伊集院静「琥珀の夢」が単行本になり、集英社から10月5日に発売されています。
昭和37年2月20日早朝、鳥井信治郎は永眠した。享年83だった。
昭和25年4月1日、寿屋の最高級ウイスキー「オールド」が発表された。
今日のゲストは進駐軍中部方面のトップと聞いていたが、その男は中部方面のトップだった。
将来の寿屋の宝であるウイスキーの仕込みを、1年でも途絶えさせることはできない。大麦の確保は寿屋の死活問題だった。
海軍への協力を惜しまなかった信治郎は、公定価格になっても「赤玉」やウイスキーの納入を増やしていた。
ビールは何としても寿屋の柱にしなければならないと思った信治郎は、逆風の中でビール工場の拡張を図った。
ついに「サントリー」ブランドの誕生です。
ロンドンのムーア博士から信治郎に、ウイスキー造りを学んだ竹鶴政孝に委せてはどうかという電報が入った。
「トリスウィスキー」という名前は「サントリー」の社名より先にできたという話。
信治郎は「赤玉」の新工場建設を決断した。資金はなかった。「一年、いや半年でこさえようやないか」信治郎は今が勝負時だと思っていた。
信治郎は「ほんまに、こら、わての子供なんですわ」と言って赤玉をクニに差し出した。
何かの力が、その人に発見なり、新しいものを見出させるのは、当人が寝ても覚めても、そのことと対峙し続けていたからだろう。
寿屋洋酒店の看板は今も数点残っている。それは今でも十分通用する素材とデザインだ。
信治郎は日本のお通りを歩き、洋酒を扱う店に入って行った。
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