chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
とみー
フォロー
住所
ネパール
出身
未設定
ブログ村参加

2016/06/18

arrow_drop_down
  • 4月25日、大阪でイベントやるよ!

    2017年4月25日でネパール大地震から2年。開発においてたくさんの課題を抱える中で起こった震災。復興が進まない中でも、笑顔を絶やさないネパールの人々。素朴でありのままの人間味を持つネパール人に親近感を抱き、「この人たちのために何かしたい」と思わせられる人がたくさんいる。 そんなネパールに惚れ込んだ仲間と一緒に、25日にイベントをやることに!! 情熱と行動力とエネルギーが半端じゃない人たち。ネパールの話に限らず、彼らに会って話してみることに、ものすごく価値があると思う。 本当に元気をもらえるし、自分も何かしたい!って思わされる。 ネパールのこと、震災復興のこと、いろんなことをたくさんの人に知っ…

  • ネパールが日本みたいになる日は来るのか。

    とうとう日本に帰ってきた。それからずっと考えてる。 「ネパールが日本みたいになる日は来るのか」 ネパールにいるときにも何度も考えた。 カトマンズが東京みたいになるかと聞かれたら、それはないかな、っていうよりもなって欲しくない。 人が大好きなネパール人にとって、東京は目指すべき場所ではないと思う。 今日は名古屋から東海北陸道を通って富山に来た。 岐阜石川富山。雪で真っ白になった山の景色が海岸沿いで180度見渡せて、ネパールのヒマラヤにも負けてないんじゃないかって結構感動した。 日本に山なんてないだろ、富士山はただの丘じゃないかって散々ネパール人に言われ続けてきたから、この山を皆に見せてあげたいな…

  • 23歳、自分と同い年の子持ち夫婦に会いに行って

    去年の10月、トレッキングに行った。 トレッキング中は、いろんな国からのトレッカーさんと知り合うだけでなくて、たくさんのネパール人のガイド・ポーターさんとも仲良くなれて、本当に楽しかった。 その中で知り合った一人のポーターの男の子。 自分の村はヒマラヤも見えるすごくいいところだから来い、来い、来い、来い、と10月からずっと言われ続け、やっと行ってきた。 知り合いの家はマクワンプールのPalungってところ。 地図で見るとこんなに近いのに、カトマンズからバスで4時間。 山に沿って山の斜面を削って道路が作られてるから直線距離は短くても、バスでの移動は無駄に時間がかかる。 そしてめっちゃ酔う。バスで…

  • 生徒の手に、支援がいくように

    途上国支援や被災地支援では、現地に行きたいと思ってもそう簡単に現地に足を運ぶことはできない。 だから多くの人が寄付金・義援金を送ったり、物資支援を行う。 ネパールに来てから、特にいろんな学校に行って思う、 寄付された物資が使われてない場合が多すぎる。 私の学校での話。 紙・ペン・クレヨン類→鍵のかかった倉庫の中の、鍵のかかった棚の中で眠ってる。紙とペンある?ってダメ元で聞いたら出てくる出てくるいっぱい出てくる。 本→基本的に鍵のかかってる図書室で眠ってる。でも何回か授業で使ってるのは見た。 ボール・ラケット類→これも鍵のかかった倉庫の中。 生徒は毎日古くなったボールで遊ぶ。使えるまでボールを使…

  • 公立学校か私立学校、どっちを支援する?

    途上国で公立学校ではなくて、私立学校を支援しています。 そんなことを聞いたら、みんなどう思う? 「なんで金持ちの生徒にわざわざ金を使うんだ。」そんな答えが返ってくるかな。 私もネパールに来る時に、ネパールのハイクラスの子ども達が行く私立学校と、農作業がメインとなる村での公立学校の差を見た。 施設の違いは一目瞭然、私立では授業は全て英語、全国統一試験の結果もかなりの差がある。 だから村の公立学校を支援しよう、という結論に全く異議はなかった。 でも実際にネパールに住んで活動してみると、私立学校にもピンからキリまであることが分かってくる。 トップクラスの私立学校の学費はこんな感じ。 ちなみにカトマン…

  • すべての始まり。

    ネパールに初めて来たのが、ちょうど1年前の今頃。 5日間の短い滞在。 ネパールってどこだっけ、から始まって、その2週間後に大学を休んでネパールに行った。 帰国時には「私絶対ネパールに帰ってきます!」って言って飛行機に乗った。 その3ヶ月後には同じ場所に戻ってきて、今、ここにいる。 1年前の今頃は凄まじい数週間を過ごしてたな。 ある人との出会いが、全てのきっかけ。 マジでパワフルで、誰にも止められない突破力を持っていて、それに加えて鋭い洞察力と行動力を持ち合わせてるから、目に見える成果を着実に出して教育を変えていってる人。 本当に半端じゃない。半端をとっくに通り越して、突っ走っちゃう人。 そんな…

  • 先生のイイネの一言に、7ヶ月かかった。

    ネパールで関わってるプロジェクト。 カトマンズの評判の良い先生の”ネパール版東進”的な映像授業を作って、それを教育の質が高くない村の学校に届けて、学校の授業と自己学習で活用するのをサポートしてる。 スマホやテレビが当たり前のカトマンズとは違って、村の方では映像を使った授業に生徒は純粋に興味が惹かれる。 私の村でもテレビがある家はあっても、勉強といえば先生と教科書から学ぶもの。 スマホを持っている数少ない生徒もfacebookかネパリーミュージックビデオを見るくらいで、ネットを使って調べものをしたり勉強アプリを使うだなんて発想は全くない。 そんな村の学校での映像授業。生徒の反応は良い。 でも先生…

  • 学校を変えられるのはやっぱり先生

    「子ども達のために何ができるか」 どうしても子どもを中心で考えちゃう。 自分が科目を教えてる先生ならそれで良い。 生徒のやる気、意欲、性格を考えてこれをやってみようって自分で挑戦できるから。 ただ部外者として学校で何かをやってもらうためには生徒のことだけ考えてると上手く行かないんだよね。 実際にその活動をやってもらうのは先生だから。 どれだけ生徒のやる気があって、生徒のためになったとしても、先生がやらなければおしまい。 カトマンズの公立・私立学校であればまだしも、村の学校の先生はほとんど意欲がない。 生徒の学力を上げる、とかは考えてなくて、むしろこの子たちに教えても勉強しないし理解できないから…

  • 国際協力について考えてみると

    ネパール残り2ヶ月半。 あっという間にここまで来ちゃった。 この7ヶ月半で成し遂げたことは本当に小さくて、最初自分が成し遂げようと思ってたものに比べたら本当にガックリする。 この7ヶ月半、何回も落ち込んだ。 何に挑戦しても全部上手くいかないから。 それでも学校の生徒や先生に、ちょっとした変化が見えてきた。 本当に小さな変化なんだけど、ものすごく嬉しい。 半年以上経って、それだけの変化?って渡航前の自分だったら言ってただろうな。 教育で変化を出すのって本当に大変。 分かってたけど、ほんっとうに大変。 だから50年、100年プランだとして、本当に小さな変化でも喜んで、コツコツと頑張っていかないとだ…

  • 光のお祭りティハール② Bhai Tika

    ティハールといえばBhai Tika。 Bhaiはネパール語で弟。 バイティカでは姉・妹が兄弟のおでこにティカをして彼らの幸せと長寿を願い、普段守ってくれることを感謝する。 女兄妹がいなければ、従姉妹にやってもらうのもオッケー。 年齢に関わらず、たくさんの人がティカをもらう・与えるために兄妹に会いに行く。 お家の5年生のイープ。 本当に自分の弟みたいな存在だからバイティカの存在を知った時は絶対カブレで過ごそうって決めてた。 ティハールは光のお祭りでカトマンズとかの都会で過ごした方が楽しいよってたくさんの人に言われたけど、自分を家族のように思ってくれる人がいるからっていうとみんな微笑んで行ってお…

  • 光のお祭りティハール①

    ダサインに続くフェスティバルTihar。 ティハールは5日間のお祭り。 ティハール Day1. カラスにプジャ Day2. 犬にプジャ Day3. 牛と女神ラクシミにプジャ Day4. 自分にプジャ(ネワール族) Day5. Bhai Tika 兄妹にティカ ティハールはいつも行ってるカブレの家族と一緒に過ごしたよ。 そこはタマン族で仏教。民族によって祝い方も異なる。 厳密に言うとティハールはヒンズー教の祝いだけど、たくさんの民族がネパールのお祭りとして祝う。 Day1. カラスにプジャ カラスはヒンズー教で悲しみを表すもの。 悲しみや死を避けるためにこの日はカラス用に家の外に食べ物を置く。 …

  • ネパール最大のお祭りダサイン② 動物の犠牲の日

    ダサインといえばご馳走!ご馳走といえば肉! 村の方では普段肉は食べず、特別な時にだけ飼ってるヤギや鶏を食べる。 ダサインの8日目は動物の犠牲の日であり、女神ドゥルガへのsacrificeとして動物の血を捧げる。ヤギと水牛が定番。 ダサインシーズンにはネパール中でたくさんのヤギや水牛が屠殺される。 最近はネパールに対するanimal rightsの抗議運動が増えていて、政府にこの文化を禁止するべきだって言ってるらしい。 今回は3匹のヤギと水牛の屠殺を見たよ。 ここから閲覧注意。写真・動画載せます。 ヤギを屠殺するにもしっかり儀式を行う。 まずきゅうりに棒を刺してヤギに見立てたものにプジャの儀式を…

  • ネパール最大のお祭りダサイン①

    ネパールで最も祝われるフェスティバルDashain。 ダサインは15日間、メインの日は10日目。 太陽歴によって日にちは変わるけど、毎年9月下旬から10月上旬になる。 ダサインは悪魔に対する神の勝利を祝う。 女神Durgaが10日間の戦いを経て悪魔Mahishasuraを倒した。 はじめ9日間はこの戦いを象徴し、ダサインのメインの日である10日目はドゥルガが勝利を挙げた日を祝う。 ダサインはネパールで一番大きなフェスティバルで多くの人が村の実家に帰り、親戚みんなでお祝いする。 フェスティバルは15日間で会社も学校も休みになってみんなが帰省する。 多くの人は10日目に親戚の年長者からティカをもら…

  • Gurung民族の結婚式③ 3日間の結婚式

    いよいよ結婚式!って言っても式は何日かに渡る。 新郎さんの実家は私が行ったラムジュン。 新婦さんの実家はインド側の平地が広がるチトワン。 グルン民族の結婚式 Day 1. 新郎さんと家族の男性陣は新婦さんの実家に行き、新婦さん側の披露宴に出席。 Day 2. 新婦さんを連れて新郎さんの実家へ戻る。 Day 3. 新郎さんの実家で結婚式。 今では車を使ってラムジュンからチトワンまで5時間ほどで行けるけど、昔はどれだけ遠くても全て徒歩でやってたんだよね。 Day 1 この日は4時から準備よ!って言われてたけど、結局みんな5時過ぎにごそごそし始めて、6時前に外からのラッパとhornの爆音で起こされる…

  • Gurung民族の結婚式② 準備

    式の3日前から食事や飾りの準備。 セルロッティ、米粉から作るネパールのドーナッツ。 村では何もかも村で取れる素材から料理をする。 米を原始的な足踏み機械を使って砕く。 Rice milling @Lamjung すごく体力がいる仕事。日本の餅つきと一緒で、リズムよくやらないと手が挟まれちゃう。 この体力仕事は本来は全て女性がやるもの。 今回はお父さんがやったけどお父さんでも汗だくの重労働。 おばあちゃんがザルを器用に使って砕かれた粉と砕かれていないものを分ける。 できた米粉に水、砂糖、マサラとかを加えて生地が出来上がる。 これを油の中に綺麗に流し込んで形を作る。 Making of sel r…

  • Gurung民族の結婚式①

    ずっと行ってみたかったネパールでの結婚式。 カトマンズ市内のバンケットホールはいつもサリーを着た女性がたくさんいて、音楽とチカチカの電気で賑わってる。 カトマンズでの結婚式の披露宴にちょっとだけ顔を出させてもらったことがあったけど、大盛りの食事とポップミュージックのパーティーで結婚式に来たことすら忘れちゃうくらいだった。 いつか村での伝統的な結婚式に行けたらな、なんて思ってたら知り合いの家族がLamjungの村で結婚式するからおいでってお誘いをもらった。 その家族の民族はGurung。 グルン民族はヒマラヤ南部に多く住む。 今回行った村はココ。 ラムジュンの一番大きい都市ベシサハールから徒歩2…

  • 海外に行けるのに行けないネパール人

    2015年までの10年間でネパールから海外に働きに行ったネパール人の数は人口の約14%。家族の一員が今海外にいるよっていう人も、海外で勉強して働くんだっていう人もたくさん会ってきた。 それと同時に海外に行くっていう夢が叶わなかった人たちにもたくさん会ってきた。 今日は知り合いで2人もビザが下りなかったって聞いて、すごくモヤモヤした気分。 お金がなくて海外行きを断念せざるをえない、またはビザが下りなかったっていうケースがたくさんあるのは分かるんだけど、お金もドキュメントもしっかり揃っててビザが下りないことが気に食わない。特にその海外行きをすごく楽しみにして、それを見越した将来を語ってた彼らの姿を…

  • 女性のお祭りTeej

    日曜日はTeejっていうフェスティバルだった。 ティージは女性のためのお祭り。 結婚してる女性が旦那さんの健康と長寿を願って1日断食する。 水も飲まない。 昔は唾も飲まなかったらしい。ほんまかいな。 今では独身女性でも将来良い旦那さんが得られるように断食する人もいる。 私は断食したかって? してないよ。 間食すらやめられない私にとって断食だなんて自殺行為。 それだったら良くない旦那さんでもいいよ!って強がってみたり。 Teejは1日だけど、最近では1週間や1ヶ月間祝うようになってきた。 特にTeej前2日間は踊って食べて踊って食べて食べて食べて食べる。 ティージ2日前のカトマンズ市内の学校のフ…

  • マレーシアへ出稼ぎに

    村でホームステイさせてもらってる家のお父さん。 6年間マレーシアに出稼ぎに行ってた。 マレーシアのチェーン店Sushi Kingで働いてた。 だから日本食の名前をたくさん知ってるし、照り焼きチキンを作ってくれた時は感動した。 そんなラルさんの話。 村で生まれ、まだ幼かった頃にお父さんが不倫して家を出て行った。 母子家庭でギリギリの自給自足生活を送っていた。 ラルさんは小3で学校を辞めて働き始めた。 海外からの観光客用のラフティング会社で仕事をした。 そのちょっと前に、近くの川で遊んでたらボートに乗ったwhite monkeyを見たって言う。初めて見る動物に向かって必死に石を投げた。 でもラフテ…

  • ネパールの出稼ぎ

    ちょっと前に“Living on One Dollar”っていうドキュメンタリーの話を書いたけど、 実際にネパールでは人口の半分以上は1日の収入が1ドル以下の生活を送ってる。 村では生活費もそんなにかからず自給自足でやりくりして十分に生活できる、という見方もあるけど、国際基準で言えば貧困ライン以下の生活であることには変わらない。 そんな現状の裏にあるのが出稼ぎ。 ネパール人の30%が海外からの送金を受け取っていると言われていて、 一家庭が年に受け取る額は世界でも5番目に大きい額。(平均8万440円) 出稼ぎ先は中東やマレーシアが多い。 毎日約1500人もの人が出稼ぎに国外へ出て行く。 それと同…

  • ネパール地震から変わったものはなんだろう。

    2015年4月25日に起こったネパール大地震。 あれから1年4ヶ月が経って、復興は進んでいるのだけれども、進むべきところまでは進んでない。 震源地であったシンドパルチョーク郡、カトマンズから約5時間。 学校には仮設が建っているものの教師の机や椅子を含んだ瓦礫の山が未だにあって、片付く気配もない。 カトマンズ市内でもまだ瓦礫はたくさん見られるが、やっぱり村の方ではほとんどの瓦礫がそのまま放置されている。 地震で崩壊した家はたくさんの国際機関などの援助があってトタンの仮設住居が建てられた。 ただ「仮設」って言ってもいつまで仮設なんだろう。 もはや仮設ではなくて、このまま住み続けるんじゃないかな。 …

  • 30年前のネパール

    今住んでるアパートの大家さん。 アパートの隣の一軒家に1人で住んでるおじいちゃんなのだけど、色々気にかけてくれるから、毎日顔を出しに行っておしゃべりする。 そんな大家さん、70歳くらいかな。 カトマンズで生まれ育ち、昔のカトマンズはどうだったかって話をしてくれた。 40年程前、私が住んでるBaluwatarエリアは誰も知らなかったらしい。 そもそも畑だけで、名前もなかった。 その頃のカトマンズは緑が溢れていて、言葉にできない美しさだったって。 みんな伝統的なネワール料理を食べてたし、今ではネパールの代表食の一つで私の大好きなモモなんてなかったし、外食しても一食5円くらいだった。 そんな時代に今…

  • ここなら住んで良いと思ったポカラ

    「ネパールで旅行するならどこがおすすめ?」ってネパール人に聞くと、 みんな口を揃えて答えるのが、ポカラ! ネパール人にとっても国内ホリデーとして人気スポット。 ネパールのど真ん中に位置する第二都市。 カトマンズからは車で6時間、飛行機で30分。 ポカラ、よかったな〜〜〜 この絶景よ!! ネットから取ってきた写真みたい〜 ポカラ自体は標高800mとか。そこから8000m級のヒマラヤ山脈が見える。 エベレストを登ろうだなんて冗談でも言えないけれど、 ポカラを出発地点とするアンナプルナのトレッキングはいろんなコースがあって2日から2週間のコースがあって初心者でもオッケー。 いつか絶対トレッキングしに…

  • ルンビニ③ルンビニ周辺のブッダゆかりの地巡り

    ルンビニには実はブッダが3人いた。 ん?どゆこと?ってなるよね。 今まで書いてきたのは一番有名なシャカムニ・ブッダの話。 彼の他にもカナカムニ・ブッダともう一人(名前忘れちゃった)がいて、どうやらこの二人はブッダの前世らしい。 旅中どれだけ混乱したことか。 ルンビニ2日目はひたすらブッダゆかりの地巡り。 ブッダが出家する29歳までを過ごした王宮跡。 レンガの遺跡がぐねぐねになってるのは初めて見た。 あのブッダがここで育ったんだよ。自分がそこに立ってるのが不思議な気持ちに。 すごい場所のはずなのに、あの管理のされてなさ。 触れるし、乗れるし、いろいろ持ち出せるし。 発掘されているのはまだ2世紀以…

  • ルンビニ②各国の寺院を訪れて

    観光中心地のルンビニ園は半日あれば十分まわれちゃう。 初リクシャーでまわる。 この日、40度越えでおじさんには申し訳ないと思いつつ、リクシャーは屋根付きで程よい風が吹いて快適だった。 ドイツ寺 中国寺。奈良の東大寺を思い出す。 日本三妙法寺 マーヤ聖堂。 19世紀に建てられた堂が発掘され、そこでブッダ生誕地を意味するマークストーンが発見され、遺跡を保護するために今の白い聖堂が建てられた。 手前の池が、王妃が出産後に産湯として使った池。 産湯は冷水の後に温水を使うとされているらしいのだけど、この池でブッダが産湯を使った時は冷水と温水が両方湧き出てきたと言われる。 顔面から汗が噴き出す暑さだったけ…

  • ルンビニ①ブッダの歴史をざっくり

    ブッダはネパールで生まれたって知ってました? 私はそのことをネパールに来てから知りました。 ブッダの生誕地として知られるルンビニは西ネパールのインド国境からすぐの場所。 ここでブッダの歴史をちょっと。 2500年程前、ヒマラヤ南麓に位置したシャカ国にて。 国王の元に生まれる子供がゴータマ・シッダールタ(後のブッダ)。 王家では第一子は宮殿の外で産まなければならないという決まりがあった。 王妃は外で産まなければならないのであれば、 自分の実家で産むことにした。 彼女の実家に帰るには徒歩での長旅だった。 途中道にあったルンビニの平和な土地で一休みをしたところに突然陣痛が起 き、アショーカの木の枝に…

  • チトワン④ジャングルで家族が襲われかけた

    ・ジャングルウォーク 大自然の中をたくさんの野生動物が放浪するチトワンのジャングル。 そのジャングルを自分の足で歩いて自然と触れ合う。 触れ合いがリアルすぎて、危うく襲われそうになった話。 一応公園の中は道があってそこを歩くるのだけど、ガイドさんがちょっとこっち行ってみよう、って道をそれて森の中に入っていった。 エレファントサファリの時みたいにたくさんのシカを見れるまでは良かった。 ちょっとすると「ギィヨオォーーーガオォーー」みたいなジュラシックパークの恐竜みたいな声が聞こえて、ガイドさんらの顔が真剣になって 「やばいぞ、走れ、あの木の後ろに隠れるんだ、いや、違う、あっちの木の方が大きい、あっ…

  • チトワン③エレファントサファリ、ゾウと水遊び

    2日目。 ・elephant safari 早朝5時台。 エレファントサファリ出発! いきなりサイに遭遇。 イノシシ シカにはたくさん会った。 野生の動物は夜行性だからどれだけの動物に遭遇できるかは運。 アフリカのジープのサファリは移動範囲が広いし、動物がいる情報を得てそこに向かうけど、このエレファントサファリはゾウに乗ってジャングルの野生動物の目線で巡るから動物に遭遇する確率はうんと低くなる。 でもゾウさんに乗せてもらっているのだから文句は言わないよ。 私たちが乗ってたゾウさん、すごく個性が強くて、 「やだ、そこドロドロだから行きたくないわ」 「やだ、私は川の水に入りたくないわ」 みたいな感…

  • チトワン②ゾウと水牛とタル族を知る

    チトワンに到着して1日目。 ・水牛のカートに乗ってタル族の村を訪問 背中にコブがあるのが水牛。 ヒンズー教が大半を占めるネパールでは牛は神聖な生き物だから食せないけど、水牛は死神の乗り物であって、農作業や運搬目的にも使われ、食べるのもオッケー。 この水牛たちに引かれてのどかな田んぼの中を移動。 ローカルピーポーに追い抜かされる。自分で歩いた方が早い。 でもあの静かな緑の中をのんびり水牛に引かれていくのはなんだか良かった。 20分くらいで村に到着。 民族衣装を着てるお姉さんがティカとハイビスカスでお出迎え。 お父さん、俺も花か、っていう表情。 ローカルピーポーが後ろで微笑む。 タル族の典型的な家…

  • チトワン①満足度NO.1の宿

    中央ネパールの南部にあるタライ平原にあるチトワン。 首都カトマンズからは車で6時間。 雨季なのもあって、数え切れない土砂崩れがあった。 南部に行くためのメインの道路のはずなのに道はかなりひどい。 ガタゴトすぎて寝るのも大変。めっちゃ酔った。 ネパールっていうとエベレストみたいな高い山を想像するけどインド国境のタライは平野が広がっていて水田、畑作物が行われてる。 富山を思い出させられるような風景。 チトワンといえば世界遺産にも登録されてるチトワン国立公園。 ネパールはエベレストだけじゃないのよ。 サファリもできるのよ。しかもゾウさんに乗って。 今回チトワンで泊まったのがSafari Naraya…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、とみーさんをフォローしませんか?

ハンドル名
とみーさん
ブログタイトル
going my way in Nepal
フォロー
going my way in Nepal

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用