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2016/11/13

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  • 7つの顔の男(3)・・またある時は、ただ瞑想するだけの人

      生活時間の充実のためには、遠い過去や脳卒中で倒れたこと、将来の不安から開放されなければならない。 同病の人を、リアルやSNSで眺めると、自己顕示欲、攻撃的、ナルシシズムを感じる人がいる。特にSNSでは顕著だ、ちっともメンタルの豊かさが感じられないのだ。 病気が、いい方向に自分を変えるキッカケになっていないどころか、病気前の性格が一層色濃く出ている。もちろん私とて例外ではない。思い当たる節が大いにあるし、女房に指摘されることもある。 それで、半年前より体を弛緩させること、心を解放するために1日2時間程度であるが、瞑想に取り組んでいる。 スリランカやタイなどの東南アジアの僧侶(上座部仏教)の僧は、瞑想について「余計な考えを立ち切ることで、知恵は自然とわいてくる」と言う。 初心者の私は、瞑想中に次々雑念が沸いてきて、正直これは、なかなか難しい。 ..

  • 7つの顔の男(2)またある時は、スネに傷持つリハビリ男だぜ

      逆に強く身体障害を思い知るときは、 ・公園やプールで自主リハビリするとき~1.5H ・ベッドやイス、床から立ち上がるとき~?H ・室内を移動するとき~?H ・トイレのとき~計1H ・お風呂のとき~0.5H と時間的には案外少ない。トータルで1日4時間弱であろうか。ただ、立上りなど頻度の多い動作には、転倒しないよう注意を要する、この時は、おめおめ油断してはならない。 それでも障害者として転倒防止等に集中する時間は長くない。 それ以外は大いにリラックスしていていいのだ。 慢性期になってもなお「死に物狂いのリハビリ」をすべきだ などと考える人は、さすがに 少ないだろう。この時期は痙性や拘縮をコントロールしながら、あきらめず 少しづつの改善を目指すという現実的な路線に多くの人が変わっていると思う。  だから精神的なリラックスと、身体の弛..

  • 7つの顔の男・・ある時は、障害者(1)

    障害者であるをことすっかり忘れている。 そんな時が、一日の中でけっこうある。と、ふと気づいた。たとえば、私の場合を考えてみると ・ベッドで寝てるとき・・7H ・お気に入りイスに座ってpcや読書・・7H ・ベッドの背を立てテレビ見てるとき・・1H ・ヨーガマットで瞑想してるとき~1H ・ベッドでボディースキャンの瞑想してるとき~1H ・女房とご飯食べたり喋ったりしているとき〜1H 合計18H。一日の4分の3は障害のこと忘れて生活していることになる。 「ある時は△△、またある時は××、しかしてその実体は〇〇(本名)」 と7つの顔を持つ男は、多羅尾 伴内だ(昔の映画で、実際見たことはないがセリフだけは有名で知っている) つまり、もうこの時間割合からして障害者としの私は、7つの顔の一つに過ぎないんじゃないかと思うのだ。 人生の途中で突然脳..

  • キャスター付きダイニング椅子が快適です。

    私の片麻痺生活で、キャスター椅子は欠かせません。机からテーブルへの1m程度の移動(右写真 奥が机で、手前左がテーブルです)や、テーブルの上の、ちょと離れた所の物を取ったりと、車いすの様に健足でけって、ちょこまか移動し、毎日酷使しています。 2年前より、写真のダイニングチェアを使っているのですが、これが大変快適なのです。 ですが、毎日酷使しすぎて、半年に1度ほどねじが緩んでガタガするのです。それでひっくり返して六角レンチでねじを締め直していました。 ところが、少し前からキャスターの回転用の小さなベアリングが、ポロリ、ポロリとこぼれ落ちるようになったのです。そしてついに先日、タキャスターが突然外れた。前のめりにガクンときて、びっくりしました。 外れたのは1個だけですが、サイズを揃え体重が均等にかかる様、4個全部取り..

  • お金奮戦記(その9) 奮戦から心の解放に向かって<2>

        前回の続きで、最終章です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ■安易に人に頼らず奮闘する   お金の面で肉親や、友人・知人に安易に頼ろうとしなかったことも良かったと思う。   何より気力が萎えないのだ。自分でなんとかするしかない。現実から逃げられない。だから、障害を理由に無気力に陥る(おちいる)ことがない。   もちろん、女房・子供が側にいてくれたから、頑張れたのではあるが。       最近ネットで著名人による、現金プレゼントをありがたがる風潮がある。   知り合って間もないのに、援助してほしい、(成功したいので)人を紹介してほしいと言い寄ってくる人が、これまで数多くいた。   でも、それらの人で、その後、うまくいった人を私は知らない。   自力で奮闘することで、思いがけない良い展開が待ち受けている。今回も多くの幸運に恵まれた。そ..

  • お金奮戦記(その8) まとめ・・奮戦から心の解放に向かって<1>

            ■現在の状況   子供は全て独立し、私の父と母も無事見送った。 あとは、義父が老人ホームの生活に慣れてくれれば良し。 まだまだボンヤリとはできないが、少しほっと一息ついている。 思えば、脳卒中になってこの10年。誰にも頼れず、どケチ女房と二人で知恵を絞って生きてきた。 それでも、関西人らしく深刻にならず、大笑しながら過ごし、時に大声で怒鳴り合う。 回復期病棟での思いつめた暗い時からすれば、隔世の感がある。 ■なぜ苦境から脱出できたのか   苦境から、どうして脱出することができたのであろうか。幾つか理由がある。   第一は、女房の力である。   ネット販売をある程度軌道に乗せていたこと。これは宅配業者の集荷時間以外で、時間に縛られることがなく、しかも1日2~3時間で済む。だから介護、家事・子の世話と並立させられた..

  • お金奮戦記(その7) 年利5~7%のリターンなら獲得できる(株式投資の話あれこれ)

          【年利5~7%のリターンなら獲得できる】    話題沸騰した本「21世紀の資本」の著者ピケティは、過去2000年の人類の歴史からして資本(土地や金融資産)収益率は年5%程度が標準だと指摘した。     また名著「株式投資」の著者ジェレミー・シーゲルによると過去200年の米国株の投資リターンは実質年率6.8%である。     つまりこの投資リターンなら、投資プロでなくても長期投資の場合は可能だとということだ。   私が株式投資で最も信頼するのは、この数値だ。   これまでも、株式投資に関して、あれこれ記事を書いてきた。それをここで改めて紹介したい。   60歳近くの年齢で、片麻痺障害のため就労できない。そんな失敗できない状況で、株式投資にどう挑んだのか、ご興味があれば、是非お読みください。   【株式投資のお話】 (1)投..

  • お金奮戦記(その6)投資を始めるべく奮闘するも・・

        ■幸運にも投資の資金を手に入れた   顧客からの回収資金に加え、思いがけず幸運なお金が入ってきた。   元々母親が私に掛けていた生命保険があって、結婚を機に受取人を女房に変更し、私が掛け金を支払うことにした。その保険に何と母が三大疾病特約を付けていたのだ。   私は、そんなことに気づかず、二十数年毎月保険料を支払ってきた。そして、退院して初めてその特約の存在を知ったのだ。   保険会社に連絡すると、すんなり給付金を受け取ることができた。これまでの掛け金合計に多少利息を加えた程度が戻ってきたことになる。   この二つの資金を合算し、株式投資することにした。 自分が働けない分、お金に働いてもらおうということだ。       ■株式投資の勉強をはじめたが・・   まず5年計画を立てた。最初の3年は、ひたすら株式投資について勉強する期間だ。その後実..

  • お金奮戦記(その5)仕事を廃業したが、心から納得できた

        ■無念!脳力が元に戻らず廃業   退院してから1年半、常に違和感を感じながらも無理くり仕事を続けていた。収入は病気前の5分の1程度に落ちた。   しかし、以前と比べて身体だけでなく、脳力も大幅に劣っている、元に戻らないのだ。このままでは、顧客に大きな迷惑をかけることになるかもしれない。   廃業を決意した。幸い発病から1年6ヶ月が経過し、後遺障害の程度からすれば、障害年金をもらえる可能性もある。     ■長年の顧客が、気持ちをすっきりさせてくれた   廃業と感謝の気持ちを直接顧客に伝えた。   その時、長年にわたり溜まり溜まった売掛金が数社で300万程あった。   でも、私はもう回収は諦めていた。毎月請求してもスンナリとは入金せず少しづつ脹らんでいったお金だ。   これから一切、付き合いはなくなるわけだから、今更お金を振り込んでくれること..

  • お金奮戦記(その4)関西ドケチ女房が女神に見えた

    この泥が あればこそ咲け 蓮の花(蕪村)  ■女房のひそやかな収入   女房には一人暮らしをしている父親がいた。3年前に、脳梗塞を発病し不自由な生活を送っていた。 子供は女房一人だけ。自分の子供が中学生になって多少時間的余裕ができた時、女房はパートに出たいと言ってきた。多分父親の老後のためのお金を稼ぐつもりだったのだ。 私はパートの様な時間を切り売りする仕事でなく、ノウハウが溜まっていくような仕事の方がいいと伝えた。   それで女房はインターネット販売を始めたのだ。倒れた後で知ったが、これが月収10~15万円程度になっていたのだ。   これが私の病後生活を支えてくれた。私の5分の1程度になった事業収入に女房のネット収入、他に知人の会社の非常勤役員報酬もわずかにあった。これで、生活費が何とか賄えたのだ。 ■女房と子供名義の預金  ..

  • お金奮戦記(その3)離婚して生活保護うけるしかないねえ~

        回復期病棟で、こんな話をどこからともなく聞いた。 『後遺障害が重く仕事への復帰はほぼ絶望的。職人仕事で自営業の一人親方。その妻の相談に、ある看護師が「離婚しかないねえ。それから生活保護の申請」と答えたというのです。』 驚いた。ただ、真意は定かではないがありえる話だなぁとも思った。やはり、最悪そこまで覚悟しなければならないのかもしれない。 国民年金の加入者の障害年金である障害基礎年金は1級でも月額8万円あまり、これでは到底生活できない。それで離婚して奥さんが生活保護等の助成を受け取るアドバイスだそうだ。 これって法的にギリギリセーフなのか!?そうなると元(?)妻に日常生活が自立できるまで介護に通ってもらうのか!? 正直、私も一瞬考えたが、装具と杖で何とか歩けるようになって、自力やれるだけやってみようという気になっていた。 そうとなれば、..

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