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toshin-SHINANO,s blogさんのプロフィール

住所
佐久市
出身
佐久市

自由文未設定

ブログタイトル
toshin-SHINANO,s blog
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/toshin-shinano
ブログ紹介文
日常を離れた空間に身を置くときに、そこに美しく輝くあなたがいた。
更新頻度(1年)

33回 / 360日(平均0.6回/週)

ブログ村参加:2016/06/05

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toshin-SHINANO,s blogさんの新着記事

1件〜30件

  • 浅間隠山の秋を歩く

    浅間隠山の山歩き10/20(日)晴れ秋の気配が深まる浅間山に隠れるような名前を持つ「浅間隠山」。爽やかな晴れ空の下、山歩きを楽しんで参りました。360°のパノラマ、浅間連山、八ヶ岳連峰、榛名山、赤城山、皇海山、武尊山、谷川岳、尾瀬の山々などがくっきりと望めます。09:15二度上峠下の登山口10:08休憩~10:1210:35休憩~10:4110:55山頂到着11:58お昼時間はたっぷり1時間。12:48休憩~12:5213:21登山口<10,226歩>ここが登山口。台風の影響で、道が川と化ししばらくは、水が流れ石ころだらけ。こんな感じかなと思ったら、途中からはしっかりと道を歩けます。しっかりと道案内があります。山頂から伊香保~利根の方面。榛名山、子持山、赤城山など。浅間山。下に二つのゴルフ場と牧場の緑が生えます...浅間隠山の秋を歩く

  • 五郎兵衛用水を歩く会から

    7/28(日)晴れ<コース>午前:浅科小学校→長念寺→築堰→上原地区→上原大盤台→墓所→五郎兵衛記念館=(バス利用)=大池→矢島地区(穴尻)→大土手→宝泉寺→八島城跡→布施川掛樋→片倉堀貫→鹿曲川取水口→五郎兵衛記念館午後:五郎兵衛記念館→大河原峠→蓼科山用水源泉・五斗水→浅科小学校矢嶋原と呼ばれる一部を除き、水の便が良くない原野を水田にするために山奥の源水から、トンネル(堀貫)、掛樋、築堰やサイホンなどあらゆる技術を用い水を引いた。江戸初期の開削時は全長約20kmの用水であった。昨年(2018年)には、世界灌漑遺産として登録された。その要件は①100年以上の歴史があること。②新技術が用いられていること。③地域に後援していること。・・・であるという。浅科小学校を出発し、長念寺脇の築堰へ。フェンスの先の高い部分が...五郎兵衛用水を歩く会から

  • 鳥海山はチョイきつい

    8月26日(月)晴れ時々曇り<ルート>休憩、食事を含め約10時間05:45湯ノ台口―滝の小屋(通過)ー06:34中間休ー07:12河原宿07:28ー08:06中間休ー08:50頃・中間休ー09:36伏拝岳09:41ー10:16七高山(しこうさん)10:23ー10:28外輪山~小屋への下り坂(危)ー11:02新山頂上11:08ー登り返して11:32外輪山12:01ー12:32伏拝岳ー13:04中間休ー14:13河原宿14:35ー滝の小屋(休)ー15:48湯ノ台口<Top写真>最後の岩場鳥海山のこのコースは、予想よりも坂がきつく厳しかった。また、外輪山頂上から一旦、降りてから登りかえる箇所では、落石に注意をしなければならない。気が抜けません。登山ルート。ここが一番厳しいルートといわれている。(鳥海山荘の方の話)八丁...鳥海山はチョイきつい

  • 岩村田宿3.5時間ロングコース

    7/15(祝・月)晴れコース:岩村田駅→西念寺→旧大井法華堂→陣屋址→龍雲寺→善光寺道分去れ→住吉神社→西念寺→大井城址→笹沢家→伊勢屋敷跡→藤が丘城址・鵲神社・招魂社→城址1/4周(移設井戸)→(常木用水)→ヒカリゴケ→甲州道分去れ→曲口社→若宮八幡神社→相生の松→佐久平駅(説明は、写真を掲載したものを中心にごく一部のみです。)<Top写真>鵲(かささぎ)神社鵲神社は、内藤家の氏神として、近隣住民から親しまれている。詳細ないわれは分かりませんが、縁結びの神として、天の川伝説の織姫と彦星が7月7日に会うことができないときに、多くの鵲が飛んできて、天の川を架けたという伝説があります。この神社のある場所は、藤ヶ城跡の道路を隔てた高台に鎮座しております。岩村田について標高約700m。北に浅間連峰~南に蓼科山八ヶ岳連峰...岩村田宿3.5時間ロングコース

  • 八幡宿案内

    2019/07/29(月)晴れ酷暑ともいえる天候です。<コース>穂ノ香ホール(交流文化館)→根ぎわ道(富岡街道)→八幡宿→小松家→本陣(門)→八幡神社→御井大神→五郎兵衛用水(築堰)→長念寺→穂ノ香ホール<八幡宿の概要>*宿場開設:宿場北方の蓬田(よもぎだ)村27軒、桑山村16件、宿場南方の八幡村20件の合計63軒の、人々が集められ1602年(慶長7)宿開設となった。三か村が集まり新しくできた宿場のため、当初は新(あら)町宿と呼ばれていたが、上野国(こうずけのくに)の新(しん)町宿があり紛らわしくなり、八幡宿と改称された。*集合した三か村は、それぞれに固まった場所に住居せず、入り組んで住んだため、村が複雑に入り組んでいる。問屋は本陣と三か村の名主の内の一軒が半月交代で務めた。これは、現在も続き、お隣同士で郵便番...八幡宿案内

  • 浅間山(前掛山)2524m

    2019/07/21(日)曇り時々晴れ今まで、警戒レベル2だった浅間山(前掛山)への登山ができるようになり、久しぶりに歩いてみました。6:40頃、天狗温泉浅間山荘駐車場到着、すでに上の駐車場は満杯。下の駐車場に車を留めました。お天気は爽やかで、快適に歩けましたが、久しぶりだったせいか、結構きつかったです。<コースと到着時刻>07:08天狗温泉浅間山荘出発07:48一の鳥居08:02不動の滝08:52中間休憩(浅間山石碑付近)09:13火山館着09:44発10:54中間休憩11:14シェルター前の分岐ザックを下して頂上へ11:48浅間山(前掛山)山頂↓12:48昼食後(シェルター付近)出発13:27中間休憩14:02火山館着14:10発14:51二の鳥居15:14一の鳥居15:40天狗温泉浅間山荘出発<概略Map...浅間山(前掛山)2524m

  • 五郎兵衛用水・八幡宿・塩名田宿研修会リハーサル

    6月1日(土)五郎兵衛用水・八幡宿3時間コース穂ノ香ホール→八幡宿本陣→八幡神社→下原寄池→水道紀功碑→下原盤台→つき堰→穂ノ香ホール7月6日(土)塩名田宿2時間コース浅科保健センター→本陣→海老屋→班稲荷神社→正縁寺→(下の道)→滝の水→河原宿→千曲川(船つなぎ石・板橋の跡など)→中津橋→不動尊堂・滝明神址→中津学校跡→浅科保健センター五郎兵衛用水・八幡宿・塩名田宿研修会リハーサル

  • 村上海賊の成り立ちと魅力

    瀬戸内の村上氏は、清和源氏頼信と伝えられている。村上の名は、940(天慶3)年から翌年にかけて、藤原純友の乱に伊予越智河野氏のもとで従軍したとされる。(ストックレスアンカー=コンテナ船の重りのことでしょうか?水軍城の入り口に置かれていました。)そして、源頼義が、1051(永承6)年、前九年の役の年に伊予守として赴任してきたとき、甥の村上仲宗に命じて寺社の造営したとされる。その後、南北朝時代に活躍した村上義弘は「海賊方の棟梁にして河野十八家大将の随一」といわれ、河野氏の海の軍師ともいえる。(因島水軍城展示物:撮影可のもの)世に知られる三島村上氏の祖とされる師清は、もともと信濃村上氏から伊予村上氏を継承した人物である。村上義弘が子がなかったため、信濃から師清が伊予にきた。師清は、長男義顕を能島村上氏に、二男顕忠を来...村上海賊の成り立ちと魅力

  • 五郎兵衛用水の現地学習会

    7月11日(木)曇り五郎兵衛用水の学習会をいたしました。厚く雲が垂れ込める梅雨空でしたが、雨は何とか持ちこたえ、佐久歴史の道案内人の会の坂田先生のご案内をいただき、楽しみながら散策ができました。(大池:ため池でここの水で、約100haの水田に配水されます。)(上原大盤台の脇にある案内板)<散策ルート>真親神社→関所破りの桜→五郎兵衛墓所→大池→上原大盤台→五郎兵衛記念館(荻原井泉水石碑から、浅間山を望む。)井泉水碑「右に左に田へ行く水の音たてて行く」(真親神社脇の招請された神社群)左から・・・水神社、山ノ神社、雨ノ宮社古宮、稲荷社古宮、金毘羅大権現、諏訪神社古宮、山ノ神社、社口社、愛宕山大権現、天神社この場所には、諏訪神社と並び真親神社(市川五郎兵衛が祭神)があります。まさにそこにある現物をみながら、その場所、...五郎兵衛用水の現地学習会

  • 小田井城址の解説

    小田井城小田井宿の深い谷を挟んだ東側に小田井城跡があります。今は、高原野菜の畑となっていますが、広さはおよそ20ヘクタール。空堀の跡が所々に残っています。入り口はWの形をした堀で、三方は、田切と呼ばれるU字溝のような深い谷で囲まれており、堅固なお城でした。武田信玄の再三の降伏勧告に応じなかった城主小田井又六郎でしたが、1543(天文12)年暮れ信玄と正月休戦に合意し、年越しの準備をし、緊張から解放され美酒に酔ったところを武田軍に急襲され落城となり城主は討死。女性とこどもは、抜け穴を通って十二の杜へ逃げたそうです。武田信玄によって落とされた小田井城ですが、築城からわずか23年しか経っていませんでした。女性子供が逃げた抜け穴は「くぐり岩」と言って、その痕跡が、深い谷の壁に今も残されています。小田井原の戦いは、それか...小田井城址の解説

  • 追分宿散策

    6/13(木)晴れ追分宿郷土館→追分宿→分去れ周辺(昼食)―<戻り)―油屋(休憩)→堀辰雄文学記念館→駐車場浅間根腰三宿(軽井沢・沓掛・追分)のひとつ。江戸から20番目の宿場で、北國街道と中山道の分岐点で交通の要衝でした。江戸時代に入り、貞享[じょうきょう]年間(1684~1688)の記録には、旅籠71軒、茶屋18軒、商店28軒、他5軒と参勤交代や善光寺参りなどの旅人で大いに賑わいました。(本陣1軒、脇本陣2軒)「おいわけ」が記された古い資料は、諏訪神社の神庫[ほくら]収納された「大般若経(全600巻)」の奥書に、「佐久郡長倉逐分[おいわけ]大明神御宝収蜜嘉応元年(1169)巳丑正月奉斎藤家臣」と記されています。このことから、「おいわけ」古くから栄えていたのではないかと思われます。浅間神社前明治になり、参勤交代...追分宿散策

  • 青田南葉山

    5月25(土)晴れ木落し坂コースを登ります。南葉高原キャンプ場→水場引き返し今回は残念ながら途中で断念。頂上には雪が残っているようです。水場から見える田園風景登山口の案内看板登山口の南葉高原キャンプ場一旦、下りた後に、明神沢コースを途中まで登ってみました。直江津そして日本海が望める中腹地点です。木落し坂コースでは、咲き終わっていたカタクリがまだ、咲いていました。こちらのコースは日陰の時間が長いためでしょうか?<以下、頂上まで行った人の写真です。>エンレイソウも見事です。モリアオガエルの卵が見えるらしい?タムシバ妙高山・火打山の方向でしょうか?わー最高。青田南葉山

  • 富士見城址=小諸一望

    2019/5/4(土)晴れ富士見城址(小諸の西部の飯綱山)富士見城の築城は、1500年代前半ごろだといわれています。大井氏が滋野氏へのけん制、対抗のために設けられたとする説と、武田信玄が天文年間(1532年~1554年)に佐久地方へ進出した際に拠点である鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として整備したという説もあります。いずれも、なるほど思います。その後は北条、上杉、徳川氏に割って入った真田氏にとっても重要拠点だったということは、納得のいくところです。武田氏滅亡後、徳川氏・上杉氏・北条氏に加え、真田氏が信州の支配権を争った「天正壬午の乱」の際には徳川家康の家臣である柴田康忠が一時居城としました。更に下って、仙石秀久が小諸城主となってからも小諸城の支城として存続しました。そして、家康が1615(慶長20)年の一国一城の...富士見城址=小諸一望

  • 平尾富士のゆっくり歩き

    2019/05/03晴れ久しぶりに山歩きのトレーニングをしました。疲れましたが気持ちのいい体験でした。ルートは、登りが、北回りのアカマツの小道→郷愁の小道で頂上に、下りに忍耐の小道を使いました。頂上より、浅間山を望む。佐久平の西方を望む。高速道も順調な流れのようです。更に西側に目を向けると、頂上の下方は、ずいぶん木が切られてきれいなっています。さて、帰りは急坂の忍耐の小道でしたが、下りが厳しいですね。やはり、こちらは登りに使いたいですね。平尾富士のゆっくり歩き

  • 佐久の五稜郭・龍岡城と周辺史跡

    2019/4/17(水)晴れ時々曇り日本に2つの星型の城、一つは函館、もう一つがここです。築城は、田野口藩藩主松平乗謨(のりたか)により、1864(元治元)年に田野口藩新陣屋として着工し1867(慶応3)年に竣工。松平乗謨は、後の大給恒(おぎゅうゆずる)と名乗り、日本赤十字社の設立に貢献した。田口城五稜郭は、フランスのボーヴァン将軍が考案した城を参考にしたものとされるといわれる。総面積2万175坪、内城5,640坪。中には現在も使われている田口小学校校舎が在ります。北側の半分はお堀が巡らされている。西側から、亀甲積みの石垣を見上げる。敷地内にあるこの建物は、「お台所」と呼ばれ、資料館的な役目で、貴重な道具類や資料が保存されている。かつては学校として使用されていた。そして、次に向かったのは近くの「蕃松院」↓依田信...佐久の五稜郭・龍岡城と周辺史跡

  • 中山道裏街道「女街道」現地学習

    Top写真<発地の石仏群>実施日2018/12/6(木)曇り参加者11名軽井沢町追分宿から東側の「借宿」にある女街道入口の案内看板には、・・・江戸時代には「入り鉄砲」「出女」といって当時恐れられていた武器鉄砲の動きや江戸屋敷に住ませていた諸大名の奥方は人質的意義をもっていたので女人の出入り厳重に取り締まった。したがって女人は関所をさけて裏街道を通るようになった。これを女街道、または姫街道ともいう。この街道はこれより本街道と分かれ油井釜ヶ淵橋を渡り風越山、荒漠たる地蔵ヶ原をよこぎり和美峠または入山峠を往来したものである。「関所を避けて女人が多く往来せし女街道といふは寂しも」軽井沢町教育委員会軽井沢町文化財審議委員会・・・と掲載されている。<ルート>借宿散策→女街道分去→<しなの鉄道と道路で分断>→(中軽井沢カント...中山道裏街道「女街道」現地学習

  • 「佐久・中山道歴史セミナー」 開催される。

    2019/1~2月4回連続講座「佐久・中山道歴史セミナー」が終了いたしました。<開催概要>→開催日:①1/24(木)、②1/31(木)、③2/14(木)、④2/28(木)→開催時刻:毎回10:00~12:00受付9:30より→参加費:1,000円(フルカラー172Pのテキスト「中山道佐久の道」代を含む。)4回すべて受講されても、1回でも同一料金です。→場所:佐久市創練センター/浅間会館→講師・担当講座①市川一夫先生(本会教育指導担当、会員)基礎講座:江戸時代、中山道②佐々木久雄先生※(佐久市文化財保護審議会会長)宿場講座:小田井宿、岩村田宿③斉藤洋一先生※(小諸市古文書調査室室長)宿場講座:塩名田宿、八幡宿④坂田孝三先生※(本会教育指導担当、会員)宿場講座:望月宿、茂田井間の宿※テキスト「中山道佐久の道」の執筆...「佐久・中山道歴史セミナー」開催される。

  • 3/9(土)パラダ周辺の道路情報

    天気予報6:50現在、晴れ-5℃。⇒天気予報周辺道路状況すべての道路とも乾燥状態です。③の付近は工事中です。拡大地図はこちら⇒高速道路情報⇒楜沢レンタルスキー⇒3/9(土)パラダ周辺の道路情報

  • パラダ付近にもすっかり春が???

    暖かい日が続いております。どうやら、パラダの近くの畑の梅も本咲きになったきました。(撮影:2/25)青空に梅が美しく映えます。それにしても、この時期にしては、早いですよね。パラダ付近にもすっかり春が???

  • 2/24(日)パラダの様子

    何も書きません。写真でご判断ください。2/24(日)パラダの様子

  • 楜沢レンタルスキーの忘れ物

    ここのところ、忘れ物が増加しております。大事な愛用品、スキー関連の道具類、衣類や貴重品もあります。心当たりのある方は、お問い合わせください。その際には、忘れ物の特徴やご住所、連絡先やお名前をお伺いいたします。現品のお渡しは、申し訳ありませんが、直接、受け取りに来られるか、着払いの発送にさせていただきます。楜沢レンタルスキー楜沢レンタルスキーの忘れ物

  • 2/15(金)の天気予報と周辺道路情報

    天気予報6:50現在、晴れ-8℃、無風。⇒天気予報周辺道路状況ほとんどの道路は、乾燥しています。ただし、佐久平ETC-ICからの南北パラダ連結道路の①~②は道路端が凍結し湿った箇所があります。注意してください。そのほかの道路の路面は、乾燥状態です。③の付近は工事中です。拡大地図はこちら⇒高速道路情報⇒楜沢レンタルスキー⇒2/15(金)の天気予報と周辺道路情報

  • 2/15(金)まで、お休みします。

    天気予報⇒天気予報周辺道路状況<2/1219時ごろ>南北パラダ連結道路では、日影の①~②はところどころ湿っています。早朝の時間帯は凍結する可能性がありますので注意してください。拡大地図はこちら⇒高速道路情報⇒楜沢レンタルスキー⇒2/15(金)まで、お休みします。

  • 2/13(水)、2/14(木)は定休日です。

    2/13(水)、2/14(木)楜沢レンタルスキーはお休みです。休日カレンダー⇒2/13(水)、2/14(木)は定休日です。

  • 佐久の虚空蔵山トレッキング

    2018/12/18(火)晴れ、ヘルシーテラス出発13:00→15:15到着<トップ映像>虚空蔵山山頂からの佐久平風景山頂は佐久平全体を一望できる佐久市南西部の絶好の展望台です。麓の多福寺から頂上にかけ、お遍路さんで知られる四国八十八か所を模した小規模な写し霊場「虚空蔵山新四国八十八か所」として、歩道に石仏などの石造物が88体置かれており、この山を登ることで、四国八十八の霊場巡りの代わりとしたようです。88体の内訳は、石像67体、石碑21基(内、梵字碑1基)です。そして、武田信玄が佐久攻めの際に、家臣が虚空蔵山の前を通ると度々、落馬するため、山頂に祀られていた虚空蔵菩薩像を麓の多福寺に移し、山頂はのろし台にしたという伝説が伝えられています。<全体イメージ図>コース:佐久市の道の駅「ヘルシーテラス佐久南」~多福寺...佐久の虚空蔵山トレッキング

  • 佐久甲州道・海ノ口宿~平沢宿Ⅱ

    佐久、甲斐から駿河につながる佐久甲州街道、海ノ口宿~平沢宿を歩く(その2)野辺山~平沢宿へ2018/10/11曇り道、道標、石造物(道祖神、庚申塚、馬頭尊など)、旧家、大木、神社仏閣などの目印を手掛かりに、街道をたどりました。<TOP映像>平沢峠Map(野辺山~平沢宿)三軒屋跡1832(天保3)年、板橋から2軒、平沢から1軒移住。井戸跡が3つ残る。これらのお助け小屋は二人扶持であったという。冬は寒く、凍死する旅人多し・・・(千曲の真砂まさご)また、雨が降ると、脛くらい埋まる湿地だった。真冬の旅人は、寒さと強風に耐えここまでたどり着き、暖をとり、ほっと一息入れたのでしょうか?平沢峠(戦国時代は大門峠)平沢宿名主旅籠の島崎徳次郎が勧進、息子が受け継いで完成した。案内板の横から等高線沿いに古道跡を確認できる。下に見え...佐久甲州道・海ノ口宿~平沢宿Ⅱ

  • 佐久甲州道・海の口宿~平沢宿Ⅰ

    佐久、甲斐から駿河につながる佐久甲州街道、海ノ口宿~平沢宿を歩く(その1)海ノ口宿から板橋へ2018/10/11曇り道、道標、石造物(道祖神、庚申塚、馬頭尊など)、旧家、大木、神社仏閣などの目印を手掛かりに、街道をたどりました。<TOP映像>馬の水飲み石鉢Map1湊神社~板橋湊神社信玄の宿営地とされる場所。1500年代後半まで海ノ口村があった。その後、度重なる洪水で2回移転し、南側の山すそに宿場は移った。海ノ口宿問屋・津金家見学。武田信虎の印判、馬の水飲み石鉢などが受け継がれている。養蚕が行われていた家。街道沿いには、往時の面影を残す旧家が存在する。高見沢家では屋号看板や電話番号の表札、村辻の家には杉玉が下がり、商売のあとがうかがえる。道は左に川上に行く「広瀬道」街道は直進し、高度を上げてゆく。役場跡この付近は...佐久甲州道・海の口宿~平沢宿Ⅰ

  • 三河(愛知県)の少しマニアックな場所

    三河(愛知県)の聞く程度は知っているようなところです。三ヶ根スカイライン西尾市幡豆町~蒲郡市形原温泉間5.1k有料道路。標高320mほどの高台頂上部からは三河湾そして蒲郡市の街が輝いて見えます。三河湾には、知多半島方面に「佐久島」、フグとタコで知られた「日間賀島」も浮かびます。竹島ホテルの部屋より国の天然記念物に指定。島までは橋でつながっています。大樹寺徳川将軍家の岡崎の菩提寺なんですが、それほど大きなお寺ではありません。山門からは、約3㎞先の岡崎城が一直線に望め「ビスタライン」と呼ばれ、この間には約370年にわたり、高い建物がない歴史的眺望とされます。山門の前まで出て撮影したのが上の写真なんですが、岡崎城は分からないですね。なお、そこに見えるのは小学校の門です。この多宝塔は、国の重要文化財。一階は方形、二階は...三河(愛知県)の少しマニアックな場所

  • 初期中山道・小野宿(長野県辰野町)

    2018/11/18(日)晴れもう一度行ってみたい宿場「初期中山道小野宿」中山道には、塩尻宿を通らない初期中山道がありました。この街道は江戸側は下諏訪宿から小野峠(三沢峠)を越えて宿場に入る。京側へは、牛首峠越えて桜沢(本山宿と贄川宿の中間地点)で、中山道に合流する。峠を2か所通過するが、距離が近いので近道として利用されていた。<TOP写真>旧小野家旧小野宿は本陣や脇本陣はなく、小野家が問屋役を務めた。小野宿Map辻の地蔵現在の集落の道辻にドカンと真ん中にあります。街道からは少し奥まった場所にあります。長野県宝、旧小野家。高札場とこれより雨沢町(旧雨沢村)境の道標があります。高札場横の住宅旧小野郵便局明治7年1月に業務が始まった。今回はここまで、初期中山道・小野宿(長野県辰野町)

  • 佐久の山城:平賀氏城跡

    11/29(木)晴れ長野県史跡「平賀氏城跡」佐久市平賀の大林寺付近から平賀城跡のある山往復で、1時間程度の道のりです。実際は、説明を聞きながら約2時間の山歩きです。枯葉が敷きつめられた山道を行く。このあたりが、三ノ郭まもなく、本城(山頂)です。<蛇足説明>平賀氏が代々引き継いだ山城。築城時期は不詳であるが、平安末期に源義清の弟、盛義が平賀氏を称し、その子、義信が築いたと伝えられる。その後、1400年半ば、小笠原氏、大井氏らと争い平賀氏の本流は滅亡したとされる。話は、1536年武田信玄(晴信)初陣で打ち取ったとされる海ノ口城城主、平賀源心は居城が平賀城であるとされているが、平賀源心自体が実存したかは疑わしいという説もあり詳しいことは分からない。なお、城の構造としては、城跡から本城、城平、搦め手曲輪(かめてくるわ)...佐久の山城:平賀氏城跡

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