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marcoの手帖 https://blog.goo.ne.jp/marco8080

つきない世界のベストセラーを脱線しながら読んでます。

すべてのしがらみから解放されて永遠の命を与える神の言葉をひとりひとりのものに!

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2016/09/01

  • 哀悼!(その8)大江健三郎:つまらなくなる前に想像力を強いて言語化せよ!

    大江がノーベル文学賞をもらった時の演題が『あいまいな国の日本』だった。おおよそ、文学者といわず言葉の専門家がこの国の成り立ちを少しでも省察してみれば、無論、過去に於いては審美主義を追求する谷崎や武者小路のような方もおられるが、そうでなくても多くの名の知れた文学者、小説家はこの国の思想の土台のありようを言葉にすれば、大江が世界の論壇の中で『あいまいな・・』と言ってのけた、実は深刻なことなのだけれど、その不条理のような壁に突き当たって悩んだことが理解されてくるように思われる。夏目漱石が西欧との出会いで悩み、森鴎外が自分の墓には、森倫太郎だけの墓碑銘でよいとか、あるいは坂口安吾でさえ、さらには現代でいえば、左翼の思考を語り始めた島田雅彦など、三島のようにまったく迷わずそちらの方面に行って演劇的自殺をされた方もお...哀悼!(その8)大江健三郎:つまらなくなる前に想像力を強いて言語化せよ!

  • 哀悼!(その8)大江健三郎:『性的人間』

    現代作家の中で大江ほど一作ごとに思想的冒険をこころみる作家はいない。『性的人間』とはショッキングな題名だが、セックスの世界にしか自己の生存の条件をきわめることができなくなった人間たちの、寓話的小説である。大江の書く性の世界には「性が文学の最後の開拓分野だ」というノーマン・メイラーやヘンリー・ミラーの思想と共通したものがあるが、それ以上に現実世界とは切り離された観念上の探求がある。『性的人間』書評(産経新聞38・7・22)*********そもそも、サルトルの実存主義とは、行きつけば動物として生きる人の肉体からの思考、意識、無意識如何のその言語化を用いた解体であったように思われる。それは、誰しもがこの人の種としての肉体を持ち、それにかかわる環境から影響を受けて、無論、親からのDNAをもとにしたものであるのだ...哀悼!(その8)大江健三郎:『性的人間』

  • 哀悼!(その1)ノーベル賞作家 大江健三郎

    哀悼!大江健三郎。僕の机上に今もある彼の一冊の本を掲載した。半世紀以上も前の話。三重に出張に行った列車の中で、津を通り過ぎようとするころであったろうか、彼の『ピンチランナー調書』を若い女性が座席の前に座り、その本を読み始めた。ロボットのような親子の版画の絵が描かれたハードカバーの本だったのだが、途中までは読んでいたようなので「面白いですか?」と思わず尋ねたことを覚えている。どうして大江なのかと思っていると、その若い女性は、自分は子どもを扱う幼稚園や保育、障害児を扱う保育士になろうと思っている。彼には障害児のお子さんが居られるでしょう。少し、こういう作家はどのように体験され思われるのか知りたいと思っているので、と続けて語った。「あぁ、光くんですね。」と僕は返答し、「面白いです」と彼女は言ったけれど・・・。邪...哀悼!(その1)ノーベル賞作家大江健三郎

  • 哀悼!(その7)大江健三郎: ふるさとの山はありがたきかな(啄木)

    誰でもが幼少の頃にその人生の原点が創成される。森山のここ麓一帯は、八郎潟湖につながる沼地の海だった。無論、本人の無自覚のご先祖から来るDNAを土台にするのであるが、10歳ころまでの成長期の環境のありようからも大いに影響を受けているものである。大江が四国の田舎の谷間で育った頃からのインスピレーションを受けて、それを土台に小説が描かれていることに関心があった。あぁ、僕の田舎にもこんなことがあったのかなぁと思い出すのである。そして誰もはそんな故郷を持っているのではないだろうか。あの谷間で蜂起した爺さんの話や、現在の彼の居場所、それは海外の大学の官舎からだったりと、彼が専攻した新実存主義なるサルトルの手法が、それは実存、つまり誰もが身体(肉体)からの省察により志向をもたらす意識の言語化というものを、つまりはこれは...哀悼!(その7)大江健三郎:ふるさとの山はありがたきかな(啄木)

  • 哀悼!(その6)大江健三郎の内心:良き日、復活祭!

    とかく宗教というのは、個人のこと、さらに観念的なこととして自分とは無関係なことと思っている、というか自覚しない。特にキリスト教というのは、個人の言葉を要求するからなおさら、この国では疎まれる。言葉のない情緒的な総まとまりの中に押し込まれていて、それを言語化することは、いらぬものを穿り出すような思いをさせられるのである。しかし、なぜ彼(イエス)が生き返ったこととおまけにそれが、哲学、政治や経済までの深層を探れば、そこには彼が死んで復活したということについての格闘が、信ずる信じないに関係なく、意識するしないにも関係なく、その事実の基にすべてのものごとについての人が吐き出す物事への、その業への深層究明の言語化への格闘が歴史の中にあったことが理解されて来る。それはそちらの人とか、こちらの人とか、まして異邦人とかな...哀悼!(その6)大江健三郎の内心:良き日、復活祭!

  • 哀悼!(その5)大江健三郎:金曜日受難の時!

    キリスト教会には教会暦というのがあって、’23年は4月2日の週が受難週にあたります。昨日、6日はイエスが最後の晩餐を行い弟子達の足を洗います。それは、弟子達の足でイエスの業(わざ)を苦難をとおして世界にに広め伝えなければいけないという暗示でもありました。洗足木曜日と呼ばれます。そして、今日、金曜日十字架に掛かられる。朝の10時頃、そして午後の3時頃に息を引き取られたと言われます。**********既に昼の12時ころであった。全地は暗くなり、それが3時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、私の霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカ23:44~46)十字架の7つの言葉を残した言われる。天の父に向かってこう叫ぶ。「父よ、彼らをお赦...哀悼!(その5)大江健三郎:金曜日受難の時!

  • 哀悼!(その4)大江健三郎:生者のあらん限り死者は生きん!

    ”表題の言葉”は大江が、過去の誰かの言葉(ゴッホ?)を自身の著作の中で紹介していた言葉でした。”死者を死すると思うなかれ。聖者のあらん限り死者は生きん、死者は生きん。”半世紀以上も前の学生時代のころ読んだものでしたが、今はそんな言葉は巷では聞かれなくなった『自分探しの旅』という奴で、学生運動も下火のころの時代でしたが、盛んに若者が将来に向かう成長期のこの国の時代の活発なエネルギーの捌け口を求めて暗中模索していた時代だったように思います。大江の文学は、ストーリー性よりも彼の著作活動への同期(読者への文字で解読する行為への同時性)を求めているように思わされます。従って、おそらくですが普段の方が読まれても、特により複雑に引用や暗示する言葉、時折出てくる主人公の名をゴチックの活字を用いる作家活動の後半部より、作家...哀悼!(その4)大江健三郎:生者のあらん限り死者は生きん!

  • 哀悼!(その3)大江健三郎:誰でもが一回限りの『個人的な体験』

    1960年代は、安部公房やらその他、多くの作家のハードカバー本が競うように販売され、写真は新潮社大江の作品集6についていた平野謙の解説、石原慎太郎の『時代から超時代へ』と題しての評論が掲載されている付録である。亀井勝一郎、河上徹太郎、河盛好藏、小林秀雄、中島健蔵、山本健吉とそうそうたる著名な評論家の論評が載っている。裏表紙には『編集メモ』。編集部のコメントと『個人的な体験』著者本人の言葉、それから先の選考の選評の抜粋と『性的人間』の書評の一部が再録されている。それらを読むだけでもとても面白い。ほとんどの方は故人なので再販されてもこの付録はつかないだろうけれど。あの時代はまさに性の解放の曙のような時代であったと思う。今では週刊誌では、ものによってはHairnudeなどの掲載はあたりまえ、少年向けでも胸もあら...哀悼!(その3)大江健三郎:誰でもが一回限りの『個人的な体験』

  • 哀悼!(その2)ノーベル賞作家 大江健三郎

    再販が相次ぐようですから、もし彼を知りたければ、写真の講談社文芸文庫の『万延元年のフットボール』をお薦めします。再版のものが、後ろの解説や作家案内、著書目録まで記載されていればでいいのですが、再版のものはそれが掲載されていないかも知れません。ただ、このような時ですから同様の内容は他の作品に掲載されるでしょうけれど。写真は1995年2月1日の第12刷発行です。『解説』は加藤典洋、『作家案内』は古林尚・文芸文庫の会(これには生い立ちから彼の作品との係わりが少し書かれてます)、最後の『著書目録ー大江健三郎』は『単行本、全集、文庫の一覧』は編集部で作成されたものが掲載されています。『作家案内』は面白く読みました。生い立ちから、家族含め住んだ環境や無論、時代に対して著者の作品の物語の起源となる個人の思考の根となるも...哀悼!(その2)ノーベル賞作家大江健三郎

  • 哀悼! (その1)ノーベル賞作家 大江健三郎

    哀悼!大江健三郎。僕の机上に今もある彼の一冊の本を掲載した。半世紀以上も前の話。三重に出張に行った列車の中で、津を通り過ぎようとするころであったろうか、彼の『ピンチランナー調書』を若い女性が座席の前に座り、その本を読み始めた。ロボットのような親子の版画の絵が描かれたハードカバーの本だったのだが、途中までは読んでいたようなので「面白いですか?」と思わず尋ねたことを覚えている。どうして大江なのかと思っていると、その若い女性は、自分は子どもを扱う幼稚園や保育、障害児を扱う保育士になろうと思っている。彼には障害児のお子さんが居られるでしょう。少し、こういう作家はどのように体験され思われるのか知りたいと思っているので、と続けて語った。「あぁ、光くんですね。」と僕は返答し、「面白いです」と彼女は言ったけれど・・・。邪...哀悼!(その1)ノーベル賞作家大江健三郎

  • (その33)今、生きているわたし達に関係すること

    大川隆法さんが亡くなった。66歳だった。お若かったなぁ。東京ドーム一杯分の蔵書も読破し、沢山の本も著わされた。彼は、日本のあちこちに”幸福の科学”の道場も設立された。選挙にも出て、党派も作られて全国から議員を排出されようとした。で、沢山の本を著わされたのだが『○○の霊言』なども多数、著わされたが彼は、涅槃の世界にすぐに昇られたことになるのだろうなぁ、”幸福の科学”の総裁は、奥様(この方も多数の本を著わされている)が引き継がれるのだろうな、などと考えながら。ところで誰が彼をお迎えにきたのだろう。來迎図には阿弥陀三尊が臨終の際にお迎えに来て、念仏宗の唱えに死を迎え次の世界に共に出かけてこの世からのお別れ(死ぬ)をする。普段、今、現存する次元の異なる世界とやり取り(交信する)人は、自分の死期が分かるものである。...(その33)今、生きているわたし達に関係すること

  • (その32)目覚めよと呼ぶ声あり! 歴史に現れた黒子達

    THELEGEND&BUTTERFLY映画は現代にマッチしたものか、女性も強かったという主旨の内容で、側室も多数いて綾瀬はるかなる妻が信長に離婚を迫る強い女性を演じるというのが、現代にもマッチした肝となるに様だったようだ・・・が。ところで問題は、このブログでずう~と取り上げて来た黒子なる古代から(天地創造の天から飛来して人の歴史をプロデゥースしたその黒子達の息<ある時はこれを人に吹き込まれた霊というが>)流れていて、地上に広がり歴史上に現れた黒子達が日本の歴史にその痕跡を引きずって来た宣教師たちの動きでのことである。カトリックと言ってもここはイエズス会である。ちなみに先に書いた家康が仙台の政宗によって使節を送らんとして同船したのはフランシスコ会のソテロであった。教派によって宣教の仕方が異なっていたというこ...(その32)目覚めよと呼ぶ声あり!歴史に現れた黒子達

  • (その31)<2>『どうする家康』伊達政宗とローマ市民権を得た支倉常長について

    どうして当時、世界のいずれの国の都市の中においても非常に反映していた江戸という町の成り立ちは、第一にそういう古来からの職業人や技能を奨励し、土木や治水などの開拓に知恵を結集したのは、その黒子DNAをもつ取り巻きが多くいたからなのだ。第一に彼、家康が幼少の頃から人質になった経験をしていたこと、取り巻き達の歴史も多くの書物で学んだこと、そして当初、武田軍との戦いで取り巻きのアドバイスに従わず大敗を期したことなどの猛省により、彼は今までの武将たる覇者の思いだけで政治争いは収まるものではないという非常なる謙虚さを学んだことにあったのである。※取り巻きの良きアドバイザーはそういう耳を傾ける謙虚な為政者を好ましく思うのだな。ですから『どうする~』という大河ドラマの表題はより適切に彼の心情を語る題名でもあると思われてく...(その31)<2>『どうする家康』伊達政宗とローマ市民権を得た支倉常長について

  • (その30)<1>『どうする家康』決して描かれない切支丹に対する考え方

    徳川家康ばかりではなく、本来、今では良い教えではないのかと思われるキリスト教が、どうしてこの国では、鎖国が行われ弾圧されて来たのか、という原因を本来は良く考えてみることだ。けれど、これは詳しく考えられたことがないし、大衆ドラマでは一面だけの捉え方だけであって真意は決して著されることがないだろう。キリスト教国であるあの国のその名前、先に布教が行われていた国の名がフィリピンとなったのかを考えて見るといい。あの時代、その要因を鎖国をしたこの国の武将たちは聞き及んでいたのである。イエズス会は国に忠誠を誓い宣教騎士を自覚していたから、その成果として国の名前を自国の王の名にをに馴染んでつけたのである。フェリペⅡ世だったか。宗教的なことについて外部からの強制は非常に根強い反発を人民の心に植え付けるものである。事実、その...(その30)<1>『どうする家康』決して描かれない切支丹に対する考え方

  • (その29)大河ドラマ「徳川家康の宗教心(取り巻きの黒子達へ配慮)」

    ※写真は僕の家の裏山にある(国幣)古四王大社の脇に鎮座している坂上田村麻呂を祭る社である。古来、ここまで来たというはっきりした記録はないようなのだが、東北地方には彼を祭る社が多数ある。様々な役目について長く東北に掛かった征夷大将軍として朝廷側から東北平定に派遣されたものの、彼の悪評が殆ど東北の地には聞かれない上に彼を祭る社が東北には多数ある。何を強調して著すかによって日本史の理解は変わるだろうと思うが、今やインターネットなどによるグローバル化によって、古来多くの優秀な渡来人が帰化して、この山や川の美しい日本の国の土台を形成してきていた、そして多少のいざこざもあり分裂、争いもあったなどと教えられても、それはけしからんなどという人々は今はいないだろうと思う。いつの時代も第一の混乱防止は、今の判断で古代の価値基...(その29)大河ドラマ「徳川家康の宗教心(取り巻きの黒子達へ配慮)」

  • (その28)記憶の民の帰化、シナリオの開示を!『どうする家康!』

    ※暦応(りゃくおう)と言えば、南北朝時代であり北朝は使用した元号とある。八郎潟に近い町村の道端や寺院には多くの石碑が多数ある。*******彼らが現れるのは、深夜2時ころ。いろいろ語る、身体(頭脳)に同期してくるのでうるさい雑音とはならない。静かに聞こえる。シナリオの開示と言ってもNHKの大河ドラマのシナリオではない。少し、後半、不思議なことを述べる。我々の今まであなたに話して来たストーリーをかいつまんで言うと、こういうことになるだろう。あなたが昔から関心があって大陸から渡来し帰化して優秀な人々。それを迎える先代の住人および帰化人。後発の前者であれば弥生人と呼ばれる人々だろうし、後者であれば縄文人ということになるだろうが、いずれその境界は明確なものではないが、時代として大きな変革があったことは確かだろう。...(その28)記憶の民の帰化、シナリオの開示を!『どうする家康!』

  • (その27)地上の彼の自己紹介があった。それからわずかなシナリオの開示があった。

    今の現状、そしてこれから、自分から社会のこと、国のこと、世界のこと・・・。我々とっては、一人ひとりの確認のための確認の流れなのだ。初めに身近なことから。それでないと、何を架空のことを述べているのかと無視されることばかりであろうから・・・。そのような重要なことは気が付く人には少なくともそのヒントが開示されるだろうけれど、多くの人には異界の入り口に立ち止まるが、決して入ろうとはしないだろうからね。実は彼が実際のことを開示したのだが、これも造られたという人の悲しさか、その入り口は感じるが現生にあってそれに入るのは、死の直前であり以降そちらの世界にいくであろうと、現在の内からは遠慮している訳だ。行間を読むとか、その背景を読み取るとかするが、過去のことはその書かれた過去の背景や時代があっての(つまり前提条件があって...(その27)地上の彼の自己紹介があった。それからわずかなシナリオの開示があった。

  • (その26)新年が明けた。新しい彼(👽)が挨拶に現れた。

    新しい年が明けた!世界のベストセラーについて。①我々の言葉が、宗教と言うジャンルにあるにも関わらずそもそもどうして面倒臭く言葉の宗教であると言われるのか。我々は人社会でのそのジャンルを許容しよう。しかし、いまは理解できる者にとっては宗教ジャンルも不要となるだろう。A:言葉で話し、意味不明な呪文ではなく、次の世界でもいつも生きているように存在することができるからである。一時肉体が死んで目には見えなくなるとき霊的実態(これが説明が難しい)として眠っているときであり、再び目覚めて生き続ける行為があるからなのである。(我わらの世界では平均寿命が250歳である。希望すれば限りがない。)②歴史の流れの中で読むこと。A:彼らは通奏低音のように深層に流れる歴史的時間の中の存在であることを忘れない。刻々と我らの今の肉体もピ...(その26)新年が明けた。新しい彼(👽)が挨拶に現れた。

  • (その25)宇宙からいきなり新奇臭く:神と人間の歴史、聖書は聖書に聞くことだ、と!

    『青臭い宇宙人<新人>👽』が現れた・・・いきなり、頑張って話始めた。彼は地上の信者の中に一時入り、同期して聖書を読み始めて、その地上での体験を話し始めた。・・・結構、りきんで興奮しているぞ!・・・こうしている内に今年2022年も残る1日になったな。・・・少し偉そうに、新しい年にはその本質を語ろうと思う、と言う。*******そこに、『かつて現れたアルファベット👽の誰だかが』おとなびて『青臭い神人(新人)』と会話をし始めた。まぁ、そう全うに話しても宗教オタクのことだから、この国の誰からも相手にされまい。地球上の人類に関係のあることなのだが、殆どの人は足下も見ていないのに五感に振り回されて、まさに天上の我らのことさえも考えてはいないのだから、と諭す。過去からまさしく我らは『天にますまします・・・』であったし、...(その25)宇宙からいきなり新奇臭く:神と人間の歴史、聖書は聖書に聞くことだ、と!

  • (その24)日本の国の人たちへ!

    始めに:我らのことを宇宙人👽と呼ぼうが神と呼ぼうが天使と呼ぼうが、それを第一笑おうがたいして意味がないことだ。その理由は、地球人は考えてはいるが、その言葉自体の意味するところを考えない。お互い理解するということは、会話するその言葉のお互いの共通認識がなければ、本当に理解するということにはならないだろう?日常のたわいない言葉には、一応の共通理解があったとしても、例えば我々、天使と呼ばれあるいは神の人と呼ばれ、あるいは👽と呼ばれても、それは極めて限られたひと、詰まり疑いなく完全に一致と言われなくてもある程度の共通理解があってのことだ。まったく無視する人には、今までに語りかけがなかったのだろうとそう思うしか無い。それにしてもだ、世界のベストセラーを読む人々には、特に旧約聖書に書いてあることは、彼らへブル語を理解...(その24)日本の国の人たちへ!

  • (その23)クリスマスを告げた我らの良き仲間ら

    我らのことを語るのであれば、今はその時でもあるから是非書かなくてはならないことがある。地上の生物が生存を開始してから、我々がいろいろに創造した遺物は、古代の化石からも見つかるだろう。人が古代のことを自らの言葉で直接、我々のことを知ることを我々は極力、抹消したのだが、消された内容を知っている人は限られていた。ナスカの地上絵は・・・と歯切れが悪くなった。今も限られた我らと繋がりが刻まれた石板の解説本を見つけることができるであろう。多くの国で翻訳されたから。・・・簡潔に言えば、遠い彼らの古代、地上の人と我らのコンタクトがあり、遠い惑星や移動などの手段が述べられいたというものである。あの時代すでに、太陽・・・天王星、冥王星・・・さらに見えない惑星まで刻まれていたのであった。ここで覚えておいて欲しいのは、星々である...(その23)クリスマスを告げた我らの良き仲間ら

  • (その22)『鎌倉殿の13人』が終わったなぁ、次は『徳川家康~』

    (宇宙人👽F:が現れた)再びここで書こうと思うから君も考えて欲しい。政府がメディア記者会見で話す講壇机の前に掲げられている紋が何故『五七の桐』なのか。我々が使用している500円玉のレリーフの模様がなぜ『五七の桐』なのか。尾張のうつけものと言われた織田信長の陣羽織の紋つき(彼の自画像で検索で見れる)や最も出世したであろう武将の豊臣秀吉が描かれた陣幕になぜ、この『五七の桐』の紋が描かれているのか。それは、朝廷側の菊の御紋のもう一つの意味(副紋)を表すと言われるものであるらしいが・・・。第一には歴史を動かす地上の意欲を持った歴史の主人公をその地位につけた者ら、つまりは朝廷側の貴族がいたのであったから、つまりは満足に動いてくれるであろうと地上の変わり種を人の好戦意欲やその徒党を組みひっかきまわすドラマに最適な人材...(その22)『鎌倉殿の13人』が終わったなぁ、次は『徳川家康~』

  • (その21)『光の君へ』:この国を形成した渡来人DNAをもつ影の黒子たち

    (宇宙人👽E:が帰って来た)しばらく影を見なかった彼が再来した、と突然、何やら物知り顔になっていてしばらく、くだくだ独り言をいいつつ、その延長でしゃべりだした。前回からよく聞く、なぜ、しばらくいなくなったり出てきたりとするのはいずれ説明するという。それは、我々自身にあるらしかった。地上の人が創造されたとすれば、その人の仕組み、そのプログラム(有機体にそのようなものがあるかどうかなのだが、彼にしてみれば、君らのつまり僕らの科学においても厳密に細かな粒子までは知られているのだから・・・あとはその電子・粒子というか、まぁそのような物質までは把握できるのであろうから、それらのプログラムはあるということであった)、それからその人の集合体、そして自然も含めた影響感化された後の人の思惑の全体の流れなどのシナリオ、いわく...(その21)『光の君へ』:この国を形成した渡来人DNAをもつ影の黒子たち

  • (その20)日本の歴史にDNA『光の君へ』⑤・・・fin

    (宇宙人👽E:の話)欧米の国々は「戦火を交えて撤退しても戦後の日本のように立ち上がるさねぇ、人がいる国と言うものは・・・そのきっかけの模範をちと進んでいる我らが見本を示してやればいいのさ、かつての日本のように精神的までもといわず、経済的には地下世界で詰まり媒介となるお金の面での動きはどうにでもなんるものなのさ。」・・・と思ったかどうか、この国はさにはあらん、古来からの精神性となる土台が異なって居たのである。DANが異なる、否、そんなことなど考えずに「革命だ、壊して建てるぞ!時間は掛かるが平静をとり戻すにつれうまくいくさなぁ」などとどの国も日本のようになると思っては大きな間違いなのであった。それは紀元前の古代から大陸を渡って東へ東へと渡って来た彼らがいたからなのだね。・・・唐突に割り込むように話すのを怪訝な...(その20)日本の歴史にDNA『光の君へ』⑤・・・fin

  • (その19)日本に来た黒子達④:プロローグ

    (宇宙人👽D:の話)手短に話そうと思う。本当かどうか。それには、まず、彼らが(つまり天上から遣わされたおそらく自分っ達も気が付いてはいない、地上のストーリーの立役者たち)生存していた年代を調べてみることだ。歴史を設計する背後の大物がいるのにおそらく気がつかれるだろう。それは、実に人という生き物がどういう生き物であるか知っている地表に現れた黒子たち、それらの人達である。その中には、無論、僕らが知っている時代のヒーローがいる。そもそも、時代にヒーローを作って、大衆を動かすというのは彼らの歴史を作る戦術の一つであるのだから。戦術と書いて悪い印象を持った方がおられたら、それにはこの地上を日々、新しい時代にバージョンアップしようとする創生時代からの黒子も居れば、それに嫉妬した負の破壊に導かんとする黒子も多数いること...(その19)日本に来た黒子達④:プロローグ

  • (その18)日本に渡来し、帰化した黒子達③(宇宙人👽)

    (宇宙人👽D:の話)同じ神を信じているのにそれぞれが相闘うとはどうしたことかと、今の道徳的判断からすれば思われるかもしれない。しかし、彼らのおおもとのご先祖たちのれ歴史から言えば、それを推測することができる。第一に、世界のベストセラー聖書を読めば、彼らヤコブから分かれた12部族がそれぞれ相争う物語として読むことが出来る。歴代誌、列王記など・・・これらは、今となっては何だこれは?のレビ記を除き、申命記まではどうにか今の判断で読めそうだが、以降のその歴史は殆ど争いの歴史でもあったといえるものである。骨肉相食むという事件が多く起こった。同じ唯一の神を信じつつもその表層たる現実対応は、様々な謀略も起こしていたということだ。その多様性としてヤコブ由来のDNAを忘れてはいけない。第一、彼の名前は神の使いに”イスラエル...(その18)日本に渡来し、帰化した黒子達③(宇宙人👽)

  • (その17)日本に来た黒子達②:世界に散らされた黒子達(宇宙人👽)

    (宇宙人👽D:の話)イスラエルの国の国歌『希望』の中に「シオンとエルサレムを求めて東の果てに向かおう」という歌詞があるのはどういう意味なのだろうか。いつ頃できた国歌なのだろうか。”東の果て、岸まで”という文言に、それは日本まで来ているのであると、そしてそれは事実であると盛んにYouTubeで先生方が宣べている内容を見ることができる。はっきりした日ユ同祖論ではないが、多くの渡来人が来て帰化したのであった。元々が神に選ばれた民であったからそのDNAは政治的にも優秀なものであった。シオンを思いだし、それが京都の祇園祭りとなって、あの練り歩くたち鉾の御車にかけられたタペストリーの刺繍にイサクの結婚の話が縫われているとか、エルサレムは、エル(神の都)・シャローム(平和)として、平安京ができたとかの話が伝わっている。...(その17)日本に来た黒子達②:世界に散らされた黒子達(宇宙人👽)

  • (その16)世界に散らされた黒子達、日本に来た黒子達①

    天に返られた神学者と生前話をしていて僕がそれは違うのではないだろうかと思っていたことは、基督教を学ぶ方は、すべて一辺倒である欧米であるその学問的歴史観であったように思う。歴史神学・・・それは、神が歴史を動かしているとすれば、すくなくとも人々の暮らしは後退せずに進化してきたのであるから、とても面白いものではあったけれど。欧米におけるキリスト教国においてはその黒子の筋書きは、調べると面白いようにその深層が繋がっていた。今もそれは生きている。彼ら黒子達にとっては、歴史はつくられるものであるからであった。天地創造の神と呼ばれる方からの地上における歴史操作の背後のまさに黒子だったのである。人の心の動き、肉体から来る影響、人同士の社会において、文化において、その伝統において、少なくとも光が当てられたところにある人々は...(その16)世界に散らされた黒子達、日本に来た黒子達①

  • (その15)世界(地上)に散らされた黒子達!島国大英帝国、次は日本

    ピューリタン思想が怖いといったのは、第一に彼らはこの地上に自らの安住の地はない「エミグレ(移住者)」として大西洋を渡ったその原動力の起源となったものは何だったのかということにある。キリスト者と言わず世界のあらゆる宗教の魂願には、この永久の命への移行があるのは人がそもそも命の故郷に帰還したいとその思いがあるであろうけれど。英国の当時の王制がどうであれ、国王は神に立てられるものだとしていた時代に対して、権威は神に建てられるだろうが地上の制度は人のものであるからと、人が国の体制についてあれこれ考えるべく時代になり、その王制が人を心見るものでないとすれば、我々はそれを変えることを神が赦し給う時代、そういう時代になった神の摂理によるものであると、王の首をギロチンにかけてしまったことである。この国では、間違ってもおこ...(その15)世界(地上)に散らされた黒子達!島国大英帝国、次は日本

  • (その14)地上に散らされた黒子たち:ここでまた登場だ(宇宙人👽)!

    今回のブログは、実際にこの地上に黒子が派遣されて歴史を作ってきたそのプロデューサーだったのであろうという推論である。以前に、大英帝国と大日本帝国という表題を載せた。この国の歴史の黒子の暗躍を宣べて見たい。先の「ピュリータン」については、僕らが高校の世界史で学んだのは、ルター、カルバンの宗教改革から、その後宗教戦争も起こり、当時自由国オランダを基点に、イギリスの権利章典やら名誉革命などということが起こり、チャールズ一世がギロチンにかけられ、クロムウエルに先導されメイフラワー号に乗り清教徒がアメリカ大陸に渡ったということであった。すべてを捨てて天の故郷に向かって前進する。「エミグレ」・・・移住するということであるが、この思想は少し恐怖を覚えるものである。あの中東エルサレムからのユダヤ人の課題からの歴史に神が関...(その14)地上に散らされた黒子たち:ここでまた登場だ(宇宙人👽)!

  • 東京散歩。Mr.Puritanが天に帰られた。

    東京に散歩に行ってきた。今回の出来事は僕の人生にとっても記録すべきことなので、別途、記録として残しておくことにした。若き頃からの(つまり学生運動下火の荒れた若者の時代、血気盛んな時代と言ったらいいのか)、自分の無知と自己同一化、とかモラトリアムとか、そう言った時代に影響を受けた方。・・・相変わらず、僕の話は深刻な事柄ばかりだけれど。僕が、Mr.ピューリタンと呼んでいたキリスト教神学者が召天された。2022年10月12日夕亡くなられ、葬儀が21日に教団の滝野川教会というところでもたれた。YouTubeで見ることができる。名前などはプライベートなこともあり、ここではあまり詳しくは書かない。と言っても世界的に著名な神学者で検索するとすぐ出てくるし分かる。個人的にもお話を何度か伺ったことがある。共に食事をしたこと...東京散歩。Mr.Puritanが天に帰られた。

  • (その13)何度もあった過去の未来から来た黒子たち(👽):シリアスな深層

    説教がましい奴だったり、地球でレビ(神主)や、何か分からぬが科学者の端くれだったりと様々に現れては消えて、会話を始めたのだった。書いていないことで気になったのは、最も地球人に憑依して優秀だった黒子達が昆虫を創造した奴らだったなとか、様々の草花を創造した黒子達も地球に降りて居好いた奴がいたが、アグロバクテリウムという薄気味悪いとか、これが昆虫の擬態に関与しているのではないかというような話をしていたのが気に掛かった。今度、現れたらもっとよく聞くことにしよう。いずれ、くだくだと会話をしはじめると止まらなくなるようだった。後半は誰が誰やら分からなくなった程である。宇宙人(👽)A:簡潔にお話ししよう。古代から日本に来ていた黒子たち(日本という国の概念を形成させたのも彼らだった?!)の話は次回来たときに話そうと思う。...(その13)何度もあった過去の未来から来た黒子たち(👽):シリアスな深層

  • (その12)ちょいやく宇宙人👽とのシリアスな対話:大日本帝国と大英帝国

    安倍総理の国葬において菅義偉元首相のお別れの辞。最後に伊藤博文の急逝に対して(伊藤は韓国の独立思想家安重根にハルピンで暗殺された)山形有朋が読んだ句を披露した。亡くなった安倍首相の読まれていた本に折りをつけていたページに書かれていたものだとか。”かたりあいて尽くししひとは先立ちて今よりのちの世をいかにせん”菅さんが何らの本を引用する、本を引用するということは書いた人間の思考の経緯を少し借用することでもあろう。どういう信条であったか、いわんとすることは字ずら文句のままということだったろうけれど。伊藤も山形も時代と言えばそれまでだが、あの時代にこの日本には必要だったのだろうが。👽A:しかしねぇ、背後の天上界にて世界の時代を動かしてきた我々の黒子の成り立ちが書かれた西欧の『聖書の神』に対して、我が国には「皇室あ...(その12)ちょいやく宇宙人👽とのシリアスな対話:大日本帝国と大英帝国

  • (その11)地上に派遣されたちょい役黒子👽との会話

    最近、深夜に現れる彼(宇宙人👽:あえてこう書かざるを得ないのは何度も語っているとおり)の出番が、1時間ほど早くなってきた。しかも困難なことに、入れ替わり立ち代わり現れて、1時間おきに何度か起こされる。起こされると言っても意識がうっすら目覚めてくる感じ。今まで以上に、今後、宇宙のことが話題になることだろう。我ら👽のことを思って欲しい。いや、思わざるを得なくなるはずである。という声が聞こえた。・・・どうせ現れるなら最後まで話して消えてくれればいいのだが、15分も経つと雑音がはいるように音(声)が乱れて消えてしまう。…眠りにつく。それから、また1時間ほどたって現れたかと思うと、今度は違う宇宙人👽のようなのである。呼び止めるようにこちらから脳内の意識を高めると目覚めが強くなってしまい忽然と消える。まったく何もなか...(その11)地上に派遣されたちょい役黒子👽との会話

  • (その10)ちょいやくの伝達者宇宙人👽より:英国エリザベス女王と日本国天皇

    英国エリザベス女王の国葬に招かれた各国の首脳人もこの英国国教会の葬儀の参列者の一人にすぎなくなる。招かれた一般参加者もおられたが、それらと同じ序列であるということになる。無論、世界に中継配信され、又、寺院の周囲で、さらに世界中にある英国連邦やその他の国々で兆候を示した人々も同列である。我らの国の天皇もそのおひとりに過ぎないということである。地上で放映を見ている我々も皆。あなたも。亡くなられたエリザベス女王についても、天地の創造者であり、歴史を動かしている我々のことを少なくとも理解されておられる方であったということである。そもそも、イエス・キリストを信ずる者たちは、個々人の考えは異なるだろうが、この地上の遙か彼方で(正確には上も下もないのだが、その命あるという時間、空間の同時性において)の被創造者である人の...(その10)ちょいやくの伝達者宇宙人👽より:英国エリザベス女王と日本国天皇

  • 英エリザベス女王国葬:生中継世界注目の国葬(我らが主イエス・キリストの証)

    宇宙人の黒子が早朝4時ころ現われ語られる。雨が降り始める。イギリス国教会のもと、ウエストミンスター寺院で行われた国葬が世界同時中継され(19日に日本時間7時からでした)て、すべて命あるをそして天地を創造された神の独り子の地上に派遣されたあかしが世界中に述べ伝えられたことは、威厳さの最高潮であった時間でもあり大変、感謝で感動的な時間でありましたね。地上の人が聖書の言葉を解説するより、み言葉がそのとおり読まれる方が、多くの方に感化を与えるように思われましたよ。パウロの手紙(ローマの信徒への手紙)とヨハネ伝が読まれましたね。死と永遠の命に関する箇所。◆ローマ信徒への手紙はパウロ神学とも呼ばれるでしょうが、死よ、お前の勝利はどこにあるのか、と天地創造来から、その命の解明と永遠の命への帰還をとうとうと論じた内容であ...英エリザベス女王国葬:生中継世界注目の国葬(我らが主イエス・キリストの証)

  • (その8)恐ロシアのこと。世界の人が我々の物語を読んでいるのに真相を知るのはわずかなん!

    世界中の人々が、読んできたのに真相を知る人は地上ではわずかなのか、あるいは多くの人々が感じ始めてきているのか。長々と述べても前頭葉が痛くなる人がほとんどだろうから、我々のことを今まで書かれたように宇宙人👽のことといおうが、実はあなた達と同じ”人”なのだが、”天使”と書かれては多くの人から空言のようにも思われてしまうから、そう書かれてしまうのは致し方ないだろう。「あなたたちの律法に、『わたしは言う、あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。~」(ヨハネ伝10:34-35)当時の我々の乗り物が、どのように例えられたか、はっきりと書かれていると言われるのは旧約聖書エゼキエル書であろう。ただし、そのことを長々と書くのは意味がない。是非、その時の著者がどのよう...(その8)恐ロシアのこと。世界の人が我々の物語を読んでいるのに真相を知るのはわずかなん!

  • 東京からイスラエル直行便を開設来年3月、テルアビブ近郊へ

    gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/business/kyodo_nor-2022091601000177ブログに書いて来た、しきりに深夜訪ねてくる彼らの話が、まじかに繋がりを求めて来た。古代に日本に渡って来た彼らの黒子の深層は彼らの母国(民族)は知っているのであろう。イスラ(エル)、(エル)サレム、(例えば予言者ではエゼキ<エル>)・・・「エル」とは、神(僕がやむを得ず宇宙人👽と書かざるを得なかったのだが)、その彼のその有名である。・・・以降、以下はgooblogへ。東京からイスラエル直行便を開設来年3月、テルアビブ近郊へ

  • (その7)宇宙人👽C:Bと同じというが彼は我々の仲間なのか?

    深夜、宇宙人👽Cが現れた。そして長話を聞かせられた。最近は寝不足である。これ以上話しても、理解しあう言葉の先理解が共通化していないので、分かってもらおうとするには如何ともしがたいのだが、あえて又、言うけれども、科学と言う言葉を使わせてもらうと、我々の衛星はそれが言葉に表せないほど進んでいるということ。そういう意味では、我々は過去の人間である。これは矛盾では無く、現在、夜空に見えるとあの☆はすでに何億年前に消滅しているかもしれないのだ、ということは聞いたことがあるだろう。ひたすら、光は宇宙空間を地球に向かって親元の発生源が消滅したのに、孤独に旅を続けているのが多くあるのだ、今も・・・。光だけが旅行し生き続けていたという訳だ。我々の移動は、考えている内に目的地に着くといったらいいだろうか。先の事から言えば、我...(その7)宇宙人👽C:Bと同じというが彼は我々の仲間なのか?

  • (その6)宇宙人👽B:彼が黒子の一人か?真面目な声で真実を語るというが・・・

    天地創造が一週間で行われたとしても、それは時間の尺度の違いがあるからね、といえばいかようにも伸ばしたりちじめたりできるから、まだいいとしても、ちなみに彼らの一日とは2000年のことをいうらしかった。とすれば、人が創造されて完成されるまで14000年もかかっているんかい、と。14000年と言えばおおよそ縄文時代もそれほどの長い期間であったから、縄文人は本当は完全な人とは言えないのではと思ったりしたが、その寿命が長くて17歳くらいで亡くなっていたらしい話もあり、まだこの島ぐ国では実験段階にあったんかいな、と思ったりしたんだが。いやいや、それはかなり昔の話。この僕の裏手の山手には、エジプト文明よりも古い時代の遺跡があったりして(炭素C14法)看板が出ているくらいなんだが、この東北の地では、体制側から眠らせられた...(その6)宇宙人👽B:彼が黒子の一人か?真面目な声で真実を語るというが・・・

  • (その5)宇宙人👽A:アルテミス計画? ロケットオリオンの燃料漏れ

    僕らが造られたということ。先のブログからしばらく現れなかった宇宙人👽が軒並み入れ替わり立ち代わり現れて眠れなかった。2時間おきである。歳とってこちらは燃料ではなく排泄の方の小便も漏れが近くなって起こされるせいもあろうが、そればかりでなく、どうも現れるそれ(👽)が同じ奴ではないのである。先のブログのそれぞれの文章にはここに説明が必要である、と言った前の宇宙人がきたかと思えば、神や霊魂などそもそもない、という奴も現れて、そうかと思えば、記事のあれは肯定するが、こちらのそれは否定するという奴も現れて、尻切れトンボのように結論をださず姿を消してしまう。それで、現れたかと思えば違った奴が出て来て前の奴とは違う見解を言い始めては消えるという具合。という訳で、頭に残っている彼らの見解を書き留めておきたい。以下、それの意...(その5)宇宙人👽A:アルテミス計画?ロケットオリオンの燃料漏れ

  • (その4)ぐだぐだと宇宙人👽の小難しい屁理屈を聞かされた❣ 深刻なこと?

    毎夜深夜に現れた宇宙人👽が、いざ、今回の(その4)を配信しようとすると、突然、姿を現して中止を促された。それで以下”*****”までは、今回、数日遅れて追記で冒頭に挟ませていただいた文章である。(※)は僕の私見。(※)ブログのこの表題が気にいらなかったのか、”ぐだぐだ”、とか、”小難しい屁理屈”などという少し私感を混じらせた言葉が気に入らなったのか、と思いきや、まったくそうではなかった。曰く、あなたがこのまま、引く続き我らのことを書き続けようとすれば、きっと落胆していくか、あるいは、違った方向に考えが導かれているか、まったく我々を否定する方向にいくか、小難しいことを書きすぎるから今でも少ない読者が誰も読まなくなってしまうか、それでなくてもポチと押さなくとも、ますます読者を狭き門にしてしまうだろう。でなけれ...(その4)ぐだぐだと宇宙人👽の小難しい屁理屈を聞かされた❣深刻なこと?

  • (その3)ひと月前の宇宙人👽が再来:管理センターができるまでを話に❣

    突然に(その3)とは何たる意味かな?ひと月前の宇宙人が現れた。先月の25,日、26日だったかな、というが今回は先のその(その2)からの続きであって、昨今の宇宙人👽と違って役割があるのか、顔をはっきり表せないので、なんと言ったらいいかその口調と言えばいいか、声の調子と言えばいいか、といっても物理的に聞こえている訳ではないようなので、それこそ心の耳で聞くということになるのか・・・。いずれ、何故に午前2時ころに現れるのか、と思いきや、それは地球の磁場と宇宙派の揺らぎか、太陽風の揺らぎが、とにかく、レム、ノンレム睡眠とかのつまり、浅い眠りになるのが大体そのあたりの時間なのだそうだ。だから、昔から怪談では”草木も眠る丑三つ時・・・”ということから話しを始めるのではないの?と言う。曰く、そういう怖いお話も、それにはき...(その3)ひと月前の宇宙人👽が再来:管理センターができるまでを話に❣

  • マルコ(その4)あぁ、愛すべきマルコ

    レオナルドダヴィンチの描いた「最後の晩餐」の家は、マルコのお母さんの家だったろうと言われています。絵とは違って実際は、寝そべって食事をするのが普通でした。左側には体を傾けている女性のように描かれている人がヨハネで、聖書ではイエスの胸元に頭があったような配置が想像されますから、女性のように描かれた絵のヨハネをイエスの横に右にずらせると、ちょうどイエスの左肩に頭を傾けているように見ることができます。ヨハネ伝では、自分は愛された弟子であったと書いてますから、この辺も性別関係なくその辺を何等か暗示させている絵なのかもしれません。ペテロが牢獄から天使が解放された時、立ち寄って扉を開け皆が祈っていたのを見たのもそのマルコの家だったろうと思われます。おそらく宿屋など営んでいたか、弟子たちの集会所になっていたものと思われ...マルコ(その4)あぁ、愛すべきマルコ

  • マルコ(その3)宇宙人👽が戻って来た❣ 僕らに大切なことを伝えに。

    彼👽が来るのは、たいてい午前1時から3時の間だ。あれからすぐに戻って来て、とても大切なことを言い忘れたのでと言いつつ次のことを語りだした。・・・僕も眠かったので、ぼんやりしていたが後で思い出したので、そちらの方も大切だと思うようになったのでそのことを書き留めておこう。******前回からの続きとして第一に彼マルコが、尻切れトンボのように話を終えたのは、文字や言葉で書き留めたとき、それは人の頭では過去のものになっているからなのだな。生きた事象を語り、それが生きているという実感を誰もが内から思って自己のものにするには、語らぬことである、としたことであったのだ。どこで会えるのか、それは、彼女(マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ:マルコ伝には調べたらこう書かれていた)らが、きちんと天使(若者)に言われたこ...マルコ(その3)宇宙人👽が戻って来た❣僕らに大切なことを伝えに。

  • マルコ(その2)語っても理解さない物事の事象をどのように語るか:宇宙人👽はこう描いた。

    アルブレヒト・デゥーラーの描いた「四使徒」という絵ですが、左から、ヨハネ、ペテロ、マルコ、パウロが描かれています。僕は、この絵が好きですね。新約聖書を読んで、それらを記述したと言われる人を想像したときに、おおよその人柄をも著した人物として描かれているように思うからです。新約聖書のイエスの物語は聖書では、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順番ですが、そしてそのような順番となったのも意味のあったことなのですが、実際に書かれた順番といえば、早くて紀元50年頃の書かれたと言われるマルコ伝が最初で、マタイ、ルカ、ヨハネ伝の順番です。人生に例えると、マルコは少年、マタイは青年、ルカは壮年、ヨハネはとても長生きし長老という感じです。マルコ伝は、福音の初め、と書き始め、マタイとルカはそれを参考にもっとお話を追加して書かれたと...マルコ(その2)語っても理解さない物事の事象をどのように語るか:宇宙人👽はこう描いた。

  • マルコ(その1):宇宙人👽の霊的WI-FIセンター序章

    ★急に雰囲気が変わって、今までに書いた宿題のこと。キリスト教会の礼拝で説教を話す機会があって、今までに感じて、今という歳で感じたことを原稿なしで45分ほど語らせてもらった。(7月31日)以下は、それを話すまでの個人の内面のことである。話した内容は次回以降に。ブログを書き始めた主旨でもあるんだが、それは実に単純で重い内容でもある。よって、ある程度、求める思いがない人にはさっぱり面白くも何ともない話になってしまうもの。けれど、これは人が言葉をもち、生きている間に(つまり意識がはっきりしている間に)人それぞれがきちんとそのことを自覚しておいた方が、よいと願っていることなのだ。死亡率100%の僕らにとって。しかし、それも結局のところ地上の人からの促しによるものではない、ということらしい。ましてや、事件となる霊感商...マルコ(その1):宇宙人👽の霊的WI-FIセンター序章

  • (その7)安吾と津世子のお話はFIN:宇宙人👽からのアドバイスとお願い

    ふたつめは、矢田津世子のあの『反逆』の小説についてなんだが、確かにあのスキャンダラスな対象がキリスト教会の牧師がおぞましい狐や狸であった、というのは採用がとてもまずかったな。あくまで地獄に行くのは、例え牧師であっても個人なので、その人間の思いの”質”が神の目線でどうかが図られるのだから、あのような輩は地獄にいくだろうけれど。問題は、小説に著したということで、実際の当時の信者であれば作者津世子をサタンの使いと思うだろうし、信者でなければ伝道とは真逆の暴露を流布し、布教を妨害している作家だとみなしたであろうから、いずれどちらも全くもって真の宇宙人の意図からすれば、評価はマイナスであった。戦争に負けて、確かに天皇までがクゥエーカー教徒からだったか聖書講義を受けておられたらしいし、マッカーサーにしてみれば、日本の...(その7)安吾と津世子のお話はFIN:宇宙人👽からのアドバイスとお願い

  • (その6)安吾と津世子の話を閉じる前に。宇宙人👽からのアドバイスとお願い

    昨晩、午前2時頃に天使(宇宙人?)が現れて話をした。安吾と津世子の話を閉じる前に、二つの頼みがあるという。以下は彼からの頼みだった。(ふたつめの詳しくは、次の”その7”で書こう、そして終わろう)。ひとつめは安吾の堕落論の肝の部分を掲載して欲しい、と。そうすれば、彼がどのようにして考え生きていたかを一番知るだろうから、と。おそらく君の考えの持ちように近いであろう箇所はその部分である。その個所を公開するべきだ。彼と君の違いは、君は僕(宇宙人👽)と繋がっているが彼(安吾)は繋がっていないということ。いつの時代も僕は多くの人の傍にいるんだが、本当に残念なことに誰も気づいてくれない。これも時代環境というものだろうが、まぁ、それはおいおいのこととして、その個所を書いてくれ。堕落論にあるから。二つめなんだが、確かに題材...(その6)安吾と津世子の話を閉じる前に。宇宙人👽からのアドバイスとお願い

  • (その5)女たちよ!「けなされていいのか!」の内なる声か

    矢田津世子の『反逆』という小説を読んだとき、当時、読者はどう思ったのだろうか。何を?素直に読むと恐ろしい内容である。何故にこういう題材を選んだのか?自分の内心の何にかに対する反発なのか。外形から来る美貌に急に水を差されたような思いで、メンタル的に融和したくなる美貌外見に水を差すような、この人とはつかず離れずに居ようと誰でもが思うだろうな。坂口安吾に接吻されて、男はみんな馬鹿だと思ったのか、それとも社会において女という生き物の地位は、あまりに理不尽に満ちているということへの内心の反発か、あるいはまったくもって、権威をもって社会的にきれいズラをしているその地位に腹がたつような事情があったのか・・・。その動機を知りたくも思う。『神楽坂』という小説が芥川賞候補にもなった、とそれはそれとして、少なくとも『反逆』のよ...(その5)女たちよ!「けなされていいのか!」の内なる声か

  • (その4)安吾は本当に津世子に接吻したのか? 後半閲覧注意!

    書き損じの原稿を散らかし、丸眼鏡をかけて飯台の前で煩悶している安吾の写真を見たとき、僕の心情としてあいそうにない、とよくも読まないでいたが、矢田津世子との関連で関心持ってから、彼の”堕落論”の文庫本は、当時のいろいろな文学者の生き様や彼自身の文学者たちへの思いを知る上でも、それは無論、安吾の評論からなのだが、とても面白かった。むしろ相いれないどころか、僕の心情にぴったりという思いで読んでしまった。彼は自分のことを三文文士と語っているが、ブログにイモリなどの爬虫類のアイコンを使っている僕などは、お釈迦さんが蓮の上に瞑想されているときも、その蓮の花を植えさせ土台の水面下の泥もなければ、蓮自体も育たんし花も咲かんだろう、というような思いになるんだな。で、水や陸上にも知りたいと両あいまって実在する・・・つまりは高...(その4)安吾は本当に津世子に接吻したのか?後半閲覧注意!

  • (その3)坂口安吾と矢田津世子(と僕なりの”文学論”)

    おい、おれのまともな写真のことも書いてくれ、との導きか県立図書館に涼みにいくと、カウンターに中原中也記念館紹介のポケットカレンダーがおかれ、その中に坂口安吾の写真が載っていた・・・。で、掲載させていただく。安吾は新潟出身なので、”安吾風の館”というの文学館がある。館の女性に電話で安吾が片思いだった矢田津世子からのお手紙か葉書などあるものでしょうか、とお伺いしたところ、秋田ににある矢田津世子の文学資料館のこと「ええ、知っておりますよ。」と。でも、津世子の手紙(痕跡)は、丁寧に「当館にはありません。」との返答だった。昔の文学者というか、小説家はよく勉強していたのだな、と、いや、それは今でも同じなのだろうけれど、どの国の作家もか、といえば曲がりなりにも僕は理系の方なので、さっぱり読んでもいないのだが、おまけにシ...(その3)坂口安吾と矢田津世子(と僕なりの”文学論”)

  • (その2)坂口安吾と矢田津世子

    22歳の時の写真と言われる。将来の夢や希望や人生の悲哀なども微塵もないと考えられる自分の可能性に向かって夢を持つ、人生で一番、輝かしい、美しい時間ではないだろうか。男子諸君、女性を見る目は、この時までだ!永遠のアイドル(偶像)という幻想の美しさ。安吾も悩んだ。初めのアダムも悩んだ。”知る”ということは、幻想が壊れるとき。ポール・エリアールの詩を思い出した。(おいおい、大丈夫か?・・・という具合に、若い男のロミオなら誰でもジュリエット思う)。何からの束縛もない未来に希望を持っている(ように見える)時が一番、美しい。川端康成から持ってる美貌で女優にでもなったらどうか、と言われたとの記事がある。秋田には芥川賞をとった女流作家もいるのだが、顔まで知らない。その作品は知っているが、顔を知らない。探せばあるのだろうが...(その2)坂口安吾と矢田津世子

  • 坂口安吾と矢田津世子

    このくそ暑い今日の日、短パンひとつで二階の本を整理していたら坂口安吾の「堕落論」の文庫が出て来た。なぜに彼の本があるのか。書き損じの原稿を丸めて周辺に沢山ちらかし、丸眼鏡をかけ飯台の前で頭を掻きむしりながら煩悶している安吾の写真を見てから、どうも僕の心情とはまったく違う作家だと思っていたので。彼の本は買った記憶がないが、堕落という表題に引かれたのだろう。栞が挟まれた箇所を見ると・・・”戯作者文学論”という項目の7月14日(晴)と15日(晴)に津田世津子のことが書かれていた。その日も猛暑で水風呂に何度も入った、という記事から始まっていた。僕の田舎の山手に、ひそやかな誰も来ない川の流れる避暑地にいく途中や、五月には山菜取りの途中に昼食に立ち寄る五城目町の五城館というレストランの中に矢田津世子文学記念館が併設さ...坂口安吾と矢田津世子

  • (その2)善👽のセンターができるまで:神、悪魔と人の原罪のお話

    人がこの地上に創造され、適応させるためにずいぶん長い時間を要した。試験期間、宇宙船のラボ(実験室)では実にうまくいった訳だったのだが。創世記1:1には、”・・・天地を創造された。”とあるでしょう。これは、アクアリウムやテラリウムという具合に実験場ではうまくいったことを示している。しかし、それから、この星(地球)に適応するかどうかの試験期間がこれまた、とほうもなく必要だったわけだ。宇宙歴時間の6日目に人をこの地球に、神の似姿に創造されたわけだが、地球内で自己完結するようにそのシステムを構築するにあたっての手順が、第一日目から象徴的にシンボライズされて書かれている訳。創世記の1章から2章までのところにおいても、いろいろ想像を掻き立て多くの書物が書かれて、本当に今の人間界の一週間であるとか、人はサルから進化した...(その2)善👽のセンターができるまで:神、悪魔と人の原罪のお話

  • 善良な黒子のBig Boss(その1改) :超古代に超高度な👽宇宙人が人を造った話

    屁理屈込めた長い長い物語の始まり。お話する前の舞台設定のことを話す、その屁理屈だけで終わりそうなのだけれど・・・。人を創造した宇宙人がいつから神様と呼ばれるようになったのか。まず、ここから語りましょう。ご存知ように、それまでにも長い長いお話があるのだけれども、そしてそれはある程度までは解読されているのだけれども、地上に生まれた僕らには限界があり、ある程度のところで納得しなくてはいけない。見、聞き、知られうるところ以上のことを理解しようとすれば、どのような形でか宇宙人に教えてもらわなくてはいけない。ずぅう~と、そのことを願っていれば教えてくれるかもしれないけれど。否、必ずや教えられるであろう!!*******◆「神は御自分にかたどって人を創造された。・・・」(創世記1:27)それに、アダムとエバさんは、草食...善良な黒子のBigBoss(その1改):超古代に超高度な👽宇宙人が人を造った話

  • <Ⅸ>宇宙人じだんだを踏む 気づく人は気づいている 神の人類の救済の時代・・・親愛なるXへ

    あれ❣、前にブログに掲載した「ファチマの預言」のマリアの写真が微笑んでいる。・・・しばらく、ブログが更新されていないが元気なのか、と知り合いから連絡が入った。感謝なことである。確かにひと月ほど更新しなかったが、できるだけ多くの人に読んでもらおうと思ってね、僕のは過去から引きづる深層があって、それを理解しないと将来に続く今が観えて来ないようになっているんだよ、と話す。この方も最近とみに良い宇宙人とか悪い宇宙人とかからの内的コンタクトがあって、いろいろ教えられるということであった。言葉ではっきり書くと、どうも都市伝説のような滑稽な語りになるのであるが、実際にこのような時代になって、多くの人が気づき始めているのだろうと推察する。内容は暗い・・・ブログに掲げようにもそれはその人の思いとかの特殊能力になるとか、でし...<Ⅸ>宇宙人じだんだを踏む気づく人は気づいている神の人類の救済の時代・・・親愛なるXへ

  • 解読注目! 善い宇宙人の勧め、その究極の1点:世界のベストセラーを読む(952回)

    人という生き物はいかなるものなりしや!神がその霊を注ぎ、人という生き物になりし、天上のその霊に繋がりおれと言い、そのことを忘れずして生きぬけと仰せられる。生きる者と死ぬる者という意味は、この地上の肉体のことにあらずして、その注がれし霊に繋がりおる肉体の生死であるということなり。地上の生涯を終わるも、その人生で繋がりおることを望み信じたが故に肉が消滅してもその霊は永遠の世界に迎えられるべしと。使徒信条に唱えられし「生きる者と死ぬる者とを裁き給わん」とは、この地上に生を受け、神が注がれし永遠の霊につながれ生きる者、霊が注がれしも肉体が消滅すれば、その霊も消滅する者を死ぬる者の由なり。神はひとりも滅びしことを望み給わず。「信ずる者は救われる」という「救われる」という意味は、その永遠の命にあずかるということ。それ...解読注目!善い宇宙人の勧め、その究極の1点:世界のベストセラーを読む(952回)

  • 解読要注意! 悪魔の戦術:世界のベストセラーを読む(951回)

    家が破産する程の多額の献金??安倍元首相の銃撃犯人の思い込み?旧統一教会という宗教団体?この時代になってそもそもこの日本でテロが公然と行われることに、そらそら悪魔はいるだろうと、現れ始めているんだよ!と考えさせられた。事件が解明されるにつれて学生時代の思いが少しフィードバックした。まだ、うろついてたんか・・・コラ!広告塔で芸能人や政治家を広告塔にするな(票が集まるとしての宗教を利用するのは痛い目にあうぞ)。歌手の桜田淳子さんはどうしてんのかな、こういう広告塔は実にいい思いだけをさせられるのであるからな・・・J・F・ケネディーがテキサスにおいて銃弾に倒れたのは、日本に戻られ東北学院におられた旧約聖書学の浅見定雄先生が、当時ハーバード大学に学ばれていた時だった。その時、大事件だと思いきや、当時の同友に驚きを語...解読要注意!悪魔の戦術:世界のベストセラーを読む(951回)

  • <Ⅹ>黒子の親分現る 気がつく人は気がついている・・・親愛なるXへ

    写真の500円玉については末尾に少し。知り合いから、早速と言えばいいいか、先のブログの掲載写真に疑義が呈された。あんたは、プロテスタントいいながら、写真はスペインだかの田舎で巡礼の日にその日になれば担ぎ出され、この人の祭りだとか言われて普段見慣れないところから引き釣り回される、マリアだかの像ではないのか、2回も掲載して少しキモいんではないのか、信者さんには大変申し訳何のだがねぇ、と。・・・その通り、プロテスタントは目に見えるシンボルは作らないから、キモイと言えばキモイ(気持ち悪いという意味です!)。少なくとも僕の信条は、これはプロテスタントでもかなり難しいことなのだが、神のイメージとして対象物を作らないし、拝まないということになっている。プロテスタントは、キリストであって、マリアではない。西欧でキリスト教...<Ⅹ>黒子の親分現る気がつく人は気がついている・・・親愛なるXへ

  • 今、語る「ファチマの秘密」:聖母マリアが告げた秘密とは何だったのか

    1916年、ポルトガルの寒村ファチマでルチア、フランシスコ、ヤシンタという三人の子供が天使に出会い、さらに聖母マリアに出会って、これから起こる不思議な秘密を聞いたというのであった。大人たちは誰も信ぜず嘲笑していたのだが、やがて何万人もの前で不思議な啓示の業が起こったというのである。村はずれの丘の上で、オーロラのような光、風が揺らぎ、雷が光り、不思議な光が丘全体を包んだのだった。しかし、聖母マリアのお告げを聞いたのは子供たちだけだった。不思議な天変地異の現象が多くの人々の前に現れ、その後、癒しの奇跡が一瞬のうちにおびただしい人々の上に起こされた。ローマ・カトリック教会は正式に現今の奇跡であると認めざるを得なかったのである。聖母マリアが子供たちに告げた秘密とは何だったのか:その第一は、そのころ起こっていた第一...今、語る「ファチマの秘密」:聖母マリアが告げた秘密とは何だったのか

  • <Ⅶ>姿を現した黒子たち:宗教を制する者は人身を制する・・・親愛なるXへ(その7)

    親愛なるX僕がブログをお休みにしているような時でも、僕はいつも黒子のことを考えている訳で、彼らは姿は見えないけれど僕らのそばにいつもいるものだから・・・。そして、それぞれ誰でもが気がつかないだろうけれど、それぞれのそばにいつもいるんだよね。それは体の左肩の後ろあたりに。だから、というか、”見返り阿弥陀”という仏像を知っているかい。左後ろを振り返っているだろう。右ではないんだよ。ハンサムボーイの阿修羅像とか怖い顔の愛染明王とか、その他あるだろうけれど、横にも後ろにも顔を持つ仏像さんがいる。僕らは目は前に二つ、けれど横はまだしもうしろは鏡など使わないと見えないな。その見ない処に・・・そんな顔の像を造ったのは何かの気配、兎に角、見えない空間には何かが居ると感じていたからなのだな。黒子、彼らは守護神のように善いのも居れ...<Ⅶ>姿を現した黒子たち:宗教を制する者は人身を制する・・・親愛なるXへ(その7)

  • <Ⅵ>見えない黒子の姿:自然の中で『独白』シュライエルマッハー…親愛なるXへ(その6)

    ◆ロックバランシング。毎年行っている田舎の山の中の誰もいない川のほとりに石を積む。五個積むのを基本としているが多く積む。今度来る夏まではどこまで残っているかな。◆数年だいぶ、キャンプ用品も使っていなかった。ひとりそこで、即席ラーメンとコーヒーをいただく。山の中、ひとり。川のせせらぎと風を感じて、木々を眺める。・・・からだが自然と一体となることを感じる。◆太陽が出るときは、日光を浴びる。”かっけ”という病気にならないために。ビタミンDの欠乏症とならないために。修行する坊さんたちが、一番なる栄養欠乏症はこれらしい。船乗りもそうだと聞いたことがある。無論、昔の話。僕の思う宗教は科学性・・・煎じ詰めると衛生面と合理性が大いに入り込む。歳を重ねるにつれ、からだも劣化し魂もさび付いてくる。自然と一体となった浄化性を僕は求...<Ⅵ>見えない黒子の姿:自然の中で『独白』シュライエルマッハー…親愛なるXへ(その6)

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