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2016/12/21

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  • 近況

    ブログ放置していたがぼちぼち再開したい。 放置してた間何してたかというと主にFEヒーローズというスマホのアプリゲームしていた。 このゲームはスタミナ制なので長時間連続してプレイはできないのだが(もちろん課金すればできる)、しょっちゅうゲームをチェックしていたのでなかなか他のことができなくなってしまった。 他にもスクライドという自分が中学生の頃やってたアニメをアマゾンプライムで見てたりした。 とりあえずFEヒーローズやスクライドの感想でも書きたいと思っている。 道を求めているはずなのに最近は知的努力を全然してないことが気に病まれる。

  • 因果応報説の起源についての仮説

    この記事でこれから述べることは、因果応報説の起源についての仮説である。 最初に因果応報がどういうものか定義すると、原因として善い行いをすれば善い結果が得られ、悪い行いをすれば悪い結果をもたらすとする考え方である。 この考え方は多くの宗教や道徳で見られるものなので知らない人はいないだろう。 私は因果応報説は親子関係に起源を持つのではないかと思っている。 なぜなら親子関係におけるほど因果応報説が通用する場合はないように思えるからだ。 子供がよいことをしたなら親に褒められ、わるいことをしたなら叱られる。 これほどわかりやすい因果応報はないであろう。 そしてこの親子関係における賞罰行為を一般に押し広げ…

  • 今更ながらリメイクDQ8をクリアした感想

    発売日に買ってラスダン直前で何となく飽きてしまい放置してたDQ8をクリアした。 もう発売から一年以上経つから今更ネタバレしても誰も怒らないだろう。 だからネタバレありで追加要素について感想を書きたいと思う。 いきなりエンディングについて言うと、リメイク版だとゼシカと結ばれるエンディングが追加されている。 ミーティア姫と結婚する通常のエンディングが、主人公の出生の秘密を知る前と知った後で2種類あるのに対応して、ゼシカエンドも2種類ある。 出生の秘密を知る前の場合、チャゴス王子との結婚式から逃げ出したあと、馬車の中でミーティア姫に主人公には想っている人がいるのでしょう的なことを質問された時に、はい…

  • 哲学の正体に関する試論―「べき」はどこからでてくるのか―

    哲学とは真理を探究することであり、真理とは世界を鏡のように映したものだとすると、哲学は世界の鏡である必要がある。 そして哲学が世界の鏡ならば、哲学はどこまでも現状追認的なものになり、世界はこうなっているのだという説明しかできないはずだ。 しかし実際は哲学には世界の説明の他にも、こうなる「べき」という規範やこうする「べき」という義務が述べられていることがほとんどである。 この哲学の「べき」の由来はどこか、というのが今回のテーマである。 まず一般に「べき」というのは実際の行為・状態と模範つまり現実と理想とを照らしあわせて初めて言えることであり、この事情は哲学においても同じだろう。 例えばプラトンは…

  • 今年の目標を掲げる~2017年~

    今年の目標は積ん読を消化すること、それにつきる。 本棚の「読んだ本」と「読み返したい本」と「読んでない本」とを見回して、うしろの二つがあまりに多い事に気づいたからだ。 その時本からプレッシャーを感じた。 いや、本からプレッシャーとは書いたが、実際は「買った本を読まなければならぬ」という強迫観念であり、自分の心の内側から来ているものだ。 そうはわかってても胃を握られてるような感覚があった。 古本屋で全巻セットで買った『聲の形』なんてまだ封も開けてない。 『魔の山』も『ソクラテスの思い出』も本棚に死蔵されている。 キルケゴールの『死に至る病』はちょこっと読んだだけで止まってる。 他にも積ん読はいろ…

  • 書評 『プラトン入門』R.S.ブラック

    プラトンはこの世界に神の目的や計画が存在することに確信を抱いていて、プラトン哲学は目的論を信条としている、という内容の序論からこの本は始まる。 前半でプラトンの生涯をたどり後半に著作の解説をする構成だ。 最近に書かれた本でもないし翻訳されたものだし、読みやすいとは思っていなかったのだが、後半に入ってある難しさが加わる。 その難しさとはプラトンの著作の解説があまりにも肉を削った概説であることだ。 この概説を理解するには解説の対象となっている著作を読んでいることが条件となっている、と言いたくなるほどだ。 むろんこの本はプラトン入門なのだし、そんなことが前提条件になっているとは書いてない。 しかし自…

  • 情報源としての本と判断基準としての現実

    真実は人間が認識する以前から存在すると仮定したなら次のことが成り立つだろう。 それは、真実は本以外にも情報源を持つということだ。 逆に言うと本からしかとってこられないような情報は真実でないということでもある。 なぜなら本の記述以外に根拠を持たない情報は現実世界に対応する事実がないからだ。 真実は人間が認識する以前から存在しているとすると、真実は人間とは無関係に現実世界に事実として存在しなくてはならない。 そして現実と照らし合わせて符合する事実がないならば、その記述は真実ではありえない。 つまり本から得た情報はまだ真実であるとは保証されておらず、それは現実と照らし合わせて考える必要があるのだ。 …

  • 書評 『反哲学入門』木田元

    口述されたものをまとめた本ということらしく、とても読みやすかった。 内容を大雑把に説明すると、プラトン以降ニーチェより前までの哲学は、超自然的原理を設定しそれを参照して自然を見る立場であり、そういう哲学は自然に生きたり考えたりすることを否定している。 そして著者はそういう哲学に反対していてそれが反哲学なのだという。 もう少しくだいて言えば、反哲学とは自分たちが存在するものの全体の中にいながらその全体を見渡すことのできる特別な位置につくことができるいう考えを批判するものである、ということだ。 そこを読んだら、ニーチェがカント哲学の先天的総合判断など可能であるはずがない、と主張していたことを思い出…

  • クリスマス前にあわてて神を駁す

    神は信じる者を救わない、と私には思える。 信仰者は神によって救われていると信じているが、実は信仰者を救っているのは神ではない。 それは信仰者自身である。 神などどんな名前の何者でもいいのだ。 信仰するという行為こそが信徒の運命を決めてきたのだ。 ユダヤ教の神がヤハウェではなくても、信仰する人と信仰内容がユダヤ教と同じならその宗教とそれを信じる信徒の運命は同じであっただろう。 重要なのは信仰者が信仰していることである。 宗教において神など飾りに過ぎない。 私が思うに、神は人間に何の関与もしないのだ。 指示も救済も一切行わない。 何かしらの成果をもってある教えを正しいと信じ、正しい教えを啓示できる…

  • 理想の暗黒面

    理想はどこから生まれるか?――現在の不足感からだ。 人間はありのままの現実に不満だから理想を必要とする。 そして理想とは奪うものである。 理想は今ある現実を犠牲にして将来の約束を与えるが、捧げた現実は戻らず約束も果たされることはない。 もし理想が最高の状態のことだとしたら、人には理想を実現する能力などない。 なぜなら人は己自身を知らないからだ。 己自身を知らない者に自分の最高の状態がわかるはずがない。 欲していることが本当に自分にとっていいことなのかさえ人間にはわからないのだ。 そもそも生きている人間は定常状態になることもない。 実現不可能と知っても人は理想の実現への期待を捨てることができない…

  • 「思う」と「書く」は違う

    頭の中でわかったつもりになってることも、いざ言葉にして表現してみようとするとなかなか難しい。 難しい原因の一つは、頭の中で考えるときの論理のレベルと表現するとき必要な論理のレベルにギャップがあるからではないかと思う。 表現するとき必要な論理の方がはるかに高いレベルのものを要求されるのだ。 そう思ったのは、私の場合頭で考えるときの論理が非常に粗雑らしくて、頭で考えていたことを他の人に伝わるようなレベルまで持っていくのは非常に骨が折れるからだ。 いや実際は骨が折れるどころではなくて、表現する際に納得できるレベルまで持っていくことができないことも多い。 頭ではわかっていたつもりのことも書いてるうちに…

  • 真理と悟りについて

    朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。これは論語にある言葉で、朝真理を聞いて悟ることができれば夕方死んでも構わないという意味だ。孔子はそれほどの熱意を持って日々真理を探究していたのだろう。孔子には及ばないかも知れないが、私にだって世界の真理について知りたいという欲求がある。おそらく誰にだってそういう欲求があるから、論語のこの言葉は有名なのだろう。しかし真理とはどういうものなのだろうか、また真理を悟るとはどういうことだろうか。この問いに答えることは真理を探究する上で必要な前提だと思うので、考えてみたい。まず私が思うに、真理は私たちの作為・状態とは無関係に存在するもののはずである。だから真理は作り出…

  • 永遠のテーマ 人生の意味

    人生に意味はあるのかないのか、あるとしたらその意味は何か、それは人間にとって永遠のテーマである。以下に私なりに考えたことを述べてみたい。まずこれだけはたしかに言えることだが、人生に意味を見出したから生まれた人などいない。しかし人生は最初から無意味なのだろうか。あるいは、生まれたときは無意味でも、人間は人生に意味を付与することができ、そこからは人生は意味があるのだろうか。私には人生が最初から最後まで無意味とは思えない。人生が全く無意味ならば、私たちは自分の人生をそのように感じるはずだが、私たちは自分の人生が無意味だとは思わない。もし人生が最初から最後まで無意味ならば、人生などどうでもいいものであ…

  • ショーペンハウアーの継承者としてのニーチェ

    ニーチェは青年時代にショーペンハウアーから強い影響を受けたけれど、最終的にはその影響から脱したと一般に言われている。ニーチェの思想を解説したものも、その大部分は、ほとんど(あるいは全く)ショーペンハウアーについて触れられていない。でも個人的には、それはちょっと違うんじゃないかと思っている。ニーチェはショーペンハウアーの真の継承者だったのではないか。アリストテレスがプラトンの哲学を批判しつつも、それを発展させ受け継いだというような意味で、である。私は哲学を専門に勉強したことがあるわけではなく完全にディレッタントなので、これから述べることにどこまで客観性があるかわからない。だが以下にショーペンハウ…

  • 何度目のブログだろうか

    ブログは本来の日記的使い方のものも、アフィリエイト目的のものも何回もやったことはあるけれど、どれも長続きしなかった。 特に日記的なブログはすぐにやめてしまうことが多かった。 きっと私はモチベーションを維持するのが苦手なんだろう。 そんな持続性のない私だが、ある志だけはずっと持っている。 それは世界の真理について知りたいということだ。 もっとも志を持っているとはいってもほとんど行動には結びついていないのだが。 しかしジョジョ5部に出てくるアバッキオの元同僚の警官が言っていたように、私も大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。 志を失なくしさえしなければ、いつか真理に到達できると思っ…

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