chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
まろの人生いっぱい&いっぱい! https://blog.goo.ne.jp/suttie2807

夢いっぱいの人生だが この年になると人生そのものが 余裕のない「いっぱいいっぱい」状態! そん

まろの人生いっぱい&いっぱい!
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2017/01/06

arrow_drop_down
  • 梅にメジロ

    わが家の近所の梅林はもう満開です。ラジオではさっき関東の桜の開花日も発表されていて梅も桜も揃い咲きでいよいよ春本番です。気がつけば先ほどから梅の枝先ではウグイスがちょこまか飛び回ってホー、ホケキョなんて・・・ん?鳴き声が聴こえないけどこれってウグイスじゃ・・・?そうでした、そうでしたこれってウグイスじゃないんですよね。「梅にウグイス」の呼び名は花札の世界のことだけで梅の蜜が大好物で花の周りを飛び回っているのはホラ、クリクリとした目の玉の周囲が白くて可愛らしいその名もメジロ(目白)なんですよねえ。スズメよりちょっと小型ですが昔からなじみの深い小鳥です。そう言えば最近はスズメも見かけなくなりました。で、結局何が言いたいかと言うと・・・満開の梅の花を撮ったつもりなのが偶然そこにメジロが飛んで来ていい写真になった...梅にメジロ

  • 粉ものバンザイ!

    昼飯は「お好み焼き」だった。普段は弁当派でめったに外食はしないのだが妻が風邪をひいたので仕方なく五反田の街に出かけた。仕方なくではあったけれど久しぶりの『粉ものランチ』に食欲倍増。禁断のマヨネーズ大量がけで大・大満足であった。自他ともに認める『粉もの大好き人間』である。とくにお好み焼きには目がない。小麦粉に大量のキャベツをぶち込んで練った生地をに豚肉やらイカやら好きな具材を乗せて焼いただけの単純な食べ物だがこのふっくらまったりとした熱々の一枚をコテで切り分けてハフハフ言いながら口に頬張るとそれだけでもう幸せで大らかな気分なってすべてが許せる。冷えたビールに合うのはこれが一番だと思う。私の古い友人にお好みを焼かせたら右に出る者はいない左に出る者はさらにいない自他ともに認める「お好み焼き奉行」がいるが彼が焼く...粉ものバンザイ!

  • シコふんじゃった

    最近、どうも体調がイマイチである。身体のあちこちに痛いところがあって力が入らない。そのせいか肝心の気力も衰退気味で最近はブログも休みがちである。うーん、これが年を取るということか・・・そんなことを呟きながら急に老け込んだ気分で深いため息をついたりついてしまう。これではならじと思い直し何の脈絡もなく「よいしょ!」とシコを踏んでみた。その昔「シコふんじゃった」という映画があったがあの四股である。一度では効果薄なので二度、三度と踏んでみる。もともと足もと不如意なのでついフラついて転びそうになる。ジイさんが年甲斐もなく体操で転倒・・・の図だ。これ以上やると誰かに救急車でも呼ばれそうなので止めにする。「シコふんじゃった」は確か大学生役のもっくん〈本木雅弘〉が相撲部のピンチのために立ち上がるという周防正行監督の傑作コ...シコふんじゃった

  • 気がつけば2月

    ついついブログの更新をサボってる間に気がつけばもう2月ですよ。あれも言いたいこれも書きたいと思っている間に気がつけばいつの間にか2月ですよ。ついでに言えば、雪でも降り出しそうな寒空の中で気がつけば桜の蕾も膨らみ始めています。え、桜の蕾?そ、そんなまさか・・・いやいや、これって確かに桜の蕾ですよね。蕾の先っぽはまだこんなに固そうで開花まではかなり時間がかかりそうな気はするけど三月に入ればそろそろ桜便りも・・・ふと気がつけば能登地震からもうひと月だそうです。思い出深い「朝市通り」も見る影もなく焼け落ちてしまったけれど少しずつ復旧・復興の声も聴こえ始めて来たとか。全てを失った絶望の中で立ち上がるのは簡単ではないけれど前に進む中にしか希望はないとて心から思います。ふと気がつけば何とかここまで来られた。そう思える日...気がつけば2月

  • 潔し

    一年で最も寒い季節だそうである。2月に入ると多少春の兆しも見えて来るが1月の間は見るものすべての色彩が消え果てて世の中から「生気」が失われてしまう。このケヤキの木など一枚の葉もなく素っ裸である。これでは植物ですらなく単なるオブジェである。一木一草もない寒々ととした世界だ。でも、私はこの時期の一見味気のない無色の世界が大好きだ。余計なものをすべて削ぎ落落とした潔さ〈いさぎよさ〉とでも言うのか。そんな人間本来の身軽さ軽やかさを感じてしまう。人間は本来「無一物」の存在なはずである。生きている間に様々な都合やしがらみで周囲をゴタゴタと飾り立て自らを生きにくくしてしまったのが人間である。余計なものをすべて削ぎ落してもっと自由になれればいいのに。もっと自分らしい生き方も見えて来るのに・・・などと思ってみる真冬の日であ...潔し

  • 鎮魂と追悼

    ただいま午前3時半。最近はいつもこの時間に目が覚める。外はまだ真っ暗で窓を開けると厳しい底冷え。何気なくカレンダーに目をやると1月17日だ。そうか、またあの日がめぐって来たのか・・・阪神淡路大震からもう29年の歳月が経つと言う。神戸の東遊園地には大勢の人が集まり今年も竹灯籠に鎮魂と追悼の灯りを点すのだろうか。最近はすっかり観光化したらしいが神戸の人たちが復興への願いをこめたルミナリエは健在だろうか。それにしても自然災害とは何と非情であることか。3・11の記憶すらいまだに色あせないのに今回は予想だにしなかった正月元旦の能登半島大地震。朝市通りのオバチャンたちの屈託のない笑顔も輪島塗の職人さんたちの細やかな仕事ぶりも一瞬に灰塵と化し今もって正しい被害の実情すらわからぬという。それにしても我々は自然災害の前では...鎮魂と追悼

  • ♬ 梅は咲いたか~

    昼休みにラジオを聴いていると東京でも梅の花が咲き始めましたとアナウンサー。年明けからの予期せぬバタバタ騒ぎで季節の移ろいなどすっかり忘れてしまっていただけに嬉しくてホッコリするような知らせでした。そうかそうか、梅が咲き始めたか・・・どう反応していいのかわからず思わず歌っていました。♬梅は咲いたかサクラはまだかいなア~都々逸だったか端唄だったか・・・江戸の昔から季節を待ちわびる庶民の思い変わりません。そうそう、梅と言えばあの俳句もありましたねえ。梅一輪一輪ほどの暖かさ確か芭蕉の弟子・服部嵐雪の句でしたか・・・寒さに凍えながら春の足音を待つ人の思いが伺えます。天気予報では今日の東京は雪もちらつくとか。暖かくして出かけようっと。♬梅は咲いたか~

  • 八代亜紀を悼む

    夢ウツツでテレビのニュースを見ていて驚いた。歌手の八代亜紀さんが亡くなったという。能登の地震の惨状に打ちひしがれる思いでいただけに二重のショックどころではなかった。え、どうしたの?そんな、まさか、ウソだろ?思わず取り乱してしまっていた。♬夜の新宿裏通り肩を寄せ合う通り雨自他ともに認める、ついでに隣近所も認める演歌ファンだった。と言うか演歌しか歌ったことがない昔人間だった。ただ、それぼど八代亜紀さんのファンだったというわけではない。ド演歌というよりポップ調の演歌が好きだった。そんなある日、ススタジオの隅で台本の打ち合わせをしていると八代亜紀さん本人が歌番組の打ち合わせでスタッフとともに入って来て簡単なカメラ合わせを始めたのだがその際、彼女が大ヒット曲の「舟歌」を口ずさみ始めた。全くのアカペラで調子を取るだけ...八代亜紀を悼む

  • 祝・成人の日

    明日は全国的に「成人の日」だそうである。縁もゆかりもないけれどめでたく新成人となる諸君に勝手に祝意の酒を贈りたいと思う。オジサンが成人を迎えたのはもう半世紀も前で記憶も定かではないけれど、袖振り合うも他生の縁である。さあ、グイと飲み干してくれ。二十歳の日をともに祝おうではないか。ついでに諸君たちに井伏鱒二の詩を贈りたいと思う。この杯を受けてくれどうぞなみなみ注がせておくれ花に嵐のたとえもあるぞ「サヨナラ」だけが人生だこれは于武陵という人の漢詩を作家の伏鱒二が独自の日本語に訳したものだが心に響く素晴らしい詩だと思う。「さよならだけが人生だ」は永遠の真実かも知れない。人生には花も咲けば嵐の日もある。うれしい出会いもあれば悲しい別れもある。この世は「会者定離」の繰り返しで出会った者やがては必ず別れる運命にある。...祝・成人の日

  • 中くらいなり

    そんなことをしている場合か?百円でも義援金送ったた方がマシだろう?という批判の声を気にしながらも新年の縁起物だからと恒例の初詣に行って来た。もちろん真っ先に被災者の皆さんの無事を祈ったのだがついでに恒例のおみくじも引いてみた。結果は「中吉」だった。めずらしい扇子型のおみくじだった。まずは「凶」でなかったことにホッとしながらも正直ちょっとガッカリだった。別に大吉を期待していたわけでもないし大吉をひいた年に特にいいことがあった記憶もないのだが喜んでいいのかどうか判断に困る結果だった。うーん、中吉か・・・小林一茶の有名な俳句にこんなのがあった。めでたさも中くらいなりおらが春〈一茶〉そうだよな、俺なんか中くらいがちょうどいい。大吉なんか出て、とんでもないものに当たったらその方が怖い。などと思い直して深呼吸するとも...中くらいなり

  • 冬の夏ミカン

    年が明けました>おだやかな正月だとばかり思っていたのに年明け早々、地震に津波、飛行機事故と立て続けの天変地異。何やら悪い夢でも見ているようで落ち着きません。夢なら覚めて欲しいと願いいながらあたふたと日々が過ぎ去ったて行ってしまいます。寝ぼけまなこでタバコを買いに出ると露地の向こうの茂み目にも鮮やかなミカンが鈴なりです。これは今が旬の夏ミカンでしょうか。真冬なのに夏ミカンが旬とはこれいかに?それにしても色彩の乏しい真冬にこの黄色の満艦飾は思わず見とれてしまう鮮やかさで眩しいほどです。見るからに酸っぱそうで口の中に唾液があふれて来るようですねえ。そんなことを言っている間にも能登地方の地震の続報が次々と入って来て目を覆う惨状です。今年はいったいどんな年になるのか・・・やりきれないようん気持ちになって来ます。冬の夏ミカン

  • 年暮る

    いよいよ大晦日です。今年も最後はまた東山魁夷の名作「年暮る」です。大晦日になると決まってこの絵をブログに掲載してもう何年か・・・国立近代美術館が所蔵する風景画の傑作。単なる風景を超えて深い精神性さえ感じさせる世界です。京都は鴨川沿い、東山三条あたりの風景です。低く連なる町家の瓦屋根、音もなくしんしんと降り積もる雪。空もなければ人の姿もない寂寥の風景ですが目を凝らすと手前の民家の窓にうっすらと灯りが点っています。学生時代を京都で過ごした私はこの風景に名状しがたい郷愁を覚えてしまうのです。当時、交流があった作家の川端康成から「いま描かないと京都が消えてしまう」と強く勧められ東山が渾身の思いで描いた古い町屋の風景。今はこんな風景はもうどこを探してもありません。いつかは京都で年越しをしたいと思いつつそんな機会もな...年暮る

  • 墓碑銘

    今年もいよいよ押しつまって来た。O・ヘンリーに「最後の一葉」という短編小説があるが残すところあと一日、まさに一葉の心境である。と思いつつ、今年もいろいろあったなあと思いを馳せる。言われみてみれば亡くなった人も多かった。今年も多くの人が鬼籍に入った。思い出深い人、突然の訃報に驚いた人、存在すら忘れていた人・・・人の死には少なからず「無念」は付きものだが自分は死に臨んだ時にどんな感懐を抱くのかと考える。後悔か、諦めか、それとも歯噛みするような無念の思いなのか。せめて「生きて来ただけで儲けものよ」とさっぱり笑い飛ばせる心境になれたらいいのだが・・・墓碑銘

  • 有馬記念・的中

    今年も有馬の季節がやって来た。Xmasではなくて競馬の有馬記念である。最近は大好きな競馬ともすっかり縁遠くなって馬券を買うこともめったになくなったが一年最後のドリームレースだけにやはり思い入れがある。泣いても笑っても一年の掉尾を飾るレースだ。ディープインパクト、オルフェーブル、キタサンブラック・・・有馬の歴史を飾る名馬は数あれど今ではすっかり「競馬初心者」に逆戻りしてしまった私だけに新聞を見てもチンプンカンプンで知らない馬名ばかり。ルメールのスターズオンアースからと思ったが有馬の大外枠はいかにも不利。その点、落馬負傷の事故から最近復帰したばかり武豊は淡々とした中にも闘志を秘めているように見えるし馬の実力もも申し分ない。よし、今年最後の競馬は武豊の復帰祝いだ!レースの結果はご覧の通り・・・武豊のドウデュース...有馬記念・的中

  • ♬ 枯れ葉よ~

    あれほど賑わった目黒川の桜並木も今ではすっかり枯れ果てて寒風が吹き抜ける。風が吹くたびに枯れ葉が舞いあがりカラコロ、カサコソと足もとにまとわりつく。ああ、この木もすっかり裸ン坊になっちまったなあ・・・今年はじめて「股引」を履いてみた。情けないとは思うがヒートテックなど持ってないしこの際、背に腹は代えられない。♬枯れ葉よ枯れ葉よ~歌うともなしに口ずさんでみる。毎年のことながら「今年もいいことなかったなあ」う思う。いいことがあった年などついぞ記憶にない。(笑)世の中も呆れるニュースや眉をひそめる出来事ばかりだった。来年はもうちょっとマシな年であって欲しい。今年も残すところ十日あまり。いよいよ押し詰まって来た。♬枯れ葉よ~

  • ヘルプマーク

    最近、このマークをよく目にする。朝夕の満員電車の中で、運よく優先席が空いてやれやれ助かったな!と呟きながらホッとして座った時にこのマークが目に入ったりする。街でこのマークをバッグにつけた人もよく見かけることもあって何のマークだろうとずっとナゾのままだった。正式には「ヘルプマーク」と言うらしい。体の不自由な人や障害を持った人は見て分かるのですぐに座席を譲ったりするのだが世の中にはそうでない人や外見上は気づかない人も多い。例えばパニック障害など内的な疾患を持つ人や妊婦さんなども周囲の介護や特別な配慮を必要とする人たちでそういう人たちへの気遣いを求めるマークであるらしい。かく言う私も最近は持病の膝痛が悪くてビッコを引くこともあって満員電車の中で辛い思いをすることも多いのだが世の中にはそういう人も意外に多いのでは...ヘルプマーク

  • 富士が見える暮らし

    池袋から通勤電車の帰路車窓の彼方に夕陽に染まる富士山がよく見えた。せっかく座れたのに思わず立ち上がって窓から見入ってしまった。刻々と西の空が深紅に染まって燃え上がる。オイオイみんな、富士山が美しいぞ!乗客に叫びたかったが誰もがスマホに夢中で無関心だ。毎日、富士山をまじかに眺めながら暮らすなんて何という贅沢だろうと思ってしまう。長年暮らして来た以前の団地でも14階から富士山は近くに見えたが地下鉄通勤だったので車窓に見えることはなかった。今回、数十年ぶりの引っ越しで現在の東武東上線沿線に移ったがまさかここからも富士山を仰ぎ見ることになろうとは・・・ちなみに職場である五反田のマンションからも屋上に上がると目の前に雪をかぶった富士山がくっきり見えてよくよく富士山に縁があるなあと思ってしまう。これを贅沢と言わずして...富士が見える暮らし

  • アレを見た!

    黄色く染まったメタセコイアの林を歩いているとどこかで「ギーギー」と壊れた自転車のブレーキのような音が聴こえる。あれ、この音はひょとして・・・慌てて周囲をキョロキョロと見回すといました、いました、縦じまならぬ縦じま模様の懐かしいタイガースのユニフォームが・・・そうです、アレです、紛れもなくAREです。わが阪神タイガースは38年ぶりの優勝、日本一でしたが公園で「コゲラ」を目撃したのは5、6年いやいや、おそらく10年以上ぶりではないでしょうか。タイガースの優勝も感動的でしたがコゲラ君との再会も実に嬉しく思わず頬ずりしたくなりました。おお、お前元気だったか、達者だったか・・・声をかける間もなく「ギーギー」と奇声を上げながら飛び去って行きました。アレを見た!

  • 小春日和②

    日曜日も土曜日に負けず劣らずポカポカ陽気の暖かい一日で朝寝坊日和だった。週に一日だけの休みだから心置きなく朝寝坊したいのだがかなしいかな年を取ると朝寝坊も楽ではない。八時過ぎには目が覚めてしまい朝寝坊にも体力がいることを痛感。近所の公園で風に吹かれて男の子が爆走中。自分が落ち葉と一緒に舞いあがるの面白いようでキャッキャッとはしゃぎながら走っている。よほど面白いのか何度も何度も同じことを繰り返す。うーん、何歳ぐらいだろうか・・・目深にかぶった帽子と覚束ない足取り何とも可愛らしい。ああ、平和だなあ、今日も小春日和なり。小春日和②

  • 小春日和なり

    東京・五反田駅前午前7時10分。まだ太陽が昇ったばかりで見るからに寒そうですが体感温度が妙に温かく「あれれ?」と調子が狂ってしまいました。この時期の暖かい日を「小春日和」と言うそうですが今年の夏の異常な暑さを思うとさもありなんと思ってしまいます。目の前を流れるのは目黒川です。都内有数の桜の名所も今はすっかり桜紅葉の風情。春は花見の遊覧船がひっきりなしに行き交ったものでしたが今はひっそりして春の賑わいがウソのようです。しかし、目黒川の紅葉もなかなか味わいがあっていいものです。この日、東京は20度近くまで上がってまさしく「小春日和」の一日で体調良好でした。小春日和なり

  • 蕎麦を食す

    帰り道に熱燗でちょいと一杯・・・と思ったものの師走というのに妙に暖かい日ですっかり調子が狂ってしまいました。とは言っても一度かかったエンドンを停めるわけにも行かず予定通り「初志貫徹」と相成りました。職場近くのそば屋で一杯でした。気温が20度近くあるのに熱燗はどうかと思いましたがそれはそれで味わいがあっていいものでした。そば屋で一杯は酒飲みの常道ですな。あれこれ適当につまみを頼みながら仕上げはやはり蕎麦。気がつけば今年初めての「新そば」」でした。そばの実も一緒に挽いた風味豊かな「粗びき蕎麦」を注文。ご覧のようにちょっと黒っぽいのが特徴です。私はツルンとして白っぽいあの「更科系」の蕎麦がどうも苦手でそばを食べたという気がしないんですよねえ。わがふるさとの自慢「出雲そば」に風味も食感も似ていてなんと二枚もお代わ...蕎麦を食す

  • 真鶴の巨人

    長年、美術番組を担当してきたせいかときどきリアルに「絵」の夢を見ることがあります。絵にも描けないような美しい夢の話ではなく画家が実際に描いた「絵画の作品」がリアルに登場する夢です。そんな夢を見る人があるのかなあ・・・思うのですが。文化勲章画家・中川一政の「福浦突堤」という風景画がです。神奈川県真鶴町の美術館で初めてこの絵を観た時は思わず「なんじゃ、コレは!」と叫んだことを覚えています。絵の具をぶ厚く何層にも塗りこめた図面。風景画とは思えぬ大胆な筆致で描かれたデフォルメの痕跡。風景画とは「美しいもの」と思い込んできた私の安っぽい常識を根本から否定し突き崩すような力感に溢れていました。「こんな風景があるのか・・・」と呆然自失。以来、中川一政さんの絵にすっかり魅了されその名を心に刻みました。俳優の緒形拳さんは中...真鶴の巨人

  • 山田ドラマの魅力

    脚本家の山田太一さんが亡くなった。数年前から闘病中であることはすでに聞いていたし最近は新作のドラマを見ることもめったになくなっていて寂しい気待ちになることも多かっただけにそうかとうとう亡くなられたのかと激しい喪失感がこみ上げる。もう一度、あの硬派で骨太なテレビドラマを堪能したかったと心から思う。いつも遠くから仰ぎ見るような大先輩だった。「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」「ふぞろいの林檎たち」・・・名作と呼ばれるドラマはそれこそ星の数ほどあってそれとは知らずに見ていても役者のセリフ回しを聴いているだけでああ、これは山田太一さんだと気づいた。決して大上段に振りかぶったテーマではなく何気ない日常を描きながらもその日常が根元から揺さぶられるドキリとするような展開があって視聴者自身が問われる「油断のならない」作家だ...山田ドラマの魅力

  • 気がつけば・・・

    長年続けて来たブログを停止したのが9月のこと。とくに理由があった訳ではありませんがこ自分の書く文章に嫌気がさしたと言うかその内容の底の浅さにホトホト失望したのが発端でした。で、三か月のリフレッシュ期間を経て自分の文章がどう変わったか・・・と、一応期待したものの、これがちっとも変ってないんですねえ、呆れるぐらい。考えてみればそれも当然かも知れませんねえ。もともと大したことを書いていた訳ではありませんし片意地を張ってみても一人の人間が書く文章なんかたかが知れています。結局、変わり映えのしない駄文を書き連ねていくしかないのか・・・などとため息とともに諦めの心境であります。(苦笑)気がつけばすっすかり紅葉の候です。暖冬のせいか今年はイチョウの黄葉の色づきが美しいです。神宮外苑の銀杏並木が青空に映えて息を呑むような...気がつけば・・・

  • 葡萄が書けない・・・

    私はこの齢になっても残念ながら「葡萄」という字が書けません。最近は目もすっかり遠くなって葡萄という字の細かい形状もよく見えません。このまま葡萄という字には縁がないまま死んでいくのでしょうか。でも、ぶどうは大好きな果物です。巨峰、デラウエア、ピオーネ、シャインマスカット・・・スーパーの店先でピカピカのぶどうの房を見るとワクワクして覗き込んだりします。先日、古い画集を引っ張り出して整理していたら懐かしい「ぶどうの絵」が出てきました。日本画家・近藤浩一郎氏の葡萄皿です。最初はこれが「水墨画」と知って本当に驚きました。色と黒の濃淡だけで事物をこれだけリアルを描けるなんてしかも、宝石のような葡萄のたたずまいは甘酸っぱい味まで彷彿とさせてまさに練達の技です。画家は東京美術学校の西洋画科に学びその後、水墨画に転じたと言...葡萄が書けない・・・

  • 9月になりました。

    勤め先は40年以上の老朽マンション。働き始めてかれこれ10年になるでしょうか。私にふさわしいオンボロぶりです。(笑)屋上の物干し場に登ると容赦なく照りつける陽射しに思わずクラクラとしてしまいます。吹き抜ける風にはどこか涼しさも・・・気のせいか空がいつになく高く見えます。上空に広がるのはアンテナ越しの秋らしい雲です。カメラには撮れませんでしたがついさっきシオカラトンボが群れ飛ぶのを見ました。暑い暑いとボヤいて間にも秋は確実にやって来てるのだなあ。と強がりを言いながらも屋上の掃除が終わるとエアコンの利いた事務所に逃げるように飛び込んでいました。待ちに待ったす9月です。9月になりました。

  • 虫すだく

    もう夏休みも終わりである。それなのに今日もまた猛暑日に熱帯夜。今年の夏はいったいどうなってるんだと嘆きたくなる。ところが嘆きつつ仕事に行こうと階段を下りると自転車置き場の草むらですずやかな虫の声。そうかそうか、秋は来ているのだなと嬉しくなって来た。昨日はベランダの網戸にセミがやってきた。「ツクツクホウシ鳴く新学期始はじまれり」なんて句があったがこいつはツクツク法師ではなくアブラゼミのようだ。猛暑日の日盛りも蒸し暑い熱帯夜もカップルを求めて鳴きづめに鳴いて彼は首尾よくパートナーに出逢えたのだろうか。この分だとまだかも知れないなあ・・・思わず「セミの一生」」などとという言葉が浮かんで瞑目する。秋の虫も鳴き始めたから夏ももう終わりである。そう思えばこの猛暑日も「名残り」のように思えて来る。もうふと少しである、そ...虫すだく

  • 交尾の季節

    夏休みも残りわずか、もう新学期が始まった学校もあるらしい。だからでもないが図書館で久しぶりに本を借りて来た。岩波科学ライブラリーの中に並んでいたこの本。自然科学系の本を借りることなどめったにないのだが面白くて夢中で読んでしまった。タイトルは「昆虫の交尾は味わい深い」である。公園を歩いているとごくたまに昆虫たちの交尾の瞬間を目撃することはあるが何やら気恥ずかしいような気がしてつい直視するのがはばかられる。それを「味わい深い」と感じたことなど一度もなかったが研究者である著者は徹底した観察と実験を通して昆虫の交尾という奇想天外で摩訶不思議な世界の謎を長年見続け来た結論が「味わい深い」なのである。交尾とは言うまでもなくオスとメスのセックスことで種の保存には欠かすことのできない行為である。昆虫は世界に1000万種と...交尾の季節

  • ドングリな秋

    汗を拭き拭き帰り道を歩いていると・・・前方の木立の間にドングリが顔を覗かせていました。連日の猛暑日にウンザリしながらも暦の上ではもうとっくに立秋も過ぎていますから秋は確実に近づいているのですねえ。よく見ればまだまだ青いドングリです。人間に例えると「青二才」と言ったところでしょうか。経験の浅い若者をよく青二才とか言いますねえ。この青二才が何を言うか!とかまだ青二才の私ですが・・などと言います、私も若い頃はよく言われたものです。時ながれ星めぐり分別臭い爺さんになったいまもあんまり変わってませんねえ。物事を知らないし経験がちっとも身につかないしうーん、どうしようもありません。(笑)ドングリを見つけて嬉し古希の夏(杉作)かつての青二才も古希になりました。ドングリな秋

  • 水には流せん!

    日本には昔から「水に流す」という言葉があります。古き良き和解の精神とでも言うのか。いろいろあったけどとりあえずここは水に流して・・・といって手を握り合うあの先人の知恵です。それ自体は古き良き「美徳の精神」ではありますが。ご存じ福島第一原発ををめぐる処理水の問題です。政府は昨日、漁業関係者との会合で24日にも海洋投棄を決めました。理解を得るためにはいかなる処分もしない・・・と約束していたのにそれを一方的に反故にするような決定です。最近こうした結論ありきの強引なやり方ばかりが目立つ岸田内閣ですが本当にl理解が得られたのか、風評被害は大丈夫なのか。私にはとてもとてもそうは思えません。一旦海上投機を始めれば30年は続くと言う長い期間ですしいくら水で薄めても汚染範囲は逆に広がるばかりです。まさしく「水には流せない」...水には流せん!

  • レバニラで喝!

    今日も今日とてまた猛暑日なり。ちょっと買い物に出ようと思って外に出てとたんあまりの陽射しの強さにクラクラと倒れそうになる始末でした。もう外に出るのはやめてお昼はソーメンにでも・・・とは思ったもののオンネと建前は裏腹で押さえがたい「食欲」はどうすることも出来ませんでした。結果はこの通り・・・暑さにめげず堂々たるレバニラ定食です。レバニラかニラレバかは食べるたびに迷うのですが夏バテ解消にはこれが一番というのは私の長年の経験でどうだどうだ文句あっか!と言いつつ完食でした。最近はどうも食欲が希薄で我ながら体重減少(?)を案じていましたがそんな夏バテ気味の食欲体たらくに久しぶりにレジニラ定食でがガツンと喝を入れてやりました。レバーとニラの独特の風味にシャキシャキとしたもやしの食感が加わって猛暑日何するものぞ矢でも鉄...レバニラで喝!

  • 残暑にあらず

    もうお盆も過ぎたのに・・・暦の上では立秋さえ過ぎたたというのに・・・このクソ暑さはいったいなんだと腹立たしくなってくる。関東でも十日以上「猛暑日」が続いていてモクモクと湧きあがる入道雲と容赦のない陽射しにゲンナリするのは私だけだろうか。帰り道、石塀の上にとまる赤トンボを見かけた。お、いよいよ秋の使者の登場かと嬉しくそっと足音を忍ばせて近づいても一向に飛び立つ気配いがない。ん?お前ケガでもしているのかと不思議に思いつつよく見ると肩で息をしているような青息吐息(笑)の風情で明らかに『夏バテ』の症状で気の毒であった。ナツアカネぴくとも動けず残暑かな(杉作)と一句しゃれてはみたがいやあ、これは残暑じゃないなと思い直した。残暑と言えば「夏の名残りの暑さ」というイメージがあるが名残りどころかこう連日の『猛暑日』とあっ...残暑にあらず

  • ふたたびの無言館

    78年目の終戦記念日である。日々に追われてそんなこともすっかり忘れていたが深夜にトイレ起きるとつけっぱなしのテレビで懐かしい美術館の映像が流れていた。このブログで何度も紹介したからご存じかも知れないがその名も「無言館」という小さな美術館だ。信州は上田市の郊外塩田平の高台に建つ私設の美術館だ。この地で信濃デッサン館を主宰する作家の窪島誠一郎氏が戦没画学生たちのために建てた慰霊美術館である。展示してある絵は戦死した画学生たちの遺作ばかりを集めたもの言わぬ美術館、すなわち無言館である。真夏でもひんやりとした空気が漂う館内。その静寂の中、モノ言わぬ「遺作」たちが私たちを迎えてくれる。東京芸術大学を中心とした若き画学生たちの作品の数々。享年27歳、享年23歳、享年29歳・・・最年長でも30歳になったばかりで、年齢を...ふたたびの無言館

  • 夏空に見とれる

    台風一過という言葉があるが台風はまだ来てないのに窓の外に広がる空があまりに雄大で思わずスマホでパシャリと撮ってしまった。これぞ『夏空』といった感じで照りつける太陽が眩しく周囲に蝉の声が激しく響き渡る。最近めったに見たことのない夏の空である。始めて訪れた川越市立美術館。日本のグラフィックデザインの草分けとして名高い杉浦非水の回顧展にやってきた。三越百貨店のポスターで一世を風靡した非水だけにそのポスター描きとしての技量の先進性と構図の大胆さにはただただ感心するばかりで大満足の展覧会だった。それ以上見とれたのはこの夏空の雄大さでガラス越しに何度も空を見上げては夏をかみしめていた。台風の進路は気になるとところだが台風一過となれば秋の気配が急速に深まるに違いない。川越は昔から「小江戸」と呼ばれる文化豊かな土地柄だが...夏空に見とれる

  • ああ、上高地

    今日は『山の日』だそうである。カレンダーをめくっていて初めて気がついたほど山には関心がないし縁もない。ただ、そんな山に関してはズブの素人の私にも深く胸に刻み込まれた山の思い出というものはやはりあって・・・その代表が「上高地」なのかも知れない。あまりにも有名な定番観光地なので口にするのも気恥ずかしいが訪れたのはもう二十年近くも前のことかも知れない。手前を流れる梓川と河童橋。彼方に広がるのは奥穂高連峰や槍ヶ岳の雄大なパノラマ。ようやく少年らしくなった息子を連れ梓川沿いを焼岳や大正池、明神池などをめぐりその夜は麓の乗鞍温泉に泊まった。夏休みの終わりだったが夜ともなるとシンシンと冷え込み温泉で身も心も温まったものだ。寝床に入っても昼間見たナナカマドの赤やダケカンバの黄色がいつまでも瞼に焼きついて離れず眠れなかった...ああ、上高地

  • カンナ燃ゆ

    たどり着いた岬の突端にはオレンジ色のカンナの花があざやかに燃えていました。眼下に広かる海は波穏やかな相模湾。神奈川県真鶴町は私が大好きな画家・中川一政が晩年を過ごした街。大地からむくむくと湧きあがるようなカンナの力強さは画家の豪胆な筆致そのものを見るようです。私の大のお気に入りの海です。学校に上がったばかりの息子を連れてよく海水浴に来た海です。浅瀬で無心に素潜りを繰り返す息子を眺めながら用意の缶ビールをグビリとやるのが何よりの愉しみでした。水遊びを終えた後は家族で真鶴町立美術館へ。中川画伯の融通無碍、広大無辺の絵画世界に酔い知れたものです。こんな力強い風景画があるのか、想像を絶する心象風景ではないのか。一つ一つの作品にただただ圧倒されました。いまも道端に燃えるカンナの花を見るたびに当時の感動を思いだします...カンナ燃ゆ

  • 懐かしき花火

    八月はお盆もふくめて花火の季節である。夏休みには必ず帰省して田舎の花火大会を見るのが私や家族の何よりの愉しみであり大げさに言えば心のよりどころでもあった。その故郷もいつしか「遠くにありて思うもの」となりドンドンと足が遠のく。長岡大花火をこの目で初めて見たのは都内のデパートで開かれた山下清の展覧会だった。もう十年近く前のことだろうか・・・この絵が「貼り絵」だと知って衝撃を受けた覚えがある。放浪の画家として知られる山下清画伯はその独特な画風と自由奔放な人となりで知られた天才である。脳裏に刻まれた花火の鮮烈な記憶と一枚一枚のピースを根気強く貼り合わせていく作業でこの圧倒的な「絵画世界」を造り出している。私も趣味のスケッチの絵筆を握って懐かしい「郷里の花火」をこの手で描いてみたいと思う。懐かしき花火

  • ぶらり水族館

    どこか涼しいところに行きたい・・・とにかくこの炎暑を逃れたい・・・仕事帰りに意識朦朧、青息吐息でやって来たのが池袋の「サンシャイン水族館」だった。時折しも24節気の一つ『大暑』の真っただ中。美術館ではなくて「水族館」なんて何十年ぶりだろうか。館内はまさしく『別天地』であった。ほどよく効いたクーラーの冷気にあちこちから響く涼し気な水音。まるで軽井沢の避暑地(行ったことないけど)を旅しているような気分だ。仲のよさそうな親子連れが水槽内を泳ぎ回る魚たちをさっきから食い入るように眺めている。この魚たちは何というのだろうか。姿かたちや色などからすると南の海のような気がするけれど・・・水族館には疎い(うとい)オジサンには分かりません。それでも水中に迷い込んだような臨床燗に身も心もすっかり癒されていまい汗もすったりひい...ぶらり水族館

  • 夏野菜を食らふ

    今日も猛暑日なり。久しぶりにカレーが食べたくなった。いつもの「ココイチ」に出かける。汗をダラダラかきながらスパイスの効いたカレー食いたい。カツにしようかチキンにしようか・・・などと考えながらカウンターに座ったのだが。見れば「夏野菜カレー」というのがある。野菜は苦手だが「夏野菜」という言葉の響きに妙に惹かれた。ナス、トマト、ピーマン、インゲン、オクラ・・・肉っ気はないが緑を中心に旬の野菜がゴロゴロ入っていて見るからに体によさそうで食欲をそそる。確か「夏野菜は夏バテ解消に効果あり」と聞いたことがあって迷わず注文。生まれて始めて「肉なしのカレー」を食べた。いやあ、予想以上に美味かった。夏野菜の『滋味』が混然一体となって体に染み渡るようだった。かなりスパイスも効いていて、汗ダラダラで店を出た。夏野菜を食らふ

  • 昆虫少年だった頃

    いよいよ夏休みに突入。子供たちが待ち兼ねたように手に手に虫網を持って草むらや野原を駆けまわる。ああ、今年もまたこの季節が来た、夏だ!暑い暑いとボヤキまくっていた夏バテ気味のオジサンもこの光景には元気が出て来るような気がする。買ったばかりの真新しい昆虫網。セミやトンボや蝶だけでなくカブトやクワガタだって欲しい。公園デビューの昆虫少年の胸は大いに高鳴るのである。昔、昆虫少年だったオジサンも昆虫採集に精を出したものだがせっかく出来上がった標本を新学期の登校途中転んでバラバラに崩壊したことがあってあの時の泣きたいような気持は今も忘れられないのである。昔、昆虫少年だっオジサンを森で見かけた。見るからに「ただ者ならぬ」雰囲気を漂わせながら年季の入ったプロ仕様の昆虫網で素早く獲物を追う動きに無駄がない。むむむ、おぬしで...昆虫少年だった頃

  • ほっといてやれよ!

    テレビで何度か見かけたことがあるが名前までは知らないでいた。モデル出身の人気タレントで「愛されキャラ」だったと言う。若者文化の代弁者などと持て囃すムキもあったらしい。私のようなオジサンでさえ軽やかに時代を疾走する感を覚えていたがそんな彼(彼女?)が突然、命を絶ってしまった。もちろん自死の理由はわからない。当然、成功者や人気者に対するヤッカミや妬みもあったはずだ。子供の頃から「性同一性障害」の違和感に悩んできたが数年前に、同じモデル出身の若い女性と知り合って結婚、長男も生まれた。そのあたりの経緯もSNS上で発信してさらなる人気者に。ところが最近になって突然、その彼女との離婚を発表して渦中の人に。「身勝手すぎる」「子供が可哀そう」「無責任」「最低」事情を知らない人からの誹謗中傷が相次いだと言う。別に本人同士で...ほっといてやれよ!

  • 汚染水

    新聞を何度読んでも納得がいかない。福島第一原発からとめどもなく吐き出される放射能汚染水。これに業を煮やした政府はとりあえず海水で薄めあれこれ化学処理を加えて「処理水」などと言いくるめてみたが濃度は薄まっても汚染水であることに変わりはない。それをこともあろうに海洋に放出するというのだから呆れ果てる。他に方法はなかったのかとあらためて思う。風評被害を心配する漁業関係者が猛反対するのは当然である。政府はIAEAの報告書を「国際基準に合致している」としきりに喧伝するがIAEAの調査は本当に信用できるのか?公平中立の立場なのか?聞けば日本のIAEへの拠出金は世界で一、二だそうだが大事なスポンサーに遠慮や忖度はないのか?事務局のスタッフにも東電の出向者が多いのも気になる。それより何より肝心の漁業関係者への「理解」は本...汚染水

  • 美術館を散歩する

    久しぶりに上野を歩いた。久しぶりに国立西洋美術館を覗いた。とくに観たい展覧会があった訳ではなかったがたまには散歩がてらに絵を見るのもの悪くないなと思いつつ500円だけを払ってのんびり所蔵展を鑑賞した。最近はやたらにバカ高い「特別展」ばかりで安い値段で気軽に絵を愉しむなんてことも少なくなったなあ。などと文句をいいながら常設展の内部をグルリ。モネ、ピカソ、ルノアール、ルーベンス、ゴーギャンなど世界屈指の名画たちをわずか500円で心ゆくまで堪能できて大満足。そんな常設展ある休憩室で見かけた一組の夫婦の後ろ姿。まさに夫唱婦随の美術館散歩といった感じでああ、いいなあ、二人とも絵が好きなんだなあ・・・まさにそこらを気軽に散歩でもするような軽やかさがあって夫婦の信頼感のようなものを感じた。美術館を散歩する

  • 木槿咲く

    白地にピンクのあざやかな花が咲き始めました。その名も「木槿」(むくげ)です。この花が咲き始めると「ああ、夏が来たなあ」と決まって思ってしまいます。お隣の韓国では国の花である国花にもなっていてムグンファと呼ばれています。朝に咲いて夕方には散ってしまう「一日花」です。以前、二度ほど韓国を旅したことがあってかつて朝鮮が「朝の鮮やかなる国」と呼ばれたようにソウルでもプサンでも夏はこの花が決まって風に揺れていました。もちろん日本でも昔から馴染みの花で芭蕉や一茶たちも有名な俳句を残していますねえ。道のべの木槿は馬に食われけり(芭蕉)それがしもその日ぐらしぞ花木槿(一茶)木槿は生活に根ざし心に根ざした鮮やかな花です。木槿咲く

  • ああ、七夕飾り

    自転車で走っていると・・・森の中に色とりどりの祭り飾りが見えて来た。そろそろ夏祭りの季節だからさもありなんと思いつつよくよく見るとこれは「七夕飾り」ではないか。そうかそうか、もうすぐ七夕だ・・・今どき埼玉の片田舎にそんな風習が残っているとは。いや、田舎だからこそ昔ながらの行事が今も残っているのか。そう思うと何やら嬉しくなって来た、最近は都会では「鯉のぼり」もトンと見かけなくなったし将来を担うはずの子供たちの「情操」はどうなってしまうのか!と文部省に訴えたいような気分になって来る。近くの幼稚園児たちだろうか。七夕飾りの「短冊」にも元気いっぱいの文字が踊る。と思いきや・・・「おやのきゅうりょうが上がりますように」なんて切実なものもある。「びんぼうではありません」と断わり書きまである。子供自身が書いたのか、親が...ああ、七夕飾り

  • 7月です。

    暑い暑いとボヤきながら7月を迎えました。あんまり暑すぎてガマンできず公園の芝生では裸で寝転がる人までいました。そりゃ私だって気持ちは同じですが醜い老体を人前にさらすわけにもいきません。本格的な夏の到来です。7月は私の「生まれ月」だけに力が入ります。力が入るといっても別に裸踊りを披露しようというわけではなく何か新しいことを始てみようかと思う今日この頃・・・こう見えても意外に語学は得意で高校時代には英検二級に合格したほどの英才でした。そのかわり大学時代は第二外国語に選択した選んだロシア語で教科書を一度も開いたこともないまま落第。語学に関してはそれがちょっとトラウマになっていることもあってぜひ雪辱を果たしてみたいみたいものだと・・・この歳になって新しい語学に挑戦するのは無謀かも知れませんが。(笑)7月です。

  • ビール日和

    ♪今日の仕事はつらかったァあとは焼酎をあおるだけェ~岡林信康の昔の歌にそんな曲がありましたなあ・・・今の若い人はご存じないかもしれないが岡林はわれわれ世代には「フォークの神様」でした。カリスマは今はどうしているのか・・・・♪今日の仕事は暑かったァ~後は生ビールをあおるだけェ~側溝にたまった大量の吸い殻除去をしたので作業後は足腰ガタガタ、汗ビッショリで迷わず居酒屋へ直行。心ゆくまで生ビールを痛飲しました。夏場はやっぱり焼酎ではなくピールでしょ、岡林さん。私は根っからのビール党です。叩き上げのビール党かつ生粋のビール党でもあります。したがって年がら年中、夏も冬も「ビール日和」と公言しています。おかげでこの歳になっても少しも体重が減りません。ビールのアテの定番は「ヤキトリ」が一番ですねえ。体質に会うと言うのか好...ビール日和

  • 桑の実みっけ!

    そんなタイトルをつけてはみたものの本当に「桑の実」かどうか今も自信はありません。団地の片隅にある植栽の茂みで梅雨の晴れ間の眩いばかりの陽の光を浴びて赤黒い木の実がひっそり輝いています。最初はラズベリーか何かとも思ったのですが・・・これって「桑の実」ではないでしょうか。幼なりし小学校時代、学校帰りに近所の桑畑に忍びこんでは夢中で頬張った懐かしい桑の実の味。農家の人の怒鳴る声に思わず逃げ出したけれど桑の実の甘酸っぱい味は今も忘れられない郷愁の味です。桑の実と言えば「オカイコさん」「養蚕業」ですがこんな団地の隅っこで養蚕業を営んでいるとは思えませんしだいいち今の時代に「蚕」なんているのか・・・などと言いながら恐る恐る桑の実を口中に・・・プチプチとした食感を確かめるように噛みしだくとうーん、これこれ、この甘くてほ...桑の実みっけ!

  • タチアオイの頃

    梅雨晴れを待ちかねたようにタチアオイの花ががグングンと咲き登っています。日照りつける盛りをものともせずに真っすぐに力強く空へ空へと咲き上っていきます。見るからに健気ですねえ。梅雨の頃に咲く花です。紫陽花とは違って強烈な色彩が特徴です。この花が咲き始めるとああ、今年も長い梅雨が始まるなあ・・・などと言いながら重い気分で覚悟を決めたりします。ところが梅雨が明けた途端に花期が終わり姿が見えなくなってしまうのです。今年の梅雨は長いのか、それとも空梅雨に終わるのか・・・気になるところですねえ。タチアオイの頃

  • トチノキの光と影

    物ごとにはすべからく表と裏がある。言い換えれば明と暗である。時には「光」と「影」などと表現されることもある。そう言うと何やら秘密めいて好まざる事態のようにも思えてくるのだが・・・これでもかという「梅雨の晴れ間」だった。朝からグングンと気温が上昇してうだるような猛暑日に。容赦のないし直射日光に耐えかねて思わず知らずトチノキの木陰に逃げ込んでいた。見る見る汗が噴き出してあまりの眩しさにめまいすらしそうだった。しばらくすると心地よい風が吹き抜ける。一気に汗が引いていくような心地だ。トチノキの楕円の葉っぱは限りなくやさしくすべらかに光も影もなくすべてが癒しの葉ではないかと思う。うーん、いいシルエットだなあ・・・トチノキの光と影

  • 国会中継

    ラジオで国会中継を聴いた。とくに政治に興味があるわけでもないし中継と言えばテレビの野球中継を見るぐらいだが国会の論戦も来週でひとまず終わりらしい。鳴り物入りで提出中の重要法案はどうなっているのか・・・注目の衆院解散はあるのかも気になった。バイデン爺さんの機嫌取りなのか防衛費の大幅増強を打ち出して得意満面だったのにいざとなるとそんな財源がある筈もなく血眼になってそろばんを弾く醜態は笑止千万であった。出て来る財源案はどれもこれも裏づけのない曖昧なものばかりでこれで大丈夫なのかと呆れ果ててしまう。いっそアメリカに話はなかったことにしてくれと謝ったどうか。(笑)LGBT法案も「理解増進法」に名前を変えたのには笑った。この分野ではわが国は周回遅れもいいところで大幅に増強しなければならないのはこちらの方かも知れない。...国会中継

  • 空昏るる

    梅雨入り宣言がいつだったか・・・その後もシトシト連日のように雨続きでもうしばらく青空を見ていない。梅雨の晴れ間もあるだろうにとカーテンを開けてみても今日もどんより曇り空である。道端でこんな俳句を見つけた。どこの誰かは知らねども粋なことをするご仁もいる。なるほど「空昏るる」か・・・確かに雨に濡れた紫陽花は美しく風情たっぷりだかついでに憂いもたっぷりでどうも気が滅入る。何やら黄昏の気分になってしまう。玄関に鉢植えの紫陽花を飾ってみた。数年前に公園の「植木市」で買い求めたものだがその後も毎年のようにベランダで咲いて目を愉しませてくれる。元来、紫陽花は強い花だと聞いてはいたがここまでとは・・・何か儲けものでもしたような気分だ。こなら雨にも濡れないし「空昏るる」気分も無縁だ。梅雨空の気分転換とシャレてみた。空昏るる

  • 桜桃忌

    仕事帰りにスーパーの店先を覗くとサクランボの可愛らしい実がピンピカと輝いていた。おお、そうかそうか、今年もそんな季節か・・・思わず足を止めて見入ってしまった。あの甘酸っぱい香りが周囲に漂うようであった。結構お高いので一番安いのを購入。その場で思わず一粒を口に放り込んでみた。甘くてみずみずしい味と香りが口いっぱいに広がる。売り場のそこだけがバーッと明るくなっようなサクランボには不思議な訴求力があるよなあ、にどと思う。ヘたをすると全部食べてしまいそうなので慌てて家路を急ぐ。太宰治の命日『桜桃忌』も近いよなあ・・・久しぶりに太宰を読んでみたくなるような初夏の農具れだった。桜桃忌

  • 紫陽花を愉しむ

    今日も朝からシトシト雨が降っている。関東地方も数日前だったか「梅雨入りしたらしい」と聞いた。予報にもみの一週間はズラリと雨マークが並ぶ。毎年のこととは言いながら何とも憂鬱なことではある。反面ウキウキと弾むような気分も同時にあるのは何故だろうか。梅雨入りを待ち兼ねたように庭や通りの紫陽花が一雨ごとに輝いて来た。毎年のことなのに雨に濡れた紫陽花の美しさに惹かれて思わず見とれてしまうような瞬間がある。本人(?)もそんな自分の魅力を百も承知のところがあってわざとらしく雨粒を揺らしたりする。(笑)憂鬱な筈の雨をこれほど美しく可憐に奏でる花はないのかも知れない。紫陽花には本当に雨がよく似合う・・・ズラリと並ぶ雨マークの日々もこの花があれば乗り越えていけるような気がする。紫陽花を愉しむ

  • ココイチで夏来たる

    久しぶりに『ココイチ』でカレーを食べた。もともとカレーは大好物だがここのカレーは妙に性に合うと言うのか味もスパイスの加減も身の丈に合っていてお気に入りだ。定番のカツカレーでひとときの至福を味わう。食うほどに味わうほどに額にジンワリと汗が浮かんで来る。これだ、これだよな!と言いつつさらにかきこむ。ほどよいスパイスが刺激となってジワジワ汗がにじんで来る。つくづく「カレーは夏の食べだよな」と思う、母のカレーは懐かしいけれど家庭ではこうはいかないからな。言いつつプロの調合を存分に味わって完食。この日はちょっと蒸し暑いせいもあって汗ビッショリだった。これだ、これだよ、夏はこれに限る!大満足のカレー日和だった。ココイチで夏来たる

  • お引越しでした。

    突然ですが・・・思うところあって引っ越しました.。長年慣れ親しんできた東京都民を返上してなぜか埼玉県民となりました。ダ埼玉なんて悪口も言われそうですが・・・新天地は埼玉県富士見市という田舎町です。相変わらずの団地暮らしですがその名の通り家の窓から正面に富士山が見えると言う絶好のロケーションが気に入りました。この一週間ほどは引っ越しの準備や荷物の梱包にてんてこ舞いで何度やめようかと挫折しかけたか知れません。よけいなものは持たずに身軽に暮らしてきたつもりですが二十年以上も一つ所に暮らしているとその荷物の多さは驚くほどで不用品・廃棄物の処分にまさに「断捨離」気分でした。それでも何とか山のような段ボールを片付けて夕暮れに染まる富士山の深紅のシルエットを眺めているとこの歳にして新しい人生が始まったことを実感します。お引越しでした。

  • ゼレンスキー・サミット

    広島で賑々しくG7サミットが開催された。途中から戦時下のウクライナからゼレンスキーも参加し岸田もバイデんも吹き飛んでしまった。かくして広島サミットは一転ゼレンスキーサミットとなり世界の対立と分断はますます深まった。戦争の方やの当事者が来日したとあってはもはや平和への祈りどころではなく欧米諸国はウクライナ支援を次々に表明。ついには戦闘機の供与まで射程に入って来た。中国・ロシアの反発は必至で戦争の終わりはまったく見えない。ああ、どこまで続く泥沼ぞ・・・ゼレンスキー・サミット

  • 不憫な花

    仕事帰りにブラブラ公園を歩いていると陸橋の欄干の下に無数に咲き乱れる白く小さな花が・・・これはまさしく「群生」状態です。そうか、そうか、もうそんな季節なのかと思いつつ顔なじみの花に出逢ったような気分です。この白い花はドクダミですねえ。なかなか可愛らしい花なのにド・ク・ダ・ミとは・・・誰がつけたか知りませんが何ともひどいネーミングではありませんか。大昔、わが家は庭の隅にトイレ(厠)があるような古い家で夜中でも家の外で用を足さねばなりませんでした。ドクダミはそんな薄暗い湿った場所に決まって群生していて私たちは「便所草」などと呼んでいたものです。ドクダミ、便所草、うーん、何とも不憫な花だと涙がこぼれます。鼻を近づけると独特の「臭気」が周囲に漂います。アンモニア臭とでも言ったらいいのか・・・もともと薬草としても重...不憫な花

  • モネの庭

    雨模様の庭園を傘を差しながらそぞろ歩く人たちがいます。その名も「空中庭園」と名づけられたデパートの屋上。かつて大型遊戯やペットショップがあった場所を大改修して誕生した広大な庭です。ビォトープと呼ばれる人工の池には睡蓮などの水生植物がのどかに浮かんでいて癒しの風景が広がります。この風景、どこかで見たことありませんか?ホラ、どこかの美術館の名画で・・・そうなんです、画家クロード・モネの連作で知られたあの「睡蓮」の絵画そのものの世界です。パリの郊外「ジヴェルニーの森」に晩年の居を構えたモネは亡くなるまでの数年間にわたって憑かれたようにこの睡蓮の制作に励んだと言います。いま世界にどれだけの数の「睡蓮」が残っているのか知りませんが連作に賭ける執念たるや凄まじいものでした。このデパートの屋上の庭園はまさにモネの世界を...モネの庭

  • 泰山木に降る雨

    朝から雨が降り続いています。泰山木の葉っぱが雨の雫に濡れて光っています。水も滴るいい男・・という言葉がありますがなかなかの男っぷりに見えます。昔から泰山木という木が大好きなんです。泰山木の木を見るとなぜか「泰然自若」という言葉を連想します。物ごとに動じない、自分を見失わない堂々とした人間のことですがいつもバタバタ、オタオタばかりしているだけにそんな人立派な間に憧れるのでしょうか。(笑)共通するのは「泰」という字だけなのに・・・泰山木はこれから初夏にかけて大ぶりの白い花を咲かせます。空に向かって大きな盃を広げたような純白の花です。この大きな花に並々と酒を注いで祝杯を上げたら美味いだろうなあ・・・いつも決まってそんな気分になるのです。この盃を受けてくれどうか並注がしておくれ花に嵐の例えもあるぞサヨナラだけが人...泰山木に降る雨

  • 皇居のシャガ

    いつもの公園ではありません。久しぶりに「皇居東御苑」を歩いてみました。皇居の新緑を見たいと思ったのですが新緑ならぬ白い花が見渡す限り一面に咲いていました。ん、ん、こりゃ何の花だべか・・・よくよく見るとシャがの花ではありませんか。白っぽくて可憐な花がこれでもかと群生しています。まさに壮観というか圧巻というか・・大好きな花だけにテンションだだ上がりでした。まさか皇居にこんな風景が広がっているとは思いませんでした。決して派手な花ではありません。どこか頼りなげで日陰を好んで咲くと聞いたことがあります。なんかアヤメの花に似ているなあ・・・と思って調べると案の定アヤメ科の花でした。思わぬとことろで思わぬ花に出逢うのもうれしいですし日陰の花というのも私にピッタリの気がしてちょっとスキップでもしたい気分でした。皇居のシャガ

  • 大人の日

    昨日は「子供の日」だった。全国的にガキたちばかりが持て囃される中で子供だけでなく「大人の日」だってあっていいじゅないかと大いに義憤にかられたのであった。大好きなビールで勝手に大人の休日を祝ってみた。場所は某デパートの屋上である。空中庭園などとシャレた名前がついている。もともと遊具などが並ぶ古い屋上施設を大改修してして「モネの庭」と名づけたビオトープを設置。フランス・ジュヴェルニューの森の画家モネの自宅を模した美しい絵画の世界が再現されている。丁度バラ園のバラが満開で心地よい薫風に吹かれながら南国気分でオリオンビールの乾杯と相成った。子供の日があるなら大人の日だってあっていいじゃないか。うそぶきながらの休日だった。大人の日

  • 緑に寝そべる

    昨日は「みどりの日」だった。当日にカレンダーを見て初めて知った。ゴールデンウィーク中だけに以前も祝日だった気はするが果たして何の祝日だったのか思い出せない。あきらめて「みどりの日」を受け入れることにした。誰かの誕生日だったような気も・・・頭に「みどりの日」があったせいか公園のシロツメクサの原っぱで思いきり寝転んでみた。初夏を思わせる日差しが容赦なく降り注いで暑いほどである。深呼吸をすると微かに草いきれが匂う。ああ、いい気分だ・・・大の字になって寝転がるなんて何年ぶりだろうかと感慨深い。周りは連休中の子供たちが遊ぶ声がうるさいほどだ。あ、草の上で寝ているヘンなオジサンがいる!そうなんだ、ヘンなオジサンは気持ちがよくて寝ているんだ。君たちも寝転んでみないか、いい気分だぞ!とは言わなかったが・・・(笑)緑に寝そべる

  • 5月です。

    5月になりました。公園では薫風をまとってこいのぼりが泳いでいます。数えれば三年ぶりの勇姿でしょうか。流行り病のわずらわしさから漸く解き放たれたせいか伸びやかに気持ちよさそうに泳いでいます。黄金休暇週間の真っ盛りですね。全国各地の観光地はどこもかしこも大賑わいですが皆様はいかがお過ごしでしょうか。残念ながら私の休暇はカレンダー通りということで今日からまたいつも通りの仕事です。こいのぼりと言えば今年も「子供の日」が近づいて来ましたねえ。せっかくの機会(?)ですから私の下手なスケッチも・・・いつだったかもう忘れましたが相模川の堤防近くで見かけたこいのぼりの勇姿です。老いぼれの私にも子供時代はあって思い出すことの一つ一つが楽しく輝かしい日々でした。少子化今は「子供受難」の時代でなかなか希望が見えませんが子供たちに...5月です。

  • 泉州・水茄子

    たまたま立ち寄った近所の漬物屋さんで「水ナス入荷中」の貼り紙。そうか、そうか、もうそんな季節なのか・・・と言いつつ思わず購入しました。東京で水ナスが食べられるなんてラッキーです。大阪は泉州地方の名物・水茄子です。その味と言い風味とと言い私は「日本一のナス」だと思っています。以前に一度だけ泉大津の水ナス農家を取材したことがあってその水分の多さに驚いたことがありくした。たわわに実ったナスビを一口かじると果肉からボタボタと水分がしたたり落ちてフルーツのような味でした。水も滴るいい男、という言葉がありますがアレです。以来、すっかり水茄子のファンになりました。さすがに東京では生で味わう訳にはいかないので漬物ですが味と風味は限りなく生に近いものでした。水茄子で軽く一杯、さらにお茶漬けで一杯と大いに堪能した一日でした。泉州・水茄子

  • ♪ 石楠花色に~

    今にも降り出しそうな曇り空の下で目にもあざやかな深紅の花がこぼれんばかりに咲いていました。バラ園の造成工事で撤去されたとばかり思っていたのにどっこい、ちゃんと生き残っていたようです。石楠花(シャクナゲ)の花ですねえ。この花を見ると条件反射のようにこの歌を口ずさんでしまいます。♪夏がくれば思い出すはるかな尾瀬(おぜ)遠い空霧のなかにうかびくるやさしい影野の小径(こみち)水芭蕉(みずばしょう)の花が咲いている夢見て咲いている水のほとり石楠花(しゃくなげ)色にたそがれるはるかな尾瀬遠い空たしか小学生の頃に歌った合唱曲でした。私は尾瀬というところに行ったことはありませんが涼やかなせせらぎに水芭蕉の花が揺れるまるでこの世の別天地のようなイメージを思い浮かべ石楠花色とはどんな色だろう・・・などと想像力を膨らませたもの...♪石楠花色に~

  • 人混み嫌い

    渋谷のスクランブル交差点である。通勤途中、山手線の車内からチラリと覗く見慣れた風景だ。朝はさほどではないが夕方は大混雑。まさに群衆と言っていいほど大勢の人たちが行き交う。それを見ながら「ああ、イやだイやだ~」と思わず呟いてしまう。人混みが嫌いになったのはいつの頃だろうか。昔(若い頃)はむしろ人混みが大好きな人間だったような気がする。毎日のように盛り場に出かけては飲んだくれていたし趣味の競馬でも場外ではなく必ず競馬場に出かけて現場で声援を送った。大歓声に囲まれながら「群衆の中の孤独」を気取った。そんな「人混み大好き人間」の私がどうして人混みが苦手になったのか?単に「年を取った」だけのことだと思っていたがどうもそれだけではないように思えて来た。若い頃に比べると価値観やライフスタイルも大きく変化して来たし手べ物...人混み嫌い

  • 躑躅も薔薇も花盛り

    夏日があって真夏日まであってここ数日のポガポカ陽気は体にこたえるほどで着るものにも本当に困ってしまいますねえ。とにかく季節の移ろいが早すぎて次々と咲き競う花たちに追い立てられるようです。この陽気で公園のプールも大盛況。プールサイドの斜面ではツツジが今を盛りと咲き誇っています。まるで燃え盛るような豪華なグラデーションは思わず息を呑むような美しさです。これだけキレイに刈りそろえるのは大変だろうなあ・・・などと感心しながら職人さん労苦に思いをはせるばかりです。すぐ横のバラ園でもいまが花盛り。大勢の人たちでひっきりなしで賑わっています。バラほど育てるのに手間がかかる花はないそうですがスタッフの日頃の丹精に頭が下がる思いです。難しくて「躑躅」も「薔薇」もいまだに満足に書けませんが花を育てる人の思いに感動した日曜日で...躑躅も薔薇も花盛り

  • 筍を煮る!

    この時期の味覚といえば筍である。今がまさに旬だけに八百屋の店先にはデカイ筍がゴロゴロと所狭しと並んでいる。あのシャキシャキとした食感と独特の風味が私も大好物だけについ食べたくなる。筍料理の定番中の定番「若竹煮」を作ってみた。タケノコとワカメを煮込んだだけのシンプルな料理だが素材のうまさを味わうにはこれが一番だ。本当は丁寧にアク抜きまでしたかったのだが最近はそんな手間のいらずの灰汁ぬき済みの筍があるので助かる。カツオ出汁でコトコトと煮ること30分。出来上がって初めて上にのせる「木の芽」を忘れたことに気づいた。うーん、肝心の物を忘れてしまった・・・ま、いいかとすぐに気持ちを切り替えたが残念である。そのかわり志野焼の器に出来立ての筍とワカメを盛り付けてなんとか格好はついたような気がする。(笑)冷たいビールで味わ...筍を煮る!

  • 新緑を描く!

    若葉がすくすくと伸びている。時はまさに「新緑の季節」である。午前中はどんよりと曇っていた空も晴れ渡って吹く風が実に気持ちいい手天気だ。滴るような緑・・・という言葉があるがみずみずしく生気にあふれた新緑の何と美しいことか。ああ、そんな新緑の輝きを絵に画いてみたい。久しぶりに絵筆を持ってみたい、スケッチをしてみたいと思った。もちろん素人画家だから自信はないけれど・・・公園のケヤキの大木を描いてみた。大木らしい逞しさ武骨さはなかなかよく描けていると思う。新緑のみずみずしさもこんな感じだろうか。ただ、人間を描かせるとたちまち馬脚が表れてしまう、もともと絵の基礎がないから人物描写は大の苦手ではあるのだがそれにしてもこのヘタさ加減には思わず笑ってしまえ。結局、デッサン力がないのだなあ・・・偉そうに「新緑を描く!」など...新緑を描く!

  • AIとIR

    久しぶりの朝日新聞。せっかく買ったのに大した記事がねえなあ・・・思いつつ読み始めるとすぐに「チャットGPT」という横文字が目に入って来た。チャット・・・GPT・・・どこかで聞いたことがある。もそうそう、確か「AI(人工知能)」のことだった。最近のAIの進歩は目覚ましいものがあってグーグルやらマイクロソフとやら大手IT企業が血眼になって開発にしのぎを削っているらしい。データさえ入れてやれば最近はごく自然で流麗な文章が立ちどころに出て来るまでになったと言う。いかに人工頭脳が進歩しようとも文章を書くとという知的作業が出来るわけないとバカにしていたが私のような文筆業が世の中から淘汰されるのも遠い日ではないのかも知れない。問題はそのもととなるデータを大手IT企業が独占していることで個人情報の流出やプライバシーの侵害...AIとIR

  • 忘れじのハナミズキ

    季節は春から初夏へ。一雨ごとに木々の緑が匂い立つようで街路樹の鮮やかさが際立ちます。そんなさわやかな初夏を代表する花と言えばやっぱりコレですよねえ。私が大好きなハナミズキです。百花繚乱で目移りしてしまうこの季節この花が咲き始めると何故だか心が浮き立ってきます。ねじれたプロペラのような花ですが純情可憐な白も、淡いピンクもちょっと色っぽくてそれぞれ表情があって素敵なんです。古い曲ですが一青窈が歌った「ハナミズキ」という曲は彼女の妖艶な魅力もあってけだし名曲でした。もともとは北米産の花だそうです。ワシントンのポトマック河畔に咲くソメイヨシノは東京都が姉妹都市の証として贈った桜ですっかり有名になりましたがその返礼として贈られたのがこのハナミズキでした。そう言われてみればどことなくアメリカの匂いやたたずまいを感じる...忘れじのハナミズキ

  • 夢に見るサクラ

    今年の桜もすっかり散ってしまった。ゆっくり花見をする間もなく花の季節が終わったせいかその心残りをいつまでも無念に思うせいか昨夜はめずらしく桜の夢を見た。朧げな夢の中ですぐに「吉野の桜」だと気づいた。吉野と言えば天下に名だたるヤマザクラの名所である。全山を彩る三万本のシロヤマザクラが麓の下千本から中千本、標高の高い上千本まで順に咲き競ってゆく様子はまさしく「一目千本」と讃えられ圧巻のグラデーションに目を奪われる。あの太閤秀吉が歴史に残る豪勢な花見の宴を催した栄華も源義経と静御前がつかの間の逢瀬を生きた逸話もすべては「吉野ならばさもありなん」と思わせるロマンが漂う。ふと気がついてみれば・・・夢の中で露天風呂につかりながら花見を愉しんでいた。まことに結構なご身分である。(笑)果たせなかった花見を夢の中で実現でき...夢に見るサクラ

  • ギャンブラー畑正憲

    作家の畑正憲さんが亡くなった。ムツゴロウの名でお茶の間に親しまれたように動物好きのやさしいオジサンと言ったイメージが強いが知る人ぞ知る「稀代のギャンブラー」でもあった。風貌に似ず人柄は豪放にして磊落。自分は「ギャンブルのために生まれて来た」とまで公言して憚らぬ根っからの勝負師だった。東大在学中に覚えたとという麻雀はプロはだし。当時から東京・山谷の雀荘に入りびたり地元の猛者たちと打ち合って鍛えた腕はまさに筋金入りだった。現在も日本プロ麻雀師連盟の名誉顧問でもある。競馬の世界でも数々の伝説を残している。動物学者という視点から馬を見る目にも独特の感性ががあって馬主として惚れ込んだ馬には有り金のすべてをつぎ込むような豪快さがあって結果、途方もない大金を手にすることもあった。サラリーマンギャンブラーの私には到底太刀...ギャンブラー畑正憲

  • 青葉・若葉の頃

    いつもの通勤路です。駅まで続くケヤキ並木にいつの間にか若葉が芽吹いて来ました、キラキラと朝の陽に輝いて眩しいほどです。ああ、いいなあと呟きながら思わずパチリでした。サクラもいいけれど、モミジも味わい深いけれど私はこの季節が一番好きかも知れません。時は百花繚乱のまさに春本番。次々と咲き競うとりどりの花に目を奪われながらもこの緑なすケヤキ並木の新緑を見ているとウキウきと心が弾んでしまいます。並木だけでなくケヤキの大木も色づいて来ました。思わず見とれてしまいますねえ・・・しがない団地暮らしではありますが季節の至福は惜しげもなく訪れてくれます。あらたふと青葉若葉の日の光(芭蕉)俳句の神様も「おくのほそ道」の途上でこの新緑のまぶしさに心を奪われた一人でしょうか。まことに尊い日の光です。青葉・若葉の頃

  • 落花しきり

    満開だった桜が風が吹くたびにハラハラと散って行きます。ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむそんな古い和歌も浮かぶようにせっかくの桜が惜しげもなく見る見る散って行きます。花の命は短いけれどあまりにも短すぎて無情を禁じ得ません。ああ、これが「落花しきり」の状態なんだなあと散り際の美しさに心を奪われます。今年は、いや、今年もゆっくり花見を愉しむ間もなく過ぎた多忙な日々が惜しまれてなりません。桜吹雪の中を歩きなずら、ふと一句。しきりなる落花の中を行きまどう(杉作)なかなかだなあと自画自賛しながら、さらに一句。音もなく散り急ぐ花や薄曇る(杉作)いつもならこれで打ち止めだが今日はよほど調子がいいのか冴えているのかもう一句。春惜しみ人惜しみつつ落花かな(杉作)まさに「下手な俳句も数打ちゃ当たる」状態でした...落花しきり

  • 4月です。

    4月になりました。土曜日のせいか「新年度」と言われてもいまいちピンと来ません。(笑)目黒川沿いの桜もすっかり葉桜の趣きになって花の命短さを痛感しますねえ。今年はせっかくの満開の風情も雨続きだったせいにめずらしく風邪をひいたこともあってゆっくり桜を愉しむ間がありませんでした。この時期に「菜種梅雨」という季語があるようにまさしく梅雨のような日々でした。その風邪ひきの名残りで体調の不安が続いているせいかどうもブログも滞りがちで気力が伴ないません。新年度はブログをどうするか・・・続けるべきか思い切ってやめるべきか・・・ちょっと迷ってます。(笑)4月です。

  • 水温む

    カモの逆立ち(でんぐり返し)です。この季節、公園の池でよく見られる光景です。いったい何をしているのか?最初は疑問でしたが水中の藻や小魚をついばむ姿とか。この季節ならではの風物詩だそうです。確か「水温む(ぬるむ)」という季語がありました。凍るように冷たい水温が少しずつ暖かくなると水中の生物たちの活動も活発になってそれをよく知っているカモたが獲物を探してしきりにこの逆立ちを繰り返すようになるそうです。まさしくカモのでんぐり返し。春ならではの季語です。おお、その水中ではヒキガエルの姿が!もうオタマジャクシではなくこんなに大きく育っています。これも桜の咲く季節になると決まって見られる光景だそうです。人間世界ではまだまだ冷え込みが続きますが水の中では生きものたちの胎動が始まっているんですねえ。寒がりだけに水だけでな...水温む

  • 満開です。

    あいにくの雨模様にもかかわらず目黒川の桜はもう満開です。上野公園では花の下での宴会も解禁だそうですが目黒川はそんな場所がありませんから道行く人の誰もが桜を見上げながらそぞろ歩きです。今年から名物のぼんぽりも復活だそうでそんなそぞろ歩きの風情を一層かきたててくれます。今年は開花から満開までのスピードが例年になく早い気がしますがせっかく満開なのにいきなり「花散らしの雨」とは世の中うまくいきませんねえ・・・雨の止み間をぬって「お花見クルージング」も就航中。もっとマスク姿が多いのかと思いましたが意外に少なくて川面からの花見は解放感たっぷりでしょうか。私も一度はこの船に乗ってみたいと思うのですが今年も「川べりの見物人」のままで終わってしまいそうです。花粉症葉や満開の桜かな(杉作)満開です。

  • みんな野球少年だった

    WBC(ラールド・ベースポール・クラシック)の熱戦が日本中を興奮の坩堝(るつぼ)に叩きこんだ。幼い子供から小中生、開催中のセンバツ高校野球の球児たち果ては昔若かったお年寄りたちまで単なる野球のイベントと知りつつ勝敗の行方を見守った。とは言いながら私自身は仕事があって見ていない。気になりつつもネットで試合の推移を確認するのが精一杯だった。自宅であたらためてスポーツニュースを見ながら結果は分かっていても試合の細部を再確認してまた興奮してしまう。自分が草野球に夢中だった頃をつい思い出して懐かしい。ろくな野球道具もなく原っぱでボールを追いかけるだけの日々だったが自分も「野球少年」だったことが誇らしく思える時代だった。それにしても大谷翔平という青年のスポーツマンシップの素晴らしさにただただ感服し称賛を送りたい大会だ...みんな野球少年だった

  • 接写の春

    日曜はいつもの公園散歩。久しぶりに単焦点カメラを持参してみた。人との接触をずっと避けて来たが同じように対象物にに近づいての撮影も避けて来た。久しぶりにどアップの接写である。公園の桜はもう五分咲きである。今週末には早々と見ごろを迎えると天気予報。ぐっと近づいて間近でカメラを向けると花びらの微妙な表情や息づかいも聞こえるようで自然に心が浮き立って来る。やっぱり接写の春、拙者(?)の春である。ユキヤナギ(雪柳)はもう満開の勢いだ。白く小さな花びらが無数に集まって枝垂れる風景は桜に負けず劣らず美しいと思う。この時期にもう雪が降ることはないだろうが桜の頃の雪景色もまた捨てがたい。接写の春

  • サクラサク

    3月17日、五反田・目黒川。都内有数の桜の名所でもサクラサクでした。ただ、ソメイヨシノはまだ蕾で咲き始めたのはなぜかオオシマザクラでした。でも、私はこの桜の方が好きなんです。五反田は江戸時代、目黒川を挟んだ東西の田園地帯で五反の田圃があったところからその名がついたと言われています。現在はITベンチャー企業の一大集積地でオフィスビルやタワーマンションが建ち並ぶ中で風俗店やラブホテルも多くちょっといかがわしい街でもあります。私もこの五反田で働くようになってもう7年です。3月18日、光が丘公園も知る人ぞ知る桜の名所です。ソメイヨシノがもう三分咲きの風情です。ただ、残念ながら朝から冷たい雨が降り続きいきなり「花散らしの雨」になってしまいました。光が丘公園はかつてアメリカ軍の基地や飛行場があった場所でその跡地が都内...サクラサク

  • モクレン咲いたよ

    桜の開花はまだですが公園ではモクレンの花が次々と咲き始めました。雨後のタケノコという言葉がありますが雨も降らないのにニョキニョキと一斉に花開きます。ああ、春が来たなあと実感します。白くやさし気で可憐な花です飲んべえの私はついワイングラスを連想しますが白いのがハクモクレン(白木蓮)紫色もあってシモクレン(紫木蓮)と呼びます。これだけワイングラスを並べられると飲み過ぎて悪酔いしてしまいそうな春の昼下りですねえ。それにしても桜はまだかいな・・・今年は久しぶりにお花見の宴会も復活だそうですが花の下で心置きなくグラスを傾けたいですねえ。モクレン咲いたよ

  • スズメを撮る

    都内で桜の開花が確認されたそうだ。靖国神社の境内に咲くソメイヨシノの標準木を気象庁の職員が丁寧に数えていた。今年は早い早いとは聞いていたがこの時期の開花はかなり早いのではなかろうかとと思う。いつもの公園では・・・うーん、まだですなあ。手持無沙汰なので仕方なくスズメを撮ってみた。撮るものがないので仕方がない。昔は公園でも雀の大群をよく見かけたものだが最近はそんなこともなくて飛び回っているのは二、三羽だけ。お母さん、雀たちははどこへ行ってしまったのでしょう。(笑)仕方なく今日のブログのタイトルは「スズメを撮る」とする。飛び回るスズメにシャッター向けながらを映画「すずめの戸締り」のことを何気なく考えてしまった。確か戸締りを忘れると災いが入って来るので全国各地の「門」を探して回る若い男女の物語だった。さまざまな寓...スズメを撮る

  • 難解な作家

    作家の大江健三郎さんが亡くなった。言わずと知れた川端康成と並ぶノーベル賞作家である。東大仏文の出身で学生時代に作家デビュー。以来、旺盛な創作活動で国際的にも文学的な評価は高く核兵器や天皇制などを通して言論活動にも熱心で社会運動にも深くかかわって来られた。というような表向きのプロフィールは書けるけれど・・・作家・大江健三郎についてはほとんど知らないし語る資格もない。代表作の『万延元年のフットボール』も『同時代ゲーム』も途中で放擲してしまってほとんど読んでいない。とにかくわが身にあまる難解な作家で往生するのである。丸メガネがトレードマークの柔和な笑顔で見るからにとっつきやすい作家には見えるのだがどうしてどうして骨太でレトリックに富みしかも奥が深いので凡人の手には余る作風なのでいつも挫折する。そんな中で私が唯一...難解な作家

  • ミモザの春

    桜の蕾はもう待ったなしの秒読み状態だが今を盛りと咲き誇る花もある。自転車で走っていてふと視線を上げると目の前に突然、あざやかな黄色の森が出現して思わずクラクラとしてしまった。店の人に聞くと「ミモザの花」だと言う。言われてみれば以前にも一度だけ見かけたことのある馴染みの花だと思い出した。花屋の店先に飾られた切り花だったような気がするがこれだけ大量のミモザが生い茂っている様子は圧巻でさえある。それにしてスゲェーーなあと感心してしまう。先日、3月8日は「国際女性デー」だったがその象徴として欧米では「ミモザの日」で知られていると言う。これも店の人から聞いたにわか知識だかいかにも女性の社会進出や地位向上にふさわしい美しく可憐で力強い花だと思う。さて、今日から気持ちも新たに月曜日である。私はマスクを外すつもりだが女性...ミモザの春

  • 秒読みです。

    日曜恒例の公園散歩。ここ数日来の初夏のような暖かさを思うとそろそろかなァと思っているとこの間まで固かった桜の蕾がプックラと膨らんでいます。案の定「そろそろ」でした。(笑)小さな蕾がパンパンに膨らんでます。よく見ると先っぽにはもうピンクの花びらも見えます。これを「秒読み」状態と言うのでしょうか。今朝の天気予報では、いや都内の桜の開花予想では15、6日には開花の予想だそうです。今年は例年にない寒い冬だったのに一度春めくと一気呵成でもう秒読み状態とはやっぱり嬉しいですねえ。もう寒の戻りはないのでしょうか。また雪が降るなんてことはないのでしょうか。そのことばかりが気がかりです。(笑)秒読みです。

  • あれから12年・・・

    10年ひと昔とは言うけれどもう12年もたったのかとやはり感慨があらたになる。大震災も原発事故も悲劇ではあったけれど12年の歳月はその疵を多少なりとも癒してくれただろうか。津波による行方不明者は今も2500人以上。石巻を訪れたのは震災後2年目の春だった。津波ですべてが流され更地となった台地が目の前に広がりその真ん中に「がんばろう石巻」の大きな看板がポツンと建っていた。春とは思えぬうすら寒さでヤマセと呼ばれる季節風が吹く中鯉のぼりが忘れ去られたように風に吹かれていた。まさに不毛の大地、まるで地上の廃墟に迷い込んだようで涙がこみあげて来るような光景だった。あれから12年・・・人間は「忘れる生きもの」ではあるけれど忘れてはいけないことがある、とこの日が来るたびに思う。あれから12年・・・

  • ものづくり大国に異変あり?

    H3ロケットの打ち上げがまた失敗したらしい。テレビのニュースでその様子を見ていて思わず深いため息をついてしまった。前回の打ち上げも直前になって不具合が見つかり失敗ではなく「中止」と言い逃れたものの関係者にとってはまさに痛恨の事態だったと同情する。世界に冠たる「ものづくり大国」に明らかに異変が起こっているのではないかと心配する。世界的なEV(電気自動車)の潮流にも完全に乗り遅れた格好だし国産初のジェット旅客機の開発もいつの間にか聞かなくなってしまった。それより何よりコロナ禍で国民のだれもが願った国産ワクチンの開発も結局は叶わなかった。日本の科学技術の象徴だった半導体も今ではすっかりアジア諸国の後塵を拝してしまっている。何がいけないのか、どこが間違っているのか・・・柄にもなく国を憂えてみるのだが門外漢でよくわ...ものづくり大国に異変あり?

  • 異次元

    最近は異次元の「金融緩和」だとか異次元の「少子化対策」とか何やら異次元流行りだがどれも期待外れでガッカリすることばかり。異次元とは次元が違うことだし規格外といことで凡人の想像力をはるかに超えた偉業であるに違いななくそのけた外れの力に誰もが感動する。昨夜は久しぶりに「異次元」を目の当たりにした。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)強化試合。阪神戦に打席に立った大谷翔平は第一打席は三振。時差ボケで体調は最悪だったらしいが続く第二打席はタイミングを外されて大きく泳ぎながらも低めの球を見事に救い上げると打球は高々とバックスクリーンへ。ご覧のように片膝をつきながら右手一本で豪快にスタンドに放り込んだ。最初は平凡なセンターフライと思ったのだが・・・恐るべきパワーに誰もが呆気にとられ度肝を抜かれたのだった。続く...異次元

  • おわび

    新聞を見るなり・・・オイオイまた「おわび」かよ!と腹が立つ。どこまで謝れば気が済むのかと呆れ果ててしまう。もう戦後70年以上もの年月が経つのに植民地支配は事実だしそれに対する謝罪も賠償もしたはずなのに反日の恨みはかくまでかと涙さえ出て来てしまう。日韓の「徴用工」をめぐる請求権訴訟である。韓国の年間予算にも匹敵する莫大な補償金を払って接着したはずなのにこれが最終決着で二度と請求をはないと約束をしたのに政権が変わるたびにこの問題を蒸し返し過去の清算と謝罪を求め続ける反日体質はもはや病的である。この繰り返しによって嫌韓感情がどれほど膨らんだか。もちろん徴用工問題だけでなく慰安婦問題も同様である。ソウルの日本大使館前に建てられた慰安婦像。そもそも慰安婦という存在があったのかどうかさえ疑問なのにあのような醜悪な像を...おわび

  • ジョウビタキ

    いつもの公園散歩。薄曇りの寒い日曜日だったが明らかに以前のような寒さとは違ってきた。寒さに力がないと言うのか・・・この間までの身を切られるような寒さがゆるんできてどことなく春近しを思わせる日曜日だ。あちこちで野鳥のさえずりが聴こえて来る。ツーピー、ツーピーと賑やかなシジュウカラ声ににまじってヒッ、ヒッと短く鳴いているのがジョウビタキ。火を焚くときに使う火打石の音に似ているからその名がついたと言われる代表的な冬鳥である。さっきまでチョコマカ忙しなく後いていたのにそっとカメラを向た途端に不動のポーズ。実にサービス精神満天なのである。春が来るとシベリア方面へと飛び立っていってしまうからこれが見納めかも知れない。ジョウビタキ

  • コロナ世代

    3月は卒業式シーズンである。各地の中学や高校で連日のように卒業式が行われる。かつて私は若気の至りで高校の卒業式の出席を拒否したことがあって今になってなぜそんなバカなことをしたのか後悔しきりでこの季節が来るとせつなくて胸キュンなのであある。ああ、卒業式出たかったなあ・・・今年の卒業生たちを「コロナ世代」と呼ぶらしい。コロナウィルスの流行が始まったのが三年前。ほぼほぼ三年間をずっとマスクですごした生徒たちだ。クラスターや学級閉鎖を体験した世代だ。入学以来、感染防御のためにひとときもマスクを外せずクラスメートたちの顔や表情の変化を見ることなく声を上げて笑い合うこともゆっくり話すこともなかった。まさに三年間を棒に振った世代である。考えてみればこれは実に悲しく味気ないことではなかったか。精神や情緒の発達に影響はなか...コロナ世代

  • 子度を産めない社会

    いつものお弁当&新聞タイム。毎日新聞の一面はオリンピックの談合問題だ。いやはや、口利きも賄賂も談合も諸悪の根源は電通にあり。日本の国そのものが電通病に感染している。この際すべてのイベントから電通を出禁にしてはどうか?厳しいペナルティーが必要だはないかと思う。出生数がついに80万人の大台を切ったと言う。日本の少子高齢化は歯止めがかかるどころか絶望的な状態である。どこぞの学者が「年寄りは集団自決しろ!」などととんでもない暴言まで飛び出す始末で高齢者の私は首筋が寒くなる。ただ、高齢化はともかく少子化は深刻な問題だ。子供を産まない社会、産もうと思わない社会には希望がない。国会でも少子化対様の議論がかまびすしいが答弁に立つ肝心の岸田首相の危機意識の欠如に希望がない。米国のご機嫌取りに防衛費の増強など叫んでいる場合で...子度を産めない社会

  • 3月です。

    3月になりました。待ちに待った弥生3月です。師走から、睦月、如月とじっと寒さに耐えて弥生の声を聞くのをどれだけ待ちわびたことでしょう。昨日、今日の上着要らずのあたたかさはまさに春本番ですねえ。公園の梅林では白い梅の花がほぼ満開でした。ご近所の老人会のメンバーでしょうか。お爺ちゃんやお婆ちゃんたちが集って和気あいあいと「梅見」の真っ最中でした。いくつになっても春は心浮き立つものがあるようですがよく見るとワンカップで酒盛りでした。(笑)うーん、いいなあ・・・陽気に誘われたのはお年寄りだけでなく近所の猫もすっかり春本番でした。あらら、これはうたた寝どころではなく熟睡ですなあ。こんな無防備の猫は見たことありません。ああ、いいなあ、うらやましいなあ・・・と言いつつ思わず私も大あくびでした。(笑)3月です。

  • ボケですか?

    サクラの蕾はまだまだ固いのに・・・北風がビュービュー吹いて凍えそうなのに・・・ボケの花がふっくらと膨らんでます。木になる瓜と書いて木瓜です。関西人は人を罵倒する時に「このポケ!」などと言いいますが私はそんな乱暴な言葉を使ったことはありません。(笑)ボケの花が膨らんで来ましたが私は最近ボケの症状が兆してちょっと心配です。物忘れが激しいとか、人やモノの名前が思い出せないとかは今に始まったわけではなく日常茶飯事です。ただ、最近は何かの用事を思いついて部屋に入って来てもあれ、俺って何しに来たんだったけなんて急にわからなくなってハタと立ち止まってしまうことがあります。オイオイ、俺ってダイジョウブ?これってヤバくない?可憐に咲き始めたボケの花を眺めながらわが身に兆し始めた老人ボケの悲哀にショックのオジサンです。(笑)ボケですか?

  • 菜の花や・・・

    久しぶりの仕事場ご近所散歩。JR五反田駅駅を起点とする東急池上線。そろそろ咲いているかなあ・・・と思いつつ線路にかかるガードをくぐると目の前の斜面に広がるのはは一面の菜の花畑です。私だけの穴場スポットと呼んでいます。池上線の電車と菜の花のベストショットです。都会のど真ん中にこんな風景があるなんて信じられません。まさしく牧歌というか絶景というか・・・思いきり深呼吸しながらついつい俳句などを口ずさんでみるオジサンです。菜の花や月は東に日は西に(蕪村)そう言えば日増しに日が長くなって来ましたねえ。春近しを思わせて嬉しいですねえ。近くのスーパーに「菜の花のおひたし」が出ていたので嬉しさついでに買って帰りました。ほろ苦くて春の味がしました。菜の花や・・・

  • ウクライナを思う

    2022年2月24日。ロシアのウクライナ侵攻から間もなく1年が経つ。テレビや新聞で「ウクライナ」という文字を見るたびに今もせつなくやりきれない思いになる。いったいどれだけの人びとが犠牲になったのか・・・一年もたってなぜ和平の道筋が見えないのか・・・一年を前にウクライナを電撃訪問したバイデン大統領はあらためてNATOや西側の結束を呼びかけさらなる軍事支援を発表した。対するプーチン大統領は恒例の教書演説の中で西側を激しく批判した上でこの戦争の正当性を国民に訴えた。もはや完全に大国同士の「代理戦争」の状態でロシアとアメリカの意地とメンツ張り合いの様相となっている。この戦争はいったいいつまで続くのか・・・世界で唯一の被爆国である日本に和平に果たす役割はないのか・・・と思ったりするが岸田首相にそんな気はサラサラない...ウクライナを思う

  • 懐かしのナポリタン

    いやあ、懐かしい・・・今どきこんなメニューがあるなんてなんだかタイムスリツプでもしたようで大興奮。たまたま入った五反田の洋食屋で冬場だけの「季節限定メニュー」として堂々と出されていた。懐かしの「鉄板ナポリタン」である。茹でたスパゲティを鉄板の上で玉ねぎやピーマンウインナーなどと一緒にケチャップで炒め仕上げに溶き玉子を流し込んでアツアツをいただく。実にシンプルなパスタ料理だが日本生まれの国産パスタ料理である。確か名古屋の喫茶店の考案ではなかったか・・・懐かしいケチャップ味のスパゲティーをハフッハフッと言いながら頬張ると嬉しくて涙が出る。思わずお代わりしたくなるような味だった。季節限定などと言わずに一年中出してもらえないだろうか。懐かしのナポリタン

  • こぶし膨らむ

    いつもの公園散歩。ここ数日のポカポカ陽気のせいかこのまま一気に春に突入かとさえ思ってしまう。そんな嬉しい痕跡がないものかとキョロキョロと周囲を見回してみると・・・おお、ありましたありました!綿毛に覆われた蕾がほのかに膨らみ始めている。私のとぼしい植物知識によればこれは「こぶし(辛夷)」の蕾ではないか。春先に純白の可憐な花を咲かせるあのコブシの花だ。ぬくぬくとした防寒着を身にまといながらもこの温かな日差しを全身に浴びて膨らみ始めている。地元では三月の末に「こぶしハーフマラソン」大会が開催の予定だがそれに向けて開花の準備が始まっているようだ。その頃には桜の開花も始まって一気に春の到来である。うーん、オジサンは待ち遠しいぞ!(笑)こぶし膨らむ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、まろの人生いっぱい&いっぱい!さんをフォローしませんか?

ハンドル名
まろの人生いっぱい&いっぱい!さん
ブログタイトル
まろの人生いっぱい&いっぱい!
フォロー
まろの人生いっぱい&いっぱい!

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用