そのうちにドリカムを聴いていてツラくなってくる。要するにリアリティに負けそうになる。別れた後の感情、女同士の心理的抗争、隠された欲望。聴いててつらくなるのだ。言い換えると、重いということかもしれない。そういう感情は誰でもあるし、人として当然とも言える。で
人事部マネージャーによる、子宮がんの妻、日能研で2018年に中学受験の娘、その下の息子との東京生活。
いきなり、健康だった妻が子宮がんになった、と聞かされたら、サラリーマン各氏はどうしますか。 初めての娘の中学受験、どう向き合いますか。 新しいラグジュアリーホテルや、人気の食べ物屋ができたら、行ってみたいと思いませんか。 最近、会社に入ってくる若者をどう思いますか。 現代の就職活動っておかしくないですか。 それらに向き合って、文章化していきます。
そのうちにドリカムを聴いていてツラくなってくる。要するにリアリティに負けそうになる。別れた後の感情、女同士の心理的抗争、隠された欲望。聴いててつらくなるのだ。言い換えると、重いということかもしれない。そういう感情は誰でもあるし、人として当然とも言える。で
この機会にあらためて初期のドリカムを聴いてみる。本当にサブスクは便利だ。どのアルバムを聴いたことがあるか全然覚えていなかったのだが、ジャケットに見覚えのあるやつを3枚選んだ。まず Love goes on...みたいの。ああ、これは良く車内で聴いた。これだけかけときゃ女子
ユーミンとドリカムのことを書きつつ、間違ったことを書いていないかwebで調べていた。そしたらなんだか私のドリカムに対する感覚が、(現代の)世間のそれとズレていることに気付いた。私は、ドリカムは(私の好き嫌いに関わらず)エスタブリッシュメントというかスーパース
バブル後期、いやバブルがはじけていたけれど庶民がまだそれにあまり気付いていなかった頃、ユーミンとドリカムは壮絶なアルバムの売り上げ競争を繰り広げていた。冬はユーミンの独壇場だったのに、ドリカムがそのあたりに発売日をぶつけてきたのだ。あまりそれに触れられた
バブル期前後のユーミンの唄を聴いていると、今では存在しない道具や作法が登場する。例えば、リフレインが叫んでるでは、擦り切れたカセットという歌詞が出てくる。CDでさえ或いはMDだって死語だが、カセットときたもんだ。おまけに擦り切れるなんて、摩擦系の音楽再生装
ユーミンの曲の中では特に佳曲というわけでもないが、ふってあげるという曲は印象的である。ストーリーとしても、曲のアレンジとしても魅力的で、今となっては古くもあるが聴かせるポイントが多々ある。相手を思うあまり、身をひく(死語)という唄である。今夜私死んでしま
Wikipediaによると「(一部略)、フジテレビは月9ドラマ「すてきな片想い」、1991年1月 - 3月の「東京ラブストーリー」(脚本:坂元裕二)、1991年7月1日 - 1991年9月16日の「101回目のプロポーズ」(脚本:野島伸司)を「純愛三部作」と名付けた」とある。一方で、「ダイア
今さら書く話題ではないが、東横線の渋谷駅は酷い。どうしたらこういう造りになるのか、責任者出てこいと言いたくなる。一方で、三田から日吉へは、今となっては直通電車があるらしい。20世紀にはなかったルートだし、目蒲線改め東急目黒線は、もはや3両編成ではないのだ。ま
残念なことだと思うのだが、娘の大学は1、2年生のキャンパスがちょっと遠い。慣れ親しんだ都心を離れ、初めて「ちょっと遠い」キャンパスまで通うことになる。いま思えば、日能研の模試で、そこには行ったことがある。まさかあの時に、ここの大学生になるとは考えてもいなか
サークルと履修を固めれれば大学生活の基礎が固まる。と思っていた。私が大学に入った時に。SNSどころかPCも事実上なかったので、世界は単純であった。娘が大学生になった今も、冒頭一行目はそのままだと思う。しかし、今振り返ると、私はやはり4年間をどう過ごすか、という
大学生になってしっかり勉強をしたいと思っていても、知り合った先輩は口を揃えて楽な授業の履修を薦めてくる。楽に単位が取れる授業、そしてどんなに頑張っても単位の修得が難しいの情報が新入生に伝えられる。ああ、大学生の授業ってこういう感じなんだと知らされる。1年生
娘がどのサークルに入るか悩んでいる。悩んでいる、というほど真面目に考えているわけではないが、考えあぐねている。勧誘されて、下(附属)上がりだと分かると、態度が急変する先輩もいるそうだ。我々の時代と違うのは、スマホというかSNSを使った勧誘ということだ。チラシや
桜だらだら咲いているせいで春が長い。最近は時の経つのが早いと思っていたが、最近はそうではない。早く夏になって秋になって冬になって欲しい。あと何年でリタイヤできるのだろうか。まだ指折り数えるところに届かない。しかし、平和に年をとって、引退できるほど人生って
会社とか職場によると思うが、私の周りではすっかり飲み会が減った。個人ではコロナ前に戻ったが、いわゆる「職場で」はかなり減った。これに影響を受けるのは、新入社員、そしてもちろん2020年以降入社組の若手である。そもそも、義務的な飲み会なんて、という風潮もあるし
それにしても、会社を「人柄」のようなもので選ぼうという若者、特に学生は多い。気持ちは分かる。入ってみたら、悪人ばかりだったなんていう赤い銀行みたいなことはよくある。就職活動中は良さげな人ばかり登場して、さんざん「社風は自由で何でも言い合えるフラットな云々
とはいえ、会社なんて「雰囲気がいい」とか「良い人が多い」(或いはその逆)というのは幻想である。もしくは偶然である。でも、本当に赤い銀行の人はあんまりいい感じがしないことは確かだ。私は丸の内の住人なので、赤い銀行との付き合いも多いし、応援してあげたい(と上
それはともかく赤い信託銀行には知り合いが多くいる。良い人がとても多い会社だ。兄弟の銀行とはエラい違いだ。もともと信託銀行さんの気風は独立志向というか、赤いグループの一員でありながら、銀行さんとは別ですから、という感じでやってきた。しかしここ最近は、銀行は
新年度。中学受験から6年が経って、娘も大学生だ。コロナも収まったし、実り多き大学生活にして欲しい。文学部に行きたいと言ったらどうしようかと思っていたが、自ら社会科学系の学部を選んでくれた。思えば中学入学時にはハイレベルな授業についていけるか心配であったが、
テレビで信託銀行のCMをよくやってる。ふぞろいの林檎たちみたいでちょっと違う組み合わせだったり、佐藤浩一が信託銀行員だったりという感じで、どれも今いち出来の良くないCMだと思うが、案外感情移入しちゃう若年寄りは多いのかもしれない。しかし、信じて託すってすごい
大谷翔平さんではないが、何を信じるか、誰を信じるかというのは、人生においてとても大事である。ところで、あなたは会社を信じられますか。あなたの勤めている会社を信じていますか。ボードメンバーの言うようなことではないが、会社なんてとても信じられない。会社なんて
今年度も残すところあと数日である。感慨深い一年間の締めくくりとなる。基本的に、自分のキャリアも上り詰めた感があって、燃え尽きた気がする。もう野心も何も残っていない。それでも生きていかねばならないのか。そんな気持ちになったこの一年であった。毎年、桜の花を見
花見らしい花見って、もうしばらくやってない。昔、花見の時期に千鳥ヶ淵のフェアモントホテルによく部屋を取った。高校生とか大学生の頃だ。今思えば、バブルとはいえイカれている。そして、よく簡単に予約が取れたもんだ。戦後GHQの要請で、とか聞いたけど確かに造りは古か
咲きそうで咲かない東京の桜。なんで今日はこんなに寒いんだろうと思いつつ、やはり寒さのピークは越えたようだ。寒くても不快、生暖かくても不快。坊主憎けりゃ春の全てが憎い。5月の連休が待ち遠しい。にほんブログ村 にほんブログ 薬師窯 五月人形 端午の節句 錦彩 出世
一平さんの件はさておき、先日のMLB開幕戦inソウルで、ドジャースが逆転した回の攻撃でとても印象的なことがあった。それは守備側のパドレスの選手がファーストゴロを捕球したと思われたが、グローブの紐が切れ(てい)たらしく、ボールがそのままライトに転がっていったこと
大谷翔平選手の通訳の方が解雇された。まだ動いている案件なので何とも言いにくいが、相当なスキャンダルだし、一平さんだけの問題で済むのか少し気になる。昨日まで両氏の夫人も含めともに天国にいるように見えたのだが、一転して地獄である。日本名物手のひら返しを味わう
昨日、大谷翔平夫人が素敵だと書いたが、一般的に綺麗だというわけでなく、私の好みである。顔とかよりも、佇まいというか体型というか。あまりセクシーでないところなど。とはいえ、私より背が高い。大谷さんの横にいるとそうは見えないが、180cmあるとのこと。今さら私よ
奥様とか奥さんという言い方はしたくない。なんだか女性の配偶者が「奥」という感じではないから。それってうちの話?じゃあ、先日初めてお目見えした大谷翔平の、、、なんて呼べばいいんだろう。妻というのは本人からの呼び方だし、女房は論外だし。夫人という使い方が多い
賃上げについて、人事担当として軽はずみなことは言えない。しかし、他社も相当上げてきている。月並みだが、全体として諸外国並みになるなら悪くない。でも、逆にここで上げても何もならない。当社は。だって既に高過ぎるからだ。組合だって分かっているのだ。むしろこのぬ
全然詳しくない分野の話をするのは憚られるけれど、また失敗かよというのが本音である。清く正しく美しい日本人であれば、失敗は成功のもと(母)、次に’向けて頑張れと言うべきのようだが、ちょっといくら何でも、ここ最近全然すっきり成功していない気がする。月にピンポ
もう13年になるのか。そして能登の地震もあって、3.11は過去のものとなってきたことは確かだ。昨日の夜のテレビも、そんなに大きな扱いではなかった。13年前の当日の夜、そこはかとない不安感があった。一方で、まだ原発がそんなにヤバいことになっているとは分からなかった
兄が少年ジャンプを買っていたので、割と低学年時からそれを読んでいた。余談だが、兄と同じことをして育っていたので、私は周囲に比べ3年ほど早く物事を経験している気がする。さらに兄が早熟だったので、かなり「おませ」であったことも確かだ。例えば、麻雀なども小学校低
しかしすっかり元気が出ない。出る気配がしない。元気があれば何でもできる。残念、元気がないから何にもできない。にほんブログ村 にほんブログ アントニオ猪木をさがして菅原大吉2024-01-041975年12月11日NWF世界ヘビー級選手権「アントニオ猪木vsビル・ロビンソン」ビ
少し前、岸田総理につけられたあだ名は増税メガネでしたっけ。もうすっかりそんな言葉は聞かなくなった。しかし自民党の裏金問題の騒動で、岸田さんはそれらの裏金における納税を促さないとのこと。惜しい。岸田さん、もう少しで日経平均くらい株が上がったのに。残念。もう
今となっては懐かしいが、昔はメガネ小売販売業のCMがよくあった。メガネーのー、メガネーのー、金鳳堂。メガネは顔の一部です、だから東京メガネー。もちろん今だってzoffとかJiNSとかもやってるかもしれないが、それはファストファッション的で別カテゴリーみたいだ。一方
老眼のせいもあって、最近はメガネをかける時間が減っている。誤解していただきたくいないのは、老眼で近視が中和されていい感じになってメガネが不要かというとそうではない。メガネをしていると、近くのものを見るときに見にくくて外さなきゃダメなので、だったら最初から
いつの頃からか、メガネをかけた女性は素敵だなと思うようになった。若い頃は、メガネをかけた子はかわいさが少しダウンするように感じていて、時々外すと結構かわいいじゃんみたいに思うことが多かった。今では、もうメガネかけたままでいい。フェチとまでは言えないけれど
基本的にトヨタよりも日産やホンダの方が好きだ。今、日産のマーチというクルマはあるのだろうか。リッターカーと呼ばれた1,000ccの排気量だったと記憶している。発売当時は、マッチのマーチはあなたの街にマッチする、というようなキャッチコピーだったかと思う。まだやんち
うるう年である。閏年と書くらしい。意味がわからない。うるうってなんだ。いつの頃からか、涙ぐむことを、「うるうる」とか「うるっときた」という表現が見られるようになった。オノマトペには様々なものがるが、なかなか秀悦だと思う。感動したというと大袈裟だが、良い意
ホストにはまって抜け出せない人がいるという。私も酒がやめられないのだから、他人のことは責められない。要するに依存性だ。しかし、そこまでハマるのは何故だろうか。単にホストが格好良くて、優しくしてくれるというだけでは説明がつかないと思う。やはり、そこにはネガ
ホストクラブに関連して、売掛金について考える。売掛金を語る際によく使われるのが、ツケ払いのことだよ、というのがある。ツケ払いって、若い人は分かる言葉なんだろうか。私だって、実際に見たことはない。昔のサラリーマンが行きつけの飲み屋とかスナックで「ツケといて
先日、たぶんTBSの報道特集だと思うが、ホストにハマる女性たちの特集をしていた。結構、知らなかったことが多く、単にキャバクラで働くお姉さんが使い過ぎてしまって社会問題化、というだけではない、根深い裏がありそうだった。つまり、ホストクラブ側のビジネスモデルは、
所詮テレビの演出ではあるが、その合格/不合格番組はかなりドラマチックである。その大衆向け食品の開発者について、箱根駅伝みたいな人間ドラマを重ねてくる。そのうえで、高級レストランのオーナーシェフがその食品を不合格と判定すると、その理由を個別具体的に説明され
失格の反対語が合格でないとしても、なんとなく人間失格の反対語は人間合格なのではないかと勝手に考える。ところで、合格といえば、テレビでファミレスやコンビニスイーツなどを、プロの料理人がジャッジして合格とか不合格とか判定する番組がある。突っ込みどころが満載で
人間失格って、なかなかの表現である。ところで、失格の反対語はなんであろう。合格かと思ったら、合格の反対語は不合格とのことである。受験で言えば、まあそうだよね。webで軽く見る限り、失格の反対語は適格であるようだ。そうか、人間失格でない方、或いはその対極にある
玉川上水を調べると、ついでに太宰の人生をあらためて振り返ることになる。しかし、めちゃくちゃである。別に私小説的なものを評価する気にもならないが、やはり人間失格というあまりに的確なタイトルの小説を遺したというのは、なかなかのセンスである。こういう自分の人生
法政大学中学の真横には、玉川上水が流れている。玉川上水とはなんぞや。当然、ネットで調べてみる。だって、太宰が心中した・・・という印象しかないからだ。玉川上水は、東京というか江戸の生活用水として、奥多摩の方から人工的に引いてきたということである。当時の土木
成り行きを説明することが難しいのだが、先日縁あって、中学受験検討期に見に行った学校の前を通りかかった。法政大学中学である。しかし、何とも言えないロケーションである。悪い意味で。そして、その周辺も道が狭く、これが日本の中の上の住宅街だと思うと暗澹たる気持ち
今さらどうでもいいことだが、バレンタインデーの価値というか存在感が低下しているらしい。市場規模でハロウィンに負けているとか。「女性から男性への義理チョコ的文化が今の時代に合わなくなってきた」という世間の見立てがあるらしい。以下、正しくはないだろうが、私の
せっかく中学受験ネタを繰り広げ、つかの間の読者増の期間が過ぎた。ここでしばらくそれを続ければ、多少は定常的読者の方も増えたに違いない。しかし、がんばれなかった。今となっては知ったかぶりの中学受験ネタを書き続けるほどの知識も意欲もないのだ。しかし、ここでが
東西線について、原始の記憶は1978年におきた営団地下鉄東西線列車横転事故というものである。新聞の大きな写真に、荒川を渡る橋上で東西線が横たわっていた。当時は銀色の東西線車両が軽くて吹き飛ばされたのかなと思っていたが、竜巻であったとのこと。それなら仕方がない
東へ西へ、といえば、東京メトロ東西線である。大阪の方であれば、東西線はJRであろうか。いやいや、仙台にも京都にも、そのほかにも東西線はあるらしい。でも、私にとっては東西線は西船橋から九段下まで行って、日本武道館に行くための電車である。もちろん、子どもの頃の
その「ガンバレ、みんなガンバレ」は東へ西へ、という曲らしい。ガンバレの表記は歌詞カードではカタカナであったようだ。しかし妙な曲だ。歌詞の意味をどう受け取っていいかすごく難しい。訳が分からないということではないが、非常に難解である。あまりこの場でそれを書く
がんばれ中学受験生といえば日能研だが、がんばれみんながんばれといったら井上陽水である。がんばれという言葉は好きではない。でも、これほど便利な言葉はない。何も言えねえというシチュエーションでも、これだけ言っとけばなんとかなる。特に相手が落ち込んでいるときな
久しぶりに日能研のR4の表などを見てみると、ほぼ女子は2月5日で終戦という感じだ。明日、雪が積もってもまあ大丈夫であろう。戦い済んで日が暮れて、つわものどもが夢の跡。私の中学受験回帰も今日で終わりか。駅の「がんばれ中学受験生」ポスターを見つける。がんばれ日能
早い人はもう終わるし、まだまだという方も多いであろう。今日ほど人によって心持の違う日も珍しい。でもさ、何が幸せかって分かんないもんですよね。終わりは始まり。にほんブログ村 にほんブログ グッドバイからはじめようSony Music Direct(Japan)Inc.2012-12-01
さあ中学受験開幕ですね。たかが受験、されど受験。親御さんの気持ちも分かるけど、結果が全て。すべて受け入れて、生きていきましょう。全力で駆け抜けましょう。繰り返します。受かったら子どもの努力。落ちたら親の不徳。それでいいじゃないですか。にほんブログ村 にほ
昨日、立教女学院について褒めた(つもりだ)。さて一般論。企業の採用面接時に、こっちが尋ねてもいないのに志望動機を語る人がいる。これは私個人の意見だが、志望動機や志望先の会社を讃える時に、会社の本質でないことを語ってはいけない。例えば、サントリーの面接で「
とは言え、立教女学院は魅力的であった。まずは、場所が良い。駅から近いというのは素晴らしい。それも渋谷と吉祥寺を結ぶ電車なんだから。吉祥寺というのはよく分からないのだが、少なくともなんだかおっしゃれーな感じはする。次に、生徒の雰囲気が良い。やはり、ポロシャ
立教女学院について思う。なんか勘違いしてんだよな、と。自分達は特別なんだ、というか私達はブランドなんだという感じで、ちょっと鼻につくのだ。もう6年前の話だし、結局事前の面接だけ受けて2月1日は受験を回避し、もっと偏差値の高い附属(もっと西の方)を受けて合格した
中学受験の話を書くと、露骨にこちらの文章の閲覧者数が伸びる。本当に情けない話であるが、そうなるとこの時期どうしてもその手の話を書こうとしてしまう。作家が読者に迎合して、なんていう大袈裟な問題ではないが、やはり閲覧者が多いことは、仙人ブロガー(本当は自分が
今日は立教新座の試験だという。非常に戦略的な日程の設定である。男子校だと思うので我が家には縁がなかったが、併願校にちょうど良いではないか。しかし、何で共学化しないのだろうか。したら絶対人気出るはずである。しかし、そうしたら立教女学院には壊滅的(かは分からな
文字どおり空気の悪い中学受験の親の待合室は、今どうなっているのだろうか。こんな感染が怖い時に、あんな(というのも失礼だが)場所にいるのはなかなか難しいだろう。かといって外は寒い。おすすめは午前中はホテルのモーニングビュッフェ、午後入試であればファミレスのハ
首都圏私立中学戦線は、千葉受験が終わった頃であろうか。ご苦労さんである。でも、6年経っても印象深いのは確かである。受験技術力を駆使して、完璧な受験をした。これは、当該受験生の話ではなく、親(私)の話である。しかし、ぶっちゃけ千葉御三家とか言うけれど、私の世
成田空港再評価の話題を書きたいのだが、せっかくだから中学受験の話をしてみたい。せっかくこの時期だから。結果論でしかないが、本当に中学受験をしてよかった。そして、基本的には思っていたとおりの6年間を送ることができた。もちろん、一番の想定外はコロナであったが、
なんでこんな話になってしまったのか、そうだ、羽田空港での事故、ペット機内持ち込み論争、私の犬の鳴き声に対する懸念、私の不寛容さ、という流れだ。羽田の事故の話に戻ろう。私の認識では、羽田が世界有数の混雑空港であるかは微妙なところであるが、世界トップというわ
良い人でなくていいから、いい人になりたい。こんな心が荒んだ状況を脱して、いい人になりたい。自分で言うのもアホらしいが、昔はいい人だったんだよね。周りがそう思っていたかは知らないし、本当にいい人であったという自信はないが、きっちりと偽善を貫いていた。そう、
心が荒んでいる。すさんでるってどういう字だっけと考えたら、Macは何も言わずに変換してくれる。そうか、荒れてると荒んでいるは同じ漢字なのだ。心が荒れている。手が荒れていると同じようなものだ。クリームを塗らねばならない。心に塗るクリームはないものか。にほんブロ
正直言って、一番腹が立つのは前を歩いている人に行くてを阻まれた時である。高齢者や障がいのある方であれば全然構わない。ただ、単にスーパーの通路をカートで塞がれたり、スマホを見ながら歩みが遅い人であったりというのは、本当にむかつく。もちろん黙って、通路が空く
私が社員の採用をガンガンやっていた時に、密かに大事にしていたのが、寛容であるか、ということであった。鈍感だったり、あまりにこだわりがないのも困ってしまうが、寛容さというのは人として非常に大事な要素であると考えていた。いちいち他人の悪いところに引っかかって
自分でもよく分からないのですが、特に最近、私は公共空間における子どもの泣き声に対して、非常に腹が立つのです。本当に理由が分からないし、自分の心の狭さというか、悪魔が宿りし我が魂に対して絶望する。運賃の安い乗り物で、より値段の高いオプションがありながら安い
毎年の事とは言え、この時期にはこの文章への閲覧数が伸びる。きっと、埼玉県の受験会場で 待ち時間にwebを閲覧している親御さんが迷い込んでこられるのだろう。そう、我が娘ももう今年は大学に入学である。あのときめきから6年、早いものである。身バレを防ぐため、その他の
もう議論として収まっているようだが、ペットと飛行機事故、或いはペットとの同乗問題について。一つ提案したいのは、まずペットは貨物扱いという言葉は見直してもいいのではないか。温度調整もされるところなんだから、吹きっさらしのようなイメージはちょっと違うのではな
また父の死について書くこともあろうと思うのだが、しかしここは正月早々起こった、羽田空港の事故について書かないわけにはいかない。少し時間も経ってしまったが、やはり衝撃であった。普段から使っている空港、滑走路、航空会社、路線、航空機である。最新の、そしてJALご
本年もよろしくお願いいたします。さて、非常に微妙なタイミングではあったが、父の葬儀も無事に済んだ。逆に年末年始だからこそ、多くの人が参列してくれたようで、なんだか申し訳なかった。それにしても、人が一人死ぬということは、それなりの重みがある出来事なんだなと
全然知らない分野をディスると、当事者からすごい勢いで非難されそうだが、恐れず書いてみる。どうせ個人の感想なんだ。本気にしないで欲しい。図書館で働きたい人、図書館司書みたいな志向の人は、ちょっとずるいと思う。図書館が好きってのは全然悪くない。ただ、そういう
父の遺体をいつ焼くか、それが問題となっている。年内に焼くか、年明けとするか。当然、告別式の日程問題とイコールである。焼き場(正式には斎場と呼ぶようだが)は元旦だけはお休みらしい。それ以外の日は働くというのも大変だが、死者は普通、自らの死期を選べない。産婦人
年末の慌ただしいなか、私の父が亡くなった。予定調和とまでは言わないが、粛々と、さほどの驚きもない。どこかの小説の例えを使うなら、列車が駅に近づき停車するような、という感じであった。ただ、まさにこの年末というのが絶妙というか、なんとも言えない タイミングであ
とはいえ、もちろん出張は楽しい。先日、福岡では、博多座の裏の方にある和食屋さんに連れていってもらった。素敵な女将さんがいる店で、本当にどきどきしてしまう。しかし、歳をとったので野暮な気持ちはまるでない。島耕作じゃないんだから。そういう意味で人生はラクにな
エラくなったせいで、12月に日本全国各地に出張に行っている。昔のようなセコい旅行技術を披露することもない。ほぼ周りがアレンジしてくれる。とてもつまらない。高いホテルに高いレートで泊まる。高級レストランで高い飯を食う。私がしたいのはそういうことじゃない。コス
粛々とクリスマスが終わる。さすがに一線を越えたというか、もうクリスマスという高揚はほぼなくなった。サンタとしての役割も、石原伸晃さんの名言を借りれば「最後は金目の問題でしょ」という感じになってきた。或いは単なる財布というか。ただ、相変わらずクリスマスツリ
ママとふたりのクリスマスという曲がある。マイナーなクリスマスソング。なぜか昔この曲を聴いたことがあって、それ以来ずっと心の中で繰り返していた。おそらく、持っていたソノシートで聴いた記憶がある。ちょっとさみしい感じの曲で、お父さんの帰りが遅いのか、それとも
Wikipediaより引用。我慢とは、仏教の煩悩の一つ。強い自己意識から起こす慢心のこと。 四慢の1つ、また七慢の1つ。仏教では人間を固定的な実体として捉え、自己に執着することを我執といい、その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。だって。ちょっと何言っ
若干しつこいが、堪え難きを耐え、忍び難きを忍ぶというのは、本当に難しい。いや、そもそも「難きを」と言っているのだから、難しいことをするぞ、という昭和天皇の決意であろう。難しいけどやるのだ、という魂の発露である。しかし録音のせいか、そうは聞こえない。国民に
しかれども朕は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。いわゆる玉音放送のここが好きだ。忍び難きを忍ぶのだ。もちろん、そんな人間力が私には未だない。この寒さ、忍び難きを忍ぶのだ。そんな簡単ではない。にほん
やっと本格的な寒さがやってきた。比較的冬が好きな私だって、さすがに寒い。私が寒さをしのぐというかいうか耐え忍ぶ方法は、もっと寒いところがある、と強く認識することだ。北海道は言うに及ばず、かつて過ごしたニューヨークだってロンドンだってもっと寒かった。それに
本当に月日の経つのは早いもので、もう12月も折り返しである。しかし、思えば年末年始というのはお金を使う機会も多い。また、賞与が入った身としては、気も財布の紐も緩む。気付けば、また1月末のカード決済が終わるころにはカツカツになっている。でも、もう少しだけ先のこ
リクルートとかロッキードとか、事件になってその名を残すというのも、その企業に勤めていたらイヤなものだと思う。あと日本だと、ロッキード事件の派生形としての丸紅とかも、子どもの頃は「悪い会社」というイメージがあった。ところで、最近の安倍派だか自民党だかの事件
それにしても、大谷さんの契約金額は、あまりに大き過ぎてちょっとよく分からない。別に不満も批判もないのだが、ちょっと極端すぎる気がする。それだけの価値があるとか、トップがそれくらいもらってくれないと、とかそういうことを言いたくなる気持ちも分かるのだが、とに
大谷翔平さんがドジャースへの移籍を決めた。その金額に呆れるしかないが、やはり気になるのは日本の反応である。新聞の号外を配り、それをテレビのニュースが伝える。昭和かよ、と言いたくもなる。大谷翔平さんは進化、そして深化している。しかし、日本の社会全般は変わら
前にも似たようなことを書いたかも知れないが、他人がしてイヤな行動を自分もしているのではないかと思うことがある。むしろ、「他人がしてイヤな行動」を自分がしているからこそ、ということもある気がする。上手く言えないがコンプレックスのようなものである。部下にねち
禿げた男、エレベーターやメトロから降りる時に先に乗り込んでこようとする男、クルマで左から追い越して私のクルマの前に入ってくる男。ムカつく、もしくは自分は違うと思っているけれど、自分はどうなんだ。冒頭に書いたようなそのままでなくとも、他人から見た「イヤな感
最近、妙な浮遊感がある。自分の人生が自分の人生じゃないみたいに感じられる。或いは、自分の人生から少しずつ離れていって、今や遠く離れていってしまっている気がする。今のオレは本当の自分じゃない、というのと似ているけどちょっと違う。オレは、オレの人生はどこに行
何を自分で書いているのかよく分からないのだが、その毎日すれ違う男は、オレ自身なんじゃないかと思うようになった。正確に言うと、そう考えてみようという気になった。つまり、自分について描いている世界と、他人から見た自分の差は意外と大きくて、実際に昨日書いた人相
毎日のルーティーンで、すれ違う人がいる。私より少し年上であろうか、大部分禿げ上がっている。服装はスーツではない。カジュアル過ぎもしないが、少なくともネクタイをしているのを見たことがない。シャツの隙間から肌着が見えているのでだらしなく感じられる。もう12月だ
年末も近づき、恒例の1年を振り返る企画である(嘘)。いずれも恐縮ではあるが敬称略となります。今年は、アーチストというか私が幼い頃(から)聴いた音楽を奏でていた方々が亡くなった。まずは高橋幸宏と坂本龍一が相次いで亡くなった。正直、教授は覚悟していたが、病気で
12月である。中学受験生もあと2カ月である。ご苦労さん。東京の本番は2カ月後でも、実際には年明けすぐの埼玉開幕までもうあっという間である。もう勝負はついている。あとは、身についた知識みたいなものをちゃんとアウトプットできるかだけである。ダメだったら親のせいで
やはり11月も終わるとなると、1年は早かったな、というつまらない結論に至る。そう、いい加減認識しなければならない。1年とは短いものなのだ。1年が短いと、人生は短いのだ。短いのが人生なのだ。100年なんてあっという間なのだ。やはり、若い頃より1年は短いのだ。10年のう
年老いた両親だけでなく、子どもたちを犯罪から守らなければならない。御多分に漏れず、我が子たちもくだらないYouTubeなんぞを観ていて、時々とんでもない言説が聞こえてくる。もちろん心配ではある。しかし、連中にはそれほど金がないから、被害なんぞたかが知れている。そ
とは言え、特殊詐欺に騙されるにはもう少し時間がありそうだ。喫緊の課題としては、年老いた親が特殊詐欺に合うことをどう防ぐかである。思いつく対策はすべてしてある。留守番電話にして、知らない電話には出ない。必ず孫の話題をして、それができなければ詐欺だと思うこと
昔は詐欺、それもオレオレ詐欺に引っかかるなんて馬鹿だなあと思っていた。今も少し思っている。でも、少しずつ、少しずつ自分も引っかかる気がしてきた。やはり相対的に自分の認知能力が落ちていく(要するに頭が悪くなってきている)ことは間違いない。私がヤバそうなのは
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そのうちにドリカムを聴いていてツラくなってくる。要するにリアリティに負けそうになる。別れた後の感情、女同士の心理的抗争、隠された欲望。聴いててつらくなるのだ。言い換えると、重いということかもしれない。そういう感情は誰でもあるし、人として当然とも言える。で
この機会にあらためて初期のドリカムを聴いてみる。本当にサブスクは便利だ。どのアルバムを聴いたことがあるか全然覚えていなかったのだが、ジャケットに見覚えのあるやつを3枚選んだ。まず Love goes on...みたいの。ああ、これは良く車内で聴いた。これだけかけときゃ女子
ユーミンとドリカムのことを書きつつ、間違ったことを書いていないかwebで調べていた。そしたらなんだか私のドリカムに対する感覚が、(現代の)世間のそれとズレていることに気付いた。私は、ドリカムは(私の好き嫌いに関わらず)エスタブリッシュメントというかスーパース
バブル後期、いやバブルがはじけていたけれど庶民がまだそれにあまり気付いていなかった頃、ユーミンとドリカムは壮絶なアルバムの売り上げ競争を繰り広げていた。冬はユーミンの独壇場だったのに、ドリカムがそのあたりに発売日をぶつけてきたのだ。あまりそれに触れられた
バブル期前後のユーミンの唄を聴いていると、今では存在しない道具や作法が登場する。例えば、リフレインが叫んでるでは、擦り切れたカセットという歌詞が出てくる。CDでさえ或いはMDだって死語だが、カセットときたもんだ。おまけに擦り切れるなんて、摩擦系の音楽再生装
ユーミンの曲の中では特に佳曲というわけでもないが、ふってあげるという曲は印象的である。ストーリーとしても、曲のアレンジとしても魅力的で、今となっては古くもあるが聴かせるポイントが多々ある。相手を思うあまり、身をひく(死語)という唄である。今夜私死んでしま
Wikipediaによると「(一部略)、フジテレビは月9ドラマ「すてきな片想い」、1991年1月 - 3月の「東京ラブストーリー」(脚本:坂元裕二)、1991年7月1日 - 1991年9月16日の「101回目のプロポーズ」(脚本:野島伸司)を「純愛三部作」と名付けた」とある。一方で、「ダイア
今さら書く話題ではないが、東横線の渋谷駅は酷い。どうしたらこういう造りになるのか、責任者出てこいと言いたくなる。一方で、三田から日吉へは、今となっては直通電車があるらしい。20世紀にはなかったルートだし、目蒲線改め東急目黒線は、もはや3両編成ではないのだ。ま
残念なことだと思うのだが、娘の大学は1、2年生のキャンパスがちょっと遠い。慣れ親しんだ都心を離れ、初めて「ちょっと遠い」キャンパスまで通うことになる。いま思えば、日能研の模試で、そこには行ったことがある。まさかあの時に、ここの大学生になるとは考えてもいなか
サークルと履修を固めれれば大学生活の基礎が固まる。と思っていた。私が大学に入った時に。SNSどころかPCも事実上なかったので、世界は単純であった。娘が大学生になった今も、冒頭一行目はそのままだと思う。しかし、今振り返ると、私はやはり4年間をどう過ごすか、という
大学生になってしっかり勉強をしたいと思っていても、知り合った先輩は口を揃えて楽な授業の履修を薦めてくる。楽に単位が取れる授業、そしてどんなに頑張っても単位の修得が難しいの情報が新入生に伝えられる。ああ、大学生の授業ってこういう感じなんだと知らされる。1年生
娘がどのサークルに入るか悩んでいる。悩んでいる、というほど真面目に考えているわけではないが、考えあぐねている。勧誘されて、下(附属)上がりだと分かると、態度が急変する先輩もいるそうだ。我々の時代と違うのは、スマホというかSNSを使った勧誘ということだ。チラシや
桜だらだら咲いているせいで春が長い。最近は時の経つのが早いと思っていたが、最近はそうではない。早く夏になって秋になって冬になって欲しい。あと何年でリタイヤできるのだろうか。まだ指折り数えるところに届かない。しかし、平和に年をとって、引退できるほど人生って
会社とか職場によると思うが、私の周りではすっかり飲み会が減った。個人ではコロナ前に戻ったが、いわゆる「職場で」はかなり減った。これに影響を受けるのは、新入社員、そしてもちろん2020年以降入社組の若手である。そもそも、義務的な飲み会なんて、という風潮もあるし
それにしても、会社を「人柄」のようなもので選ぼうという若者、特に学生は多い。気持ちは分かる。入ってみたら、悪人ばかりだったなんていう赤い銀行みたいなことはよくある。就職活動中は良さげな人ばかり登場して、さんざん「社風は自由で何でも言い合えるフラットな云々
とはいえ、会社なんて「雰囲気がいい」とか「良い人が多い」(或いはその逆)というのは幻想である。もしくは偶然である。でも、本当に赤い銀行の人はあんまりいい感じがしないことは確かだ。私は丸の内の住人なので、赤い銀行との付き合いも多いし、応援してあげたい(と上
それはともかく赤い信託銀行には知り合いが多くいる。良い人がとても多い会社だ。兄弟の銀行とはエラい違いだ。もともと信託銀行さんの気風は独立志向というか、赤いグループの一員でありながら、銀行さんとは別ですから、という感じでやってきた。しかしここ最近は、銀行は
新年度。中学受験から6年が経って、娘も大学生だ。コロナも収まったし、実り多き大学生活にして欲しい。文学部に行きたいと言ったらどうしようかと思っていたが、自ら社会科学系の学部を選んでくれた。思えば中学入学時にはハイレベルな授業についていけるか心配であったが、
テレビで信託銀行のCMをよくやってる。ふぞろいの林檎たちみたいでちょっと違う組み合わせだったり、佐藤浩一が信託銀行員だったりという感じで、どれも今いち出来の良くないCMだと思うが、案外感情移入しちゃう若年寄りは多いのかもしれない。しかし、信じて託すってすごい
大谷翔平さんではないが、何を信じるか、誰を信じるかというのは、人生においてとても大事である。ところで、あなたは会社を信じられますか。あなたの勤めている会社を信じていますか。ボードメンバーの言うようなことではないが、会社なんてとても信じられない。会社なんて
或いは、傲慢とまでは言わないが、慢心くらいはあったかもしれない。もうとっくにギラギラせず、野心もなく、どちらかと言えば余生みたいな感じになっていた。普通は傲慢とギラギラが結びつくものだが、私はそういうタイプでなく、向上心もないからいつの間にか誰にどう思わ
自信満々のくせに、ときどき内省的になるのが私である。変なの。最近気になるのは、私は傲慢だったのではないか、ということである。より正確に言うならば、周りに傲慢と見られていたのではないか、ということだ。おそらく、だけと私は傲慢な人間ではない。謙虚とまで言うと
マスクまだしてますか。私は大体している。花粉対策として。周りは緩和されてきたというか、しない人が増えてきた。これで、多少は感染率も高まるのだろうか。コロナはもう過去のものなのだろうか。よく分からない。結局のところ、過去に高値掴みしたマスクをある程度使い切
会社で人事担当の最高責任者をしていても、よく分からないことがある。それは、私の年収は世間でどれくらいの立ち位置なんだろうか、ということだ。平均年収とか中央値とか分布とか見ても、相当高くもらっていることは間違いない。しかし、暮らし向きというか、世間での立ち
いつから日本はこんな国になったのであろうか。現職の首相が襲撃されて間一髪だったようだ。選挙制度に不満を持っていたようである。ここで、その主張も一理あるなんてことを言ってはいけないようである。例え影響力ゼロの駄文であっても。予言ではないが、そろそろもっと大
とにかく、メトロの駅前にいる区議会議員候補がウザいなあというのが出発点である。同意できない政策、名前や政党名の連呼、たすき、作り笑顔。すべてが癪に障る。ただ、民主主義を守るうえで選挙が非常に重要であることは間違いない。なんだかんだ言ってきたが、民主主義や
新しい政党を立ち上げるにしても、名前が問題だ。というか、良い名前がない。NHK党→なんとか48みたいな感じで、名前なんてどうでもいいのだが、さすがにそこまでふざけるのも気が引ける。今までに変だなと思った党名。みんなの党太陽の党たちあがれ日本れいわ新選組新自由ク
統一地方選挙前半戦では、維新の会?の躍進が話題となった。特に、奈良県知事を制したことが大きく取り上げられていたが、なんていうことはなく、単に自民党が割れて取りこぼしただけみたいだ。うまく言えないが、なんだかこの維新の会ってのはしっくりこない。胡散臭いとい
選挙の顔、じゃなくて選挙は顔、という話である。やっぱり顔が良いと有利なんじゃないか。徳島県知事選を見て思う。現職、元参議院議員の保守三つ巴を制した。他にもいわゆる野党系の人もいたのだろうけど、それは知らん。もちろん後藤田正純さんは、後藤田正晴さんの息子で
でも、選挙に出るなんて、普通に格好悪い。元speedだって、元おニャン子だって、自分が受かるって分かってるから我慢したんだろうけど、普通の神経じゃ選挙出られないよ。たすき、ハチマキ、だるま。選挙カー、握手、名前の連呼。普通無理だよね、元光GENJIの人が選挙に出る
要するに、我々世代というかレイヤーというかにちょうど良い政党がないのだ。自民党とか立憲なんとかとか共産党とか、結局は幅広いターゲットを狙い過ぎて、ハマらないのだ。そこで、維新の会やらNHKみたいなワンイシュー(一つの分かりやすい政策)が一定の支持を集める。こ
ちょっとご相談ががあるんですけど。なんでしょうか。政党を作ってみたい。というわけで、ヒマとお金があったら、政党を作ってみたい。戦略的にやれば、どんな議会でも、一議席くらい取れるんじゃないかと思う。自治体の首長や衆議院小選挙区みたいに席が一つしかなければ無
NHKとか参政とか維新とか、いくつかの政党がある。なんでこんなにパッとしないというか、惹かれないのだろう。それは既存政党が魅力的だからだ。なわけない。私見だが、結局のところ政党とは各種議員になるための手段に過ぎないということではなかろうか。或いは、それを経て
メトロの駅前に区議選候補者がいる。邪魔だし、うるさい。政策論争ではなく、ただ名前の連呼である。都心区だからといって全然洗練されていない。とはいえ、区長選は、無投票になるのだろうか。それはそれで困るというか情けない。70歳で初当選、今度は74歳で再選を目指すそ
新しい年度である。いかにも新入社員という方々を丸の内界隈で見かける。希望とやる気に満ち、目が輝いている。というのは嘘で、年々そう感じなくなってきた。そもそもあまり新人研修が丸の内界隈で行われていないのではないか。大企業は密にならない環境で、どこか別のとこ
さらば坂本龍一。数回しか(ライブで)お会いできなかったが、偉大な音楽家であった。簡単に右とか左とか言ってほしくないのだが、私は教授の思想信条も含めて好きだった。もちろん100%重なるわけではないだろうが、少なくとも脱原発という考え方には共感できた。それはともか
というわけで、偶然教を立ち上げることにした。この世はすべて偶然である。だから努力してもムダだし、神の慈悲もない。受験勉強も多少はした方がいいけど頑張りすぎない。その頑張り具合は偶然の確立を多少上げたり下げたりするが、大差ない。東大に入っても不幸になるかも
逆に偶然なんてない、と考えてみよう。偶然と思えた出会いや、受験の結果や就職先、配偶者、子ども、すべて偶然ではないのだ。さて。ってことは、それは運命と呼ぶのか、必然なのか。運命は誰が決めるのか。その必然に必然性があるのか。そう考えると、つまり偶然を否定する
プランドハップンスタンス理論というものがある。Planned Happenstance.英語から起こしてそのままではあるが、訳してもよく分からない「計画された偶然」となる。ざっくり言えば「キャリアというものは偶然の要素によって8割が左右され、偶然に対してポジティブなスタンスで
あっさり認めてしまえば、WBCの準決勝と決勝は見応えがあった。元々野球ファンでもなく、テレビの「盛り上げよう感」にイラついていた自分としては、まあ意外ではあった。最初の、というか予選で、チェコやオーストラリアと戦っているあたりでは、さすがに盛り上げ方に疑問と