ユーミンとドリカムのことを書きつつ、間違ったことを書いていないかwebで調べていた。そしたらなんだか私のドリカムに対する感覚が、(現代の)世間のそれとズレていることに気付いた。私は、ドリカムは(私の好き嫌いに関わらず)エスタブリッシュメントというかスーパース
人事部マネージャーによる、子宮がんの妻、日能研で2018年に中学受験の娘、その下の息子との東京生活。
いきなり、健康だった妻が子宮がんになった、と聞かされたら、サラリーマン各氏はどうしますか。 初めての娘の中学受験、どう向き合いますか。 新しいラグジュアリーホテルや、人気の食べ物屋ができたら、行ってみたいと思いませんか。 最近、会社に入ってくる若者をどう思いますか。 現代の就職活動っておかしくないですか。 それらに向き合って、文章化していきます。
妻のがんは、私の知る限り、手術後4年経つが、悪い知らせは何もない。一方、私が敬愛する坂本龍一氏については、心の底から心配である。さて、さすがに中学受験について、茶化さずに何か書こうと思う。今年もメトロの駅で日能研の「がんばれ中学受験生」のポスターを目にして
結局、札幌に戻ってきた。もう夜遅い。千歳からの飛行機は明後日の午後だ。もう1日ある、さて明日はどうしようか。青春18切符は、もう1日分ある。使用履歴をまとめると、札幌から旭川経由北見まで。北見から旭川経由(北比布に寄って)名寄まで。名寄から音威子府往復。名寄
宗谷本線で旭川に向かう。どちらかといえば帰路という風情だ。寂しいな、と思う。もう二度と来ないかもしれないし、そもそもこの路線がいつまであるかも分からない。旭川は、下界というか、リアルワールドという感じだ。近代的な駅にイオンまでくっついている。それも、名寄
夏に北海道鉄道一人旅をした話に戻る。さらにもう一駅、宗谷本線の秘境駅みたいなところで下車した。ほぼ当てずっぽうのように適当な駅で降りたのだが、だんだんこのあたりの勘所が分かってきた。名寄から音威子府あたりの宗谷本線は、ほぼ天塩川(てしおがわ)に沿っている
ふと気付くと、中学受験シーズンである。毎回「受験ブログ」というロゴを載せておいて、「気付くと中学受験シーズン」とは酷い話ではある。アクセスログを見ると、この季節らしい、過去の受験ネタが多く読まれている。きっと、娘だか息子の受験時間を待ちながら、スターバッ
北比布駅で降りて、音威子府で蕎麦を食べて、もう宗谷本線はネタ切れである。名寄のイオンで時間を潰すのは不毛である。不毛の地での不毛な消耗。しかしもう一日、青春18切符を使ってもいい感じだ。日にちが余って札幌で過ごすのは避けたいというのが本音である。そこで
「おといねっぷ」と読みます。駅そばが有名とのこと。黒い蕎麦。まあいいか、行ってみよう。名寄から1時間半くらい。到着、嫌な予感は的中、駅そばはやってない。コロナのせいにしているが、本当だろうか。しかし、近くの道の駅と、ちょっと歩くが食堂でも同じ黒い蕎麦を供し
旭川より北には、まともなホテルがない。個人の感想です。稚内にはなくはないのかも知れないが、今回は稚内には行かない。前に訪れたことがあるが、2回行きたくなる街ではない。稚内の手前までは行きたいけれど。旭川から稚内までは、普通列車で5時間とか6時間かかる。とても
よく妻が言うのは「男の人のそういうところが理解できない」というものだ。あまり男性と一般化されるのも、男性の一人として不本意だ。男だっていろいろだ。今や職場で「だから女は」なんて言おうものなら、私の職業人生はおしまいである。それはともかく、妻も私に対してそ
札幌で昼寝から起きるともう薄暮の頃であった。せっかくなので大通り公園あたりまで散歩する。東京のように暑苦しいことはなく、非常に快適な夏の夕暮れである。昼に散々ジンギスカンとビールを飲み食いしたので、夕食は抜きである。部屋に戻って、コンビニで買った酒を飲み
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ユーミンとドリカムのことを書きつつ、間違ったことを書いていないかwebで調べていた。そしたらなんだか私のドリカムに対する感覚が、(現代の)世間のそれとズレていることに気付いた。私は、ドリカムは(私の好き嫌いに関わらず)エスタブリッシュメントというかスーパース
バブル後期、いやバブルがはじけていたけれど庶民がまだそれにあまり気付いていなかった頃、ユーミンとドリカムは壮絶なアルバムの売り上げ競争を繰り広げていた。冬はユーミンの独壇場だったのに、ドリカムがそのあたりに発売日をぶつけてきたのだ。あまりそれに触れられた
バブル期前後のユーミンの唄を聴いていると、今では存在しない道具や作法が登場する。例えば、リフレインが叫んでるでは、擦り切れたカセットという歌詞が出てくる。CDでさえ或いはMDだって死語だが、カセットときたもんだ。おまけに擦り切れるなんて、摩擦系の音楽再生装
ユーミンの曲の中では特に佳曲というわけでもないが、ふってあげるという曲は印象的である。ストーリーとしても、曲のアレンジとしても魅力的で、今となっては古くもあるが聴かせるポイントが多々ある。相手を思うあまり、身をひく(死語)という唄である。今夜私死んでしま
Wikipediaによると「(一部略)、フジテレビは月9ドラマ「すてきな片想い」、1991年1月 - 3月の「東京ラブストーリー」(脚本:坂元裕二)、1991年7月1日 - 1991年9月16日の「101回目のプロポーズ」(脚本:野島伸司)を「純愛三部作」と名付けた」とある。一方で、「ダイア
今さら書く話題ではないが、東横線の渋谷駅は酷い。どうしたらこういう造りになるのか、責任者出てこいと言いたくなる。一方で、三田から日吉へは、今となっては直通電車があるらしい。20世紀にはなかったルートだし、目蒲線改め東急目黒線は、もはや3両編成ではないのだ。ま
残念なことだと思うのだが、娘の大学は1、2年生のキャンパスがちょっと遠い。慣れ親しんだ都心を離れ、初めて「ちょっと遠い」キャンパスまで通うことになる。いま思えば、日能研の模試で、そこには行ったことがある。まさかあの時に、ここの大学生になるとは考えてもいなか
サークルと履修を固めれれば大学生活の基礎が固まる。と思っていた。私が大学に入った時に。SNSどころかPCも事実上なかったので、世界は単純であった。娘が大学生になった今も、冒頭一行目はそのままだと思う。しかし、今振り返ると、私はやはり4年間をどう過ごすか、という
大学生になってしっかり勉強をしたいと思っていても、知り合った先輩は口を揃えて楽な授業の履修を薦めてくる。楽に単位が取れる授業、そしてどんなに頑張っても単位の修得が難しいの情報が新入生に伝えられる。ああ、大学生の授業ってこういう感じなんだと知らされる。1年生
娘がどのサークルに入るか悩んでいる。悩んでいる、というほど真面目に考えているわけではないが、考えあぐねている。勧誘されて、下(附属)上がりだと分かると、態度が急変する先輩もいるそうだ。我々の時代と違うのは、スマホというかSNSを使った勧誘ということだ。チラシや
桜だらだら咲いているせいで春が長い。最近は時の経つのが早いと思っていたが、最近はそうではない。早く夏になって秋になって冬になって欲しい。あと何年でリタイヤできるのだろうか。まだ指折り数えるところに届かない。しかし、平和に年をとって、引退できるほど人生って
会社とか職場によると思うが、私の周りではすっかり飲み会が減った。個人ではコロナ前に戻ったが、いわゆる「職場で」はかなり減った。これに影響を受けるのは、新入社員、そしてもちろん2020年以降入社組の若手である。そもそも、義務的な飲み会なんて、という風潮もあるし
それにしても、会社を「人柄」のようなもので選ぼうという若者、特に学生は多い。気持ちは分かる。入ってみたら、悪人ばかりだったなんていう赤い銀行みたいなことはよくある。就職活動中は良さげな人ばかり登場して、さんざん「社風は自由で何でも言い合えるフラットな云々
とはいえ、会社なんて「雰囲気がいい」とか「良い人が多い」(或いはその逆)というのは幻想である。もしくは偶然である。でも、本当に赤い銀行の人はあんまりいい感じがしないことは確かだ。私は丸の内の住人なので、赤い銀行との付き合いも多いし、応援してあげたい(と上
それはともかく赤い信託銀行には知り合いが多くいる。良い人がとても多い会社だ。兄弟の銀行とはエラい違いだ。もともと信託銀行さんの気風は独立志向というか、赤いグループの一員でありながら、銀行さんとは別ですから、という感じでやってきた。しかしここ最近は、銀行は
新年度。中学受験から6年が経って、娘も大学生だ。コロナも収まったし、実り多き大学生活にして欲しい。文学部に行きたいと言ったらどうしようかと思っていたが、自ら社会科学系の学部を選んでくれた。思えば中学入学時にはハイレベルな授業についていけるか心配であったが、
テレビで信託銀行のCMをよくやってる。ふぞろいの林檎たちみたいでちょっと違う組み合わせだったり、佐藤浩一が信託銀行員だったりという感じで、どれも今いち出来の良くないCMだと思うが、案外感情移入しちゃう若年寄りは多いのかもしれない。しかし、信じて託すってすごい
大谷翔平さんではないが、何を信じるか、誰を信じるかというのは、人生においてとても大事である。ところで、あなたは会社を信じられますか。あなたの勤めている会社を信じていますか。ボードメンバーの言うようなことではないが、会社なんてとても信じられない。会社なんて
今年度も残すところあと数日である。感慨深い一年間の締めくくりとなる。基本的に、自分のキャリアも上り詰めた感があって、燃え尽きた気がする。もう野心も何も残っていない。それでも生きていかねばならないのか。そんな気持ちになったこの一年であった。毎年、桜の花を見
花見らしい花見って、もうしばらくやってない。昔、花見の時期に千鳥ヶ淵のフェアモントホテルによく部屋を取った。高校生とか大学生の頃だ。今思えば、バブルとはいえイカれている。そして、よく簡単に予約が取れたもんだ。戦後GHQの要請で、とか聞いたけど確かに造りは古か
或いは、傲慢とまでは言わないが、慢心くらいはあったかもしれない。もうとっくにギラギラせず、野心もなく、どちらかと言えば余生みたいな感じになっていた。普通は傲慢とギラギラが結びつくものだが、私はそういうタイプでなく、向上心もないからいつの間にか誰にどう思わ
自信満々のくせに、ときどき内省的になるのが私である。変なの。最近気になるのは、私は傲慢だったのではないか、ということである。より正確に言うならば、周りに傲慢と見られていたのではないか、ということだ。おそらく、だけと私は傲慢な人間ではない。謙虚とまで言うと
マスクまだしてますか。私は大体している。花粉対策として。周りは緩和されてきたというか、しない人が増えてきた。これで、多少は感染率も高まるのだろうか。コロナはもう過去のものなのだろうか。よく分からない。結局のところ、過去に高値掴みしたマスクをある程度使い切
会社で人事担当の最高責任者をしていても、よく分からないことがある。それは、私の年収は世間でどれくらいの立ち位置なんだろうか、ということだ。平均年収とか中央値とか分布とか見ても、相当高くもらっていることは間違いない。しかし、暮らし向きというか、世間での立ち
いつから日本はこんな国になったのであろうか。現職の首相が襲撃されて間一髪だったようだ。選挙制度に不満を持っていたようである。ここで、その主張も一理あるなんてことを言ってはいけないようである。例え影響力ゼロの駄文であっても。予言ではないが、そろそろもっと大
とにかく、メトロの駅前にいる区議会議員候補がウザいなあというのが出発点である。同意できない政策、名前や政党名の連呼、たすき、作り笑顔。すべてが癪に障る。ただ、民主主義を守るうえで選挙が非常に重要であることは間違いない。なんだかんだ言ってきたが、民主主義や
新しい政党を立ち上げるにしても、名前が問題だ。というか、良い名前がない。NHK党→なんとか48みたいな感じで、名前なんてどうでもいいのだが、さすがにそこまでふざけるのも気が引ける。今までに変だなと思った党名。みんなの党太陽の党たちあがれ日本れいわ新選組新自由ク
統一地方選挙前半戦では、維新の会?の躍進が話題となった。特に、奈良県知事を制したことが大きく取り上げられていたが、なんていうことはなく、単に自民党が割れて取りこぼしただけみたいだ。うまく言えないが、なんだかこの維新の会ってのはしっくりこない。胡散臭いとい
選挙の顔、じゃなくて選挙は顔、という話である。やっぱり顔が良いと有利なんじゃないか。徳島県知事選を見て思う。現職、元参議院議員の保守三つ巴を制した。他にもいわゆる野党系の人もいたのだろうけど、それは知らん。もちろん後藤田正純さんは、後藤田正晴さんの息子で
でも、選挙に出るなんて、普通に格好悪い。元speedだって、元おニャン子だって、自分が受かるって分かってるから我慢したんだろうけど、普通の神経じゃ選挙出られないよ。たすき、ハチマキ、だるま。選挙カー、握手、名前の連呼。普通無理だよね、元光GENJIの人が選挙に出る
要するに、我々世代というかレイヤーというかにちょうど良い政党がないのだ。自民党とか立憲なんとかとか共産党とか、結局は幅広いターゲットを狙い過ぎて、ハマらないのだ。そこで、維新の会やらNHKみたいなワンイシュー(一つの分かりやすい政策)が一定の支持を集める。こ
ちょっとご相談ががあるんですけど。なんでしょうか。政党を作ってみたい。というわけで、ヒマとお金があったら、政党を作ってみたい。戦略的にやれば、どんな議会でも、一議席くらい取れるんじゃないかと思う。自治体の首長や衆議院小選挙区みたいに席が一つしかなければ無
NHKとか参政とか維新とか、いくつかの政党がある。なんでこんなにパッとしないというか、惹かれないのだろう。それは既存政党が魅力的だからだ。なわけない。私見だが、結局のところ政党とは各種議員になるための手段に過ぎないということではなかろうか。或いは、それを経て
メトロの駅前に区議選候補者がいる。邪魔だし、うるさい。政策論争ではなく、ただ名前の連呼である。都心区だからといって全然洗練されていない。とはいえ、区長選は、無投票になるのだろうか。それはそれで困るというか情けない。70歳で初当選、今度は74歳で再選を目指すそ
新しい年度である。いかにも新入社員という方々を丸の内界隈で見かける。希望とやる気に満ち、目が輝いている。というのは嘘で、年々そう感じなくなってきた。そもそもあまり新人研修が丸の内界隈で行われていないのではないか。大企業は密にならない環境で、どこか別のとこ
さらば坂本龍一。数回しか(ライブで)お会いできなかったが、偉大な音楽家であった。簡単に右とか左とか言ってほしくないのだが、私は教授の思想信条も含めて好きだった。もちろん100%重なるわけではないだろうが、少なくとも脱原発という考え方には共感できた。それはともか
というわけで、偶然教を立ち上げることにした。この世はすべて偶然である。だから努力してもムダだし、神の慈悲もない。受験勉強も多少はした方がいいけど頑張りすぎない。その頑張り具合は偶然の確立を多少上げたり下げたりするが、大差ない。東大に入っても不幸になるかも
逆に偶然なんてない、と考えてみよう。偶然と思えた出会いや、受験の結果や就職先、配偶者、子ども、すべて偶然ではないのだ。さて。ってことは、それは運命と呼ぶのか、必然なのか。運命は誰が決めるのか。その必然に必然性があるのか。そう考えると、つまり偶然を否定する
プランドハップンスタンス理論というものがある。Planned Happenstance.英語から起こしてそのままではあるが、訳してもよく分からない「計画された偶然」となる。ざっくり言えば「キャリアというものは偶然の要素によって8割が左右され、偶然に対してポジティブなスタンスで
あっさり認めてしまえば、WBCの準決勝と決勝は見応えがあった。元々野球ファンでもなく、テレビの「盛り上げよう感」にイラついていた自分としては、まあ意外ではあった。最初の、というか予選で、チェコやオーストラリアと戦っているあたりでは、さすがに盛り上げ方に疑問と