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2016/06/03

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  • 上野歴史散歩⑤ 天海僧正は上野に「東の京都」を造り上げた。

    天海僧正毛髪塔というものがある。僧正の毛髪を収めたことに由来するもので、細長い棒のようななものがニョキッと立っている。ここになぜお坊さんの塔が建っているのか、それは上野の山の歴史と大きなかかわりを持っているためだ。天海僧正の話をしなければ、上野のストーリーは始まらないのだ。天海僧正は比叡山延暦寺出身、天台宗の僧侶。徳川家康に召し抱えられ、三代将軍家光の代まで徳川家に仕えた。その中で1625年、二代将軍秀忠から上野の地を与えられ寺院を建てることになって、彼は壮大な計画を構想した。「この上野の地を“東の京都”に造り替えよう!」北斎作「東叡山中堂之図」まず新たな寺の名前を「東叡山寛永寺」とする。この根底には「比叡山延暦寺」がある。西の比叡山に匹敵する寺院を東の都に造るということで東叡山とし、延暦寺が「延暦」とい...上野歴史散歩⑤天海僧正は上野に「東の京都」を造り上げた。

  • 上野歴史散歩④ 上野戦争による彰義隊の敗北によって、上野から徳川幕府の記憶が次々と消されていった

    西郷隆盛像の後方に、彰義隊の墓がある。上野の山は1868年の官軍と幕府軍とによる上野戦争の戦場となった場所だ。それまではこの一帯が寛永寺の広大な敷地となっていたが、その多くが戦火によって焼け落ちてしまった。もともと彰義隊は15代将軍徳川慶喜の警護や江戸の治安維持を図るための組織だったが、慶喜が大政奉還を行って水戸に引きこもった後も、彰義隊は江戸に残って新政府軍と敵対していた。このため、大村益次郎率いる政府軍は1868年7月4日朝、上野に籠った彰義隊への攻撃を開始、新兵器のアームストロング砲を打ち込んで、勝負は同日夕には決着した。戦死した彰義隊266人の戦死体は長い間遺棄されていた。1874年になってようやく遺体が荼毘に付され、この墓所が設置された。今はのどかな公園になっている上野の地も、明治初期は全く想像...上野歴史散歩④上野戦争による彰義隊の敗北によって、上野から徳川幕府の記憶が次々と消されていった

  • 上野歴史散歩③ 完成した西郷像を見て糸子夫人はつぶやいた「うちの人はこげん人じゃなか」

    西郷隆盛は、幕末に江戸城の無血開城を実現、明治維新へと導いた立役者だ。その西郷さんの像が上野公園に建てられたのは1898年だった。製作者は高村光雲。「智恵子抄」で有名な詩人の高村光太郎の父だ。その姿はなぜか筒袖、わらじ履きという庶民的な姿だ。維新の立役者がどうして?彼は明治政府のスタート後、西南戦争を起こして新政府に反旗を翻した人間でもあった。従って当初想定された軍服姿だと政府からクレームが入ることも考えられたことから、こんな軽装に変更されたという。ただ、それがかえって庶民には歓迎され、あのいかつい顔なのに親しみを感じる像として、人気となった。その像は、故郷鹿児島の色彩が色濃く見える。左腰をよく見ると、ウサギ狩りの罠を身につけている。彼がよく行った趣味の1つだった。そして脇に従うのはウサギ狩りで同行する薩...上野歴史散歩③完成した西郷像を見て糸子夫人はつぶやいた「うちの人はこげん人じゃなか」

  • 上野歴史散歩② 上野公園に入る。かつての黒門は今、モダンな滝に変身していた。

    上野公園へは京成上野駅側から入ろう。京成上野駅出口横に鳥の像を伴った碑が立っているのを見つけた。よく見るとこれは「川柳発祥の地」という記念碑だった川柳は17音で表現する句の一種。1765年に「誹風柳多留」という川柳の雑誌が、この付近にあった「柳多留」の版元から発刊され、その後全国に広まったのだという。像の金色の鳥は何だろうと思ったら、そばに添えてあった句で判明した。「羽のあるいいわけほどはあひる飛ぶ」この句は「柳多留」の編者呉陵軒可有の作だという。階段を上って公園内に入るとすぐ、太田蜀山人(南畝)の狂歌が刻まれた碑を見つけた。狂歌は31文字の作品で、和歌から派生したもの。碑の一首は「一めんの花は基盤の上野山黒門前にかかるしら雲」上野の山は江戸時代から桜の名所だったことがうかがわれる。碑は年月が経って字が読...上野歴史散歩②上野公園に入る。かつての黒門は今、モダンな滝に変身していた。

  • 上野歴史散歩① 北の若者たちの期待と不安。そんな心情あふれる上野駅から連載スタート。

    昭和生まれ、東北出身の人間にとって、東京とは「上野から始まる大都会」というのが第一印象だった。なぜなら、初めて上京した時も、東京に住み始めた時も、いずれも夜行列車に乗って到着した東京の駅は上野駅だった。眠い目をこすりながら列車を降り、駅構内の売店でサンドイッチとジュースを買って上野公園に入り、西郷像の下でベンチに腰掛けて朝食を食べた時の、期待と不安の入り混じった心を今でも思い出すことが出来る。そんな個人的な思い出も含めて「上野公園を歩く」というこのシリーズは、まず上野駅からスタートすることにした。上野駅は日本初の私鉄・日本鉄道(現JR)が開業した1883年に、仮駅舎としてスタートした。路線は上野=熊谷間。現在の駅舎は関東大震災で焼失したのち1932年に二代目として完成したもの。ホームに到着後、改札口に向か...上野歴史散歩①北の若者たちの期待と不安。そんな心情あふれる上野駅から連載スタート。

  • 階段紀行・イタリア マテーラ 千年も前の洞窟教会につながる石の階段

    南イタリアの洞窟住居(サッシ)の町マテーラを訪ねた。1993年に世界遺産に登録されたこの町では、他のイタリアの都市とは全く違った光景が展開する。かつてはあまりにも不衛生な貧民窟として住民の退避を命じられ、廃屋同様の地域となった町。しかし今ではその特異な景観を守り伝えようと、新たな観光都市となって蘇ってきている。サッソ地区にあるS・Ⅿ・マドンナ・デイ・イドリス教会を目指した。11世紀に造られたという、千年も前の洞窟教会だ。まずは新市街地から旧市街への通路を行き過ぎる。サッソ・カヴェオーゾ地区の高台を望むと、巨大な険しい岸壁の上に、まるで突き刺したかのように細い十字架が立っているのが分かった。あれがイドリス教会だ。がれきだらけのような姿が目の前に広がる。果たしてどうたどればあの十字架にたどり着けるのか。迷いな...階段紀行・イタリアマテーラ千年も前の洞窟教会につながる石の階段

  • 階段紀行・イタリア オストゥーニ ここも階段だらけの白い街。でも日が暮れるとオレンジの夜景が浮かび上がった

    オストゥーニもまた南イタリアの「白い街」の1つだ。丘の中央にドゥオモがあり、周囲に住宅が広がる。ただ、高低差が大きいためどこに行くにも階段の世話にならなければならない。この階段などは、どこまでも登ってゆくような錯覚を覚えるほど厳しい表情を持った階段だ。岩をくりぬいた場所もあるので、トンネルと階段がセットになった所も何か所か見かけた。一方、不愛想さをカバーしようと、階段途中に花の鉢を置いているところにも出会った。こんな気遣いにはホッと心が休まる。この地域は車も通れるように、道路の中央は坂道のままにして、両脇に階段を設けていた。確かに全部階段だと車が通れないものね。とにかく階段だらけの町だ。ドゥオモにも外階段が設置されていた。あれ、でもここは上り切った場所が壁で塞がれている。どうして?こんな風に町を歩いている...階段紀行・イタリアオストゥーニここも階段だらけの白い街。でも日が暮れるとオレンジの夜景が浮かび上がった

  • 階段紀行・イタリア チステルニーノ イタリア半島のかかとの町では夜、白い階段が主役として輝きを放つ

    イタリア半島のかかとあたり、プーリア州の高台にある町チステルニーノは、人口1万人弱の小さな町だ。この町の旧市街は壁に囲まれており、その内部はぎっしりと白い建物で埋め尽くされている。狭い道だらけでまさに白い迷宮の町になっている。この町を特徴づけているのは、どの通りに入っても目立つ外階段。日本では通常、家の階段は建物の中にあるのだが、この町は多くの階段が外にあり、その形状が変化に富んだ表情を町に造りだしている。こんな風に小さな広場には各々の家の階段が一望に見渡せるところも。子供たちがかくれんぼの場所として活用したり、時には猫が悠然と階段途中で日向ぼっこをしていたりと、住民に合った形で階段が機能していることが実感できる。それに、どの階段も白く統一されていて、町のトーンを明るく彩っている。夕暮れ時になると、階段付...階段紀行・イタリアチステルニーノイタリア半島のかかとの町では夜、白い階段が主役として輝きを放つ

  • 階段紀行・イタリア プロチダ島 開かれた外階段のあふれる天国のような島

    プロチダ島はナポリの港から連絡船に乗って約1時間のところにある、地中海に浮かぶ島。人口千人というナポリ湾内で人が暮らす一番小さな島だ。でも、その眺めはため息が出るほど素晴らしい。地域が密集しているためか、住民同士の交流はのどかで親密。この島はイタリア映画「イル・ポスティーノ」のロケが行われた場所で、映画を通じてご存じの方もいらっしゃるかも。そんな環境のせいか、住宅の階段も閉じた空間の中にあるのではなく、外階段が非常に多い。従ってその階段の途中でも住民同士の会話が始まり、かつ長い。つまり、階段が憩いの場所になっているようにも見える。街の至る所に外階段が現れ、たいていは明るい色で彩色されているので、周囲を一層明るく見せている。島一番の高台ヴァスチェッロ城跡からだと島全体を見渡せる。私は写真の一番右、上から2番...階段紀行・イタリアプロチダ島開かれた外階段のあふれる天国のような島

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