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  • 漆工芸家/前田浩利50年の画業

    《前田浩利版画》日本の民家/合掌造りの里昭和49年(1974年)制作--------------------------------------------------------------------------------------------細密カラースクラッチボ-ド版画/初公開-----前田浩利・画-----飛騨白川郷/越中五箇山の民家----------------------------------------------------------------------------細密カラースクラッチボ-ド版画(細密技法初公開)スクラッチボ-ド原版を削るための鉄ペン・小型ナイフなど――白川郷萩町集落/長瀬家(1976年当時)スクラッチボード版画(原版の大きさ・40㎝x28㎝)白川村保木脇/岩下家...漆工芸家/前田浩利50年の画業

  • 漆工芸前田浩利《飛騨白川郷。越中五箇山の民家》を描く。

    ブルーノ・タウト氏出展/ウイキペデイア辞典(昭和初年・1926年頃の遠山家)---写真出典/柳田国男・今和次郎共著「民家図集」緑草会編京都に滞在中のブルーノ・タウト氏が白川郷を訪れたのは、1934年(昭和9年)でした。松古孝三さんはブルーノ・タウト氏と通訳1人を伴って京都から白川郷まで同行案内されました。ここで上記の写真を見てください。昭和初年頃の遠山家の写真です。「ポッカ」と呼ばれこの地方で日常の生活必需品を運搬する人夫さん5名の立っている道路が飛騨街道で国道です。俗に7尺道路といわれて、左右2尺は草道で中央の3尺が歩道として歩ける道です。ブルーノ・タウト氏は、この長い険しい峠道をどのような思いで歩かれたのでしょうか。京都で桂離宮や金閣、銀閣、西本願寺等、神社仏閣を拝観したあとの飛騨街道への旅になります。白山...漆工芸前田浩利《飛騨白川郷。越中五箇山の民家》を描く。

  • 前田浩利のスクラッチボード画・白川郷 《飛騨白川郷・越中五箇山の民家》

    日本の民家/合掌造りの里《飛騨白川郷・越中五箇山の民家------------------------------------------------------------------------白川郷の大恩人/松古孝三さん(上記右、平瀬ダムは、岩波写真文庫/岐阜県-1957年版新風土記による)続く----。前田浩利のスクラッチボード画・白川郷《飛騨白川郷・越中五箇山の民家》

  • 前田浩利と飛騨白川郷

    日本の民家/合掌造りの里《飛騨白川郷・越中五箇山の民家》――――――――――――――――――――――――――――――――――――――約50年・半世紀前の白川郷です。――――松古孝三さんについては、後述します。(左:松古孝三さん、右:前田浩利―――1965年5月3日・松古さんの旅館/城山館をバックに)白川郷・萩町の夏~秋の民家風景。続く――――。前田浩利http://www.maeda-urushi.comE-mail:maeda8@ion.ocn.ne.jp〒554ー0002大阪市此花区伝法2-1-54/TEL・06-6468-1588前田浩利と飛騨白川郷

  • スクラッチボード画―それは日本の線画です。

    前田浩利スクラッチボード画制作の変遷は、昭和から平成に引き継ぐ現代広告の(新聞広告)変遷の歴史といってよいでしょう――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――小刀で画面を削りながら絵を描く特殊技法の絵画―《スクラッチボード・イラストレーション》前田浩利――魂の線刻描法/実践テクニック公開。スクラッチボード画●実践広告編―(1)大ネルソン展/新聞広告全十段【三越】1967年10月10日開幕~22日(日)スクラッチボード画―前田浩利・作●実践広告編―(1)【三越】大ネルソン展/新聞広告全十段●1967年10月1日開幕~22日(日)迄―制作AD・電通/1967・10・10日―朝日新聞紙上。1967年(昭和47年)は、私にとって大切な基点となった年です。1967年10月10日の新聞広...スクラッチボード画―それは日本の線画です。

  • 日本の線画/スクラッチボード画

    世界のアート/スクラッチボード画《前田浩利の実践プロ作品集》スクラッチボード画●修作(2)/泰西名画・ターナー作遭難の図前田浩利・刻画スクラッチボード画/泰西名画ターナー作の遭難図―(原画制作・左右45㎝x32㎝)原画から製版し〈凸版画〉を制作して楽しむ。この一枚はスクラッチボードの原画から、凸版の製版を造り「凸版刷り版画」を制作しました。その凸版にインキを塗り銅版画プレス機で刷り上げた作品です。紙は越前手漉き和紙です。スクラッチボード原画のままでは、1点ものの絵画か、多用途の印刷原稿の素材になります。線画による制作は、それ自体すでに古典銅版画の領域です。(浩利・記)泰西名画/ターナーの油絵によるスクラッチボード画全景――前田浩利・刻画(原画制作・左右45㎝x32㎝)線刻の本質と真実の造形を求めて―鋭利な小刀で...日本の線画/スクラッチボード画

  • 日本の線画―スクラッチボード・イラストレーション

    世界のアート/スクラッチボード・イラストレーション《前田浩利の実践広告作品集》スクラッチボードの修作を2題見て頂きます―スクラッチボード画●修作(1)/ルーベンス前田浩利・画スクラッチボード原画制作(左右35㎝x天地38㎝)一本の明快な線の集積によって、あらゆる対象、風景を描出します。スクラッチボード画―それ自体完成された絵画形式ですが、「削って描く」という特徴は他の絵画様式にも影響を与えました。漆工芸沈金の技法練度のために、銅版画の直接彫りや、黒のグランド液を削り取る修練の為にも、唯一無二の画材といえます。本来、ヨーロッパでの小口木版の技術や銅版画のビュラン彫りの線上に位置し、複雑困難な制作過程から解放され、一気に線画の造形を楽しめるために工夫された原紙です。このルーベンスの習作では―制作原寸の2倍~5倍の拡...日本の線画―スクラッチボード・イラストレーション

  • 前田浩利/現代スクラッチボード技法の創始者。

    私のあらゆる線画の源流は、スクラッチボード技法に始まります。□漆工芸沈金のために―□西洋古典銅版画のために―□宣伝広告美術のイラストレーションのために―この三種の業界はそれぞれが独立した造形世界を有しており、また、芸術的価値基準が異なります。しかし「作品」という概念は共通して「小刀で削る」という行為に帰結します。スクラッチボードは私が描こうとする創造的アートの世界に直結した技法です。複雑な制作プロセスを省略でき、対象の本質に迫る唯一の画材です。今回、このブログで発表しました〈東日本大震災・漆工芸沈金〉の絵をご覧頂いた方から、日本の漆工芸二千年の歴史上、はじめて登場した技法ですといわれました。(北陸の漆器産業の方がた~)それと同時に、この沈金による線画の成立過程―その歴史など、そしてこの技法の入門と練達の方法を解...前田浩利/現代スクラッチボード技法の創始者。

  • 漆工芸家/前田浩利・衝撃の3・11大震災を刻画。

    3月25日の日記です。〈岩手県宮古市田老町〉の世界一堅牢といわれた防潮堤が崩壊しました。海面から10mの高さ、総延長2433mあり、田老町を取り囲むように構築された防潮堤です。この映像を見ながらこの大震災を、私の漆工芸沈金の技法で描き残すことを、この時決意しました。作品原版の大きさ(漆板90㎝×60㎝)前田伝統漆工房〒554-0002/大阪市此花区伝法2-1-54TEL/06-6468-1588前田浩利漆工芸家/前田浩利・衝撃の3・11大震災を刻画。

  • 日本の漆/前田浩利・衝撃の大震災を刻画。―(8)

    2011年3月14日午後2時46分東日本大震災/巨大地震マグニチュード9・0が襲う―〈漆〉〈手帳日記〉《手の平サイズ50頁の手帳》有り合わせの和紙を切り揃えて、50頁ほどの手帳を仕立てました。流れる映像を見ての衝撃は“生死”という文字でした。(2011・3・14日)《千年に一度の大震災―》最初に飛び込んできた言葉は“千年に一度の―”という繰り返しの言葉です。全てはこの言葉で象徴される衝撃の大きさをを予感し、思わず手にした筆は支離滅裂の文字になりました。(2011・3・15日)《津波の怖さを知っているあなたが-》傷ついた子供を抱き抱えた若い母親の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。東日本、東北の皆さん!―、津波の怖さを一番よく知っている筈のあなたがどうして---逃れることが出来なかった悔しさと悲しみ、やり切れなさがこ...日本の漆/前田浩利・衝撃の大震災を刻画。―(8)

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