上州の「寅」(25)「こんなひろい庭。手入れするだけでかるく3~4年かかる。やるだけ無駄さ。そうじゃない。わたしたちの目的はハチ。ここには特別なハチが住んでいる」「特別な蜂?。人をチクリと刺す、あのハチか?」「そう。そのハチ。貴重なハチが住んでいる」「貴重だって?。別にめずらしくないだろう。たかがハチだぜ」蜂と聞いて寅が苦笑する。「なんだよ。ハチのため、九州のこんな山奥まで俺を呼び寄せたのか。冗談じゃないぜ。まったく。大前田氏も君もいったい何を考えているんだ」寅があらためて周囲を見回す。目にはいるのは荒れ果てた日本庭園、ところどころにそびえる造園の木々。その向こうにうっそうと森が広がっている。どこにいるというんだ。貴重なハチとやらは・・・「あなたの言っているハチは、外来種の西洋ミツバチのことでしょ。西洋ミツバチ...上州の「寅」(25)貴重なハチ
上州の「寅」(24)「なんだ?。この景色は・・・」古民家を出た寅が目の前にひろがる景色を指さす。荒れ果てた日本庭園が、寅の目の前に横たわっている。荒れようが酷い。手入れが放棄されていったい何年たつだろう。「男の夢の跡だよ」「男の夢の跡?。・・・どういう意味だ?」「見た通りさ。広いだろ。ぜんぶどこも荒れ果てているけどね」「どのくらい有る。ここは」「4万坪」「よ・・・四万坪だって!」まわりを囲むのはすべて深い山。その中にここだけぽっかり、異空間のように広大な日本庭園がひろがっている。敷地はぜんぶで4万坪あるという。「どんな男が作ったんだ?」「孤高の画家。いや、陶工だったかな・・・。20年前のことだ。その男は50万円で、このあたりの山を買い取った。蕎麦屋をつくるためにね」「こんな山奥に蕎麦屋?。わからなくもないが、そ...上州の「寅」(24)夢の跡
上州の「寅」(23)「なんだぁ・・・ここは!」翌朝。表へ出た寅が目を丸くする。目の前に、大量の枯れたアジサイの木がひろがっている。ところどころ桜や椿、木蓮の木が立っている。しかしどう見ても、手入れが放棄されたままの巨大な日本庭園。女たちが住んでいるのは藁ぶきの古民家。農家ではない。商いをしていたような雰囲気が漂っている。「起きたかい。ご飯だよ」古民家からチャコが呼ぶ。「なんだ。此処は?」「説明はあと。ご飯にしょう。食べたらすぐ仕事だ」「なんの仕事?」「ついてくればわかる。さぁ食べよう」「はい」と白米の茶碗が目の目に出る。「ありがとう」と受け取り、ぱくりと炊きたてを口の中へほうりこむ。旨い。いままで口にしてきたコメとあきらかに味が違う。「なんだ・・・これ」「はじめチョロチョロ、中パッパ。ここにはかまどが有る。慣れ...上州の「寅」(23)かまど炊き
上州の「寅」(22)「あなたの未来に、赤信号が点灯してるのよ。デザイナーの才能がないことを知らないのは本人だけ。ホントに気がついていないんだ。自分にデザイナーとしての才能がないことに。ああ・・・可哀想。お気の毒さま」「だからどうだというんだ。おれの将来は俺が決める。テキヤの自由にさせない」「あら。わたしにそんな大口をたたいていいの?。じゃ警察へ行こうか。雑魚寝を強要されたうえ、毎晩、痴漢されたと訴えるわ。困るでしょ。そんなことされたら?」「何だよ。君までおれを脅迫するつもりか!」「脅迫じゃないわ。事実だもの。実際に触ったでしょ。わたしの胸とお尻に」「たまたまだ。寝返りしたらおれの手が君の胸に触れただけだ」「ウソつき。しっかり触ったくせに」「うん。まんざらでもなかった・・・」「ユキのお尻にも触ったでしょ。ユキは1...上州の「寅」(22)路は2つ
上州の「寅」(21)それから1時間後。チャコが軽トラックに乗ってやってきた。軽トラック?。「軽トラ?。いままで乗っていたワンボックスはどうしたの?」「仕事の都合上、こいつのほうが便利なのさ。これ。悪路でも走れるフルタイムの4WD(4輪駆動)よ」「農業でもはじめたの?」「行けばわかる。これからまた携帯の圏外まで帰るけど、覚悟はいいね」「覚悟?。いったいなんの覚悟だ」「3日や4日じゃ帰れない。はやくて1年。ひょっとすると3~4年は帰れないかもね」「ちょっと待て。聞いてないぞそんな話!。初耳だ」「あら。義父から何も聞かされていないの?。おかしいな。長くいられる奴を送り込むと言っていたのに。候補がいるのと聞いたら、うってつけの奴が居ると自信たっぷりだった」「それが僕だというのか?。大学はどうすんだ。あと1年で卒業だ」「...上州の「寅」(21)赤信号
上州の「寅」(20)見上げると、一面に星が輝いている。空港からあるくこと30分。寅のまわりに丘陵がひろがってきた。(満天の星だ・・・田舎なんだな。鹿児島は)当てなどない。空港から北へ向かう道を寅はトボトボあるいている。山のむこうが明るい。ということは歩いていく先におおきな市街地があるだろう。と、勝手に思い込んでいる。寅が北へ向かってあるきはじめたのは、北極星を見つけたからだ。北極星を探すために、まず北斗七星を見つける。大きなひしゃくの形をした7つの星の連なり。それが北の北斗七星。ひしゃくの受けの形をしている2つの星を、線で結ぶ。その長さのおよそ5倍ほどの位置に、真北をしめす北極星がある。そのさらに5倍ほどの先にアルファベットのWの形の星座、カシオペア座がある。南をしめす星座、南十字星は鹿児島からぜんぶは見えない...上州の「寅」(20)満天の星
上州の「寅」(19)羽田から1時間50分。搭乗中に日は暮れた。空港のそとはすでに夜。「鹿児島空港へ着いたらすぐ電話しろ」大前田氏に指示されたとおり、ロビーへ降りた寅が携帯を取り出す。番号に覚えはない。電話をかける。数回呼び出すが相手は出ない。「電話番号は合っているはずだが・・・出ないなぁ」やがて「おかけになった電話をお呼びしましたが、お出になりません」のアナウンスが流れてきた。「はぁ?。どういうことだ。いったい・・・」寅が途方に暮れる。「どうするんだ。こんな場所で一人ぽっちだぞ」当てはない。相手が電話に出ない限り、この先一歩もすすめない。まぁいい。すぐ返信があるだろうと空港前のベンチへ座り込む。空港は鹿児島市の北東28キロの高台にある。東に霧島連峰がそびえ、南に桜島を眺望できる絶好のロケーションだが、日が落ちて...上州の「寅」(19)空港ひとりぽち
上州の「寅」(18)「大量の白い粉が出た!」保安検査場が騒がしくなってきた。係員たちがいそがしく出入りする。緊張ぎみの警備員たちが、ぐるり寅のまわりにあつまってきた。麻薬犬までやって来た。(なんだいったい・・・なんの騒ぎだ)寅はただぼんやり立ち尽くしている。無理もない。騒ぎの原因が自分にあることにまったく気づいていない。係員のひとりが寅を、こちらへと手招きする。テーブルの上に15個の白いビニール袋が、積み上げてある。「なんですか?。これは?」「知りません。大事な荷物だと知り合いからあずかりました」「開封していいですね」係員が白い袋を指さす。いまさら嫌だと断れる雰囲気でない。「念のためです。中身を確認させていただきます」係員が白い粉の入ったビニール袋をもちあげる。ハサミで開封する。匂いを嗅ぐ。匂いはなさそうだ。少...上州の「寅」(18)中味は?
上州の「寅」(17)出口でサングラスの大前田氏が待っていた。「無事に来たな。ご苦労」片手をあげて合図する。「これが当座の軍資金。これがチケット。心配するな。あとで給料から天引きするから前借だとおもえ。それからこれは先方へわたす大事な荷物だ。機内に持ち込んでだいじに管理しろ。ぜったい無くすな。これが現地の連絡先だ。着いたら電話しろ。じゃな。気をつけていけ」手にしていた中型のボストンバッグをひょいと差し出す。寅が受け取る。ずしりと重い。なんだ、この重さは・・・「まっ、待ってください。これから僕はどこへ向かうのですか?」「言ってなかったか?。チケットの行き先を見ろ。九州だ」「き・・・九州!。なんでまたそんな遠いところへ!」「新幹線じゃ時間がかかりすぎる。遠いから飛行機を使うのさ。気をつけていけよ。あとのことは現地の人...上州の「寅」(17)白い粉
上州の「寅」(16)「不純異性交遊?。まったく身に覚えがありません」「忘れたとは言わせないぞ。雑魚寝したとき。未成年のチャコとユキの尻とおっぱいに触っただろう。どうだ。身に覚えがあるだろう」「たしかにすこしは触ったかもしれません。しかしそれはあくまでも雑魚寝という非常事態の中での出来事です。濡れ衣です。責任はありません」「黙れ。理由はともあれ、未成年の尻と胸に触ればりっぱな犯罪だ。警察へ訴えて出れば、おまえさんは前科一般の性犯罪者になる」「警察は勘弁してください。おまわりさんは嫌いです」「免許証のコピーがある。実家の住所もわかっている。では両親へ電話してこれこれこういうわけですと、俺から説明しょうか」「あっ・・・両親も勘弁してください。わかりました。羽田空港へ行けばいいんですね」「おう。3時間以内に来いよ。制限...上州の「寅」(16)実は高所恐怖症
上州の「寅」(15)それから一ヶ月。寅のあたらしい年は可もなく不可もなく時間と日にちだけが過ぎた。2月。明日が節分という夜。年末年始に稼いだアルバイト代が、ついにきれいになくなった。何に使ったか記憶にない。気が付いたらいつものように、すっからかんになっていた。「大将。いつもの!」「なんでぇ寅ちゃん。成金生活はもう終わりか。計画的に使わないからそういうことになる。早すぎないか。散財するのが」「うるせぇ。江戸っ子は、宵越しの金なんざ持たねぇ」「江戸じゃねぇだろう。上州生まれだろ寅ちゃんは。ここは江戸だが、武蔵野といったほうが世間にわかりやすい」「いいから早くつくってくれ。腹が減って死にそうだ」いつものラーメン屋でのやりとり。仕送りが振り込まれるまで、まだ一週間ある。それまでの間は倹約という名の、ぎりぎり食生活をおく...上州の「寅」(15)羽田へ来い
上州の「寅」(14)「ご苦労さんだったな。約束の日当だ」1月4日の夕刻。ようやく寅は屋台の仕事から解放された。朝9時から開店準備。初もうで客の姿があるうちは終日、仕事。夜の11時近くまで働いたあげく、いつものように3人で雑魚寝をする。4日目。参道に初もうで客の姿はすくない。「すこしばかり色をつけておいた。また頼むかもしれねぇから、そんときはよろしく。じゃなぁ」人事担当の大前田氏が寅の肩をポンとたたき、歩き去っていく。「あたしらも行くか。寅ちゃん。あんたどこまで帰るんだ」「おれ?。おれは八王子」「八王子か。すこし寄り道になるが帰る方向は同じだ。乗りな。送っていくから」「送るって・・・君。運転できるの?」「ひと月前にとったばかりだ。ほやほやの双葉マークさ」「心配だ。やめておく」「なんでさ。あたしの運転が不安かい?。...上州の「寅」(14)関東テキヤブルース
上州の「寅」(13)元旦の午前10時。参道に初もうで客の姿がふえてきた。昨夜と違いみんな着飾っている。そんな中。派手なスーツを着た男が屋台へ挨拶に来た。「ご商売中すいません。わたくし地元の〇△組の者です。これから親分が初もうでにまいります。これは些少ですが新年の名刺代わりに」ペコペコ頭を下げながら、1万円札の入った封筒を置いていく。「おい。〇△組の親分が初詣に来るってよ・・・」「なんだって。おい、えらいこっちゃ。のんびりしている場合じゃねぇ。おまえらぐずぐずするな。焼き鳥、イカ、タコを、どんどん焼け!。シケネタ(古い素材)なんか使うな。マブネタ(新しい素材)を使えよ」にわかに屋体が騒々しくなってきた。あわてて鉄板を磨きだす者。車のアイスボックスへ入れておいたマブネタを取りに行く者。あちこちで歓迎の献上品つくりが...上州の「寅」(13)親分が来る
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