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2016/08/15

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  • ひな祭り

    友からのプレゼントのお雛様もう30数回目のお出まし新婚当時の主人自筆のひな人形と共にひな祭り

  • 中山寺梅花まつり

    2月如月梅見月久しぶりの外出阪急宝塚線の中山寺梅だよりが届いたので、暖かさと空の青さに誘われた例年より人出は少ないが、それでも予想よりも多かった中山寺梅花まつり

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十六話

    この夏のむかぶ(向伏)すに・・・七月になった。まだ雨雲は列島全土を厚く覆っているが、旬日も経ず真夏の太陽が顔を出してくることだろう。無観客だが、野球もサッカーもはじまった。エンゼルスの大谷選手は「We‘reback!(戻ってきたぞ!)」と喜びの声をあげ、マジョルカの日本代表MF久保建英(19)は連戦フル出場を果たして、ジダン監督などからその将来を大きく期待されてきている。ところで、この表題「むかぶ(向伏)す」とは何ぞや・・・。「向こう」「むかふ」でもいいのだが、少し気にそぐわず辞書を開くと、この言葉「向伏す(むかぶす)」が出てきた。万葉集巻五雑歌に「雨雲の向伏す極み・・・」があり、「向こうの方に遠く低く伏したように見える」さまを言うようだ。日本でのコロナ対策は手ぬるいのか・・・東京の患者増はまだ「向伏す極み」を...日々(ひび)徒然(つれづれ)第四十六話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十五話

    三度目の敗戦?のっけから尾籠な話で恐縮の至りだが、駅前の図書館に飛び込んで用を足し、そのまま手ぶらでハイサヨナラも気が引け、書棚をウロウロ。手にしたのがこの本、堺屋太一『三度目の日本』(2019年5月10日初版第一刷祥伝社刊)であった。いつもの癖で目次をパラパラ、あとがきといくが、ない。著者略歴のあとに昨年の2月8日、逝去―「本書が遺作となる」。わたしとは同年か一年後輩になるか、かれが通産省在職中の処女作『油断』以来の愛読者で、ご存知「大阪万博」や「沖縄海洋博」の企画・推進者でもあった。かれの『団塊の世代』は普通名詞にもなり、その世代は間もなく後期高齢者になる。大河ドラマにもなった『峠の群像』は、『忠臣蔵』を「赤穂の塩」を切り口にした新しいタイプの歴史小説、その近未来の中・短編小説集にも味わいがあった。この本の...日々(ひび)徒然(つれづれ)第四十五話

  • 「日々(ひび)徒然(つれづれ)」四十四話

    あたらしい五月あたらしい五月は一本の電話からはじまった。それは所属コーラスからの連絡で、先生がユウチュウブで発声練習講座をはじめておられるので聴いて、練習してくださいとのこと。さっそくパソコンを開く。西尾岳史先生は『オペラ歌手のボイトレ』と題して、すでに4月20日~21日に四講座(⓵ハミング⓶リップロール③声の響く場所は?④母音のムラのない発声)を開講されていた。ホームページを拝見すると先生もフェイスブックのメンバー。わたしは昨春から入会の読者、先生に友だちになりたいと申込み、OKをいただく。ワンノブゼムだが、即座に情報が入る。5月5日先生の独唱で宮沢賢治の♪雨にも負けず♪に続いて、先生の仲間の『オペラ歌手のリモート合唱』で九ちゃんの♪心の瞳♪や♪AmazingGrace♪が流れる。リモート合唱なんて、はじめて...「日々(ひび)徒然(つれづれ)」四十四話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十三話

    なぜか、WHOか?街角から白いマスク姿が消えていった。もう6月だ。夏の日差しが照り返している。これは2014年刊の小著『徒然中国』所載のレポート「サーズのころのことなど」の、文末の一節である(09年5月31日記)。当時第二次サーズと呼ばれたコロナウイルス6種のひとつ「マース」終焉間際の記録で、今回は7種目の新コロナウイルス、まだ適応薬の決定打がでていない。もう5月に入ったが、延長された「東京五輪」も選手・チームの選別がおぼつかなく、夏の高校野球もふくめその開催が危惧されはじめている。これは何もスポーツの世界だけではなく、文化・芸能のイベント取り消しや教育の分野などにも裾野をひろげ、テレビ分野でも取材・ロケなどに毀傷をきたしはじめている。NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』や朝ドラの収録は、出演者とスタッフの数が多い...日々(ひび)徒然(つれづれ)第四十三話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十二話

    生かされて、生きる外出自粛が続いて、週二回整形リハビリに出かけるだけになった。二日ほどはユ・チュウブで辻井伸行、加古隆、レ・フレールのピアノを聴き続けてみたが、それも疲れた。思い立って、二階の書棚を見つめる。並んでいる書冊は基本的には手に取ったはずだが、表題だけではほとんど内容は思い出せない。文庫本の棚から、つぎの三冊を取り出した。辰巳浜子『料理歳時記』(中央文庫)、平山郁夫『生かされて、生きる』(角川文庫)、安藤次男『古美術の目』(ちくま学芸文庫)。『料理歳時記』(昭和五十二年七月四版)なぜか、これが一番黄ばんでいる。裏表紙には、こう記されている。「いまや、まったく忘れようとしている昔ながらの食べものの知恵、お惣菜のコツを、およそ四〇〇種の材料をとりあげて四季をおってあますところなく記した、いわば“おふくろの...日々(ひび)徒然(つれづれ)第四十二話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第五十話

    白鳥拙宅の近在に小さな溜池がある。むかしはその崖下の田畑への用水池であったが、いまは一区画を残してすべてが宅地化され、防水池に転じている。わが家の庭の前後には小さな溝があり、それは丘の上から池まで繋がっているが、いま池に注ぐのはほぼ雨水のみ。このところ雨期を除いて池が満杯になることはなく、えさを求めて飛来する渡り鳥も少なくなった。先日は鷺の一種か、一羽だけ飛来してきたが仲間を呼ぶこともできないと三日ほどで姿を消した。下水も流入していたむかしは鶴の親子も姿を見せていたが、どうだろう、池浚いで道端に放りだされた鯉などが跳ねる姿も数年はお目にかかっていない。いまコーラスCで『ふるさとの山に向かひて』(詩:石川啄木作曲:新井満)と『ひたすらな道/白鳥』(詩:高野喜久雄作曲:高田三郎)を練習している。後者『ひたすらな道』...日々(ひび)徒然(つれづれ)第五十話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第五十一話

    すぎてみれば・・・歯の治療中、なぜか、なぜか“近親憎悪”という言葉が浮かんだ。こんな言葉があるのか、帰宅して電子辞書を開く。わたしの辞書(「岩波・電子広辞苑」)には“近親相姦”はあるが、このことばはない(30数年前購入のもので、最新版はどうか?)。ヤフーで検索、そのグウ辞書に「親族どうし、または階層や性質などの似た者どうしが、ひどく憎み合うこと」とあった。二月はじめ武漢で新コロナ流行とメディアが騒ぎ始めたころ。わたしだけではないと思うがそれはサーズや第二次サーズ(「マース」)のときのように二カ月ほど中国圏内で蔓延、そのうちに収束するものと多寡をくくっていた。上海の友人あてのメールなどにも言葉は悪いが“高みの見物”的口調も自然と出ていたかに思うが、二月末に予定されていたコーラスの先生のリサイタルが公営の会場側から...日々(ひび)徒然(つれづれ)第五十一話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第五十話

    霧の中の赤いボールサッカー日本代表今年最後のゲームは、オーストリアでの対メキシコ戦。時差の関係で試合開始は11月17日、日本時間の午前五時、すこし早寝していてもやはり眠い。コロナの関係で観客無人の試合、在オーストリアの前・日本監督のオシムさんも自宅での観戦であったよう。スポニチとのインタビュー(11月28日配信)では「ちょうどメキシコ戦の前日から昼間の外出も制限され、ロックダウンが強化された。こういう状況で試合をアレンジしたサッカー協会、代表チームの選手・スタッフのみなさんは大変だったと思う。試合は無観客だったが、直前で中止になってもおかしくなかった」と話されている。ご覧になっておられない方も居られると思うので、すこし説明を加えておこう。終わってみれば圧倒的な力の差といえるのだろうが、前半12分にMF原口元気が...日々(ひび)徒然(つれづれ)第五十話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十九話

    ある“ざれことば”のこと「ざれごと」は漢字では戯言と書くが、その意味はどうなるのか。戯れ(たわむれ)、ふざけて言うことばになるのだろうか・・・。あの事件のあと90年代のはじめ。中国で<「北京愛国」「上海出国」「広州売国」>という言葉が流行っていた。広州の「売国」はすこし説明がむつかしいが、この厳しい時期“密輸”もふくめ商売に明け暮れているさまに顰蹙、非難しているのだろうか。あの事件のあと90年4月。李鵬総理は上海で「浦東開発」を宣言した。橋も架かっていない黄浦江対岸の「浦東地区」の国有地を条件付き・有期限であるが、外資を含め「有償譲渡」(売却)するとのこと。それまでの中国では考えもつかない画期的な政策決定であった。あれから三十年がたった。十年ひと昔というが、九十年代はその助走期間、外資導入・技術援助受入れの時期...日々(ひび)徒然(つれづれ)第四十九話

  • 日々徒然之私記

    紅葉も日一日と北の国から南へ伝播し、秋の深まりを覚えるようになってきました。先月号の末尾で予告いたしました『日々徒然之私記』が出来上がりました。本文PSでご案内致しています手順で、ご注文を承ります。よろしくお願い致します。ぜひお手元に置かれて、原田氏の見たまま中国を楽しんでください!!日々(ひび)徒然(つれづれ)第四十八話読書週間(習慣!)はらだおさむ酷暑の夏が台風10号の通過で一気に吹き飛び、爽やかな中秋の名月を愛でると金木犀の香に酔う暇もなく秋が深まってきた。読書の秋!!ことしも読書週間(10/27~11/9)がやってくる!今年の当選標語は、野呂美由紀さんの『ラストページまで駆け抜けて!』との由だが、これは耳が痛い!!夏のはじめ元中国大使宮本雄二(日中関係学会会長、日中友好会館館長代行、ほか)著の『日中失敗...日々徒然之私記

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十七話

    月亮代表我的心九月になったが、残暑はなお厳しい。台風がひとつ、ふたつと現れては西へそれ、夕立も思い出したかのように局所ゲリラシャワーをふりまいて、サウナのような湿気が立ち籠る。それでも九月日の暮れるのが日一日と早くなり、月の出をそぞろ待つ気がめばえてくる。表題の「月亮代表我的心」(ユエリアン/タイピャオ/ウオディシン)は、テレサテンのヒットチャートテンには入るメロディだが、なぜか日本語の歌詞になったのは少ない。日本語に訳しにくいというか、甘ったる過ぎてアルコールが入っても・・・というところだが、八十有余歳になると厚顔無恥もいいところ、今年のコーラスの新年会の余興で、独唱した!(中国語で・・・)。誰も知らないと思っていたが、上海に在住二年のメンバーがいてあのころよく流行っていましたねえ~、に、ドキッ!!(いまや、...日々(ひび)徒然(つれづれ)第四十七話

  • 日々徒然(ひびつれづれ)之私記(目次)

    日々徒然(ひびつれづれ)之私記(目次)ぷろろーぐ第壱部■庚子(かのえね)年之過(どしのすぎし)半年(むつき)この夏のむかぶ(向伏)すに・・・三度目の敗戦?あたらしい五月なぜか、だれか?生かされて、生きる白鳥乙女の舞第弐部■聴く/歌う歌う雪いい日旅立ち防人の詩■スポーツTV観戦のあとで“神ってる”と“神速”男たちの挑戦パートⅠ男たち挑戦パートⅡ・・・のてっぺん■シネマ雑感ある映像ふたつの結末西郷どん映画を観るまでにジャー・ジャンクーきみと旅たとう第参部■大和路紀行初一念二階の書棚■海外歴遊ソーリー、タイピーオンリーあのときと、それからと、はじめての留学ユメはいつ・・・ホタル聖徳太子のことあのとき(天皇訪中)いまは、むかしか・・三十年と五十年旅をする■あのひとたちのことあのひとたちある作家展から初冬の京都■歴史のな...日々徒然(ひびつれづれ)之私記(目次)

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十話

    あなたと旅立とう♪コンテ、パル、ティーロ♪地震後の再開発で隣の駅前にできたビルの5階に、全国でも珍しい公立民営のシネマPがある。100シートの観覧室が二つあり、独立系で「洋・日」自在の選択で話題作を比較的早く上映している。二十年ほど前の開館当時はわたしも若く(60代)、このシネマの会員になって毎月のように話題作は見に出かけていたが、このところチラシはよく見るがシートに座ることは少ない。いつぞやの猛暑の折は、昼寝タイムに利用するなどと不心得なこともしたことがあるが、このところ感度が鈍くなったのか涙腺の緩む場面に出会うような映画にも出くわさない。それでも見かけるチラシだけは手に取っては、眺めている。先日の午後三時間ほど空いたので「アンドレア・ボチェッリ~奇跡のテノール歌手~」のチケットを購入(予約番号11)、昼食の...日々(ひび)徒然(つれづれ)第四十話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第三十八話

    二階の書棚来年の一月十七日は、阪神淡路大震災25周年のメモリアルデー。あのとき倒壊した我が家の跡に、急遽新築した二階の小部屋には、奈良(正確には京都府木津川市)浄瑠璃寺の矜羯羅(こんがら)童子の写真が鎮座している。この小部屋は狭いながらもわたしの城になるべきで、窓に向かって机、右は小さな観音開きのケースに続いてがっしりした木製のスライド式五段書棚、左の奥は回転式ハンガーラック、手前は七段の衣類・小物ケースなどで埋まっている。仕事を終えて、持ち帰ったXPをデンと一階のリビングに据えたため、いつの間にかその周辺に手作りの五段(一部三段)の書棚がならび、大きなテーブルはいまや私専用になってしまって、そこに数年前から置いたノートパソコンの横には、古文書の辞書や図書館から借りてきた本などが雑然と置かれている。矜羯羅(こん...日々(ひび)徒然(つれづれ)第三十八話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第三十七話

    ジャー・ジャンク―監督の思いこのところ中国映画を観るのはタイヘンだ。7月下旬ジャー・ジャンク―監督が妻でもある主演女優チャオ・タオを伴って来日、市村尚三プロデューサーとの座談会で新作「帰れない二人」を語り合ったとき、わたしは監督の処女作「青の稲妻」の01年、名作「長江哀歌」(06年)、そして17年制作の本作が、どのようなかたちで織り込まれていくのかとその上映を待ちわびた。9月6日東京から順次公開されるとネットでこの映画の情報が伝わってきた。=ヤクザ者の男を愛してしまった女の17年に及ぶ愛の旅=岩下志麻(女優)愛と憎しみの狭間に揺れ動く女の逞しい生き方に胸を打たれました。東山彰良(作家)彼らの魂の有り様が、見る者の孤独に触れてくる。八代亜紀(歌手)愛した男性に、何があっても愛し続ける覚悟がある女性がいることを知り...日々(ひび)徒然(つれづれ)第三十七話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第三十九話

    乙女の舞尼崎城天守閣が再建・一般公開されて九ヶ月が経った。阪神尼崎駅から徒歩数分、武庫川の一支流・庄下川(かっては御濠)を渡った東にある。四百年前初代領主・戸田氏鉄がこの城を築いたころは、大阪城を主格に岸和田城と共に徳川幕府の西の構えの一角を演じて、西国街道を城で中断・迂回させ、南は海に面していた(「古地図で見る阪神間の地名」大国正美編著)。国道二号線を西に向かうと、これも武庫川の一支流の蓬川に出会う。その東詰めを南下すること一区画、旧西国街道にかかる蓬川公園に出会う、その袂の叢にひとつの句碑がある。序の舞のまこと静けし足袋きしむ地朗作者は「尼崎の芭蕉さん」とも呼ばれた母方の大叔父。『尼崎市史』第三巻に「小学校の憶い出」と題した本人のスケッチが掲載され、そこには「琴城尋常小学校明治二九年卒業生」とある。第一次大...日々(ひび)徒然(つれづれ)第三十九話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第三十六話

    世の移ろいいまから二百年ほどむかし天保年間のおはなしを先ずご紹介したい。「この時代は気象上からみれば、小氷期にあたっていた。降水は雨でなく、雪となることが比較的多かった」わたしの小文「“雪の殿様”と天保上知令」はこの一句ではじまる。小氷期とは・・・。グーグルによると、「期間中の気温低下が一度C未満に留まる」とあり、「北半球における弱冷期」と解説されている。そして以下のような説明が付加されている。「日本においても東日本を中心にたびたび飢饉が発生し、これを原因とする農村での一揆の頻発は、幕藩体制の崩壊の一因となった」わたしの小文の主人公・土井利位(どい・としつら)はいまの地名では愛知県刈谷市にあった二万三千石の刈谷藩主の四男に生まれ、二十五歳のとき本家筋の八万石古河藩(茨城県古河市)の養子となり、十年後養父土井大炊...日々(ひび)徒然(つれづれ)第三十六話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十四話

    “聖徳太子”のことなどツンドクのなかから昨年の入院中に読み落としていた文庫本を拾い出した。山本博文ほか著『こんなに変わった歴史教科書』(新潮文庫、平成二十三年十月発行)。「六・三制野球ばかり強くなり」と校舎も教科書もなかった“新制中学第一期生”のわたしにとって、へぇ~そんなことがあったのと、知らぬこととはいえその“歴変”には驚くばかりだったが、本書発案企画の山本博文先生ご出生の1957年(昭和32年)は、わたしの社会人スタートの年・・・まさに隔世の感がする。山本先生は東京書籍の中学校教科書の編集委員に平成八年度版から参画されている由だが、その経験を踏まえ、歴史学会での旧説が新説に改められるにはおよそ三十年間の時間が必要であろうとの観点から、本書は昭和四十七(一九七二)年と平成十八(二〇〇六)年の東京書籍刊行の中...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十四話

  •  日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十三話

    歌う所属する混声合唱団の記念演奏会まで40日を切った。賛助出演の曲数を含めるとわたしが口にするのは21曲、この一~二年とみに記憶力が低下して、全曲の暗譜はむつかしい。楽譜を手にするだけで安心感が出てくると言い訳して、混声合唱『心の四季』(吉野弘作詞・高田三郎作曲、全七曲)と『唱歌の四季』(三善晃編曲、全五曲)の計十二曲は楽譜を持てることになった。男声合唱は、今回からわたしはバスからバリトンにパートが替わったので、はじめての二曲はともかく「最上川舟唄」の囃子部分はついついバスの節回しが出てきて、これは要注意ものだ。練習日はゲネプロを含めてもあと六回しかない、自宅でICホーンを耳に“自力更生、刻苦奮闘”の日が続くことになる。この合唱団は今年で創立四十周年を迎える。男女各十数名の四パートをベースに編成されている。男性... 日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十三話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十五話

    浦島伝説のこと「トランプ大統領は11日、中国や日本を含む多くの国から、毎年800万トン以上のごみがアメリカの海に漂着していると述べたうえで、海洋生物やアメリカの経済を傷つけると批判した」(2018年10月12日、各紙外電)。各紙は貿易摩擦に次ぐトランプのチャイナバッシングと捉えたようだが、わたしはこの海流の流れ行く先はどうなるのか、それは巡回を繰り返しているのではないか、と思い至った。波は沖から海岸へ向け打ち寄せているが、本流はずっと還流を繰り返している。後に触れるが、南米のエクアドルで五千年前の縄文土器がアメリカのスミソニアン博士に発見された話を耳にして久しい。子供のころ口ずさんだ童謡が甦ってきた。♪昔々浦島は/助けた亀に連れられて竜宮城に来てみれば/絵にも描けない美しさ♪唄はその顛末を一部始終語り、最後は乙...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十五話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十二話

    男たちの挑戦パートⅡ早く目覚めてしまった、まだ笛が鳴るまで二時間近くある。ダージリンにお湯を注ぎ、読みかけのページを開く。十の言葉を題材に綴った中国人作家・余華(ユイ・ホア)の随筆集(原題チャイナインザ・ワールド):日本語版題名は気に入らないが「ほんとうの中国の話をしよう」(飯塚容訳・河出書房新社)。人民・領袖・読書・創作・魯迅・・・と読み進んでいて、少年期の文革の思い出を今の視点から描き続ける、エスプリのきいた筆の進め方。ベルギー戦のはじまるまでの時間つぶしにと、つぎの「格差」のページを繰った。出だしは“性”に目覚めた思い出や年上のグループとの“武闘”だが、食糧切符の話から「文革期は単純な時代だった。いまは複雑で、混乱した時代である」と鄧小平の改革を経て今世紀の初めの「格差」がテーマとなる。それから二〇〇六年...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十二話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十一話

    ホタルマハティールさんが15年ぶりに首相に復任された、92歳。その高齢にもかかわらず、建国以来はじめての政権交代を成し遂げ、意気軒高。まさに人生百年時代の快挙であり、70歳定年制を望まれて止む無く引退した日本の政治家の誰それは歯ぎしりをされたことかもしれない。あのとき。クアラルンプールの伊勢丹の店内で、現役の首相が一人の付き添いをエレベーターのところにとどめ、わたしたちと話をしていた店長のそばに来られてふたことみこと、私たちとも握手を交わされ店内を一巡。来店の顧客にも声をかけ、幼児を抱き上げ母親とも話を交わして、付き添いを促して電梯に消えた、その間十数分か・・・。店長は週一ペースか、よく来ていただいています、気にかけてくださっていてありがたいことです、とのことだが、その気さくな物腰に感服した。そのむかしシンガポ...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十一話

  • 「日々徒然」

    きょうも雨模様・・・。梅雨明けは八月になるのか・・・。神戸新聞は講読されていないでしょうが、25日夕刊に「コロナ禍で一躍脚光を浴びた疫病よけの妖怪『アマエビ』」として、現在兵庫県立歴史博物館の特別展で公開されている江戸時代の瓦版のほか各地の話題(姫路・護国神社の護符、鳥取・水木しげる記念館の会員証、熊本・くまモン動画のコスプレなど)が第一面に掲載されていました。この瓦版の写真少しぼやけていましたが拡大鏡で見ると比較的きれいな字で読み取れました。どこも、ここも・・・がんばっています。添付の自作読み返すといろんな思いが募りますが、それは作者の思い出・・・か。「日々徒然」

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第十五話

    戊(ぼ)戌(じゅつ)の歴史あけましておめでとうございます。今年のえとはイヌ巡り巡ってわたしのⅩ回目の年となりました。干支でみればわたしの生年は甲戌(きのえ・いぬ)ですが、今年は戊戌(ぼじゅつ/つちのえ・いぬ)、十干十二支の組み合わせで60年に一度この干支(えと)は巡ってきます。その戊戌を江戸時代まで遡って、わたし風に見てみることにしました。1958年(昭和33年)長崎国旗事件1898年(明治31年)戊戌の政変1838年(天保8年)蛮社の獄1778年(安永7年)ロシア船通商を求めて来日1718年(享保3年)琉球の慶賀使将軍吉宗に拝謁1658年(明暦4年)家綱鄭成功からの援軍要請を断る上表の江戸時代は小学館『江戸時代年表』(山本博文監修)からわたしの好みで拾い出したものですが、鄭成功がこの年表に出ているとは思いませ...日々(ひび)徒然(つれづれ)第十五話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第十四話

    初冬の京都河原町のタクシースタンドに並んだ。交差点を行きかう人の流れを見やりながら、もう何十年になるのだろうか・・・と思った。この交差点で・・・、アインッ・ツヴァイ、ドライの掛け声で取り巻くお巡りさんを尻目に、スクラムが大きく交差点を回り始めた。「学生選挙権反対」のデモ行進、わたしのはじめての、デモ参加であった。この街かどで、いろんなことがあったなぁー、走馬燈がめぐりはじめる。上海から来た中国語の先生を案内して、ああ・・・、もうなくなっている、あのあたりにあった喫茶店の二階から、祇園祭の神輿がこの交差点を激しくめぐるのに、思わず掛け声を上げた。平安のむかしから、ここは都の花舞台だったのだろう。あの角を曲がった、何小路だったのか、映画館で中国映画を観た後、烏丸の方に歩いて“おにいちゃん(若乃花)”のチャンコをつつ...日々(ひび)徒然(つれづれ)第十四話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第十三話

    ユメはいつ・・・むかしたしか♪ユメは夜開く・・・♪とかいう歌が流れていた、記憶がある。♪わたしの人生くらかった♪とかいうフレーズもあったような・・・。先日10年ほど前、某国立大学に吸収され、その外国学部になった母校の同窓会冊子が届いた。新卒者の入会が少なく、財源の食いつぶしを防ぐため何年か前から有料になっている。同学の友人に聞いても、そのことにもあまり関心がなく卒業後60余年もたつと交流の輪も狭くなってくる。いまはどうなっているのかわからないが、校歌は♪世界を囲めし戦雲ようやく晴れて・・・♪のフレーズで始まっていた。創学は第一次世界大戦後であるが、新制大学五期生のわたしたちにとってこの校歌は平和運動を支えるものであった。朝鮮戦争はまだ終結しておらず、中国との国交正常化は卒業後15年のちになる。縁あって日中友好貿...日々(ひび)徒然(つれづれ)第十三話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第十二話

    ふたつの結末久しぶりに、映画館に足を運んだ。ちょうど三時間ほど時間が空く、映画を観るには適当な時間だ。仲代達矢の『海辺のリア』を見ることができた。髭面の老人がマントの裾を引きずりながら、海沿いの道を歩んでくる。かれの息遣いは、わたしたちにも伝わる。時おり後ろを振りかえり、それは追っ手を探っているかのようだ。どた靴を脱ぎ棄て、マントをひるがえして砂浜に下り、足をとられながら波打ち際をヨタヨタと歩んでいく。「監督の小林政広からオリジナル脚本が届きました。読めば私が過去に喋ったような言葉があちこちに。だから主人公・桑畑兆吉の存在を借りて自己暴露した作品でもあります。兆吉は思い出はいらない、お客様の心の中で生きられれば幸せと言う。アラン・ドロンさんは『キャリアは終わった』と俳優を引退されましたね。私はどうでしょう――。...日々(ひび)徒然(つれづれ)第十二話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第十一話

    ・・・のてっぺん神戸新聞で連載中の小説『淳子のてっぺん』(唯川恵作)が終わった。昨秋連載がはじまって間もなく、とわの世界に旅立った、女性初のエベレスト登頂、七大陸最高峰制覇の登山家・田部井淳子さんのお話である。小説としては、エベレスト登頂でクライマックスとなるが、五日にわたって書き連ねられたエピローグは、最晩年ふるさと東北の被災者の子供たちを毎年富士登山に招聘するシーンをスケッチしている。「頂上に到着すると、待っていた子供たちとスタッフの拍手に迎えられた。・・・ビリになっちゃたわね。どう、みんな楽しかった?・・・淳子と正之は子供たちに囲まれた」この小説もすばらしいが、後ほど手にした彼女の遺作『再発!それでもわたしは山に登る』(文芸春秋社)は脳に転移したガンと闘いながら、登山、旅行、講演などを続ける彼女の日記風手...日々(ひび)徒然(つれづれ)第十一話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第十話

    ある作家展から・・・GWの翌週二年ぶりに姫路へ出かけた。姫路文学館はおよその見当はつくが、行くのは初めて。駅前からタクシーに乗る。改装なった白鷺城は、皐月の空に映えてまばゆい。城前の駐車場には観光バスが詰め込んでいるが、今日はまだ空いているよ、連休のときはこの道の両側にも鈴なりでつらなっていたという。ガイドに連れられて城内へ向かう人ひと、カメラをぶら下げた外国からの二人、隣の好古園の入り口も人で溢れている。文学館はお城の西北、クルマでそこから数分の距離にあった。「藤沢周平~没二十年展」が開催されている。城前のざわめきと打って変わって、閑静そのもの。一時間余の参観中、入館者は数名、警備の人など関係者の方が多いほどであった。「藤沢周平」はわたしにとって旅の憩いであり、病床での慰めの友であった。文庫本がほとんどだが、...日々(ひび)徒然(つれづれ)第十話

  • 「日々徒然」第九話

    〝神ってる″と〝神速″毎月A3の『呆報』2~3号を郵送いただいている。主幹のNさんはわたしよりお若いが、50代から独学でマスターされた中国語を使って、中国の僻地の子供たちとご自分の絵本(日中両文)を通して交流を続けておられる。いつからか白川静文字学にも没頭され、その解説などもいただくがこれはムツカシイ。わたしにとっての楽しみは、毎月封筒に挟み込まれた近況の枝折りである。今月はつぎの一文が届いた。卓球で10代の女性がすごい成果を上げました。何より、勝つためのセオリーを自分で考え出した。中国での試合なのに、強気でしたね。感動しました。昨年末電車で中国人に会って、ちょうど頭を悩ましていたことをきいて、相談に乗ってもらって解決!お礼に、昨年の新語、知らないというので、一番好きな神ってる(神了!)を教えたら大喜びでした。...「日々徒然」第九話

  • 「日々徒然」第八話

    TV観戦のあとで・・・三月はWBCやサッカーのW杯アジア予選など、テレビ観戦で日が過ぎた。“六・三制野球ばかりで日が暮れり”と自前の校舎も、教科書もないまま発足した新制中学第一期生のわたしたちにとって、たとえ三角ベースであろうが、木切れのバットであろうと、野球はからだに染み込んだスポーツであった。ましてや甲子園球場までは近々の距離、春夏の高校野球はもちろんタイガース主催のプロ野球にもよく足を運んだものであったが、いまはそのむかし、昨今はテレビ観戦もご無沙汰勝ちである。しかし、WBCとなると話は別、何をさておいてもとテレビにかじりつくことになる。戦前の予想に反して、日本は無敗で勝ち進んでいく。深夜に及んだオランダ戦などは、入浴を終えてもまだ続いていた。対戦相手には大リーガーの現役選手も多く、アメリカは準決勝から新...「日々徒然」第八話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第五話

    あのひとたちのことカストロが、逝った。毛沢東のときほどの痛哭感はないが、かれは、堀田善衛(『キューバ紀行』)を通じて、わたしのなかで息づいていた。堀田善衛がキューバに行ったのは、1964年の7月。あの「キューバ危機」の二年後のこと、メキシコシティでトランジットのとき、CIAと思しき連中に取り囲まれフラッシュの放射を浴びた由。このときカストロは、36歳。30万人の群衆を前に延々四時間の大演説をぶちあげたそうだが、後年「さすがに閉口しました」と堀田は述懐している(『めぐりあいし人びと』)。堀田はこのときの視察で、キューバ経済の問題点として、サトウキビの単作農業にふれている。わたしはこの年の2月から4月にかけて北京に滞在していた。国交未回復のなか、輸入商談締結のための初訪中であった。3月ごろであったろうか、滞在の新僑...日々(ひび)徒然(つれづれ)第五話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四話

    ある映像11月上旬駅前のベガホールで開催された宝塚市民合唱祭は第50回目の、節目の催事となった。もう50年になるのか、わたしがこの地に移り住んでからの歳月が走馬灯のようにめぐり、思いがつのる。三年前医師の勧めで始めたボイストレイニングが昂じて、いまではふたつのコーラスの末席につらなっているが、楽譜よりは“耳学問”と未だにICレコーダーのお世話になりっぱなしである。今回は3ステージ6曲、いくつかは昨年からも練習が始まっていたが、いちばん新しいのは、男声コーラスの「最上川舟唄」、これは暗譜にするかどうか、先生も最後まで迷われていた。混声のひとつ、「聞こえる」(岩間芳樹作詞・新美徳英作曲)は、春先に楽譜が渡された。1991年(平成3年)の、第58回NHK高校の部の課題曲であったそうで、先生も夏休みの合宿で練習に励まれ...日々(ひび)徒然(つれづれ)第四話

  •  日々(ひび)徒然(つれづれ) 第三話

    ソウリー、タイピーオンリー先日「デモで苦境を訴える観光業者(9月14日、台北市)」の写真とその新聞記事を読んで、あのときの光景を思い出した。もう数年前のことになるか、前から計画していた「阿里山観光」のため雨の桃浦空港から市内へ向かう途次立ち寄った「陶磁器の町」鶯歌でのこと。陶磁のマグカップでおいしそうにコーフィーを飲んでいるカップルを目にして、思わず可憐なウェイトレスに「レンミンピ、クウイマ?」と声をかけたとき、「ソウリー、タイピーオンリー」とすまなさそうに言われた。もう日本でもお目にかかれない大正ロマン風―竹久夢二の描く少女の風情であった。国民党の馬英九総統が政権を握り、海峡両岸の交流が拡大し始めていた。わたしもその現場を確認しようと、その前の年にはアモイから金門島まで日本人団体旅行第一陣として船で渡ったが、... 日々(ひび)徒然(つれづれ)第三話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二話 (2016.10.3)

    隠し田かくしだ(またはオンデンとも)の存在は、古来より支配者の苛酷な収奪に対応する庶民の抵抗を示すものであったが、発見されれば見せしめに厳罰が科せられた。しかし、江戸中期以降にもなると荒地の開墾や新田の開発などを奨励するため、有期の無上納や低額の献納策をとる領主も出現、新田開発が進行した。八十年代のはじめ、「改革開放」が称えられはじめた中国ではあったが、中央財政の三分の一以上は、上海からの上納金で支えられ、地元ではその住宅難、交通難などに対処するにも、鐚(びた)一文のカネもなかった。わたしは82年から対中投資諮詢の仕事をはじめ、頻繁に上海を訪問していた。市内を貫流する黄浦江は上流まで3千トンクラスの貨物船が往来するため橋が架けられず、対岸の浦東地区へは艀しか交通手段がなく、広大な未開発地が横たわっていた。当時の...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二話(2016.10.3)

  • 「日々徒然」第七話

    はじめての留学わたしが1957年に中国との貿易を目指してから、60年がたった。1964年にはじめて中国を訪問して以後、二百数十回は中国に足を運んでいるが、滞在と言えるのははじめての北京の数十日のみ。前半の友好貿易のときは同僚に助けられ、そのあとの対中投資諮詢の仕事では中国の方々のお世話になった。もちろん長い中国とのお付き合いであるから、言葉も耳学問というか、自然と身についたものもあるが、70年代はじめの“北京商談”では、アポ待ちメーカーさんの案内を頼まれて何度も長城や故宮に足を運んだものである。82年に対中投資諮詢の仕事をひとりではじめたころ、しばらくは開店休業で、このときはじめて中国語の勉強を始めた。大阪中国語学院での土曜日の午後、上海から招聘された女性講師の、厚かましくも中級のクラスを受講。同年輩の方も多か...「日々徒然」第七話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第六話

    あのとき、と、それからと・・・仕事の都合で行けなくなったのでと、「ミス・サイゴン」(@梅田芸術劇場)のチケットをいただいた。わたしはまだ「ホーチミン市」とは改称されていなかった76年10月に、解放後一年数か月目のサイゴンを訪問している。それよりも何よりも、50年前、病床からべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に共鳴、ベトコンの活躍に拍手を送っていた。あのとき湿性肋膜炎は治癒した後、右肺底部に親指大の結核菌病巣が残っていた。主治医は、これが今回の主因、いつ再発するかもしれない、思い切って切除してはどうか、この手術は交通事故よりも確率は少ないと勧められた。心臓手術よりも成功率は高いと励まされて転院、右肺三分の一を切除した。心臓手術が脚光を帯び始めた時であったが、同じ病棟の数歳の幼女は術後数日であの世に旅立っていた。...日々(ひび)徒然(つれづれ)第六話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第一話

    信長焰上♪夏がくれば思い出す・・・♪と口ずさむと、わたしには、♪・・・はるかな尾瀬遠い空♪(「夏の思い出」)の風景ではない、「墨でぬりつぶした」あの教科書のことが頭に浮かぶ。1945年の8月は、暑い夏であった。疎開先で迎えた国民学校五年生のわたしは、農繁期休暇(農作業手伝い)の振替による授業再開(二学期の始業)で、20日過ぎに登校すると、先生から教科書の“国産み”神話のページなどを墨で塗りつぶすように言われた。後年病床にあったとき、それはわたしの“しみ”のひとつとして、作詩のワンフレーズになったが、敗戦直後のこのできごとは、「教科書の歴史」をそのまま読み通せない習性を、植えつけてしまうことになったのかもしれない。新制中学(一期生)では「国のあゆみ」という薄っぺらな教科書があったが、なにひとつ頭に残っていない。む...日々(ひび)徒然(つれづれ)第一話

  • 今の日本民家集落博物館

    静かなのんびりした緑の中で梅雨を迎えます(私はしばらく囲炉裏番もなくボランティアも自由気まま)(気持ちはフジバカマの世話を目指します)北河内の茶室公開茶会はまだ開けませんツヅジかサツキか満開の時期です木には名前のわからないキノコ今の日本民家集落博物館

  • コロナ騒動で2か月が過ぎた

    日々近所の散策豊島公園私のお気に入りの紅茶色のバラ咲き始めると時あるごとに逢いに行くもう10年は過ぎたかな~ブラックティコロナ騒動で2か月が過ぎた

  • ご訪問ありがとうございました。4

    くに楽はくに楽2に移動しましたご訪問ありがとうございました。4

  • くに楽 は くに楽2 に移動しました

    多々お世話になりましたくに楽はくに楽2に移動しました

  • 緊急事態宣言 第三日

    今朝Aクリニックに夕方の予約をしようとホームページを開いたら、院内待合室の制限告示があった。確かに十余名は入れる待合室が満杯になれば、全員がマスク着用でもやばいか・・・。先日歯科医へはわたしが勘違いして20分ほど早く到着、数人掛けの椅子をふさいで先予約の方のスペースを横取り、ご迷惑をおかけしたが、さてさて今日の場合はどうなるのか。そうはいってもまだ外気は肌寒い。もし外で並ぶとなればと、残り数枚になった使い捨てマスクから一枚を取り出し、これにガーゼでもあてて長持ちさせようとショルダーに詰め込んだ。わが家からなだらかな坂を下って1,5キロ、阪急売布駅先のAクリニックに到着。道中出会った十余人の男女の数人はマスク装着だが、残りはわたしと同じ、桜の香気を愛でる仲間だ。昼の診察開始数分前、すでに院内の待合室には受付を終え...緊急事態宣言第三日

  • 緊急事態宣言 第八日

    第二週目に入った。昨夕医者巡りの後コープのレジで友人とパッタリ。かれは卵一パック、わたしは菓子パンのあれこれ。片手スペースを空けての、あいさつ。かれは七月までの予定は全部キャンセル、後半も一から仕切り直しという。そうだろうなぁ、そうだよねぇ~とわたし。夜プライム・オンラインで識者の鼎談を聞く。コロナ撃墜で、万里の長城に長蛇の列。大丈夫なんですか、と司会者。中国は顔認識で全部データ管理されているからこれはいいんだが、いまロシアから追い出された人や安心な中国へとミャンマーから帰国の人たちがこわいねぇ~。それよりも中国経済、内需だけで持ちますかね。話は尽きないようだが、もう入浴の時間。明けて十五日。日経朝刊の社会面。「忘れられたパンデミック」の見出しで、百年前のスペイン風邪の記事。「出征軍から世界拡散」の縦見出しが大...緊急事態宣言第八日

  • 緊急事態宣言 第五日

    レインサンデー、アフターヌーン。宣言後はじめてマスクをして、ワシントンホテルに向かう。電車は気の毒なほど空いている、否、宝塚駅改札出口で落ち合った友人とホテル1Fロビーからラウンジを見わたすと、ガラガラ、二テーブルに数人ほどの男女。窓際の一番隅で、それでも二時間ほどよもや話にふける。帰路駅下の書店を覗く。ここは、そこそこの出入りのよう。ふだんは図書館で立ち読みするのだが、いまは休館中、そういうわけにもいかない。よかったら読んでくださいと連絡のあった鼎談、『文春』ではなく『中央公論』五月号に見つける。特集「コロナ直撃世界激変」そのなかで見知った名前を発見、レジに向かう。夕食後ページを開く。「鼎談中国モデルが世界を席巻?どうなる?コロナ後の習近平体制」宮本雄二・元中国大使x川島真・東大教授x阿古智子・東大大学院教授...緊急事態宣言第五日

  • 今年の桜

    コロナ騒ぎで私の3月からの活動が、ほとんどが中止になり生活が一変した不要不急の外出を避け、もっぱらご近所散策の日々を過ごしている夕方からは、水曜日以外はスポーツジム(通常通り使用できる)に通う今年の桜は、開花が早まったが例年通りきれいに咲いていた今年最初の満開のさくら京都高瀬川のさくら(彼岸詣)二年坂のさくら千里桜通りのさくら今年の桜

  • 緊急事態宣言 第一日

    昼下がりマスクなしで携帯とミニラヂオを懐中に歩き始めた。清荒神参道への間道を町名で一丁、参道手前の階段を右手に上がると地元古老が語る、むかし(いつのころか)火の見櫓のあったという高台に出る。周辺から山の頂まで住宅が建ち詰めているが、左に回り崖ぶちに立つと、展望は開け、川面神社からさらに武庫川の堤まで一望のもと。図書館で見た「マチ文庫」の戦国時代(荒木村重の乱か)、米谷にもあったという?お城の物見櫓の場所に比してもいい眺望である。山頂まで立ち並ぶ住宅街はクルマなしでは生活できないが、宝塚トンネルの上、児童公園まではまったく人気が無かった。トンネルの東は町名が変わって売布東、阪急売布駅から巡回のバスも通るが回数は少ない。下ると売布橋(高速道の陸橋)、その左下に人影のない売布小学校があり、その裏門から売布神社までは今...緊急事態宣言第一日

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十話

    あなたと旅立とう♪コンテ、パル、ティーロ♪地震後の再開発で隣の駅前にできたビルの5階に、全国でも珍しい公立民営のシネマPがある。100シートの観覧室が二つあり、独立系で「洋・日」自在の選択で話題作を比較的早く上映している。二十年ほど前の開館当時はわたしも若く(60代)、このシネマの会員になって毎月のように話題作は見に出かけていたが、このところチラシはよく見るがシートに座ることは少ない。いつぞやの猛暑の折は、昼寝タイムに利用するなどと不心得なこともしたことがあるが、このところ感度が鈍くなったのか涙腺の緩む場面に出会うような映画にも出くわさない。それでも見かけるチラシだけは手に取っては、眺めている。先日の午後三時間ほど空いたので「アンドレア・ボチェッリ~奇跡のテノール歌手~」のチケットを購入(予約番号11)、昼食の...日々(ひび)徒然(つれづれ)第四十話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第三十九話

    乙女の舞尼崎城天守閣が再建・一般公開されて九ヶ月が経った。阪神尼崎駅から徒歩数分、武庫川の一支流・庄下川(かっては御濠)を渡った東にある。四百年前初代領主・戸田氏鉄がこの城を築いたころは、大阪城を主格に岸和田城と共に徳川幕府の西の構えの一角を演じて、西国街道を城で中断・迂回させ、南は海に面していた(「古地図で見る阪神間の地名」大国正美編著)。国道二号線を西に向かうと、これも武庫川の一支流の蓬川に出会う。その東詰めを南下すること一区画、旧西国街道にかかる蓬川公園に出会う、その橋の袂の叢にひとつの句碑がある。序の舞のまこと静けし足袋きしむ地朗作者は「尼崎の芭蕉さん」とも呼ばれた母方の大叔父。『尼崎市史』第三巻に「小学校の憶い出」と題した本人のスケッチが掲載され、そこには「琴城尋常小学校明治二九年卒業生」とある。第一...日々(ひび)徒然(つれづれ)第三十九話

  • 令和2年の年明けに

    今年の夢喜寿を迎えて自分のできる事を丁寧にあらたな挑戦は、少し控える年末から、姉の家でめっきり年を言い訳にして私を呼び寄せたいのを、やっとご期待に添い姉と甥2人とつれあいと5人で、31日から2日まで、鍋物と酒と近場温泉で楽しく過ごしたひょっとすれば、これからは新年はこのパターンになるのか?姉とは「来年はどこかのひなびた温泉ですごそうね~」と話し合ったが。さて、どうなることか。姉の家からの初日の出ことしもどうぞよろしくお願いいたします令和2年の年明けに

  • 夏まつり

    夏まつりでフラダンス私の習っている「フラオマキ」を小学5年生が見事に踊られたそして夏まつり

  • 日本民家集落博物館ボランティア日記

    ボランティア研修会畑で穫れた野菜の試食会はったい粉(麦こがし)とレーズンの団子柏餅(餅粉と上新粉と小豆餡)サツマイモとジャガイモ(みそだれで)蚕は繭にがんばって繭になります繭マンション日本民家集落博物館ボランティア日記

  • 日本民家集落博物館ボランティア日記

    蚕今年も白川の民家で蚕の飼育中蚕はここまで成長している椎葉の民家胡麻の花日本民家集落博物館ボランティア日記

  • 釜山 2日目

    釜山タワー釜山2日目

  • 釜山

    釜山の旅語学勉強をかねて釜山へ行く友と共に釜山訪問まずはチャガルチ市場で海鮮料理泳いでいる太刀魚、タコ、鯛、さざえの刺身マッコリとキンパ(海苔巻き)もちろん野菜とキムチとワサビ、コチュジャン、しょうゆも並べて食べるチャガルチ市場の海鮮料理店キンパの上に刺身を載せて食べることをオモニが教えてくれた肌ツルツルのきれいなオモニチシャを巻いたり、調味料を混ぜてくれたりマッコリをついでくれたり美味しかった日本語堪能なオモニ最後の締めに料理された魚のアラでスープこれが美味しくて友は見事な食べっぷりでした海鮮の店が並ぶ夕暮れどきのチャガルチ市場釜山

  • 2つの曜変天目茶碗(国宝)

    京都大徳寺龍光院の国宝曜変天目茶碗MIHOミュージアム藤田美術館の国宝曜変天目茶碗奈良国立博物館国宝曜変天目茶碗は現在3つその2つを今年5月に見ることができたどちらも宣伝写真のものだが、曜変の輝きがご覧の通り素晴らしかった2つの曜変天目茶碗(国宝)

  • 五月の茶会

    五月風と共に茶会に参加今年は気温が高く、でも快適な茶会花は大山蓮華香合は執事のかぶる兜主茶碗黒楽茶杓令和ロスアンゼルスからのお客様日本文化に興味がおありとかベルギーからのお客様五月の茶会

  • MIHOミユージアム

    大徳寺龍光院国宝窯曜変天目と破草履(はそうあい)曜日本に三つの国宝曜変天目(写真)一時間待ちの列に並び飴をいただき居心地のいいミュージアムでビデオを見たり、展示の写真を見たりやっと見ることができた曜変天目きれいな天目模様がみることができましたアフガニスタンの仏様お気に入りで必ず会いに行きます今は石楠花のころ霧島ツヅジが燃えるような花をつけていましたMIHOミユージアム

  • 一心寺

    イーペーの花久しぶりに一心寺詣でこの季節も何度お参りに行っているのにこの花は、はじめて見た空を覆いつくして咲いています落語家林家染丸墓所の隣で咲いています一心寺

  • 平成最後の日

    いつもと変わらず家庭菜園の世話をしていますわが家の菜園ミニトマト2本植えましたキヌサヤは3本植えて、昨夜から食べ始めました平成最後の日

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十九話

    雪二月九日の朝奄美の知人から届いたメールには次のような便りがあった。奄美では、緋寒桜が咲き始めました。場所によっては満開のところもあるようです。今年は、気温変動が激しく夏日のようであったり、冬に戻ったりと桜も困惑していると思います。この日大阪は曇り、雪空のような気配もあったが、薄っすら降雪があったのはその翌朝であった。東京は朝から雪、最高温度は一度、札幌は四日から降り続いていて、この日の最高温度はマイナス五度、最低はマイナス十三度であったとか(いずれも「過去の天気情報」より)。『環境白書』によると、日本列島の緯度差はギリシャのアテネからノルウェーのオスロとほぼ同じだそうだから、札幌の積雪と奄美の緋寒桜の満開もありということか・・・。昨秋所属コーラスの発表会(「日々徒然」23話、“歌う”ご参照)でわたしたちが歌っ...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十九話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十八話

    あのとき・・・平成が間もなく幕を閉じる。年初来その追想なり思い出がテレビやメディア各紙で報じられてきているが、わたしより七カ月早く生を享けられた現天皇を同世代の目から見れば、その生活環境は大いに異なるとはいえ、それらの報道にはなにか食い足りないものを感じる。一九四五年八月十五日の敗戦の「詔勅」で、「教科書を墨で塗りつぶさされたか」どうかはさておき、その“事実”を少年の心で受け止めとめて歴史は展開した。それは、一言でいえば、「戦争と平和」ということへの“思い”であったといえる。加藤陽子著『昭和天皇と戦争の世紀』(講談社学術文庫、2018年7月刊)の補章「象徴天皇の昭和・平成」につぎのような紹介がある。・・・皇太子が東京に戻れたのは、同年(一九四五)十一月七日のことで、帰京した皇太子の目に映じたのは、東京の焼け野原...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十八話

  • 青春18きっぷの旅 四国 高松

    栗林公園16世紀後半に豪族・佐藤氏により築庭される1625年讃岐国領主・生駒高俊公が紫雲山を背景に造営され現在の原形が作られた1642年生駒氏に代わり入封した初代藩主・松平頼重公に引き継がれ明治維新に到る228年間、松平家11代の下屋敷として使用された明治8年県立公園、昭和28年「特別名勝」に指定入館料(410円)桜は満開前回の訪問では和船に乗れなかったので今回の目的は乗船すること掬月亭のある南湖を30分かけてめぐります(乗船料610円)紫雲山を借景に庭園が広がります後方の建物は掬月亭根上五葉松今回の青春18きっぷの旅は、1日を有効に使い40年前に住んでいた高松市内の変貌を当然と思いながら「あずまや」(当時よく通った喫茶店・コーヒー・紅茶以外にクリームあんみつやケーキ、そしてうどんもある喫茶店でした)に立ち寄り...青春18きっぷの旅四国高松

  • 徒然(つれづれ) 第二十七話

    初一念いま書棚からやっと探し出した、平山郁夫画伯の画文集『西から東にかけて』(中公文庫、1991年11月刊)を眺めはじめている。付表年譜によると、この15年前に本書は中央公論社から出版され同年6月「シルクロード展」により第8回日本芸術大賞を受賞されているが、中国へは翌77年招待を受け初訪中、チベットにて「西蔵布達拉宮」を描き院展に出展、その翌年から堰を切ったように画伯の訪中が続く。薬師寺の「大唐西域壁画」も高田好胤元管主(法相宗管長)の要望を受け、20余年の歳月をかけ完成されたものである。平山画伯は15歳のとき広島で被爆、まさに地獄を見たその体験と後遺症に悩まされながら中国の僧玄奘三蔵法師の旅路に心を寄せ、描き続けた。「昭和六十一年(一九八六)九月の中国・西域南道の旅は、総計五千五百キロに及ぶ行程となった」(“...徒然(つれづれ)第二十七話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十六話

    映画を観るまでに・・・日記の余白が少なくなってきた。38度超の日が続き、晴雨兼用の傘をさして10月のコーラス発表会の練習に通った酷暑の日々を思い出す。喉元過ぎればの熱さとは異なるが、大変だったなぁ、あのときは・・・。気分転換に久しぶりに映画でも見ようかと、近在の映画館のチラシを手にした。樹木希林さん追悼上映の映画が数本特集に組まれ、あと外国ものが数本並び、「散り椿」の紹介があった。「日本を代表する名キャメラマン木村大作3度目の監督作品は,『蜩ノ記』で直木賞を受賞した葉室麟原作を映画化した本格時代劇」との紹介があったが、「蜩」が読めない・・・なんだったかなぁ・・・、思い出せぬままIMパッドの手書きでなぞり、索引。ヒグラシ、か。これは漢字検定一級ものじゃないかとグチりながら、原作者の葉室麟さんも知らないなぁとネット...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十六話

  • 4月の行事

    🌸同友会写真クラブ展日時4月7日(日)まで場所椎葉の民家🌸和の装い体験日時4月6日(土)11時から16時(受付15時まで)場所南部の曲家約1時間着付け、散策込費用着付け代500円協力森崎きもの教室当日は北河内の茶室できもので茶会体験をどうぞ!🌸みんかで太鼓日時4月6日(土)14時~15時雨天中止演奏と体験協力和太鼓サークル「鼓遊」🌸春のてまり展日時4月21日まで21日(日)「てまりつくり体験」11時から15時材料費300円申し込み不要協力日本てまり会「都てまり」🌸茶会日時4月6日(土)20日(土)13時~15時ところ北河内の茶室茶菓子代400円🌸こま遊び日時4月~7月の毎土曜日15時30分~15時30分(受付15時まで)雨天中止🌸石臼体験日時4月~6月の1・3土曜日13時30分~15時30分(受付15時まで)体...4月の行事

  • 青春18きっぷの旅

    福井県おさごえ民家園園内は紅梅が満開南の地区では神道囲炉裏には自在鉤が使われていた北の地域では仏教天井から籾俵がぶら下がっていた来年の籾をネズミから守っていたそうです囲炉裏に火が入っていたこちら五徳が使われていた3本足でも五徳と話題がにぎわいました3本足、4本足もあるそうです5本足は儒家では温良恭倹譲5つの徳目といいます職員さんと記念撮影静かな座敷で思わず外の景色にうっとり土間では人形が仕事中おもわず見学者も参加このおくどさんで湯を沸かして、すぐまえのタライに湯を入れ湯あみ外壁には竹で雨除け、雪囲いおさごえ民家園も桜がチラホラほころび始めていました青春18きっぷの旅

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十五話

    浦島伝説のこと「トランプ大統領は11日、中国や日本を含む多くの国から、毎年800万トン以上のごみがアメリカの海に漂着していると述べたうえで、海洋生物やアメリカの経済を傷つけると批判した」(2018年10月12日、各紙外電)。各紙は貿易摩擦に次ぐトランプのチャイナバッシングと捉えたようだが、わたしはこの海流の流れ行く先はどうなるのか、それは巡回を繰り返しているのではないか、と思い至った。波は沖から海岸へ向け打ち寄せているが、本流はずっと還流を繰り返している。後に触れるが、南米のエクアドルで五千年前の縄文土器がアメリカのスミソニアン博士に発見された話を耳にして久しい。子供のころ口ずさんだ童謡が甦ってきた。♪昔々浦島は/助けた亀に連れられて竜宮城に来てみれば/絵にも描けない美しさ♪唄はその顛末を一部始終語り、最後は乙...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十五話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十四話

    “聖徳太子”のことなど(本文では一万円札の写真がありました)ツンドクのなかから昨年の入院中に読み落としていた文庫本を拾い出した。山本博文ほか著『こんなに変わった歴史教科書』(新潮文庫、平成二十三年十月発行)。「六・三制野球ばかり強くなり」と校舎も教科書もなかった“新制中学第一期生”のわたしにとって、へぇ~そんなことがあったのと、知らぬこととはいえその“歴変”には驚くばかりだったが、本書発案企画の山本博文先生ご出生の1957年(昭和32年)は、わたしの社会人スタートの年・・・まさに隔世の感がする。山本先生は東京書籍の中学校教科書の編集委員に平成八年度版から参画されている由だが、その経験を踏まえ、歴史学会での旧説が新説に改められるにはおよそ三十年間の時間が必要であろうとの観点から、本書は昭和四十七(一九七二)年と平...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十四話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十三話

    歌う所属する混声合唱団の記念演奏会まで40日を切った。賛助出演の曲数を含めるとわたしが口にするのは21曲、この一~二年とみに記憶力が低下して、全曲の暗譜はむつかしい。楽譜を手にするだけで安心感が出てくると言い訳して、混声合唱『心の四季』(吉野弘作詞・高田三郎作曲、全七曲)と『唱歌の四季』(三善晃編曲、全五曲)の計十二曲は楽譜を持てることになった。男声合唱は、今回からわたしはバスからバリトンにパートが替わったので、はじめての二曲はともかく「最上川舟唄」の囃子部分はついついバスの節回しが出てきて、これは要注意ものだ。練習日はゲネプロを含めてもあと六回しかない、自宅でICホーンを耳に“自力更生、刻苦奮闘”の日が続くことになる。この合唱団は今年で創立四十周年を迎える。男女各十数名の四パートをベースに編成されている。男性...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十三話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十二話

    男たちの挑戦パートⅡ早く目覚めてしまった、まだ笛が鳴るまで二時間近くある。ダージリンにお湯を注ぎ、読みかけのページを開く。十の言葉を題材に綴った中国人作家・余華(ユイ・ホア)の随筆集(原題チャイナインザ・ワールド):日本語版題名は気に入らないが「ほんとうの中国の話をしよう」(飯塚容訳・河出書房新社)。人民・領袖・読書・創作・魯迅・・・と読み進んでいて、少年期の文革の思い出を今の視点から描き続ける、エスプリのきいた筆の進め方。ベルギー戦のはじまるまでの時間つぶしにと、つぎの「格差」のページを繰った。出だしは“性”に目覚めた思い出や年上のグループとの“武闘”だが、食糧切符の話から「文革期は単純な時代だった。いまは複雑で、混乱した時代である」と鄧小平の改革を経て今世紀の初めの「格差」がテーマとなる。それから二〇〇六年...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十二話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十話

    歴史を歩くこのところNHKの「ブラタモリ」をよく観る。地形の成り立ちをタモリの博識にかぶせて物語を展開させるなどその映像がまた楽しい。一月にわがまち宝塚の紹介があった。案内は宝塚の歴史家直宮憲一先生。日本考古学会会員で遺跡の発掘調査の専門家であるが『宝塚の歴史を歩く』の著書もあり、この十年余わたしたちの「古文書を読む会」の分科会・読書会のアドバイザーを依嘱、2010年の秋からは春秋二回「宝塚の歴史ウォッチング」のご案内もしていただいている。「ひとが歩いて道になる」といわれるが、宝塚市内の巡礼街道、有馬街道、西宮街道の辻角にはまだ道標もかなり残っており、むかしの集落ごとに庚申塔も残り季節の花が供えられている。それらはクルマで通りすぎると全く気の付かぬ路傍や電柱の陰、ときには住宅の庭の一隅にあるが、たとえば安倉南4...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十話

  • 日々(ひび)徒然(つれづれ) 第二十一話

    ホタルマハティールさんが15年ぶりに首相に復任された、92歳。その高齢にもかかわらず、建国以来はじめての政権交代を成し遂げ、意気軒高。まさに人生百年時代の快挙であり、70歳定年制を望まれて止む無く引退した日本の政治家の誰それは歯ぎしりをされたことかもしれない。あのとき。クアラルンプールの伊勢丹の店内で、現役の首相が一人の付き添いをエレベーターのところにとどめ、わたしたちと話をしていた店長のそばに来られてふたことみこと、私たちとも握手を交わされ店内を一巡。来店の顧客にも声をかけ、幼児を抱き上げ母親とも話を交わして、付き添いを促して電梯に消えた、その間十数分か・・・。店長は週一ペースか、よく来ていただいています、気にかけてくださっていてありがたいことです、とのことだが、その気さくな物腰に感服した。そのむかしシンガポ...日々(ひび)徒然(つれづれ)第二十一話

  • 日本民家集落博物館の今年

    3月の催しお雛様椎葉の民家新博物館事務所の建築現場日本民家集落博物館の今年

  • 相生の牡蠣食べ放題

    相生の大豊籠一杯の牡蠣が来ました海を見ながら炭火で焼きます牡蠣飯も牡蠣も堪能しました相生の牡蠣食べ放題

  • お雛様

    お雛様がお出まし日向椎葉の民家飾り付け可愛いお嬢様も来られました梅はもう満開ときおり鶯も啼いていますお雛様

  • 昆陽池

    午後からの散策で昆陽池のカピバラに逢いに!カピパラは陸に1匹だけいましたが、遠くて残念!陸の上のの黒いのがカピパラ白鳥も日向ぼっこ鴨ものんびり昆陽池

  • 伊丹スカイパーク

    暖かい日差しに誘われて伊丹スカイパークへ目の前を離陸する飛行機紅梅も咲き始めています伊丹スカイパーク

  • 吹田市のイベントに参加した

    吹田市のキャラクターくわいちゃん日本民家集落博物館のブース昔の暮らしを展示そして最後の抽選で我等チームの2人が見事に当選賞品はご覧の通り吹田市のイベントに参加した

  • 今日の日本民家集落博物館

    毎年恒例の消防訓練江戸時代の古民家に消防自動車の赤は映える!放水準備竹藪に向かって放水私は小学3年生の体験学習でいろりの話菜種の花も咲き始めた今日の日本民家集落博物館

  • 北河内の茶室

    今年初めての茶室公開と茶会綺麗なお振袖のレディさん(彼たちはレディではありません)次回の茶室公開と茶会は2月9日(土)13時からです北河内の茶室

  • 青春18きっぷの旅 3

    名古屋熱田神宮~京都名古屋駅の喫茶で朝食(アンコのトースト)熱田神宮大勢の参拝者祭壇前賽銭を投げ入れました矢場とんの味噌カツそして京都(京都駅から見下ろせば西本願寺)(東本願寺)青春18きっぷの旅3

  • 青春18きっぷの旅 2

    倉敷市大原美術館大阪を出るときは青空だったのに、グレコの喫茶店をでて風致地区を散策していると雨になった暖かい雨に少しは助けられたけれどカレーの市民美術館となりのグレコ喫茶展昔のままの椅子やレイアウト懐かしかった青春18きっぷの旅2

  • 青春18きっぷの旅 1

    日生のカキオコ岡山県の日生まで牡蠣のお好み焼きを食べに行く寒い日だった元祖カキオコのほりお好み焼きメニュー大勢のお客様で外で1時間待った牡蠣が新鮮で度のお好み焼きも美味しかったこの先は竹久夢二の生家のある邑久郡へ青春18きっぷの旅1

  • 初詣

    我が家の正月飾り友人から届いた「鬼ゆず」干し柿うれしく獅子頭と飾りました我が家に遊びに来るメジロ初詣は服部天神さん大勢の参拝者その後清荒神さんへやはり大勢の参拝者でした初詣

  • 2019年 スタート

    日本民家集落博物館初春のイノシシ年年明けです今年もつつがない1年でありますように椎葉民家の床の間には羽子板4日にはボランティアが集まり民家の正月飾り紅白の餅をつき各民家に飾りました6日にはボランティアによるお雑煮会白川の民家の雑煮で栃餅も焼きました白川の民家で囲炉裏や縁側でお雑煮を味わいました椎葉の民家の囲炉裏を囲んで来館者の話が弾んでいました蠟梅も満開で清らかな香りを届けています9日にはFM千里の馬場章夫さんがこられて取材を受けました菜種の花も咲き始めました1月の行事予定です2019年スタート

  • 日本民家集落博物館ボランティア日記

    今日で今年囲炉裏番のボランティア終了今年もボランティア活動を楽しませて頂きました来年もどうぞよろしくお願いします来年の予定です博物館の入り口が(塩川清十郎氏の長屋門)が旧くなり使用には耐えられなくなり事務所と受付が新しく建築されることになりました来年4月に完成予定(現在建築現場を整理中)蠟梅も咲き始めたなごりの紅葉北河内の茶室敦賀の民家六条麦椿26日までの開館です日本民家集落博物館ボランティア日記

  • 紅葉だより

    今年も紅葉がはじまっています日ごと夜ごとの変化がうれしい麦踏されていた紅葉だより

  • 日本民家集落博物館の11月

    11月の民家は静かですゆっくりとした時間が流れる中、囲炉裏の火がやっと焚ける様になりました今年も炉開きが出来ました椿も用意できうれしい炉開きになりました(94歳のボランティアさんが引退され、淋しくなりました)本当にありがとうございました。サフランもいつもの所で咲いています小菊ツワブキクロガネモチの実麦畑博物館の横の紅葉がはじまりました日本民家集落博物館の11月

  • 能面・狂言面展 無事終了しました

    今年も無事終了しました蝉丸大童子生成(なまなり)熊坂能面・狂言面展無事終了しました

  • 平戸への旅 10月月1日

    平戸市の灯台へ行く今年1月にイタリアのアマルフィ海岸を思い出されて・・・・・なぜなら、オスマントルコに攻められて海岸のいたるところに要塞があり少しばかりの土地を石垣で囲んで田畑し暮らしを営んだ人々の姿この石垣も世界遺産だった・・・・・を髣髴とさせられた平戸への旅10月月1日

  • 隠れキリシタンの郷 生月島 (10月1日)

    生月島(いくつきじま)隠れキリシタンの郷村人はこの山を神として崇めていたここの田で収穫された米をローマ法王に贈り大好評を受けた!ボランティアさんの説明を受けた今年7月に世界文化遺産に登録された村人も争わずにここまで来られたと話された資料室も新設されていましたこの静かな島で、絶える事のない祈りは村人の心の拠り所だったのでしょう隠れキリシタンの郷生月島(10月1日)

  • 平戸への旅 9月30日

    平戸ザビエル教会高台の教会から平戸湾まで坂道を降りると平戸城平戸への旅9月30日

  • 柳川への旅 9月30日

    柳川藩の軍旗立花家のお屋敷大楠資料室には400年にわたる立花家の品々女性用の駕籠春にはお雛様の街を挙げての展示で有名詳しくは下記の通りhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E6%B2%B3%E8%97%A9柳川への旅9月30日

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