バブル後期、いやバブルがはじけていたけれど、庶民があまり気付いていなかった頃、ユーミンとドリカムは壮絶なアルバムの売り上げ競争を繰り広げていた。冬はユーミンの独壇場だったのに、ドリカムがそのあたりに発売日をぶつけてきたのだ。あまりそれに触れられた論評はな
人事部マネージャーによる、子宮がんの妻、日能研で2018年に中学受験の娘、その下の息子との東京生活。
いきなり、健康だった妻が子宮がんになった、と聞かされたら、サラリーマン各氏はどうしますか。 初めての娘の中学受験、どう向き合いますか。 新しいラグジュアリーホテルや、人気の食べ物屋ができたら、行ってみたいと思いませんか。 最近、会社に入ってくる若者をどう思いますか。 現代の就職活動っておかしくないですか。 それらに向き合って、文章化していきます。
極めて日本的情緒と感じるのが、国葬における菅前首相のスピーチの評判の良さだ。現職時にはその拙さが命取りだったと思うが、今回はその拙さにしてやられた。つまり、饒舌でない方が人の心を打つのだ。葬儀という特別な場だとは言え、不器用さがリアリティを生み、むしろ心
国葬だか国葬儀だかが終わった。感慨は特にないし、ちょっとおかしいかも知れないが、賛成でも反対でもない。というか、国葬にしなくてもいいと思っているが、もし私が判断する立場にいたら国葬を実施しただろう。つまり「そうした方がいいよね」という感じだ。実際、国葬を
でっかーい電気の秋葉原、でっかいでっかい石丸。いいもの、いい顔、いいお店、石丸石丸二重丸。石丸、石丸、電気のことなら石丸電気、石丸電気は秋葉原。調べたら、ちょっと記憶と歌詞が違うみたいだ。へんなの。にほんブログ村 にほんブログ 電気街アートミュージアム ネ
家電量販店が好きだと言っても、店内のあの音楽には閉口する。ソウルフルなヨドバシカメラ。幼稚なビックカメラ。何故か腹立たしいヤマダ電機。とにかくうるさい。しかし、腹が立つ割には、いつのまにか口ずんでいる自分がいる。スーパーのサカナサカナサカナー、というのも
家電量販店というものは、割と個人的な好みがみんな異なる気がする。もちろん、家の近所に選択肢があれば、ということだが。私は近所にはあまりないのだが、ノジマというところに好感を持っている。メーカー販売員がいない唯一の家電量販店と言っている。そんなこと断言して
人事で悩ましいのは、人間関係の悩みを打ち明けられることである。ルールが守られていなかったり、ハラスメントの範疇ならともかく、誰々さんと一緒だと耐えられないとか、メンタルに不調をきたすとかいう話は解決が難しい。てか一定程度そういうことは当たり前で、私だって
人事だからか、いやもっと昔から人に相談をされることが多い。現実的に求められていることが明確であれば、かなりの確率で解決することができる。しかし、当然ながら「打つ手がない」相談をされても解決しない。それはともかく、私は人に相談をしたことがない。したいとも思
私にだって悩みはある。長期的なものが二つ、中期的なものが一つ、といったところだ。大きいものは。それらは自分では解決のしようもないし、成り行きに任せて、然るべき問題が発生したら、その場で考えるしかない。そういう意味では悩みとも言えないのかもしれない。私の心
【後日付記】私のマンション名認識に誤りがあるようです。以下、近日中に訂正します。(9月19日)多少調べてみたら、意外と芸能人がマンションのCMに出ていることが分かった。本木雅弘、新庄剛志、田原俊彦、中谷美紀、田村正和、黒木瞳、リチャード・ギア、マドンナ、オダギリ
その昔、レオナルドディカプリオがマンションのCMに出た。印象的だったのは「ニシアライ」と言ったことだ。単なるイメージビデオ的なものでなく「西新井」と口にしたのだ。マドンナも「ブリリアマーレアリアケ」と言ったが、ニシアライのインパクトには勝てない。ハリウッ
やっぱりブランドマンションは、そうでないマンションより住み心地が良いのだろうか。まあ、どう考えてもそうだろう。というか、ブランドものにある程度共通することだろうが、ブランドマンションだから必ずしも住み心地が良いとは言い切れないが、そうでないマンションより
人は何歳頃からブランドを意識するのだろうか。私の世代/感覚では、男の子だと、運動具や靴などという感じではなかろうか。アシックスやナイキのシューズあたりで目覚める。私のような特定のスポーツに興味関心がない層でも、小学校の高学年になると、やはり体育の時間に履く
少し前に近所にマンションができた。三井とか地所とか野村ではない、私にとってのブランドではないが、やたら値段が高い。ご近所の不動産価値が高いことは良いことではあるけれど、さすがに高すぎる。それに実際、大した物件には見えない。私の目が肥えていないせいもあるだ
とうとう純粋にkindle(アプリ)に手を出してしまった。変な感想だが、思ったより良くはないな、という印象だ。紙の本と比べて情緒どうこうではなく、単に使い勝手も含め、もう少し改良の余地があるのではないか。私のiPhoneが最新型ではないせいもあるかも知れないが、ペー
西村賢太氏であれ、田中康夫氏であれ、日記の常として、誰と喧嘩をしているとか、誰のことは嫌いだとかアホちゃうか、ということがほぼ実名で記されている。まあ、それが面白いとも言えるのだが、余程「いい度胸」でないとこれはできない。或いは、自分に自信がないと。私は
西村賢太氏の日記の中で特筆すべきは食生活である。まさに本能の赴くままに、大量に飲み、そして食っている。深更、缶ビール一本、黄桜辛口一献を冷やで五合。手製のベーコンエッグとレトルトのビーフシチュー、納豆二パック。最後に、冷食の焼きおにぎり四個。帰路、喜多方
西村賢太氏の小説(作者は「私小説」ということにこだわっているようだ)は、読んでいて即物的には気持ちが良くない。人間の醜さや欲望などが、あまりにストレートに描かれているからだ。特に、若い男性なんてものは往々にしてどこかちょっとおかしいものだが、現実社会では
自分でもよく分からないのだが、最近(になって)西村賢太という作家の本を読んでいる。それも、初の電子ブックである。我ながら変な時代がきたものだと思う。西村賢太氏は私小説家として芥川賞を取って、早くに亡くなった。私とはあまりに違う人生を過ごしたようだが、なんと
色々とホテルや旅の話をしたが、要するに今は旅行に行けないので、仕方なく過去の旅を思い出して自らを慰めているのである。まとめると、私の好きなホテルは内省的になれて、後で印象が深く残ることが重要(のよう)だ。あの時はこんなふうに考えていたな、とホテルの風景とセ
コロナのせいではないけれど、確かに海外に旅行に行くとしたら、今までと何かが変わってしまった気がする。分かりやすく言うと、買いたい物がなく、体力が落ちているからだ。そして言うなれば新たに行きたいというところがもうないのだ。もう一度行きたい、こんどはあそこで
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バブル後期、いやバブルがはじけていたけれど、庶民があまり気付いていなかった頃、ユーミンとドリカムは壮絶なアルバムの売り上げ競争を繰り広げていた。冬はユーミンの独壇場だったのに、ドリカムがそのあたりに発売日をぶつけてきたのだ。あまりそれに触れられた論評はな
バブル期前後のユーミンの唄を聴いていると、今では存在しない道具や作法が登場する。例えば、リフレインが叫んでるでは、擦り切れたカセットという歌詞が出てくる。CDでさえ或いはMDだって死語だが、カセットときたもんだ。おまけに擦り切れるなんて、摩擦系の音楽再生装
ユーミンの曲の中では特に佳曲というわけでもないが、ふってあげるという曲は印象的である。ストーリーとしても、曲のアレンジとしても魅力的で、今となっては古くもあるが聴かせるポイントが多々ある。相手を思うあまり、身をひく(死語)という唄である。今夜私死んでしま
Wikipediaによると「(一部略)、フジテレビは月9ドラマ「すてきな片想い」、1991年1月 - 3月の「東京ラブストーリー」(脚本:坂元裕二)、1991年7月1日 - 1991年9月16日の「101回目のプロポーズ」(脚本:野島伸司)を「純愛三部作」と名付けた」とある。一方で、「ダイア
今さら書く話題ではないが、東横線の渋谷駅は酷い。どうしたらこういう造りになるのか、責任者出てこいと言いたくなる。一方で、三田から日吉へは、今となっては直通電車があるらしい。20世紀にはなかったルートだし、目蒲線改め東急目黒線は、もはや3両編成ではないのだ。ま
残念なことだと思うのだが、娘の大学は1、2年生のキャンパスがちょっと遠い。慣れ親しんだ都心を離れ、初めて「ちょっと遠い」キャンパスまで通うことになる。いま思えば、日能研の模試で、そこには行ったことがある。まさかあの時に、ここの大学生になるとは考えてもいなか
サークルと履修を固めれれば大学生活の基礎が固まる。と思っていた。私が大学に入った時に。SNSどころかPCも事実上なかったので、世界は単純であった。娘が大学生になった今も、冒頭一行目はそのままだと思う。しかし、今振り返ると、私はやはり4年間をどう過ごすか、という
大学生になってしっかり勉強をしたいと思っていても、知り合った先輩は口を揃えて楽な授業の履修を薦めてくる。楽に単位が取れる授業、そしてどんなに頑張っても単位の修得が難しいの情報が新入生に伝えられる。ああ、大学生の授業ってこういう感じなんだと知らされる。1年生
娘がどのサークルに入るか悩んでいる。悩んでいる、というほど真面目に考えているわけではないが、考えあぐねている。勧誘されて、下(附属)上がりだと分かると、態度が急変する先輩もいるそうだ。我々の時代と違うのは、スマホというかSNSを使った勧誘ということだ。チラシや
桜だらだら咲いているせいで春が長い。最近は時の経つのが早いと思っていたが、最近はそうではない。早く夏になって秋になって冬になって欲しい。あと何年でリタイヤできるのだろうか。まだ指折り数えるところに届かない。しかし、平和に年をとって、引退できるほど人生って
会社とか職場によると思うが、私の周りではすっかり飲み会が減った。個人ではコロナ前に戻ったが、いわゆる「職場で」はかなり減った。これに影響を受けるのは、新入社員、そしてもちろん2020年以降入社組の若手である。そもそも、義務的な飲み会なんて、という風潮もあるし
それにしても、会社を「人柄」のようなもので選ぼうという若者、特に学生は多い。気持ちは分かる。入ってみたら、悪人ばかりだったなんていう赤い銀行みたいなことはよくある。就職活動中は良さげな人ばかり登場して、さんざん「社風は自由で何でも言い合えるフラットな云々
とはいえ、会社なんて「雰囲気がいい」とか「良い人が多い」(或いはその逆)というのは幻想である。もしくは偶然である。でも、本当に赤い銀行の人はあんまりいい感じがしないことは確かだ。私は丸の内の住人なので、赤い銀行との付き合いも多いし、応援してあげたい(と上
それはともかく赤い信託銀行には知り合いが多くいる。良い人がとても多い会社だ。兄弟の銀行とはエラい違いだ。もともと信託銀行さんの気風は独立志向というか、赤いグループの一員でありながら、銀行さんとは別ですから、という感じでやってきた。しかしここ最近は、銀行は
新年度。中学受験から6年が経って、娘も大学生だ。コロナも収まったし、実り多き大学生活にして欲しい。文学部に行きたいと言ったらどうしようかと思っていたが、自ら社会科学系の学部を選んでくれた。思えば中学入学時にはハイレベルな授業についていけるか心配であったが、
テレビで信託銀行のCMをよくやってる。ふぞろいの林檎たちみたいでちょっと違う組み合わせだったり、佐藤浩一が信託銀行員だったりという感じで、どれも今いち出来の良くないCMだと思うが、案外感情移入しちゃう若年寄りは多いのかもしれない。しかし、信じて託すってすごい
大谷翔平さんではないが、何を信じるか、誰を信じるかというのは、人生においてとても大事である。ところで、あなたは会社を信じられますか。あなたの勤めている会社を信じていますか。ボードメンバーの言うようなことではないが、会社なんてとても信じられない。会社なんて
今年度も残すところあと数日である。感慨深い一年間の締めくくりとなる。基本的に、自分のキャリアも上り詰めた感があって、燃え尽きた気がする。もう野心も何も残っていない。それでも生きていかねばならないのか。そんな気持ちになったこの一年であった。毎年、桜の花を見
花見らしい花見って、もうしばらくやってない。昔、花見の時期に千鳥ヶ淵のフェアモントホテルによく部屋を取った。高校生とか大学生の頃だ。今思えば、バブルとはいえイカれている。そして、よく簡単に予約が取れたもんだ。戦後GHQの要請で、とか聞いたけど確かに造りは古か
咲きそうで咲かない東京の桜。なんで今日はこんなに寒いんだろうと思いつつ、やはり寒さのピークは越えたようだ。寒くても不快、生暖かくても不快。坊主憎けりゃ春の全てが憎い。5月の連休が待ち遠しい。にほんブログ村 にほんブログ 薬師窯 五月人形 端午の節句 錦彩 出世
会社で人事担当の最高責任者をしていても、よく分からないことがある。それは、私の年収は世間でどれくらいの立ち位置なんだろうか、ということだ。平均年収とか中央値とか分布とか見ても、相当高くもらっていることは間違いない。しかし、暮らし向きというか、世間での立ち
いつから日本はこんな国になったのであろうか。現職の首相が襲撃されて間一髪だったようだ。選挙制度に不満を持っていたようである。ここで、その主張も一理あるなんてことを言ってはいけないようである。例え影響力ゼロの駄文であっても。予言ではないが、そろそろもっと大
とにかく、メトロの駅前にいる区議会議員候補がウザいなあというのが出発点である。同意できない政策、名前や政党名の連呼、たすき、作り笑顔。すべてが癪に障る。ただ、民主主義を守るうえで選挙が非常に重要であることは間違いない。なんだかんだ言ってきたが、民主主義や
新しい政党を立ち上げるにしても、名前が問題だ。というか、良い名前がない。NHK党→なんとか48みたいな感じで、名前なんてどうでもいいのだが、さすがにそこまでふざけるのも気が引ける。今までに変だなと思った党名。みんなの党太陽の党たちあがれ日本れいわ新選組新自由ク
統一地方選挙前半戦では、維新の会?の躍進が話題となった。特に、奈良県知事を制したことが大きく取り上げられていたが、なんていうことはなく、単に自民党が割れて取りこぼしただけみたいだ。うまく言えないが、なんだかこの維新の会ってのはしっくりこない。胡散臭いとい
選挙の顔、じゃなくて選挙は顔、という話である。やっぱり顔が良いと有利なんじゃないか。徳島県知事選を見て思う。現職、元参議院議員の保守三つ巴を制した。他にもいわゆる野党系の人もいたのだろうけど、それは知らん。もちろん後藤田正純さんは、後藤田正晴さんの息子で
でも、選挙に出るなんて、普通に格好悪い。元speedだって、元おニャン子だって、自分が受かるって分かってるから我慢したんだろうけど、普通の神経じゃ選挙出られないよ。たすき、ハチマキ、だるま。選挙カー、握手、名前の連呼。普通無理だよね、元光GENJIの人が選挙に出る
要するに、我々世代というかレイヤーというかにちょうど良い政党がないのだ。自民党とか立憲なんとかとか共産党とか、結局は幅広いターゲットを狙い過ぎて、ハマらないのだ。そこで、維新の会やらNHKみたいなワンイシュー(一つの分かりやすい政策)が一定の支持を集める。こ
ちょっとご相談ががあるんですけど。なんでしょうか。政党を作ってみたい。というわけで、ヒマとお金があったら、政党を作ってみたい。戦略的にやれば、どんな議会でも、一議席くらい取れるんじゃないかと思う。自治体の首長や衆議院小選挙区みたいに席が一つしかなければ無
NHKとか参政とか維新とか、いくつかの政党がある。なんでこんなにパッとしないというか、惹かれないのだろう。それは既存政党が魅力的だからだ。なわけない。私見だが、結局のところ政党とは各種議員になるための手段に過ぎないということではなかろうか。或いは、それを経て
メトロの駅前に区議選候補者がいる。邪魔だし、うるさい。政策論争ではなく、ただ名前の連呼である。都心区だからといって全然洗練されていない。とはいえ、区長選は、無投票になるのだろうか。それはそれで困るというか情けない。70歳で初当選、今度は74歳で再選を目指すそ
新しい年度である。いかにも新入社員という方々を丸の内界隈で見かける。希望とやる気に満ち、目が輝いている。というのは嘘で、年々そう感じなくなってきた。そもそもあまり新人研修が丸の内界隈で行われていないのではないか。大企業は密にならない環境で、どこか別のとこ
さらば坂本龍一。数回しか(ライブで)お会いできなかったが、偉大な音楽家であった。簡単に右とか左とか言ってほしくないのだが、私は教授の思想信条も含めて好きだった。もちろん100%重なるわけではないだろうが、少なくとも脱原発という考え方には共感できた。それはともか
というわけで、偶然教を立ち上げることにした。この世はすべて偶然である。だから努力してもムダだし、神の慈悲もない。受験勉強も多少はした方がいいけど頑張りすぎない。その頑張り具合は偶然の確立を多少上げたり下げたりするが、大差ない。東大に入っても不幸になるかも
逆に偶然なんてない、と考えてみよう。偶然と思えた出会いや、受験の結果や就職先、配偶者、子ども、すべて偶然ではないのだ。さて。ってことは、それは運命と呼ぶのか、必然なのか。運命は誰が決めるのか。その必然に必然性があるのか。そう考えると、つまり偶然を否定する
プランドハップンスタンス理論というものがある。Planned Happenstance.英語から起こしてそのままではあるが、訳してもよく分からない「計画された偶然」となる。ざっくり言えば「キャリアというものは偶然の要素によって8割が左右され、偶然に対してポジティブなスタンスで
あっさり認めてしまえば、WBCの準決勝と決勝は見応えがあった。元々野球ファンでもなく、テレビの「盛り上げよう感」にイラついていた自分としては、まあ意外ではあった。最初の、というか予選で、チェコやオーストラリアと戦っているあたりでは、さすがに盛り上げ方に疑問と
子どもの頃、買物は西友ストア(そうだ、西友は西友ストアだったような)に加え、駅前の商店街というものもあった。肉屋、魚屋、八百屋があった。あとは花屋と酒屋とパン屋もあった。肉屋は同級生の家が経営していた。同級生(男)は著しく性格が悪かった記憶がある。彼は肉
よく周囲の人に「コストコで買物をしそうな人」と言われる。そのとおり、コストコで買物をすることは楽しいと思う。でも実際にはあまりいかない。会員ですらない。行けば無駄なものを爆買いし、結果として食べ過ぎて太ってしまうだけだから。以前は、(私の勘違いでなければ
食品商社の人と話をしたときに、日本の食料品小売マーケットは諸外国と比べ特殊で、地域性、季節性が色濃くあるので、アメリカやヨーロッパのように、巨大スーパー(特に外資系)が成り立ちにくい、ということであった。だからWalmartもカルフールも日本で単独で戦えない、み