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駒田博紀の鉄人鍛練記 http://hirokikomada.com

「On (オン)」のマーケティングを生業とする空手家が、トライアスロンに挑戦する過程を追ったブログ。

ヒロキ
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2016/07/19

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  • Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 4話「伝説の男、永遠の師匠」

    第3話「金剛力士頂上決戦」に戻る 「あれ…?ヒロキ?」 視界に大きく広がる青空の端に、義弟しげちゃんの顔がよぎった。疲労困憊しているようだ。きっと俺の表情も似たり寄ったりだろう。 4月14日(日) 18:00、ラン21km 折り返し地点。スタートから10時間40分。スタート時に完走を誓い合った義弟に、ついに追いつかれた。 「大丈夫?」 「先に行ってて。追いつくから」 短く答える。心配そうなしげちゃんが先を急ぐ。 少ししてから俺はノロノロと起き上がる。5分前、突如手足に広がった痺れは治っていない。 それでも、自分を叱咤しながら追いかける。今回のレースで俺を動かしてくれる最大のモチベーション、どうしても完走したいと思う理由が何だったのかを思い出す。 少し先でその理由、しげちゃんに追いついた。 ここからレースが終わるまでの約10km。 疑いなくこれまでで最も苦しい10km。 それでいて、おそらく今後最も記憶に残るであろう10km。 俺はしげちゃんと並走を開始した。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 関連記事: 6回目の宮古島トライアスロン、レースレポート。 2019年4月14日(日)、俺にとって6回目の宮古島トライアスロン。結果は35km地点関門をクリアできずのDNF。 35km地点で回収された俺は、フィニッシュ地点の宮古島市陸上競技場に戻ってきた。 雨が降っている。大事なときにはいつも晴れるはずなのに、俺の体調と精神状態によっては必ず雨が降る。 その理由はよく分かってている。仲間たちに会わせる顔がないと思っているからだ。 それでも、そんな俺に仲間たちは優しかった。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 気持ちの整理がうまくいかず、しばらく呆然と座り込んでいると、陸上競技場の入り口が大きくどよめいた。 20時29分。最終ランナーが帰ってきたのだ。俺と違い、最後までやり切った選手の姿を見届けよう。

  • Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第3話「金剛力士頂上決戦」

    第2話「レスラー vs スモウレスラー」に戻る 宮古島トライアスロン2017、ラン25km地点。 ジョー田中と俺は歩いたり走ったりを繰り返していた。お互い、明らかに限界が近い。 「駒田くん、先行っていいよ…私はもうダメだ…… (ええ声 」 どうしたというのだ、ジョー。そんな縁起でもないことを言って。 「そんなこと言わないでください、田中さん…一緒に行きましょう」 「…もし…私に勝ったら…… (ええ声 」 やめてくれ、悲しくなるじゃないか。 一緒にフィニッシュラインを越えよう、田中さん。 「私に勝ったら、『師匠』って呼ぶよ (ええ声 」 「先に行きますね」 冗談交じりに先に進んだ俺だったが、やはりダメージは大きかった。 すぐに俯いて歩いてしまう。 一人進むも、ボロボロ。 pic.twitter.com/rNa5IuaKsQ — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 最終関門のラン30km地点を制限時間の少し前に越え、先に進む。 田中さんがそこを越えられることを祈りつつ。 そして、20時29分30秒。フィニッシュ制限時間の30秒前。 本当のギリギリに戻ってきた俺は、言葉にならない雄叫びを上げ、家族の前でフィニッシュテープを掲げた。 制限時間の5分前。宮古島トライアスロン2017、フィニッシュ。 pic.twitter.com/5sNmRcSSHa — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 家族の前でフィニッシュテープを掲げる。 pic.twitter.com/ClrDciFcBO — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 それから5分後、田中さんは戻ってこなかった。 どうやら、最終関門で捕まってしまったらしい。 こうして、俺史上に残る「金剛力士頂上決戦」は終わりを告げた。 無事に完走できた喜びと、ジョー田中と共に完走できなかった寂しさを味わいつつ。

  • Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第2話「レスラー vs スモウレスラー」

    第1話「金剛力士、ジョー田中」に戻る 全1,500人のトライアスリートの中、唯一ノーウェットで挑んだ金剛力士・ジョー田中。 彼の泳いだ軌跡は、そのまま爆笑の渦と成り果てた。 この美しい宮古島の海が、爆笑の渦に叩き落とされる。 pic.twitter.com/ughzDNzAn0 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 しかし、それでも彼は速かった。 何しろ彼は、元同志社大学水泳部主将。 パンケーキで太ろうが、ウェットが弾け飛ぼうが、俺とはそもそもの地力が違うのだ。 ノーウェットの金剛力士、圧倒的速さでスイムアップ。 pic.twitter.com/CpsYAf0KQp — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 俺がスイムアップした頃、金剛力士は愛機CEEPOにまたがり、はるか遠くに行ってしまっていた。 金剛力士を追うハマのダンディズム。 pic.twitter.com/ZGTW86vxbc — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 ところで、ジョー田中をよく知らない人のために説明しておきたい。ただの名物おもしろおじさんではないのだ。 彼は、毎年ハワイ島で行われる「アイアンマン世界選手権」のエイジ部門 (年代別) で、上位を何度となく勝ちとってきた強豪中の強豪。近い将来、彼はエイジチャンピオンになるであろう。 彼の脹脛を見て欲しい。齢60を超えた男のものとは思えない。なんというか、生き物としてのベースの強さが違うのだ。 金剛力士の脹脛。 pic.twitter.com/OCG5pQqril — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 そんなジョー田中だが、4月に行われる宮古島トライアスロンに限って、最大体重でのぞむのが恒例となっていた。その理由は、冬の間に存分に蓄えられるパンケーキローディングだ。 後年、ジョーはこう語っている。 「トライアスリートは太ってもいいんだよ (ええ声 」

  • Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第1話「金剛力士、ジョー田中」

    2017年4月23日(日) 宮古島トライアスロン2017、レース当日。 2014年に初参加して以来、毎年継続的に出場してきた宮古島トライアスロン。そこには必ず、巨大な存在感を示す漢がいた。 その漢の名は、田中 信行。英語名は、「Joe Tanaka (ジョー田中)」。 トライアスロンバイクブランド「CEEPO」の創業者にして、トライアスロン界の生きる伝説といっても過言ではない。 そのジョー田中と俺は肩を組んで、レース前の記念撮影を楽しんでいた。 2017年4月23日(日) 宮古島トライアスロン2017、レース直前。 pic.twitter.com/qAlMF4hr3y — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 しかし、どうしても気になることがある。 レース直前だというのに、田中さんはウェットスーツを着ようとしないのだ。 「なんでウェットスーツ着ないんですか?」 「太って入らなくなっちゃったんだよ (ええ声 」 ウェットスーツを何故か着ないジョー田中。 pic.twitter.com/WTQ6YP8n74 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 加山雄三または中尾彬のようなええ声で、堂々と語るジョー田中。 そのまま悠然とスイムスタート地点に向かう彼の姿を見て、俺の脳裏に一つの単語が降りてきた。 「金剛力士」 「金剛力士」誕生の瞬間。 pic.twitter.com/KMTHgZhjNg — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 宮古島トライアスロンに参加する1,500人の全トライアスリートの中で、唯一ノーウェットで沖に向かって爆進する金剛力士。 それが伝説の男、ジョー田中。 思えば、この時こそが、ジョー田中と俺の旅の始まりだったのかも知れない。 第2話に続く ※ すごく久しぶりの長編。お付き合いの程、よろしくお願いいたします。 にほんブログ村

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