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  • 興国寺墓地の和泉家の墓

    今日は一段とお寒うございます。いつもお読みいただき、ありがとうございますさて、バレンタインの日に再訪した興国寺墓地に和泉家の墓があり、気になって撮った写真が、2018年にブログにいただいたコメントと繫がりました!↓『島津登について』(2017.3.9)のコメント欄これは、2018年11月の「知覧のぼっけもん」さんのコメントから、曽祖父の養母・「於須賀」の最初の夫、「島津(務)久命」の墓ではないかと!「久命」(ひさ…のり?)という名前、例によっていろんな家に同じ名前があるのですが、この「和泉家」は「今和泉島津家」に繋がる家だし、ということで撮っておいてよかった♪でも、久命の隣の「和泉イマ子」様って、もしかしたら於須賀様と離縁した後の奥様なのか知らん?手前の「篠崎」という姓にも興味を惹かれる。名越彦太夫高房(名越氏...興国寺墓地の和泉家の墓

  • 興国寺墓地を再訪

    お天気が回復して気温も上がり、今日こそ行ってみようと興国寺墓地再訪を決行!今回は一人で思う存分廻って来ました♪ですが、2年近く前にブログに情報を頂いていた「町田家」(もしかしたら左源太の実母?)の墓石は見つけられず残念でした。。☆2020年4月29日にshinshinさんから頂いたコメントは→コチラです車を近くの駐車場にとめて、墓地まで歩き、13時到着。階段を登り切った右手から手始めに、それこそ虱潰しにチェックしました。・まず右手奥には「汾陽(かわみなみ)家」の一群(↓画像奥)・「三原家」の墓も入り口近くと中腹にも見つけましたが、「経」の文字が入ったお名前も気になりつつ曾祖母の家との関わりまでは分からず☆関連記事→『三原氏について知りたい』2020-10-12 三原藤五郎と倉山藤五郎・それから右手端をず〜っと見...興国寺墓地を再訪

  • 名越時敏が名越右源太篤烈だった頃

    いつもお読みいただきありがとうございますさて、前稿で「惠祥院殿菩提」の石塔について書きましたが、「名越右源太篤烈夫婦」ということはいったいいつ頃のことなのかを、はっきり認識しておいた方が良いだろうと思いつき、長女・イサさんの誕生日の1年前くらいを計算すれば、1839年(=天保10年)初めには夫婦だったのだろうと思うわけです。関連記事:『イサさん生誕170年!』2010-01-07カテゴリー:名越左源太と家族実は最近、島津登久包について新しい情報が届いたのです。それで思ったのですが、島津登久包は、高祖父・名越時敏の妻・タネの実父であり、高祖父の舅となったのが天保10年頃として、その頃に建立された石塔であろうと思われるわけです。また、高祖父は奄美・小宿に遠島時代(1850~1855年)の「南島雑話」の下書きにある署...名越時敏が名越右源太篤烈だった頃

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