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連載自叙伝『追憶』シリーズ 「ふきのとうノ咲くころ」

詩・俳句・日記・エッセイを通し、日常、社会、教育(子育て)などについて、私の思うままに綴ります。 自叙伝『追憶』シリーズは、  第二次世界大戦終戦の年、叔母の養子として引きとられた私が、いなか秋田の親もとを離れて、戦争の焼け野原となった東京で過ごした日々と、幼心の揺れ動く姿を綴ったものとなっています。

天と地と
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住所
秋田市
出身
由利本荘市
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2016/09/11

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  • 『追 憶』 ⑭ ~若葉のころ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-里帰り-ひと月遅れのお盆を前に、待ちに待った田舎へ行くことになった。上野駅では、人々が、夜行に乗るために、昼頃から行列を作って乗車を待つのであった。帽子にMPと印された、国防色(カーキ色)の服を着けたアメリカ兵が、駅の構内を右往左往しながら、乗客の整理をしていた。車内に入るだけ人をつめ込み、割り込んで来た人を、引っこ抜くように…。その状況を見て、子供心に、外国に居るような錯覚に陥って、寂しくなったものだった。駅に来る途中、四年前の思い出を辿ってみようと、上野公園を一回りし、心弾ませながら、石段に足をかけた瞬間…。ぞーっとした。石段は、人でうずまっているのであった。髪の毛や、髭がぼうぼうと伸び、手のない人、足のない人達が、ボロボロの衣服をまとい、石段を上下する人々に、物乞い...『追憶』⑭~若葉のころ~

  • 『追 憶』 ⑬ ~ 若葉のころ ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-おじさんの手造り-子供達はいつもの如く、大家さんの縁先に三々五々と集まって来ていた。大家さんのおじさんは器用な人で、時には、竹を割って、蝋を流し込んで、それに太い木綿糸を入れて、両方の竹を合わせて、蝋が固まった頃を見計らって、水に入れると、かぱっと竹の筒から剥がれて、ロウソクの出来がり。またある時には、子供の小さな下駄の型を格好良く作って、それに赤のペンキを塗って乾いたところに、ピンク色で梅の花を描いて、私の下駄が出来たのだった。ただ、叔母に、鼻緒を作ってもらった時には、大変上等なものが出来上がったのまでは良かったけれど、それは雨には強いが、暑さには弱かった。足の下にペンキが、くっついて、だんだんに梅の花も、赤い地の色も、滅茶滅茶になってしまったこともあった。-買い出し-...『追憶』⑬~若葉のころ~

  • 『追 憶』 ⑫ ~ 若葉のころ ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-弟-そうこうしているうちに、若葉もすっかり色鮮やかな線になっているのであった。六月に入った或る日、母が弟を連れて遊びに来てくれたのであった。「おどろいた。」おばさんも、満足な顔でニコニコしていた。「さあ、さあ、よく来てくれましたこと。暫くゆっくりしていけるでしょ。」「うん。四、五日世話になるつもりだからよろしく。」と、母は日焼けした顔で、元気そうでしたが、旅の疲れが感じられた。「わぁ!母さんだ。陽一だ。」嬉しさが隠し切れず、弟と手を繋いでぐるぐる廻ってみるのであった。弟は私より四つ下で、丈夫な私と反対に、細くて、あんまり元気ではなかった。十六年の八月に、七カ月の未熟児双生児の片割れで生まれた弟を、食糧難と産後の体調が悪さで、親子共々、大変難儀をしたが、女の子だけの我が家に...『追憶』⑫~若葉のころ~

  • 『追 憶』 ⑪ ~ 新たな生活の中で ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-楽しい遊び-或る日、学校から帰って、おやつを食べていた。私と同い年のテルヱちゃんが、友達をたくさん連れて、「紙芝居見に行かん?」「え!どこ?行く行く。」そう言えば、近くの空き地に、拍子木を打って廻っているおじさんを見かけたが、何をしているのかと思ったものだが、そのおじさんが紙芝居屋さんであったのでした。“鞍馬天狗”や“のらくろ”、“黄金バット”や、ちょっと悲しい物語のうち三編位を、二円五十銭か三円出して、飴玉か切こんぶを買わされて、それを食べながら見た。「第一巻の終わり。続きは次回に。」「カカンカンカン」と拍子木を鳴らされて、三々五々、夕食が待っている家に帰るのであった。これが、則明ちゃんと遊ぶのと一緒の楽しみになってしまった。近所の友達もたくさん増え、遊びと言えば、毬つ...『追憶』⑪~新たな生活の中で~

  • 『追 憶』 ⑩ ~ 新たな生活の中で ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-お嫁さん-叔母も大分世話好きなところがあったらしく、その織物工場の二男のお嫁さんにと、田舎の親戚のお姉さんをお見合いさせたのであった。話がまとまって、結婚式の前の晩、私達の家にお姉さんが泊まってくれた。暫くぶりに、田舎の様子を聞くことが出来、話をする言葉が懐かしく、いつもなら、とっくに眠くなる時間なのに、目が冴えてしまうのであった。「さあ、明日は、お嫁さんの仕度をしなきゃいけないから、もう休みましょうね。」布団に入ってから、キヱ姉さんは背が高く色白で、顔立ちも良いし、きっと、綺麗な花嫁さんが出来ることだろうと、明日が楽しみで、子供心がウキウキしてくるのであった。田舎では、近所のお姉さんがお婿さんを迎える結婚式があった。その時のお嫁さんは、文金高島田に、綺麗な花嫁衣裳をつけ...『追憶』⑩~新たな生活の中で~

  • 『追 憶』 ⑨ ~ 新たな生活の中で ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-子守り-お友達と何の約束もない日の一番の楽しみは、向いの伊藤さんの則明ちゃんをあやすことでした。則明ちゃんは、二才で、色白で、丸々と太った大きな赤ちゃんでした。おんぶをすると、どしっとして、でも背中の感触が何とも言えなかった。子守りをしてくれたからといって、則明ちゃんのおばさんが、しじみ貝を綺麗な布で括ったものを作ってくれたり、お手玉を作ってくれたりするせいもあったのかもしれない。「おばさんちに、どうして綺麗な布地(きれ)がたくさんあるの?」子供心に羨ましかったのかもしれない。「則明のお父さんは、織物工場で働いているんでね。スヱ子ちゃん、やっぱり女の子ね。欲しかったらあげるよ。」と言って、色々な切れ端を揃えたものを私の手に乗っけてくれた。その布は、暫く大事に空き箱に入れて...『追憶』⑨~新たな生活の中で~

  • 『追 憶』 ⑧ ~ 新たな生活の中で ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-給食-「いってまいります。」「いってらっしゃい。」この頃は、学校が楽しくてしょうがなかった。昼食には、給食が出されるのであった。コッペパンと魚の缶詰や果物の缶詰、干しすももなど、珍しい食べ物が出るので、お昼が待ち遠しい。何しろ一般家庭ではめったに食べることのないものであるから。しかし、それは毎日ではなかった。第九小学校は、戦災を無事逃れて健在であったが、焼失した学校の生徒と共同使用という事で、二部授業が行われ、一週間交代で午前と午後の登校になっていたのであった。-教科書-教科書は、去年まで、国民小学校であったため、日本全国共通で、兄弟が何代にもわたってお下がりのものが使えた。私などは、四女なので、大分貫禄のある(使い古しの)ものであった。「今日、用意するように言ってありま...『追憶』⑧~新たな生活の中で~

  • 『追 憶』 ⑦ ~ 新たな生活の中で ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-故郷を想う夜-その夜は何となく眠れなくて、吉田さんのところで味わったショックがやっぱり残っていたのであった。じっと目をつむると、「里では一月遅れのひな祭りが済んだろうなぁ・・・。」「今年も川の土手で餅草(よもぎ)を取って、菱餅や大福餅を作って、小春日和で、ちょろちょろと山肌を流れる雪解けの沢のせせらぎの中の小さな岩をよせてみると、沢蟹(全長五センチ位)がぴょこっと出て来るのを捕まえて、母に茹でてもらい、山の苔を取って来て、その上に赤く茹で上がった蟹を這わせて、餅を作って飾っただろうなぁ・・・。」「姉さん達は、隣の栄子さんのうちに廻って、皆んなでキンピラごぼうで甘酒をご馳走になったろうか・・・。田にし和え食べたろうか・・・。」水の張った田んぼには、メダカがすいすい泳ぐ下では...『追憶』⑦~新たな生活の中で~

  • 『追 憶』 ⑥ ~ 新たな生活の中で ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-新しい友達-クラスの友達とも、いつの間にか、屈託のなく話せる様になっていた。親しい友達も出来た。吉田トモちゃんといって、とてもしっかりして、やさしくて、私にとっては頼りになるお友達であった。学校からも一緒に帰るようになっていた。或る日、「あたいのおばさんに紹介するから寄って。」と誘ってみた。「いいわ、そしたらおばさんに、あたいんちに遊びに行ってもいいか、訊いてね。」このころ、家の付近の様子が分かってきたので、もう少し遠くの方へも行ってみたいと思っていた矢先に、吉田さんに誘われたことは、とっても嬉しかったのであった。「ただいま」叔母は、繕いものをして待っていてくれた。「おかえり。おや、お友達じゃない。どなた。」「吉田です。こんにちは。」と頭を下げた。「吉田さんちへ遊びに行か...『追憶』⑥~新たな生活の中で~

  • 『追 憶』 ⑤ ~ 蕗の薹の咲くころ ~

    はじめから見る👉自叙伝『追憶』シリーズ-転校届-八王子に来て一週間。春休みもあと残すところ五日位しかなくなった。転校届をするため、中野区役所へ叔母について行ってみた。区役所に入って行って驚いた。昔風の家の中で、手続きをするのであった。故郷では、白く塗った大きな建物が町役場であったため、驚きと共に、何かほっとした気持ちになった。そこいらは、付近の景色が故郷によく似ているところがあった。春休みも終り、二、三日してから、叔母の手をとって、ぼんやりした春風を感じながら学校の坂道を登って行った。校門には、“八王子市立第九小学校”とあった。校門からは、広い校庭と大きい校舎がそこにあった。しっかりした古い建物で、郷里の女学校の校舎に似ていると思った。玄関の上には、バルコニーがあって、素敵なポーチがついて、両脇には、シュロの木...『追憶』⑤~蕗の薹の咲くころ~

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