上州の「寅」(12)「はじめまして。あなたがこんど加入されたポテト屋さん?」「へぇ。銀二と言います。で、あなたさんは?」「露天商組合の理事、大前田です」「これはまたずいぶんお若い役員さんで」「父の代理で来ました」「ご苦労さんです。どんなご用件でしょう?」「契約違反がある場合、出店が取り消されることはご存知ですね」「へぇ。聞いておりやす。それが何か・・・」「こちらの場合、フライドポテトのみに許可が出ています。無届けでアメリカンドッグと、から揚げを売るとなると契約違反に該当します。売りつづける場合、組合員証を没収します」「えっ。ち・・・ちょっと待ってください。組合員証を没収されたら露店で商売できません。ほんの出来心でアメリカンドッグとから揚げに手を出しただけで、本心じゃありません。すぐやめます。お願いですから穏便に...上州の「寅」(12)半返し
上州の「寅」(11)元旦の午前9時。金髪娘2人の屋台が開店した。参道に早い初もうで客が姿を見せる。「いまはまだ嵐の前の静かさだ。本番は11時頃からさ」「どのくらい人が来るの?」「3日間で30万人」「さ、さんじゅうまん!」「そのうちの半数、およそ15万人が今日、押し寄せてくる」「じゃ昨夜の・・・二年参りのあの人出は・・・」「小手調べだな。本番前の」チャコは涼しい顔で仕込みに専念している。今日も売るのはもつ煮とおでん。(せっかく商売するんだ。もっといろいろ売ってもいいと思うが)もつ煮とおでんだけを売る屋台が、もったいなく思えてきた。(いろいろ仕込めば、もっと売れるかも・・・)と言おうとしたとき、「姐さん」チャコの背中へパンチパーマの男がやって来た。「なんだ。もめ事か?」「へぇ。向こうのフライドポテト屋がちょっと・・...上州の「寅」(11)根回し
上州の「寅」(10)午前8時。どこかで起床のベルが鳴っている。朝だ。いつの間に眠りに落ちたのだろう。2人の間に挟まれ悶々としているうち、いつのまにか寝息を立てていた。隣りにチャコの姿はない。ユキはまだ眠りの中。寅の背中でスヤスヤ寝息をたてている。「起きたかい。朝食はこっち」部屋の片隅でチャコが手招きする。朝食は部屋の片隅に用意された長机のうえ。(ここはタコ部屋か)ユキを起こさないよう、そっと布団から抜け出していく。半分以上の布団がすでにたたまれ、部屋の隅で山になっている。残った布団に数人が、頭だけを出して眠っている。鮭の焼き物。納豆。海苔。薄く切ったキュウリと大根の漬物。おひつの飯はすでに冷えている。(元旦の朝飯だというのに、これじゃまるで田舎旅館の朝飯だ・・・)「贅沢を言うんじゃないよ。はやい連中は6時から動...上州の「寅」(10)生まれは東北
上州の「寅」(9)午前3時。参道から人の姿が消えた。最後の2年参りを見送ったチャコが、屋台のハダカ電球を消す。「寝よう。明日のために」あんたも来な。こっちだよと首を振る。「寝る場所が用意されているの?」「5日間。3食のまかないと寝る場所がある。嬉しい限りだろう」「ということは、途中で帰れないという意味か!」「書いてあっただろ。募集要項に」「聞いてない。そんな話は・・・」「どっちでもいいさ。ごちゃごちゃいわず、着いといで」テントの裏から細い路地へ入りこむ。路地の道を3分ほど歩く。なんだか連れ込み宿のような建物の裏へ出た。(あやしい建物だ・・・)ここじゃないだろうと否定する寅をしり目に、チャコが裏口のドアを開ける。(入っていく。ホントかよ・・・)うす暗い廊下を歩くと大広間のような部屋へ出た。20畳ほどはある。10数...上州の「寅」(9)雑魚寝
上州の「寅」(8)深夜2時。参道が閑散としてきた。あれほど賑わっていた参拝客の姿が嘘のようだ。「安心するんじゃないよ。嵐のまえの静けさだ。本番はこれからだからね」チャコが、ふうっと青い煙を吐きあげる。「あ、やっぱり吸うんだ君は。未成年だろ。やめた方がいい。体によくない」「ひと稼ぎしたんだ。自分へのご褒美だ。いいだろう、これくらい」「よくない!。大人になってから吸え。それがルールだ」「18歳は大人だ。選挙権もある。2022年から成人年齢は18歳になる。大目に見ろ。そのくらい」「本番はこれからだと言ったね。どういう意味だ?」「元旦の朝からが本番さ。着飾った連中が今年一年の幸福のため、わんさか神頼みにやってくる。大晦日の人出なんて嵐の前の前兆だ。覚悟しな。トイレへ行く暇もないくらい忙しくなるから」そのとき。チャコの携...上州の「寅」(8)30秒で食え
上州の「寅」(7)午後10時を過ぎると人の数がふえてきた。除夜の鐘を聞きながら初詣でする人たちが、これほど居るかと驚いた。10時半を過ぎると参道に長い行列ができた。「すごいなぁ。この寒さだというのに、この人出は」「兄ちゃん。ぼんやりしてんじゃないよ。あちらのお客さんに熱燗を一本。それからそちらのお客さんに、もつ煮のおかわり!。ぼやぼやしてんじゃないよ。仕事はまだ、はじまったばかりだからね!」チャコに怒られた。人の数はさらに増えている。「熱燗をくれ」行列の中から千円札をふる人がいる。「500円です」「ぼったくりだな。酒屋で250円で売ってるワンカップが500円か」「本日は除夜の鐘が鳴る特別な日ですから」「ちげぇねぇ。面白いことを言うねぇ。金髪の姐さんは。気に入った。釣りはいらねぇ。もう一本くれ」「はい。毎度。年明...上州の「寅」(7)二年参り
上州の「寅」(6)「此処がお兄ちゃんが働く職場だ」案内されたのは参道の最先端。山門の向こうは境内だ。小さなテントにパイプ椅子とテーブルのセットが4つ。奥に厨房がある。売っているのはもつ煮とおでん。「料理の経験は有るか?」「自炊はしません。すべて外食です。あっ、インスタントラーメンくらいなら作れますが」「問題外だ。じゃウエイターだ。おい。おまえら。新入りを連れてきたから仕事をおしえてやれ。言っておくがちょっかいを出すんじゃねぇぞ。こいつは上州生まれの寅だ。顔は可愛いが国定忠治の血を引く兄ちゃんだ。気をつけろ」紹介された2人は、ジャージ姿の金髪娘。ひとりは中学を卒業したばかり。もうひとりも18歳の未成年に見える。「包丁を持ったことは?」「握ったことはある」「握れりゃ十分だ。こっちへきてこいつをとにかく切りまくってく...上州の「寅」(6)金髪の乙女
上州の「寅」(5)アパートへ戻った寅が電話をかける。威勢のいい男性が電話に出た。「君で3人目だ。やる気があるなら即採用だ。どうする?」「はぁ・・・僕でいいのですか。本当に?」「やりたいだろ。短期バイト。その気があるのなら大晦日の昼に、履歴書はいらんから、免許証のコピーを持って、これから指定する寺院の境内へ来てくれ」即採用ということで話が決まった。免許証のコピーがあれば、履歴書はいらないという。変った会社だと思ったが、ふかく詮索しなかった。5日間の短期仕事だ。問題はないだろう・・・とタカをくくっていた。暮れの31日。予定の時間より早く寺院へ着いた。有名寺院はすでに、初詣客を迎えるための屋台があふれている。(正月用品を売るということは、まさかテキヤの仕事・・・)準備にいそがしい屋台の様子を見ているうち、不安がわいて...上州の「寅」(5)正月用品を売る
上州の「寅」(4)寅は冷めているわけではない。しかし熱くなることはほとんどない。彼女は居ない。いや、女ともだちすら存在しない。欲しいと思ったこともない。20歳を過ぎたというのに、いまだ初恋を経験していない。「親もおらんし、兄弟はアルバイトと部活で留守か。となると実家へ帰っても意味はない。ということは年末年始は八王子の、この部屋で過ごすことになる」困ったもんだと、ごろり寝転ぶ。石橋を叩いて渡らないどころか、そのまま帰ってしまうのんき者。対策を考えているうち、いつしかウトウト。そのまま深い眠りの中へ落ちていく。「あれ・・・」目覚めた時。窓の外はすでに真っ暗。いつの間にか日が暮れている。「よく寝た。腹減ったな」冷蔵庫を開けてみる。中は空だ。何もない。買い出しもしていない。実家へ戻る予定でいたからだ。「しょうがねぇ。ラ...上州の「寅」(4)年末年始のアルバイト
上州の「寅」(3)寅は都内の大学へ進学した。住んだのは八王子市。アパートの窓から多摩丘陵が見える。「グラフィックデザイナーになりたい?。どんな仕事じゃ。いったいそれは」「広告や看板、チラシなどをデザインする仕事です」「広告?、看板?。看板屋になりたいのか。おまえは」「看板屋じゃありません。いろいろデザインする仕事です」「絵描きになるのが夢だったはずだ。気持ちが変ったのか?」「芸術は食えません」「賢明な判断だ。デザイナーになるための学校なんか有るのか?」「多摩にあります」「高尾山のふもとだな。ハイキングに行くときの宿泊に便利だ。いいだろう許可する。看板屋の学校へ行け」「だから、グラフィックデザイナーだって・・・もう」父のひと声で、造形大学への進学が許された。寅の熱意がつうじたわけではない。ハイキングに凝り始めてい...上州の「寅」(3)デザイナーへの道
上州の「寅」(2)「寅」のエピソードをもうひとつ。「寅」の幼年期の習い事はふたつ。体育教師の父のすすめではじめた柔道と、音楽教師の母が得意とするピアノ。両親は文武両道の息子を育てることが夢だった。学校から帰って来ると毎日1時間、ピアノの練習。柔道は近所の道場で、月・水・金の3日間。練習時間は90分。これで文武両道の息子が完成するはずだった。しかし。母がさきに音をあげた。なにを弾いても、テンポがまったく同じ。「寅ちゃん。この曲はもうすこし速い曲なのよ。テンポよく、チャチャと弾くことができないのかしら。この子は」「寅ちゃん。この曲はもっとゆったり遅めに弾く曲なのよ。もっとゆっくり、ゆったり、優雅に弾くことができないのかしら。この子は」母がピアノのうえにメトロノームを置いた。メトロノームは、リズムを取りながら練習する...上州の「寅」(2)エピソード2柔道ワルツ
上州の「寅」(1)石橋をたたいても絶対に渡らない。いつも引き返してしまう。それが「寅」という男。生まれは群馬県。むかし風にいうなら「上州」。姓は諏訪。名は寅太郎。教師一家、諏訪家の長男として生まれた。父親は国民的名画「フーテンの寅さん」の大ファン。「いやです。寅太郎なんて野暮な名前。だいいちテキ屋でしょ。寅さんは。こどもが将来、そんな人間に育ったらどうするの。あたしは反対です。翔太か、翔(かける)にして!」「遅い。手遅れだ。もう役所へ出生届を出してきた」「もうっ、あんたって人は・・・」というわけで上州に「寅」が誕生した。フーテンの寅さんこと車寅次郎の生業は、ご存じの通りテキ屋。ばくちうちではないが旅ガラスの渡世人。「遅ればせの仁義、失礼さんでござんす。わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。渡世上故あって、親...上州の「寅」(1)エピソード1もつ煮
北へふたり旅(119)新函館北斗駅から2時間40分。乗り換え駅の仙台へ到着する。ここで別の新幹線に乗り換えて、宇都宮まで南下する。東北を走る新幹線はぜんぶで5種類。はやて・はやぶさ・こまち・なすの・やまびこ、の5列車。はやて・はやぶさは新青森が終点。その先は北海道新幹線として北へ行く。なすのは郡山が終点。こまちの終点は盛岡。一部が秋田新幹線として秋田へむかう。やまびこの終点は盛岡。やまびこ号だけが、栃木県の宇都宮駅で停まる。言葉を変えればほとんどの新幹線が停まらない駅。それが宇都宮駅。宇都宮で降りるため、この旅最後の新幹線へ乗り込む。宇都宮から先は各駅停車の、ローカル線2本の移動がまっている。「最後まで手を振っていましたね。あの娘」「いい子だった。ホントに」「旅は楽しいですね。あんな娘さんと出会うことができるも...北へふたり旅(119)最終話
北へふたり旅(118)半熟黄身の卵焼きと3本のウインナーが白飯の上に載っている。「合法ハーブはどこだ?」卵焼きをそっとめくる。みどりの座布団があらわれた。これか・・・合法ハーブは。「お手紙が添えられています。合法ハーブのつくりかた。1。ニンニクは1mm幅に薄くスライスする。しそは良く洗い、キッチンペーパーでよく水気を取る。2。容器にしそ、ニンニク、醤油、ごま油を入れる。味がなじむまで漬け込んだら完成。万能調味料として幅広く、なんにでも活用できる、とあります」「若いものの考えるメニューは、なんとも刺激的だ。ユンケルより効き目があるかもしれない」「そういえばすっかり忘れていました。ユンケルを呑むことを。いまからでも遅くありません。念のため、呑んでおきましょ。ねぇあなた」妻がバッグの中からユンケルを取り出す。30ml...北へふたり旅(118)メロン記念日⑬
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