筋肉の使い過ぎなら身体が痛いのもわかる。運動をすれば筋肉は疲労するだろうから。しかし、特に何もしないでいても身体が凝るのはなぜだろう?ただ座っていても、じっとしていても痛いたくなるのは、、、例として、オフィスでパソコンの入力作業をして肩が凝るまでに身体の中で何が起きているかを見てみましょう。あなたは椅子に座ってパソコンの画面に向かっています。そして、マウスを動かしたりキーボードをタイプしたり脇にある書類に目をやったりしています。この時あなたは、椅子に座るという姿勢を維持しながら両手を動かし、頭が前に倒れるのを支えています。この姿勢を維持し、頭を支えるということをするために多くの筋肉と筋膜が働いています。たとえば、首の後ろの筋肉(伸筋群)、脊柱起立筋、僧帽筋などの筋肉は、それぞれ静止性収縮といって動きはないのです...デスクワークによるコリの原因
手でコップをつかんだり椅子から立ち上がったりという動作をするのとは違い、心臓が拍動するなどの内臓のはたらきや涙やよだれが分泌されるなどは、意識をしなくても自律神経が自動的に行っていることは広く知られていることです。そして、この自律神経というのは、私たちのからだを正常に維持するための機能です。この機能があるために私たちは、体温や血圧、血糖値などの複雑な調整を適切に行い生存することができます。しかし、この自律神経のバランスがさまざまな要因によって乱れてしまうのも事実です。その要因とは、気温の寒暖差が大きかったり、気圧の乱高下であったりという環境の要因もさることながら、今日でもっとも多いのは、やはり心因的なストレスです。たとえば、人間関係のストレスが強い、または長時間集中して仕事を続けなければならない環境、また、常に...自律神経のみだれ
日々、治療を続けている中で、来院された患者さんから、他で「うまく痛みと付き合っていきましょうと言われたんですけど、、」「歳だから仕方ないって言われて、、」などは、よく聞く話です。でもこれは、実際には、「痛み」が身体に及ぼす影響からして、とんでもないことです。ハッキリ言って、治す事の出来ない人が言う誤魔化しだと思っています。身体が必死になって発しているメッセージをそのままにしておいていいのでしょうか?あれほど不快で嫌な感覚と、どうやって『うまく付き合って』いくと言うのでしょう?ちなみに、高齢になり身体のあちこちが痛むのは、なぜなのでしょう?その原因の一つとして、私たちの身体の中では、日々、細胞が生まれ変わっています。それは、寿命が来た細胞は死滅して、そこに新たな細胞が生まれているということです。その時に、死滅した...痛みとの正しい別れ方~結論として~
前回のブログに書いたとおり、「痛み」とは身体が私たちに向けたメッセージです。しかし、厄介なことに、この「痛み」というメッセージは、「暑い」というメッセージや「眠い」というメッセージと違い、余りにも強烈なメッセージなために、私たちの身体に様々な害も及ぼしてしまいます。強烈な「痛み」を感じると、身体は緊張して筋肉をこわばらせ、こわばった筋肉の中を通る血管を圧迫して血流を滞らせ、痛みを感じている部分以外の血流も落ちてしまうために、全身への酸素、栄養、エネルギーの供給量が落ちてしまいます。また、「痛み」を感じることで神経、筋肉が緊張して交感神経が優位になり、自律神経のバランスを崩し、そのために様々な症状を引き起こしてしまいます。さらに、強い痛みを長い間感じ続けたことによって、脳の痛みの信号を受けている部分が過敏になって...痛みとの正しい別れ方~痛みの害~
この「痛み」という感覚は、いったい何なのでしょう?どんな意味があって、何のために私たちのところにこのとてつもなく不快で、嫌な感覚はやって来たのでしょう?「痛み」とは、現象であって本質的なものではありません。あらゆる感覚と同じように、私たちが生存してゆく上でより有利な方向へ向かう道しるべであり、その方向を知らせるメッセージです。では、このおそろしく不快なメッセージは、具体的には何を伝えようとしているのでしょう?どうしてこんなにも「嫌な」伝え方をするのでしょう?「美味しい」や「気持ちいい」のような、「うん、良いよ!これでOKだ♪」といったメッセージよりも、もっと差し迫った、すぐに意識を向けて欲しいメッセージ。それは「まずいことになった!ここにトラブルが発生した!」「ここを修復しなければならない!修復が済むまで動かさ...痛みとの正しい別れ方~痛みの意義~
私たちは毎日、様々な感覚を感じながら暮らしています。「美味しい」という感覚、「暑い」という感覚、「気持ちがいい」という感覚、それら様々な感覚の中で、「痛い」という感覚はとても強烈で、不快で、精神や生活の質に、大きな影響を及ぼします。身体をどこかにぶつけたという一時的な痛みならまだしも、身体のどこかが常に痛い状態が長く続くと、集中力も落ちてきますし、憂鬱で気力さえ萎えてしまうかもしれません。私たちは、まずこの忌み嫌う感覚から逃れようと、あらゆる努力をします。鎮痛剤を飲むことから始まり、病院に駆け込み、それでもこの「痛み」というものが立ち去ってくれなければ、書籍やネットでなにかいい方法がないかと調べ、熱心にその方法を実践して、、、それでもこの「痛み」という感覚に苦しめられるのなら、それこそ藁にもすがる思いで、他人か...痛みとの正しい別れ方
『光の医学』光と色がもたらした癒しのメカニズム~ジェイコブ・リバーマンより。○太陽-根源的なヒーラー聖書の冒頭の言葉「光あれ」(lettherebelight)から「啓発された」(enlightened)という観念まで、光はあらゆる生命の生長に一貫した重要な役割を持っている。古代エジプト、ギリシア・ローマ等の大文明では、光の医学的利用が重要視されていた。はじめて色を治療に使ったのはエジプト人の医師だが、日光を使った治療を理論と実践の両面ではじめて実証したのは実はギリシャ人である。ギリシアの太陽神信仰の中心地ヘリオポリスには名高い癒しの神殿があり、そこでは日光がスペクトル成分(色)に分けられ、個々の色が特定の治療に使われた。ヘリオセラピー(太陽療法。日光にあたることによる治療法)の父ヘロドトスは、次のように述べて...光あれ!~人体にとっての光とは~太陽光線2
人間が生命活動をするのに摂取しなければならないもの。まず、空気(酸素)が無ければ生きてはいられません。水分、塩分や食物(栄養)も無いと死んでしまいますね。空気や水、食物などは、よく思考に上がってきていたのですが、意外と失念していたのが、光(太陽光線)でした。頭上を太陽(お天道様)がいつも変わらずに照らしてくれていることは、わかっていたのですが、人体がそれを取り込んでいることはほとんど意識していませんでした。「日に焼けてしまう~」と、日焼け防止にUVクリームを塗るくらいでした。実はわたしたち人間は、太陽光線をからだ全体でパクパク食べて(吸収して)生きているのです。光(太陽光線)は、植物(光合成)だけではなく、人間にとっても絶対必要な大事な要素だったのです。『光の医学』光と色がもたらした癒しのメカニズム~ジェイコブ...光あれ!~人体にとっての光とは~太陽光線
六気病機(こちら)を今年にあてはめて説明します。六気とは、”風”、”寒”、”暑”、”湿”、”燥”、”火”、つまり、四季の気候のもとになる要素のことです。ですから、そのもの自体が、病気の原因になるものではありません。問題になるのは、その要素が、太過と不及、つまり、過不足があった場合に、人間の身体に悪い影響を及ぼすということです。具体的には、本来熱くなければならない夏に、気温が上がらず冷夏と呼ばれるような時には、”暑”が不及の状態であるといい、これは、暑い夏に”暑”が不足しているということです。また、例年よりも寒さが厳しい冬は、”寒”が太過の状態であるといい、これは、冬にある”寒”が過度に強くなっているということです。この様に、季節の天候の要素に過不足がある状態が、人体に悪い影響を与えるのです。今年を例にとってみる...六気病機を今年にあてはめてみると・・
今回も代替医療であるホメオパシーについて書いてある海・森・大地の見えざる医師たち『ホメオパシー』伴梨香著より、健康関連について引用します。〇病気の〈意味〉と〈経過〉をまっとうするわれわれはつい、症状こそが病気のすべてだとばかりに、てっとり早い方法で症状をなんとか退却させ、これで万事終了という安易な対処をしてしまう。それでも内心では、症状はごく表面的な現象であって、どうやら病気の本質というものはその背後にひかえているらしいということに気づいている。では症状とは、いったい何だと考えるべきなのだろう?永松氏はこう解説する。「症状には異常を知らせるシグナルとしての役目があります。そしてこのシグナルが辛く苦しいからこそ、人は真剣にそれと対処するわけです。歓迎されることはあまりありませんが、有り難いものであることには違いあ...病気とは?症状とは?
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