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藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住 https://blog.goo.ne.jp/teruyukinoburogu1945

藤森 照幸(旧名 深山 霞)

石州街道沿い(安芸国名刹 別格本山福王寺山中)にて、主夫しています。 但し、炊事だけ。 洗濯、掃除は奥様に拘りがあり 私の出番が有りません。

藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住
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2016/12/28

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  • 近頃見なくなった物

    野生動物の事を考えていた。「鹿食免」の札の、後遺症だ。戦前から流行っていたのは、小金を貯めた「親父(おやじ)さん」が、「狸の襟巻」をしていた。戦後、復興と共に、成人式などで、若い女性が「狐の襟巻」をしている姿が多かった。その後それらは、「羊の一枚皮」を、肩からすっぽり掛けるのが流行った。いつの間にか、「狸の襟巻」とともに消えて行った。我が家の奥様は、成人式に親から「狐の襟巻」を買っていただいたが、家に帰った時には無かったそうだ。「おちょこちょい」は、70過ぎても治っていない事は、確かである。新成人が多いい時代、「狐」の養殖が、ブームに成ったことが有った。あの膨大な数の「狐の襟巻」は、今どこに行ったのだろうか。私が二十四歳後の頃、紬の和服を作った時、近所のおじさんから、「狸の襟巻」を頂いたが、一度だけ友人と...近頃見なくなった物

  • 何故?「鹿食免」と言うお札。

    さて、獣肉を食するに、その種類は多数ある。山鳥、猪、熊、狸、・・・・。その中で敢て「鹿食免」としたのだろうか。「早起きは、三文の徳」と言う言葉は、皆さん良くご存じであろうと思う。この言葉の、発祥の地は「大和」(奈良)と言われている。奈良には「春日大社」が有り、そこには、四柱の神が祭られているが、その一番が「武甕槌命」(タケミカヅチノミコト)で、この神は常陸の国鹿島から、「鹿」に乗っておいでになったそうである。だから、奈良では、鹿こそ神なのだ。本来「神」である物は死なないのだが、奈良の鹿様は、良くお亡くなりに成る。その亡くなった場所が、私の店の前だったら、その家の主人が奉行所に知らせて、その上にその鹿の埋葬を手厚くしなければならなかったそうだ。その運搬費だけでも「三文」かかったそうである。そこで、他の店より...何故?「鹿食免」と言うお札。

  • 何故?「鹿食免」と言うお札。

    さて、獣肉を食するに、その種類は多数ある。山鳥、猪、熊、狸、・・・・。その中で敢て「鹿食免」としたのだろうか。「早起きは、三文の徳」と言う言葉は、皆さん良くご存じであろうと思う。この言葉の、発祥の地は「大和」(奈良)と言われている。奈良には「春日大社」が有り、そこには、四柱の神が祭られているが、その一番が「武甕槌命」(タケミカヅチノミコト)で、この神は常陸の国鹿島から、「鹿」に乗っておいでになったそうである。奈良では、鹿こそ神なのだ。本来「神」である物は死なないのだが、奈良の鹿様は、良くお亡くなりに成る。その亡くなった場所が、私の店の前だったら、その家の主人が、奉行所に知らせて、その上に、その鹿の埋葬を手厚くしなければならなかったそうだ。その運搬費だけでも「三文」かかったそうである。そこで、他の店より早く...何故?「鹿食免」と言うお札。

  • 南無阿弥陀仏 2 ・・・・

    私は大きな忘れごとをしていた。本体の私より先に「荼毘」に付されたのは、2つではなかった。2番目に全摘出した、前立腺の事を失念していた。以来、戸籍上では「男」だが、実質「無性」なのである。よって荼毘は過去に3回。ところで、今一つの藤森氏の系統について本日は書いて置く。神功皇后が三韓征伐に行き、その後九州の氾濫を押さえ、帰郷した時、押収した敵方の武器を地下に埋設したのが、藤森神社(京都)の始まりである。当初は山代の国の深草に有ったが、後に京都に移されたらしい。当時の敷地は広大で、後にはその敷地内に京都大学が作られた。如何にせん、戦関系の神であるので、勝負事の信者が多いいらしい。特に競馬ファンの参拝が多いいと聞く。この藤森神社一党の名字が「藤森」である。ややっこしいのは、この藤森神社を訪れた時、苗字の由来をうか...南無阿弥陀仏2・・・・

  • 南無阿弥陀仏・・・・・

    私の胆嚢に「戒名」を付けたいと思うが、良い案が浮かばない。諏訪神社の流れだから、「南無阿弥陀仏」はそぐわないのだが、明治維新により、肉食が許され、肉食に「鹿食免」(かじきめん)の御札がいらなくなった。藤森一族は全国で相当困っただろう。・・・・お札を売っていたのが藤森一族なのだ。ところがそうでもなかったようだ。信仰はそんなに急展開に付いて行けない。中国山地などは、砂鉄を掘る為、山を崩し、残りし土地を畑にすると、元の山に住んで居た「鹿、熊・・・」が里に下りてきた。退治するのは良いが、せっかくの獲物は「食べる」に限る。けえって、多くの場所で諏訪神社の分社が作られたらしい。そんな事から「何々の命」としたいがその薀蓄さえない現代である。我が体に一部が、私より先にあの世に旅立つ・・・2度目だ。一度目は、小学5年生の時...南無阿弥陀仏・・・・・

  • 恐れ入り屋の鬼子母神

    昨晩夕食時に、奥様が突然仏壇へ・・・・。帰ってきたら、こんな写真のコピーを見せました。なんと私の胆嚢の写真です。切除後、主治医がわたしにみせてあげてくださいとわたしてくれたそうだ・・・・。私より仏壇に先に報告したが、退院した私の事はお忘れだったようである。主治医が私の気持ちを察して、コピーを渡してくれていました。これらの他に、ヘドロ状のものが有ったらしい。右側の黒い集団が、胆石。胆嚢を開いて写真に撮って頂いておりました。その壁に、いくつかの傷跡が有り、そこに胆石が取り付いていたそうだ。私の命を狙って。命を助けていただいた証拠写真でございます。それにしても、退院した私に見せるのを忘れていたとは・・・・。主治医の先生感謝です。恐れ入り屋の鬼子母神

  • 昨日朝、退院。

    金曜日に手術。日曜日朝9時には退院。我が胆嚢は無事に切断された。切った胆嚢を取り出す穴は、2センチ。切断用の機械は4mmの穴から。もう一つ電気メス用の穴が4mm。合計3か所の小さい穴から、2時間半で完了。傷口は、テープが張ってあるだけ。それも土曜日の朝一番に剥がされた。結構穴が痛いので、フラフラしながら、裏口から退院しました。胆嚢の中の遺物は、鉄とカルシュウムが、肝臓が弱って流れ出し、タンパク質が加わると、胆石に成るそうだ。私の胆嚢なので、是非とも欲しいと主張したが、ダメだった。切り取られたこうした内臓は、一定の量貯まると、火葬場で償却する(荼毘に付す)のだそうだ。年々・・・突然の雨、隣家の屋根の上で、跳ね踊っている。これほどの雨脚は久しぶりだ。2年前にも有ったが、その時は手抜き工事の団地は、姿が変わった...昨日朝、退院。

  • いよいよ入院

    18日入院、翌19日10時より手術。二時間半の施術だそうである。今回の検査で判明したことは、胆石は胆管の中に存在し、且つ胆嚢が肝臓と癒着しているそうだ。加えて、胆嚢の中に不明なものがあり、その処置は、未定。加えて心臓に問題あり。心筋梗塞をした証拠が心臓に残っているそうである。加えて、大動脈弁が石灰化して、弁に隙間がある為、血圧が110以下だそうである。加えて左の腎臓が、役に立っていないそうである。78年間の生活の記録がしっかり体に刻まれている様だ。被爆者として、再生不良貧血や、大腸炎で、小学校五年生で、盲腸と大腸の一部を切除したし、骨髄移植の経験済みである。これまで悪運強く生きてきたが、悪運も尽きつつあるようだ。今回の手術は、臍の横に4センチの穴をあけ、カメラを設置して、体の左半分に八ミリの穴を三か所あけ...いよいよ入院

  • いよいよその日がやって来る

    切腹の日まで四日。胆嚢全摘出だそうであるが、十日の検査では、ハプニングが突発した。胆石が消えたのだ。其の代わりに、胆嚢の後ろ半分に正体不明の物体が占拠して、CT,MRI,エコー等の検査器具では正体が判別できなかった。集合してきた医師は六名。色々討議されていたが、摘出して時間をかけて正体を・・・と、言う事に成り、予定道理の手術と相成った。非常に珍しいケースで、今まで経験がないそうだ。もしかして、前回のすい臓炎も此の不明物体が原因だったのではなかろうかと言う、意見も出てきた。それにしても78年間、原爆を始めとして、多くの事故事件で命拾いしてきた身である。今更、じたばたする気も無い。妻の両親、我二親の最期も看取ったので思い残す事は無い。妻には、最後までドタバタさせた事、それだけが心残りである。とは言っても、些か...いよいよその日がやって来る

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