あれから間もなく6年になります。いただいたコメントにお返事を書かせていただいているとその後私に起こったことも残しておきたいと思い投稿させていただきました。こんな人生もあるんだ…と思って、読んでいただけると幸いです。hinaさん、読んでくださりありがとうございま
読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。母が亡くなってから、どう気持ちの整理をつけていいかわからず、でも、このまま、自分の中にだけしまっておくことも出来ず・・ブログに書かせて頂きました。父や妹、私はそれぞれを同じ思いをし、またそれぞれを心配し、
母と会えなくなってから2カ月半が経った。四十九日までは、母に会いに通った。父の事もとても心配だった。遺影の前には、飲みかけのペットボトルが毎日置いてあった。コーラの時や、カルピスソーダの時や・・それと一緒に食べかけのおかきの袋・・。遺影と向い合せに、座椅
このブログを書いてふれなかったこと・・。今、NHKでしている、延命治療の事・・母は結局延命治療はしなかった。食べれなくなっても、胃瘻はせず、最後も人工呼吸はしなかった。「延命治療は出来ません。」主治医の先生も、救急で運ばれた先生もそうおっしゃった。母の希
朝が来た。母のいない朝が来た。息もせず穏やな顔で眠ってる母・・。その顔は少し微笑んでいるように見え安らかに旅立ってくれたのだと私たちを安心させてくれた。レース編みが好きだった母の手は白く冷たくもうその手に、かぎ針を持つことはない・・。すぐ上の姉である伯母
その日が熊本地震の本震と知ったのは、母の葬儀の日だった。多くの方が犠牲になられ、避難先での不自由な生活と、必死の救助活動・・。熊本の皆様には、心を運ぶことが出来ずに、本当に申し訳ございません・・。4月16日は、ほんとうに雲一つない、まるで秋の空を思わせる
その日は予定があったけれど、キャンセルして母の元に行った。昨日はアイスクリームをよく食べていたのでハーゲンダッツを買って行った。部屋のドアを開けると、今日もやはり、目を閉じたままだった。いつものように、温かいタオルで顔を温め、手のマッサージをして・・。着
去年の10月頃からの、激痛に苦しんでいる時を思えば痛みは薬で抑えることも出来ていて今は穏やかな毎日と言えるかもしれない。癌の薬の副作用も出ていない。ご飯はやはり食べられなくて、ラコール中心で訪問看護師さんが、アイスクリームがカロリーが高くていいよと、バニ
母は2階に寝ていて、病院に行くたびに壁伝いだったり、座り込んで一段ずつ下りたり、時間をかけて、何とかして階下に辿り着いていた。でも、もうそれもできなくなって、体が少し大きい妹が母をおんぶをして階段を上り下りしてくれた。最後の内科診察日もそうだった。前日か
退院してからご飯を食べようとする事、たくさんの薬を飲む事、着替え・・母が自分で体を動かせるのは「手」だけで、全てに介助が必要になっていた。心だけは自由でいられるように、優しい音楽、母が好きな音楽を流し続けた。もう世間では、お花見の話題で、今日はどこが満開
母は海の近くで育った。養殖業で生計を立てている地域で、近所付き合いの濃い玄関を開けて、靴のあるなしで、留守かどうかがわかるような・・。穏やかで、何でも笑い飛ばしてしまうような明るい気質の人たち。2人の姉のいる母の故郷・・。「四国に帰りたい・・。」放射線治
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