後7日で、80歳の大台に成る。花まつりの日が、私の誕生日だ。お釈迦様と同じ誕生日であるが、未だ悟りが拓けづにいる。日々痛みとの戦いで、些か疲れ果てた。ブログの片付けをしたいが、如何にしたものか、・・・・。社会とのつながりがここだけなので、窓を開けておきたいのだが、管理できない状態が近づいている。80歳
藤森 照幸(旧名 深山 霞)
石州街道沿い(安芸国名刹 別格本山福王寺山中)にて、主夫しています。 但し、炊事だけ。 洗濯、掃除は奥様に拘りがあり 私の出番が有りません。
昨日までの天気が一転、夕方小雨交じりの天気となった。午前中は、心地よい秋風が吹き、さすが中秋の名月のお陰?と思っていたが、夕方になり肌寒くなると、小雨が降って来た。将にご婦人の心変わりの如く、(これはご婦人に失礼しました)・・・。今では隣家の屋根を叩く雨粒の音が強く成って来た。それにしても、世間は戦時中でありながら、あまり騒がしくない。一見地球が二分されて戦うのかと思いきや、何だかクスぼり続けた山火事の様である。こういう上他愛を硬直状態と言うのだろうか。どうもそうでは無さそうだ。アメリカの暗部で何だかたくらみがなされている気がしてならない。此のっ戦争で、ビットコインが値上げしたとかしないとか、はたまた、新しい投資方法が考え出されたとか、色々噂話が飛び交い始めた。片方では、次期オリンピック予選にスポーツ選手...いよいよ秋本番か
私が子供の頃は、十五夜と言えば、黄な粉団子が夕飯であった。先ず三宝に、黄な粉団子を飾り、その傍にはススキを生けた鉢。金持ちの家では、一段目に一辺十五個の黄な粉餅を三角形に敷き詰めて、ピラミッドの様に積み重ねていく、全部で幾ら積んだのだったか忘れた。その次が、子供たちの黄な粉団子の夕食。大人たちは、黄な粉餅にしないで、団子汁にして食した。今日歯医者の帰りに、スーパーの売り場で同年代のご婦人が立ち話をされていた。今夜何を食べるかの話であった。一人の婦人が、「久しぶりに団子汁が食べたいと」旦那さんが言い出したそうである。二十年も作った事が無いと笑いながら、食材探しにテンヤワンヤの様子であった。私も結婚してから一度も食べていない。奥様は、ヒバゴンの末裔であるから、日常茶飯事「団子汁」を食べていたそうで、それが嫌で...広島で十五夜お月様と言えば・・・
連日の暑さである。暇な老人が二人、顔を突き合せれば、喧嘩である。「トイレの扉が閉まっていない。」「便器の蓋が空いたまま」等々、社会全般に何の影響も無き事で、喧嘩をしている。時には、三日ほど、口も利かない事が有るが、いつの間にか、他人の悪口を言っている。ところで、我が家のお孫様が、大学受験が近づいた。妊娠六か月と言う、超早産で生まれ、三か月間は、病院の保育器の中で育った男子である。医師からは、障害が残ると言われたが、娘が大変な努力をして育てた。この子の未来に、ある程度の判断が付くまで、次の子を作らなかったほどである。その所為か、気立ては温厚であり、ジュックリ物事に取り組む子である。下の女の子は、負けず嫌いで、誰にも負けたく無いと言う気力が、雰囲気に四六時中出ている。上の男の子は、一年に一回、広島県の検診を受...日々感謝して、日暮れを待つ
昨夜からの曇りが、午前九時雨になった。小雨に始まり、少しずつ雨粒が大きく成って来た様だ。天候の変化に引きずられて、私の体の痛みも御付き合いしている。全体の軽い痛みから、今は節々の痛みが酷くなってきて、トイレで座るのも呻き声が出てくる。我慢していてもどうにもならないので、階段を呻き声を出しながら、降りてトイレに通っている。こういう日に限って、下痢となった。原因に思い当たらないでいる。痛み止めの追加を飲んで、今やっと二階に上がって来たところだ。ふと思い出したことが頭をよぎった。昨夜の「ご飯」である。奥様が気を利かして、先日好評だった「むかごめし」を、御炊きになった。何処でどう入れ替わったのか、「ぬかご」が「お茶の実」に入れ替わっていた。とんだ「茶番劇」であった。奥様と二人して、「お茶の実」を取り出して食したが...曇りのち雨
「Pretty woman story 様」は、私と同じ年の生まれの様だ。
この年のうまれの女性は、非常に審美眼が鋭く、男に負けない知力を持つ方が多いい。私の同級生の女性がそうである。加えて、一途なところがあり、恋愛すると男がしんどくなる。戦後の厳しき時代を、生き抜いてきた力は侮れない。その典型的女性が「吉永小百合」である。Prettywoman様も、ブログからそう感じてくる。生まれ年によって、性格や気質が違うのだろうか。違うと言えば、違うように思えるし、変らないと言えば変わらないようにも思う。しかしながら、やはり違う気がする。ここにその事実を書くと、私を知る人間は、誰の事を書いたか知る事が出来るので、書く事が出来ない。今の私の奥様などは、其の真反対である。学ぶことには全力で突き進むが、それが済むと全てお忘れである。有名人の掻いた小説を読んで、その感想をブログに挙げているが、数年...「Prettywomanstory様」は、私と同じ年の生まれの様だ。
午前十一時には、雨になるとの予報だったが、一向に雨は降らず、暑い一日であった。と、言っても30℃である。何時もより、涼しく凌いでいた。午後五時、突然雷が向かいの「螺山」のTVアンテナに…それと同時に強い風が・・・、加えて雨が降り始めた。雨と言うより、消防車が放水した様な勢いの雨である。三拍子そろった雨空は三十分すると、パラパラと屋根を叩く軽い音に変わり、雷も遠ざかって行った。スマホでレーダーの映像を見てみると、「線条降雨帯」が今正に、我が家の上を通っている。と再び激しい雨になり風が吹き荒れている。慌てて掃き出しの窓を閉め、外を眺めた。TVの音声はかき消されて、BSの画面は消えている。数分間すると音声だけが帰って来たが、画面は黒いままだ。待つこと十五分、画面も帰って来た。既に番組は変わっていて、見たくもない...やっと到着「線条降雨帯」
「natublog」の「natu様は」、わたしの一番上の姉と、同い年のようだ。今でも、空襲の時の空を思い出すそうである。我姉も、原爆投下時には、父方の実家に疎開していた。現在は廿日市市となっているが、宮内と言う地名の小学校に通っていたが、空が光って音が聞こえるまでが長かったそうである。こちらに居たら登校時で、爆風で飛ばされて、亡くなっていたかもしれない。直ぐ上の姉は、1944年に肺炎で亡くなったそうである。父は、亜満州航空の整備教官だったので、日本に上手く逃げる手立てをして、帰国していた。原爆は、私は生まれて四か月。畳の上に寝かされていたそうであるが、爆風で畳ごと二間飛ばされたそうである。私の姉は、病気がちであるが、配偶者は94歳であるが、いたって元気である。グランドゴルフで、高齢者の日本記録を作ったり、...姉と同い年
昨日八時十五分、期待いっぱいに家を出たが、アキアカネは一匹もいなかった。否一匹はいたが、あの圧倒的の姿は何処へ行ったやら・・・。点滴を受けながら気になって仕方なかった。帰宅したのが十一時、TVのスイッチを入れたら、なんとTVの画面いっぱいに、アキアカネが飛んでいた。広島の地元TVが、北広島町の八幡高原の湿地で開かれた、自然観察会を取材して、放送していたのだ。その画面の空に、埋め尽くす程のアキアカネ・・・圧巻だった。北広島町は、国道191号線を北に進んで、鈴張と言う安佐北区の北端から、国道261号線に乗り換えて東に進み、島根県の県境近く広がる一帯を言う。嘗ては、広島から、石見銀山に行くメイン道路だった。途中で西に折れると、益田市に出る。山陰道だ。嘗ては、191号線は、広島の中心部から、山陰に一度出て西に向か...みんな何処へ行ったやら・・・
我が家は、福王寺山の南面に作られた団地にある。その足元に、大毛寺川と言う川が流れている。その川は、嘗ては暴れ川で、改修工事がされた後も、二度氾濫した。元来この川は、西から東に向かって流れていたが、福王寺山の一部が崩落して、川を堰き止め、南に向かって流れを変え、一級河川「太田川」に合流した。この川は、「広島」の町に到達し、七つの流れに分かれる。つまり、「広島」の町を作り上げた流れの一部なのだ。此の大毛寺川で、六月頃から「アキアカネ」は羽化し始め、七月になると低地の熱さを避けて、中国山地に避暑に行ってしまう。お盆過ぎ頃から、生まれ故郷に帰郷し始めて、涼しい風に乗って群れて飛んでいる。群れて飛ぶことには驚かないが、精々数十匹程度の集団だ。生まれ故郷を離れている間に、体の色は少し赤身が増えて、「赤とんぼ」らしくな...アキアカネ
八時十五分、身支度をして、車に飛び乗り、自宅を出発。点滴を、八時半の一番にやってもらう為だ。自宅から100m走った処の、谷筋になった空間に、驚きの光景が待って居た。数百匹のアキアカネが、谷筋を通って噴き上げてくる風に乗って、舞って居たのだ。此れだけの数の集団は、初めて見た。一体何処から集まって来たのやら・・・・。強く成り始めた朝の太陽の光を、羽一杯に受けて輝きながら飛んでいた。横目で見ながら、病院に行ったが、帰りに予定していた買い物を辞めて、アキアカネをもう一度見ようと帰って来たが、十時には一匹もその姿が無かった。気温と風向きが齎した、奇跡だったのだろう。此の所、こんな人生で初めての、経験をすることが多く成って来た。まさか七十八歳にもなって、新しい発見をすること等、滅多には有るまい。何だか先が短い気がして...初めての経験は、・・・
正午を待って居たかのように、雲が分かれ、澄み切った青空が日差しと共に帰って来た。午後は、暑くなりそうだ。何となく、玄関から、猫の額ほどの庭を見たら、ピーマンや海老根の葉が、暑さで葉をすぼめていたので、ホースで水を撒いてやった。すると、葉陰から、三匹のトカゲの子と、一匹のガマガエルの子が出て来て、海老根の葉から滴る水を飲み始めた。78年の人生で初めて見る光景だった。この数日間、曇り空であったが、雨は降らず35℃越えの高温続き。その次が、正午からの強い日照り。余程水が欲しかったようだ。人間も干上がるような連日の35℃越えの暑さ。カナヘビと、ヒキガエルの気持ちが良く解かる。枯れかかった胡瓜の蔓からは、黄色の花を付けた小さな胡瓜が、二つ・・・。松の木を見上げていたら、松葉の陰に何かある。道路に出てみたら、カボチャ...残暑の厳しき九月に成りそうだ
麒麟草クシャミ、鼻水目に涙今朝から、秋の花粉症が襲ってきた。鼻水、クシャミ、涙のトリオでやって来た。それでなくとも、体調不良で「アレルギー」を発症しているのに、弱り目に祟り目とは・・・・。松の木に纏わり附いていた「山芋」の蔓に、「零余子」が大量に有ったので、取って於いた。先日の、穴熊の被害にあった菜園の残骸である。奥様が丁寧に拾い集めて、一度湯がき、冷凍してあったものだ。今夜の夕飯の主役?、にと思い「むかごめし」を焚きかけて置いた。先年までは、こんなことをした事は無いのだが、是からはいただける事も有るまいと思い、釜の中へ。米を洗いながらこんな句が頭をよぎった。空腹や味噌汁そえしむかごめし平素、俳句など作った事はないが、妙に浮かんで来た。貧乏人の句である。思わず俳句に成ってしまった
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後7日で、80歳の大台に成る。花まつりの日が、私の誕生日だ。お釈迦様と同じ誕生日であるが、未だ悟りが拓けづにいる。日々痛みとの戦いで、些か疲れ果てた。ブログの片付けをしたいが、如何にしたものか、・・・・。社会とのつながりがここだけなので、窓を開けておきたいのだが、管理できない状態が近づいている。80歳
新しき年の初めにあたり、昨年は皆さまの温かい心遣いに浸されて、心折れそうな時も、乗り越えられました。あらためて感謝申し上げます。本年も、変わらぬ暖かきお心を、お寄せいただきますように、お願い申し上げます。また、コメントを頂きながら、ご返事せぬまま過ごしました事につきましては、改めてお詫び申し上げます。」皆々様の新しい年が、過ごし易く、心豊かな年であります事を、お祈り申します。2025年元旦藤森照幸謹賀新年
あと数日で、正月だと言うのに、どちらの記事にも、紅葉、黄葉の記事が出てくる。なんだか不思議な感じである。年末と言えば、「門松の青竹」や、「若松の緑」、「春近し」を感じさせる「黄梅」が、定番だったものなのだが、未だに紅葉した蔦や、散りそびれた銀杏の記事が多いい。我が家では、この冬一番の寒波がやって来て、早朝六時になっても外は真っ暗。雪と霧が空を覆い、向かいの山が見えない状態だった。やっと見えたら、最後の人家の所から上が、雪に埋もれんばかりの景色だった。八時過ぎからは、猛烈な雪が「ふわふわ」と落ち始め、十軒先の家の屋根が見えない状態だった。それは、二十分程で終わったが、久しぶりの雪の降り方であった。この地に移り住んだのは、昭和四十五年の秋だったが、その年の冬は猛烈な雪で、広島市内で育った私は驚いたが、比婆郡の...何だか異変が起こりそう・・・
私の口の中で、歯が反乱を起こした。今を去る事50数年前、当時建設現場の最高責任者だった私は、型枠大工の工事の遅れを手助けするために、プラスティックの目地棒を打ち付ける仕事を、手助けしていた。針釘で打ち付けるのだが、口に釘を咥えて作業をしていたら、歯茎に針釘が刺さってしまった。大した傷ではなかったが、偶然にもその現場は、PC杭の杭打ち工事が有り、長さ35mのPC杭を30本打ち込んでいたため、地下深くの古い地層の土が、大量に堀り出されていた。その中に悪質な菌が存在して居て、歯茎に侵入。下顎全体が腫れ上がり、その菌は、歯の神経の中に入り込んで、その結果下の歯を13本抜く治療を、せざるを得なかった。抗生物質が効かなかったのだ。その為、下の歯は、四本を残して入れ歯になった。その入れ歯が時として、災いとなる。当然に上...一昨々日の事件簿
不思議な現象が、近頃起きている。それは、毎日届くメールの内容である。メールは一日で、50~100通平均届いていた。その中には、カード会社や、銀行、アマゾンなどから、カードが使用禁止になるなどと言う内容のメールが多かった。取引のない、「三井住友銀行」や私の知らないカード会社が、早急に手続きしないと使用停止になるという内容が大半だった。元々持っていないカードや、取引のない銀行からの物が大半だったので、無視してきた。いかにも詐欺臭かった。中には、早急に現金を準備して置けなどと言う者も有ったが、その手の類は甥っ子の警察官に連絡して、放置していた。不思議な事に、この二週間その手のメールが来ない。相手が諦めたのか、はたまた、警察等の取り締まりに罹ったのかは不明だが、お陰でメールの数が減って、点検が楽になった。ただ未だ...詐欺まがいのメール
昨夜来雨である。広島県の山間部では、数年間で最高の雪だそうだ。喜んで居るのはスキー場。廃業を真剣に考えていたところもあるそうだ。そんな事を思いながら、カーテンを開いて向かいの山を見たら、ムムム・・・・・。山頂部分が白いでは無いかいな。此処も広島市の山間部、雪が降っても不思議ではない。移住してきた当初は、40cm位の雪はショッチュウ降っていたが、温暖化であまり降らなくなっていた。しかし今年は違うようだ。姉の家は、むかいの山の隣りあわせ。寒そうな霧に霞んでいる。それにしても我が家の「山姥」は、お元気である。颯爽と、ボランティアにお出かけされた。入園前の、1~3歳児の集まりのお手伝い。幼子が可愛くてたまらない様だ。自分の孫は、みな大きく成って、相手をしてくれない。用事は「お小遣い」だけである。一番下が中学三年生...雨が降ります雨が降ると思いきや、・・・・
我PCが、Windows10からWindows11に自ら変化して、使い勝手が悪くなっていた。Windows10に戻すのに、実働60時間以上かかった。Windows11のPCは、デスクトップが一台、ノート型が1台ある。色々使ってみて、Windows10方が私には合っている様だ。そこで、Windows10を取り戻すために、ソフトの里帰りを試みた。とは言っても、生半可ではなかった。そこに残っている多くの資料を、別に記憶させておけばよかったのだが、そこが初めての試み、抜けていた。11から10への里帰りは、手順が判ったが、どれだけ記憶させた資料や、「office」が残せるかが課題だった。作業を始めて、まず最初のWindows10への里帰りが、思いも拠らぬ時間がかかった。10時間以上である。残せる資料は残すようにした...実働60時間以上
我がパソコンが、反乱を起こした。自分勝手にWIN10から、WIN11に変更し始めた。原因は、アップグレイドを検討せずに、「お任せにしていたから」のようだ。それを、元に戻そうとしたら、office2010が、おかしくなってしまった。作動しないのだ。再インストールしようと思ったが、どのソフトでインストールしたか、記憶がない。ソフトが、3セットある。変に弄ると、可笑しな事に成りそうなので、この記事の下書きも「メモ」を使って書いている。やはり何事も、記録して置かないといけない事だと、実感している。パソコン様は、office2010を再インストールせよと、再起動の度に迫って来る。幾ら迫られても・・・。そもそも、Win11のパソコンは、別にノート型と、デスク型の二台あるので、「10」を残しておきたかったのだが・・・・...デスクトップパソコンの反乱
この街の西に存在するのが、虹(にし)山。旧藩時代からの呼び名である。ところがその麓の町の名は「虹(にじ)山」である(新町名は亀山南)。従ってかつて存在した小学校も、虹(にじ)山尋常小学校と呼ばれていた。その山の麓を、南北に流れる川は、大文字川と呼ばれ、私の住む側の山は福王寺山である。その川を隔てて、福王寺側は、町名を「亀山」と呼ぶ。一説には、福王寺から眺めると、良く「虹」が掛かったからだという説が有るが、いい加減な説である。その虹(にじ)山尋常小学校跡地に立っているのが、亀山公民館で、私が現場責任者を務めた建物だ。そんな話をするために、ブログを書き始めたのではなかった。冬至は何時だろうかと、思ったのが昼飯の最中。お日様が、一番南に近い西に沈んでいく、ここでは「虹(にしやま)山」と、原爆投下時に、観測機器を...虹(にし)山に入る夕日・・・
昨夜六時過ぎから、雨になった。何時もならば、十九時から夕食なのだが、十七時前から、全身の痛みが酷くなり、食後の痛み止めを速く飲みたいので、昨日からの残り物と、マグロのトロの叩き、(ネギトロ)をおかずに夕飯とした。十八時頃から外の音が変わり、雨が降り始めた。何時もの事だが、低気圧(雨降り)になると、痛み止めが効かなくなる。幾年経てば、「まだに」の被害から解放されるのだろうか。それが原因で、腎臓に負担が掛かり、心臓がお休み寸前の状態に三度なった。加えて、胆嚢が石を作り、胆管を詰まらせたので、すい臓炎になり今一歩であの世柄となるところだった。おまけにX線写真で、胆のうがんの疑いが大きく成り、取ってしまったが、「癌」は何処にも無く、小さな胆石が胆嚢の中を占拠していたのだった。そんなこんな事で、雨が降ると体中の神経...これも「初雪」ではないでしょうか・・・・
日の入りが、日に日に早く成り、山間に入る位置も西に随分寄った。午後五時半、最早電気を付けないと本も読めない。今日一西でやったことは、買い物だけ。後は、ベットの上でスマホを弄り、本を読む。とわ言うものの、半分以上は夢うつつである。自分で気付いた事は、下半身の弱りと、排尿の管理が難しく成った事である。尿意を感じて、トイレまで持てば良いが、少しずつ漏れるようになってきた。そうなると、早め早めにトイレに行くので、その回数が倍近くなった。特に夜間は、一時間半に一度目が覚めて、トイレ通いである。安眠した記憶が無くなりつつある。昨日昼間、四時間爆睡したら、何だか下着が湿っぽかった。慌てて着替えて洗濯機の中に入れて置いた。今朝、奥様から「何故にパンツだけ着替えたの」聞かれたので、「???」うやむやにして置いた。老いるとは...京も西の空に「一番星」
十一月二十六日(火)夕方ベランダ側の窓を開けて、深呼吸。ふと西の空を見た瞬間に、「一番星見つけた」と口走ってしまった。幾年ぶりのセリフだろうか。思わず口から言葉が走って出た位に、それは美しい西空だった。子供の頃、我が家からは、「一番星」は見る事は無かった。西側に山が迫っていたからである。「神功皇后」ゆかりの、旭山神社に連なる山並みが、西側を遮っていたからである。この山塊は、今、地震学会で興味を持たれている。己斐山際断層の存在が確実になったからである。その断層の上を山陽本線が、横川駅から大竹駅まで走っている。否、横川から北へ安佐南区の緑井まで走っているそうである。話がそれて、断層の話になったが、「一番星」の話がしたかったのだった。小学生に成ってから、夏が近づくと、太田川放水路に夕方出掛けていた。河口なので、...一番星見つけた
一昨年以来、西日本のどこかで「鳥インフルエンザ」が、報告される。近頃では、宮崎県。昨年は、広島県も発生した。それ以降、我が家一円では、先ず「雀」が、姿を消した。夏の「燕」も数が少なかった。「烏」に至っては、30羽ほどの集団であったが、今や一羽である。繁殖期には、四羽ほどになっていたが、いつの間にか一羽に減った。例年ならば、この季節に、「ハシブトガラス」がやって来るのだが、未だに姿羽を見せない。「ヒヨドリ」の集団も、見掛けない。「キンカン」が色付く頃は、集団で御出ましであったが、未だに姿も声も聞かない。些か不気味である。ただ庭先は、騒がしい様である。やっときれいに咲いた「ツワブキ」の花は、一晩で食べつくされた。鹿の所為の様だ。加えて、庭に埋めた昨年の「糠漬け」の「糠」は、一晩で掘り返されて、赤い大きな「唐辛...鳥インフルエンザの恐ろしさ
HP社のホームページから、プリンターを診断してくれるソフトが提供されていた。ものすごい仕事をしてくれた。困り果てていた、プリンターの問題点を診断して、全て解決してくれた。「HPPrintandScanDoctor」と言うソフトである。HP社のプリンターをご使用の方は是非ともダウンロードしてお使いになるといい。全てのメンテナンスをしてくれる。手持ちのプリンターを、HPにそろえていた事が幸いした。皆様元気に働き始めた。パソコンの問題は解決したが、我体の方は、そうはいかない様である。八月十日の様な状態にはならないが、血液検査の結果は良くない。無理もない事ではあるのだ。腎臓が一つしか働いていないうえに、腎不全。食事、運動、睡眠いくら気お付けても限が無い。一粒の薬を一回飲み忘れただけで、心不全を引き起こす。息が詰ま...さすが世界のHP社である
私の部屋には、PCが三台、プリンターが三台ある。先月買ったウイルスバスターを、入れたら全てのプリンターが作動しなくなった。奥様の物も入れると、合計八台が異常状態になっている。そこで、いれたウイルスバスターを抜いて、昨日から別の物をいれて、プリンターが作動するかどうかテストをしている。やはりだめ。なぜこうなったかは、初めのソフトの不良が原因であることは、間違いない。二つ目のソフトは、其のところを衝いて来て、HP社の技術者の力を借りなさいと、警告文を発してきた。新しいソフトには、AIの要素が含まれている様だ。此方の気持ちをくんで、慰めてくれる。しかしながら、広島にはHP社の出先が無いような気がする。明日でもゆっくり寝て調べてみる事にしよう。それにしても我が家には、多すぎるPCではある。WIN7,10二台、11...二日寝ていない
この世に生を受けて、79年と五カ月。生後四か月で原爆の洗礼を受けた身である。高校二年生の五月、朝礼で倒れて三年間の半分を、大学病院のベットの上で過ごした。成人式には、あえて母親が作ってくれた背広を着ないで、学生服で出席した。小学校時代からの親友も、私に合わせて学生服で出席してくれた。変わった二人は、直ぐにTV局につかまり、インタビューされた。最後の被爆者、昭和20年生まれの子供の成人式。TVも手ぐすね引いて待って居た。闘病生活は、「再生不良性貧血」原爆症。当時の事は以前書いたので省く。今年は、八月十日・・・午前八時タクシーで市民病院に行きそのまま入院。妻は娘と二人で私に変わって、墓掃除。形態の電源を切らしておいた。私は、脈拍20,血圧測定不能・・・・市民病院の記録で、妻と娘に電話がされたがつながらない。他...まさかの「ノーベル平和賞」
私が住まい致しているのは、広島市の北の端。金亀山福王寺の麓、標高150mの所である。この寺は、別格本山で、平安時代は僧兵が3000人を抱えていて、平家の一翼を担っていたそうだ。天皇家から直々に領地を与えられていた寺である。空海が開き、不動明王は国宝であったが、雷で焼失した。嘗ては、国家に歌われている「さざれ石」を、宮廷から授かっていたが、・・・・。此の山には、昨年夏までは、多くの「烏」が住んで居た。朝早く十匹単位で、東、南、西に、餌探しに行っていたが、十月ころから姿を消した。どうも「鳥インフルエンザ」で、全滅したようだ。先週初めに、久しぶりに「烏」の鳴き声で窓を開けてみると、30m先の電柱で鳴いていた。遥かかなたから、今一匹鳴いていたので、二匹入る様だった。それから、鳴くたびに窓を開けて揶揄っていた。「あ...烏何故なくの・・・・
本日病院の帰りに、出迎えてくれたのはこのトカゲ様でした。ちょちょ切れたしっぽが、現在復元中。一体何処で尻尾をもぎ取られたのやら・・・。さぞや不便?・・・非常時の時、取り外しが出来る尻尾でしたね・・・。果たしてこの様な芽が出たばかりの尻尾でも、役目が出来るのでしょうか…?。今御隠れの方は、尻尾が正規なお方と、全く無いお方でして、それとお隣から時々遠征して来る、青い尻尾の親分さんです。玄関先の狭い庭に犇めいて御出でですが、なかなか姿が拝めません。天気が不順で、気温が上がって来ないせいです。お隣の、空き家の屋根には、昨日クロネコ様がお日様の光を浴びて、お昼寝を堪能されておりました。写真が出てきたらご覧に入れます。なにせ、古い古い「ペンタックス」の写真なので、変換しないと「ブログ」に、掲載できません。本日のお出迎えは、・・・
春先より、我が家の玄関先は、「トカゲ君」に見張られている。其の数は4匹で、うち二匹はしっぽが無い。今一匹は、現在修復中だ。その中で異彩を放っているのが、日が差し始めると、玄関先の白い球石の上で我々を見上げている一匹である。どの種のトカゲ化は、まだ調べていないが、このトカゲ君は尻尾を日本お持ちである。ご覧の様に、枝分かれした尻尾が威厳に満ちている。「お前など何時でも騙せるぞ」とばかりに、堂々と玄関先の白い球石を占領している。豚肉の切れ端を数個やったら、こんなものなど食わないとばかりに無視された。ところが二時間後、此の豚の肉に有りが群がると、手当たり次第に捕食していた。和張り子の玄関先の、『王者」なのである。この夏の「我が家の主」
一か月近くになる体調不良。当初左足の膝に軽い痛みは有ったものが、ある朝目覚めると激痛に変わっていた。明らかに筋が一本切れた感じであるが、昨日病院に一ったら膝の水を剥いただけで、私の話など無視。痛み止めを処方された。抜いた水と、血液を検査に回すそうだが、明日その結果がでる。果たしていかがな結果であろうか?。杖を搗いても歩けない。痛み止めが聞いている時だけトイレに行く。後はベットの上で天井を眺めているのだが・・・。なんのいい考えも、悟りも得られずにいる。此の一週間は、おでんばかり食している。幾年ぶりに作った「おでん」。広島に有った「十八番」と言う店の直伝の味である。おいしいのは間違いないが、夫婦二人では一回に食べる量が知れている。片や店では、多く売りたいのですべての材料が四、五人分で売っている。連日、「食べて...体調不良が・・・・・
私が住まい致しているのは、広島市の北の端。金亀山福王寺の麓、標高150mの所である。この寺は、別格本山で、平安時代は僧兵が3000人を抱えていて、平家の一翼を担っていたそうだ。天皇家から直々に領地を与えられていた寺である。空海が開き、不動明王は国宝であったが、雷で焼失した。嘗ては、国家に歌われている「さざれ石」を、宮廷から授かっていたが、・・・・。此の山には、昨年夏までは、多くの「烏」が住んで居た。朝早く十匹単位で、東、南、西に、餌探しに行っていたが、十月ころから姿を消した。どうも「鳥インフルエンザ」で、全滅したようだ。先週初めに、久しぶりに「烏」の鳴き声で窓を開けてみると、30m先の電柱で鳴いていた。遥かかなたから、今一匹鳴いていたので、二匹入る様だった。それから、鳴くたびに窓を開けて揶揄っていた。「あ...烏何故なくの・・・・
本日病院の帰りに、出迎えてくれたのはこのトカゲ様でした。ちょちょ切れたしっぽが、現在復元中。一体何処で尻尾をもぎ取られたのやら・・・。さぞや不便?・・・非常時の時、取り外しが出来る尻尾でしたね・・・。果たしてこの様な芽が出たばかりの尻尾でも、役目が出来るのでしょうか…?。今御隠れの方は、尻尾が正規なお方と、全く無いお方でして、それとお隣から時々遠征して来る、青い尻尾の親分さんです。玄関先の狭い庭に犇めいて御出でですが、なかなか姿が拝めません。天気が不順で、気温が上がって来ないせいです。お隣の、空き家の屋根には、昨日クロネコ様がお日様の光を浴びて、お昼寝を堪能されておりました。写真が出てきたらご覧に入れます。なにせ、古い古い「ペンタックス」の写真なので、変換しないと「ブログ」に、掲載できません。本日のお出迎えは、・・・
春先より、我が家の玄関先は、「トカゲ君」に見張られている。其の数は4匹で、うち二匹はしっぽが無い。今一匹は、現在修復中だ。その中で異彩を放っているのが、日が差し始めると、玄関先の白い球石の上で我々を見上げている一匹である。どの種のトカゲ化は、まだ調べていないが、このトカゲ君は尻尾を日本お持ちである。ご覧の様に、枝分かれした尻尾が威厳に満ちている。「お前など何時でも騙せるぞ」とばかりに、堂々と玄関先の白い球石を占領している。豚肉の切れ端を数個やったら、こんなものなど食わないとばかりに無視された。ところが二時間後、此の豚の肉に有りが群がると、手当たり次第に捕食していた。和張り子の玄関先の、『王者」なのである。この夏の「我が家の主」
一か月近くになる体調不良。当初左足の膝に軽い痛みは有ったものが、ある朝目覚めると激痛に変わっていた。明らかに筋が一本切れた感じであるが、昨日病院に一ったら膝の水を剥いただけで、私の話など無視。痛み止めを処方された。抜いた水と、血液を検査に回すそうだが、明日その結果がでる。果たしていかがな結果であろうか?。杖を搗いても歩けない。痛み止めが聞いている時だけトイレに行く。後はベットの上で天井を眺めているのだが・・・。なんのいい考えも、悟りも得られずにいる。此の一週間は、おでんばかり食している。幾年ぶりに作った「おでん」。広島に有った「十八番」と言う店の直伝の味である。おいしいのは間違いないが、夫婦二人では一回に食べる量が知れている。片や店では、多く売りたいのですべての材料が四、五人分で売っている。連日、「食べて...体調不良が・・・・・
正月にこんな大事件が発生するとは、・・・・。地震大国日本ではあるが、些か不安になる。このブログも、正月明けには、広島の大抗争事件の、第二弾を記述する為、昨年中に準備していたが、掲載を先延ばしすることにした。少しでも明るい事は無かろうかと、思っていたところ、広島県の北部では、温暖化の所為か解からないが、不思議な事が起こっていることを耳にした。最初は三年前だったが、偶々の事だろうと気に留めないでいた。ところが、今年も此のお方はやって来たそうである。三年続きの訪問であるそうだ。その名は「大鷲」。シベリアや、アラスカに住む「鷲」である。冬場、北海道や、青森県には寒さしのぎにやって来るそうだが、西日本では、琵琶湖に時々現れるそうだ。中国地方には、・・・・他の県ではない。三年続きとの事で、奥様の実家近くなので出かけた...毎日心が痛んでいます