chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住 https://blog.goo.ne.jp/teruyukinoburogu1945

藤森 照幸(旧名 深山 霞)

石州街道沿い(安芸国名刹 別格本山福王寺山中)にて、主夫しています。 但し、炊事だけ。 洗濯、掃除は奥様に拘りがあり 私の出番が有りません。

藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2016/12/28

arrow_drop_down
  • いよいよ秋本番か

    昨日までの天気が一転、夕方小雨交じりの天気となった。午前中は、心地よい秋風が吹き、さすが中秋の名月のお陰?と思っていたが、夕方になり肌寒くなると、小雨が降って来た。将にご婦人の心変わりの如く、(これはご婦人に失礼しました)・・・。今では隣家の屋根を叩く雨粒の音が強く成って来た。それにしても、世間は戦時中でありながら、あまり騒がしくない。一見地球が二分されて戦うのかと思いきや、何だかクスぼり続けた山火事の様である。こういう上他愛を硬直状態と言うのだろうか。どうもそうでは無さそうだ。アメリカの暗部で何だかたくらみがなされている気がしてならない。此のっ戦争で、ビットコインが値上げしたとかしないとか、はたまた、新しい投資方法が考え出されたとか、色々噂話が飛び交い始めた。片方では、次期オリンピック予選にスポーツ選手...いよいよ秋本番か

  • 広島で十五夜お月様と言えば・・・

    私が子供の頃は、十五夜と言えば、黄な粉団子が夕飯であった。先ず三宝に、黄な粉団子を飾り、その傍にはススキを生けた鉢。金持ちの家では、一段目に一辺十五個の黄な粉餅を三角形に敷き詰めて、ピラミッドの様に積み重ねていく、全部で幾ら積んだのだったか忘れた。その次が、子供たちの黄な粉団子の夕食。大人たちは、黄な粉餅にしないで、団子汁にして食した。今日歯医者の帰りに、スーパーの売り場で同年代のご婦人が立ち話をされていた。今夜何を食べるかの話であった。一人の婦人が、「久しぶりに団子汁が食べたいと」旦那さんが言い出したそうである。二十年も作った事が無いと笑いながら、食材探しにテンヤワンヤの様子であった。私も結婚してから一度も食べていない。奥様は、ヒバゴンの末裔であるから、日常茶飯事「団子汁」を食べていたそうで、それが嫌で...広島で十五夜お月様と言えば・・・

  • 日々感謝して、日暮れを待つ

    連日の暑さである。暇な老人が二人、顔を突き合せれば、喧嘩である。「トイレの扉が閉まっていない。」「便器の蓋が空いたまま」等々、社会全般に何の影響も無き事で、喧嘩をしている。時には、三日ほど、口も利かない事が有るが、いつの間にか、他人の悪口を言っている。ところで、我が家のお孫様が、大学受験が近づいた。妊娠六か月と言う、超早産で生まれ、三か月間は、病院の保育器の中で育った男子である。医師からは、障害が残ると言われたが、娘が大変な努力をして育てた。この子の未来に、ある程度の判断が付くまで、次の子を作らなかったほどである。その所為か、気立ては温厚であり、ジュックリ物事に取り組む子である。下の女の子は、負けず嫌いで、誰にも負けたく無いと言う気力が、雰囲気に四六時中出ている。上の男の子は、一年に一回、広島県の検診を受...日々感謝して、日暮れを待つ

  • 曇りのち雨

    昨夜からの曇りが、午前九時雨になった。小雨に始まり、少しずつ雨粒が大きく成って来た様だ。天候の変化に引きずられて、私の体の痛みも御付き合いしている。全体の軽い痛みから、今は節々の痛みが酷くなってきて、トイレで座るのも呻き声が出てくる。我慢していてもどうにもならないので、階段を呻き声を出しながら、降りてトイレに通っている。こういう日に限って、下痢となった。原因に思い当たらないでいる。痛み止めの追加を飲んで、今やっと二階に上がって来たところだ。ふと思い出したことが頭をよぎった。昨夜の「ご飯」である。奥様が気を利かして、先日好評だった「むかごめし」を、御炊きになった。何処でどう入れ替わったのか、「ぬかご」が「お茶の実」に入れ替わっていた。とんだ「茶番劇」であった。奥様と二人して、「お茶の実」を取り出して食したが...曇りのち雨

  • 「Pretty woman story 様」は、私と同じ年の生まれの様だ。

    この年のうまれの女性は、非常に審美眼が鋭く、男に負けない知力を持つ方が多いい。私の同級生の女性がそうである。加えて、一途なところがあり、恋愛すると男がしんどくなる。戦後の厳しき時代を、生き抜いてきた力は侮れない。その典型的女性が「吉永小百合」である。Prettywoman様も、ブログからそう感じてくる。生まれ年によって、性格や気質が違うのだろうか。違うと言えば、違うように思えるし、変らないと言えば変わらないようにも思う。しかしながら、やはり違う気がする。ここにその事実を書くと、私を知る人間は、誰の事を書いたか知る事が出来るので、書く事が出来ない。今の私の奥様などは、其の真反対である。学ぶことには全力で突き進むが、それが済むと全てお忘れである。有名人の掻いた小説を読んで、その感想をブログに挙げているが、数年...「Prettywomanstory様」は、私と同じ年の生まれの様だ。

  • やっと到着「線条降雨帯」

    午前十一時には、雨になるとの予報だったが、一向に雨は降らず、暑い一日であった。と、言っても30℃である。何時もより、涼しく凌いでいた。午後五時、突然雷が向かいの「螺山」のTVアンテナに…それと同時に強い風が・・・、加えて雨が降り始めた。雨と言うより、消防車が放水した様な勢いの雨である。三拍子そろった雨空は三十分すると、パラパラと屋根を叩く軽い音に変わり、雷も遠ざかって行った。スマホでレーダーの映像を見てみると、「線条降雨帯」が今正に、我が家の上を通っている。と再び激しい雨になり風が吹き荒れている。慌てて掃き出しの窓を閉め、外を眺めた。TVの音声はかき消されて、BSの画面は消えている。数分間すると音声だけが帰って来たが、画面は黒いままだ。待つこと十五分、画面も帰って来た。既に番組は変わっていて、見たくもない...やっと到着「線条降雨帯」

  • 姉と同い年

    「natublog」の「natu様は」、わたしの一番上の姉と、同い年のようだ。今でも、空襲の時の空を思い出すそうである。我姉も、原爆投下時には、父方の実家に疎開していた。現在は廿日市市となっているが、宮内と言う地名の小学校に通っていたが、空が光って音が聞こえるまでが長かったそうである。こちらに居たら登校時で、爆風で飛ばされて、亡くなっていたかもしれない。直ぐ上の姉は、1944年に肺炎で亡くなったそうである。父は、亜満州航空の整備教官だったので、日本に上手く逃げる手立てをして、帰国していた。原爆は、私は生まれて四か月。畳の上に寝かされていたそうであるが、爆風で畳ごと二間飛ばされたそうである。私の姉は、病気がちであるが、配偶者は94歳であるが、いたって元気である。グランドゴルフで、高齢者の日本記録を作ったり、...姉と同い年

  • みんな何処へ行ったやら・・・

    昨日八時十五分、期待いっぱいに家を出たが、アキアカネは一匹もいなかった。否一匹はいたが、あの圧倒的の姿は何処へ行ったやら・・・。点滴を受けながら気になって仕方なかった。帰宅したのが十一時、TVのスイッチを入れたら、なんとTVの画面いっぱいに、アキアカネが飛んでいた。広島の地元TVが、北広島町の八幡高原の湿地で開かれた、自然観察会を取材して、放送していたのだ。その画面の空に、埋め尽くす程のアキアカネ・・・圧巻だった。北広島町は、国道191号線を北に進んで、鈴張と言う安佐北区の北端から、国道261号線に乗り換えて東に進み、島根県の県境近く広がる一帯を言う。嘗ては、広島から、石見銀山に行くメイン道路だった。途中で西に折れると、益田市に出る。山陰道だ。嘗ては、191号線は、広島の中心部から、山陰に一度出て西に向か...みんな何処へ行ったやら・・・

  • アキアカネ

    我が家は、福王寺山の南面に作られた団地にある。その足元に、大毛寺川と言う川が流れている。その川は、嘗ては暴れ川で、改修工事がされた後も、二度氾濫した。元来この川は、西から東に向かって流れていたが、福王寺山の一部が崩落して、川を堰き止め、南に向かって流れを変え、一級河川「太田川」に合流した。この川は、「広島」の町に到達し、七つの流れに分かれる。つまり、「広島」の町を作り上げた流れの一部なのだ。此の大毛寺川で、六月頃から「アキアカネ」は羽化し始め、七月になると低地の熱さを避けて、中国山地に避暑に行ってしまう。お盆過ぎ頃から、生まれ故郷に帰郷し始めて、涼しい風に乗って群れて飛んでいる。群れて飛ぶことには驚かないが、精々数十匹程度の集団だ。生まれ故郷を離れている間に、体の色は少し赤身が増えて、「赤とんぼ」らしくな...アキアカネ

  • 初めての経験は、・・・

    八時十五分、身支度をして、車に飛び乗り、自宅を出発。点滴を、八時半の一番にやってもらう為だ。自宅から100m走った処の、谷筋になった空間に、驚きの光景が待って居た。数百匹のアキアカネが、谷筋を通って噴き上げてくる風に乗って、舞って居たのだ。此れだけの数の集団は、初めて見た。一体何処から集まって来たのやら・・・・。強く成り始めた朝の太陽の光を、羽一杯に受けて輝きながら飛んでいた。横目で見ながら、病院に行ったが、帰りに予定していた買い物を辞めて、アキアカネをもう一度見ようと帰って来たが、十時には一匹もその姿が無かった。気温と風向きが齎した、奇跡だったのだろう。此の所、こんな人生で初めての、経験をすることが多く成って来た。まさか七十八歳にもなって、新しい発見をすること等、滅多には有るまい。何だか先が短い気がして...初めての経験は、・・・

  • 残暑の厳しき九月に成りそうだ

    正午を待って居たかのように、雲が分かれ、澄み切った青空が日差しと共に帰って来た。午後は、暑くなりそうだ。何となく、玄関から、猫の額ほどの庭を見たら、ピーマンや海老根の葉が、暑さで葉をすぼめていたので、ホースで水を撒いてやった。すると、葉陰から、三匹のトカゲの子と、一匹のガマガエルの子が出て来て、海老根の葉から滴る水を飲み始めた。78年の人生で初めて見る光景だった。この数日間、曇り空であったが、雨は降らず35℃越えの高温続き。その次が、正午からの強い日照り。余程水が欲しかったようだ。人間も干上がるような連日の35℃越えの暑さ。カナヘビと、ヒキガエルの気持ちが良く解かる。枯れかかった胡瓜の蔓からは、黄色の花を付けた小さな胡瓜が、二つ・・・。松の木を見上げていたら、松葉の陰に何かある。道路に出てみたら、カボチャ...残暑の厳しき九月に成りそうだ

  • 思わず俳句に成ってしまった

    麒麟草クシャミ、鼻水目に涙今朝から、秋の花粉症が襲ってきた。鼻水、クシャミ、涙のトリオでやって来た。それでなくとも、体調不良で「アレルギー」を発症しているのに、弱り目に祟り目とは・・・・。松の木に纏わり附いていた「山芋」の蔓に、「零余子」が大量に有ったので、取って於いた。先日の、穴熊の被害にあった菜園の残骸である。奥様が丁寧に拾い集めて、一度湯がき、冷凍してあったものだ。今夜の夕飯の主役?、にと思い「むかごめし」を焚きかけて置いた。先年までは、こんなことをした事は無いのだが、是からはいただける事も有るまいと思い、釜の中へ。米を洗いながらこんな句が頭をよぎった。空腹や味噌汁そえしむかごめし平素、俳句など作った事はないが、妙に浮かんで来た。貧乏人の句である。思わず俳句に成ってしまった

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住さんをフォローしませんか?

ハンドル名
藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住さん
ブログタイトル
藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住
フォロー
藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用