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  • 鶴嶺神社と鎌倉殿と

    3月も明日で終わりますね。今日は新型コロナワクチンの3回目接種に行ってきました。行き帰りに目にした桜はそこかしこで満開となり、思いがけないお花見ドライヴで幸せな一日となりましたトップ画像は数日前に撮った近所の集会所の桜さて先日、昔撮った画像を見ていたら、現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に関連するものがあったのでちょっと並べてみたくなりました画像は全て、2008年2月18日に撮ったものです。「鶴嶺神社」と書いて「つるがねじんじゃ」と読みます。仙巌園の隣にあります正面には錦江湾(鹿児島湾)越しの桜島ここに、鎌倉殿と島津氏との繋がりを示すものがあります。『遷塔之記』に説明されています。鎌倉市の方々との繋がりを記しています。おまけ↓「狭野杉(さのすぎ)」以上、画像は全て2008年2月18日に撮ったものでした〜そ...鶴嶺神社と鎌倉殿と

  • 14年間の軌跡(3)

    (前々回からの続き)高祖父・名越左源太のことが分かればそれで済む、と思っていたのは大きな間違いで、名越氏を初代が名乗ったのが島津吉貴公の時代で、その吉貴公の世継ぎを産んだのが、名越家始祖の妹・須磨(月桂院殿)ということで、島津氏のことを知っておかなくては分からないと、『島津歴代略記』を読んだはいいのだけど、分家のことまでは詳しく知ることもなく、そのうち新聞の連載記事やツイッターなどで歴史に関するものを読んだり、黎明館の「分家のチカラ」などの展示を見に行ったりして少しずつ理解できるようになりました。黎明館企画展「分家のチカラ・弟たちの役割」を観に行ったのは2017年2月でした。『ブログ「おじゃったもんせ」ご紹介』2017-05-0811:06:37 歴史探索また一方で、祖父母から、曾祖父母へと遡り先祖のことを知ろ...14年間の軌跡(3)

  • 14年間の軌跡(2)

    いつもお読みいただきありがとうございます前回『14年間の軌跡(1)』に続き、これまでを振り返り、総括してみようと思います。とっかかりは「名越左源太」という人物を(高祖父ながら何も知りませんでしたので)知るところから始まりました。何しろ地元の歴史も、関わりがあるらしい島津家などについてもさっぱり頓着ない歴史オンチでしたので、母が買い集めたらしき歴史資料(主に書店で入手できる程度の出版物)の中から、『「さつま」歴史人名集』(稲葉行雄/高城書房)を見てみたのです。名越氏や我が家の名字などを目にし、島津氏の項目でたくさんの「〇〇島津家」「△△島津家」に戸惑いつつ、とりあえずは母がメモしていた「島津吉貴」「島津継豊」「須磨」のあたりから「探って」行くことにしました。また、『島津歴代略記』でも、初めは「吉貴」「継豊」のあた...14年間の軌跡(2)

  • 14年間の奇跡(1)

    いつもお読みいただき、ありがとうございます気付けば今日は、曽祖父が家族4人で今の家を継いだ日でありました。明治15年、西暦では1882年ということで、なんと140年前のことでした祖父は明治14年生まれ、生まれた時は名越家の人でした曽祖父以下、今の姓になって140年‥‥なんとも感慨深いものです。さて、このブログを始めて14年が経とうとしています。この間にはいろんなことがありました。近いところでは、昨年6月に95歳の誕生日目前だった父を送ることとなりました。そもそもこのブログを書き始めたきっかけは、以前にも書いていますが、なんとなく、ただ何となく書いてみたくなった、それだけなのです。『春分の日に、ブログを始めてみた。』2008-03-2016:45:19 このブログのことまた、2008年は大河ドラマで『篤姫』が放映...14年間の奇跡(1)

  • 『夢留』を読むために‥‥

    一つ前の記事で、下野敏見先生の訃報を目にしたこと、その記事に『南西諸島史料集』が紹介されていたことを書きました。↓『原点に帰る機会を頂いた』2022-03-12カテゴリー このブログのことところで、我が家の書棚になぜか高額の『南西諸島史料集』があります。この第二巻、「名越左源太関連史料」なので入手したものでしたけど、そこに収録されている『夢留』を読みたいがために、ごく平凡な一般市民の身でありながら18,000円(税別)もする「南西諸島史料集」を購入したことをすっかり忘れていました‥‥家に届いたのは2008年11月7日のことでしたただ、「現代語訳になって読めるのかと思っていたのは浅はかであった」と反省していたことまで、以前このブログで書いておりました(苦笑)↓『南西諸島史料集第二巻』2008-11-09カテゴリー...『夢留』を読むために‥‥

  • 原点に帰る機会を頂いた

    いつもお読み下さり、ありがとうございます近頃は少しずつ春めいて日中も暖かくなって来ましたねさて今日は、私にしては珍しく朝から当日の新聞を開いてみたところ、下野敏見氏の訃報を知りました。『下野敏見氏が死去92歳種子・屋久、トカラ…民俗研究60年余』https://373news.com/_news/storyid/152908/心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。私はこれまで面識などありませんが、お名前は『南島雑話の世界』(2002年発行、名越(なごし)護著)の巻末の諸先生方との座談会でそのお姿と共に目にしておりました。つい先日も、所々読み直していたところでしたが、正直申しますと、これまではつい左源太じい様の動向にばかり気持ちが向いて、巻頭からの「奄美の世界」についての記述にはざっと目を通しただけで...原点に帰る機会を頂いた

  • 剣術・川上天真流と槍術・鏡智流

    春ですね〜梅の花も咲いています近くの公園では桜の花が咲いているところもさて、先日、左源太じい様の武術について書いたのに→『旧国宝の刀発見から篤烈の槍術へ』剣術の流派と師範のことを書き忘れていました剣術は「川上天真流」とあったのだけど、ネットで検索した限りでは分かりませんでした。ただ師範は「加藤権兵衛」とのことだったので調べたら、『日本掃苔録掲示板』の「島津家関連」トピックの書き込み「南林寺由来墓」(2005.6.18)の暮石一覧に「4列目加藤権兵衛藩士・天真流」とありましたまだ南洲寺に行ってないけど、行く前にこの件を見つけられたのは良かったで、さらに槍術「鏡智流」について調べてみた。槍術の「鏡智流」では鹿児島大学デジタルコレクションに『鏡智流槍術由来』というものがあった。著者は「梅田九左衛門」とある。左源太じい...剣術・川上天真流と槍術・鏡智流

  • 旧国宝の刀発見から篤烈の槍術へ

    3月になりましたねいつも読みいただき、ありがとうございますさて、最近はFBでの投稿・活動が多いのですが、先日、鹿児島神宮の宝物の刀が見つかったというニュースから、刀剣のことを話題にしていたのです。それに関連して、日置市の青劔神社の刀は「三条小鍛冶宗近」の作だという話も知りました。刀剣には詳しくないのですが、たまたま刀剣・刀工の特集が載っている、父が以前購入していた雑誌を目にしたばかりだったので、それをパラパラめくって読んでいくうちに、刀はいつ頃から盛んに作られ出したのかとか、どのように変遷していったのかとかも気になったり、刀だけではなく、薙刀や槍はどうなのか?など興味が広がりました。そこから、そういえば左源太じい様についての説明書きにも「槍術」とあったなぁ、と、昨日は左源太じい様の槍術の流派を確認しようと、『鹿...旧国宝の刀発見から篤烈の槍術へ

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