斎藤茂吉(1882-1953)《『西方の風~九州ひと図鑑(山﨑潔著)》より(30)
100年前のスペイン風邪の犠牲者は地球上で5000万人におよんだ。疫病の猛威は日本も例外ではなく、歌人の斎藤茂吉は長崎医専教授として赴任した長崎時代に感染して生死の境をさまよったという。歌人で細胞生物学者の永田和弘氏に学んだ(4月25日・読売新聞)。感染前と感染後に詠んだ歌が紹介されていました。前作のゆとりと切迫感の漂う後作が感染症の恐怖を伝えています。寒き雨まれまれに降りはやりかぜおとろえぬ長崎の年暮れむとすはやりかぜ一年(ひととせ)過ぎ来しが吾は臥(こや)りて現ともなし医業トノ兼務長崎ト港ト鐘ト歌ゴコロ。長崎の鐘の永井隆博士が学んだ昭和初期の長崎医科大学(長崎大学医学部の前身)は短歌文芸の活動がことのほか盛んであった。大浦のすらんす寺の頂(むね)高く黄金の(こがね)の十字架ひかりけるかも日本のキリスト教史を...斎藤茂吉(1882-1953)《『西方の風~九州ひと図鑑(山﨑潔著)》より(30)
2020/04/25 10:38