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公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。

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2017/02/27

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  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、25

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、25◆4-2、教皇パウロ6世への手紙4)この説はまた、教会の一致に背くことを、ラッタンツィ神父は、次のように注意しています。もし、司教が支配権をうけるのが、教皇からでなく、叙階式によるのであれば、司教は、いつでも、どこにおいても、有効に支配権を行使することができることになります。そうすると、離教教会の司教は、公会議に、正式の教父として参加する権利があるといわねばならないことになります。しかし、事実は、そうでなく、教皇のはからいで、オブザーバーとして参加するとしても、それは、権利でなく、例外的な許可でしかありませんでしたと。5)叙階式による聖化職と、統治職(または、支配権)の区別は、12世紀以前にはなかったと、新しい説の支持者た...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、25

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、24

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、24◆4、教皇パウロ6世への手紙本書の37ページに書いてあるように、第二次ヴァティカン公会議では、教皇の首位権と、司教たちの権利について、大変な議論がありました。教会憲章の第三章の試案では、司教たちの権利を必要以上に主張するあまり、教皇の首位権に関する伝統的な教義がくらまされていました。その結果、教皇の不可謬権に対する第一次ヴァティカン公会議の信仰箇条までも、とり消したほうがいい、という意見が強くうち出されていました。ラッタンツィ神父は、自分の委員会仲間と相談して、公会議に参加する教父たちによびかけるだけでなく、教皇ご自身にも手紙を送って注意をうながしました。その手紙のなかから、おもな所だけを抜粋しましょう。試案の第三章21節...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、24

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、23

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、23「聖霊のマイク」として自分を使ってくださった神に、ウゴ神父は、どんなに感謝しても、したりないほどでした。病床の彼は、このようにいうことができました、「私は、聖母マリアの特権を守りました」と。また彼は、「神のおん母型マリア、私のためにお祈りください」と、取りつぎを願ってから、聖パウロの言葉を借りて言いました。「私は、良い戦いを戦い、走るべき道のりを走り尽くし、信仰を守った。既に、私の為に正義の冠が具えられている。正しい審判者である神は、それを私にくださるであろう。ただ、私だけではなく、その現われを愛したすべての人々に」(ティモテオ後4、7-8)と。病気は長びき、3か月もの苦しみの果てに、教皇さまからの特別な祝福を受けて後、1...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、23

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、22

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、22公会議の前後も、その進行中も、ウゴ神父は、正しい信仰を守るための記事をいろいろと書きました。その記事は、主として、教皇立大学の雑誌、あるいは、単行本としていろいろの出版社から出ています。その中のあるもの、とくに教墾の首位権と聖書に関するものは、スペイン語にも、フランス語にも翻訳されています。その翻訳を別にしても、彼の著は、全部で50点にものぼっています。1953年、ウゴ・ラッタンツィ神父は、「危険にさらされた酉洋」という本を出しました。当時は、ヨーロッパでは、共産主義の宣伝がさかんで、力トリック信者のなかにも、この罠にかかるものが少なくありませんでした。ウゴ神父は、共産主義の真の姿をみんなに示してやる必要を感じました。こう...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、22

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、21

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、21彼を中心としたこの仲間たちは、どんな方法でそれを実行したのでしょう。提出すべき3000部もの文書を印刷しました。そのタイトルには、「新しい神学教義の誤謬をあばく注意書き」と書いてあります。これを書いたのは、もちろん、ラッタンツィ神父その人です。こうして、この文書は、1963年の6月14日、第二次ヴァティカン公会議に参加するすべての教父たちに配られました。あとで、正式に教会憲章が教皇パウロ6世によって発布されたとき、まずこの文書が、前書き(ノータ・プレーヴィア)として読まれました。こうして、危なかった憲章の正しい意味が確かなものとなったのです。公会議の記録によりますと、この文書が読まれると、司祭司教たちの大部分が拍手喝釆して...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、21

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、20

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、20◆3、教皇首位権のために戦った人18年間も、こうして模範的な主任司祭の任務を果たし続けたウゴ神父に目をかけたものがいました。それは、ローマの教会関係者たちです。あれほどの天才を地方に埋もれさせるのは、もったいないと、1953年、彼をローマに呼びよせました。新しく任命された職務は、ローマ・ラテラン大学神学部の部長です。そして、まもなく、教皇ヨハネ23世によって、第二次ヴァティカン公会議が開かれると、彼は、教皇立神学委員会のメンバーとして選ばれることになりました。ウゴ神父の仕事は、教会憲章の作成に協力することです。その頃、公会議では、教皇の首位権と、司教たちの権利について、大変な議論がありました。こうして、準備されたのが、憲章...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、20

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、19

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、19それに、彼は、人を助けるためなら、命さえも危険に晒すこともやってのけるのでした。ヒットラーのユダヤ人虐殺の影響を受けたイタリア政府えさの軍人たちが、たえず餌をねらって目を光らせています。それで、ユダヤ人だった、ある教師は、生きた心地もありません。逃げまどうこの人を、ウゴ神父は、自分の司祭館にかくまいました。「ねえ、いいですか、決して司祭館を出てはなりませんよ。あなたが、ここにいる限り、私はきっと、あなたを守ってみせます」と言ったウゴ神父こそ、危険極まりない立場にいたのです!教会のあの大きな財産の主な物は、広い畑でした。そこには、たくさんの人々が働いていました。でも、そのやり方と言ったら、まったく原始的で、無気力で、収益は少...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、19

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、18

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、18第二次世界戦争がはじまると、ウゴ神父は、さっそく、「愛の十字軍」を組織して、みんなと協力して、多くの貧乏な人を助けたのでした。どうしようもない生活苦にあえぐ家庭の可哀そうな子どもたち、その15人も彼は、自分の財布で生活させました。非常に貧しいカプラニカ大神学校には、40名から50名の神学生がいました。また、フェルモ市には、貧しい女子カプチン会の修道院もあります。戦争になると、これらの所では、非常に食物が不足してきました。ウゴ神父は、腕をこまねて見ているようなことはありません。一策を考え、助けるために、教会所属の大きな畑のうちの幾分かを法的には貸すという名目で与えました。それに、彼は、人を助けるためなら、命さえも危険に晒すこ...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、18

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、17

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、17◆2、勇敢な司牧者1935年、彼は、昔、有名な大修道院があったカンポフィロネの主任司祭に任命されました。この小教区には、昔から、相当に大きな財産(畑)がありましたが、27年以上も以前から不正な横領をされていました。あのことは、単なる噂でないことを確かめたウゴは腹を決めて、説教台に立ちました。それは.1935年3月17日、赴任した最初の主日です。学識の評判の高い新任司祭をじっと見守る信者の目は尊敬と好意と好奇心に満ちています。でも、ウゴは、はっきりといいました。「みなさん、どうしたわけか知りませんが、もと、大修道院だったこの小教区、.数年まえから、全村民に、年に4回うどんを買うおかねを配る習慣ができています。この習慣は、みな...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、17

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、16

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、16◆、愛の段階1、地上のむなしさを認め、永遠の善にのみ愛着すること。2、たえず、イエズスのことを考えて、霊的聖体拝領をなし、心にとくにしばしば愛を燃え立たせること。3、何をするにも、私の花むこの愛のためにすること。4、いけにえとなり、苦しみを捧げる必要を感じるように。5、犠牲を惜しまないで、他人を愛すること。6、隣人にも花婿イエズスを愛させるように。7、神を、愛のために愛し、報いを考えないで、狂気のように愛すること」。このすぐ下に、「でも、私は、この第7の段階に、いつ辿りつけるだろうか」と書いています。この他にも、彼は、実生活のための生活の規則を14か条まで書いています。(写真:1934年5月26日弟フェデリコ神父の初ミサの...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、16

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、15

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、15この誓いをしてのち、かれは、同じ聖母の祝日に、自分の血で書いて、「愛と殉教」の恵みをイエズスとマリアに願いました。そして、⊂のノートにこう書き加えました、[「覚え書き。早く進歩するために、愛。たえず進歩するために、どうあっても望むこと。確実に進歩するするために、祈ること。私の霊魂よ、唯一の永遠の花婿として、イエズスを選んだからには、これからは、イエズス以外の何ものも愛してはならないことを思い出せ。他のものは皆、彼のために、そして、彼のうちにこそ、愛さねばならない」。「無原罪の聖母のもっとも清いおん手を通じて、私は、貞潔の願を立てます。そのために、シエナの聖女カタリナと同じ言葉を使います。「無原罪のおんやどりのもっとも聖なる...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、15

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、14

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、14◆、ウゴ・ラッタンツィ神父の日記続き★、何を取りついで頂きたいかについて聖母マリアへ私自身を全てマリアに捧げ尽くしました。マリアは、私の愛する母、妃であられます。他の聖人たちの取りつぎで別々に願っている恵みを全てマリアに願います。聖ヨゼフへ非常の時には、特別な恵みの取りつぎを願います。第二義的な保護者たちへある場合、私が必要としていることを気づかないでいる恵みを取りついでくださるように。すべての保護者に殉教者の王キリストに、偉大な聖徳と、信仰のために殉教者として死ぬ恵みを取りついでいただきたい」。「毎朝、御聖堂から務めに出かけるたびに、その日の聖人に、私に代わって、イエズスを礼拝してくださるように祈りたい。散歩などのおり、...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、14

  • ウゴ・ラッタンツィ神父の日記

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、13その日記が、わたしたちの霊性も導いてくれるように、ここでそのある箇所を紹介することにしましょう。◆、ウゴ・ラッタンツィ神父の日記「永遠の真理、光、愛であるあなたのみ前で、また、天の私たちの母であるマリアと聖なる保謹者、および天国のすべての霊魂の前で、私は、悪魔と世間と肉欲に、力の限り自分をすてて戦うことを誓います。でも、おおイエズスよ、それができるのは、あなたのみ恵みによってです。マリアよ、あなたの祝福によってです」(この誓いの言葉の下に、彼は、目分の血液で署名しました。)「おお、やさしいイエズスよ、私は、小さな行ないも、大きな行ないも、物質的な行ないも、精神的な行ないも、常にあなたのみ栄えのためにだけすることを誓います。...ウゴ・ラッタンツィ神父の日記

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、12

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、12ローマ教皇立大学には世界中か優秀な神学生が集まっています。ここで、素晴らしい進歩をとげていたウゴ・ラッタンツィは、この国際的環境を利用しないではいられません。まもなく、彼は、国語であるイタリア語と、教会語であるラテン語、聖書の言葉となっているギリシア語とヘブライ語はいうにおよばず、フランス語、ドイツ語、英語、スペイン語にも通じるようになりました。ただわかるだけでなく、その文学までも広く研究していたのです。そのうえさらに、ロシア語までマスターするようになり、こうして、8つか9つもの言語知識を得るようになりました。しかも、これら言蘂の知識を信仰を守るために、立派に利用したのです。学問の点からいえば、彼は、神学校の校長に対する約...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、12

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、11

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、11もちろん、隣近所の人は、このあわれな家族をほっておきません。いろいろと助けを提供しました。それにしても、大勢の小さな子どもを抱えて、母の苦労は並大抵ではありません。子どもたちを学校に通わせることも、できなくなってしまいました。弟のフェデリコも、脱毛症のことで悩みはじめています。あの当時に聖職者は、頭のてっぺんを丸く髪をそる習慣がありました。それでわんぱく仲問が彼をからかって、はやしたてるのでした。でも、つかまって殴られないように、4人の仲間は、4か所に分かれて叫びます。「キーエーリーコ!キーエーリーコ!」キエーリコとは、神学生、あるいは神父さまのことです。フェデリコは、とてもがまんできません。4人のうちのひとりでもいいから...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、11

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、10

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、10世の中は、最悪の状態になっていました。このイタリアも貧しさと伝染病の流行に悩まされはじめました。ウゴの家族も、その渦中にいました。それでも、ロザリオの聖母の祝日の前日には、父は病いをおして教会に出かけて行きました、明Eiの祝日の飾りつけをするためです。足場をくんだ少し高い所で飾りつけをしながら、父は、ふらふらっと、眩暈を感じました。とたんに、足をふみはずしたのです、あっという間もありません。みんなが集まってきて、大騒ぎしながら、彼を取り囲みました。「なあに、たいしたことはありませんよ、ちょっと怪我をしただけです」と、本人は言ったのですが、事実は、そうでなかったのです。弱り目に祟り目の例えのように、まもなく彼は、村の避病院で...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、10

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、8

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、8「ああ、なんてことをしてくれたんだ!」ウゴの父は、ものすごい勢いで、あの子の父親の所に、文句を言いに走ろうとしました。「ああ、お待ちになって!ねえ、いいじゃありませんか、あの子の両親を泣かせたからって.あなた、うちのウゴが治るわけでもないのですから」ウゴの母は、夫を宥めて言いました。これほどの損害を加えた人を許し、わが子のために祈るとは!ああ、そのとき、彼らは、イエズスのあの「許しなさい」のみことばをどれほどの英雄心で守っていたことでしょう!現代の世界には、考えられないことです。これほどの信仰を神が無関心でおられるはずはありませんでした。ウゴは、1年間学校にこそ行けませんでしたが、あれから村の医者の家に住みこんで、完全に治る...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、8

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、7

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、7「ありがとう。ところで、今日の学校はどうだったかい?」と父は微笑んでいます。「ええ、よかったよ、おとうさん。ぼく学校に行けてありがたいなあ!」とウゴ。この慰めの言葉は本当でした。少年は熱心に勉強していたのです。貧しい両親にとって、子どもを村の小学校に通わせることは、並大抵の犠牲ではありません。ウゴは、そのことをよく承知しているのです。ウゴは、この犠牲にちゃんと応えたのです。彼は、ただちにクラスどころか学校のトップになり、遊び時間でも親分格です。聖堂でミサ仕えする子どもたち仲間でも、すぐ頭(かしら)になってしまいます。今日も、村中の仲間を集めて、たこ上げ競争を指導しています。こんなに調子のよかったウゴにも、思いがけない嵐がやっ...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、7

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、6

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、6子どもたちは、子どもたちで、成長するにつれて、よく両親を助けました。朝は早くから起き出して、野原に焚き木を拾いに行き、垣根に沿って、山菜を集めたりなどしたものです。特に子どもたちの気にいっているのは、冒険心をそそる崖のある場所でした。わんぱくざかりのウゴ少年は、崖のふちに生えているエニシダがほしくてなりません。黄色い花が薬になるというの大人の問題、少年はこれで、立派な焚き木を作ろうと恩いました。思いきり手を伸ばしてひっぱりますと、根は頑固に抵抗し力あまって、ウゴ少年の体は、ずるずると、がけっぷちへのめり出していきました。「危い!」という叫びをのみこんで、目撃者の村人が父を呼びに走りました。今、少年の気をちらしたら、まっさかさ...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、6

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、5

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、5サン・ジュゼッペベキエレロボルタイルフォコソットイルマンテロ、ペスカラノストロシニョレカンタカンタベロフィオレ・・・「年老いたヨゼフ様は、マントの下に火をもっていました。御子イエズスを暖めるためです。さあ歌いなさい、美しい花よ、歌う美しいその花は、誰でしょう。イエズス・キリスト様!イエズスは説教しました、よく響く御声で。でも、イエズスは、亡くなられたのです。十字架の上で。おお、御母マリアよ、どこに行く?わたしの子を探しにです。もう3日も前から見ていませんもの、でもきっと、彼は蘇るでしょう………」。(挿絵左:子どもが生まれようとする産室の階段の下で祈る父)(写真右:ウゴの母マリア・モンテサント信仰深く献身的に子供への教育の使命...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、5

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、4

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、4いつもそうしてきたように、父は、今度も子どもが生まれようとする産室の階段の下にすわって、熱心に祈っていました。生まれてくる赤ん坊と、母親のために、神の恵みを願う「天にまします」の祈りを、もう60回も、心をこめて、唱えたのでした。母の名は、マリア・モンテサント。信仰深い彼女は、貧しさをものともせず、小さな機織機を熱心に働かせています。それは、子どもたちの服を織るだけでなく、近所の村々にお得意さんをもっていて、稼ぐためでした。「あら、まだラッタンツィさんの家じゃ灯がついているわ!」「まあ、なんと働きものの夫婦でしょう!」と、やがて、村じゅうの噂となったほど、夫婦はよく働きました。マリア・モンテサントの実家もまた、貧しかったので、...『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、4

  • 『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、3

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、3◆1、生い立ち闇夜にふと輝きはじめた美しい星々、その中の一つを、わたしはここに紹介したいと思います。その星の生まれたのは、前世紀のおわり頃、1899年の12月19日。その名をウゴ・エミリオ・ラッタンツィと呼びました。アレッサンドロの息子で、13人兄弟の5番目にあたります。靴屋稼業の貧しい父は、それでも教会の香部屋係りをしていて、深い信仰心から、子どもたちを神からの「贈り物」として大事に扱っていました。(写真:主人公ウゴ・ラッタンツィが生まれた村、小高い山に建てられ、昔の城壁の遺跡があり「しゅろの塔」と呼ばれていた。)『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、3

  • ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ

    『ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえこの小伝は、ウゴ・ラッタンツィ神父の弟フェデリコ・ラッタンツィ神父が、兄の死後、まだ2年とたたないうちに発行した伝記からの抜粋翻訳です。「自由な人」という題で、B5版360ページに書かれたこの本は、わずか8か月間に好評第5版を重ねて、(1970年11目23日初版、1971年6月15日第5版)イタリア政府から文化賞を授与されました。日本語版は、要約された小さなもので、わたし、デルコル神父が企画しました。ウゴ神父の素晴らしい人格、正しい信仰を守るかれの奮闘は、日本の教会に紹介する価値のあると信じて、出版の運びとなりました。公会議に与った司教たちのなかに、「司教たちは、教皇の番頭ではない」と言って、教皇の首位権を否定しようとした者があ...ウゴ・ラッタンツィ神父教会の忠実なしもべ

  • 教会の忠実なしもべ ウゴ・ラッタンツィ神父

    教会の忠実なしもべウゴ・ラッタンツィ神父◆愛の段階ウゴ・ラッタンツィ神父の霊的日記から1地上のむなしさを認め、永遠の善にのみ愛着すること。2たえずイエズスのことを考えて、心に愛を燃え立たせること。3何をするにも、心の花婿イエズスの愛のためにすること。4いけにえとなり、苦しみをささげる必要を感じるように。5犠牲を惜しまないで、他人を愛すること。6隣人にもイエズスを愛させるように。教会の忠実なしもべウゴ・ラッタンツィ神父

  • 目次

    フェイスブックにおいてあるグループに投稿・連載しています。そのかたわらで、こちらでもブログを営んでいます。=目次=1、地獄に関して2、聖リカルド・パンプーリ3、聖ドミニコ・サヴィオ4、地獄からの手紙5、悪魔について6、煉獄7、煉獄体験談8、シュステル枢機卿9、聖カジミロ10、身体障害者の聖人聖ヨゼフ・コトレンゴ目次

  • キリスト教における死者の追悼と慰霊

    〈特集「宗教と文化-東と西-」1〉キリスト教における死者の追悼と慰霊緒――キリスト教人間学の表現――言前置きとして、この講演はカトリック教会の典礼と教義に限定されているということを申し上げておきたい。東方正教会とプロテスタント教会も病人と死者のための奉事式を行う。この式は多くの点でカトリックの典礼に似ているか、ないしは全く同じである。あらゆるキリスト教社会の儀式を説明するのは本筋ではない。臨終、死、および死後の生命に関して、キリスト教会教義に於けるわずかの相違にお気付きになられたりもするであろうが、時間が限られているのでそれについては説明できない。1.臨終を迎えた者と死者に関するカトリック教会の典礼ルートヴィヒ・シックa.病人への塗油の秘蹟キリスト教徒は、人間の生命を、受胎ないし誕生とともに始まる終わりな...キリスト教における死者の追悼と慰霊

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