良い資質ではあるけれど、時に、コントロー…

  • 終わりなき成長

    成長に終わりはないとつくづく思います。 何かわかったと思えば、全然わかってないことを知り、これで大丈夫だと思えば、実はまだまだ学ぶべきことがあることに直面し・・・ そう思うと、人生の中で「安定」することをゴールにすることは、随分と愚かなことであるかもしれないと思うのです。 それは、決してネガティブな意味ではなくて、人生の中には、常に、学ぶべきものがあり、課題があり、成長がある。それはまた挑戦であり、喜びにもなる。 毎日毎日、それぞれの日に、それぞれのタスクがある。 これが、当たり前だと思います。 毎日、古い自分を脱ぎ捨てて、新しい自分になっていく。その練習ができるのが毎日だと思います。 成長を…

  • いかなる時も平安を保つ

    周りがどのような状況であれ、自分は動じず、心の平安を保つということは、絵に描いた餅、机上の空論、口先だけの綺麗事だと随分長く思っていました。 実際にそんな人がいるなら、見せてくれ。本当に悲惨な状況、地獄の真っ只中にいる中で、平安を保つなんて、できるわけがない・・・とどこか「できない」ことを必死に肯定しようとしている自分がいました。 でも、振り返ると、私は一生懸命に「火に油を注ぐ」ようなこと、もしくは「火消し」には随分と努力していたのに、「ただ状況を静観し、静まって待つ」ということは全く頭の中にない日々をずっと送ってきたなと思います。 大変な状況の中にいる時に、相手をなんとか変えようとしていまし…

  • 弱さゆえの優越感

    今となっては、とても愚かなことだったと思いますが、私は他人に対して、支配的になることによって、他人を自分の思い通りにしようとすることによって、また、他人を抑圧することによって、自分が優越感を感じ、その優越感は、少なくとも、私は劣っていないと思える材料と変わり、心の平安を持とうとしていたと思います。 薄々、自分の中に、とてつもない大きな劣等感があって、しかもそれは本来全く持つ必要もない劣等感であったのに、自分を好きになれず、自分が自分に良い評価をできず、自分を大事にできず、人からの評価によってのみ、自分の価値を再確認していたようなとても依存的な人間だったから、劣等感は絶えず私の友人となって、私に…

  • 一生向き合っていく

    夫のアルコール依存症の問題に、どうにもならなくなって、 家族会に行き始めたり、依存症に関する本を読み漁ったり、 色々な情報を集めて、手がかりを探していたときは、 なんとかこの問題を解決したい 思いでいっぱいでした。 それもそのはず。本当に悲惨でしたから。 解決したいのに、状況が変わらなくなると、 今度は、勉強や集会もあまり意味のないように思えて、 結局、解決法なんてない!と、自暴自棄になり、 この世に全ての希望がなくなったかのように、 真っ暗になっていました。 依存症の家族会等の集会でよく言われることに、 「自分と向き合う」というものがあり、 当事者ではなく、まずは自分からということをよく言わ…

  • 結局はどっちなの?

    自責の念が良くないとわかっていても、 どうしても、ああしていれば、こうしていれば、こうはならなかったのではないのかと、自分の行動を責めてしまう癖は、随分となくなりましたが、 それでも時々顔を出すことがあります。 自責は全く生産性のないことだとわかっていても。 アルコール依存症が、病気だとわかってから、自分の中であらゆることが整理できて、すごく解放された気持ちになったことを今でも覚えています。 私がアルコール依存症にしたのではない、私の行動や言動によって、他人をアルコール依存症にするのではないと。 でも、それと同時に、自分のやってきたことが、回復の邪魔をしていたかもしれないという言葉も、その後に…

  • 人は人。自分は自分。

    人に対して、 どうして? なんで? と思ってしまう癖は、私の中に、本当に根強く、いつも心の中に湧いてきていました。 コントロールしようにもできないほど、他人のことが気になって、気になって仕方のない自分がいたと思います。 今思うと、他人によって、自分の価値を定めるということに、すっかり慣れてしまっていたから、他人が私にとって、あまりにも重要でありすぎた!んですね。 夫だけでなく、家族、職場、友人、あらゆる人間関係において、他人を気にする自分がいたと思います。 「他人はどうしようもできないのだから、変わるのは自分だけだから!」と気合を入れたり、頭で一生懸命分かろうとしても、どうにも抜け出せなかった…

  • ゆっくり成長していく

    アルコール依存症の夫との生活の中で、いつの日か、 「ゆっくり」 というものを完全に忘れてしまっていた自分がいました。 ゆっくり? そんな悠長なことを言っていられない。早く早く。 早く変化。早く回復。 居ても立っても居られない。 今は地獄。 早く。早く。 気持ちはいつも焦っていて、もがいていたと思います。 Noutiは、「ゆっくり」がすごくに苦手でした。 まるかばつか、良いのかダメなのか、 選択はいつも2者択一で、 少しずつとか、ゆっくりなんてことを受け入れられず、 急いでいました。 でも、それほどに、変化を求めていたんだと思います。 それはそれ。 変わりたい!成長したい!そういう私の良い資質で…

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