何故トラウマが生まれるのか。 「いのち」をまもるためにトラウマが生まれます。 生命の危機を感じた時に同じ痛みを二度と繰り返したくないという思いがトラウマをつくり、命を守ってくれています。 人間が全力で動くと言っても自然にブレーキをかけているという話を聞いたことがあると思います。 それと同じことが脳内で起こっている。 似たシチ…
前…
前回は転んでしまった時はどのようにするのが良いかを見ていきました。 今回は再び歩みを始めた時の注意点を見ていきましょう。 転んでしまい、でも立ち上がり再び歩み始める 以前と何が違うのか 転んだと言う「記憶」として「痛み」「恐怖」が残ります。 この記憶は決して悪いものではなく次回への生命を守るためのもの ですが、転んだ時と似た…
前回は無理はしてはいけないと書きました。 では、どのタイミングで動くのか。 痛みでうずくまっていても必ずや前を向くときがあります。 もしくは足元を見ていたとしても足元のほんの少し前を見るときがあります。 実はもう、それが動き始めているという事。 決して動けていないと思わない事です。 目線が動く(思考が動く)
前回の続きから・・・ 「道」で転んでしまった時に慌てて歩き出そうとしなくてもいいと 前回書きました。 そこで一つ大事なことがあります。 いつか『1ミリでもいいから歩む』そう思えた時に動き出してください。 無理はしてはいけない。 無理した時にはまた転ぶ。 「無理をしなければいけない」そんなことは一切ない…
前…
前回の続きから 「道」を遊びながら歩むためにどのような思考が必要か で終わりました。 どのように考えたら人生を遊ぶように過ごすことができるのか。 このように書くと難しくなってしまいますが、 本当に「道」を歩いていて楽しみながら目的地に行くとしたらどうでしょう?? 「景色を楽しむ」「足元の草花を楽しむ」「ころがって…
前回の続きから トップアスリートであったり、企業の社長さんたちは「道」を遊んでいると書きました。 選ばれた人しか遊ぶことは不可能なのでしょうか? 決してそうではありません。
前回は「道」を遊ぶ と書きました。 何故、「道」を遊ばないといけないのか。 アスリートの方であったり、会社を経営している社長さんは目標というものにまっしぐらというイメージがあるかと思います。 でも実際にはただひたすらにその道を歩いているように見えながらも、道中を楽しんでいます。 その楽しみ方が傍から見ていると見えない。
「道」を歩む 一歩を踏み出し 「道」とは目的地に行くまでのもの 本来、人生は幼子のように、楽しみながら野原をただ駆け巡り転んでも起き上がりまた駆け巡る それが人生を楽しむコツです しかし、いつしか人生の目的をもち、ありたい姿に向かって歩み始める その歩みを「道」と呼び哲学としての「道」の概念が生まれました 芸事を同じくあ…
前回の続きから 「道」の概念がどのようにして生まれるのか 「道」そのものに、この答えがあります。 あるところに行きつくまでの道のり それが「人生」であったり「芸事(習い事)」の上達するまでに似ているから「人生」「芸事」を「道」というものに置き換えてみている。 だから、人生を「道」とし「芸事」の上達を「道」としています…
前回の続きから あらためて「道」を見てみましょう ウィキペディアでの「道」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93 一般名詞の部分を参考にしていただければいいのですが 「道」と多くのものについています。 共通しているのは 【時間をかけて通っていくもの】 【時間…
前回は 芸事(習い事)が「道」をつけて呼ばれると書きました。 もう一つ 我々が知っている「道」と呼ばれるもの 「人生」 「人生」の歩み自体を「道」と私たちは呼んでいます。 なぜ「習い事」が「道」なのか なぜ「人生」が「道」なのか すこしずつ掘り下げていきましょう …
「道」と聞いて、何を連想しますか? 「書道」 「茶道」 「華道」 「剣道」 「柔道」 「空手道」などなど わたしたちの生活には「道」と呼ばれるものがあふれています。 スポーツであっても、「野球道」となどと呼ばれているのを聞いたことがあると思います。 なぜ私たちは「道」に結び付けるのか これから紐解いていきたい…
「ブログリーダー」を活用して、ごうさんをフォローしませんか?